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いわゆるアベノミクスという経済政策(なのか?)による景気回復の実感。それを今さら聞いてるニュースを観た。街の声は、様々。効果を実感してる輩は、どれだけいる?私の周りには、ひとりも喜んでる者はいない。アベ・・・? は? なにそれ?? っていうのが、私の本音。だからと言って政治的な話をするわけではない。そんなに日本の政治に詳しくないし、論破できるほどの度胸も語彙力もない。これは単に、主婦として不安定な仕事をする者として働きアリと化す小市民の、取るに足りないボヤキだから流してもらっていい。******文書で“誠意”を見せたつもりのK氏。素人目に見ても、宮様が会見で「示してほしい」と求めた“誠意”とは、かけ離れたもののように感じる。そんなことを思ってたら、今日もまた彼のニュースがワイドショーで取り上げられていた。チャンネル弄ってる時、裏番組を観たら、羽賀研二が・・・誠意繋がり(苦笑)。神様はちゃんと見てるね! 今回の番組で、初めて知ったことがある。返済不要の奨学金なんて、善意の塊みたいな制度がこの世にあるってことを。K氏が3年間通うとされている米国の大学。その費用の一部は、Michael M. Martin Scholarshipという例の夢みたいな制度で賄っているらしい。ざっと調べたところによると(そんな暇あったら、原稿進めようよ?)、当ロースクールの学費は、一年間で9万ドル超。日本円だと年間約一千万円。噂によると、彼の奨学金は一年コースという限定らしく。じゃあ、残りの二千万円はどこから出るんだ?ってなる。その疑問の前に、彼の取得義務のあるビザ申請に必要な【残高証明】の額は、最低三千万円!!家族同然のつき合いだった知人に借りた(本人的には贈与。えっと、贈与税払った??)500万円も返せないのに、それぞれの高額費用をどこから誰から頂いちゃってる???国際弁護士になるのが夢と聞く。夢は大きい方がいい。それは私も認める。でも、弁護士資格もなく、法科大学院卒でもなくキャリア的には【海の王子】としか認められてない彼。御成婚延期になってからというもの、宮家や国民の心配をよそに、大きな肩書を無責任に手に入れ、それを振りかざし大手を振って暮らしてるようにしか、見えない。幸運にもプリンセスのハートを射止めた“純愛”エピソードのもとに、フィアンセ(だった)ということだけにしがみ付いて・・・結局、母親と同じこと、してるやん。日本を敵に回すつもりは全くないが、色白のあの顔を画面いっぱいに・・・涼しげに笑ってる顔を見る度、家のことを後回しにして、毎週締め切りに追われもの凄い神経を尖らせ、細々と気を配り・・・ほんの僅かな原稿料を受け取るために働く自分って、一体ナンなんだ?と、みじめになる。 同じ人間で、生き方が不公平だ。 ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「死ぬ思いで生んだ可愛い盛りの娘を・・・命がけで救えないなら母親も同罪だ。必死でSOSを出したのに、救えない大人も全部まるごと。」
2019.01.30
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相変わらず見目麗しい。今年50歳を迎える森高千里が、21年ぶりに全国ツアーをスタート、という記事を見た。膝上15㎝のミニスカート姿を今も貫く。他の似たような元アイドルが、時々“当時”の恰好でライブしてるのを観るが、正直言って痛々しい。現実を見ろ!と突っ込みたい。だけど、森高なら…許せるかな? ライブ写真のおみ足を見て、これなら許す、と思ってしまった。♪わたしがおばさんになっても~と、唄っていた頃。私は雑誌編集者として、彼女を担当した。特別ファンと言うわけでもなかったが、カラオケでも毎回好んで唄う程、個人的にデビュー曲をはじめ好きな歌が多かった。彼女と直接会ってみて、クールビューティな見た目とはギャップのあるサバサバした性格に惚れた。私等スタッフのやり取りで、大口開けてケタケタ笑う。私が選んだファンへのプレゼントを気に入り、「私も応募しようっかな~」とかサインしながら言うし。 それがなんともチャーミングで。安室ちゃんを見た時と同じ衝撃で、握り拳くらいしかない人間離れした顔の小ささと、華奢だけど均整のとれた体形。まずは目が行ってしまうけど、彼女のあのざっくばらんな人柄は、男女ともにウケがいいと見た。女をウリにした人が苦手なので、私は彼女みたいな人の方が好感が持てる。ま、同じ九州出身なので、贔屓目もあるにはあるが。当時は“国民的アイドル”扱いで可哀想だった。本当はドラムも叩くし、曲も作るし、ただのアイドルではない。そういう枠から少しはみ出た所が、彼女の本当の魅力だと勝手に思ってる。美しさは変わらないとは言え、さすがに彼女も歳をとった。あの一番綺麗だった時期と比べれば、それなりに。そりゃ、結婚もして今や大きな子供もいるんだもん。家に帰れば、森高もひとりの母親でもあり、妻でもある。あんなに綺麗なのに、芸歴も長いのに、私にはなんとなくだが彼女の中の“庶民的な匂い”を前から感じている。あの頃の彼女の“素顔”に触れたせいもあるだろう。でも、そのどこか“庶民的”な部分がチラ見えするから、人をいまだに引き寄せるのだと、最近の彼女を見て思う。「50です!」と言えた方が潔いかな。同じぐらいの年齢の方が、キラキラした衣装で頑張っている私を見て「頑張ろう!」って思ってくだされば。”おばさんになった“森高が、これからどんな道を辿るのか楽しみにしつつ・・・早速、私も頑張ろう!(笑)******「一度何事にも縛られず、自由な生活がしてみたい」嵐の公式サイトで語った大野智。昨日、大相撲の速報に被せるように速報が流れ・・・その文字を読み、一瞬ナニ?ってなった。国民的アイドルグループの嵐の、突然の活動休止宣言。我々には“突然”でも彼等には、相当の覚悟の上での決断だったことが、昨夜の記者会見から解った。綺麗で若くてカッコよくてかわいくて・・・そういうファンの期待と夢を背負って活動をするアイドルなら誰しも、いつかは“越えなければならない”試練とも言える。郷ひろみや松田聖子やおニャン子のように、老いを否定しながらアイドルでい続けるのか、イメージを自ら打ち壊し、次のステージへ挑むのか。一度スポットライトを浴びてしまえば、なかなか現状を受け容れるのは難しいようだが・・・。実は大野君はJr.時代に既に、事務所退社を申し出た過去がある。その後、嵐15周年の際にも。だから、彼にとってもメンバーにとっても、全く突然ではなく、“遂にその時が来た”ということなのだろう。昨日の会見を見る限り、皆、涙を浮かべてはいたものの清々しさを感じた。某人気先輩グループが、最後は本人達も関係者もファンもそれ以外も、誰もが釈然としない後味の悪い解散会見をしたから、尚更、嵐の会見の段取りの良さと、本人達の覚悟の表われに、すんなり納得できた。強いて言えば、大野君本人は嵐も芸能界も辞めたかったから、そこには不満もあるのかもしれない。でも、会見で本人が「次にメンバーで会った時に、老け込めない。だから今をキープする」みたいな発言をしたのを聞いて、彼等の将来、いつか“再結成”もあるのかも?という光も見えた。それだけ嵐というグループは、彼等にとって居心地の好い家族みたいな存在なのだと・・・。若い男達の集まりだから、裏で今まで色々あるにはあったかもしれなくても・・・ほかのグループ以上の“心の繋がり“の強さも感じらた。少し前に関ジャニ∞のメンバーが脱退して。その時も、アイドルである前に男として人として年齢的な岐路を迎えたんだなぁと、しみじみした。今回の大野君も、あんな幼顔だけどなんともう38歳!!周りを見れば、家族を持ち親となっていたり親の老後を憂いている同級生もいる年代。そんな中で、自分のこれまでを振り返り「30代迄に自分のしたかったこと、やり残したこと」を考えても不思議ではない。それは芸能人じゃなくても、立ち止まって過去と未来を考えるのは、この年頃なら自然なこと。自分のその時代を振り返ってみて、やはり30代迄にできて、40代でできなくなることは沢山あったから。大野君には是非、普通の男としての夢、叶えてほしい。キラキラした人が、まだ周りから求められているうちに、表舞台から姿を消すのは、とても寂しいし惜しいことだけど・・・彼は芸能人としての才能以外にも魅力のある人だから、きっとそのうち別の形で名前を聞くことになりそう。そしてほかのメンバーも皆、既にそれぞれの地位を確立し、実力も備えている。最近のJの中でも、“送り出す”のに何の心配もないグループと言えるのでは?2020年を機に活動休止する嵐。それまでの彼等の活躍を見守りつつ・・・アイドルにも人権を!と各事務所に願わずにはいられない。恋愛も結婚も好きにできないなんか・・・いつの時代だよ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「冬のスズメはぷっくりしてて可愛い」
2019.01.28
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ひと山越えた。今回なんでこんなに進行が遅いのかー!と自分の力量の無さに泣きそうだったが、よく考えたら、いつもより一日依頼日が遅かった。しかも油断して、一日放置して遊んでしまった。よって二日分のロス。今回ラスト三日間は籠って、通常一週間で終わる物を五日間で仕上げた。やればできるんだ、私だって!五日でも間に合うことが判ってしまったから、次もそれでいくか!とも考えたが、やっぱりカンヅメはきつい 気持ちはやればやる程、集中するし高まる。けど、首も腰も手首もやられる。だんだん頭もウニになる。途中でまた、姑そして実母の悩み事が挟まってきて、発狂しそうだった。この余裕のない時にダブルでくるの、やめろー! 今、自分のことで頭いっぱい。締め切り抱えてるこんな時に、具合悪くなるの、ほんとやめてほしい。あと数十分で”新たな山”に登らなくては。最近になって色んな意味で余裕がない生活・・・。でも”自分の時間”は失いたくない。今は大好きな音楽に、なんとか支えられて自分でいられる。******永ちゃんこと矢沢永吉が、一部ファンに対して「コンサートへの一切の出入り禁止、ファンクラブの強制脱会等の措置」を決断。【私設応援団】と名乗る某団体の迷惑行為が問題になってのこと、らしい。 周囲の人に威圧感を与えるような私設応援団の活動、旗振り、特攻服などの威圧行為をはじめ周囲に迷惑となる”永ちゃんコール”の強要煽りそして飲酒入場を禁止するというルールは、以前から公式サイトで告知されていた。これもすべて、普通にライブを楽しみたい”一般客”が迷惑しているから。「行きたいけど怖くて行けない」コンサート会場って一体!!(呆) 矢沢永吉の目指す「どなたでも来場しやすいコンサート」への妨害行為をしてる時点で、もうファンじゃないじゃん!以前ココで書いて嘆いたジ○ニーズの無礼な一部ファンを思い出した。まさか永ちゃんのファンに限って!・・・とかなり残念だ。でも、ルールを守れない輩、好きの気持ちを通り越し本来の目的を大きく外れる輩・・・どの世代にもいるんだなぁ(溜息)。実は私、仕事絡みで二度、永ちゃんライブを体験してる。しかもタイプの全く違う大ホールとミニホール。大ホールが初永ちゃんで。場所は日本武道館。武道館前から、地方のおかしな成人式会場みたいになってた(苦笑)。リーゼントにサングラス、全身真っ白や真っ赤なスーツにE.YAZAWAのタオル肩掛け。あらゆるタイプのなりきり永ちゃんが続々と。枝毛気味の赤や黄色の長髪にド派手なお召し物の女性陣・・・あの入口から“一緒に入るのを一瞬躊躇った”のは、人生初(笑)。永ちゃんはカッコいいし、知ってる歌を生で聴けて嬉しくもあったけど、それより何よりライブ中、ずっと怖かった(苦笑)。♫サムバでぃずナイッ!みたいなサビで一斉にあのデカいタオルが宙を舞う。武道館の隅から隅まで一斉に。ものすごい気合を入れてみんなが上に放り投げる。色んな色のE.YAZAWAのロゴがカラフルに見えて、一挙手一投足がある意味圧巻。でも、だが、しかし。棒立ちで観ている私の髪は、毎回タオルの餌食になり、風圧で繰り返し激しく巻き上がる。頬を何度もはたかれ遂には髪はぐちゃぐちゃに・・・。とにかく、ただひたすら怖かった。次のサビでは、どんな“洗礼”が待ってるのかと・・・その記憶が鮮明にある。それに対して、ミニの方はかなり良い想い出になってる。本牧のどの辺りか・・・関係者用送迎バスで連れてかれたから全く位置情報が掴めないまま・・・何ていうライブハウスだったのかも覚えていない。海のそばの倉庫街みたいな場所だったと記憶している。その小さな小さな会場で、ひっそりと?“世界のE.YAZAWA“がダンディな雰囲気の、会員限定ライブをしたのだ。関係者は二階席ってことで、バルコニーみたいな狭い所に座って観た。私は赤○泰彦さんと同じテーブルで。永ちゃんを恐れ多くも見下ろす位置からの観賞。白いくしゃくしゃのシャツに、黒いパンツ姿・・・失礼ながら、後頭部には薄っすら年齢を感じる。それでも最高にカッコ良かった! 私の好きなジャンルとは、全くかけ離れた人ではあるが、多くの人に愛され「スゴイ」と称賛される人のライブは、やはり一度は観るべきだと改めて思わされた、矢沢永吉の別の魅力を、タナボタみたいに観れちゃった夜。きっと彼の“気合い”の入ったファンは、ずっと彼を追い続けるのだろう。だから、大きい会場はどうしても、それなりに“気合い”を入れて挑む必要があるかもしれない。永ちゃんが望む「どなたでも」には、残念ながら程遠いのかも。今回のニュースを機に、熱狂的なルールを守れるファン達の努力で、良い方向に変わってくのが一番望ましいけど・・・。思うに永ちゃんのライブ、大きい箱にこだわらないで、ああいう大人の色気ムンムンの、小さい箱でお酒飲みながらオールスタンディング・・・ってやってもお客さん、喜ぶ気がする。フツウの(って失礼か)お客さんが観てみたいと思うんじゃないかと・・・私は運良く二つのタイプを観させてもらったけど、絶対、本牧ライブの方が、あの永ちゃんが渋カッコいい!!今の年齢を重ねたE.YAZAWAなら、あの空気感がピッタリなのに。彼の故郷に近い本牧って土地がまた、粋で。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近同じ透明文具が繰り返し行方不明に。今日も失踪中」
2019.01.25
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新年初の締め切り(副業)と向き合う日々。格闘してると、今日が何日の何曜日か分からなくなってくる。ひたすらその日一日に進むべき目標の仕事量を目ざし、前に前に進んでくだけ。懸命に取り組んでるのに、なかなか思うようにいかない。私の技量がそこまでの力しかないから、仕方ない。でも精一杯やるだけ。不器用でも心を込めて全身全霊で。今日は外に出ない!と決めた。夕飯を作る時間ギリギリまで今日のゴールに辿り着けるよう、目の前の”課題“をやっつける。ただ黙々と。自分の力を信じ、孤独に。******1月も22日目。聞くところによると、今日は【カレーの日】。社団法人:全国学校栄養士協議会が、1月22日の給食メニューをカレーと決めたのが始まり。昭和57年に全国小中学校で一斉にカレー給食が出された、のだとか。今や日本の家庭の定番中の定番。老若男女に愛されるメニューのひとつでもあるカレー。正月明けのこの前、我がマンションの廊下を歩いてると、どこからともなく子供が好きそうなルーの香りが! 少し進んだら今度は、スパイシーな本格派の大人な香り!! 結局、家に辿り着くまでに3,4軒の夕飯が、間違いなくカレーと思える香りのオンパレード。すっかりお腹が刺激を受けた。ちなみに総務省統計局調べでは、カレールーの支出金額及び購入数量の1位は、鳥取市なのだそう。へー。何が鳥取市民を、そうさせたのか? そんなに興味はないが、一応書いてみた。 我が家は最近は専ら、家カレーしかもレトルト。以前は姑もいて3人暮らしだし、圧力鍋にハマってたから、牛筋カレーがうちの定番だった。でも今は中年夫婦だけで、大量にカレーは要らない。圧力鍋を使うのにも飽きてしまった。それに、近所のスーパーのカレーコーナーが充実してるお蔭で、選ぶ楽しみが止まらない。ほんとに続々と新作が登場してる。安い商品はいまだに、塩分濃度が高く血管を破壊しそうで買う気にならないが、少し贅沢をすれば、スパイスをちゃんと使って添加物も少ないヘルシーな商品が手に入る。そんなだから、お気に入りを家に数種類常備。今日みたいに全く仕事以外身動きできない日は、昼に大体、レトルトカレーに頼る。だから今日もきっと、何かしらカレーを食べてるだろう。ところで、こっちの方で有名なカレーと言えば。【横須賀海軍カレー】なんてのが、必ず挙げられる。 と言っても現地で食べたことは、まだない。レトルトカレーでは一度だけ食べた。まあ、何とも言い難い、普通の感想だったな。昔の懐かしい系のやつ。機会があれば、本物を一度味わいたい。いつも艦船観ながらス○バでお茶するコースばかりなもんで。ここの海上自衛隊は毎週金曜日、カレーの日なのだそう。船の生活で、曜日感覚を麻痺させないための知恵。それは好いアイディア! 横須賀の学校給食もそれに習い、金曜の給食はカレーというから、徹底してる(笑)。関係ないがうちも最近、金曜の夕飯は、手羽先か水炊き用鶏の鍋になりつつある。今週はその鍋を食べる前に、締め切りを越えなければならない 美味しい鶏鍋が待ってると思えば、頑張れるけど、作るのは私か(嘆)今日のタイトルは、うちのカレーを作るとしたら、この順が好みってこと。そう言えばシーフードカレーは、なぜか作ったことないなぁ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「連繋ができてない…アジア杯。不満残る試合ばっかだ。」
2019.01.22
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この前始まったばかりの一月も、もうすぐ終わり。そうではあるが、病院は正月明けの雰囲気がまだ漂っていて、どのフロアもいつも以上に患者で溢れてる。それも高齢者がわんさか。私のように定期検診で来て、薬をまとめて貰う目的なのか何なのかは知らないが。 私の通う婦人科はいつも混んでいるが、医師の数も充実してるし、予約制だからわりとサクサク進む。だけど今回は違った。久しぶりに病院で1時間以上待たされた だんだん周りに人が居なくなり、長椅子が空いてるから、寝転びたいとこだった。だけど寝冷えするし、大の大人が恥ずかしいし、具合悪いと勘違いされても困るから、ここはグッと抑え、背を伸ばし目を閉じて我慢。 生まれつき病弱で幼児の頃に何度も死にかけてるから、朝夕深夜平日休日問わず、病院通いは慣れっこだ。だから、ちょっぴり空気の冷えた待合室の硬めの椅子にもたれて・・・たとえ担当医の呼び出しがいつまで経っても聞こえなくても、思いのほか寛大な方だ。これまで自分の診察のほか、実母と姑の診察付き添いで数えきれない程、様々な病院のあらゆる科に掛かった。思い出せる範囲で、最長で待たされたのは4時間程か。自分の検査で待つのなら諦めもつくが、高齢の親を連れての待機となると、悠長に構えてもいられない。年寄りは低学年の小学生までの子供と同じで、30分が限界だ。最初は具合が悪いせいもあり大人しくしてるが、だんだん私と話すのにも飽きてきて、周りで忙しく動き回る看護師さんやぷんぷん文句を言う同年代の患者などを目で追い、それにも飽きたらいよいよ本人による文句が始まる。自分の為に長時間待つのだって疲れるのに、こんな機嫌の悪い病気の親達をなだめながら待たされる時間は、罰ゲームでしかない。そんなことを、この1時間半の待ち時間でふと思い出して一瞬イラっとしてしまった魔が差せば、その辺のおばさんと変わらない態度で私が“何の罪もない”窓口のスタッフにケチをつけに行きかねない。あぶない、危ない少しだけ椅子に固定された身体が辛くなってきた頃、やっと担当医からの声がかかる。今回問診だけだから、10分にも満たない。薬を貰う為に必要とは言え、この“ルール”はどうにかならないものか。待たされる度、奇妙にも思う。******”待ち時間”と言えば。ここ数年、我が町を訪れる観光客が明らかに増え、口コミで注目されている飲食店と言う飲食店に、大勢行列が目立つ。中には、通りにはみ出すように大勢の群れが。今まで住んでて、確かに地元民にも人気のある店だったけど、ここまで人が集まるなんて!(驚)それにしても、こんな寒い夜によくも耐えて・・・静かに順番待ち、できるもんだな~。訪れた土地の美味しい物を是非食べて帰りたい&インスタで自慢したいという気持ちも、解らないわけではない。でも・・・ただ食べる為だけに30分以上、待てるんですか???って話。私は過去に長時間待った記憶がないので、多分ないんだろう。その辺は諦めは速いので、おそらく似たような店を探し、それを食べて良しとする性質、なのかも。だって食のレビューなんて、はっきり言ってまるで当てにならないんだもん! 味覚なんか千差万別。せっかく貴重な時間費やして、いざ実食!ってなっても、???ってなることの方が、これまでの経験上、多い。だから私は、特に飲食店の評価は当てにしないし、並んででも食べたいと言われてる店には、近づかない。だから、忍耐強く店の前で待てる人達が、不思議でならない。原宿表参道近辺とか、パンケーキやスイーツ系でも行列でウン時間待ちとか聞くと、今の子達って、そんなに辛抱できるんだ(棒読み)と驚きを隠せない。何の根性試しなん?ってほんと不思議で仕方ない。ひたすら待ってるだけの“待ち時間”ほど無駄なモノはないけど、まだ病院の方が意味があるから、理解できるな。ま、でも。待てる時間も“時と場合による”というのが、本音なのだが。ところで、今頃になって知ったのだが・・・【若者言葉辞典】によると、↑の言葉を“ときとば” と言うらしい 早速・・・恐る恐る使ってみる。「待てるかどうかは、ときとばじゃね?」は、恥ずかしい。穴掘って入りたい★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「祈・体調快復&信頼回復。貴重な才能を・・・働かせすぎなんだよ サポートしっかりしろ~。」
2019.01.20
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ネズミは果たして本物か? 今、バンクシー(ロンドンの覆面芸術家or集団?)が描いたとされる壁の落書きが、日本でも話題に。Googleストリートビューに映り込んでるのを観た人の通報で、本人が描いたらしき絵が都内にもあるのが公に。都の所有地にあるコンクリート防波壁に描かれている傘をさしたネズミ。バンクシープロデュース映画に出てくる都内での作品と紹介されたものと照合しても同じなので、盗難や絵画鑑定の為に都が保護したらしい。もしもこの絵が本物なら、一体どれくらいの価値があるのか。そしてそれが判った時、日本で何が起きるのか?世の中の出来事を、今の言葉で表せば“ディスる”というのに近いのかな? 世界各地でゲリラ的に落書きをして、その国の抱える問題点を“マイルドに風刺“する。一見すると、愛らしかったり微笑ましかったりするが、よくよく観ると奥が深い。その絵と直接向き合った時、観た人が何を感じ取るか、試されてるみたいだ。ただ話題性のある覆面芸術家の作品だからと、作品に託したメッセージも解らず、高額取引をしようとした人間には、ちゃっかりイタズラを。オークションの絵が、入札されたとたん、額縁に仕掛けられたシュレッダーで絵が切り刻まれていくニュースは、記憶に新しい。この手の込んだ仕掛けにも、彼または彼等のアイロニーを感じる。今頃どこかで当人も日本の騒ぎっぷりを知り、ほくそ笑んでいるような気がする。勿論、日本人ならば最後にあの絵を外して、こういう経緯になることもすべて承知の上で。シュレッダー事件があるまでは、私も「ふ~ん」くらいの興味だった。でも今はちょっとこの人?集団が、気になる。都内だけでも最近は、意味不明な記号や低俗なマークが芸術性もなく落書きされて、街が困っている。わざわざ動画を撮るために、来日してまで落書きする呆れた輩もいたりする。逮捕された輩に聞いても、描いた理由は全く理解できないものばかり。大きな図体で便所の落書きみたいな子供レベルの悪さしかできない。落書きは日本では、「建造物等損壊罪」「器物損壊罪」の犯罪行為に当たる。だから、たとえそれがバンクシーでも同じように罰せられる。でも、彼または彼等のメッセージには受け止める価値がある。その国の人達には見えてない&見ようとしていない問題を、第三者の視点で的確に指摘してくれるのだから。小池さんも得意げに語ってないで、その絵から何かを感じ取るべき。マスコミもただ単にネズミの絵が本物かどの程度の価値かを話題にするんじゃなく、バンクシーから日本への貴重な置き土産から、何かを掴まなくては。あの場所に描かれた意味を考えるだけでも、想像力は広がる。たぶん彼または彼等の絵は、人目に触れた時点から、脈を打ち“何らかのメッセージ”を持ち始めるのだろう。ま、ニセモノだったら・・・ただのネズミの落書きでしかないけど。私はニュースで見た瞬間、ネズミがちょっとだけ動いた気がした(笑)。******絵画やイラストも言葉以上の力を持つが、やはり“言霊”という言葉が存在するように、発する言葉には“特別な力”があると私は信じている。それを“神が宿る”と言う人もいるが、神様とまでいかなくとも、何かしら普通では考えられない“力”が働くタイミングがある、と思う。力を持ちあわせてなくても、言い続けると運を引き寄せるとも言えるか。そんな“力”が言葉にはある。だから私は子供の頃から、“有言実行”を貫いてきた。時には叶いっこない夢であっても、言い続けることで“絶対に叶う(叶えてみせる)”と鼻息も荒く。言葉にして誰かに言ってしまうと、「もう逃げられない」という想いから、前に進まずにはいられない。だから、ちょっと挫けそうになったりする場合に、特にこれは効く。要するに周りに発表することで、お尻に火をつけ、何が何でもやるしかない状態に持ち込むわけだ。苦しい時こそ力を発揮(火事場の馬鹿力)する私には、ちょうどいい方法である。言い続ければ、やっぱり夢は叶う。前々から何度もココで書いてもいるが、良い事だけでなく悪い事も口にしてしまえば、“実現“してしまう。姑は体が丈夫なのだけが取柄で、風邪もひかず私達がインフルエンザに倒れても全くうつらない元気印だった。なのに、80になる手前から「人にやってもらうのが好き。何もしないでゴロゴロ寝てたい」そんなマイナスのことばかり口にしてた。その結果、転倒骨折を繰り返し、気づけば魔法使いの老女のように背が曲がり、認知症が急速に悪化し、胃瘻そして寝たきりに・・・喋ることも動くこともできず、多くの他人(施設スタッフさん)に助けられ、生かされる日々。彼女の”長年の夢“が叶った老後になったのだが、本人が満足なのか後悔してるのか? それさえも知ることさえできない体に、自分で勝手に変えてしまった。彼女のように夢を叶えても、“感じる”こともできないのなら、叶える意味はない。だから、口にする言葉はポジティブなものに限る。そんなことを、ある人の頑張りを見て、また強く思うように。周りにどんなに笑われても馬鹿にされても、デビュー前から大真面目に夢を宣言し続け、ひとつひとつ手応えを感じ、実現している最愛のミュージシャン。大きな夢を叶えるための努力は、計り知れないけど・・・真顔で言い続け叶え続けている彼の姿を見る度に、励まされてる私がいる。そんな私の当面の目標は、抱えてる仕事を締め切りまでに“余裕”で終わらせる!! 最終日は、コーヒーの湯気を感じながら、おやつを頬張るくらいのドヤ顔で。急務かつ切実な願い!(笑)★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「『あんころもちが食いてぇ。』市原悦子の声で覚えてたのに常田さんの方だった」 9か月前に買ったネモフィラ。枯れて無くなって元日に復活して、ただいま増殖中♪
2019.01.18
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学生さんの動きが、いつもと少し違って見えると思ったら・・・今週末が大学入試センター試験、なのか。うーん。大変だ。私の周りでもここ数年、子供の大学進学の話を耳にする。幼い頃に無邪気に遊んでた友達や親族の子供も皆、知らぬ間に立派になり、キャンパスライフを楽しんでいる。義弟の娘もあっという間にそんな歳になったが、内部進学が決まっているとかで、入試の心配もなく気楽そう。自慢じゃないが私個人の大学入試は、私が最後まで自分の夢を譲れず、直前で進路を変更してドタバタだった。親は娘をできるだけ手元に置いておきたかった。そして、親族と同じように教師になってもらいたい&なってくれるもんだと思い込んでた。親の言いなりだった私は、その期待に応えるべく、国公立コースに在籍したものの、数学も物理もちんぷんかんぷんな私が、5教科でバランスよく点を取り、国公立受験に合格できるわけがない!本音は自分の得意分野で勝負したかった。そして、まだ見ぬ東京に出て、将来仕事で自分の夢を叶えたかった。そんな想いが最後に爆発して、最終三者面談で受ける大学を私が全部変更した。周りの意見もそこそこに。よって、この時季あまり“充実”していたとは言えない。当時は今のセンター試験とは別の形式で。だから今の受験生の苦労は分らないけど、私は私でそれなりに大変だったな~と。“色んな意味”で、そう思う。受験直前に父が脳梗塞で倒れた。あと少し発見が遅ければ、半身麻痺やその先の悲しい結末が、待っていただろう。たまたま私がその場に居合わせ、父は九死に一生を得る。そんな時でさえ、私の頭は大学進学の事でいっぱい。母に放った言葉が、今でも忘れられない&消し去りたい。父や家族が大変な時に、「大学に行けなくなるぅ!」と叫び泣いた。馬鹿か!ほんとこの娘は自分のことしか考えてない。あの泣き喚いてる自分の愚かな姿、今も恥ずかしくて忘れられない。父は高血圧だが酒もタバコも嗜まず、スポーツマンだった。だから医師曰く、「血管が綺麗」なのだそう。それで幸運にも何も支障なく、もとの暮らしに戻れた。そんな父の運の強さに救われ、私が進学できたくせに!父や母の苦労を、あの頃の私は大して考えてなかったのか?上京して独り暮らしを始めてやっと、その時の“父の奇跡”に感謝し、親の有難みを痛いくらい感じるまでになれたのだが。あの時。父がもし元通りに復帰ならず、私達家族の運命が別の方向に向かってたら・・・。今はかなり時間が経ちすぎて、仮定の話など考える暇もない。でも、当時は何度もこの“運命のいたずら”について、あれやこれやの場合を、考えていたように思う。こんな過去の上に、何とか勝ち取った大学への切符。入った大学は、どうしても入りたい大学ではなかった。受験間際に決めた大学だから、確実に入れる所で希望する学科があったから、というのが正直な理由。ついでに言うと近所のカッコいい先輩が、二年くらい前に合格したのを噂で聞いて、大学名が頭に残ってたから(苦笑)。そんなクダラナイ理由で入ったもんだから、大学もそれなりに楽しい時もあったし、今でも関係の続く友達もできたけど・・・なーんか中途半端だった印象。もっと勉強に打ち込んで、今も自慢できる大学生活だったら。何かがうまくいかない度に、その後何度、後悔したことか。もしもあの時、私がもっと早くから進路を定めて、本当に行きたかった大学を目ざしたら・・・とかナントか。でもあれこれ考えたところで、“私の行きつく先”はきっとそんなに変わらないように思う。なぜなら、私は私でしかない、から。大学は、人生を決める最終ゴールではなく“通過点のひとつ“に過ぎない。特殊な学問を学べる所なら、そこでしか得られない知識や経験が身につくだろうけど。私が行くような大学それも文学なんか、”社会の何に具体的に役立つんだか”な就職活動で最も煙たがられる学部とか、ほんと頼りない。社会に出れば、いかに大学という学歴が“役立たない”かが分かる。もちろん、いまだに大学の派閥で成り立ってるような古臭い体質の企業もあるだろう。また実際に大学の研究が、仕事に活きてる人が居るのも知っている。ただ、私が選んだエンターテインメント系の業界に限って言えば、学歴など何の意味も持たない。この世界では、実力がモノを言う。人とのコミュニケーション能力、他にないアイディアやセンスを発揮する力、周囲の空気を読む力、フットワークの軽さなど等・・・全てに於いて、”人間力”が重要になる。相手がどんな学歴かよりも、逆立ちしても追い付けない凄い能力を持ってる人に、何人も出逢い嫉妬した。どんなに受験を頑張って偏差値の凄い学校に行ったとしても。東大出て大手新聞社を辞めた人間が、私に毒吐かれながら一緒に雑誌を作ってた。それでも彼はいつも幸せそうで。東大に通ってた頃よりも、新聞社に居た頃よりも、あんなふざけた雑誌を作りながら、一番欲しかったモノを手に入れて楽しそうだった。そして今もそんな生活を飽きずに続けている。むしろ、ますます輝いている。ま。一流大卒でもない私に言われたくないだろうが。今、必死で頑張ってる受験生に、私から勝手な贈る言葉を。とりあえず今は目の前の目標に、全力で取り組んでみよう。でも稀に叶わないこともある。縁起でもないが、たとえ第一希望がダメだったとしても。そこで人生が完全に終わるわけではないから。少しだけ落ち込んだら、また前を向こう。今がダメでも、将来の夢が確かなら、遠回りでもいつか必ず辿り着く時が来る。その時は“チャンス”を逃さないで。大学生は就職組と違い、子供でもないけど大人でもないみたいな”モラトリアム期”でもある。ある意味気楽で、確かに楽しいことも多いけど、無駄も多い。4年で無事に卒業したって、私みたいに就職でまた苦労する人はする。大学に入ること、それだけで人生が決まるわけじゃない。それよりも、それぞれが最後に辿り着く場所、そこまでの経験。これこそ、自分にとって何よりも意義のあること。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「24年…今も忘れないよ。あの街を再び訪れる夢もあるから。」
2019.01.17
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あー、出た出た。今年も“この日”にわざわざ“おつむの弱さ”を世に見せつけようとする輩。自分では人ができない面白い事をやってるつもり、なのかもしれないが。それを“いいアイディア”と思う時点で、かなり幼い。そんな事をして許されるのは、小学校低学年まで。今ドキそんな事をして喜んでる子供もあまり見たことないから、この世に20年も生きてる分別ある人間が、する事とは言えない。TVニュースでまるで毎年仕込んだかのような、“白い紋付き羽織袴の金髪頭で暴れるマヌケ”を観る度に、ただただ哀れに思う。彼等は一体、何を目的に問題行動を起こすのか? 例えば祝辞を述べる市長や市政に何かしら不満があって“抗議“の意味で進み出るのなら、百歩譲って理解はできる。でも毎年彼等の行動を観ても、1gも思想を感じない。むしろ頭がお花畑状態としか思えないネジの緩みようが、他人様の子供ながら痛々しい。私にもあのくらいの子供がひとりふたり居てもおかしくないが、あんな風にしか育たないのなら、私には居なくてよかったとさえ。その趣味の悪い金ぴかな着物だって親御さんが、我が子の晴れ舞台の為にせっせと貯めたお金で、息子に言われるがまま借りてくれたかもしれないのに。その親の想いも虚しく、“あ放蕩息子”は今日もこれまでと何ひとつ変わらず、アホ丸出しで世間の皆様に多大に迷惑をかけている。そして“成人”と呼べる資格を、自らドブに捨てる。社会ルールも心得ず、大した理想も野望もまるでない未成熟まんまの心と体で。捕まった後、あれで周りの大人にガーガー言われて目が覚めればいいけど・・・たぶん無理だな。彼等がそれが何て愚かで無駄な事と気づくまでに・・・あと20年くらいは、かかると思う。それくらい、あまりにも短絡的で稚拙で下品。 そんな“抑えられない衝動”に振り回されてるコドモ大人も混在する“ハタチ”の自分を振り返ってみる。大学にも慣れ、集団生活を離れ、いよいよ都内での“独り暮らし”を始める辺りの頃か? 初のアパート暮らしについては、去年のどこかで書いたから割愛。でもなんというか、大勢と暮らした生活から一変、初めて自炊してアルバイトもして、時には体調崩して寝込んで、ひとりの寂しさに耐えてごくたまに大家さんの手も借りて・・・など等しながら、“親のありがたみ“に気づくのが、正にこの頃だった。気弱になると電話越しに親の愛情が伝わるので、えらい身に染みた。この人達を裏切らない人間になりたい。そう思い、辛くても夢を諦めずにがむしゃらに生きた。成人式は出ていない。生まれ育った町じゃない所の式に出ても意味ないと思ったから。でも、両親が晴れ着姿を見たいと言い、時季外れに帰省した時、既に知り合いから借りたかなり年季の入った振袖が用意されてて、近所の美容院にも予約が入れられてて、私はまな板の上のなんちゃらで、母に言われるがまま、準備に追われた。そして用意されていた子供の頃から馴染みのある写真館で撮影をして、その足で母の実家まで手を引かれて連れて行かれた。途中、孫をあやすお婆さんに「ほら、お嫁さん、キレイやな~」と言われたが、まだ嫁に行けるかどうかの可能性すらもない頃で。母が待ってました!とばかりに、その写真を手に、見合い話をあっちこっちにしてたのは、後になって知る。結局、その行動は無駄足に終わり・・・私は親不孝者の道を突き進んでいった。そんな想い出が今になり、ドドッと甦ってきた。ついでに、今日新成人を迎えた人達の生まれた20年前にも遡ると・・・。雑誌編集者として張り切ってた頃だ。さっきTVでたまたま当時のヒット曲のランキングが紹介されていたが、胸が熱くなった。どの楽曲にも私の当時の仕事の記憶が漏れなく付いてくるくらい懐かしい。20歳でこれから進む道を決めた私は、20年前確かにその夢を叶え、必死で頑張っていた。それを今日、振り返るきっかけになったのは、思いがけない自分へのプレゼントというか、いい機会になったかな。さぁ、これから始まる20年。私はまだこの世で笑っているのか、それとも???若さ溢れる、夢いっぱいの新成人の皆さん、おめでとうございます。どうかそれぞれが、目指す道を確実に歩める素晴らしい日々でありますよう。大人は責任重大で大変な事だらけ。だけど、案外楽しいもんだよ。面白がって生きてみて。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「アジア杯…また弱くなってる。勝つ気あんの?」
2019.01.14
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もう鏡開き・・・。我が家は今晩、鏡餅に入ってた角餅を食べる予定。子供の頃、“鏡割り”って言ってた気もする。実際、親戚手作りの大きな鏡餅に勝手にヒビ入って、それを母が割って雑煮や善哉にのせてた記憶あり。割るのが縁起悪いからと、今は使わなくなったようで?我が家も割りはしない。餅が小さいからふつうに食べる。そんなことはどうでもいい。体が、いや頭か? とにかく、私の中のどこかがダルい。仕事始めが今年はまだなので、暇すぎて助かってる。ダルすぎて洗濯物も干さずに、少し寝てしまった。ユ○ケル飲んで、好きな音楽をガンガン流し闘魂注入中。相変わらず、年明けからテンション下がる事ばかり続き・・・昨日またひとつ実母の方に心配事が。姑の問題で頭ぐちゃぐちゃの時に! 夫婦で気晴らしに久しぶりに近場のクラシックコンサートに行くか!と、チケット取りかけた正にそのタイミングで電話鳴るって実父を亡くしてからの10年、我が家はいつもこんな風だ。病気の年寄り複数抱えると、あっち済んだら今度はこっち・・・と、”もぐらたたきゲーム”のように次々と無理難題が顔を出し、押し寄せる。よりによって、私の調子が↓の時に。ほんと勘弁! 神様、私、なんか悪い事、しました?晴れない頭と心を清めるため、水曜からほぼ音楽漬け。今じゃ家には、音を流しだしたとたん嫁の様子を見に来る姑も居ない。独りだから、誰にも気を遣う必要はない。でも今日は特に、へッドフォンで外部のノイズを全部遮断したい。誰にも邪魔されない“自分だけ”の世界に思いきり潜ってやる!******今朝やってたTV番組で、芸能人が【恥ずかしい過去】を告白してた。恥ずかしい生き方ばかりの私には、思い当たることだらけ。腹を割り(って程でもないが)、ココで今、思いついた“恥エピソード”を挙げれば・・・①受験で上京する日の、人生初の飛行機搭乗の場面にて。スカイメイト利用で、乗客案内の最後に乗り込む際、既に全員座席に着いてるわけで。私の席(3列シート中央)に辿り着いた時、通路側の人に「そこ空いてますか?」。緊張しすぎてて、言い間違い。後で自分で笑った。②大学のサークルで、後輩に偉そうに指示する言葉が気づけば“方言“。方言の方が“感情”を吐き出しやすいもんで、方言が抜けない大学時代前半、思わず出てた。で、言われた方は「???」ってな顔に。偉そうに先輩面で二度繰り返したり。で、「はっ!」って赤面。主に、「なおす」(片づける)、「はわく」(掃く)がなかなか直らなかったなー。③担当編集者(私)と広告営業の幹部(全員男)との会議にて。もの凄い真面目で真剣な話し合いの途中。休憩でトイレに立ち寄り、洗面の鏡を見て血の気ひく。ま・・・眉がない!!!!!あの頃、徹夜続きで毎日ヘロヘロだったから、家を出る前のメークで描き忘れたらしい慌てて眉を描き足し、“何事も”なかったかのように会議の席に戻った。・・・日頃は上下関係もなく、和気あいあいの何でも言い合える間柄なのに、あの時なぜか誰ひとりツッコミがなかったのは、良かったのか悪かったのか?★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「悲願。祈願。『SAITAMA』1位まで上がれーっ!」
2019.01.11
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朝、ダンナを送り出して家事をする時間、決まって同じラジオ番組を流す。作業しながら聴ける“耳の負担”にならないライトさがいい。しかもラジオは、時刻を正確に告げてくれる。「時刻は9時10分に向かっています」と言うDJが居て、その言い回しにいまだ慣れず、いつも気になるのだけど。 九州に住んでいた子供の頃から“ラジオっ子”。当時観られるTV局が3つくらいしかなく。しかも関西の番組が多いので、それも好きだったけど、“日本の中心”の最新情報を得るには、TVに限界があった。その点ラジオはいい。放送局はやはり少なかったがTVよりマシ。だから試験勉強や受験勉強での夜更かしのお供には、欠かせなかった。あの頃も深夜番組はあったが、地元では今ほど延々とやっておらず。全放送が終わり、どうしても音が欲しい時は、雑音交じりの関西の深夜ラジオを必死で拾ったりしてた。その最中、夜の静けさが増すと、北○鮮の“プロパガンダ放送“が気合の入った女性の声でクリアに流れてきて、ビビった。それも含めて、ラジオは狭い範囲でしか生きてなかった田舎町の私を、“少しだけ違う世界“に誘(いざな)ってくれた。 洋楽はほとんど、ランキング形式の音楽番組から学んだ。小林克也の滑らかな喋りに魅了され、DJという仕事を知ったのもこの頃。進学のため上京してからも、お気に入りのコンパクトラジオカセットで、音楽番組を聴きまくった。その中で私の人生が大きく変わる出来事が。 当時は、DJとのやり取りもほとんどがハガキか電話、FAXという時代。 【ハガキ職人】なんて言葉を、今の若いコらは知らないかもしれない。何を隠そう、私は【ハガキ職人】を経験して、その後の向かうべき道が決まったようなもの。 ある音楽番組の生放送を毎回欠かさず聴いていた。そのDJに憧れ、彼の巧みな喋りで紹介される洋邦の音楽に刺激を受け様々な知識を得て、世界が一気に広がった。あまりにマニアになり過ぎて、リスナーが番組を作っていいという特番で、二度も私の企画が採用された。調子に乗った私は、本気でこの世界に入ることを決意する。そして運命は流れ転がりまた流されて・・・・・・やっとの想いで音楽業界に滑り込む。雑誌編集者として、少しはサマになってきた頃。渋谷のライブハウスで、リハーサルを観ようと案内され2Fに上がったら。先客がひとり。 私は彼のすぐ隣で静かにステージを観た。でも心は穏やかではない。なぜならその彼こそ、私を音楽業界に進ませるきっかけとなった、あのラジオパーソナリティだったから。リハなんかどうでも良くなってた。彼に「あなたのラジオのお蔭で、私は今ここに居ます」と伝えたかった。喉元まで出てきている長くて辛かったこれまでの熱い想い・・・私を導いてくれたひとりである彼に、目を見て直接お礼が言いたかった。でも結局、挨拶もできずに終わってた。 彼は・・・人間関係の縺れが引き金となり、自ら命を絶った。私が見た時から、そんなに時間が経ってなかったような気がする。もう彼の軽快な喋りは聴けない。あれから彼のようなスーパーDJを求め、ラジオを聴き続けているけど・・・代わりが見つからない。そんな埋めようのない寂しさも感じつつ、今日も私は同じ時間にラジオにチューニングする。 ★ ★ ★ ★ ★今日のちょっと長めのひとこと。「ヨシカツ、俊輔、ドゥトラ、松田…あの時代のマリノス、好きだったなぁ。ボンバー中澤、引退…さみしくなるよ。」
2019.01.09
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「行ってきたら」とダンナが勧めてくれるので、今は前向きにチケットを取るつもりでいるが・・・心は晴れない。むしろ少し揺れている。観たいライブは5か月後。ここ数年、介護に追われ明日のことも予測つかない日々なのに、そんな先の自分など想像できない。九州男児の昭和の頑固親父のもと、長女として厳しく育てられ過ぎた事もマイナス。自己犠牲の精神が働き、いつでも“自分より人のため”に生きてしまう。「細かい事を気にするな、なるようにしかならない。今年はもっと外に出ると誓ったじゃないか!」と己に言い聞かせても、やはり私はこの家の長男の嫁。古い考えだと笑われても、これまで生活を共にして染みついてしまった“嫁としての責任感”は、そう簡単に捨て去れるものではない。年明け早々、施設から電話が。去年の今頃と同じような幕開け・・・“毎年恒例”になりそうで溜め息。年末”嫌な予感”はしたが、まさかホントに最悪の気分で新年が始まるとは・・・。姑様がまた熱を出した。嚥下機能の衰えにより誤嚥性肺炎になりやすく、高熱→入院を繰り返すので、一年前夫婦で悩みに悩んだ末、“胃瘻”の道を選んだ。私が娘なら絶対に胃瘻は選ばないが、ダンナと義弟は「それでも生きていてほしい」という方を選んだ、ということ。今やレビー小体型認知症にパーキンソン症も加わり、昨年のある頃から急に“意思疎通”できなくなった。脳のダメージでや体の機能が奪われる病気だから、こうなることも承知の上だが。ダンナは私みたいにあっさりとはいかず、混濁する彼女を受け容れるまでに、案の定時間がかかった。ダンナや義弟が話しかけても、目を覚ますのは、毎回ではない。反応しても彼女の表情やあーうーから、こちらが感情を“想像”するしかない。ほとんどの時間を眠り続ける姑、本人の意思も聴けず、延々と生かし続ける私達・・・こんなの不条理だ。胃瘻にしたおかげで、1年前から食事による誤嚥の恐れもなく、寝たきりだから、これまでのように転倒して呼び出される心配もない。けれど、これで一安心とはならないのが我が姑の歯痒いところ。遡れば同居を始めた元気な頃から、私達の心身をラクにはしてくれない人で。ほんの僅か“自由”を手に入れたとしても、間髪を容れず“問題”をぶん投げてくる。それはデイケアや病院、施設にお世話になってからも変わらず。穏やかな海に突如荒波を立てる人、それが姑なのだ。最近はよく熱を出す。痰が切れないせいで肺炎になりがちで、37℃台後半になると、施設からマメに連絡がくる。そのせいで、ふたりとも電話の呼び出し音に怯えてる。電話が鳴ると、良くない方に考える癖がついてしまった。彼女はそんな私達の悩みや苦労も全く知らず、昏々と眠り続ける。ま、元気な時から全部生活は嫁に丸投げで決断は長男任せで、何ひとつ親らしく大人らしく振る舞えたことはないけど・・・。常に無責任で常に人に委ね、最後まで欲しがるだけの人生。そんな人でも同居してる頃、私なりの飴と鞭の感情を注ぎ身を粉にして尽くしてきた。なのに、貴女は「まだ足りない」と言うの???そろそろ私達も赦されたい。心身ともに張り詰めた生活、常に電話の着信を気にして生きる暮らしに、疲れてきた。そんな想いも知らず、彼女は寝ながら誕生日を迎え、本人も自覚しないまま、またひとつ歳をとった。私自身これまで介護ですり減らした心身をリカバーすべく、姑の第一お世話係を引退し、二年近く面会にも行かず、私の暮らしを優先しようとしているものの・・・彼女に恨み節を言いながらも、「何かあったら、私が真っ先に動かなきゃいけない」という“長年の呪縛”から逃れられず、たかがライブひとつに行く決断さえ下せない程、私は嫁という立場に、悲しいくらい染められている。 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「もう節分!もう雛人形!!」
2019.01.07
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元日の朝。昨年買って一度枯れて消えたネモフィラ(昨年末1株復活)に、ひとつ小さな蕾を見つけた。同じ鉢に勝手に生えてるカタバミの葉の群れの中にも、ひとつ黄色い花が・・・。初詣でうっかり小銭が足りず、おみくじを諦めたマヌケな夫婦。毎年引いてるのに、なんかモヤモヤ。しかもここ数年、神社手前で猫に呼び止められてたから、今年も期待したのに、猫とのセッション叶わず。こうして我が家の2019年が、モヤモヤしながら始まった。でもこの寒空の下、真冬の日差しをありったけ浴びてベランダでひっそり咲く小さな命の健気さに、”運を貰った”気が。今年は、彼等からの花言葉をメッセージと受け止め、おみくじ代わりに暮らしていこう。確か夫婦そろっての休みは6日もあったと思うけど・・・何をどう過ごしたら、もう新年が4日にもなるんだろう?時の過ぎゆくのは速い。歳を取る度にどんどん速くなる。京都の通称“鈴虫寺”の住職の説法の言葉を思い出す。「何事もスピードが速い世の中だからこそ、待つこと、忍耐の力が大切になる」と。「目標や夢に引っ張られすぎず、【ただいま】(=今を懸命に生きる)を念頭に置き、今自分に与えられた仕事をひとつひとつやるだけだ」という話等、新春早々朝からTVでためになる話を聞き、思わず書き留めた。が、その走り書きを見て気づいてしまった。これって全部“当たり前”のことを言ってるだけじゃん!と。社会に揉まれ私くらいの年月を生きれば、人間誰だってこのことに気づくハズ。つまりお坊さんは、単に当たり前のことを切々と説法してるに過ぎない。だけど【鈴虫説法】を求め、各地から一日3000人も寺にやって来る。求める答えは多分、来る前からそれぞれの心にあると思うのに・・・“有り難い”人の口から伝えられれば、皆“素直に受け止められる”、ということか。それで本人の気が済めば、好きにすればいいけど・・・。私も親族が代々寺を継いでるので、お坊さんの話を聞くのは好きだ。しかし、わざわざ寺に行かずとも、周りの人の中に“生きるヒント”は山ほどあると思う。よって今年も今まで以上に私の周囲に“聞き耳を立て”、様々な情報を拾い、私の血や肉やネタ(苦笑)に変えていこう。******手相芸人の島田秀平によると。2019年の私は「基礎固め」の年になるらしい。って、この歳から基礎固めろ言われても・・・と、大声でツッコミたい。でもま、考え方を変えれば、「初心忘るべからず」と言われてるようなものだ。生き方も仕事も器用じゃないので、これまでの自分の“成功”や“失敗“を活かして、築いた道とカンを信じて進みたい。今現在の私の手相には、年末ジャンボが300円しか当たってないのに“金運一発逆点線“が出てる。面白いのは“愛情たっぷりお節介線”。こうなったら、しつこいくらい世の中にお節介の粉、振り撒いてやる!(笑)一番嬉しいのはやっぱ、「文才がある」と言われる“ライター線”が、くっきり深く刻まれてるってこと。これだけでもう、今年一年調子の乗れる♪(笑) そんないい加減な事を、新年の朝っぱらからぐだぐだ書いておりますが・・・・・・2019年もこんな感じで、無責任に毒を吐き、身勝手に嘆き吠え、時に笑い必要以上にうかれ喜び・・・・・・こっそりココで生きてます。自然に口角の上がる笑顔いっぱいの年となりますよう。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「印刷文だけの年賀状って…貰った方はどう捉えたら?」
2019.01.04
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