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2002年11月11日
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 ホーソンの『痣』(The Birthmark)という短編がある。学生の頃英文学の演習か何かで読んでから一度も読んでないので間違っているかもしれないが、主人公の科学者が妻の頬にある痣を手術をして取り除こうとするのであるが、「人間の不完全さの唯一の印」である痣が彼女の頬から消えるのと同時に彼女の命そのものも失われるというような話だった。
 痣といい、昨日書いた鼻といい身体的な特徴を書くのはためらわれるが、身体的特徴に限ることはない。自分が短所だと思っているような性格特徴でもいいわけである。それがなければ自分はどれほど幸せだろうと思うようなことである。19世紀のアメリカの小説家であるホーソンの英語はその頃の(きっと今もだと思うが)僕にむずかしかったが、この短編は再読の機会はなかったがずっと印象に残っている。自分の完全さを損なうと思えることがなくなれば人は自分自身でなくなるわけである。
 その後、アドラーの著作を読み、何が与えられているかではなく与えられているものをどう使うかが重要であるという言葉を読み深く納得した。たしかにそのとおりなので癖があってもこの私という道具を他のものに置き換えることはできないということはよくわかった。
 中島義道は、人はすべて傲慢にならないように一つの棘が与えられているという。パウロが、私の身に一つの棘が与えられた、といっているように(「コリント人への手紙」II12:7)。中島はそれは当人がもっとも醜悪と感じる部分であり、自分から切り離したい、それさえなければ幸福が実現するのにと思うまさにその部分である、という(『不幸論』p.202)。それがその人固有の「かたち」を作り、その人の不幸を磨きあげることである。
 中島は続いてキルケゴールを引き、人生の目標は幸福になることではなく、自分自身を選ぶことである、という。自分自身を選ぶことが、自分自身の不幸のかたちを選ぶことにはならないと僕は考えるのだが、自分自身を選ぶことは勇気が必要であるというキルケゴールの言葉を引きながら次のように自分自身についていっていることにはうなずける。
「自分自身とは何か、それがどこかにころがっているわけではない。「そのままのあなたでいいの」という甘いささやきが表すような安易なものでもない。それは、各人が障害をかけて見いだすものだ。しかも、それはあなたの過去の体験のうちからしか、とりわけあなたが「現におこなったこと」のうちからしか姿を現わさない。とくに、思い出すだけでも脂汗が出るようなこと、こころの歴史から消してしまいたいようなこと、それらを正面から見すえるのでないかぎり、現出しない。(パウロの棘のように)あなたを突き刺すあなた固有の真実を覆い隠すのでないかぎり、見えてこない」(p.204)
 中島がいうようにこういうことを見ないように、考えないようにすることで幸福が成立するのであれば、僕が考えている幸福もそのような安直な幸福でない。しかし、
「だから、あなたは自分自身を手に入れようとするなら、幸福を追求してはならない。あなた固有の不幸を生きつづけなけければならないのである」(ibid.)
という結論には僕は到達しないだろう。不幸に見えるようで実は本当の幸福をこそ人は追求するべきである、と僕ならいいたい。





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最終更新日  2002年11月11日 19時39分26秒
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