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藤川 景さんの『上の空――頸髄損傷の体と心――』より転載。ああ、痛い。痛くてたまらない。障害者がこんなに痛いものだとは、自分が障害者になるまで知らなかった。街で車椅子の人を見かけても、「足が悪くて歩けないから、車椅子に乗っているんだな」そんな程度にしか思わなかったものだ。 ひとくちに頸髄損傷といっても、人によって症状が異なることは何度か述べたとおりである。私の場合、肩から下はすべて麻痺している。 麻痺とは何か――「動かない、感じない、しびれる、痛む」ということである。感覚がないのに、つまりさわられてもつねられても、あるいは刺されてもなにも感じないのに、しびれだけはある。どういう感覚なのかと問われることがある。正座したときなどに足に感じるものとほぼ同じである。肩から下は、腕も胸も尻も腿も脛(すね)も足もすべてジンジンジンジンビリビリビリビリ、朝から晩まで24時間しびれつづけている。 しびれだけならまだなんとか耐えられる(しびれは体に残された唯一の感覚である。言いかえれば、わが身の存在を確認する唯一の手がかりである)。耐えがたいのは痛みである。私の場合、腕のつけねと肩甲骨のあたり、そう、図で描けば肩から下20センチぐらいの幅で最も痛みが激しい。首から上の感覚は、事故前となんら変わりはない。どうやら完全に麻痺している部分と、元通りまったく正常な感覚のある部分の境目ぐらいがいちばん痛むもののようだ。 痛みは日によって異なる。比較的楽な日もある。しかしひどいときには両腕がまるでしびれでできているような感じになる。しびれ棒である。 体が百万ガウスの磁石でベッドに吸い付けられて身動きできないような感じとでもいったらいいだろうか。あるいは、目の荒いロープで体じゅうをグルグル巻きに縛られて転がされている状態だといえば分かりやすいだろうか。 しびれと痛みが最もひどくなるのは痙性を起こしたときである。寒いときが特にいけない。歯がガチガチ鳴り、後頭部から首、肩にかけての筋肉が硬直し、肘が自然に曲がってくる。人に伸ばしてもらっても、またググッとひきつって曲がってきてしまう。 仰向けになって寝ていたのでは背中が痛いし、かといって横向きになればなったで、下の腕が極端に痛む。あごが上がり、息も絶え絶えになり、そのうち呻き声が出てくる。歯をガチガチいわせながら、ひと呼吸するたびにうめき声をもらすという有様になってしまうのである。 人と話をしていても、私の意識の80パーセントは、体の痛みのほうに向けられている。呼吸の苦しさのほうに向けられている。残りの20パーセントで相手と応対するのである。せっかく友達やボランティアが訪ねて来てくれても、話がちょっと込み入ってくるともう私は上の空になってしまう。ああ、痛い、背中が痛い、腕が痛い、息が苦しい。そんなことばかり考えていて、応対が上の空になってしまうのである。 上の空2月24日どうにもならない、体が言うことをきかない・・・・いろいろな症状で、集中力が無くなった。簡単なリハビリさえ思うようでない。かみさんさえ、リハビリに関して何も言わない。ほっといても一人コツコツとしている私を知っているから、よほど調子悪いことを感じていて、その事には触れないでくれる。朝のリハビリと、体に負担のかからないエア・ポンプや電気など、やりましょうかと体調を見ながら聞いてくれる、本当にありがたいことだ。トランス(移乗)もギリギリで、時間を掛けないと出来ないときもある。今年の冬から、特に首から指先までの症状が激しくなった。痺れにまして痛みが強い、首や肩が抜けるように痛むし、腕の内側から小指まで何か差し込まれたような痛みが襲う。トランスするとそれらがよけいに強くなってくる。下肢も痙性が強く足を突くと揺れはじめて膝が伸びて力が入らずトランスしたら床に落ちてしまいそうになる。藤川景さんのように、寝ていて突然息苦しくなったり、悪寒が来たときのように顎ががくがくなる、横向きだと肩が痛くなるし、どの方向に寝ても肘と膝が勝手に曲がってくる、肘などはよほど強く曲がっているのか、手の甲がむくんでいることさえ有る。痙性なのか頸手症候群のためかわからないが、よほどこの気候が災いしているのだろう。お腹の痙性も強く肩で息している感じだ、とにかく何をするにも集中できない。体も、曲げようとすると伸び、伸ばそうとすると曲がり、寝返りさえ困難になっている。何かをするごとにうめき声が出る。仕事だけは、何とかこなしてはいるが、昨年よりも暇ということもあるだろう。最近は、助手のE君に頑張ってもらい、院長室にこもる時間が多くなった。PCをつけ、好きな音楽を聴いたり、ブログやHPを見たりしているが、ただぼんやり見つめるだけで集中はしていない、出来ないといったほうがいいかもしれない。目だけが絵図らを追っているとてもコメントを考える思考力が無い、コメントや訪問してくださる方に申し訳がない。それでも個人的な相談のメールには、時間がかかるが何とかお答えしたいと、一行打ってはそのままにして、打てるようになってまた一行と打っている。この日記も、朝から打ち始めてもう午後八時半を過ぎた・・・・最近、突然涙がぷつっと吹き出してくる。辛いから・・・・そうかもしれない。悲しいから・・・・そうかもしれない。悔しいから・・・・そうかもしれない。淋しいから・・・・・そうかもしれない。思い通りにならないから・・・・そうかもしれない。負けたくないから・・・・そうかもしれない。勇気がないから・・・・そうかもしれない。前が見えないから・・・・そうかもしれない。とっても弱いから・・・・そうかもしれない。うれしいから・・・・そうかもしれない。生きているから・・・・そうかもしれない。幸せだから・・・・そうかもしれない。音楽を聴いていても、ぼっーっとしていても、リハをしていても、仕事をしていても、テレビを見ていても、トイレやお風呂に入っていても、食事をしていても・・・・たぶん、今の私にとって必要なのだと思う、心が観応しているのだろう。こうして、自分ではわからない涙を流して生きていくのだろう。 photo by<創天>
2008/02/24
泣き虫で弱虫の私ですが、さぼりながらでもリハビリを続けていると変化が現れます。歩くには、立ち上がらなければいけません。一人で立ち上がらなければ、歩いたことにはどうしても思えません。以前は、ベットに両手をついて立ち上がりの訓練をしていました。しかし、最近になって仕事場の机と受付のテーブルの間に目がいきました。何の気なしに両手をついて立ち上がりをしてみたところ、このほうが立ち上がりやすいことに気がつきました。頭を出来るだけ下げておしりを持ち上げて体重を前に移動し、両手を突き一気に立ち上がります。途中膝がある程度伸びると力が入り腕をサポートします。それから徐々に上体を伸ばしバランスが取りやすい位置に手をずらしてゆきます。これだけ見れば平行棒で歩行練習出来そうに思えますが、上位頸損のため自由に手を突くところがないと支えられません。肘を伸ばす力が極度に弱いので伸ばしきってロックがかかる位置でないと保持が出来ません。物をつかむ力がないので仕方有りませんし、手首もわずかに動くだけで、体重を掛けて押し返すことは出来ません。脱臼寸前まで曲がってしまうので、掌底(しょうてい)手首のしわの少し指よりの硬いところを突いて関節が曲がらないようにします。しかし、突く位置がよければそれも出来ますが、四つんばいなどのリハの時にはかなりの負担がかかり、腱鞘炎のようになり痛んだり、左手のようにしこりが出来て、伸ばす腱が癒着することもあります。それでもやらなければなりません。リハビリは、なるべく一人でやるようにしています。人にあわせてやること体調や時間の制約を受けますし、どうも頼ってしまいがちになります。一見出来ないと思ったことでも、見方により創意工夫で出来ることがたくさんあり、いろいろなことを考えるきっかけにもなるようです。そうは言っても、出来ないことはやってもらっています。ようは、わがままな性格によるものかもしれません。しかし、私には、人的・経済的・そして時間的余裕はないので、そうするしか仕方有りません。
2008/02/15
発病後、誤診によって頸椎ヘルニアの手術をしました。C5~C7の骨を削られ、間の椎間板を取られ、チタンプレートが入れられました。そのためリハビリの開始が遅れたり、ひどい痛みに一月悩まされました。術後の指は硬く握られたまま固まっていたそうです。かみさんや仲間がマッサージや矯正してくれたのおかげで、今こうして仕事が出来るようになりました。とくにインターン時代にかわいがってくださったI先輩が、面会時間が終わった後、こっそり病室に潜り込み指のリハビリをしてくれました。I先輩は、初代のリハ室長をなさった人で、いろいろな技術を教えて頂いた恩人です。いろいろな角度に支持し、動かしやすいような・・・動かす感じがつかめるような・・・そんな感覚を聞きながら肢位を探っていき、動かない指を動かす(意志を伝える)訓練をしてくださいました。この訓練をすると肘や肩に力が入りとても疲れたのを覚えています。それに、往診用の低周波治療器を貸して頂き、こっそりカーテンを引いてかみさんに通電してもらいました。あれから3年たちました、歩くことが主体なので、上肢のリハビリまで書き込むまで手が回りません。なので動かなかった指がどのぐらい動くようになったか見てみてください。実用的でないと言われそうですが、3年積み上げてきた何かを感じて頂ければ幸いです。
2008/02/14
言葉にしないと、伝わらないことがある。言葉にすると、誤解されることがある。 (作者不詳)傍にいてくれるだけで家族って有難いんだなーとかさりげなく支えてくれる友達の手がすごく温かかったりとか健康なことがそれだけですごく幸せなこととか…病気になったからって失うばかりじゃありませんでした。 (『1リットルの涙』池内亜也) 2月10日寒さに変わりはない、天気が良かろうが悪かろうが、体は寒さに反応しどうにもならない、掲示板の書き込みやマイミクシィ一さんの日記からも伺える。あるマイミクシィ一さんの日記。『何を?どう書けば・・・・・・』 2008年02月俺が話す事は痛みの事だけ・・・!」 書こうと思う事が中々浮かんでこない。 年始めから激痛なんて言えないし・・・言いようのない、書きようのない痛みやしびれ。“苦痛”とはよく言ったものだ。私以外の人の事は判らないが、首の上を痛めたものは、常に痛みがある、無い日はないそれが強いか弱いかの違いだけである。特に冬場は皆がおそれるように症状がひどくなる。ほかの病気で同じ思いをしている方も多いのではと感じる。私の場合、首から下は、しびれ・痛み・痙性・筋肉のこわばりや引きつれが有る。言いようのない痛みやしびれ、灼熱感や冷感。自律神経も障害を受けているので、体温調節が出来ない。暖まりすぎると鬱熱や反射で動悸がする。暖めてもなかなか暖かくならず手足はむくみ紫色になり、ガタガタと震えがくる。最近は、肩から指先まで太い針を指されたような痛みや、引きちぎれそうな痛みあげたらきりがない。トランスも足首が90度近くなるとカタカタ揺れて膝が伸びていく。それでも何とか折り合っていかねばならない。悪いときは悪いときの生き方、いいときはいいときの生き方様々・・・・動かなければ、廃用性症候群が起こってくる。リハビリは、歩くためだけにあらず、最低限の維持のためにもやらなければ、そうは言っても体が思うように動かせない。ジレンマの海に漂いおぼれているようなものかもしれない。朝お風呂に入れてもらう、長い時間鬱熱にならないように気をつけながら、長めに浸かったおかげで、足の血色がよくなった。昼○干渉波(上肢モーター・ポイント)○フット・マッサージャー○フット・ポンプ出来ること・・・ようは動かなくてすむもの、と言うことでこのチョイスとなった。そう言えば、パツンパツンだったフット・ポンプが楽に入った。萎縮したのか浮腫が取れたのか痩せたのか定かではないが、まぁいいや入れば。フット・ポンプ後に冷たくなっていた下肢が暖かくなっていた、血行がよくなったのだろう。入院したては、病棟になかったエア・マットを、看護師長さんが、フット・ポンプ共々ほかの病棟から無理矢理借りてきてくださった。そういえば、あのころは首から下が動かずましてや寝返りなど出来なかったからずいぶんお世話になった。フット・ポンプが苦しく踵も当たってよく文句を言っていた。見舞いに来た人たちは、それを見て息をのんでいたが、それほど悲惨な姿だったのだろ。Y先生から頂いて重宝している。上の三つと電動サイクルは、動けないときは特に助かる。夜暇つぶしに、イオンモール日の出へ行く。2月11日法事があったが、私は留守居番をして過ごす。無理にリハビリをして床に落ちるとはい上がれないので、たまっていた書籍とDVDを見る。夜、かみさんが手指のマッサージと矯正してくれその後、バンドで矯正するように固定してくれたおかげで、握りの運動がスムーズになり、可動範囲が広がった。手術後堅く握られて伸びなかった指は、かみさんや友人のマッサージなどで、伸びるようになった。人により握ったタイプと伸びたタイプと有るようだが、こうして仕事が出来るのは伸びているおかげに他ならないが、握ったタイプにもメリットがある。食事のホークなど指に引っかけやすい。入院当時からするとだいぶ動くようにはなっている。それなりに変化は現れる、それはやる気をなくしたときに、やる気を出さしてくれることもある。最近のやる気をそぐものは、トランス特に人に支えてもらうときにカタカタ揺れ、下肢が安定しない。寒さがてきめんに災いしているようだ。それにしても寒い。何とかならないものか・・・・ photo by<創天>
2008/02/11
私は自分にはないものを見て、自分のことを不幸だと思っていた。まわりの人は私にあるものを見て、私のことを幸せだと思っていた。 (ジョセフ・ルー)貴方は貴方だけのものじゃないのよ。この世に自分だけのものなんて一つもないの。みんな誰かと関わって、何かを共有してる。だから自由にならない。だからこそ、面白くて悲しくて、愛おしいの。 (漫画「XXXHOLiC」、CLAMP)2月6日朝の曇り空から、お昼近くになって小雪がはらはらと舞ってきた。水治療も入り立ての暖かさはすぐに消えて、すぐに肌寒くなった。とにかく寒いの一言、首から肘にかけて突き刺すような痛みとしびれを感じる。仕事場の暖房もフル回転であるが、体の芯が冷えて手から指先は紫色に変わり氷のように冷たい。布団にくるまって寝ているのが一番楽なようである。夜中2時頃トイレに起きたが、まだ雪が降っていた。天気予報もあまり当てにはならず、我が身の車いすアメダスの方が、よっぽど正確である。朝○干渉波(下肢モーター・ポイント)○股関節の8の字運動 ○膝の押し込み運動 ○両膝抱え込み運動 ○膝曲げ開脚 ○膝曲げ開脚ストレッチ ○下肢の開脚ストレッチ○体幹捻転ストレッチ ○フット・マッサージャー昼水治療夜肩と肘が抜けるように痛みがあるため休む。それに加えて雪のためか、とにかく手先が雪遊び後のようにしびれて痛む、体の芯が冷蔵庫になった気分だ。YouTubeで、トレーニングのヒントになるものがあるので、貼っておきます。クリックして見てみてください。YouTube:基本的トレーニング・歩行YouTube:寝返り・起きあがり等のトレーニング photo by<創天>
2008/02/06
この世に生きる者同士、命の重さはお互い同じと思し召し、何卒平等に平等に。 (眉山・さだまさし) 生きることは 息をすることではありません生きることは 心臓が動いていることではありません生きることは 戦うことです (西遊記 三蔵法師) 2月5日今日は、いくらか暖かいようだ、それでも体はきついが仕方有るまい。冬場の辛さは格別で、本人は、今年も変わりないと感じているが、かみさんと助手のE君に言わせると、昨年より元気がいいそうだ、そう言われれば、灼熱感が少ないそれに胸まで強く感じたものが、有るにはあるが腰から下に下がっている、しびれも痛みも足先だけが強く、あとは我慢の範囲である。痙性も強いが以前とは違ってきている。お腹の痙性も少ないが、時として強くくれば息苦しくなるのと、車いすから落ちそうなときもある。しかし、その度合いと発生率は低くなっている。それに最近また、寝ていると膝が曲がりエビのように痙性が起こる、暖かいうちは無くなっていたが寒さのせいでお出ましになったようだ。それにしても、かみさんが『死ぬとか、辛いとは、今年は言わないよね』と言う。たしかに死ぬとか辛いとか、そんな大げさな言葉は口をついて出てこない。まぁ、いいか・・・・それに、辛い時は体を休めることを最優先にしているので、仕事やリハビリの量が少なくなっているのも一因かもしれない。それでも変化は有るもので、車いすからの立ち上がり訓練を、低い位置で手をつき前倒れのようにしていたが、仕事中、何とはなしに横向きに片手を事務机に突き、もう片方をタイヤについて立ち上がってみたら、立ち上がれた。気をよくし、平行棒の代わりに両手で机と机の間に入り、深くお辞儀して体重をシフトすると尻があがる、あとは腕で起きあがっていくと、完全に立位が取れるようになっていた。以前より足に踏ん張りが効くようだ、息子に立位を取らしてもらっても以前より長く維持できる、そうはいっても支えなしにわずかな時間だが、膝崩れしてしゃがんだ状態で、踏ん張れるので、それなりに成果が出ているのだろう。歩くことと立つことそして立ち上がる事は別の運動なので、どのように分けて運動を選び訓練していくかがこれからの問題となるのだろうが、基本の体幹運動で脊椎の安定が一番の早道なのかもしれない。朝○干渉波(下肢モーター・ポイント)○股関節の8の字運動 ○膝の押し込み運動 ○両膝抱え込み運動 ○膝曲げ開脚 ○膝曲げ開脚ストレッチ ○下肢の開脚ストレッチ○体幹捻転ストレッチ ○フット・マッサージャー昼「車椅子」○車椅子よりの立ち上がり運動。○車椅子上での膝の屈伸運動「単座位」○前屈よりの起きあがり ○背屈 ○横からの起きあがり運動左右○斜め前屈起きあがり左右 ○捻り回し左右 ○足振り運動両足「あぐら」○足首膝のストレッチ ○股関節のストレッチ「四つんばい」○腰を中心とした腰振り・前後左右 ○捻り回し左右 ○腰上げ ○腰の横倒し ○腕立て 「うつぶせ」○大腰筋・膝のストレッチ「仰向け」○寝返り「上肢」○手指のほぐし ○廻内抵抗運動左右 ○廻外抵抗運動左右夜○干渉波(上・下肢モーター・ポイント)○フット・マッサージャー photo by<創天>
2008/02/05
□□□□□□お詫び□□□□□□私の日記の書き方が悪かったようで、「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?は、日本屈指のアクセス数を持つ電子掲示板サイト2ちゃんねる(2ch)から、転載しました。私の話ではありません。誤解を生じ申し訳ありません。そして、この話は実話かどうかの真偽は判りませんが、とてもいい話なので載せました。ご了承下さい。フラッシュ版↑↑↑↑クリックして頂ければ、フラッシュ動画がみられます。「ありがとう」って言いそびれたヤツいる? (1からの続き) もう今日でここに書き込むのは最後にします。 みんな色々と辛いことを乗り越えての今があるのだと思いました。 だから俺だけ弱くてうじうじしていてはいけない。みんなが通る道なんだよね。 けど、今だけ俺の弱さをどうか許してください。昨日の今日では強くなれない… 悲しすぎる。 オヤジが俺に封筒を渡してきました。葬式までに必ず読んでおけって。オヤジはその中身を知らなかったらしい。姉ちゃんの分もあるって言っていたから、母さんからのものだってすぐに分かった。 俺は本当に弱い。もっと強いものかと思っていたら全然違った。弱すぎだ。 その封筒の中身を読んで、泣きじゃくった。今も涙が止まらない。どうして2chに書き込んでいるのかもよくわからない。誰かに聞いて欲しいからかな。誰かに何か言って欲しいからかな。 「アツシへ お母さんがこんな手紙を書くことなんてなかったからさぞかしビックリしているでしょう。 アツシも知っている通り、お母さんは後三ヶ月くらいなんだってね。今のお医者さんはすごいね、余命をすぐに言ってくるなんてね。時代は変わりましたね。お母さんがお婆ちゃんを亡くした時は、ひた隠しにされたのにね。こっちの方がスッキリしていいかもね。 お母さんね、もっとアツシとナミを見ていたかったんだけどね。ごめんね。 あと三ヶ月しか見れないのか、うーん、残念だよ。 アツシ、旅行に連れて行ってくれるって言ってたしね。お母さん、北海道がいいな。 美味しいものを家族で食べに行きたいじゃない。それで小樽にも行ってみたいんだ。 アツシ、お母さん頑張って元気になるから、その時は北海道旅行をよろしくね。 あなたは家族思いの良い子です。言葉遣いは汚いけど、それが照れ隠しなんてお母さんはちゃんと知っているんだからね。だてにあなたを23年間も育ててきた訳じゃないんだから。あなたとナミは私達の自慢の子供です。 あなたもいずれ親になって分かると思います。自分の子供がどんなにかわいくて仕方ないか、絶対に分かる日が来ます。お父さんが頑張って働くのも、お母さんがご飯を一生懸命に作るのも、 あなたたちがかわいいから。あなたたちを愛しているから。あなたたちと幸せを創り上げたいから。それが親心だよ。アツシも絶対に分かるはずだよ。 けど、お母さん、子供孝行出来てないよね。あと三ヶ月の間に出来る事って何かを考えたんだけど、お母さんバカだから分からないや。ごめんね。 だから、この手紙はあなたたちに謝りたくて、今こうして書いているの。 無責任な親だね、無責任なお母さんだね。ごめんね、お母さん無責任で。 アツシ、お母さんの子供で幸せでしたか? お母さん、自信がないな。お母さんなりに頑張ってきたつもりだけど、自信ないよ。 だから、この手紙を読んだら、素直にお母さんに言って。 お母さんの息子で幸せだったか、素直に言って。 もし、幸せだったなら、お母さんもっと頑張っちゃう。 もし、幸せじゃなかったんなら、お母さんもっともっと頑張っちゃう。 大好きなあなたたちの為に、お母さんは頑張るよ。エイエイオーって頑張るよ。 あなたたちを授かって良かった。本当に良かった。 お母さんは幸せ者だね。幸せすぎるね。 あ、しつこいけど、お母さんは夏くらいに北海道行きたいな。 家族で行こうよ、北海道。きっといいところだよ。美味しいものたくさん食べようね。 アツシの運転する車で、北海道をぐるぐる家族四人でまわるの。ステキでしょう。 期待してるよ、アツシ。ナミには別のものを頼んであるから一人だけの手柄なんかにしないこと! 夏に家族四人で北海道行こうね、お母さん頑張るよ!! 字が汚くてゴメンね。 お父さんも、ナミもアツシも、お母さんはみんな愛してるよ。幸せだよ。 アツシのお母さんより」 って。書いてあった。 これで最後です。 俺は忘れてはいけないことがあります。 俺が自己満足で書き込んで、それに対しての温かい言葉、煽り、 全てにありがとうと言いたいです。 みんな、ありがとう。 母さんを北海道に連れて行けなかったことが残念でなりません。 そして、弱い俺はいまだに涙を流しっぱなしです。 家族を大切にして下さい。愛情を素直に受け取って下さい。 小さな幸せを大切にして下さい。恥ずかしがらずに「ありがとう」と言って下さい。 俺はみんなに感謝しています。みんなの優しさにひたすら感謝です。 夏が過ぎて秋になって、冬になって、どんどん季節が廻ります。 その中での「ありがとう」って、誰にでもあるはずです。 素直にありがとうと言える事は素晴らしいことです。 涙が流せるくらい、美しいものです。 みんなありがとう。 母さんありがとう。 (2chより転載) フラッシュ版誰もが気付かぬうちに 何かを失っている・・フラッシュ版のBGMに使われているKOKIAの『ありがとう』が、最近のお気に入りで。最近、素直に「ありがとう」っていえてるか心配です、親切や愛情に鈍感になっているか心配です。すべてのものに『ありがとう』ともあれ、何とか生きています、心はくじけていません。 へっぽこ院長
2008/02/03
□□□□□□お詫び□□□□□□私の日記の書き方が悪かったようで、「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?は、日本屈指のアクセス数を持つ電子掲示板サイト2ちゃんねる(2ch)から、転載しました。私の話ではありません。誤解を生じ申し訳ありません。そして、この話は実話かどうかの真偽は判りませんが、とてもいい話なので載せました。ご了承下さい。フラッシュ版↑↑↑↑クリックして頂ければ、フラッシュ動画がみられます。「ありがとう」って言いそびれたヤツいる? (2chより転載)母さん、マジでありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 生んでくれてありがとう。こんな俺でも生んでくれてありがとう。 愛情を注いでくれてありがとう。沢山笑ってくれてありがとう。 一緒にへこんでくれてありがとう。一緒に泣いてくれてありがとう。 あなたは最高の母親です。オヤジも鼻が高いさ。 いっぱい泣きたい。あと一ヵ月後にはあなたのいない暮らし。 俺が芋ようかん買ってきたくらいで、病院のベッドではしゃがないでよ。 顔をくしゃくしゃにして喜ばないで。そして食べながら泣かないで… 母さんが喜ぶなら、芋ようかんずっとずっと買ってくるよ。 母さんがいなくなっても、ずっとずっと母さんの為に喜ぶ事をするよ。 母さん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。 すいません。今まで泣いてました… 厚かましいけど、書かせてくれ。お願いします、書かせて下さい… 最近はずっと起きてる。なるべく寝ないようにしてる。寝ても二、三時間くらい。 後、俺の家族に残された一ヶ月って時間を、出来るだけ記憶に留めておきたかったんだ。 寝てしまうその時間すらも惜しいんだよ。俺に何か出来ないか、俺に何か出来ないか、そればっか考えてる。 残念な事に、俺には何も出来ないんだよ。病気の進行は容赦ない。母さんをすぐに蝕んでいくんだ。 薬の副作用で母さんの顔がむくんで、髪がボロボロ抜け落ちていった時に、 「アハハ、お母さんブサイクになっちゃったわねぇ~!!」 って、母さんは元気いっぱいに俺に言ったんだ。 俺が病室を出ると、母さんの泣き声が漏れてきた。俺は病院の廊下で恥ずかしながら泣いたよ。 俺の前では元気いっぱいに振舞っていたのは親心なんだって気付いたよ。 母さん、俺バカでごめん。 だから、俺が出来る事って稚拙だけど、母さんの好きな芋ようかんを買っていってやったんだよ。 俺はたまに買って行ってやるんだ。母さんが病気になる前から、給料入ったらお土産で買ってくのね。 はしゃいで、顔をくしゃくしゃにして喜んで…食べながら泣いて… 日常ってとても素晴らしいものだね。些細なことでもキラキラしている。 芋ようかんですら愛しくて、ありがたくて、涙が出てしまうくらいのものだよ。 俺はきっとこれから、いつもの芋ようかんを買う和菓子屋を通る度に そのキラキラした日常を思い出して、泣いて、「ありがとう」って感謝するんだろうね。 本当は眩しいくらいのものなんだよ、日常って。 絶対に家族ってとてもとても眩しいものなんだよ。 だから、恥ずかしくても自分の家族にありがとうって言ってやってくれ。 暖かくてキラキラしててかけがえのないもの。 俺の中では永遠に生き続けるもの。 母さんありがとう。 …もうだめぽ。スクリーン半分涙で見えねぇよ。。。 今は家に取りに来なきゃいけないものがあって帰ってきた。 急いでるのにウケるよね。2chに書き込んでる暇があるならさっさと病院行けって 感じだろうね。病院行きたくないんです。 母さん、死んじゃった。 朝死ぬことねぇだろ…本当に母さんらしいね。 ほんっと、人騒がせな親だよなァ。 ねぇ、母さん。死んだら芋ようかん食えないよ? 死んだら、買って行ってあげないよ? 死んだら食べれないんだよ? 本当に急すぎて、ネタだと思われるだろ? 人騒がせだなァ… 母さん、ムカついてるでしょ? 医者にはあと一ヶ月って言われてたのにね。 一ヶ月、芋ようかん食べれたのにね。俺も買って行ってあげたのにね。 何でだよ、棺おけに芋ようかん入れたくないよ。 買って行くから、また食べてよ。また笑ってよ。 また俺の名前呼んでよ。 最初って涙なんか出なかった。 親戚や友達に連絡して、それはもう事務的にお通夜とかの準備をしなければいけなくて。 涙を流す暇がないっていうのかな。オヤジも姉ちゃんも、同じように忙しくて悲しみにひたる 余裕はないって感じでした。忙しさに追われたから、俺は今日の一日を冷静でいれたのかも。 一度、家に帰ってくる時に三人で夕飯食べたんだ。ハンバーグ食べた。 オヤジが、「うまくないなぁ…か…」 って、言葉詰まらせてイキナリ泣き出したんだ。子供みたいに。 俺はすぐ分かった。その、「か…」の後に続けようとした言葉がすぐに分かった。 オヤジと母さんはよく食べ歩きが好きで、うまい店があると家族サービスとかいっては よく連れて行ってくれてたんだよ、俺と姉ちゃんを。 オヤジは「うまくないなぁ、母さん」って、いつもの癖でついつい言ってしまうところだったんだろうね。 俺は黙ってた。姉ちゃんも黙ってた。 俺は泣かなかった。泣けなかった。黙って食べてた。何かしゃべったら俺も崩れてた。 今日の夕方もむしむしと暑くて、地元のスーパーはいつも通りにぎわっててさ… 思わず寄ったよ。特売のトウモロコシと枝豆売り場には主婦が沢山いてね、その中に母さんいるんじゃないかって、バカげた子供みたいな考えに変な期待持っちゃって。 「アツシ、トウモロコシ買ってきたから茹でてあげるからね~ッ!」って、 一昨年の夏みたいに、笑う母さんの顔が見たかった。 こんなクソ暑い夏に、リビングで寝っ転がりながらトウモロコシを食う俺の行儀悪さを、うるさく言う母さんの声が聞きたかった。 ああいうのを本当は小さな幸せって言うんだろうね。けど、小さすぎて当たり前すぎて見えないんだよ。 本当はバカみたいにキラキラしてて、素晴らしいものなのに。 いなくなってしまってから初めて分かるんだ。 それがビー球みたいにいろんな色があって綺麗で素朴でキラキラしてるって分かるんだよ、きっと。 フラッシュ版文字制限のため、2に続きます。
2008/02/03
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