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9月20日台風・台風と治療室で、患者さん達が騒いでいたわりには、風雨ともにこちらはそれほどの被害は無かったようだ。午前中の仕事を休み、巻き爪の治療を受けに早起きをし所沢の病院まで行ってきた。いつも3時間待ちたが、早く行ったおかげか2時間で診察室に呼ばれる。余分な爪をカットしワイヤーを除去、注射針で爪の両サイドに穴を開けワイヤーを通し固定し接着剤をつけ終了となるが、『何か聞きたいことがありますか』と聞かれたので、『痛覚がやられているわりには、ズキズキと拍動性の強い痛みを感じて、腫れが強いようですが』と伝えたところ、一番食い込んでいる左内側を薬品で焼き、その後シリコンのパイプを挟み込みオペ用の糸で爪につないでくれた。その日の午後の仕事は裸足のままでいた。新患の方には事情を話し非礼をわびた。それにしても、午前中は吹き抜ける風も心地よかったが、午後になったら何とも言えぬ蒸し暑さだ。巻き爪と台風のせいもあり具合が悪い、痺れと痛みは我慢するにしても足に力が入らない、石のように重いし伸ばそうと思ってもよけいに痛いよと言わんばかりに曲がっていく。リハビリも爪の影響を考え一休みしている。痙性と相まって関節が硬くなっているのがわかる。寝返りうつのも石のようで上手くいかない。そうこう暗く考えていると退院した頃は、ベットに横になっても石のように固まり痙性でピクピクとのたうち回っていた、うつぶせもほとんど出来ず、四つんばいにもなれなかったが、今は少しだけなら腕立ても出来る。そう考えれば、横トランスも出来るようになった。ベットも普通と変わらない、褥創用に何かをしてもいない、普通に横向きになって寝るか、上向きで寝ているが褥創の気配はない。そうだ、上向きになって痙性で膝がピクッとかってに曲がることもなくなった。重いもの以外なら下に落ちたものを拾うこともできる、以前なら前に倒れそうになったり起きあがれなかったが、手を使えば難なく起きあがれる。痙性はかなり弱くなっているが膝・股関節の完全伸展(伸ばす)が筋肉の緊張のためじゃまされ立位や歩行に影響がある。たぶんその辺がこれからの課題であり問題点のように思う。痺れ痛みは、夏の初め頃は、ほとんど感じなくなりこのままでいて欲しいと思ったのだが、8月終わり頃からまた現れだしてきた、しかし昔のような強さは感じない。痛覚もまだらにだが少しずつ良くなってきているように思うし、汗も腰あたりまでかくようになってきた。小さな波大きな波を繰り返し、一喜一憂しながら日々を暮らす、大笑いする日もあり、とことん泣きじゃくる日もある。そんでも生きているほうがいい。 9月21日親父の墓参りにいこうかと思っていたらあいにくの雨。リハビリも気が進まず気ままに過ごし、午後に身内の見舞いに出かけ帰宅。家族で食事をし入浴、ベットでテレビを見ていたが、もったいないので一人でストレッチをはじめたら息子がやってきたので、ストレッチを手伝わす。合気道を5歳からやっているので勘所が良い、股関節と膝周りのストレッチを、こちらの指示通りにこなしてくれた。家内では出来ない部分も久しぶりにやってもらったが、やはり気になっている筋が硬いことを再認識した。息子に頼んで回数を増やさなければならないだろう。あわてても仕方ない、積み上げたものしか結果は出ない。良いとき悪いときそれぞれの過ごし方があるのだろう。25日に泌尿器の検査が待っている。そのため23日は午前中仕事して午後には墓参り、24日は水治療となかなか忙しい。9月22日何かどこかがおかしい。夜仕事をしていたが具合が悪い、熱を計ったら熱発していた。左足はコントロールを失って思うように動かなく、強い痙性に見舞われ、前から気になっていた左腿が右に比べて太くなった気がしていたが、気がつくと赤く腫れていた。どう見ても感染症の疑いがある。蜂窩織炎・・・頭の中をよぎった。仕事を終わらせ総合病院の救急に飛び込むことにする、途中内科医の親友であるMO先生に話すと車の中で簡単に診察をすませ、救急の医長に携帯で連絡を入れてくれた。総合病院に着く、これで二度目となる。前回は脊髄梗塞で身体が刻一刻と麻痺していく恐怖心でいっぱいだった。今回はそれほどひどくはないが、程度がひどく入院になったらどうしようか・・・敗血症になったら・・・と不安な気持ちになった。左腿の腫れと痛み、熱感、巻き爪の痛み、相変わらず熱もあり気持ちばかりが焦りと不安で落ち着かない。救急患者が入ったため一時間待ちやっと処置室に通される。一通りの経過と症状を急医に伝えると、皮膚科は専門ではないのでわかりませんと言われた。ひとまず血液検査と点滴の処置を受ける。炎症値と白血球の数値が高いので感染症の疑い。午後9時に入り帰宅したのは1時過ぎだった。9月23日翌23日は、今月やすみを多く取るので午前中診療することにしていた、身体を引きずりながら仕事をする。そう言うときに限って、弟子を休ませ、患者さんは多い。午後はダウンしてベットで寝ていた。夕方MO先生が心配して往診してくれた。急医から皮膚科に受診するようにと紹介状を渡されたことを伝えたら、息子もお世話になっているHA先生に受診を勧められた。バリアフリーでないのでかみさんと考えていると、大丈夫、それに大先生は大学で教鞭を執っているから見立てはしっかりして信頼できるから行ってらっしゃいと言われる。9月24日午前中の仕事を早めに済ませ、水治療を休みにして皮膚科に受診。案の定玄関は狭く、かみさん一人では上げられそうもなかったが、待合室にいた男性二人に助けられ待合室に無事到着、しばらくすると中に案内される。本来、大先生の診療日ではないのだが、MO先生のおかげで、わざわざ私を診るために出てきてくださった。若先生も来て紹介状と検査データーを見ながら、パンツから出た太ももを触診。何かボソボソと話をし二人でで納得したように薬を変えましょうと言われ帰宅。9月25日薬の効き目が出てきたようだ、腫れと痛みが引いてきた。仕事が終わり、すぐに食事をしベットで横になる。9月26日仕事が終わり、すぐに食事をすませベットに横になる。9月27日だいぶ腫れは引いたが、筋肉の引きつれ感と下肢の動きが悪い。思うように伸びないし力が入りにくい。赤みや熱感も、範囲が狭くなってきた。9月28日休みというのに、1日引きこもり。リハビリも出来ないのでストレスがたまる。9月29日運動しないせいか、下肢の浮腫がひどい。試しに四つんばいなどしてみたが左腿の引きつれ感がありやめる。軽く家内に、下肢のストレッチをしてもらう。それでも仕事だけはやらなければならない、入院の事態にならなかっただけラッキーと思わなければ。仕事以外は安静することにして、他は目をつぶらせて頂こう。おそらく歩けないでしょうと宣告されたものにとって、歩くためのリハビリは、継続と探求心が必要です。自分が何を追い求め、何が得たいのか明確にイメージすること。そのための研究心や好奇心、行動することに努力を惜しまない事だと私は考えています。歩けるようになることだけが人生ではありません。心豊かに暮らせる事はいくらでもありますし、歩けるという保証もありません。昔のように歩けるとも思っていません、しかし一歩でも多く歩きたい、だから私はリハビリをします。決してお薦めはしません、正直辛いです。すぐに結果が現れるものではありませんから。ここに記載されているリハビリ方法が、そのまま他の人にも有効であるか疑問です、けれど何かのヒントになり、自分なりのリハの役に立ったら幸いで。学識不足や、間違ったことも多々あると思います。後は、自分にあったリハビリを見付けてください。 photo by<>
2008/09/30
折れた翼で 飛ぶことを学びなさい夏の始まりから一ヶ月は、嘘のように痺れや痛みが引いていた、痙性も軽くなりこれならば生きることもリハビリも楽になると喜んでいたが、人生そう簡単には許してはくれないようである。調子良さにかまけていたら、泌尿器のトラブルに見舞われ、25日に検査することになった。巻き爪もワイヤーの交換を怠っていたら悪化し痛みと腫れ浸出液まで出てきた、足の付け根のリンパまでも痛む、痛みのためかトランスが出来なくなった、前屈して身体を持ち上げようと足に力を入れると底なし沼に入ったように足の着く感じはなく、力が抜けていく、痛みのため足がひっこまる感じだ。立位も力が抜けて思うようにならない。床のリハビリも爪を圧迫するので、メニューの変更を余儀なくされる。そしてこの気候のためか、痺れや痛み灼熱感が頸から下に強く出てきた。台風も近づいてきてよりいっそう悪化する。節々の痛みや、手や腕は特に痺れきって痛み、ものに触れると突き刺すように痛みが走る。それでも仕事はやらねばならぬ、リハビリはペース・ダウンせざるを得ない。はてさて小説やドラマより奇なる私の人生はどうなる事やら、どこか覚めて客観的に見ている自分が面白い。さてと後半戦足掻いてみますか。おそらく歩けないでしょうと宣告されたものにとって、歩くためのリハビリは、継続と探求心が必要です。自分が何を追い求め、何が得たいのか明確にイメージすること。そのための研究心や好奇心、行動することに努力を惜しまない事だと私は考えています。歩けるようになることだけが人生ではありません。心豊かに暮らせる事はいくらでもありますし、歩けるという保証もありません。昔のように歩けるとも思っていません、しかし一歩でも多く歩きたい、だから私はリハビリをします。決してお薦めはしません、正直辛いです。すぐに結果が現れるものではありませんから。ここに記載されているリハビリ方法が、そのまま他の人にも有効であるか疑問です、けれど何かのヒントになり、自分なりのリハの役に立ったら幸いで。学識不足や、間違ったことも多々あると思います。後は、自分にあったリハビリを見付けてください。 photo by<>
2008/09/19
『パパにみゅうの足(あんよ)、半分あげる』『そのひと言だけで一生分の親孝行をしてもらった』 「みゅうの足(あんよ)パパにあげる」山口隼人さん8月27日に、出かけるのがおっくうになってきたが、愛妻の一喝で、泣く泣く?水治療のため病院へ。玄関の外でPTのN先生がお出迎えしてくれ、そのまま処置室でバイタルチェック、血圧116-83、体温35.8度、脈拍64、酸素濃度96パーセント良好。地下に降りて着替えをすませいざ出陣(笑)。新人PT君が最近お相手してくれる。N先生はそばについて監督、質問しない限りは口を挟むことはない。いずこも同じだと笑ってしまった。手取り足取りは育たない、本人が必要に駆られて質問する、質問する以上それについての考える、何について知りたいのか、どうすればよいのか、相手に伝えなければいけない、それなりの勉強をし知識もないと、質問は出来ない。好奇心と閃き、それが大切だと研修生にも言っている。新人PT君のおかげて、実験代のヘッポコは、水治療の時間が長くなり大歓迎ではある。PNFの他に自動運動を多く入れてくれる、身体はゆるみリラックスできるが、疲れるので午後の仕事はしんどい。お天気は良いが微妙に暑く涼しい、変な日本語だ。身体がついて行かない、お尻が焼きただれたようで、患者さんを診ていても集中できず、プッシュアップして位置をずらす回数が増える。褥創が心配なので愛妻に穴が開くほどお尻のチェックをしてもらったが何の変化も認められず安心。お尻が当たっていると、痛むので夜の食事後、早々ベットに横向きで寝ころんでいたら、そのまま眠ってしまった。水治療の疲れも手伝って夢の中へ。出来るリハビリと、しなければならないリハビリが違ってきた。今のおかれた環境を変えない限り成果が上がらないだろう。海外のリハビリ動画を見るたびに私にとっての時間的・運動的量は不足している。stoicなまでな姿勢、そして笑顔を忘れない、羨ましい限りである。仕事用のPCが壊れた、OSのXPがいかれ立ち上がらなくなった。大事な保険請求ソフトや仕事関係のデーターの復旧で忙しい。データーを抜き出しリカバリーし、また使い勝手の良いようにカスタマイズするのに時間がかかりそうだ。それだけでもブルーなのに泌尿器のトラブルに見舞われ体調不良で25日に検査予定となった。それでも少ない時間でリハビリをこなしていかなければ先は見えない。先日、かみさんと息子に『後二年のうちに歩けるようになる』と宣言した、根拠はない。以前国リハで数十メートル歩いた経験がある、歩けないはずがないと言う思いだけである。仕事を優先しなるべく人に頼らず一人で格好つけて歩いてやるという馬鹿な発想はやめることにした。出来る限り歩くことにどん欲に、そのために時間を使おうと思う。Underdogと言う言葉がある。意味は下記の通りである。【Underdog】1 社会[政治]的不正の犠牲者;(生存競争の)敗残者(⇔topdog) 判官びいきをする ・ side with the underdog2 (ゲーム・試合などで)勝ち目のうすい人;敗者. 3 弱い[負け]犬.今の自分には、Underdog(アンダードック)と言う言葉がよく似合う、理屈ぽく負け犬根性の固まりで、弱虫で愚痴っぽい。topdogにいつなれる事やら。アメリカにUnderdogと言う同名のアニメがあるが、スーパーマンばりに活躍している。スーパーマンにならなくてもいいから、家族と散歩がしたい。支えてくれる家族のため、そして笑顔を見たいから。おそらく歩けないでしょうと宣告されたものにとって、歩くためのリハビリは、継続と探求心が必要です。自分が何を追い求め、何が得たいのか明確にイメージすること。そのための研究心や好奇心、行動することに努力を惜しまない事だと私は考えています。歩けるようになることだけが人生ではありません。心豊かに暮らせる事はいくらでもありますし、歩けるという保証もありません。昔のように歩けるとも思っていません、しかし一歩でも多く歩きたい、だから私はリハビリをします。決してお薦めはしません、正直辛いです。すぐに結果が現れるものではありませんから。ここに記載されているリハビリ方法が、そのまま他の人にも有効であるか疑問です、けれど何かのヒントになり、自分なりのリハの役に立ったら幸いで。学識不足や、間違ったことも多々あると思います。後は、自分にあったリハビリを見付けてください。 photo by<>
2008/09/09
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