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エジプト 17 (オベリスクとベンベン)
エジプト・アラブ共和国(Arab Republic of Egypt)ルクソール(Luxor)
カルナック・アメン大神殿(Temple of Karnak)
オベリスク(Obelisk)
トトメス1世
ベンベン・ストーン
おまけ 世界に散ったオベリスク
オベリスク(Obelisk)
オベリスコ(串)から来ていると言う「オベリスク」はエジプト新王国時代に神殿の門前に建てられた記念碑(モニュメント)的なものに見えます。
が、柱の側面には王の名や神への讃辞がヒエログリフで刻まれ、建てた王にとっては、王の権威を示す象徴としての存在が強かったようです。
(古代エジプト人はこれをテケンと呼んでいたようです。)
一枚岩を削りだして出来ている四角柱の柱は1mに満たない小さなものから30mを超える大きなものまで存在し、現存する大きなオベリスクは 世界に30本
と言われています。
そのうち本家 エジプトにはたった7本
しかありません。
かなり古い時代から、オベリスクは戦利品として略奪の対象になっていたのでオスマン・トルコ時代に運ばれたオベリスクは現在の インタンブール
に1本
存在しますし、おそらく古代ローマ時代に運ばれたオベリスクは ローマに13本その他イタリアに3本。
フランスには
、パリの コンコルド広場含めて 2本
。
イギリスには
、ロンドンのヴィクトリア・エンバンクメント公園含めて 2本
。
アメリカ
、セントラル・パークに 1本。
イスラエルに1本。
因みにパリのコンコルド広場のオベリスクは19世紀にオスマン・トルコのスルタンによって贈られた物で、ルクソール神殿正面門にあった対の1本です。
大列柱室の向こうに見えるオベリスク
カルナック・アメン大神殿の第3塔門と第4塔門の間にあるトトメス1世のオベリスク
(左が第3塔門で、右が第4塔門側)
オベリスクは一対で建てられるので、ここにも当初2本
あったようです。
高さ20m? 台座を入れて23mくらい。推定 143 トン。紅花崗岩製。
トトメス1世
古代エジプト 第18王朝の第3代ファラオ
です。(在位、BC1524年~1518年orBC1506年~1493年)
優秀な軍人出身で婿養子として王家に入り、実子を差し置いて王になれたのはひょっとしたらアメン神官団との良好な関係があったからかもしれません。
義父アメンホテプ1世の建立したカルナック・アメン大神殿の拡張工事を引き継ぎファラオ2代に渡りアメン神官団を後援した事は後に彼らの権力を増大させる
事になったのですが・・・。(アメン神官団の話は次回に)
第4塔門あたりの参道からトトメス1世のオベリスクを撮影
奥に見えるのは大列柱室とその参道です。(最初の写真の反対側からの撮影です。)
花崗岩の一枚岩でできているオベリスクは、花崗岩の産地エジプトアスワンの石切り場よりオベリスクを運搬
するため長さ120キュービット(約60m),幅40キュービット(約20m)の堂々たる船を建造してナイル河を下り、無傷でカルナックに運ばれたようです。(仕切った現場監督の墓の碑文から・・)
拡大
中央にトトメス1世のホルス名と上下エジプト王名が刻まれているそうです。
ベンベン・ストーン
四角柱の トップの部分が四角錐のピラミッド型をしていますが、その部分をベンベン
と言い、その存在に意味があるようです。
ピラミッドの最頂部に置かれた「キャップストーン」は、「ベンベネト」とも呼ばれたベンベン石( benben stone)と呼ばれるようです。
古代ヘリオポリスにあるベンベンの丘は再生と復活をつかさどる精霊が宿るとされていた聖なる場所で、その丘の形を模した物とも言われていますが、それがピラミッド(メル)やオベリスク(テケン)の原形となったと考えられているようです。
オベリスクの四角錐(ピラミディオン)の部分は金と銀の自然合金のエレクトラムという物質(それを加工した合金板)を被せてあったようで、それにより先端が太陽の光を反射し輝くように設計されていたと言われています。
倒れているハトシェブスト女王のオベリスク
写真右奥に見えるハトシェプスト女王のオベリスクの対の部分の一部が前に展示されています。
左奥は前出のトトメス1世のもの。
柄が見やすいように縦にしてみました
ハトシェプスト女王のオベリスクは第4塔門と第5塔門の間に一対ありました。現在建っているのは1本のみ現存するエジプト中のオベリスクの中では一番高いものです。
高さ30m重さ318トン。アスワン産紅花崗岩。完成時はエレクトラムが光輝いていたと言う事です。
中央の女王の名と称号を挟んで右側にアメン・ラー左に捧げ物をする女王が彫られているそうです。
トトメス1世のものと比べると高さ以外にも違いが見えますね。
ハトシェプスト女王紹介はまたの機会にします。予定の歴史も次回に回します。
おまけ 世界に散ったオベリスク
トトメス3世はオベリスクを少なくともヘリオポリスに2本,カルナックに7本,合計9本立てたと言われてています。
カルナックの第7塔門
に2本あり、そのうちの 1本はイスタンブール
に運ばれています。
へリオポリスのものはロンドンとニューヨーク
に運ばれています。
因みに ヘリオポリスからの2本のオベリスクは、いずれも「クレオパトラの針」というニックネームで呼ばれています
。
もともとこの2本は当初はBC23年~12年頃アレキサンドリアのカエサリウム神殿に飾る予定で運ばれ、飾られてあったものだったからなのでしょうか?
後年スエズ運河開削工事のお礼で今度はそれがアメリカに運ばれたようです。
次回でカルナックは最後かも・・。
リンク エジプト 18 (カルナックのアメン神官)
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