わたしのこだわりブログ(仮)

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2010年03月28日
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今回でオルセーは最後です。

私はどちらかと言うと盛期ルネサンスとバロックの合間にあるマニエリスムの画家達の作品の方が好きなのだと思う。それはやっぱり今も変わらない・・・。

まだ幼少の頃、美術誌を見ていてボッティチェリの「ビーナスの誕生」や「プリマベーラ」に感動し、ラファエロやミケランジェロの作品に傾倒したのを覚えている。
(その時、ゴッホ等の印象派の画家の作品を見て、「何だこれは?」、「チープだ・・。」と幼心にも思たものだ・・。)

世間ではわかりやすい印象派が特に日本では取りざたされていたけれど、全く興味はなく、初めてパリで美術館を訪れた時もジュ・ド・ポーム(旧印象派美術館)はサクサク見て、ルーブルのドノン翼の2階に重点をおいて鑑賞した。
印象派と分類される作品の良さがなんとなくわかりかけてきたのは実はずっと後なのだ。

フランス(France)パリ、(Paris)
オルセー美術館(Musee d Orsay) part 5

オルセー美術館 5 (セザンヌとバーンズ・コレクション)

バーンズ・コレクション(The Barnes Foundation)​
ポール・セザンヌ(Paul Cezenne)
セザンヌが売れるまで
正直印象派にもセザンヌにも全く興味はなかった。
私の気持ちを動かした大きなきっかけは1994年に国立西洋美術館で特別展示された「バーンズ・コレクション」なのです。
アメリカの大富豪アルバート・C・バーンズの印象派絵画のコレクションは、今まで美術誌で発表されている作品など話にならない、はるかにレベルの高い作品群で、私にとって、印象派と言う絵に対する「目からうろこ」 となりました。

印象派の作品の中にも、見ていて、味のある作品が確かに存在する・・と知ったのがこのコレクションなのです。

画家の名前だけで、たいした事のない作品も祭り上げられて、高値で取引されている昨今、誤解していましたが、彼らの作品の中でも特筆できる良い絵が確かにあったのだ・・。と感銘して、それから心を入れ替えて、印象派の絵画を鑑賞する事にしたのです。

最初にオルセーに所蔵されているセザンヌの絵画から紹介。
ポール・セザンヌ(Paul Cezenne)(1839年~1906年)

彼の代名詞的な果物の静物画。彼は200点に及ぶ静物画を描いたと言う。
オルセー美術館 27
幾何学的に配置された構図。これは繰り返し描かれる静物のモチーフであり、何度も配置を変えて、この果物が腐るまで、何度も手を加えて描き続けた といいます。
描かれたのは1895年頃・・壺から・・。

「自然の中に球形と円錐形を見なさい。」と彼は言ったと言うが、世間のセザンヌの印象はこれに尽きるのではないか?

カードをする男
オルセー美術館 30
カードをする男はたいてい相手がいるので複数で描かれている。
バーンズ・コレクションでは5人の人物が登場しているが、この作品は1人称の空間で実に印象派的で、遠近にとらわれず、男の心情が伝わる作品です。
このモチーフもセザンヌの作品紹介にはたいてい登場 している。

自画像?
オルセー美術館 29

サント・ヴイクトワール山
オルセー美術館 26
この山もセザンヌが特に繰り返し描いたモチーフ である。
制作年はわかりません。1885年~1887年頃か?

オルセーの作品は、世間に広く知られている。だから世間はこれらがセザンヌの全てと勘違いしているかもしれない。

実は セザンヌの作品は50歳を過ぎるまであまり世間には知られていなかった そうです。
富裕な帽子屋から銀行家にまでのし上がった父の最初は私生児として生まれています。
法律家の勉強を辞めて画家になる決心をしたものの 「怒りっぽい田舎者」「救いようのない変人」・・彼の内的な要因で彼自身パリではなじめなかった

絵も死体、殺人、ごうかん・・そんな作品ばかり描いていて、その傾向が変わるのは後に夫人となる社交的な年若いオルタンス・フィゲとの出会い(1869年)です。

バーンズ・コレクション(美術書より)
レダと白鳥(1880年~1882年)
ポール・セザンヌ 1
女性に恐怖心さえ持っていたと言うセザンヌにしてはめずらしい作品なのである。
1880年代のセザンヌの特徴を持った作品と言うが、こんな作品を彼が描いていたなんて知る人は少ないだろう。

女性のヌードを描くには神話を題材にして、絵に高尚性を持たせる事が常套手段だった時代である。

セザンヌが売れるまで
30代を戸外に出て印象派の画家達のように絵を描き、カミーユ・ピサロの勧めで1874年(35歳)に第1回印象派展に出展していますが、 1890年(51歳)までセザンヌはほとんど無名です・・・と、言うより忘れ去られた存在だったようです
(金銭的には莫大な遺産を相続していたので、絵が売れていなくても生活は出来た。)

1895年にやはりカミーユ・ピサロの勧めで開いた個展を境に彼の名声は高 まったのです。
その個展を開いた画商の アンブロワーズ・ヴォラールが1897年彼の作品を全部買い取って行きます。これらがアメリカに渡った のではないでしょうか。

バーンズ・コレクションに1900年代以前のセザンヌの作品が多いのは、パリよりも先にアメリカ人に評価されたからなのでしょう

バーンズ・コレクション(美術書より)
頭蓋骨を前にした青年(1896年~1898年)
ポール・セザンヌ  2
死の象徴である頭蓋骨も繰り返し出されるモチーフで、彼の構成要素に重要なものだったのでしょう。
何よりもバーンズ・コレクションの作品には華があるのです。
タッチが・・構図が・・よりも好まれる絵が多いところが素晴らしい。

やっとパリで認められるのは1900年(61歳)に行われた「パリ万国博覧会」で催された19世紀のフランス美術を代表する「フランス美術100年展」への出典 です。

オルセーの作品
浴図の小品
オルセー美術館 28
裸の人物を風景と融合させると言うセザンヌ晩年の一連の作品の一部と思われる。

彼はやがて印象派を乗り越えキュビスムに大きな影響を与える存在になるのです。

オルセー美術館はぶっちやけ彫刻やアールヌーボーの家具等の調度品のコレクションの方が素晴らしいけれど、日本のツアーでは印象派の絵画くらいしか見に行かないのです。
フリー・タイムにじっくり見学に行く事をすすめます。
おわり
オルセー美術館(Musee d Orsay) back number
リンク ​ オルセー美術館 1 (パリ万博とオルセー)
リンク ​ オルセー美術館 2 (印象派・・マネとルノワール)
リンク ​ オルセー美術館 3 (ジョルジュ・スーラ)
リンク ​ オルセー美術館 4 (モネとモネの庭)​
リンク ​ オルセー美術館 5 (セザンヌとバーンズ・コレクション)
リンク ​ オルセー美術館 番外編 (ロダン・地獄の門)






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Last updated  2020年09月27日 03時38分36秒
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