わたしのこだわりブログ(仮)

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2016年05月12日
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中断していたアウグスブルク(Augsburg)の再開ですスマイル大変お待たせしました。

今回は 現存し、なおかつ現在進行形で運営されている中世の社会福祉住宅の紹介 です。
フッゲライの創設は1521年です。現在も個人の持つ財団で管理されそのまま運営されている施設でアウグスブルグの目玉の一つになっています。

世界最古の福祉施設」と紹介されている所がありますが、これは間違いで現在も運営されている中で一番古い施設 ・・と言うのが正確です。

なぜなら前にブルージュ「ベギン・ホフ(Begijnhof)」の所で紹介したペギン会の方が古さで言えば断然古いからです。
ブルージュのベギン会の設立は1245年。これは時のフランドル伯マルグリット(Marguerite)女伯が戦争などで生活に苦の出た女性が安全に暮らせる為に建てた社会福祉施設です。このような施設は13世紀には北部欧州に幾つか建てられています。
私達が知らないだけで、実は欧州には古くから社会福祉施設は結構あったのです。
(残念ながらペギン会は役目を終え近年その施設はベネディクト会派の女子修道院に変わっています。)

年6月 「ブルージュ(Brugge) 13 (ベギンホフ・Begijnhof)」よかったら見てね スマイル
リンク ​ ブルージュ(Brugge) 13 (ベギンホフ・Begijnhof)


アウグスブルク 5 フッゲライ  1 中世の社会福祉施設

フッガー家とヤコブ・フッガー(Jakob Fugger)
フッガー財団の社会福祉施設 フッゲライ(Fuggerei)
フッゲライ・モデル・ルーム

フッガー家とヤコブ・フッガー(Jakob Fugger)
アウグスブルク(Augsburg)と言えば15世紀にヴェネチアとの交易事業で巨額の財を成した商人フッガー(Fugger)家の人々を抜きには語れません。
最初に綿花と毛織物業で事業の基礎を築いたのは初代ヤコブ・フッガー(Jakob Fugger)(1398年~1469年)です。

事業を拡大してフッガー家を大きくしたのがフッガー三兄弟で兄ウルリッヒとゲオルグと共に父と同名の10番目の子供ヤコブ・フッガーです。特に皇帝マクシミリアン1世に気に入られた末弟ヤコブ・フッガーの力は大きかった と思います。
彼らの時代にフッガー家の資産はメディチ家の5倍。国際金融の最初のシステムを構築したと言われている。

フッガー家は鉱山の採掘権を得たり銀行業務で成功したりとアウグスブルグ一の豪商に成長。特にカール5世への選挙資金の貸し付けや免罪符の売り上げをローマに運んだり、また司教らの年金管理業務を委託されたりと中世ヨーロッパで特権階級とつながって成長。


シェッツラー宮殿(Schaezlerpalais)美術館より
pict-フッゲライ 19.jpg
アルブレヒト・デューラー作 ヤコブ・フッガー デア・ライヒェ(Jakob Fugger der reiche)(1459年~1525年の肖像。
der reiche・・・豊かなor富 める者  ヤコブには通称がついていてそれが肖像画にも描き込まれていた。

ところで彼は最初からフッガー家の経営に関わる予定ではありませんでした。
何しろ ヤコブ・フッガーは10番目の子なので当初彼は末弟と共に聖職の道に進む 事になります。
ところが父よりも早く 長兄達が亡くなり期せずしてヤコブは修道院より呼び戻されて他の兄と共に家業を手伝う事に なります。(定かではありませんが、19歳くらいまで修道院にいて聖職に就いていたようです。)

その聖職者故の慈悲の心なのでしょうか? おそらくこの社会福祉住宅を最初に考案して企画したのがヤコブ・フッガー(デア・ライヒェ)のようです。
ヤコブは基金を募り財団を造ります。寄進者の銘板の中には、「街の福祉の為、慈悲深く寛容なる神の恵みに心から感謝して寄進したものです。」・・と創設時にはすでに亡くなっていた兄ウルリッヒとゲオルグの名も刻まれている そうだ。

フッガー財団の社会福祉施設 フッゲライ(Fuggerei)
フッゲライ見取り図
pict-フッゲライ 1.jpg
赤い屋根
オレンジ・ ・学校と教会守の家
ブルー ・・・売店
緑右 ・・・・見学用住居(モデルハウス)
緑左 ・・・・博物館用住居とその上がモーツァルトの曾祖父の住居
イエロー ・・病棟(1520年当時はフッガー家で働く従業員の為の病棟
)

矢印の正面入り口
pict-フッゲライ 2.jpg
ヤコバ通りの建物はフッガー家長老会の館

フッゲライ(Fuggerei)は ヤコブ・フッガー(Jakob Fugger)が1521年に資金を提供して、また資金を集めてアウグスブルグの市民で生活に困窮している者を保護する為に造営されたアパートです
公共の機関ではなく、あくまで個人の財団が所有している物件と言うのが特徴です。

ただ、 賃貸と言っても家賃は創設時にヤコブが決めた1ライン・グルデンの額面が現在も踏襲されている
つまり 現在の入居者は(入居条件があるが・・)1年間で1ユーロもしない(約0.88ユーロ)と言う信じられない超格安で部屋が借りられる のだ
。(光熱費は住人負担)

実はフッゲライの見学には入場料が必要である。大人一人4ユーロ。
賃貸者の4軒分の1年間の家賃ではないかびっくり

現在でも寄進された資産で運営されているのですが、ヤコブの狙いは自活する為の支援であって、物もらいは御法度のようです。

入り口入った所。長老の家の下が管理事務所

pict-フッゲライ 3.jpg
正面入り口からの通りはヘレンガッセ(Herrengsse)通り

pict-フツゲライ 4.jpg
管理棟からのヘレンガッセ
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建物の古さで外観はちよっと違うが、中の造りは今は統一されているようです。
何より、第二次大戦の空爆で大分損壊し建て直されたようです。

pict-フッゲライ 7.jpg
ドアはひっついているが、一つは2階の部屋用である。
pict-フッゲライ 8.jpg

pict-フッゲライ 9.jpg
右がヘレンガッセ(Herrengsse)通り
左がオクセンガッセ(Ochsengasse)通り
オクセンガッセ(Ochsengasse)通りに見学用の住居や売店などがある。

フッゲライ・モデル・ルーム
見学用No51の部屋

pict-フッゲライ 10.jpg
裏の戸口には中庭が開けている。
見学用と言うより入居する人の為のモデル・ルームのようなものである。
それにしても驚くほど中は広いびっくり

ベッドルーム
pict-フッゲライ 14.jpg
リビングルーム
pict-フッゲライ 12.jpg
ダイニングルーム
pict-フッゲライ 13.jpg
洗面室&シャワー(浴槽は無し)&トイレ
pict-フッゲライ 11.jpg
もちろん家具類は付いていないと思うが・・。
下は入居者のイメージ写真
pict-フッゲライ 15.jpg
間取りを見ると1階と2階で2種タイプあるようだ。
ベッドルーム・・・・・・・・14.5m2
リビングルーム・・・・・・・14.5m2
ダイニングルーム・・・・・・12.8m2
洗面室&シャワー&トイレ・・8.5m2
部屋部分だけで53m2。廊下が10m2くらいありそうだ。
つまり63m2くらいで19坪くらいあるようですね。
羨ましい限りの贅沢さです。しかも、この場所はアウグスブルグの城壁の中。旧市街なのです。

次回につづく
リンク ​ アウグスブルク 6 フッゲライ 2 免罪符とフッガー家







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Last updated  2020年09月23日 05時44分49秒
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