[Stockholm syndrome]...be no-w-here

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2019.01.19
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カテゴリ: 宝塚
15日(火)は、9時から病院へ行って診察してもらった。
(ただし、名前を呼ばれたのは、受け付けしてから2時間半以上も経ってから…笑)
11日のCT検査では異常無しと言われていたのだが、改めて超音波検査したところ、「右肋骨が軽く折れている」と言われ、1ヶ月後に再度通院してレントゲンを撮る事になった。
処方されたのが胸に巻くコルセットと湿布薬だけなので、大した症状ではないのだろうが、とりあえずあの痛みが真っ当なものであった事が証明されて安心した。

実は、誰にも気付いてもらえなかった事で、「あれ、もしかして俺が大袈裟に痛がってるだけで、本当は大した怪我じゃないのか…?」と、ちょっと弱気になっていたのだ(笑)。
星組観劇を優先していたら、骨折に気付かぬまま更に1週間を過ごす事になっていたし、今回は僕のへなちょこ判断も大目に見てもらえるだろう(笑)。

その代わり、事故処理がひと段落したという事で、改めてチケットを購入し直し、29日(火)の15時公演を観に行く事にした。
席は2階の一番端っこだが、あれだけ見事な内容の作品で、尚且つ七海ひろきの最後の晴れ舞台を、たった1回で終わらせる訳にはいかない。





という事で、キャスト別の感想は次回の観劇後にして、今回は【霧深きエルベのほとり】作品自体の魅力を書こうと思う。
それだけでも書く価値のある、紛れもない名作だ。
この作品を現代に甦らせてくれた、上田久美子に感謝したい。

とにかく、台詞の一つひとつが奏でるハーモニーが美しい。
観劇しながら、僕はずっと心の中でタクト(指揮棒)を振っていた(笑)。
それ位、何度も再演を繰り返す中で研ぎ澄まされて行ったであろう言葉達は、どの場面でも過不足なく五線譜(脚本)の上に並び、気持ち良く心に響いて来た。
しかも、理路整然としていながら、そのどれもがしっかりと叙情的であるという素晴らしさ。
若い脚本家には、ぜひこのレベルを目指して欲しい。

台詞だけではない。
登場人物達が心情を語る、その語らせ方も実に見事だ。

特に、第12場でのフロリアン(礼真琴)、第13場や第15場Bでのカール(紅ゆずる)のように、単に本人の言葉として想いを語るのではなく、兄や小説家など「他の誰かに見立て」て語らせる手法は、もはや神業と言って良い。
これにより、場面のテンポや音色が変わり、作品全体にえも言われぬ哀愁や深みが生まれるのだ。
更に、そこまで饒舌に想いを語らせつつ、逆にラスト第16・17場は敢えて何も語らせないという余韻の作り方も上手い。

この作品に携わる事ができた星組生達は、本当に幸運だと思う。
そして、菊田一夫と上田久美子という2つの才能が出会う事で生まれた「トビアス」という役で、宝塚を送り出してもらえる七海ひろきも、また幸福だと言えるだろう。



というように、僕は大絶賛したいほど気に入った【霧深きエルベのほとり】だが、確かに全体を通して古臭い印象は否めない。
この前時代的とも言える物語が、現代のファンの感性ににどこまで響くかは未知数だ。

しかし、105周年というタイミングで、本作が再演された事は、今後の作品の傾向を占う試金石となるかも知れない。
歌舞伎や落語にも古典と新作があるように、宝塚にも次の100年に向けて、未来に伝えるべき「古典」が出て来るのは当然の事だ。

映画にしろ舞台にしろ、名作と呼ばれるか否かは、その作品に「時代を超える力」があるかどうかだと思う。
どの時代の人間が観ても、訴えかけて来るものがあるかどうか…。
その力がある作品は、時代を超えて残って行くだろう。

それを見極めようという動きが、劇団内にあるのかも知れない。
もしそうなら、「新作主義」と言われる宝塚にあって、この試みは新たな挑戦となるだろう。



と、ここまで書いていたら、昨日(18日)のデイリースポーツ紙で、小川友次理事長が今年のテーマを『温故創作』だと語っていた。
「過去の作品をリボーンする」と。
事故の痛みにかまけて感想を後回しにしていたら、先に正解が出てしまった…(笑)。
(しかも、これだけはっきり宣言されてしまうと、僕が頑張って推察した意味が…笑)



話を続けよう。

同じデイリースポーツ、11日掲載のインタビューの中で、紅ゆずるは「この作品は、現代では忘れかけられている人情というか、他人のために自分が犠牲になる事も厭わないといった気持ちが描かれている。(中略〜)この作品を通して、現代では忘れられているものを、思い出してもらえれば嬉しいですね」と語っていた。
もしかすると、演出した上田久美子も、本作に対するファンの評価を、時代の「バロメーター」にしようと考えているのかも知れない。

目先の「損得」が人々の行動原理となり、自分の意見や感情を相手に押し付ける事が「正しさ」であり「権利」であると考えられるようになった現代において、この【霧深きエルベのほとり】がどこまで人々の心に届くか……。
「変わりゆくもの」と「変わらないもの」、或いは「変えなければいけないもの」と「変えてはいけないもの」。
彼女は、紅の個性を借りて、それを推し量ろうとしているのではないか。

インタビューの最後に語られた「この作品を通して、現代では忘れられているものを、思い出してもらえれば嬉しいですね」という言葉は、紅だけではなく、実は上田から託されたファンへのメッセージなのではないかと思う。
僕達がそれを正しく受け取れるかどうか…。



そう言えば、前回の記事の中で、僕は本作の印象を映画【男はつらいよ】に喩えたが、先述のインタビュー内で紅が「(主人公カールのイメージは)強いて言うなら【男はつらいよ】の寅さんかな(笑)」と同じ事を語っているのを読んで、安堵した。

僕としては一番分かりやすい例として【男はつらいよ】を挙げたのだが、正直これで作品のイメージが上手く伝わるかどうか、ちょっと心配だったのだ。
読む人の感性や世代によっては、ミスリードになる可能性もある。
しかし、演じている本人が、車寅次郎を思い浮かべているのなら大丈夫だろう。
(まあ、紅自身も「強いて言うなら」と断りを入れているが…)

因みに、【男はつらいよ】の第1作目が公開されたのは1969年。
対する【霧深きー】の初演は1963年と、宝塚の方が実は先になる。



………あれ?

という事は、もしかして寅さんのモデルは、カール・シュナイダー…?(笑)





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Last updated  2019.04.07 20:54:15


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