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◇ 9月30日(土曜日):旧葉月九日(壬戌);上弦『若いとは、「若いですねぇ!」と云われなくて済むことだ。』・・・なるほど。でもなんだかこんなのは幾らでも出来そうだ。『老いは年齢に関わらず、歳を意識した時に始まる。』『体のことを忘れていられる状態を健康と云う。』・・・だから必ず引き出しの隅には病院の処方薬が余って転がっている。苦しかった時には、あんなに有り難がっていたのに。『貧乏とは財産がないことを言うのではなく、お金のことがのべつ頭を離れない状態のことをいう。』・・・これは本当に実感だな。子供の頃の昔読んだ本に、こんな表現があったのが心の底に残っている。「ウチなんか毎日両親がお金の話をしてるよ。だからウチは貧乏なんだよ。」♪♪今回の厚木語辞書♪♪『神輿の松』 - お神輿に飾る松。粋な黒塀の家にこれが飾られていると、そこにはお富さんという美しい女性が、あだ名を付けられたアライグマと一緒に住んでいるという印である。【対応する日本語】 - 観越しの松
2006.09.30
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◇ 9月29日(金曜日):旧葉月八日(辛酉);道元禅師忌事務所の近所には、周囲を圧して背の高いビルがあって、そこには会計検査院なども入っている。従来このビルの外、出入り口の脇には、喫煙コーナーが二個所設けてあった。通り掛るたびに、愛煙家の諸君が、三々五々雑談をしながら、或は携帯電話とにらめっこしながら紫煙をくゆらしていたものだ。ところが、今日通りすがりにどちらの場所からも灰皿が撤去されており、周辺には禁煙のマークがあるのを発見した。植え込みを囲むタイル壁に、何枚もべたべた貼り付けられたポスターには、例の交通標識に似た禁煙マークがでかでかと描かれ、その下に「ビルの防災と環境美化にご協力ください。」と書かれてある。みっともない眺めだ。このポスターは環境美化なのか?千代田区では都内各区の中でも特に、喫煙者の権利を駆逐するのに執念を燃やしている。公園の隅や、店舗の前などに今まで遠慮がちに置かれてあった灰皿もどんどん抹殺されている。僕も大学時代(といってもちゃんと満二十歳になってからですぞ)以来隠れもない愛煙家の一人なので、何やら寂しい気がする。寂しいだけではない。こういうご時世になって引け目まで感じなければならないのは、理不尽な話だと思う。タバコの価額の大半は税金である。一箱買うごとに我々は幾ばくかの地方税を納めているのである。納税者としての我々に、一言の断りもなく、喫煙場所がどんどん減らされていくのは、理不尽以外のなにものでもないではないか。最近は、東京都内や近郊を走る電車には「女性専用車」が設けられている。これは、弱者である女性を、暴虐で猥褻な男性犯罪者による被害から防禦するために作られたということらしい。男性が想定加害者で、女性が未必の被害者だと決め付けているのは、失礼を通り越して理不尽な話だ。朝夕の通勤電車の中は男というサメの泳ぐ海だという訳だ。だから獲物になりそうな女性にはケージを提供するのだ。(如何なる悪食のサメでも、豪も食欲を刺激されない対象だって居るだろうと思うのだけれど。)しかし、そういうことであるならば、女性専用車に乗る人からは追加料金を徴収すべきではないか。今の時代付加価値サービスにお金を払うのは常識である。嫌煙者や女権に拘る過激人種(の一部です。あくまでも一部にそういう人もいる、ということです。はい。)は、概して、自分に寛容で他人に狭量である。我が利害にかかわる他人の失策や弱点は、鋭く且つ執拗に攻撃するものである。確たる論理的根拠はないが、経験上そうである。それに対して、喫煙者や男性(の全員ではありません、あくまでも。はい。)は物静かである。自らの権利を侵害されても、唯々諾々とそれを承って大声で反論することはない。世の中には「常識」という恐ろしいルールがあって、「常識」に反論や反抗を示すものは自動的に「悪」とされる。常識は良識とは違う。良識には、きちっとした背骨がある。良識は自らを客観化できる能力の持ち主にのみ宿るものである。良識の背景には辞譲の心がある。常識はそういうものを持たない。「皆がそう思っているんでしょうに!」という程度の曖昧な根拠しかない。つまりは、そういう相対的な基準しかないために有効な反論というものがあり得ない。常識は一見妥当に思える正論の仮面を被ることが多く、時の権力と結びつけば隠微ながら絶大な強制力を持ち得る。これは先の大戦中、我が国内に蔓延した現象である。だから、常識を唱える人間の資質によっては、独善的な非常識になり得るものである。そういう非常識を常識の名のもとにわぁわぁ云われれば、良識人たる弱者はひたすら沈黙せざるを得ない。例えば女性専用車は、男性が濃密な脂粉の臭いで心臓発作を起こしたり、いわれもない冤罪に巻き込まれるのを防ぐ為の対策である。そう思えば良いのかもしれない。しかし、喫煙所の絶滅危惧種化には、有効な方便を未だ発見できていない。♪♪今回の厚木語辞書♪♪『追うた子に浅瀬を教わる』 - 生意気なガキにお仕置きをしようと川に追っかけていったら、子供だけあって浅瀬を選んで逃げていった。この事から、後輩や未熟な者に正しい道を示されること。【対応する日本語】 - 負うた子に浅瀬を教わる
2006.09.29
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◇ 9月28日(木曜日):旧葉月七日(庚申)マーボ豆腐は自分で作れるのだ!テレビに『試して合点』という番組がある。安物の週刊誌の見出しのように、題名にほだされて実際に観てみると、途中から竜頭蛇尾の傾向が明らかになって、結局『So What!?』で終わってしまうことが多い。しかし、ごくたまに最後まで「なるほど」と思えるものもある。だから、一応面白そうかなと思うのは、DVDに録画する。先日の麻婆豆腐のコツというのは、この数少ない例外の一つだった。麻婆豆腐は、日本人に最も好まれる中国料理の一つではあるが、家で作るときは大抵はレトルトの出来合いのものを買ってきて済ませてしまっている。僕もそうだった。(実は僕は人も知るWeek End Cookである。料理とは極めて知的で、非線形的な作業であり、大いに気分転換になるのだ。)ところが、豆板醤と甜面醤(どちらも、スーパーマーケットで今では普通に買える)を使えば自分で出来てしまうのだ。麻婆豆腐の作り方は簡単である。(1) ひき肉を炒める。(2) 調味料と豆腐を入れて煮る。(3) 水溶き片栗粉を入れてとろ味をつける。以上でオシマイ。しかし、大抵の場合、出来上がりは余り美味しくない。ちゃんとした中国料理店で戴く麻婆豆腐にははるかに及ばないのが普通である。しかし、以下の「四つのコツ」を実行すると、これが驚くほど美味しくなるのである。(1) ひき肉を炒める←ここでは「肉を充分すぎる」と思うまで炒めるのが最初のコツだ。目安は、染み出した肉汁(最初は白く濁っている)が透明になるまで炒めること。これは、スープにコクをつけるためにきわめて重要なのだ。(2) そこで、みじん切りの生姜とニンニクを入れて炒め、豆板醤と甜面醤を適量合わせる。(このバランスで甘辛が決まる。)(3) 鶏がらスープを注ぎ、醤油、砂糖、酒で味を調え、豆腐を入れる。小口切りした長葱も入れる。(4) 賽の目にした豆腐を入れて煮る。←豆腐は一貫して「優しく」取り扱うこと。崩してしまっては豆腐の触感が損なわれるし、第一見た目にもみっともない。(第二のコツ)(5) 豆腐を入れたら、すぐに少量の油(胡麻油だと香りも良い)をかけまわす。←これは「飾り油」といって、中国料理では普通のことらしい。スープの表面を油の皮膜が覆うことで、沸点が120度くらいに高くなり、この高温が豆腐のたんぱく質の網目構造を壊し、「プルプル触感」の美味しい豆腐に変身させるのだ。(第三のコツ)(6) 水溶き片栗粉を均等に入れたら、静かにひと混ぜした後煮込む。鍋の縁が少し焦げるくらいまで煮込むのが第四のコツである。こうすることで片栗粉の「糊化」が一様に完璧になり、滑らかな触感が実現できる。後は器に移して食べれば宜しい。これだけの事だけれど、嘘のように美味しい麻婆豆腐ができるのである。是非トライしてご覧じろ。麻婆豆腐は中国では「焼く」料理に分類されているのだそうである。なるほど!♪♪今回の厚木語辞書♪♪『ウンチ苦を語る』 - 長い間の宿便を脱して大変な思いで排便した苦労話をすること。転じて、自らの苦労話や経験を他人に綿々と語ること。余り便々(!)とやりすぎると嫌われたり無視されたりするので注意が必要である。【対応する日本語】 - 薀蓄を傾ける 『オカマを起こす』 - 商売に励み、身代を形成すること。オカマの働くのは普通人が眠る夜である。オカマが寝てしまっては商売にならない。オカマは、眠いのを押して起きて仕事に励まなければならないのだ。【対応する日本語】 - お釜を興す
2006.09.28
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◇ 9月24日(日曜日):旧葉月三日(丙辰)『法律はソーセージのようなものだ。それが何から出来ているのか、見ないほうが賢明である。』僕は自分のメールの署名欄に、何かから取ってきたアフォリズム(警句)で、ちょっと小洒落たと自分が思うものを引用している。これを始めた頃は、「そんなふざけた文句を社長ともあろう役目の人間がメールの後にくっつけて!」と文句も出たが、文句が出たのは社内だけで、外からは何の反応もなかった(それも寂しい!)ので、めげずにずっと続けている。上のは現在使用中のもので、これはかつて鉄血宰相と称えられた、19世紀後半のドイツの初代首相、オットー・フォン・ビスマルクが云った言葉だそうだ。泣く子も黙る(だったはずだ)ドイツ帝国の鉄血宰相が、ソーセージの中身を思い描いてこんなことを云っていたと思うと可笑しい。僕等の世代で「ソーセージ」と言えば「魚肉ソーセージ」と決まっていた。筒状のビニール(?)の中に魚肉由来の、つまりは鮮やかなピンク色のかまぼこの材料のようなものが詰まっていて、両端がアルミの太目の針金で留めてある。あの、ビニール樣の容れ物は、ちっとも綺麗に剥けない厄介もので嫌いだった。その内、「ウインナソーセージ」というものが出てきて、初めて食べた時はそれまでと違う肉の味に感動したものだ。当時は、学校に持っていくお弁当に入れるのが流行った。鮮やかな赤い「皮」を纏っていたから、半分に切って火を通すと小さな蛸のような形になったのである。(余談だけど、当時名古屋の喫茶店で「ウィンナコーヒー」を頼んだら、厨房で暫くもめた後に普通のブレンドコーヒーにウインナソーセージが付いて来たという話があった。多分、意地悪な「東京人」がナゴヤを馬鹿にしての捏造であろうと思うが、本当のところ真偽の程は分からない。こういうことは、実際にあったほうが楽しい。)あの当時であれば、上の警句には何の感慨も無かった、というより意味するところがはっきり分からなかったのじゃないかと思う。今では、そこいらのスーパーでも色々なソーセージが買えるようになったが、それでも元来が農業国である我国は、肉料理に関しては未だにナイーブで、例えば「血のソーセージ」などは、殆ど手に入らない。これは、ドイツへ行けばごく普通に売られていて、中に入っている「血」も固いのから柔らかいのまで、色々ある。多分ビスマルク君は、この「血のソーセージ」を念頭に置いて、上の警句をひねり出したのだろうと思う。確かに、法律なんて「血のソーセージ」のように、おどろおどろしい面を持ってはいるな。♪♪今回の厚木語辞書♪♪『遺髪を継ぐ』 - 亡き人の遺髪を受け継いで、生前の業績を偲ぶこと。転じて、先人の事業などを継承すること。従ってハゲた人の事業は対象になりにくい。【対応する日本語】 - 衣鉢を継ぐ 『浮き輪足立つ』 - 浮き輪を着けて海に入っても、ぎりぎり足が立つような深さでは、却ってふらふらして不安定である。これから転じて、落ち着かない様子。そわそわして逃げ腰になることを云う。【対応する日本語】 - 浮き足立つ。
2006.09.24
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