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◇ 3月21日(水曜日) 旧如月三日、癸丑。 春分の日今にこの国にはガマの油売りはきっと絶えて無くなってしまう。「・・・さてお立会い。この陣中膏ガマの油。ガマの油の効能は、がんがさ、よう梅毒、ヒビにアカギレ、しもやけの妙薬。・・・未だある。前に参れば陰金田虫、後ろに参れば出痔、いぼ痔、はしり痔、鶏冠痔のほか腫れ物、切り傷一切。・・未だある、お立会い。大の男が七転八倒、畳の上をゴロンゴロンと転がって苦しむのが、お立会い、これこそ虫歯の痛み。だが手前のこのガマの油をば、ぐっと丸めて歯のうつろに詰め、静かに口を結んでいる時には、熱いよだれがタラ~リタラリと出ると共に、歯の痛みはピタリと止まるよ、お立会い。まだまだあるよ、刃物の切れ味も止める。」・・・こんなの明らかな「根拠無く証明もされていない効能を使用しての誇大広告」以外の何ものでもない。それどころか「四六のガマの由来」も、ガマの脂汗を柳の小枝で掻き混ぜながら三七27日間煮詰めるというその製法も、明らかに「虚偽に依る宣伝」だな。こういうのを「口上売り」というのだが、ガマの油だけでなく、殆どの「口上売り」は、今に成り立たなくなる。それだけじゃない。口上売りで全国津々浦々を巡る瘋癲の寅さんのような「人物」も、もう金輪際出て来なくなる。「・・・結構毛だらけ猫灰だらけ。お尻の周りは××だらけ・・・」これなんかは「不適切な用語」として使用を規制されるはずだ。第一「瘋癲」自体、もう放送禁止用語ではなかろうか?「乞食」や「ビッコ」、「つんぼ」なども、「差別用語」などとされてしまったお蔭で、おおっぴらに書いたり話したりできなくなってしまった。そのために高座にかけられない古典落語は数知れず、噺家はどんどん廃業の憂き目にあっているそうだ。(か、どうか・・・多分・・・?)「発掘!あるある大事典II」の「インチキ取材による番組捏造」(とNHK関連の諸問題)をきっかけにして、総務省は放送局に対する行政処分の強化策の一環としての放送法改正案を、今国会に提出し、その成立を図るのだそうだ。その背景にあるのは、「国民が嘘や大袈裟な話に騙される事のないよう、情報の発信者側に対する政府による規制を強化する。」ということなのだろう。こういう日常の瑣末事にまで、お上の深慮を煩わせなければならないとは、甚だ恐縮の至りではある。しかし最近、こういう「お達し」を我等民草自体が求めているふしがあるのは、まことに情けない限りだ。昔は、「子供の喧嘩を親に持ち込む」のは、子供の世界の中では、最低の行動と看做され、軽侮されたものだ。「子供の喧嘩に親が出る」というのも、同様に恥ずべき事とされた。先日何処で観たか忘れたが、何かの健康食品だかサプリメントだかの広告で、「体験者」が色々の効能を語っていた。それ自体はどうということもないが、下らないのは画面の隅に、「この内容は個人の印象であり、効能を保証するものではありません。」と表示されていたことだ。なんだねありゃ?モノを宣伝するのに、予め言い訳をするのかね?それならハナッから広告などしなければ良いじゃないか。ガマの油売りの口上ではないが、以前は結構面白い広告が色々あった。グリコの「ひと粒200メートル」なんてのは、結構インパクトがあって、その証拠に桂冠を模した枠の中で、ランナーが両手を揚げてゴールを決める図柄は、今でもちゃんと覚えている。(あのデザインのキャラメルは今でもあるのだろうか?)ロゼット化粧品と云う会社の、「ロゼット洗顔パスタ」の広告では、白子さんと黒子さんというかなりストレートなキャラクターが、新聞や雑誌の片隅に毎回登場して、件の洗顔パスタを黒子さんにも使わせるべく、白子さんが黒子さんの蒙を啓く4コマが繰り返された。「これを使えば、あなたもたちどころに私のように色白になるのよ。」というのが、その一貫したメッセージである。こういうのは、思い出せばきりが無かろう。明治、大正、昭和などの新聞を見れば、「口上売り」の如くに切れの良い広告の例が山ほど見つかることに疑いはない。それが、今頃になって問題として取り上げられるのはどうしてなのだろう?これは、我等民草の世界が「子供の喧嘩に大人がでしゃばる」ような水準に堕してしまったせいだ。昔だって、誇大広告に騙される輩は何人も居たはずだ。情報が遍く飛び交っている今よりは、騙される人間は確実に遥かに多かったと思う。しかし、「騙されるのは、自分の欲に駆られたからだ。」という真理を、民草万民がわきまえていた。だから騙されたと分かった時には、先ず己のアホさ加減を恥じるのが「常識」というものであった。欲に目が眩んで騙された自分のバカを棚に上げて、声高に相手の非を公の場で言い立てるような輩は、無知で下品で恥知らずとされた。それが普通のことであったが故に、諧謔が生じ、寄席や口上売りが流行り、寅さんも生まれた。然るに、自分の頼んだコーヒーをこぼして勝手に火傷しておきながら、「手の上にこぼしたら火傷すると警告しなかった店が悪い」と裁判沙汰にするような馬鹿な国の「グローバリゼーション」の嵐に曝されて、我民草の水準はかの国並みに劣化し、相手の非を言い立てて金でも取ってやろうとするさもしい根性が蔓延した。その結果が、言葉や表現に関しての様々な規制の増加のみならず、自分中心のバカ、つまりジコチューの蔓延と、ありとあらゆる製造物の取扱説明書の極端な肥大化である。最近の取扱説明書、つまりマニュアルは、無慮数センチに及ぶ厚みを持ちながら、読むべきところはほんの数ミリである。後は何をすれば危険だのといった物々しい感嘆符の羅列でしかない。「電子レンジに猫を入れてスイッチを入れると、猫が死ぬ恐れがあります。」とマニュアルに書いておかないと無警告で訴えられる心配があるようでは、結果的に森林資源の破壊と、物流コストの増加になってしまう。どちらも畢竟自然破壊とCO2の増加推進要因として、ツバルの水没に貢献しているだけなのである。僕の祖母が未だ健在のころ、乳飲み子を背負った汚いなりの女が、哀れな様子で「真綿の布団」を売りに来たのに居合わせたことがある。この女の身の上話を涙ながらに聞き、それでもこの布団はこんなに零落してしまう前のしっかりしたものです、という口上に、祖母はそれなら引き取りましょうと買ってしまった。「ありゃ、詐欺ですよ。これが真綿の布団の訳はないでしょう。どうして騙されるのですか。」と詰問する叔母や僕に、祖母は「そんな事は分かっています。でもあのお金の幾分かでも、あの子のミルク代になればいいでしょう。」と恬淡としていた。もう半世紀近くも前の出来事だが、今でもよく覚えている。昔の(といってもそんなに以前のことではない)日本人というものはあぁいうものであった。然るに今はどうだ。「精神の自治」などという、ごく当たり前であったはずの矜持は廃れてしまい、何かあれば文句を言い立てて、やれ規制をしろ、法律が不備だ、政府が悪いと騒ぐ。手前のバカを解決するために、お上の出馬を求めるなぞ、自分で愚民化政策を呼び込んでいるのと同じではないか。求められれば、「しょうがないなぁ」と、苦笑の陰に得意さを隠してご出馬になるのは、大岡越前の守の昔から、お役人のさがである。こんな風だから、ガマの油売りも寅さんも、そして噺家も生きて行けない殺伐とした「言い訳の世の中」になってしまうのだ。
2007.03.21
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◇ 3月19日(月曜日) 旧如月朔日、壬子。昨日は春の彼岸の入り。ところがこの数日、日本の上空にはシベリアから寒気団が流れ込み寒い。列島あまねく寒い。北陸地方は大雪に見舞われた。雪不足で早々にシーズンを閉じてしまったスキー場では、皆さんさぞかし臍を噛んでいらしたことだろう。金沢の兼六園では、一向に大雪の兆しのない暖冬のせいで、名物の雪吊りを早々に取り払った直後のこの雪だ。この間ニュースで観たら、皆さん総出で枝に積もった雪を竹箒で払っていらした。気を利かしての早仕舞いの所為で、ご苦労様な事であった。この暖冬をもたらした元凶とされるペルー沖のエルニーニョの消滅が、暫く前に報告されたが、この寒気がその所為だとするのなら、エルニーニョ君の力恐るべしとしなければならない。エルニーニョとは現地の言葉で「神の子キリスト」のことだそうだ。このところ殊更に神をも恐れぬ人間どもの所業の行き着く末を、神がお示しになった挙句の、時ならぬ寒気の再来なのかもしれない。しかし、時ならぬ春の寒気、春の大雪というのは、過去にも何度か例がある。比較的新しい例では1986年(昭和61年)の3月23日だ。この日、列島南岸に接近した低気圧の所為で、首都圏一帯は大雪に見舞われた。そのお蔭で西武新宿線では列車同士が衝突し、着雪の所為で送電鉄塔が倒壊し、330万所帯が停電、断水は50万戸、無論東京を中心とする首都圏の交通網は大混乱になった。更に遡ること百二十余年。安政七年(1860年)三月三日(現行暦に翻訳すると3月24日)の朝。江戸城桜田門外に、時の大老井伊直弼が登城の途中、水戸浪士の急襲を受けて殺害された時も時ならぬ大雪であった。早朝から降りしきる春の大雪に、大老の警護の侍達は太刀も槍も出掛けに雪支度に固めていたため、予期せぬ襲撃に迅速に応戦することもままならず、むざむざと十数人もの死傷者を出しながら、大老の暗殺を防ぐことが出来なかった。因みに、東京の気象庁の深雪記録によれば、上記の他に3月以降、相当の雪に東京が見舞われたのは、明治41年(1908年)4月9日(20cm)、昭和44年(1969年)3月12日(30cm)などが記録されている。数センチ程度の積雪記録なら、首都圏の「春の雪」も、もっと数が多いことだろう。まぁ、桜田門外の変まで持ち出すのはちょっとやりすぎかもしれないが、春の彼岸頃から4月の上旬くらいまでの思わぬ寒気や大雪は、首都圏では大いにあり得ることなのである。時にこの日曜日は、当社創立の記念日であった。現社名での登記を完了してから三年が経ったことになる。未ださして誇るべき実績を残し得てはいないけれど、それにしても吹けば飛ぶような微小資本に耐え、我国のベンチャーに対する金融事情の冷たさに凍傷になりながら、「とにもかくにも良く生き延びた」というのが心底からの実感である。「3日、3ヶ月、3年」という言葉があるが、3年生存し続けた小企業の次の節目は何年だろう?まさか30年ではあるまい。僕自身がそんなに長い間今の位置を占め続けることはなかろうし、第一生きていられるかどうかも心もとない。「一つのことを一生懸命やり続ければ、10年すれば大抵のことはモノになる」と何人かの人がおっしゃるのを聞いたことがある。そういうことなら、後7年ということになるから、それ位ならなんとか我慢できそうだ。まぁそう思い定めて後暫くは奮闘することにしよう。それにしても、創業記念日が今年は日曜日だった所為で、何のイベントもしなかった。家の自分の部屋で一人密かに祝杯を上げた程度である。折角だからこの日「春の大雪」でも降ってくれれば、せめて雪見酒にはなったものをと思うのに、ままならぬものではある。
2007.03.19
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