マックの文弊録
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◇ 7月29日(日曜日) 旧水無月十六日、甲子。以下の議論を進めるためには、大勢の人間が集まって暮らすためのというシステムとして、民主主義というものを、まずまず妥当なものであるとして是認しなければならない。その上で思うことは、民主主義は国民大衆の多数の利害や意の赴くところを、選良が実行することなどではない。民主主義国の選挙制度において、国民大衆が投票をするのは、候補者個人に対してではないし、そうであるべきではない。国民大衆は「候補者の信じるところ」に自らの期待を付託するのである。沖田夫人が、初めての敗戦に消沈するわが息子、武田晴信に向い、「人はそなたが強いから従うのではない。そなたの信じるところを共に信じたいから従うのだ。」と語りかけたそうだ。但しこれは、NHKの大河ドラマでの話である。選挙と云うのも本来はそういうことだ。期待を付託するのは、一々細かく口を出して、あれこれ指図することとは違う。一旦任せれば、後は選良の進むところに任せるのである。見守るけれども細かく口を出さずに、定められた期間は選良の自由に任せるのである。逆をやればこれは大衆によるファシズムである。だから、国民大衆といっても、赤ん坊や青少年まで遍く有権者などということはあり得ない。或る一定年齢にならないと投票権を得ることは出来ないのである。つまりは、選良として適格かどうかを見極めるには、有権者それぞれに応分の見識が不可欠要件として求められるからだ。つまり、選挙というものは候補者や政党に対する人気投票などではなく、彼らの所信、識見、行動力に対して、有権者国民大衆一人ひとりが、微小ではあるけれど自らの持てる神聖不可侵の判定と選択の権利を行使する機会である。そして、その洗礼を成功裏に通過した選良が、一定期間付託された自らの権利を行使するのを民主主義と云うのである。こう思い至ると、政党が知名度だけのタレント候補の獲得擁立に走ったり、「わが党が勝たないと株が下がるぞ」などと、大衆の欲を書きたてて勝利を目指すなどと云うのは自殺行為ですらある。又、それに乗ってしまうことになれば、国民大衆として自らの愚かさを露呈することになってしまうのだ。今日は参議院議員選挙の投開票日である。
2007.07.29
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