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治療を受ける権利と拒む権利例えば人工透析を受ける権利と拒む権利がある。緩やかな終わりを受け入れる。どうしようもなく終わり告げられるか、自ら終わりを選択するか。自ら終わりを選択するのは自殺ではなく、「人工呼吸器をつけますか」の著書にもあるように、付けないという選択肢もあるのです。人工呼吸器をつけることで自由が制限されることへの私のこだわりです。私がそこに生きている証だともいえます。生きているとは文化的な生活を自らの意思でおくること。入院している高齢者は自らの意思で入院しているのだろうか。そこに大きな疑問がある。人工呼吸器をつけますか?
May 27, 2011
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休日、常に支配されている。こう言われたら、ああ云われたら、こうなったら、どうしようもないのだけれど、支配されている。これが日常だと思いなさいと告げている。そうならないんですよ。 そしていつもいつも支配されていてもやがては、やってくる。
May 26, 2011
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ああ疲れた。抜けまくり。退院手続き駄目目薬駄目処方内容駄目次のナース様すみませんでした。 勤務中、心が沈み、防御反応が次から次へと出てきてそれとの格闘だった。
May 25, 2011
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来週受診予約を取った。すんなりとれた。それまでは内服で経過を見ていくしかない。落ち着かない。イライラもするし、怖い気持ちが存在する。自信がない。奈落の底へ落とされた。 まだ生きていくのかと思うと、哀しくなる。
May 23, 2011
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思考回路というものがあったとしたら、停止状態。あの人が入院していたら、来たらどうする。どうしようもない。体が動かなくなるのではないだろうか。思考が止まる。誰にも相談できない苦しさ。相談しても分かってくれる人はいない。話は聞いてくれるけれど、私の心の苦しみを理解してくれる人はいない。ただただ苦しい、哀しい。この先続く道のりが決して平たんではないのがわかる、会って思考が止まる。体が動かない。憂鬱な日々が続く。この感情は永久に続く。
May 22, 2011
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昨日の淀んだ気持ちを少し改善してくれたのが、セパゾンとベタマックだった。飲み始めて6日間。残りのことを考えると早目の受診がいいと思う。1日か、次の週で調整しよう。 仕事に対する自信がない。何をしていいのか、何をどうすればいいのか、決められたことと実際の違いが大きい。とにかくおどおどしている。怖い。気分が晴れない。
May 22, 2011
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『パニック発作に苦しんでいる人へぼくからのメッセージです。あなたは絶対に乗り越えられるし、立ち直ることができます。キーワードは「受け入れること」だと思います。ありのままを受け入れたときから、ぼくにとってすべてがいい方向へ変わりました。これもまた逆説的ですよね?でもそれは、自分からプレッシャーを取り去るからだと思います。これでいいのだと思ったとたんに、自分を解放することになるのです。「違ったふうになりたい」とか「こんなふうに感じたくない」ではなく、「これが私の感じ方だ、この事実を受け入れよう」と思うのです。そうすると、とても大きな重荷を肩から下ろせます。なぜなら、無理やり自分を変える必要はないからです。変化は自然に起こります。』 「違ったふうになりたい」「こんなふうに感じたくない」と必死になるよりも、「これが私の感じ方だ、この事実を受け入れよう」と思うほうが、精神的な苦しみが減り、そして、現状が変化します。』ありのままを受け入れるとは云ってもそれはなかなか、今でも出来ないことなんです。でもスヌーピー語録でルーシー「時々,あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ…」スヌーピー「配られたカードで勝負するっきゃないのさ…それがどういう意味であれ」 そこまでの心境にはなれない。けれどもそこに向かっていこう。
May 19, 2011
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急性期病棟に移動して9日目。自信がない、心に重い石をかかえているような気分。ほぼ毎日セパゾンとベタマックを服用している。残量が少なくなったら受診しよう。 回復期に転出する予定の患者へアドバイスができるように、といわれそれを心の拠り所にしていく。毎日の看護は抜けている事が多く、気が滅入る。
May 19, 2011
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今日も一本タケノコをゲット。毎年生えてきていた場所は、3本だった。そろそろ終わりのころか。少ないと思いながらもそこそこの本数をとった。
May 15, 2011
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高齢者が軽い肺炎になったらまずは入院し抗生剤の点滴と絶食。これで数日経過をみるのが通常の治療。でもその前に本人が「この年になって入院・治療を受けたくない。入院・治療が嫌だというのではなく病気になった時が寿命だと思いたい。順調に治るのだろうが、しかしそうとばかりは言えないのも知っている。全ての高齢者が治っているのなら話は別だが亡くなっていく方もおられる。」消極的な安楽死といえば大げさだが、そういう分類になる。治療を受けるのが当たり前だと決め付けるのではなく、治療の効果が出る時もあれば、残念な結果になる場合もある。大事なのは本人の信念を尊重すること。 いざその時になって嘆き悲しむ人があまりにも多い。90歳を過ぎて「こんなはずじゃあなかった」なんて言うなよ。70歳を過ぎたらまずは準備をしていくものです。体に自由が利かなくなってから、一度でもいいから家に帰りたいと嘆いても、息子さんは「なにがいるんだ、いるものがあったら言ってくれ取ってくるよ」「そうじゃあないんだ」と叫んでも言葉にならない。 どこで自由な生活を終えるか。決めるのは自分一人ではないんだ。夫婦・子ども・親族・施設・病院など
May 12, 2011
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先日から移動の話が出て、不安が増強していた。どうも駄目だなと思いつつ今日を迎えた。今朝ふーーとよみがえってきたのは当時の20歳の頃のあの日。罵声と怒声をあびながら介助をしていた。でもでも、案外頭の中は冷静だった。それを思い出した。あの頃恐怖を感じたのは、その時ではなくてその前だった。終わってほっとして翌日の午後から憂鬱になり夜は怖い気持ちが心を占領していた。そうなんだ。 怖い、恐怖というトラウマはその時ではなく、前。何かある、どうにかなってしまう、という恐れが心を占領していた。そこなんだ。対応自体はどうにかできていたんだ。つまずくこともあったけれど、どうにかできていた。 そこをもう一度思い出してみたい。 何かある、どうにかなってしまう。どうにもならないんだ、対応できるんだ。
May 11, 2011
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終の棲家を提案するのは、いざその時になって嘆き悲しむ人があまりにも多いからです。90歳を過ぎて、「こんなはずじゃあなかった」。70歳を過ぎたらまずは準備していく物だと思います。体の自由がきかなくなってから、「一度でいいから家に帰りたい」と嘆いても、夫(妻)子どもたちは「何をしに帰るの、いるものなら取ってくるよ」とつれない返事が返ってくる。「そうじゃあないんだ」と叫んでも言葉にはならない。癌という命が脅かされる病気もあるけれど、脳梗塞という病気もある。体の自由を奪われてしまう怖い病気。 私たちの命は、「いつまで」という期限はあるのだけれど明示されていない。突然の終わりもある。まだまだ自分は大丈夫だと思っている時に準備は始めるものだ。
May 10, 2011
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私のテーマ、課題抱え込まないこと。
May 8, 2011
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悪人 シナリオ版 (朝日文庫) (文庫) / 吉田修一吉田修一 著最後の息子パーク・ライフさよなら渓谷静かな爆弾がDVDになっているので次回は借りよう。引き出しの中のラブレター これもいいそうだ。心に刻むのは、「抱え込まない」タケノコは今日も3本掘った。一日見逃すと大きくなってしまう。おじさんは、今年はもう終わったな、だって。そうかなあ?
May 8, 2011
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長男が数日自宅に帰ってきていた。唯一の休日、三重まで走っていると名神の名塩SPを出たところで 「いま大阪です。」「留年しました」 とりあえず京都で会うことにした。待ってJRから出てきたところで合流し、自宅へ向かう。留年は3月下旬に決定していた。ボツぼつと話す内容は、理解できないことばかり。相変わらずだ。今日帰るという時に、通帳と免許書を写メールして、と妻がいう。三重について通帳はOK免許証は自動車学校すら行ってなかった。今年は余裕があるので、早々に行きます。だって。ああ、いつものことだけど、どうして。どうして。
May 8, 2011
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出勤と同時に決定。回復期も急性期も同じことを求めている。どうしたら退院できるか。何が問題か。病気をどう理解しているか。退院するためには何をすればいいのか。苦しいのは誰も。それを顔表情に出すか、出さないか。出しても苦しみは変わらない。軽くはならない。くよくよ思っていてもどうにもならない。切り替え。
May 7, 2011
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もうすでに決まっている事なのに、いまでも避けられると避けられそうとか思ってしまう。なおってない証拠。いまだグズグズと思っている。気持ちの中に重い石が落ちて、動けない気持ち。もう決まっているんだ。
May 6, 2011
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勤務表は出来ているが、移動者へ伝達ができていないので未発表だ。そう私のこと。明日言い渡される。まあ明るく素直に聞くだけ。再度うつ症状が出るかもしれないがよろしくといっておこう。明るくいくしかない。自分に出来るのはそれだけだ。
May 5, 2011
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【送料無料】終の棲家を求めて終の棲家は自宅でなければならないのか施設を終の棲家として見ることの楽しさそもそも終の棲家とはどういうことなのかいつまで今の生活を続けることができるのか終の棲家という考え方は生き方だ後悔の少ない最後の生き方を考える病棟で一日カーテンか天井を見つめてすごすことのむなしさ主体的な生き方は、主体的な死に方不本意ながら入院している人生きている人がいるもう十分生きた、でも死ねない生きる意欲、目的、欲を見失っている人見ようとしない人、捨てている人それでもリハビリをして生きていくのか意欲、意味がないと生きることはできないのか惰性で生きてはいけないのかいきあたりばったりの人生はそれでもいいのでは要はそこに自分の主体性があればいいの子どもから見た親の人生、親族の意向との調整親の人生を通して自分の人生を見つめるそれが次の世代へのバトンになる目的のない人生なんて・・・でもそれはある親を介護しなければならないのか、義務なのか
May 3, 2011
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【送料無料】終の棲家 自分の力で生きてよ、お願いだから。子どもに寄り添ってこないで私は自分が生きていくだけで精一杯なんだ。とてもあなたの人生を思う余裕なんてない。終の棲家をどうするか・・・・それはあなたが決めてください。そして私を撒きこまないで。 高齢者の中には、自分でなにもしようとはせず子ども、人任せの生き方をしている人がけっこういる。70年80年生きてきてそんなことが出来ると思っているのだろうか。
May 2, 2011
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深夜テレビを消してしずかに・・・・挑戦者であれ。守りに入っている。高齢者が「もう年だから~、これ以上できんわ」となにもしようとせず、施設に入ることになったとたん「なんで家にかえれないの?」と嘆く。それと同じことを同じ心情に今の私はなっている。守りに入ってなにもしようとしない。そんな職員はいらないんだ。かつて私はそういっていた。常にチャレンジだっといっていた。 もうその気持ちはない。人生って攻め続けるしかないのか!守りに入った途端に弱気になりそこにつけこまれる。心が萎えてしまう。 いわれのない災いに出くわした時、自分の人生にどう付け加えるのか。それが生きていくということ。下を向いて、地面を見て、沈んだ心で、「悪いのは私じゃない症候群」に陥らぬように。 【中古】【20110506】新書 悪いのは私じゃない症候群【画】
May 2, 2011
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4年生になっているはずなのだが、まったく音沙汰ない。メールしても電話しても返事ない生きているの? 畑のタケノコは順調に生えてきているけれども。そうそう、夢だ。相変わらず当時の手術室の夢をみる。新たな材料を購入するのだが既存の材料との差はなんだと思案している。心地よい思いとは裏腹に、どうして看護に徹することができないんだ。自分は何をしているんだ。そんな思いが心を締め付ける。夢は何を昇華しようとしているのだろう
May 2, 2011
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桜の花は4月7日咲いた。いつもの場所に毎年でてくれる今日で7本目。昨日あれだけみてもうない、とでも今朝行くと大きく出ていた。そういうもの。
May 1, 2011
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