Free Space
ここ1年程は、夢をみても気にしないようにしていた。
夢は心が動くと見るものだろうと思ったからで、
私はできるだけ心は動かさないように、、、っと心がけていたから。
そして、夢は記憶に残っていたが、
よほど、印象的な、変わり種の夢でなければそれらは記事にしないでいた。
しかし、2013年の12月頃からか、
再び頻繁に夢をみるようになった。
私は2ヶ月程前(2013年の11・12月)に以下のような夢をみた。
私は、学園都市のような、大学が一箇所に集まった街のようなところに居た。
この総合大学都市のような場所は数年前から夢に頻繁にでてくるようになった。
数年前は、私は入学したてのようだったが、最近は大学3・4年生ぐらいになっているように感じている。
学園都市の風景は夢によってかなり異なるのだが、共通しているのは
そこはディズニーランドのようなだだっ広い場所ということだった。
私は講義を受け終えて、帰宅するところだったが、
課題をこなすのに必要な書籍が入った鞄を学園内に忘れてきてしまったのだった。
それに気がついたときにはもう夜になっていて、
大学は閉鎖され、かろうじてスクールバスのようなものが
運行している時間だった。
私はそれがないと課題はできないし、どうしても課題はこなさないといけない、
帰宅が遅くなれば、父が心配するだろう(私は大学時代は安アパートで一人暮らししていたのだが)
しかし、どうしても書籍がはいった鞄が必要だ、
守衛さんに頼んで中に入れてもらうにはどうしたらいいだろうか?
守衛さんがいるゲートを探して歩き、守衛を見つけ、頼んでみたのだが、
守衛は、こんな時間にゲートを開くことはできない っと言っているようだった。
私はどこか、、、、学園内に入る抜け道はないものだろうか
と思案するが、抜け道を見つけて敷地内に入ったものの、
出られなくなったら、家に帰れず、父が非常に心配するだろうし、、、
っと冷静且つ論理的にカバンを手にする手段を”あれこれと思考”してた。
しかし、どう考えても鞄をいれたロッカーまで行く着く手段はないと諦め、
最終のスクールバスの座席に座って、ボケ~~~っとしていた時だった。
私の傍らにはいつの間にか、
息子ぐらいの小学校3・4年生ぐらいの男の子がいたのだった。
その子は、すました顔で私に向かって
はいよ!
っと言って私に鞄を渡した。
それは確かに私の鞄ではあったけれど、そのカバンには
課題で必要な書籍は入ってなかったのだった、
ありゃ、そのカバンじゃないんだな・・・
っと私が想った瞬間に、
それじゃ これ?
ってその子は私の目の前で、私が手に入れたかった鞄を出現させたのだった。
そして彼は
ほら、こうやるのよ、ここでは想ったことが、想い浮かべたように
想ったようになるの・・・
と言ったのだった。
***************
この夢で、
私達の意識を囚われの状態にしているものは、肉体ゆえの重力だけでない
っということが私にはわかった。
現実の中で飛べると信じるかどうか、ということが重要ではない。
夢の中で飛べること、水面を歩くこと、瞬間移動すること、
欲しいものを思い浮かべるだけで、
掌におさめることができるっと、”知ること”が重要なのだ。
但し、これが夢の中で自在にできるようになるには訓練が必要であろうと思う。
夢の中では自由自在っと豪語している私も、
いざ夢の中で何かを探そうとすると、、、現世の理にこだわるのだから、
言うのと、やるのは大違いなのだ。
現世では肉体とともに、時間と空間にも我々は縛られているのだが、
夢の中では肉体も、時空のあり方も イコール 意識のあり方 なのだ。
意識が自由自在、変形自在であればあるほど、
姿かたちも、時空も無限に広がっていける世界である っというのが夢(異次元・思念の世界)の通念なのだ。
私の助っ人さんとも言える、オチビさんは
夢の中で、私にそれ(夢・異次元での通念)を教えてくれたのだと思う。
少し前にも
意識が変形自在 であるためのことについて触れた
1.心をぬるま湯につけておいて、できるだけ感情を動かさないようにする
2、現象・事象を、幸不幸など相対的にみないこと
3、日々を、時間を、瞬間の連続という意識ですごしてみる
っと書いたのだが、このことに関連して次回は、
夢と現の連携・脳みその働き ということについて触れたいと思う。
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