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”まったき闇の世界と、まったき光の世界”
っという両極端の世界を、わたしは見てきたように思う。
以下この二つの世界について記し、思うところを述べる。
<まったき闇の世界>
まったき(完全なる)
闇の世界をみたとき、わたしは高校2年生で17歳と9ヶ月だった。
まったき闇の世界をみるきっかけになったのは、
ある手術だったが、その手術をうける半年程前から、
わたしは病気を苦に、生きることに絶望していた。
このあたりのことは過去の記事にしているので記さない。
***
手術は予想されていた時間を、大幅に引き伸ばし終了した。
手術後わたしは、ベッドの上で両親と姉と笑いあっていた時間もあった。
そして、陽が落ちて、母以外の家族のものが帰ってしばらくしたあと、
ベッドの上に座っていたわたしは、突如息を吸えなくなった。
窒息していく苦しみは、2分もなかったのではないか?と思う。
意識を失いながら、わたしは自分が死へ向かっていることを”はっきりと意識”していた。
***
意識不明のち心肺停止といわれる状態の中で、
わたしが意識?を取り戻したのは、
ものすごい音量の雑音によってだった。
それはラジオやアナログテレビのフェレカンスがあわないときの雑音を、
最大ボリュームにして、すぐ近くで聞くような音のためだった。
窒息の苦しみはなくなっていたし、身体を失ったわたしは、
その恐ろしい大騒音を耳で知覚していなかった。
私はその音に、耳ではなく、脳?をつんざかれながら、
大騒音のトンネルを長いこと?くぐっていったようであった。
そしてその大騒音のトンネルをくぐった先にあったのが、まったき闇の世界だった。
***
わたしは物心ついた頃から、真夜中の暗闇で、両目を閉じて、両手で覆ったとしても、
閉じた目の裏側、あるいは脳裏に浮かぶ世界は、まったき闇ではなく、
そこには、黒は黒、闇は闇でも濃淡のある空間が広がり、
また万華鏡をみるよに、移り変わる文様やイメージの世界が広がっているのを知っていたのだが、
(ご興味のあるかたは是非お試しあれ。)
そのときに見た世界は、どこをどのように目?を凝らしてみても、
真っ暗な闇しか広がっていなかった。
その闇とは、真昼間の陽光の照らす世界から、突然トンネルにはいったとき、
まったくなにもみえなくなる瞬間、
あの瞬間が、ずーーーーっと連なっているような世界だった。
しかも、意識、感覚を澄まして、わたしの周囲に何かないか?
っと、知覚しようとしても、そこには、まったくなんの気配も感じられなかったのだった。
動いているものは私の意識だけで、私の意識だけがまったき闇の世界の中で
ポツンと宙に浮かんでいる(漂ってはいなかった)ようだった。
***
わたしはその時に、ああこのままでは本当に死んでしまう ということを悟った。
死に近いところにいるのだろうということだけは、知っていたけれど、
そのとき思考し、知覚している意識をもっていたわたしは、
まだ自分の体が心肺停止していたことは、しらなかったから。
わたしはこのままここに居ても、決してだれも、何も、
わたしをこの本当の意味での、真っ暗闇の世界から救ってくれるものはない
ことを悟った。
そうしそのままこの死の中に、とどまらなければならなくなることを察知した。
その状況に及び私は、まだ死にたくない、まだ私は何もしていないじゃないか!
っと神のような存在へ向けて叫び始めたのだった。
死の世界へ向かって、自分は進んでいることを、
私は窒息した時から理解していたけれど、それに対する、
驚きや戸惑いはあったが、私はここへ至るまでの間、死への恐怖を抱いていなかったのだった。
***
その次に私が意識を取り戻した時、私は自分の肋骨が漬物石を振り上げ、振り下ろされ、
強く押しつぶされているのではなかろうか?っと思われる、息苦しさと激痛を感じた。
眩しい電灯の中に、たくさんの医師がわたしを取り巻くように、浮かび上がってきた、
私は己の状況を判断する前に医師の数を数えていた。10人いた。(本当は13人だったが)
そして私は自分が一糸まとわぬ姿でその中央にいて、掃除機の筒のようなものを、
咽喉のかなり奥の方にまでつっこまれ(呼吸器官を確保するため)、
ガムテープで止められ、尿道にも管を突っ込まれたのだった。
<まったき光の世界>
まったき光の世界を夢でみたのは、2011(12?)年だったとおもう。
”禊 みそぎ”という詩でその夢のことは記載してある。
光あるところに影があり、影あるところに光あり・・・
光と影は、片一方だけでは存在しないような関係のものであるから、
おそらく多くの方には信じてはもらえないことっと思っているが、
影の存在しない、光だけの世界 というのがある。
わたしはそこを ふるさと と呼び、我々はいつかそこへ還っていく場所なのだろうと
漠然と、まったく根拠のない確信を抱いている。
***
エッチラオッチラ、フラフラしながらたどり着いた場所は、海岸で、時は干潮。
私の目の前には広々とした干潟が広がっていた。
わたしは、ペダルをこぐと後方に進んでしまう、
なんとも私という人間にそっくりな!天邪鬼的自転車を、
後ろ前に乗車してなんとか操り、ここまでようやく辿りついたのだった。
そしてなおも、疲れきった体に渾身の力を込めてペダルを漕ぎ、干潟を走行していた。
すると突然私の体は上空へとぐんぐん、ぐんぐん舞い上がっていったのだった、
私が飛んでいるというのではなく、上空へ惹き寄せられていた。
あっという間に私の体は、数百メートルの上空へ舞い上がっていて、
眼下には私のふるさとの晴れた海のような大海原が広がっていた。
あまりの美しさだったので、今でもその光景は私の脳に焼きついている。
***
私はさらに上空へと引き寄せられていた。
下に広がる大海原は空を映す大きな、大きな鏡のように私は感じられた。
空からは、青い色は感じられず、ただただ光を放っていた。
その光は無尽蔵であり、また熱を感じず、
そして、これほどまでの光の世界にいながら私は眩しいと感じなかった。
まるで私がその光の中に溶け込んで同化してしまったようだった。
どこまでも高く広く大きな空を、どこまでも深く広く大きな海が、
その空の光を映し、なんの屈折もなく空へ照り返していた。
その空と海の光が重なるところに私はいて、私は光と同化していた。
私がいた空と海の間では、空?の無尽蔵の光は、海の大鏡によって倍どころか、
4倍・8倍・16倍になる、っということが永久に続けられていくイメージが私にはある。
***
そこには 影 というものはまったく存在しなかった。
無限の空間の中を、ただただ膨張していく 光 の世界が広がり、また広がりつつあった。
夢の中で私は、誰かに逢うために、禊 みそぎ をしたかった。
そしてこの海岸に行き着くまでの間、ずっとずっと”水”を求めさまよっていたのだった。
そうしては、いろんな事情や理由から、水を手に入れることができなくて、禊ができなかったのだ。
行き着いた海岸には、逢いたかった人の影はなかった。
空と海の間で光に吸い込まれ同化したとき私は、
ああ、身を清めるものは 水 だけではなかったのだ。
光でも禊ができるのだ っということを知った。
私の 禊がしたい という願いは、光によって満たされた
っと感じたのだった。
**** ***** ****
ここまで記したわたしはふと思う・・・
わたしはなぜこの二つの世界を記したのか?
実は今、こうして記している私にもわからない。
まるでどっかの誰かが記せ っと私を急かしているかのように、
キーオードをタイプしているだけで、この後どんな言葉が飛び出てくるのか、
この瞬間にまだ私は知らない。
***
この二つの世界のことを”天国とか地獄とか”人は、昔から呼んでいたのかもしれない。
しかし私は思う、この二つの世界は、実はまったく同じ場所なのだろう っと。
それではなぜ、片方はこれほどまでの闇が広がり、
もう片方は光に満ち満ちているのだろうか?
それは、これをお読みくださった方おひとり、おひとりが、
御自身の胸の裡に問いかけて、答えを見出してくださるのが一番良いと私は思う。
ひとつだけ記せるのは、
この両極端な世界に於いて私は、まったく同じように 宙(そら) に在ったということ。
ただし、 宙 にいるときのわたしの意識はまったくの両極端だったために
両極端な世界を、みてきたのではなかろうか? っと。
私なりの言葉でこの両極端の意識を表現すると、
闇の世界で宙に在ったとき私は、”みずから孤立”していたのだろう。
そして
光の世界で宙に在ったとき私は、”おのずから同化”していたのだろう。
っと思う。
そしてそのキーワードとなる言葉は、
”委ねる”ということではないか、と私は感じている。
***
完全なる服従(帰依)が、完全なる自由とイコールになる世界。
そこは、相対関係というマヤカシの呪文は、完全に雲散霧消し、
ただただ無尽蔵の光だけが、どこまでも無限の空間に広がる世界・・・
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