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3/42月にNYパフォーマンスが中止になってから、三位一体プロジェクトのダンスの振付がいまいち乗らなかったが、7月のI先生のダンスの発表会で1曲は出すので、3月に入って先生にハッパをかけられてしまった。振付は無意識の形を取り出せばいいのだと思いつく。意識の形だけでは具象的すぎて面白くない。これこそ無意識のところからわいてくる形を身体で表現するのだ。音楽がまずそういう芸術なのだから。音楽に自分を委ねて引き出されるものを素直に踊ってみよう。3/64曲目の"鳥葬"、プレッシャーで一日ため息をついていた。しかし必要に迫られて具体的に振付し始めた。イメージは以前から変わらないものの、出だしが今までと違った振りを思いつき、それはいいと思う。3/7"鳥葬"はできるようでなかなか出来ない。イメージすることと、実際の曲に身体がついていくこととが別になる。まだうまく流れていない。しかし前の3曲だって、すんなり流れるまでには随分悩んだり試行錯誤したりした。だから"鳥葬"も今は苦しいし、プレッシャーで気が重くてもこれもすべて活かされると信じて創り続けよう。3/9発表会の稽古は全体的に、かなり本格的に進んでいる。今回、先生の指示で有無を言わせずバレエ作品に1曲出ることに(汗)なかなか振付が覚えられなかったが、最近やっとわかってきたところ。コンテンポラリーの振付もだいぶ進んだ。最初思っていたのと、まったく違った方向にストーリーが進み、意外だった。そして途中の振りから、多分とても重要な役柄を与えて頂いたようだ。"鳥葬"はできてる部分だけ、しかも不完全ながら見せたところ、意外と好評でほっとした。先生がアドバイスを下さり、なかなかいいからちゃんと創りなさいと励まして下さった。続きが楽しみと言ってくれるメンバーがいたりして、嬉しかった。3/18夜、集会室を借りて"鳥葬"の振付をした。鏡もあり、静かで集中してやれた。これまでなかった、また新たなイメージや振りがわき、楽しくなった。"鳥葬"の振付の一部には先日読んだ「影の現象学」の影響を受けていることに後から気づいた。例えば右手で左手をつかむ仕草を入れたが、二重身の現れの典型だ。ある意味、あの本を何故今読んだのか、またそれまでイメージはあるのに"鳥葬"を何故なかなか振付できずにいたのか、何となくわかる気がしてきた。変遷がわかる気がする。"空とぶ詩人"は最初に振付けたが、あれはこれまでの自分そのものだ。スタイルといい、雰囲気といい。それは決して悪くはない。先生もすてきだと言って下さった。しかし、例えば前回の発表会の作品からあまり変わりがないような気がした。そして"零の世界"では、より自分の特性を出そうともがき、少しそれが出せたと思う。なかなか面白いものになり、先生も気に入って下さったようだが、独立した1曲にしてはちょっと曲が短めで、内容が薄いかもしれない。3曲目の"血の祭礼"では、布を使って踊ってみた。稽古で見せてみたところ、反応はいまいち芳しくなかった。打楽器だけでメロディがなく、変拍子だらけの難しい曲だったので、とても時間がかかった。けっこう思い通りのイメージに仕上がったと思っただけにかなり落胆してしまった。布を活かすことにとらわれ、結局自分の特性は活かせなかったようだ。そして一番最初に曲が決まり、振付もやりたかった4曲目の"鳥葬"にやっと辿り着いた。今までの自分を超えなければ、自分も周りも納得の行く作品にならないのだろうと、今なら思える。自分の何かを打ち壊したり、自分本来の、でもこれまで出せていなかったものを取り出したり、そうしたことが必要なのだろう。それには時間、気づき、インプットなどが必要だったのだろう。今は何とか流れ始めてきて、とても面白く感じている。
2014.03.18
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昨夜ぼーっとしていた。頭の中を一日のことや気になることやダンスの振付などが膨大に巡っていて、何もできずにぼーっとしていた。もったいない時間とも思うが、私の"ぼーっとする時間"は、実はちっともぼーっとしていなくて、脳が情報処理をしている時間なのだと改めて気づいた。だから必要な時間なのだ。他の人はどうなのだろう?Hちゃんはそんなのちっとも実感がわかない、その感覚はわからない、と言っていた。そして私がときどき自分の中で、自分が誰かに対してずーっと語りかけているときがあって眠れなくなったりするが、そんなのもありえないと言われた。それらは私の場合、こうして書くことで吐き出して整理して落ち着くのだろうと思う。言語化して、経験や考えたことを自分の中におさめるのだろう。ぼーっとするとき、多分、ぼーっとして意識上のものごとたちが無意識のほうに落ちていき、やがて混沌とした無意識の沼からぽっかりと何か別なもの、何かの答えなり、新しい価値観なり考えなり、或いは創造物などが浮かんでくるのを待っているのだろう。創造の泉がわくときは本当に楽しいし、何か気づきや発見があるときは充実感を味わえる。恐らくぼーっとしている状態は、自分自身は白紙にして、思い浮かぶ想念をそのまま自由に泳がせるに任せ、目覚めていながら夢を見ているようなものなのだろう。創造や気づきに絶対不可欠なものなのだろう。「影の現象学」を読んで、本当にそれが実感できる。そして、それでいいのだ、と改めて思える。昔から時間の感覚が人より遅く、よくぼーっとしていてマイペースで人に怒られたり、迷惑かけたり、プレッシャーだったり、つらいこともあったけれど、それは創造や気づきなどの、私を根本から形づくるものに必要不可欠なものだったとすれば納得もいくし、多少つらかったこともしょうがないと思える。
2014.03.03
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