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伊賀市にある旧成瀬平馬屋敷門 外堀の内側に遺っている門なので伊賀市で遺っている個人の門としては一番高石の武士の家だと思われますが永らく個人所有でしたので手入れが行き届かすやっと五年ほど前に市所有になり市指定にし保存活用の方向に向かっているようです。やっと案内の材料の一つに出来るようになりました。 上野市ふるさと景観指定ということは指定されたのは十年以上前に 指定されたのですね、当時はまだ個人が住んでいたと思うのですが。 これから修復を重ねるのでしょうが人が住んでいて遺ったのは奇跡的 なことですし場所も良いので大事に遺してほしいものです。
2016年03月25日
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伊賀市山出の勝因寺の本堂正面の不断咲きの椿の木 寺伝によれば唐から帰還された空海上人が実植えされた椿とのことでこの椿は 三十数年前に倒れた木の根元から新しい木が生えてきたそうですがその先代の木 も四五百年経っていたそうですのでその木も二代目だったようです。 空海さんが大同元年(806)唐から帰国し大和から伊勢への途上当地に逗留、 虚空蔵菩薩坐像を彫刻されたとのことでそれを本尊として当寺を開創されたよう です。 小天狗清蔵が中心になって鋳造、寄進された梵鐘慶長十七年(1612) 小天狗清蔵は同じ伊賀市内でも1598(慶長3)年銘の敢国神社鉄湯釜や 1620(元和6)年銘の猪田神社鰐(わに)口(ぐち)等があげられ、奈良や 京都にも小天狗銘の梵鐘がいくつか見られる。 晩年、彼は勝因寺に隠遁(いんとん)し、1632(寛永9)年に亡くなった。 墓は同寺にあり、山伏姿の肖像彫刻が伝来している。木造彩色像で、右手に経巻を 持ち、左手には錫杖(しゃくじょう)を執って倚坐(いざ)する姿である。もとは伊賀 市内の愛宕神社にあったものといい、明治初年に勝因寺に移された。 小天狗清蔵の墓 閼伽井(あかい)の井戸跡 伊水温故に「閼伽井あり空海これを穿(うが)つ」とある井戸で閼伽井とはサンスクリット 語で神に捧げる供物のこと。 残念ながらこの井戸は再建されたもののようです。
2016年03月14日
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伊賀街道の中瀬地区の東の端に中之瀬磨崖仏が彫られています。花崗岩の岩壁に五つの仏が刻まれている、初めに中尊像が立体的に彫られその他の像は線刻なので中尊像が平安時代でその後、他の像が刻まれたと考えられています。 その中瀬から東に行くと平田宿があります。 旧大山田村には、平松宿と平田宿のふたつの宿場がありました。 平田宿は上野へ2里(約7.8km)、今の上阿波である平松宿へ2里2町 (約8km)というほば中間地点にあります。これは上野、上阿波の宿場間が長すぎるので、1653年に平田も宿に 指定されたといわれています。平田宿は、馬継ぎの宿でもありました。今でも営業している梅屋さん、鯉料理の時は梅家さんで宿屋は梅屋さん と分けていたようです。 同じ平田宿にある植木神社 植木神社の名前のいわれはその昔他の地にあった神社が洪水で流されたため再建を図る土地を探して榊を植えていったところこの地に根付いたことのようです。 伊賀街道は伊賀と津を結ぶ街道ですが途中に長野峠があり天正伊賀の乱の時 第一次はこの峠を越えて攻めてきたのに第二次はこの峠越えはなかったのを 不自然に感じていて調べてみると長野峠から東には藤堂藩が出来るまで津に 向かう道はなく南の久居方面に向かう道しかなかったのとのことですので 織田信雄が第二次は遠回りを避けたのでしょう。
2016年03月02日
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