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俳聖殿、伊賀上野公園内松尾芭蕉生誕300年を記念し、上野公園の敷地内に昭和17年(1942)に建立されました。2008年3月19日に三重県の登録有形文化財に、2010年12月24日には国の重要文化財に指定されました。俳聖殿、厨子内の伊賀焼き芭蕉像屋内に安置されている、等身大の伊賀焼の芭蕉座像は、毎年10月12日の芭蕉翁の命日に、ここで行われる『芭蕉祭』でのみ公開されていますが語り部の会の研修で特別に見せていただきました。俳聖殿 附 (つけたり) 厨子、棟札、門、が国指定文化財に指定さています。その一つ厨子の中にこの芭蕉像があります。芭蕉翁の旅姿を表現して建立された建物で、丸い屋根は旅笠、「俳聖殿」の木額が顔、八角形のひさしは蓑と衣姿、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表わしています。厨子の上部に 心柱(しんばしら) が見えます。五重塔もこの 心柱があり地震に強い構造になっています。像の台座は伊賀焼きで出来ています、外側の八角円堂と同じ八角台座です。初層は法隆寺夢殿を参考に八角堂とし、中央の八角厨子には芭蕉座像を安置する。外観はえ芭蕉の旅姿を建築として表現し、上層の屋根は芭蕉の笠、下層の屋根は蓑を着た肩から腰の姿、堂を取り囲む柱は杖とも脚とも見立てられるという。設計は川崎の意見をもとに島田仙之助が当り、築地本願寺を設計した建築家として初めて文化勲章を受賞した建築学者伊東忠太(いとうちゅうた)が指導を行った。棟梁は地元の森本源吉です。 下層平面は伝統的な八角円堂で、外周に吹放しの孫庇を設ける。床は石敷で、化粧屋根裏(けしょうやねうら)を見せ、身舎(もや)には八角厨子(ずし)を据え、芭蕉座像を安置する。上層は円形平面とするが、実際に利用するものではなく、小屋組が露出し、下層からは梯子で出入りする。柱や繋梁(つなぎばり)、二軒(ふたのき)の扇垂木(おおぎだるき)、組物の肘木(ひじき)など主要な部材には丸太を使用し、屋根は勾配や軒出を順次変化させてうねらせるなど、お堂や宮殿の伝統的建築である堂宮建築(どうみやけんちく)を基礎にしながら、数奇屋風(すきやふう)のくだけた意匠を採り入れた自由な扱いがなされている
2016年06月27日
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伊賀市上野公園にある「みわさん」と呼ばれる祠 奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の分詞されたものだと言われています。 もしかするとこの伊賀上野公園にあるものでは一番古いものかもしれません。 大神神社は出雲大社と共に先住民、教科書的にいうと縄文人の神社ではないかと言われて います。 特に井沢元彦氏が 「出雲大社は大怨霊オオクニヌシを封じ込めた神殿である」(逆説の日本史1古代黎明編、小学館) 滅ぼしたオオクニヌシを丁重に祀らなければならなかった。三輪山がその例である その丁重に祀る例として、大和三輪山の話を挙げられています。滅ぼしたから丁重に祀るために、大和に大物主(大国主神とほぼ同神、と私も思いますが諸説はあります)を祀ったのだ。中国に似たような例がある、とされています。 三輪山は伊勢国多気郡の斎宮と同緯度にあり、天照大神を祀る伊勢神宮は 奈良の桜井市から 転々と移動し、現在の地に落ち着きましたが、 この伊勢の地は、明日香と同緯度です。 飛鳥から日の出を拝むと、自動的に太陽神である伊勢神宮を拝むことになります。 この『逆説の日本史』を読んだのは二十年以上前でしたが成る程なと思った覚えがあります。
2016年06月19日
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