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名張川と黒田川の合流地点 手前が黒田川、向こうが名張川 この地点は古代の歴史に登場します゜ 646年に発せられた大化の改新の詔(みことのり)には、 「およそ畿内とは、東は名墾(名張)の横河より以来(こちら側)」 とある畿内国最東端だった所です。 カメラの位置がその地点ということになります。 後に藤原鎌足となる中臣鎌足が、蘇我入鹿を討ったと される有名な暗殺 事件。世に知られる「大化の改新」は、その事件後に行われた政治 改革 のことであり、事件自体は「乙巳(いっし)の変」と呼ばれていて翌年 だされた大化の詔が 大化の改新の始まりと近年の教科書でもされています。 橋がかかっているのが名張川 672年の壬申の乱のとき日本書紀は、 [夜半に及び手て 隠(なばり)の郡に至りて 横河に及らむとするに、黒雲有り。広さ 十余丈にして天に経れり。] とあります。横河とは名張川と黒田川の合流地点つまりここだったと思 われます。 ここより伊賀を北上し兵を募り伊賀の地名が 伊賀の駅家( 古郡地内か ) 伊賀の中山、 蕀萩野(たらの伊賀市荒木?) 積殖の山口(柘植地区) と五カ 所ほど出てきて 柘植地区では高市皇子と合流したり 伊賀と歴史が結びつ く時代です。 ここの橋は黒田橋、南からの川は黒田川です。
2017年05月28日
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芭蕉講座 2017/05/21 [高浜虚子の芭蕉観」講師 三村純也さん ホトトギス系の「山茶花」主宰 虚子が芭蕉をどう観ていたのかを主題にした講座で、師匠の正岡子規が 芭蕉を評して新聞に駄作が多く神格化されていると書いたことは知って いたので弟子の虚子がどの様に芭蕉を評価していたのか興味があったの で出席した。 まず最初に虚子は芭蕉を評価していて、花鳥風月を詠む花鳥諷詠を吟詠 していてワビ、サビだけではなく客観写生をしているとして、そこから 自分自身の客観写生を肯定しているという説をとっていました。 写生を言い出したのは正岡子規でその観点から芭蕉の句を駄作が多いと していたのですが、これも近年は子規の早とちりで芭蕉は連句の発句が 残っているので描写が連想、発想させるもので具体的ではないけれど、 それで駄作というのは早とちりだというのが説ですが、晩年は子規も 虚子と連句をしていて芭蕉の評価を変えているふしがあります。 そして2日後に「松尾芭蕉と井原西鶴」という講演も行って来ました。 作家の北村純一さんが講師でした。 この人は伊賀市出身なのに大阪市立大卒なのでか井原西鶴に心酔してい てそのあまり芭蕉をあまり評価していなくてむしろ否定的でちょっと ビックリしました。 わたしから観たら偏見ともいえるもので西鶴の勉強にはなりましたが 芭蕉の勉強にはなりませんでした。
2017年05月25日
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