伊賀へいらっしゃい
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竹島氏城跡 東西100m南北120m規模の山城。築城年代は定かではないが室町時代には築かれていたとされます。伊賀市愛田字構谷2116の竹島氏城は、「愛田公民館」を目印に行きます。愛田公民館横の道路に「竹島城跡」の案内があります。この案内版横の路地を入り丘陵先端に進みます正面の小山が城跡で、ここから歩いて行くと、城跡への案内標識が随所に出ているので、それに従うと辿り着けます。愛田公民館前の句碑 この左に案内版があります。「這い出でよ飼屋が下の蟾の声」(はいいでよ かいやがしたの日置弾正 ひきのこえ)奥の細道、尾花沢で詠まれた句です。飼屋とは蚕室のことです。蟾はヒキガエルです。地区とは直接関係が無い句のように思うのですが何か意味が込められているのでしょうか。会員の方からの指摘で蟾(ひき)は日置が(ひおき、ひき、へき)と読まれることから日置氏を想起させることからのようです。途中、崖が崩れた跡が在ります、地元の方にお聞きしたところ伊勢湾台風で崩れ芭蕉姉の墓石が現れ出たそうです。その墓碑がは現在、松栄寺の墓地にあります。その跡を進むと獣除けのゲートが在りますが開けて頂きました。少し登ると左の山側にこの説明版案内標識と句碑が在ります。芭蕉句碑「眉掃きを 俤にして 紅粉の花」(おもかげを おもかげにして へれにのはな)この句も奥の細道の尾花沢で詠まれた句です。案内標識の左へ行くと土塁があり虎口が見えます、それを入ると城郭跡の台地周りの土塁上に出ます。土塁上に石碑が在り「古城址 うちつへ春の 夕陽さす」地元の俳人の句のようです。堀切の土塁が切れている北側虎口、高さ2m程あります。城郭跡の台地、土塁上から撮っています。見渡せて開放感があります。この左側の北側土塁上には城址碑まであります。竹島城は室町期に北畠顕能に属した竹島景義にて築城したといわれます。竹島氏は平宗清の子、日置氏の一族で 竹島氏城は日置氏の一族である竹島景義によって築かれた城です。1581年(天正9年)に起きた「第二次天正伊賀の乱」では城主の竹島右衛門が「春日宮山の合戦」で討死しています。 芭蕉の姉は一人だけで甥の桃印が息子とされますが桃印は五、六歳位から松尾家で養育されました。桃印が江戸で結核になり病状が悪化した時兄が芭蕉に手紙で久居に知らせるかとたずねた折、要らぬ心配をかけるだけだから知らせないでと、返信しています。母は久居に居ることになるので説が分かれます。
2023年04月29日
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