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国宝 三日月宗近(みかづきむねちか) 東京国立博物館2022年展示国宝 三日月宗近は、平安時代に作られたとされる日本刀(太刀)で天下五剣の一つ。日本の国宝に指定されており、東京国立博物館に所蔵されている。伊賀上野文化産業城展示脇差 銘 伊賀国宗近 年代 永正元年(1504)六月日わきざし めい いがのくにむねちか えいしょうがんねんろくがつひ所有者 財団法人 伊賀文化産業協会三重県指定種別 有形文化財(工芸品) 刃長33.0cm、反り0.8cm。茎部の表に「伊賀国宗近(いがのくにむねちか)」、裏に「永正元年六月日」の刻銘を持つ。 この脇差に見える「宗近」は、伊賀の刀工集団に受け継がれた名前で、現在の伊賀市音羽付近がその根拠地と考えられている。初代の「宗近」は室町時代の初め頃に活躍するが、本刀はその2~3代後に制作されたと考えられる。 本刀で特に注目されるのは、刻銘の存在である。現存例が少ない「宗近」の作品において、制作地の「伊賀国」、刀工名の「宗近」、制作年の「永正元年六月日」と具体的な活動を示す情報が多数盛り込まれている。また本刀は、保存状態も良好で技術的にも優れており、「宗近」の作風について雄弁に物語っている。 これらのことから、本刀は美術工芸品としての価値はもちろんのこと、中世伊賀国における刀の時代基準として極めて重要な資料といえる。三条宗近を有名にした能の演目「小鍛治」 ある時、霊夢をみた一条天皇(980~1011年)は勅使の橘道成(みちしげ)を刀匠として名高い、三条宗近のもとへ派遣し一条天皇の命で、刀をつくることを依頼したが、相槌は自分と同じ技量をもつ者でないと造れないと断ったが、道成もおれないので困った宗近は稲荷明神にお詣りした。すると不思議な少年が現れ剣に関する中国の故事やヤマトタケルの神話を話し相槌は自分が務めるので待っているようにと言い遺し稲荷山へときえていった家に帰ると稲荷明神の狐の精霊が現れる相槌を打つことになった。そのおかげで剣は完成し勅使に引き渡すことがこ出来た。その剣には「小鍛治宗近」と「子狐」の銘が彫られ名剣「子狐丸」として語り継がれることになった。三条宗近については伝説的な要素が多く史実とするのは難しいが、伊賀にも三条宗近の話がある。弘法大師が掘りあてたともいわれる井戸江戸時代の菊岡如幻の「茅栗草子」に一条天皇の時代小鍛治宗近というものが、京都白河橋の北に住んでいて、優れた刀を造るけとで知られていたが、ある時流浪の旅にでて伊賀国音羽にやってきて偽名を使いそこに住み音羽某氏に仕えた、刀鍛冶の技術で包丁を作り音羽氏に献上したてころその包丁で野菜と一緒に火箸も切ってしまったことに気付かず音羽氏に出してしまった音羽氏が気付きどういうことかと調べ宗近が凄腕の刀鍛冶であったことが判明した。その後宗近は上野の西清水、現在の福居町に井戸を掘り立派な刀剣を作り暮らしたとされます。同じ内容の話は旧阿山町が昭和55年に刊行した「故さとの歩み」にもあり建武年間の刀匠宗近は島ヶ原の生まれで音羽にやってきて野鍛冶となったとる。音羽の南には砂鉄のとれる層があり刀作りに適した土地とされる。阿山町「故さとの歩み」昭和55年刊行 包丁岩伝説 建武年間(1333)「故さとの歩み」の中に里住人が宗近の腕を試そうとあの大岩を切れるかと罵ったところ宗近は持っていた包丁で一刀両断にしたという。以来その岩を包丁岩と言う。昭和58年に阿山中学校の教師、山崎万里子氏が編纂した「阿山町の民話、伝説をたずねて」では一条天皇の時代の話として岩は菜切岩と呼び、昭和まで道路脇にあったとされるが道路拡張の際撤去されたという。阿山町「故さとの歩み」の話のみ南北朝時代(14世紀)とされるがの「茅栗草子」「阿山町の民話、伝説をたずねて」は一条天皇(1000年前後)の時代とされる。三条宗近と伊賀の宗近建武年間には音羽は伊賀の代表的な刀鍛冶の里とされその中で「宗近」の名前が見られる、伊賀の宗近の作、伊賀上野文化産業城展示の脇差は、平安時代の三条宗近とは時代が百五十年程後の作で別人とされる。伊賀の音羽では一条天皇の時代から500年ほど宗近の名前が遺っているどうやら伊賀では代々、宗近を襲名していたようだ。 菊岡如幻の「茅栗草子」で移り住んだとされる伊賀市上野福居町、清水谷(しょうずだに)に伊賀の刀工、宗近が掘り使ったとされる井戸。
2023年12月14日
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