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伊賀市依那具の三主の城依那具は古代朝鮮語の、鉄を表している説が有力。川沿いの地で砂鉄が採れたのだと思われます。依那具 三主の城伊賀十二人衆の一人、依那具荘地頭:小泉左京、一族の砦群と思われる。その三主の城への登り口国道から登ってすぐ右側に平地が城山城跡、右側に城山城跡への登り口城山城跡の平地崖の下は国道422号線(青山街道)城山城跡(しろやましろ)北の城城跡(きたのしろ)狭間城跡(ざまじょう)三主の城跡と呼ばれるが全て小泉左京一族の砦と思われます。北側へ向かい真っすぐ途中、祠がありそれの左を通過鉄塔の標を右にそこが北の城城跡北の城跡台地電力会社の鉄塔中部電力管内の地ですがどうゆう訳か関西電力の鉄塔です。引き返し西側に高い土塁がカルデラ蹄鉄(ていてつ)状に遺っているのが狭間城跡です。土塁に登ると壮観です。横が空堀になっていて土塁に登るとこの見晴らしです。
2024年02月25日
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本日の伊賀市上野日南町にある松本院という修験道寺院で行われた節分星供(ほしく)祭りの模様です。コロナ禍中はあまり盛大に出来なかったので久しぶりの数珠を回す「百万遍大念珠繰り」が行われた。長さ23mの大数珠繰りが行われました。今年は人数が40人程でしょうかここ数年十人程で数珠廻りも行われなかった年もあったので久しぶり盛況でした。星供とは一年の災いを除くため、各人に定められた「本命星(ほんみょうじょう)」「当年星(とうねんじょう)」等の諸星を祀る法要で、一年の始まりの節目である節分に行われます。松本院は、伊賀市上野地区にある多くの寺院と同じようにように藤堂高虎が今治から移封された時、祈願所として同行、のち真言宗、醍醐寺三宝院の修験道寺院として1616年、開山しました。最初は、天満宮の北側あったようですがその後、寺町の大超寺南に地福院としてありました。その後三之町筋、紺屋町、正宗寺西隣にうつり寿福院としました。享保十三年(1728)紺屋町を立ち退き現在の地、日南町に移り松本院となりました。真言宗醍醐派寺院の多くは檀家を持たず、広く一般市民からの参拝者が多い寺院で気軽に参拝したり、本堂にて気軽に護摩参加出来ます。檀家制度の信仰心を持たず形だけの礼拝の場所としての寺は必要ないとしています。豆をお配り戴き全員で豆まき、これも今年久々に撒かれました。
2024年02月03日
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