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さて、旅の疲れも取れたところで徐々にアンカラ滞在記を更新して行きたいと思います。今回はイスラム入信記。ムスリムになるのは手続き的にはとても簡単。2人のムスリムのWitnessの前で、”アッラー(神)のほかに神はなく、ムハンマドは預言者であることを証言する”と言えばそれでおしまい。モスクでなくてもどこでもできる。もちろん変化としては大きいので、私はそれなりに入信前・後がはっきりするような形でしたかったので、彼の手を多少煩わせ、アンカラにある宗教オフィスに行ってその手続きをしました。このオフィス、このブログの扉のページにあるKocatepe Camiiのすぐ横にあります。入信をはじめイスラムに関するいろんな業務を幅広くやっているようでした。3月17日の金曜日、が私の入信の日です。毎月17日が私たちの出会った記念日であること、そして金曜日がイスラムにとっては大事な曜日であることからこの日に決めました。まずオフィスに彼、彼のお父さん、彼のイエンゲ(彼のお母さんの弟のお嫁さん)とともに行き、必要書類に諸事項を記入。これは彼がさくさくと私の代理で記入してくれました。記入欄には英語もあったので別に私でもよかったのですが、気づいたらやってくれていたのでおまかせしちゃいました。:)項目としては名前、父親の名前(トルコらしい・・・)から始まって、住所、国籍、入信の理由、以前の宗教、教育レベル、職業、もしつけたいなら好きなムスリム名、等を記入します。これらはそこが発行してくれる入信証明書に記入されます。必要なものはID写真5枚。その証明書のコピー5枚分が警察等にも提出されるらしいです。なんに必要なのかは不明ですが・・・。ある噂によると、この証明書がないとメッカへの巡礼にいけないとか。(真偽のほどは定かでない)その書類の記入が終わって、しばらく待ってから、その宗教オフィスの副館長?みたいな人のオフィスへ。しばらくイスラムや信仰告白についての簡単な説明、心構え等を説明され、それからその彼の前で、先に書いた文言を言いました。別に一人でも言えたけど(つよがり?)彼が少しずつの文節(?)に区切って、私の後について言いなさい、って言ってくれたので、そのようにしました。そのあと、彼がお祈りの言葉を言ってくれ、みんなでファーティハを唱え、どうもどうも、とオフィスをあとにして終わりました。:)なのであっという間のあっけない出来事でした。そのあと証明書をもらい、オフィスをあとにしました。最初にモスクでお祈りするならKocatepe Camiiがいいなあ、と漠然と思っていたのですが、その夢がかない、オフィスを出たあと、ムスリムとして最初の祈りをKocatepe Camiiでしました。特に生活が急激に変わった、ということはまったくなく、その前日の続きの当日、そして翌日だったのですが、なんとなく肩にのってた重りが降りたような、そんな気分でした。なーんだ、そんなもんか、と期待を裏切るようなあっさりの入信記でした?まあそれまでの右往左往のことを考えれば、実際に入信するときは穏やかでよかったよなあ、と思ったりもします。結婚関連の書類に宗教を書く欄があるのですが、以前はなんて書こう?なんて心配してましたが、心を込めてイスラム、と書くことができ、別に結婚するために改宗したわけではないけれど、とりあえずほっとしました。(あ、別に何教であってもトルコ人と結婚するのに手続き上なんの問題もないですよ。誤解なきよう・・・)
2006年03月29日
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昨日の晩、再びこの地に帰ってきました。アンカラも日常、ここも日常。まったく違った生活環境に飛行機でひとっとびで移動するって何度やっても面白いです。でも、”帰ってきたな~"と感じるのはやはりすんでる時間が長いここなんですが。2週間の滞在、最後の方はもういろんなことが同時進行して朝から晩まで予定ぎっしり。ベッドに入れば3秒で寝息をたててる生活でした。その分書きたいことも沢山あるので、徐々にさかのぼって更新して行きたいと思います。以下ダイジェスト版:結婚関係の書類も全部そろい、あとは会場と日程を決めて提出するのみ。これは思ったよりスムーズに行きました。会場と日程はあと一息。今週中には決まりそうです。(インシャッラー)ドレスは受け取り彼宅に保存中。就職関連は論文をちょっと手直ししてそれから正式に応募する予定。これも今日明日中にする予定。(インシャッラー)いくつか新たな出会い(アンカラ在住の土日カップルのAさん夫妻、ここの友達のご両親等)もあり、そして以前からの友達にも会え、とても楽しく有意義な時間が過ごせました。もちろん夜は親戚めぐりも。胃が2倍ほどに拡張しました・・・。イスラム入信記も近いうちにアップしますね。***シカゴでの7時間の待ち時間を乗り越え、昨夜12時近くに帰宅。今日は10時から授業(今学期はティーチングアシスタントなので)に行き・・・。今夜も良く眠れそうです。:)
2006年03月27日
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今日2つ目のセミナーを終えました。1つめよりは緊張しなかったけど、やっぱり多少はナーバスに。プレゼン自体は始まれば終わりまであっという間なんだけれど。1つ目は老舗の大きく古くからある大学で、2つ目はまだとても新しい大学。ある意味とても対照的でした。セミナー自体は自分自身が楽しめたのでOKとします。良いセミナーだったよ、とみんな言ってくれたけど、悪かった、と面と向かっていう人なんていないから、あまり参考にならないのですよね。どう評価されたかは未知数ですが、いろんな教授に会えて楽しかったです。特に今日行った大学では同じ分野の教授がいて、将来一緒にプロジェクト等やりましょう、といろいろ話してきました。まずは第一歩、といったところでしょうか。まだ正式にアプライもしてないのですが、良い結果が出るといいなと思います。どうなることやら。・・・セミナーそしてインタビューが終わっても緊張が抜けきらないのか、なんだか精神的に疲れております。カラオケにでも行って発散したい!、というわけでタイトルの”カラオケに行きたい!" でした。
2006年03月22日
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ウエディングドレスがギネスものなのではなくって、選ぶスピードが、ということなんですが。昨日親戚のおばさんが知っているクズライにあるウエディングドレスのお店に彼とそのYengeと行ってきました。今回の滞在はあと1週間。そして次回のアンカラ入りは結婚式の直前になるかも、ということで、仕立ててもらうのではなく、出来合いのドレスを購入することにしました。そのお店は各種ドレスを出来合いの形で置いてあり、後は体系にあわせてウエスト等を調節してくれます。カタログを見てもいまいちどれが自分にあっているのかイメージがわかず、10分もカタログ見てればすべて同じに見えてきて、とりあえずそのお店にあるのをいくつか出してもらいました。5つ6つ出してもらったところで、この中だったらどれがいい?と聞かれ、1つ選び、それをとりあえず試着してみることに。ただハンガーにかかっている状態だとなんともイメージしにくいんですよね。で、そのドレスを試着。ものの3分ほどで着せてもらって、試着室の外に出て鏡で見てみる。最初は自分がウエディングドレスを着ていること自体がとても新鮮で、ほー、私もついにこの白いドレスを着ているのだなあ、と感慨にふけっていたのですよ。間髪をいれずに、お店のひとがささっと髪をあっぷにして、髪飾りとベールをつけてくれて、手にはブーケもどきと結婚式でもらうゴールド等を入れるための可愛いバックを持たせてくれ。おー、なかなか似合うではないか(ウエディングドレスは誰が着ても似合って綺麗に見えるようにできているものですが)、なんて感動して、彼もそのお店のおばさんたちも口々にほめてくれて、その気になって。で、結局それに決めてしまいました。:)他のものは1着も着ないで。他のお店も全然見ないで。まあ、それほどこだわりがない、ってのと、そのドレスがとても気に入ったってのと、首周りの傷もうまく隠してくれるようにはからってくれる、ってのと、ドレス、ベール、髪飾り、ブーケもどき、腕につけるやつ、そしてバックが全部込みで結構お手ごろな値段だったのとで、他のを見てないのでちょっと迷ったけれど、結局は即決してしまいました。全部でものの30分くらい?彼は絶対飽きると思って、読む本まで用意していたのに出番なし。ウエスト等を調整して、最終的な出来上がりが水曜日だそう。むちゃくちゃスピーディーです。さらに、そのお店の向かいのお店が靴屋だったから、ついでにドレスに合う靴ももう購入してしまいました。ヒールが低くってシンプルなやつを探していたのですが、それも丁度そこにあって即決。いろいろ心配していたのがうそみたいに、あっという間にすべて終了。私らしくって良いかな、と思ってみたり。これからもすべてがこんなにスムーズに行くといいのだけど。
2006年03月19日
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日曜日にアンカラに到着してすでに4日ちょっとが経過しようとしています。早いなあ。彼は普通に仕事なので、普段はうちでお留守番してるのですが、彼の授業・会議等の合い間をぬって結婚に必要な手続きを徐々に進めています。結婚に必要な書類を全部集めるのは、スタンプラリーのような作業。まず最初にするのは結婚のための健康診断をやっているクリニックに行って、2人とも2種類の血液検査を受けます。その結果がでるのが普通1週間ほど。結果が出たら、この2人が結婚するのに問題はありません、というような2人のID写真つきの書類を出してもらいます。ここでID写真1枚ずつ必要。値段は1種類の血液検査はトルコ人11リラ、外国人50リラ、でした。もう一種類はまだ受けていないのでわからない・・・。私たちはそれから日本大使館に行って、婚姻用件具備証明書、という書類を申請しました。これを出してもらうのには、3ヶ月以内に発行された戸籍抄本か謄本とパスポートが必要です。申請用紙は大使館でもらえます。日本大使館初めていったのだけれど、本当に日本の大使館の建物だ~、といった感じの建物でした。白いタイル張りの四角い建物。どんな建物なんだろう!と楽しみにしてたのですが、なーるほど、と妙に納得。早ければ当日、大抵は翌日の朝10時発行です。値段は17リラ。さてさて、それをもって今度はそれを承認してもらいに別のオフィスへ。”日本大使館には何度も言ってるのに、サインがいっつも小さくって見にくいんだよね”と文句を言われるも、1時間くらい待って無事にゲット。これは1ページいくら、と値段が決まっていて、1枚だったので14.60リラ、でした。日本大使館の方、もっと太いペンで大きくサインしてください・・・。・・・と今のところこんな感じ。肝心の式場は相変わらずの状況。工事に入るってとこにまた電話してみたのだけど、また、4月に電話してくれ、といわれる。8月一杯には工事は終わらせる予定ではいるけれど予約はまだ受け付けていない、とのこと。不完全燃焼・・・。結婚関連はいまのところこんな感じです。明日、コジャテペジャーミの近くの宗教関係のオフィスに行ってシャーハダ(信仰告白)してきます。そのオフィスに電話したんですが、どうも要領を得ないのでちょっと心配なのですが。すべてうまくいきますように・・・。その後報告はまた週末か来週にでも。昨日、私がいる学部を卒業して去年もそこでサバティカルをした教授に会いに行ってきました。彼はかなりの人脈をもっていて、彼を知っていることはかなり大きいなあと。アンカラに着く前に彼にメールしたら、もしプレゼンテーションをアンカラの大学でしたければアレンジできると思うよ、との返事が。今の段階でプレゼンするのが最善かどうかちょっと迷ったのですが、せっかくのチャンスなので、お願いします、とお願いしたところ、昨日会いに行ったときにはもう2つの大学でのトークをアレンジしてくれてました。というわけで来週アンカラの大学2つでプレゼンです!準備しなきゃ~。すっかりナーバスになってます。おそらく今の時期のプレゼンはすでに就職活動の一環としてみなされると思うので、これで失敗するとかなりやばい。気合入れてがんばります。自分の名前がその大学の経済学部のトップページにセミナー情報として出てるのを見て、ちょっと(かなり?)びびってます・・・。うまくいきますように・・・・。というわけで、のんびりバケーションのはずが、突如就職活動へと変わりました。さてどうなることやら。こうご期待!あ、来週ドレスも見に行く予定でいます。もう盛りだくさん!いいドレスが見つかるといいなあ・・・。
2006年03月16日
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早朝5時に出発し、JFKまで2時間飛んで、そこで8時間半コネクション待ち。(遅い便が全然あいてなかったんです・・・)それを乗り越え(机に突っ伏して寝てました・・・)9時間半のイスタンブルまでのフライト、さらにイスタンブルで2時間ほど待って1時間の飛行の末、アンカラまで到着しました。今回はJFKでの待ち時間のせいで、Door to Doorで26時間くらいかかりました。飛行機の中で8時間、ってならまだ前に進んでるわけだから耐えられるけど、空港での待ち時間が8時間は正直きつかった。しかも早朝フライトだったから結局1睡もしてなかったから余計に。でもその他のフライトは快適でした。というか食べてるとき意外はもう爆睡。JFKまでのフライトでは離陸前からずっと起きずに寝続けてたものだから、降りるときに出口のとこでフライトアテンダンスに”Good morning!"といわれてしまいました・・・。普通は”Good bye"なのに。ははは。JFKからのフライトはなんと予定時刻より15分早く出発したんですよ。こういうとこはトルコ人のせっかちさがプラスに作用している?トルコ航空でのフライトって、かならず着陸した瞬間(飛行機の足が地に付いた瞬間)に立ち上がって荷物とろうとして、フライトアテンダンスに、すわって~、と叫ばれている人が1人はいませんか?今回もいました・・・。前回もいた気がします。飛行機からの降り方って結構国民性がでていて、私の知っている数少ないサンプルの中ではアメリカ人が一番整然としていると思います。前の列から順番に。荷物を上の棚から下ろしている間も後ろの人は待っている、みたいな。トルコ人はとにかく我先に。日本人のフライトはどうだったかなあ。意識してない、というところに自分が日本人だということを感じますねえ。JFKからの今日のお隣さんは、エジプト人のおじさん。チリに住んで、カーペット、ジュエリー等のトレーダーをやっているそうで、イスタンブルへは仕入れに2ヶ月に1回はきているそう。チリからイスタンブルってかーなーり遠いですよね?チリーJFKでもかなりかかると思うのに。奥さんがチリ人なんだそうな。今、チリでもベリーダンスの教室がかなりはやっているらしく、ベリーダンスの衣装や装飾品が飛ぶように売れるのだとか。ラテン系のやるベリーダンス。どんな感じになるのだろう。でも腰の使い方とかはラテン系の踊りにちょっとつながるとこがある?・・・とまだついて数時間しかたっていないのにずらずら書いてしまいました。彼が今日中に提出しなきゃいけない論文の仕上げに取り掛かっているので、私は眠ってしまわないように、ここで遊んでいるわけです。:)ここにきて、ほんの数時間も(数十分かも)たつと、あたかもずーっとここで暮らしているかの錯覚に陥るんですよ。何もかもがなんだか自然で。毎日話しているから当たり前なんだけど、彼ともいつも一緒にいたかのような感じ。毎回起こるんですが、不思議な感じです。というわけで、再びアンカラ滞在日記の始まりです!
2006年03月12日
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ふう~。卒業まである2つのハードルのうち、1つを無事越えることができました~。Candidacy Examと呼ばれる、博士論文を半分くらい終え、残りの半分どんな事をやるのかをプロポーズする口頭試問、が今日終わりました。無事にパスでき、ほーっと一息。2時間の時間中、自分の発表は10-15分。残りの90分ちょっと、5人の教授たちの質問攻めにあうわけです。口頭試問は日本の大学院の修士論文の時に経験しましたが、あれよりずーっとタフでした。最後のほうは、もうやめてくれ~~、と、顔に出てたと思います。最近忙しかった理由がこれのための準備、だったのです。(の割りにはよく更新してほうぼうのブログへ頻繁におじゃましていましたが)10日間でがーっと90ページ位の文章を仕上げ、発表のスライドをつくり、想定される質問の答えを考え。まじめな学生はこつこつとこれらをやるのでそれほど一気に大変になったりしないのでしょうが、いつもLast Minuteな私。精神的にかなり疲れました。(たいした仕事しなくっても、朝起きてどっと疲れてる感じ)でもいいアドバイザーに恵まれたのも大きく、実際、今日の試験も楽しく感じられたほど。質問に答えるのに、チョーク片手にばりばり黒板にいろいろ書いて説明したら、こういう試験は珍しい、と言われましたさ。:)試験は1時からだったのでお昼とはかぶりませんでしたが、一応、ベーグルとマフィンをおいしいパン屋さんに朝から買いに行って、飲み物も用意して。お腹すいていらいらな教授を相手にするより、お腹一杯でのんびり教授を相手にしたほうが良いですからね~。ひとつ問題は、たくさんいろいろプロポーズしてしまったため、夏までに卒業は難しいだろう、といわれたこと。自分次第なんですけど、まあ、予定通り夏結婚して、秋学期に卒業でもいいかなあ、なんて思い始めました。卒業式も出たいしなあ。まあまあ、とりあえず、明日トルコに飛んで、今後の事をいろいろ決めてきたいと思います。楽しみだな~。では、いってきま~す!
2006年03月11日
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たまにすべてのことをネガティブに考え、これからやろうとしていることがすべて達成不可能に思えるときがある。突然今日それがやってきた。朝、目を覚ました瞬間から。こういうモードにはまるともうすべてのことを悪いほうへ悪いほうへと考え、悪循環のスパイラルにはまり込む。なんだかすべてが思ったように進んでいないように思えて、いろんなことをぐるぐる考えて、もう結婚式なんかしなくていい!そんな風に思えた。久しぶりにたくさん涙を流して、彼にも感じていることを話した。たまーにこういうモードになるので、彼も心得たもの。僕は何があってもギブアップしないから。最高の結婚式にできるようにベストを尽くすから。落ち着いてそういってくれた。それでもぐだぐだとくだらないことを並べたててはしばらく泣いていた私。彼は冷静に、それはフェアな考えじゃない、それは詳細を悪いほうに考えてるだけ、と。考えてること、思うこと、感じてること、すべてシェアする同盟を結んでいる私たち。いつのころからか思ってることも全部言ってわかってもらわないと気がすまなくなっている私。すべてはき出した。最後には、”今までで最高に幸せだった出来事を5つ挙げて!”と言いあって、笑いあって、会話を終えた。すっきりした。こういうふうに理不尽なことをいったりしたり、こんなことで泣いたり、彼にあたったり、そんな自分は大嫌いだけど、たまに流す涙はなんだか少しずつ知らぬ間にたまってた心のなかの埃を洗い流してくれるようで、なんだか気持ちが良かった。こんな風になってちゃ彼に嫌われちゃうぞー、と思いつつも、夜中(2時を回ってた)に、せっせとやっていた仕事を中断させても、こんな私に付き合ってくれて安心させてくれる彼に感謝。やっぱり私の人生には欠かせない人だ、とこんなことを重ねるたびに思うのだ。そして、甘えてばっかりじゃあいかんよ、と自分に言い聞かせる。さあ、また共に前に進んでいこう。
2006年03月08日
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今日2本目の投稿ですが(まったく気分的に正反対なような内容だなあ、しかも)、これは記憶が薄れないうちに書いておきたかったので。再びイスラム関連の話です。(宗教的な話が嫌な人はスルーしてください!)今日の勉強会ではGod's Mercy,とその話の一部として災害がなぜ起きるか、アッラーはなぜ災害を起こすのか、と言うことについて話した。もし、地震などの災害で、家族、愛する人、友人等を亡くしたら、私はきっと、なぜ、彼・彼女がこのタイミングで、まだやり残したことも沢山あっただろうに、逝ってしまったのか、逝かなくてはいけなかったのか、とずっと悶々と考えてしまうでしょう。そして神の存在に思いをやり、”なぜ?”と問い、その神の”所業”に恨み言を言ってしまうかもしれない(アスタグフィルッラー)。トルコ人のひとりがとつとつと、トルコ大地震が起こったときの事を話し始めた。彼女は被害がひどかったところに住んでいた。夜中にひどい揺れが起き、目をさまし、周りがそんなにひどいことになっていようとは、夢にも思わず、外に避難した。夜中だから暗闇なんだけど、さらに建物が倒壊した時巻き上げた粉塵が空を覆い、暗闇をさらに暗くしていたと言う。外に避難してきた人たちはみんなパジャマ姿で、呆然としていた。金持ちもそうでない人も関係なく、ただ何が起こったのだ?と呆然と。当然電気も止まり、ガス、水道も止まり、あたりはただただ暗闇。・・・そんな絶望的な時間がずっと続くかに思えたとき、夜が明けはじめた。そしてその日もその前の日と変わらず、日が昇ってきた。あたりが明るくなってきた。電気や近代的なものが何一つ機能しない中、日が昇る、という、普段、当たり前だと思っていたことが、どんなにありがたかったことか。彼女は、最後は当時の記憶がよみがえってのでしょう、涙をこらえながら、そう話してくれました。(私を含め数名もらい泣き・・・)普段、ただ単に当たり前にそこにあるもの、毎日普通に起こるもの、と思っていることのすべてが、偉大なCreationの一部なんだ、と再認識した瞬間でもありました。(脱線:私はビッグバンを始めとする宇宙・地球の成り立ち、そして進化論はイスラムにおけるそれらの説明に矛盾しない、と考えています)そういった実体験に基づいた情報とともに、災害の意味、を考えてみました。大きくわけて災害をアッラーが起こす理由は3つあるそうです。1.その災害が起こった時点では見えにくい、ポジティブな事柄が災害の発生には含まれている。災害を生き抜くことで学ぶこと、近い人を亡くすことで苦しむけれどその苦しみから得られること、またその災害で明らかにされること(トルコで言えば不法建築の現状を明らかにすることで今後の再発防止に努める等)、などがこの項目に含まれるのだと思います。人間は、困難を乗り越えることで強く、成長するものです。乗り越えられない困難を神は与えない、というのは最近では良く言われることですが。災害を目の当たりにすることで試練を与えられ、そして乗り越えることでその試練を乗り越える、という意味があるといいます。2.災害はその現場にいなかった世界のそれ以外の場所に生活する人間にとっても”テスト”となります。これはいかにその災害にあった人たちを支援していくか、ということに現れてきます。金品のサポートから精神的なサポートまで。すべてがここに含まれてくるでしょう。イスラムではザカートと呼ばれる喜捨がムスリムがしなければいけない義務項目のひとつに挙げられています。その義務を遂行できるか、というのもテストなわけです。3.・・・・・書いてたら思い出すかと思ったけれどやっぱり思い出さなかった・・・。プレゼンテーションのファイルが送られてきたら加筆します・・・・。中途半端でごめんなさい。私はまだ頭ではわかっていても感情がついていかないので、もし何か起こって身近な人を亡くすような事があったら、”なぜ、どうして”っと問い続けるでしょう。今日も、そういう風に考えしまうのだけど、と言ったら、ひとりが、ぽろっと、命を与えるのも、与えた命を取るのもアッラーのすること、とつぶやいた。この世界は一時的なもので、この命も、体も与えられたもの。というより、一時的に責任を持って使いなさい、と言われ預かっているもの、なんですね。なので死は、単に、それらの責任を全うし、”返却”する、ということ。災害も、病気も、不幸なことも、すべて意味があって起こっている。そして日常の、あたりまえ、とおもっていることがすべて、God's Mercyのなせる業、だということ、そんな事を再認識した良いディスカッションデでした。私が”死”をしっかりと受け止められるようになるのはまだまだずっと先のことだと思うけれど、”生”の意味を考えることで、少しずつ理解を深めていけたら、と思う。
2006年03月06日
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昨日、大学時代からの4人仲良しグループの一人Nが結婚しました。式にいけなくって本当に残念でした・・・。こういうとき、遠くにいるのが悔やまれますよね。日本で結婚式に出たのはいとこのとあと友達カップルのときのたった2回!結婚式、大好きなのになあ。昨晩、2:30AM, ベッドに入り読み物をしていたとき、突然携帯が鳴り出しました。こんな時間に誰だろう?また例の間違い電話かあ?なんて思いながら見ると、どうも日本から。この瞬間、ひょっとして、と思ったら、やっぱりNの結婚式に出席している親友Rからで、”ちょっとひとことNにお祝いの言葉かけてあげて~”と!電話しようと一度は考えたけど、タイミングがわからないので(厳粛な式の途中にじゃましたくなかったし)あきらめていた私。そんなRのあったかーい心配りに本当に感謝感謝です。そして、しーあーわーせーオーラたっぷりのNの声を聞けて、そしておめでとうをいえて本当に嬉しかった~。N~、末永くお幸せに~、R~、そんな素敵な機会くれて本当にありがと~!おかげでとっても幸せな気分で眠りにつくことができました。やっぱり良いニュースは本当に幸せな気分になれますよね~。結婚、出産はもちろん、そのほか、彼ができたよ~、とか仕事がうまくいったよ~とかもっと日常の嬉しい出来事の知らせ、とか。朝起きたときに、なんだか嬉しい気分だぞ、なんでだろ?って考えてそういう嬉しいニュースを思い出して、またにんまりしたり。30目前、クラスメートもどんどん結婚していきます。先週末にも、高校の剣道部時代の友達が結婚しました。今日その写真へのリンクが送られてきたのだけれど、本当に幸せのおすそ分けをいただいた気分!それにしても、いつも剣道で”かっこいい・勇ましい”姿を見慣れていた彼女の白いウエディングドレス姿をみてなんとも不思議な感覚を覚えちゃいましたよ。:)すごーく綺麗で(もともと可愛い人なんですが)輝いてて。ちょっと照れてるのがなんともかわいかったなあ。(なんかおやじくさいコメント?)私はいったいどんな花嫁になるのだろう?(花嫁、と言う言葉を自分に使う時点ですでに違和感を覚えているぞ、私)どうなることやら、こうご期待!
2006年03月06日
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最近、航空券が異様に高騰していると感じません?今回トルコに行くのに買った航空券、920ドル。アメリカ某都市ーJFKーイスタンブルーアンカラの往復。トルコ航空。出発が11日で帰りが26日。春休みだから、といわれましたが、去年は絶対もっと安くいけた・・・と思って去年の記録(購入記録のメール)を見てみると、640ドル!同じくJFK経由でアンカラまで。出発が10日で帰りが21日。ほぼ同じ時期。(あ、でもこれはトルコ航空ではなくデルタでした)300ドルも違いまっせ!いくらガス代があがってるからとはいえ、300ドルは上がりすぎ。便乗値上げ?チケット代は700ドルしないのに、税金が250ドルくらいするってのも痛い。母が日本ートルコ間のチケットを夏のために調べてくれたのですが、これも福岡ー成田ーイスタンブルーアンカラ往復で税込み20万円以上。トルコ航空ですが・・・。あらー、そんなにするのですか・・・。ここから夏にトルコまで行くと大体1200-1300ドル(トルコ航空)なので、日本からも15,6万でいけるかと思っていたのに。甘かった・・・。まあ、福岡ー成田間が入っているので多少あがるのはしょうがないのですが。距離的にはここから行くのも福岡から行くのもほとんど変わらないと思うのに。航空券の値段決定メカニズムって本当にどういう風に計算されているのか一度見てみたいです。もちろん需要ー供給、コストが関わっているわけですが、どうにもその他の要素・ノイズが多そうで、複雑怪奇、謎多き分野です。
2006年03月05日
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BBSにコメントいただいたYildizさん(断りなく突然登場させてしまってすみません・・・)に改宗後の変化を教えてください、なんてリクエストして、ふと、自分の今の状況をのちのち忘れないように記録しておこうと思い立った。実は、2月の頭に、自分の中で大きな変化があり、今月トルコに行ったときにイスラムに改宗することにしました。以前の日記に、アメリカ人の友達でイスラム教に改宗した人に”どういった瞬間に自分は改宗する準備ができたと思った?”と聞いたら、”ある日ふっと、あ、準備ができた、ってわかったのよ。ただ、そうわかったの。そういう準備ができたら、理屈ぬきにわかるものなのよ”という答えが返ってきた、と書いた。その日記を書いたほんの数日後、メッカから帰る人々を乗せたエジプトに向かっていた船が紅海で沈没した、と言うニュースをここに書いて、その後、死についていろいろ考えてた。そうしてたら、突然、自分のなかでたかーく築いてた壁ががらがらと崩れ落ちて、それまでじっくりゆっくり、時に抵抗しながら学んできたイスラムがすーっと、乾いた砂に水をかけたときのように、心に染み渡ってきた。人生の意味や死について考えることは普通にするので、その日特別何かしたり考えたりしたわけじゃなかったのだけど、その瞬間、ああ、これだ、"This is it..." と思えた。宗教を変える、特になんちゃって仏教徒の私からしてみれば、”変える”ってほどのことでもないのだけど、ある意味新しい価値観をまるごと受け入れる、と言うのはとても勇気のいること。いくらみんなの助けで1年ちょっと勉強してきたとはいえ、知らないことのほうが断然多いものをこの段階で受け入れてしまってよいのだろうか、受け入れて大丈夫だろうか、正直不安だった。しばらくは自分の中にその決定を心に秘め、”とりあえず”お祈りを始めてみることにした。イスラムのお祈りってとってもインパクトがありますよね。お祈りしている友達や彼の家族を見るとビクッと立ち止まっていた私です。なにか立ち入れない、特別な儀式、そんな風に感じていました。お祈りの手順や唱えることは以前に調べていたのですが、覚えてはいなかったのでおっきいカンニングペーパーを手にお祈りをしてみました。するとですね・・・これが”気持ちが良い”のですよ。こんな風にたとえると怒られちゃいそうですが、ストレッチをして体が軽く気持ちよくなる感じプラス心の中から負の部分が消えて心も軽くなる感じ、がするのです。自分のことを振り返って、負の気持ちや行動を反省して、自分のやるべき事をしっかりやっていかなきゃ、と再確認し、それらができるようにサポートしてくださいと祈り(図々しいなあ・・・私)、今いる状況、いろんなことに感謝して、そして、大切な人々が健康で幸せに今日も過ごせますようにとひとりひとりの顔を思い浮かべ名前を唱えながら祈る。心の迷いがあれば、答えをください、シグナルをください、と祈る。研究につまったり、ストレスを感じたり、意味もなくいらいらする、そんなとき祈ると、祈り終わったとき、すっきりさっぱりなって、またがんばろう、となれるんですよ。ちょっと”毒抜き”のような作用もあるなあ、なんて勝手に思ってるんですが。お祈りの効果が一番感じられたのが、月のものがめぐってきたとき。この期間はお祈りはできないんですよね。なので4・5日、祈れなかった。そしたら、とたんにムーディーになって彼にまたいろいろと愚痴をいってしまいましたよ・・・(大抵遅々としてすすまない結婚式準備と彼のお母さんのことなんですが・・・恥)。一日に何度も自分を振り返り祈る、という行為をすることは私にとってはとても大切な一日の要素になりました。心がより平穏でいられる気がします。ボーンムスリムではない私は、何か”イスラム”をしないとムスリムだと(まだ正式には違うけど)認識できない。お祈りは絶対必要な要素ですね。また別の改宗した友達が改宗者へのアドバイスとして、不完全でもいいからとにかく祈る時間を毎日作ること、よいムスリムの友達をつくること、を挙げていました。やはりイスラムの要素が生活にないと自分の中のイスラムをキープすることがより難しくなるのだと思います。まだまだ、えーこれは?と思うようなことにぶちあったたりするけれど、ゆっくりゆっくり今までと同じように学んで答えを探して生きたいと思います。以前に、コーランは読む人によってつかみ取れる内容がちがう、と書きました。自分の変化前後でそれが顕著にわかって本当におもしろいです。今まではネガティブな部分ばかりを拾って、じゃあこれはどうなわけ?と否定的に読んでいました。いまはその要素が薄まって、ほかのメッセージが浮かび上がってきた感じがします。まさか自分がイスラム教徒になるとは(いえ、正式にはまだですが)夢にもおもっていませんでしたよ! 小学生のときに私の苗字からアッラー! とからかわれていたときもありましたが、まさかそのアッラーの宗教の信者になるとは。私が最初に本物のイスラムに触れたのはインドネシアに行ったときでした。はじめてアーザンを聞いて、はじめて早朝からお祈りする人を見ました。次にイスラムに触れたのは日比谷だかどっかでやっていたインターナショナルフェスティバルに行ったとき。見ず知らずのムスリムのおじさんが突然やってきて、”私が言う次の言葉を一緒に唱えなさい!" 言ってきたのです。彼は信仰告白をするときにいう2センテンスを言わせようとしたんですね(もちろんあとになって意味を知ったのであって、そのときは意味を全然しりませんでした)。途中まで言って、ん?意味もわかんない事を無責任に言ってはいかんな、と思い直しやめたのを覚えています。そして、次に出会ったイスラムがイスラム教徒の彼との出会いでしたね。彼から改宗しろと言われたことは一度もないのですよ。知ってくれたらうれしいな、って感じでした。結婚を決めたときも特になにも言われなかったし・・・。(彼のお母さんはいろいろ言ってましたがね・・・ってしつこい私)人生、本当に何があるかわからない、ですね。しっかり楽しんでます。:)自分の中で、自分の変化を受け入れ、確信したとき、まず両親に改宗するよ、と電話で話しました。母はまたも寛容で、”それがあなたが一番良い選択だと思うなら”と言ってくれました。まあ、随分長いこと彼とつきあっているので、彼女なりに覚悟はしていたかもしれませんが、私の決定をいつものように尊重してくれて嬉しかったです。父は、いつものように、ああそうか、でした。照れるのかあまり感情を外に出さないんですよ~。そして彼に報告。そして親友に報告。そしていつもの勉強会のメンバーに手紙を書いて報告しました。なんとも照れくさかったのと、感謝の言葉をすべてちゃんと伝えたかったのとで手紙と言う手段をとりました。”家に帰ってから見てよ~”と念を押して :)みんなとても暖かい言葉・反応をくれて、これまたすごく嬉しかったです。・・・というわけで今に至ります。アンカラには12日に到着予定。2週間の間に結婚の書類をそろえ、健康診断して、式場を決めて、ドレスも決めて採寸してもらって、国内結婚式後ツアーのアレンジをして、そしてシャーハダ(信仰告白)をして、と盛りだくさんな内容になる予定です。すべてスムーズに行きますように・・・インシャッラー・・・。
2006年03月03日
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平均に関してのジョークを二つ。あるアメリカのコミュニティーにおいて、いかに子供たちの教育に力をいれているか、そして成果を挙げているかを説明する時に使われる文言・・・このコミュニティーではすべての子供が平均以上の出来です!・・・平均ってじゃあどうやって計算されているんだろう・・・?もうひとつ同じ原理のジョークは最近のお気に入りのジョークのページ、その名も "PhD Comics"のひとつ。(このページ、院生には特にすごくお勧め。あ~わかる~、というコミックが盛りだくさんです)このページの最初のコマ・・・博士課程は平均的に5年で終わるって言われているけど・・・誰も7年以下で終わった人を知らない!伝説の平均値。なかなか笑えます・・・・ 笑ってる場合じゃあないか!?
2006年03月01日
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