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彼がジムでよく会う音楽学部でヴァイオリンを教えているという教授が、彼に家のコンピューターがウイルスに感染したのかなんだかおかしいから見てくれないか、と頼んだのがきっかけで嬉しい事を知った。コンピューター自体は別にウイルスに感染していたわけではなく、逆にアンチウイルスソフトを3つも入れていてそれぞれがいろんな動作をブロックしていたことがあやしい動作の原因だったらしい。その教授宅には小学生くらいの女の子が2人いるという。2人とももちろんヴァイオリンを習っている。彼が、“僕のフィアンセもヴァイオリンを小さいときからやってたのですよ”といったことから、ヴァイオリンの、そしてクラッシックの話になったらしい。で、その教授が修理(?)のお礼としてその彼自身も出演するオーケストラのコンサートに招待してくれたのだ。曲目は(具体的に聞くのを忘れたけど)モーツァルト、ショスタコビッチ、それからトルコ人作曲家のErkinの各ピース。すごく良かったと彼が言っていた。そのコンサートは実は4月5日から開催されているアンカラフェスティバルの1つのプログラム。アンカラフェスティバル大学のオーケストラが結構頻繁にコンサートをやっていたのは知っていたけれど、アンカラにも音楽祭があったとは!感動・・・。文化水準低いよな、とか勝手に思っていたのだけど、私が知らなかっただけなんですね。ごめんね、アンカラ!見直したよ~。子供(ってまだいないけど)にもヴァイオリンを習わせたいと考えているので、勝手に先生が見つかった!と喜んじゃってたりもします(迷惑なやつ?)。しかも同じ建物に住んでるし。どこでどういう風にひとがつながっていって、どこで何が役に立つか、本当にわかりませんね。なんだかわらしべ長者みたいな話しだなあ、なんて思ってみたり。アンカラに行く楽しみがまた増えました。
2006年04月30日
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大学時代、まわりが教習所に通っているのを横目に、免許より海外を探索することにお金を使う選択をした私。将来アメリカで安くでとるからいいや!と何の根拠もなく思っていたわけです(留学するずっと前から。誕生日が7月4日だからきっとアメリカに縁があるぞ、と勝手に思ってたし:))。そして時はたち、ここに4年以上もいて頭の片隅でいつも免許免許って考えてたんだけど、結局何もせずに過ごしてきました。そのうちそのうち、と思ってたら残りが少なくなってしまった、ってわけです。が、アンカラにいったら車は必要。毎朝彼に職場まで送ってもらう、ってわけにゃあいかんだろう、と。でもトルコで免許を一から取るのはえらい大変そうだ(トルコ語をまず何とかしないと筆記試験も通らないでしょうから)、ということでここでなんとしても取らなければいけない、とようやく認識。がーっと交通ルール等が書いてある冊子を前夜漬けで覚えてまずは筆記(コンピューターですが)テストを受けてきました。とりあえず、75%正解すれば合格、で88%とって無事合格。コンピューター上でやるので答えたその瞬間に間違いか正解かがわかって、あと何問間違えたら不合格になるかがわかるんですよ。途中からどきどきでした。偶然あってたのも何問かあったし・・・。時間無制限なのであわてることはなかったのですが。久しぶりに緊張した!これで仮免(免許持っている人を隣に乗せて練習していい)をもらえたので、友達に頼んで教えてもらう予定です。どっかひろーい駐車場にでも行って。こんなこと書くとと本当に起こっちゃいそうで怖いけど、慣れるまではぜったいなんだかとんでもないことやらかす自信があるんですよね・・・。不器用なもんで・・・。自分が運転する、ってちょっと想像しがたい。(子供が生まれる、よりも自分に起こることとしては想像しがたい・・・)ちなみに仮免の費用は22ドル(2500円くらい)。そうそう、仮免の事務手続きをしてるときに、突然、臓器を提供しますか、遺書はありますか、と聞かれてちょっとびっくりしました。トルコに行くまでに免許、とれるかなあ。日本で運転してても実技試験落ちる人が結構いるようなので、ちょっとやそっとでは無理そうな気もしますが・・・。とりあえず挑戦、してみます。
2006年04月28日
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春は3日間ほどで、もう半袖で過ごせる夏みたいな季節がやってきました。夏好きの私としては大歓迎、なのですが、毎年、夏がやってきて困ることがひとつあります。日本だとそんなに必要性を感じなかったのですが、ここは日差しが強いのかサングラスなしだとちょっと目がきびしいかんじ。トルコはさらに日差しが強い気がします。なので必要に迫られてサングラスを買いに行くのですが、もう、本当に、これでもか、というくらい、似合わない・・・昨日もダウンタウンに行く用事があったのでついでに見てみたのですが、そうですねえ、30くらい試してみましたが、どれもこれも、ちょっと怪しい - すごく怪しい アジア人に変身させてくれちゃうのです。眼鏡はかつてかけていたのでそれほど違和感はないはずなのですが、レンズに色がつくだけでこうも変わるのか、というほど似合わない。もうこうなったら思いっきりメガネザルみたいなまん丸のでっかいやつでもかけてやろうかと思いましたが、とりあえず思いとどまり、結局どれも買わずに帰ってきました。普通の眼鏡って鼻のところにフィットするように両側に楕円のやつがついてますよね?でもサングラスによってはまったくそれがついてなくって、ただ縁とグラスだけのもの、若干鼻のところに突起がついているものの本当に少しだけのもの、があるんですよ。笑っちゃうことに、それらを私がつけようものなら、もうレンズがまつげにぴっとっとつくくらいまでサングラスが顔に接近してきます。そうです、鼻が低すぎるのです・・・・。1人でそんなことをしてしばらく遊んで、・・・日本で買ったら私にも似合うようなやつがあるかもしれない、と自分を慰めつつ帰ってきました。毎年適当に1000円くらいのやつを買ってひと夏我慢して過ごし、次の年にまた違ったデザインのものを買い、また我慢し、と続けてきたので、今年こそは似合うサングラスに出会いたいものです・・・。彼の従姉妹たちがかっこよくサングラスをしているのを見ると余計に自分が痛いんですよ・・・。
2006年04月23日
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一般的に1人1言語が基本というマルチリンガル教育。でもすごく努力しないとどうしても住んでいる国の言葉が一番勝っちゃうのだと思う。この間3歳半と4歳の両親トルコ人の男の子2人が遊ぶのを眺めていたときのこと。1人の子は現地のプリスクールに行っているので、トルコ語より英語のほうが流暢。私の顔を見るとすぐ英語に切り替える。もう1人の子はプリスクールにはまだ行っていないので生活環境はよりトルコ語だろう。でもテレビを見たりゲームをすることで英語に触れている。この子は英語に比べるとトルコ語のほうが流暢。前者の子が英語で後者の子に話しかけた。後者の子は迷わず、“What?"と英語で答えた。その後も英語で会話してた。両方とも発音はネイティブ。両親トルコ人でもこうなるのだなあ、とある意味感心してしまった。結婚したらアンカラ在住になる。子供が生まれたらどういう風に言語を教えていくか、は他の多国籍カップルと同様大きな問題となってくる。基本は私が日本語、彼がトルコ語に特化してその言語だけを子供に対して使う。その時点の私のトルコ語のレベルによるけど、今のままだとみんな一緒のときは英語、とめんどくさいことになりそう。言葉が出るのは少し遅くなるかもしれないけど、トルコ語・英語に関しては全然心配してない。育っていく中で自然に身につくから。トルコ語が第1言語になってそれを基軸に思考してくれたら、と思う。問題は日本語。基本的な会話くらいはできる程度には教えたい。後は本人の意思にまかせるけど。でも相当徹底してやらないとなかなか身につかないだろうな。私の両親と日本語で会話できるように、将来日本に行ったときに困らない程度に、というのが日本語を教えたい理由だけれど。いかに混乱させないように、楽しく、学ぶか。子供もまだいないのに、考え始めると止まらなくなっちゃいます。
2006年04月21日
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4月17日は7年前に彼と出会ったまさにその日、です。この出会いが私のその後の人生に大きな影響を及ぼしたことはもう言うまでもない事実。いろいろあったよな~、とちょっと振り返ってみたいと思います。(注:長文!)私は交換留学でシアトルにある大学に9ヶ月間滞在していました。クオーター制なので1学期間が約3ヶ月。彼と出会ったのは最後の学期、春学期でした。英語があまりできなかった私。最初の2学期間はもう授業について行くのに必死。予習復習で英語が聞こえない分の授業をカバーしている日々でした。本当に勉強以外何にもしなかった。大学受験の時よりよく勉強してたと思います。3学期目にはいって、授業の英語はほぼちゃんと聞き取れるようになり、少し余裕が出てきて、もうこれで最後のアメリカ生活かもしれない、少しは楽しいこともしなくっちゃ!とスイングのダンスクラスを取り始めました。そしてある日、寮の向かいの部屋に住んでたダンス好きのお姉さん的存在だったアメリカ人の友達が、キャンパスでスイングダンスのパーティーがある事を教えてくれました。日本人の友達も誘って3人で行ってみることに。そう、そのパーティーで、彼と出会ったのです。一緒に踊って、いい人だな~、と思ったので、帰りがけにメールと電話番号交換して。これだけ書くと、結構遊びなれた彼?見たいな印象ですが、とーんでもない。めちゃくちゃシャイな彼にはそれはそれは一大事!だったそうな(後日談)。彼の性格を考えても、よく声をかけてきたなあ、と感心しちゃいます。なにか、目に見えない力が働いていたんでしょうねえ、きっと :)そんな風にして出会って、数日後に彼から電話があって、それから毎晩話すようになって。自然と映画に行ったりディナーに行ったりクラブに行ったりするように。留学生を対象にしたオレゴンコーストへのツアーに一緒に参加したりもしました。一気に親しくなったのですが、彼は5月のメモリアルデーの日に夏のインターンをしにフィンランドへ発たなくてはいけなかったのです。もう今でもメモリアルデーになるとあの日の事を思い出しじわっと涙が浮かんでくるくらい、かなしーい日でした、空港で彼を見送ったあの日。空港からの帰り道もずーっと泣いて(しかも普通のバスの中)、1人寮の部屋へ帰ってきてもずーっと泣いて、もうどうしようもなくなって、向かいのさっき書いた友達の部屋に行って肩を借りて、彼がいっちゃったよ~、とワンワン泣いて。あそこまで泣いたのは赤ちゃんのとき以来!って感じでしたよ~。そして私もその2週間後くらいに日本に帰国。フィンランドとのながーいメールとチャットの日々でした。そしてある日、チャットしていてあることから誤解を生み、なーんとも気まずい雰囲気に。このままではだめになる!と直感した私。翌日にはフィンランド行きのチケットを予約してました。(よく言えば行動派、悪く言えば、あんまり後先考えていない・・・)その夏にある日本の大学院の院試のための勉強していた私。本来なら旅行している場合じゃなかったのだろうけど、2週間ほど彼を訪ねてフィンランドまで行ってきました。誤解をといて、その後は北極圏内に入る町まで寝台列車で北上してサンタに会いに行ったり、ムーミンヴィレッジを訪れてみたり、ストックホルムまで船で訪ねていって白夜、そしてフィヨルドを見てみたり。それはそれは良い思い出です。今考えてみれば、そんな時期に、まだ出会って数ヶ月の彼に会いにフィンランドまで行くなんてこと、よく親が反対もせず許してくれたよな、と思いますね。理解のある親に感謝感謝。無事大学院にも合格し、彼はインターンを終え再びシアトルへ戻ってきて、私たちの日米遠距離が始まりました。まあ、私が学生だったこともあり、春休み、夏休み、と長期休暇は彼のところに遊びに行ってましたね。シアトルからバンクーバー、ヴィクトリアB.C.などまで遊びに行ったのも良い思い出。私は日本の大学院を1年半行ったところで今いる大学院に来ました。(日本の大学院はこっちで修士論文仕上げて口頭試問しに帰国して無事卒業)それからはシアトルー中部某都市との遠距離。自分のキャリアと彼との関係はまったく切り離して考えていたので、大学院を選ぶときに彼の住む町に近い大学、というような選択の仕方はまったく考えなかったのですよね。なのでアメリカ国内だけれど、飛行機で合計5,6時間飛ばなくてはいけない距離でした。それでもやはり国内だと行き来しやすくって、短い休みでも休みの度に行き来してましたね。あのころは航空券も安かったので。そんなこんなしているうちに、彼がトルコに就職して帰ることに。そこから土ー米遠距離の始まり。最初は電話代もかかるし、今までみたいに頻繁に電話できないかも(それまではほぼかけたい放題の携帯で毎日5回は話してましたから・・・)なーんて心配してましたが、Skypさまさま。国際電話料ほぼゼロで前と同じくらい頻繁に話してます。言わなきゃわからない、ぜーんぶシェアする、がポリシーだし、できるだけ“声”を聞いていたいので、すごいメール・電話量になっちゃう私たち。そしてそれが習慣化すると、例えば1日話さない日があるとえーらい長いこと話していないような気になっちゃうんですね。なにをそんなに話すことあるの~、と親や友達にもあきれられてますが。最近ではWirelessコネクションのあるホテルも増えたので、学会で他の国に行っても普通にSkypeで話しているし。本当に遠距離恋愛にとって良い時代になったものです。出会ったときはまだ22でした(若かった・・・)。あれから7年。20代を一緒に成長してきた、という感じ。この7月に30になって、9月に結婚。一緒に過ごし始める30代。どんな生活が待っているのだろう、といまからわくわくします。ながーい思い出話にお付き合いいただいてありがとうございました~!
2006年04月17日
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バッハさんからトルコは軍事予算も高いぞ、というコメントがありましたので、ちょいとそれも見てみました。軍事予算ランキングこの2005年のランキングで見てみるとトルコは12位。ヨーロッパではフランス・イギリス・ドイツ・イタリアに次ぐ順位となっています。毎年かなり変動するみたいですがね、このランキング。戦闘機など単価が高いからいつ何を買うかでぐんと予算が増えたり減ったりするのでしょう。トルコ、年々順位を上げているようですね。あのロケーションだし、軍事費が高くなるのもしょうがない気がします。いつも戦争関係の話になると私は彼に“日本は軍隊がないからね!”と冗談半分でいうのですが、相変わらず日本の軍事費(防衛費、ですか)、高いですね。GDP同様軍事費もアメリカに次ぐ2位だと思っていたのですが、どうも中国に抜かれたようですね。アメリカに頼っている分の軍事費はアメリカ・日本のどっちに計上されているのでしょうか?いまいち誰がどのくらいどのようなコストの負担をしているのか知らないのですが、日本がアメリカ側に払っている分もあるのかな?そんなにお金かけてるんだから、軍事費9分の1の北朝鮮のミサイルがみすみすと日本の領空を飛んでしまう、なんてことはないようにしてもらいたいものです。そうだ、日本って本当にCIAのような情報機関ってないんですか?ないって、すごく不思議だなあ。
2006年04月16日
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地球上に数え方にもよるけど大体192カ国ほど存在する。漠然としたイメージ、でしか知らない国が私の場合は8割以上だろう。トルコももちろん彼と会う前はその中の1つだった。トルコの経済状況他も恥ずかしながらイメージ、でしかとらえていなかった。実は私の中でトルコ経済は結構まだ“途上国”なイメージだったのだ。話はちょっと飛んで・・・学会に参加すると参加費を取られる。これがまた高いのだ。今度7月に日本である国際学会の例を出すと、こんな感じ。OECDの国からの参加者 学会のメンバー:58,500円 非メンバー:68,500円院生、途上国、東欧からの参加者 メンバー:35,000円 非メンバー:37,000円これも4月30日の締め切りを過ぎると1万円ずつほど跳ね上がる。何でこんなに高いんだか良くわからないけど、大抵こんな感じ。もちろん私は院生価格で参加。今回は日本でやるので日本人価格、というのもあって、それはOECDと院生の間の、5万円くらい。これを彼と話してたときに、トルコから参加したらいくらかなあ、とふと思った。私の中でトルコはまだ“途上国”だったので、院生と一緒かなあ、なんて思ってたら、とんでもない!ぜーんぜん知らなかったけど、トルコはOECDの一員。たまげた!OECDは民主主義と自由貿易を掲げる先進国の集まり、ですからね。ちなみにOECDのほかのメンバーは以下の通り。オーストラリア・オーストリア、ベルギー、カナダ、チェコ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、ハンガリー、アイスランド、アイルランド、イタリア、日本、韓国、ルクセンブルグ、メキシコ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、スペイン、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカ、そしてトルコ。数カ国まだ経済的に怪しげな(これもイメージ)国も混ざってるけど、トルコ、このリストの国々に入ってるなんて、すごいじゃーん、と思ってしまった。GDP,国内総生産で見ればトルコは2004年の値で21位。他のヨーロッパの国、オーストリア、ノルウェー、ポーランド、デンマーク、ギリシャ、フィンランド,アイルランド、ポルトガル、より実は上なのです。(ちなみに日本はアメリカに次ぐ2位)ただ、これを人口で割った一人当たり国内総生産でみると65位。国内総生産ではトルコより下のヨーロッパの国々はすべてトルコより上に。トルコの人口は日本の半分強だけど、それでも世界17位(2006年)。(日本は10位)ヨーロッパの国でいうと、ロシアが8位、ドイツが14位でトルコの17位となっています。ヨーロッパの中では人口が多い国なのです。(これもEU諸国がトルコのEU入りに反対するひとつの理由ですよね)。人間開発指標(Human Development Index)という経済+教育(識字率等)+寿命などを総合した指標があるのですが、その指標のランキングで行くとトルコは94位。これを見るとうーん、まだまだだよなあ、という感じ。HDI一番私がショックを受けたのは平均寿命、68.7歳。(日本は82歳)GDPではいい線行ってる!っておもったけど、HDIでは全世界の真ん中くらい。でも年々改善して行っているみたいだから、あげた経済力で教育、医療もどんどん改善していってくれたらなあ、と思いますね。トルコ、まだまだ成長の余地アリ、です。ある意味、夢と成長のエネルギーを感じますね。というわけで、私の中のトルコ経済的に途上国イメージは(部分的に)壊された、というわけです。でも先進国、と呼ぶには国内経済格差が大きすぎるし一般的な賃金も低すぎる気がするのですが。まだ教育、生活、医療の面で改善の余地がたーくさんあるのは事実のようですね。なんだかまとまりのない結論のないサマリーになってしまいましたが。でもこのような数字で国を見るってなかなか面白いものです。
2006年04月14日
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トルコにいっていつも考えるのが、どうやったら人々の交通(運転)マナーを改善できるだろうか、ということ。どんなトラフィック状況なのかというと例1:3車線のところを4車線にして走る =>隣の車との距離が異様に近い =>救急車が後ろから迫っていて道を譲ろうとしても(最初から譲ろうとしない人もいるが)そのスペースがまったくない。例2:とにかく1秒たりとも待てない・停止線を超えて止まる(とにかく0.1秒でもはやく前に進むため)・待つべきとこで待たず先に行って待つ(特に広い道路を左折するとき)・無茶な追越をする・制限速度なんてもちろん無視・車線のルール(これは左折車線など)を無視し、直進なのに左折車線があいてればそっちから行きむりやり直進する・信号が赤から黄色、そして青に変わるときに前の車が黄色で発進しないとクラクションをならす・人が沢山渡ってるから前の車が待っているのに後ろからひどくクラクションをならす =>自分のことしか考えず自分の行動が他人に危険を及ぼすことをまったく考えていない。以上のすべての事を普通に10分間運転しているだけでほぼ全部経験できます。当然衝突事故も多い。アンカラは好きだけど、絶対住んでストレスになるとしたらこの最悪な交通マナー。本当に私の心臓は2分ごとくらいにキューキューとストレスから縮んでます・・・。もちろん全部のドライバーがこんなだ、というわけではありません。でも過半数はいってるだろうなあ。警察? いますよ、沢山。ですが、以下私が目撃した光景光景1:一方通行を逆送してきた車がパトカーの目の前を進んできた=>パトカー、なにもしませんでした光景2:夜の広い道で、140-150キロほど出した車が同じ道を走っているパトカーを追い越していった =>パトカー、なにもしませんでした光景3:無理な追い越しパトカーの目の前でやってのけた車がいた =>パトカー、なにもしませんでしたいっせいに網をはってスピード違反をごそっと捕まえているのを見ることもありますが、それ以外(違法駐車の取り締まりはあるけど)警察が取り締まっているのを見たことがありませんおそらく彼らは違反を取り締まろうが取り締まらなかろうが給料は一緒。余計な労力とリスクを伴ってまで取り締まろうというインセンティブがないのだと思います。(聞いた話によるとアメリカの警察はチケットを切るといくらか報酬をもらえるようになっているのだとか)こんな状況を以下に改善するか、をいろいろ考えてみました。案1:とにかくまずは教育から、ということで小学校で道徳の時間をつくり A.自分の知らない人でも思いやる事を教える B.交通マナーを教え、マナー違反がいかに危険かを教える=>家族で車に乗っているときに、“ババ、それをしちゃいけないって教わったよ”と親に子供が注意し、すこしでもそれが悪いことなんだ、という意識をドライバーに植え付ける=>その子が成長したときに良いマナーをもったドライバーになる案2:警察官がチケットを切るごとに報酬を与える。1チケット数リラ、とか。(ただ、これを導入する際違反していないのに難癖つけられる、ということを防ぐ方策も必要)と同時に、警察・政治家等の汚職を解消する(警察がチケット切ろうとしても、“俺が誰だか知っているか”“俺は**を知っている、チケット切ったらただじゃ済まさないからな”といったやからが結構いるそうな。)案3:選りすぐった人材をシークレットポリスとし、マナー違反の車のナンバーを逐次警察に報告し、その車にはチケットが送られる。(もともと恨みのある人間を報告する、といったような倫理的な問題がおこらないように何らかの方策を取る必要はある)どうでしょうか?他にもっと簡単で効果的な方法はないだろうか、と日々考えております。みなさんが考える改善法も是非披露してください!お待ちしています。
2006年04月08日
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アンカラの日本大使館に行ったときに“海外で困ったら 大使館・総領事館のできること”というパンフレットがあったのでもらってきた。外務省発行である。(以下の話はトルコの大使館限定の話ではなく、在外日本大使館一般、の話し)いろんなケースに対して、大使館ができること・できないことを端的に書いてある。ケースとして、盗難にあった場合、紛失した場合、事故・事件・緊急入院の場合、緊急事態(クーデター、災害等)が発生した場合、行方不明になった場合、逮捕・拘禁された場合、があげられている。できないことがリストしてあること自体、潔くって良いなあ、と思うと同時にいろんなひとがいろんなことを求めて大使館にやってくるのだろうなあ、ということが想像できる。さて、その中で目に付いたのが、行方不明になった家族を探す場合のできないこと:行方不明者の捜索活動。ちなみにできることは1.現地事情にあった捜索の方法、現地警察への照会、捜索願に関する助言2.犯罪に巻き込まれている可能性がある場合には現地警察に対して捜査の申し入れ。大使館内に日本人2人の行方不明者の捜索ポスターが貼ってありました。1人は私と同じ年でもう9-10年ほど前に行方不明になった女性。そしてもう1人はまだ最近行方不明になった男性。それを見た後にこれを読んだのでなんとも複雑な気持ちに。もし、できないこと、が文字通り本当なら、行方不明になっても大使館(=日本政府)は他に照会するだけでたいして何もやってくれない、ってことなんですよね?イラクの人質事件みたいに大々的に報道されれば探し出して連れ戻しにいくけど(まあ、あれは事件だってわかったし居場所もわかったから、でしょうが)、ひっそり誘拐されて行方不明になっても、国としてはあんまりなにもしてくれないということなんでしょうか。現地警察が他国民捜索をどれほど真剣にやってくれるのか知らないけれど、家族も異国で探そうにも難しいですよね。しかも日本国もあんまり助けてくれなそう、って結構怖いシチュエーションではないですか?ああ書いてあるけど、実際は現場に行ったりして探してくれる、っていうのなら話は別ですが・・・。まあ、警察を送り込むわけにも行かないし、大使館員だけで捜索、ってのもリソース的に無理がありそうなのは確かですが。でも、捜索活動は大使館としてはできません!って明文化しているのはなんだかちょっと負に落ちないのは私だけでしょうか。(どうでもいいことなんですが、その欄の挿絵に行方不明になったと思われる人の顔写真のポスター前で両親と思われるひとたちが探している姿が描かれてあるのですが、そのポスターには“WANTED"と思われる(一部隠れているが*ANT**と読める)字が書かれているのです。御用、ってのは間違ってません?せめてMISSINGとかにすべきだと思うのですが)というわけで、皆さん、行方不明にならないように、危機管理はしっかりやりましょうね。
2006年04月06日
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アンカラ滞在にかかせないのは彼の親戚宅訪問。今回はあまり時間がなかったのですべてのお宅を周れませんでしたが、それでも3軒お邪魔しました。ついた当日の夜は当然彼の両親宅で夕食。次の日の夜は私のお気に入りのイエンゲ(おばさん)の家で叔母さんの旦那さん(彼の母親の弟)のサプライズパーティー。そこに彼の家族とあと1家族が集まりました。何も知らないのは叔父さんのみ。ケーキを見えないところで準備して、居間の明かりを徐々に暗くしてったら、当の叔父さん、停電だと思って、大変だ、大変だ、といいながら、あわてて、懐中電灯を取りに行こうとしました。そこで、すかさずみんなでハーピバースデー(トルコ版)を歌いました。停電だと思った叔父さん、とっても可愛かったです。:)その叔母さん一家(14歳の女の子と17歳の男の子がいる)と私は大の仲良し。年が一番近いことと、英語ができるのとで一番いろいろお世話になっています。彼のお母さんとごたごたしたときも彼女の家に逃げ込んで、いろいろ話をきいてもらってました、私 :)いろんなことのお礼に、彼女たちを彼のロジマン(大学寮)に招待して巻き寿司をご馳走しましたよ!みんなで全部ぺろっと平らげてくれて嬉しかったなあ。次に行ったのは彼のお父さんのお兄さん、アムジャのうち。夕食後にお邪魔して、夕飯をある程度食べていったのにもかかわらず、ドルマとかイチリキョフテとかいろいろ出してくれました。このトルコの、夕飯後のティーパーティーってなかなか曲者ですね。量的には夕飯に匹敵する量をいろいろ出してくれるのです、大概。夕飯をしっかり食べていってしまうとかなりつらいものがあります。なので、経験をつみ、夕食後にまだ誰かに会う予定があるときは軽く食べていくようになりました。最後に行ったのがダイユ(エ?)(=彼のお母さんの弟)のうち。とても面白い人で、去年うちの祖母と意気投合した叔父さん。いつも会うと、おばあちゃん、元気にしてる?と真っ先に聞かれます。(祖母も今度行くときはあの面白いおじさんにお土産を買っていくんだ!と意気込んでいるそうです。言葉は通じなくてもなにか通じ合うものがあったのでしょうね:)とっても優しくって人当たりもよく、いろいろ相談に乗ると真剣に一緒に考えてくれる叔父さん。この叔父さんも私のお気に入りのひとり。叔母さんもさりげなく気を使って優しくしてくれて、とっても居心地のよいうちです。その日は息子さんの彼女も来ていて、みんなでわいわい楽しかったです。そうそう、忘れてならないのは彼らと一緒に住んでいるおばあちゃん。叔父さん(そして彼のお母さんの)お母さん。アルツハイマーが少しずつ進行していて、いましたことを忘れてしまうのですが、でもお茶目でなかなか可愛いおばあちゃん。もう、聞きたいこと、いいたいことなんでも言っちゃいます。2時間いたとして、5回は名前、兄弟はいるか、何人いるか、女か男か、妹か姉か、を聞かれます。:)そして、誰かが指輪をしていることに気づくと、誰と結婚しているのか、と何回も聞いてきます。そのたびに私と彼、そして息子さんとその彼女セットで指輪を掲げて見せることに。ちゃんと見せると、二人が一緒に幸せに暮らせますように、とお祈りの言葉を言ってくれるので、みんなでそのたびにアーミン。:)私たちはたかだか数時間しかいないので、こんなことも楽しいことのひとつですが、一緒に住んでいる家族は本当に大変だろうなあと思います。幸いみんな良い人で、特に息子さんのB君とは本当に仲良しで楽しくやっているのでお祖母ちゃんも幸せだなって思います。親戚それぞれ(全部で6家族、うち1家族は在カナダ)いろんな特色をもった家族なんですが、それぞれに暖かくってとても居心地がいいんです。そんな親戚に支えられているから私たちここまでやってこれたんだな、って本当に思います。本当にありがたいことです。
2006年04月04日
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さてさて、今回はアンカラでの結婚式場探しの一幕をレポートしたいと思います。とはいえ、ドレスのときと同じように、通常のカップルの約10分の1ほどの時間で決定されたので、あまり参考になさらないように・・・。かけた時間は合計・・・6時間ほど。訪れた場所は5箇所。先に書いた理想の場所はまだ工事の契約が結べてない状況だったので待っていられずに泣く泣く断念。違う場所を探し始めたわけです。ただ、どこからどう探し始めて良いかもわからず、頼ったのは親戚、同僚、友達。今まで行ったことのある結婚式場でよかったものをいろいろ聞いてみました。まずは親戚の叔父さんのコネのある警察署へ。ええ、警察署の建物とその横に披露宴ができるようなスペースがあるのですよ。政府関係・軍関係の施設は料理はとてもおいしいし値段も安い、というのがトルコの常、で警察署、も例外にもれず。料理もおいしい(らしい=彼談)しお値段もディナーにしてもそれほどかからない。ただそこは披露宴を専門にやっているわけではないので(当たり前ですが)セッティングや部屋の雰囲気があまり気に入らなくってバツ。でもとても真摯に対応してくれメニューまで選んでくれた警察の方々に感謝です。こう、上下があそこまではっきりしている世界ってのは久しぶりである意味新鮮でした。次に行ったのが土日基金文化センター。ここもアムジャが良く来ているらしく館長さんともお知り合い、ということで行きました。土日、ってもちろん土耳古と日本ですよ!土日基金文化センター*注:さくらさくらが流れ出します。画面右上の日本の国旗を押すと日本語表示になります。ここには以前一回行ったことがあって、日本語の蔵書もある図書館があったり、日本語のクラスを開講していたりもします。ここでは日本人に限らず結婚式がよくされているらしく、その様子のDVDを見せてくれました。担当者はいかにも営業、という感じの男性。そこはディナーではなくカクテルパーティーになるのですが、DVDで見る限り、アレンジメントはとても感じが良かったです。その日はその2つ。アムジャ、ついてきてくれてありがとう!その次の日は友達に聞いたアンカラの中心街から車で30分ほどいったところにあるGolbasiの式場。ここには湖があって、式場もこの湖畔にあります。眺めも素敵だったし、アレンジメントもよさそうだったけど、式が日曜日の夜ということもあり、ゲストに遠くまで来てもらうのは気が引けたので、そこはやめにしました。夏の金曜や土曜の夜に式を挙げる方にはお勧めです。とっても雰囲気はいいですよ。次に見たのがMETUのAlulmniセンター。ここも結婚式を専門にもやっている部門があり、(それだけでなくいろんな活動も行われているのですが)プールもあってなかなか素敵なアレンジをしているようでした、が、希望の日程、やその前後、一切空きがなかったので、バツ。最後に行ったのがHacettepe UniversityのBeyaz Evというところ。これは彼の同僚が昨夏結婚式を挙げたところ。ここはすごく見晴らしがよくって、ロケーションは抜群。場所的には一番気に入ったのですが、アレンジメントがちょっと・・・。というのも、まず、バンドをいくつかのチョイスの中から選ばなくてはいけなかったのですが、その値段を契約を結ぶまで教えてくれない、というのです。あと一項目ほどそういわれたのがあって。私たちとしてはこういう機会なので担当の人とも気持ちよくやっていくのも大事、と思っているので、この担当の方にはうーん。あんまり、こう、ヘルプフル、な感じではなかったんです。しかも予約をしたあともバンドに会いに行って決めたりなんだり、いろいろやることが多そうだったので、彼が一人でやらなければいけない今の状況でそれは酷だろうと、あきらめました。私がそこにいて、彼の家族から協力が得られればそこもありだと思うのですが、とりあえず私たちの状況が赦さなかったということですね。景色は最高にいいんですよ。ほれましたから、私。アンカラに行って暇な時間があったら是非行ってみてください。大学の入り口でBeyaz Evに用事っていえば通してくれるし、普段はレストランで食事は大学関係者以外はできないんですが、そのテラスから景色を見るだけでもなかなか良いかと思います。最後までここか土日基金文化センターか迷ってたんですが、結局、協力的で一旦会場が決まればあとは全部お任せできて、フレキシブルで、しかもアムジャのコネもあるから変なことはされないだろう、という利点を取って、土日基金文化センターでやることにしました。日本人割引はないのか、と聞いたら笑われちゃいましたよ~。少しくらい割引してくれたってよさそうなものなのに!割とコンパクトにまとまっているところなので、アットホームなパーティーができるのではないかと期待しています。なにをおいてもゲストに楽しんでもらうのが一番ですからね。土日双方がいい具合に交流できて楽しめる会になればいいなあ。という感じに、またもあっさり(ドレスほどじゃないけど)会場も決まりました。今後アンカラで結婚式をされるかたの参考になれば、と思い具体的に名前を挙げて書いてみました。そんなこんなで、結婚式の準備は8割がた終了!
2006年04月02日
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