2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全8件 (8件中 1-8件目)
1
私は日頃うちのオヤジ(夫)についてひどい事を書きまくっているが、その言葉に偽りはなく1日1回は奴にむかついていることが多い。まあそれも、自営業ということもあって同じ敷地内に朝から晩まで一緒にいるということが原因とも思われる。ただ、あくまで同じ敷地内にいるというだけで全く同じ室内にいることはお互いになるべく避けるようにしている。へたに近くによるとすぐ喧嘩になって疲れるからだ。同じ理由で、家族旅行なんてもってのほか。私もオヤジも一緒に旅行するなんてまっぴらと思っている。例えばオヤジと息子のタイパスポートの切り替えで、仕方がなく泊りがけでハジャイに行った時も頭痛がするほど車の中で喧嘩をした。喧嘩の内容は、車の運転のマナーが悪いとか、道を間違えたとかどうでもいいようなことがほとんどだけど。そんな私だが、ある一方ではオヤジに依存しっぱなしのところもある。銀行や役所、電気料金、水道料金等の支払いはまかせっぱなし。なにより、この関係は面倒くさいのでもっぱらこれはオヤジの仕事。市場に行くのもオヤジの仕事。市場はくさいし暑いし、外国人の私が行くと時としてぼられることもあるのでと言う理由で。魚をさばくこと、えびの皮を剥く事、これも当然。重いものを持ったり、買いに行くこと全般。よく考えたら、私は息子の世話と自分の世話以外の事はしていないような気がする。というか、お金のこと以外は全てオヤジまかせなのかもしれない。オヤジは自分の食事は自分で作り、私の作ったもので食べたいものがあるとつまむぐらいだ。投網や釣りに行って臭くなった洋服も、自分で洗濯しているようだ。まあ、こんな主婦は私ぐらいかと思ったら身近な所に奴の母親という存在がいた。そういえば、オヤジのお母さんは今でも月一ぐらいの割合で旅行に行くがその間にお父さんの所に行くと、炊事、洗濯をてきぱきこなす姿を見ることができる。しかし、お母さんに言わせるとそれは旅行中だけでなく、お父さんは普段から自分の事は自分でやっているそうだ。そうか、オヤジは小さい時からそんな両親を見ているから、手のかからない夫になったのだな。昨日オヤジが病院の定期健診から帰ってきて「前回コレステロール値が280だったけど今回は260に下がってたぞ」といばっていたが、確か200以上は数値的に正常範囲外じゃなかったっけ?オヤジ様。あなたがいないと私はここで生活していくことが困難なので、コレステロール値や血圧を下げてどうか長生きしてください。とガラにもなく思ったのであった。(昨日は死んでおしまいと思ったけどね)
2006.05.30
コメント(14)
週末は久々に晴れ上がった雨季のプーケット。先週、先々週と雨が続いていたので庭の木々たちも太陽と穏やかな風に吹かれてなんだか心地良さそうな日が今日も続いている。日本語漬けの1ヶ月だった我が息子は、雨に打たれる木々たちを見ては「ママ、雨が降って木が喜んでるね。」とか何だか詩人のようなことをたまに言ったりと、日本語の表現もぐっと大人になって帰ってきてうれしい限り。ただ、そんな息子はこのところ非常に悩んでいる。そんな息子の悩みは、毎朝の学校での朝礼。タイの国歌などを歌った後に、仏教式の礼拝があってそこで御経のようなことを唱えさせられるらしい。タイは言わずと知れた仏教国。朝礼に仏教の礼拝が組み込まれているのは、当然なのかもしれない。ただ、問題なのは我が家の宗教がイスラム教だということである。結婚後にイスラム教に入信した私と違って、息子はオリジナルの生まれたときからのイスラムだからかもともと彼の性格からか、彼は宗教心がかなり強いように感じる。彼が3歳まで私が外で働いていたため、従兄弟のイスラム家庭に日中預けていた影響もあるのかもしれない。とにかく、その宗教心の強い彼が毎朝の仏教礼拝ですっかり覚えてしまった御経を無意識のうちに唱えてしまうというのが、彼のここ最近の悩みである。彼は日本語でもタイ語でもうまくこの気持ちを伝えられないらしく、何度も彼が「助けてくれ」といって泣きながら訴えてくるので、いろいろなことを照らし合わせて恐らく彼が苦しんでいる理由として1 気がつくと冗談みたいにこの御経のセリフを唱えている2 イスラムである自分がこんなことをしていたらバチがあたるのではないか3 よって毎朝苦しい。どうしたらよいのかわからないということであった。もともと宗教心のない私は「大丈夫。気持ちの入っていない礼拝には何の意味もなさない。御経は唱えなくても大丈夫。先生に何か言われたら、パパやママがそういったといいなさい。あなたがそうやって悩むのはあなたがすごくいい子だからで、そんなことでアラーの神様は怒ったりしない。」と言い聞かせても息子は「わかってるけど、でも考えちゃうんだよ。考えたくないのに考えちゃうの。苦しいから医者に連れて行って欲しい」の一点張り。医者に行って彼の心の悩みが治るとも思えないが、彼の訴えは真剣である。もう私ではどうにもならない宗教上の難しい悩みのため「イスラムのことはパパに聞きなさい。」と言ってオフィスにいるパパに聞きに行かせたところ、息子はうまく伝えられなかったのかパパは何を勘違いしたのか「遊びすぎ、ゲームのやりすぎだ」と言い放つ始末。死んでおしまい!オヤジ!と思わず心の中で毒づく私。息子はここ4日同じ事で悩み続けているため、私も周りのイスラムの人々にいろいろ聞いてみたところ「マイペンラーイ。マイトンクリアット!!(大丈夫、気にすることナ~イ)」というあっけらかんとした答えであった。仏教国に生きるイスラムたちはこのぐらいのことで普段悩んだりはしないのかもしれない。が、息子は本当に真剣に朝晩悩んでいるのである。今の所解決策が見つからない私と、何も考えていないバカなイスラムの我が家のオヤジ。(奴のことがかなり嫌いのなったのは言うまでもない)この問題まだまだ続きそうで、どうしたらいいのかわからない。
2006.05.29
コメント(4)
日本から帰国して以来、というか以前からかなりイライラしていることがある。それはご近所に住む子供たちのこと。ほぼ毎日我が家に押し寄せてくるこの子達にいつも頭を悩ませられている。まず、向かいに住むN君。彼は本当は中学1年生になっていなくてはならない12歳なのだが、未だ小学校5年生。何故5年生なのかというと今回で5年生は3回目だからだ。タイでは私立の小学校だけでなく、公立の小学校でも留年がある。出席日数が満たなかったり、成績が著しく劣っていたりすると遠慮なく留年させられるらしい。彼のうちは以前のブログにも書いたが、いろいろ家庭内に問題がある。家庭内に問題があっても、誰かにきちんと愛されていれば良いと思うのだがいつも彼は一人。ファラン(西洋人)の父親はタイ人の彼女と壮絶な喧嘩を度々繰り返しながらも、N君と同じ屋根の下に暮らしているが、夜は違法賭博バーを経営している為昼過ぎに起きて夕方に出勤する為彼と顔を合わす機会はほとんどない。タイ人の彼女も店を手伝っているようで同じ生活パターン。お手伝いさんが一人いるが、もちろん彼女は食事の世話や掃除をするだけで彼の素行については無関心。彼の本当の母親は、どうも近くに住んでいるらしいがやはり新しい恋人がいる為ほとんど彼の前は現れない。よって、彼は寂しいため毎日家にやってくる。しかも時間を問わず。土曜日は朝の8時から。夜9時になってもこちらが「もう帰りなさい」と言うまで帰らない。そしてほとんど誰も呼びに来たり未だかつて誰かが「いつもいつもすみません」などの挨拶に来たこともない。そしてM君。これまた歩いて1分の所に住む息子と同じ小学1年生だが、これまた学校が終わると毎日やってくる。我が家は嫌なことはさっさと済まそうという主義を子供にも押し付けているため、学校から帰るとまず宿題をやらせる。「今、宿題をやってるから」と言っても5分おきにしつこくやってくるのである。おまけにしょっちゅう夕飯も食べ終わってまったりしている夜8時過ぎに、現れたりするのだ。しかもこのM君。この時間になってもまだ学校の制服をきたまま。裸足のまま外を歩いてやってくるため、足は真っ黒。いつも薄汚れている。うちは3日おきに拭き掃除をしている為、汚い足で入られるなんてまっぴらだ。が、何回注意しても同じ状態で現れる。この家も、子供に無関心なのか挨拶一つされた事もないのでどの人が彼の親なのか私は知らない位だ。子供は毎日家にやってくるのに。その他似たり寄ったりのメンバーがその他3人ほど、我が家には入れ替わりたちかわり訪れる。うちのオヤジも私に負けず劣らず口うるさいので、いろいろこの子たちに注意をしたら「お前の親父はうるさい。おれらはお前の親父がきらいだ」と言って苛められたらしい。う~ん。どうしたものか。息子は小学校になって宿題も増えた。大して頭も良くないタイプなので、それなりに努力をしないと普通の成績は難しいかもしれない。が、このご近所の子供たちと同じように遊ばれては小学校留年2回とかになってしまいそうで恐ろしい。そんな友達でも息子は大好きなので、どうしらいいものかいつも頭を悩ませイライラしている毎日である。(ちなみにこれを書いている今も朝からN君M君が登場しゲームをやり始めた)
2006.05.27
コメント(8)
私の高齢妊婦生活もお蔭様で5ヶ月目に突入してしばらく経った。もともと太っているので、見た目は他人から見るとほとんどわからないらしい。というか、現時点ではつわりの効果で妊娠前より痩せているので、私の妊娠を知らない人からは「わ~。なんか痩せたね。どうしたの?」と言われることもしばしば。つわりで痩せたことを話すと「え~。妊娠していたの?」と驚かれる始末。確かに息子の時も生む2週間前まで仕事をしていて、マタニティーなどは着用しなかった為8ヶ月になっても自分でお客様に「妊娠してるんですよ」と言わないとわかってもらえなかった。確かにただのデブなのか、妊婦なのかわからない人に「妊婦さんですか?」と聞いて違ったりしたら失礼だということもあるのだろう。その位デブの妊娠は微妙な見た目ではあるのだ。前回も、もともとデブでぶよぶよしているお腹の肉が硬くなった程度で、よく痩せている人のスイカをお腹に入れたみたいなあのぽっこり感(?)は体験することはできなかった。どうやら今回も、そのパターンを歩むようである。しかし、前回と違うことは多々ある。まず、つわりが非常に重かったこと。気持ち悪いだけでなく、何度もはいたり、胃がよじれるほど痛かったりとかなりつらかった。そして、乳首と乳首周りが異常にかゆくてしかもどんどん発達しているようである。前回は生むまでおっぱいに変化は見られなかった。そうそう、体の変化だけでなく前回は妊娠とわかった直後にもらえた母子手帳を未だにもらっていない。前回の検診でやっと医者から「母子手帳は書き込んで今度の検診の時に渡すね」と言ってもらえたぐらいである。6ヶ月でやっと母子手帳がもらえるなんて、これが高齢出産のなせる業なのか?まあ、これまでトリプルマーカーとかいう染色体異常の子供なのかどうなのかという確立(あくまで確立であって決定ではない。陰性といわれても陽性の場合もある)を出す血液検査を半強制的に受けさせられたりしていたので、医者ももしかしたらということも疑っていたのだろうけど。でも、あのつわりを乗り越えた時点で例えトリプルマーカーの数値が悪くても用水検査はしないで生もうと決めていたので母子手帳は早く欲しかった。検査の結果は陰性で、私の年で平均180分の1の確立が1800分の1ということであった。医者いわく、100%ではないが非常によい結果だとのことである。来月の検診では性別もわかるようなので、できれば息子も連れて行きたいと思っている。
2006.05.24
コメント(15)
東京での久々の夫なし子供なし5日間独身生活は、本当に楽しかった。妊娠発覚とほぼ同時から2か月間苦しんだつわりが、東京生活3日目にしてほぼおさまたというのがここまで楽しめた1番の理由ではあった。が、1日のうち半分以上をベッドの上で過ごしていたのに、東京での私は昼ごろから出かけて毎日11時ごろ帰るという弾けぶり。友達とご飯を食べたり、買い物をしたり、今回念願のパチンコも何度か行ってしまった。(子連れでは行けない為、日本に帰ってもなかなか行く機会はなかった)ちなみに4のつく日に(5月4日)に冬のソナタというパチンコ台で打ったら、結構な儲けであった。ほかの人もじゃんじゃん出していたので、どうやらその日はヨンさまデーだったらしい。東京の生活は名残惜しかったが、何しろ息子が岐阜の実家で待っているのでいつまでも一人で楽しんでいるわけにも行かない。日本上陸5日目にして息子のもとに向かった。1ヶ月ぶりの息子との再会は、「久しぶり!!会いたかったよ!」というより先に息子のあまりの太りぶりに驚愕!もともと私とオヤジのデブのDNAをたっぷりと受け継いでいるだけに、ほかの子よりもかなり太りやすいかわいそうな体質の息子。そのくせ好き嫌いもなく食べることが大好きなので、プーケットえではいつもいかに太らせないようにするか悩みの種で食事にはかなり気を使っている私。その今までの苦労が水の泡ともいえるほどのデブになった息子の姿に唖然としてしまった。息子は日本の給食がおいしかったらしく、毎日残さないどころかおかわりをしていたらしい。その上、好き嫌いのない息子は友達の嫌いで残したものさえもいただいていたというのだ。おまけに、うちの母親は息子がどれだけでも食べるのがうれしいようでかなりの量のおやつや夕飯もあたえていたらしい。そりゃあ、3食全力で食べてりゃ太るよな。その後しばらくするとだんだん「まあ、仕方がない。こいつはデブの遺伝子を持つ私の息子。プーケットに帰ってからダイエットさせよう。」と自分をなだめる気持ちが出てきた。そんな私をよそに息子は私に会えるというので、自分のうれしい気持ちを手紙にして私にくれた。その手紙には「ママきてうれしです。 ゆうきより」と書いてあった。ごめんよ。息子~。1ヶ月ママやパパがいない新しい環境で頑張ったのに、それよりも太ったことばかり母は気にしてしまって。と、まあ1ヶ月ぶりの母と息子の再会はこんな様子であった。
2006.05.20
コメント(10)
私が日本に帰っているほんの2週間の間に、突然プーケット在住の友人が日本に帰国してしまった。いろいろな事情があって突然の帰国となったらしいが、彼女とは年も同じで14,5年前からの知り合いでもあり、特に最近子供の年も近い為仲良くさせてもらっていただけにとても悲しい。いろいろな事を考えて結局2日間なかなか寝付くことが出来なかった。人間夜に考え事をすると、ろくなことを考えないので昔から自分をつらい立場に追いやることが怖い私はなるべく夜の考え事は避けるようにはしているのだが、何をしていても彼女の事を考えてしまう。彼女は仕事熱心で、頑張り屋だった。私なんて息子や旦那の愚痴ばかりいつも言っているが、大変そうな時も「大丈夫?」と聞くと必ず返ってくる言葉は「大丈夫よ~。」であった。常にポジティブで明るい彼女は、きっとこの先の未来もポジティブに生きるために帰国という選択をしたのであろう。頑張って欲しい。ただ私の、友人にまた一人去られたこの喪失感は当分消えそうにもない。
2006.05.19
コメント(6)
メオタイ イン ジャパン パート114日の夕方に親子共々無事プーケットに帰国いたしました。しかし、日本は寒かった。長年の南国暮らしで毛穴が開きっぱなしの毎日を過ごしている私にとって、5月の気候はきつかった。なーんてへなちょこと思うでしょう?が、まず遠い日本での記憶をたどってみて、通常5月のゴールデンウイークには海に繰り出し海水浴まで楽しんでいた覚えがあったので持っていった長袖はたった2枚プラスぺらぺらの上着1枚。これでやり過ごせると思っていたのが大きな間違いだった。今回まず東京入りして、息子のいない東京をエンジョイしようと成田着のチケットにした私。白金台の友人のアパートにお世話になるので、友人が目黒の駅まで迎えに来てくれていた。その時の気温は17度でまあまあ寒いが何とかやり過ごせる程度だった。がその後雨が降り一気に気温は下がる。結局その日の夜は8度位まで下がってあまりの寒さに泣きそうだった。これにより、私の肌は一気にかさかさとなりひび割れ皮がめくれる始末。くちびるもひび割れ血がにじむ。足も腕も粉がふいたような状態。日本の寒さと乾燥に体がついていかない状態となる。結局この肌の状態の悪さは日本滞在中も続いた。そういえば久々に再会した息子も全く同じ状態でほっぺがひび割れて、マスクメロンみたいになっていたし、くちびるから血もにじんでいたなあ。しかし、二人してこちらに戻ってきたとたんあっという間に治ってしまった。私たちにとっては、湿度が無くて過ごしやすいと言われる時期よりも湿気むんむんで暑いプーケットの方がやっぱり肌に合うようである。
2006.05.16
コメント(18)
今日は5月1日。いよいよ、息子を迎えに日本に行く日となりました。夕方にプーケット空港を出発して、明日の朝成田に到着予定です。不良母は、まず東京で4,5日友人と遊んだ後に実家のある岐阜に行く予定。なので、息子に会えるのはまだちょっと先の6日頃になりそう。。。これを最後に当分日本には行けないだろうから、こんな母を許しておくれ。息子よ。本には12週から13週でつわりはほぼ治まりますとかいてあるのに、15週になっても未だおえーっな私。いつものように絶好調に日本のおいしい食事を堪能できないかもしれないけど(いつもは堪能しすぎで6キロ太って帰ることもある)普段あえない友達といっぱいおしゃべりできるといいな。メールはちょくちょくチェックする予定です。それでは行ってまいります!!
2006.05.01
コメント(8)
全8件 (8件中 1-8件目)
1