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おはようございます♪いつもお忙しい中訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は一日中雨でしたが、夜にはあがり、今朝は少し薄日が射すほどになっています。あれ?台風はどこに行った?と思い、テレビをつけてみると、まだ九州あたりにいるということがわかりました。進みかたがずいぶんのんびりな台風のようですね。九州地方の方、どうぞお気をつけてお過ごし下さい。山形のだし posted by (C)みえこ55山形のだしという料理をご存じでしょうか?私は山形出身ですが、地元に住んでいたときは食べたことがありませんでしたし、その存在を知ったのも、テレビで紹介されていて知ったくらいで、それも近年のことです。テレビで知ったのち、東京のスーパーで売られているのを食べたことがありましたが、塩加減が強いものだという印象が残って、以来買うことはありませんでした。今年の夏、兄が上京したときに、そのだしなるものを作ってもらったのですが、スーパーで買ったものとは別物であることがわかりました。めんつゆ以外は添加物が入らないので、野菜の自然な甘味とめんつゆのほのかな塩加減で、実に美味しいものでした。作り方は、市販のみじん切りにされている昆布に水を大さじ1杯入れてかき回します。するとだしらしいとろみがでます。ナス、オクラ、キュウリはフードプロフェッサーでかなり細かく刻みます。ミョウガ、青じそは包丁で細かく刻み、昆布と混ぜてめんつゆで好みの味にするだけです。オクラ以外の材料は全て庭から採ってきたもので作れました。今はキュウリが終わってしまいましたけど。我が家の人気おかずとなっています。秋ナスが収穫できるようになってきたので、また食卓に登場する回数が増えそうです。写真がなぜか反対になってしまいました。編集したのですが、なぜかなおりません。さて、最近ジムに入ってきたばかりの人で、ちょっとした噂になっている人がいます。知らない人にでも気軽に話かけてきて、感じはいいのですが、一方的に話をし続けたり、話の輪に急に入ってきたかと思うと、自分が中心になって話始めるのです。なので、ちょっとした警戒心を相手に与えてしまうようで、ある人が「人との距離感がわからない人」と言っていましたが、まさにその言葉がぴったりだなと思います。ジムのように大勢の人達がいるところでは、人との距離感がとても大事だと思います。離れすぎると、あの人は人と交わらない人だと思われて、孤立してしまいます。若い人などは、あえて面倒な人付き合いはごめん、運動をしに来ているのだからというスタンスの人も多いですが、大抵の人達は、自然に色々な人と過不足なく付き合いをしはじめ、会員さん同士の会話を楽しむことも、ジムへやってくる大きな動機になっています。多くの方が自然に色々な方と交流していけるようになる中で、先に話したような、人との距離感がわからない人がいるのですが、その割合は極めて低いので、大変目立ってしまいます。そして、自分ばかりが自分本意で話続けるため、嫌煙されるようになってしまいます。何を隠そう、私もそんな傾向があるかもしれないと、実は密かに恐れていました。おしゃべりなところがあって、気がつくと自分ばかりがしゃべっているな。ということが多々あるのです。なので、多くの人と会話をするときには、かなり意識して話の輪に入るようにしているのですが、いつものお馴染みのメンバーならば、自然に会話できるのに、少しでも知らない人が入って来ると異常な緊張感を感じてしまいます。これが、学校などほぼ普段会わない人達同士になると、緊張はマックスとなり、ほとんど会話をしない沈黙の人となってしまいます。そして、そのあと、どっと大きな疲れに襲われます。人と交わることが好きなのになぜこんなにも疲れてしまうのかなと思います。気楽に人と付き合いを出来ればいいとは思いますが。人との距離感というものは、実に難しいです。私の母こそ人との距離感がわからない人で、だからトラブルも多かったのだと思います。他人の場合にも言えますが、親子間で距離感がわからないと、それが共依存関係につながるのではないかとも思います。親子間だからこそ、距離感というものを大事にしなければならないものなのかもしれませんね。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月30日
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おはようございます♪いつもお忙しい中訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は久しぶりに朝からスッキリとした青空が広がり、湿度も低く絶好の洗濯日和になりました。朝から何度も洗濯機を回し、大物のシーツや夏物を洗濯しました。洗濯が終わるとジムに行き、帰ってからはそれらの大量の洗濯物をしまい、冬野菜の種を撒きました。小松菜、ほうれん草、春菊、サニーレタスです。野菜が高騰していますので、家計を支えてくれることを祈って…それから、寒くなって来たので、母の冬物の服を出しました。早く届けなければと思いましたが、名前をつけてからでないと持っていけないので、これから、ひとつひとつ名前付けをしなければです。花は友達 posted by (C)みえこ55さて、3年前に今の家を買ったとき、それまでよりも庭が倍以上に広くなったので、今度の庭はどんな庭にしようかと、毎日毎日、夜も眠れなくなるほど、 ワクワクしながら過ごしていました。ガーデニングの本を古本やさんで買ってきては、 寝るまで読んで、 どんな風にしようかなと、考えるのはとても楽しいことでした。夢を抱いていると疲れというものもなくなるようで、朝早くから日が暮れて暗くなるまで、土まみれになっていたけれど、 疲れというものはあまり感じず、とても充実した日々でした。 あの頃がとても懐かしいです。はじめに創ろうと思ったのは、ワイルドフラワーなる種類の花の咲く庭でした。ワイルドフラワーというのは、花の名前ではなく、一度種を撒けば、毎年咲いてくれて、さほど手入れをしなくてもいい、自然のお花畑に咲くようなお花といった感じのものです。しかし、実際に庭を創りはじめると、前の家から移植したアジサイを整然と植えてみたり、一年草のビオラやチューリップの球根を植えたりと、出来上がったのは、華やかではありましたが、いかにも創り込まれた庭になりました。しかも朝から晩まで手入れをしなければ維持できない庭になってしまいました。それはそれで、楽しかったですけどね。努力と言っていいのかわかりませんが、夢中になって頑張った成果が見えるということは、大きな喜びになっていて、あのときの大変さは、実際は大変という言葉ではなく、嬉しくわくわくした気持ちの連続だったと思います。昨年末、母を介護する為にこちらで引き取ってから、ほぼ庭の手入れが出来なくなり、育てていた花がどんどん枯れて、汚くなった鉢植えがゴロゴロと増え始めました。とても悲しかったです。今年の庭はダメだなと諦めて、せめて鉢植えだけでも撤去しようと、綺麗に片付けてみると、はじめの年からコツコツと植えていたいわゆるワイルドフラワー達が、メキメキと頭角をあらわしはじめ、今、まさに一番はじめに創ろうと思っていたワイルドフラワーの咲く庭に近づきつつあることに気づきました。写真はハーブの一種であるボックセージです。夏前から咲き始め、ずっと咲き続けています。背丈は一メートル以上あるのですが、細い茎にもかかわらず、支柱なしで立ち上がり、風に揺れる感じの咲き方がなんとも心癒されます。花達が私を応援している!そう思うと、涙が出るほど嬉しくなります。花はいつだって私の友達なのだと思いました。友達は大切にしなければと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月29日
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おはようございます♪いつもお忙しい中訪問頂きどうも有り難うございます。久しぶりにスッキリとした青空を見ました。今日は一日晴れとの予報なので洗濯を沢山しなくちゃです。でんろく豆 posted by (C)みえこ55 「でんろく豆」をご存じでしょうか?兄がシャインマスカットを送ってくれると言うので、上京する時に何度か手土産で持ってきてくれて美味しかったので、でんろく豆もリクエストし送ってもらったのです。たまにですが、スーパーなどでも見かけることがあります。おかきや豆菓子、小魚などが小袋に入ったタイプのものもありますし、緑色で砂糖がまぶしてある豆菓子もあります。しかし、このように六種類の豆菓子だけのセットは見たことがないです。食べてみるとどれも美味しくて、六種類一通り食べたあと、止まらなくなり、また六種類、そしてまたと、3袋ずつ食べてしまい、気がつけば夕飯が食べられないほどお腹が一杯になっていました。こりゃ主食になるなと思いましたよ。兄にはこども達にも食べさせてやれと言われて、ギクリとしましたよ。全部ひとりで食べてしまいそうでした。さて、今はこんな風に、母の悪いところを書きつづっていていますが、実は子供の頃からつい最近までずっと、母のことは嫌いではありませんでした。こんなに書いていて言うのも変だと思われますが、今でも嫌いだとは思っていないと思います。今の気持ちに一番近い言葉を探すとすれば、残念な気持ちというのが最も近いような気がします。また、嫌いなところもあるけれど、好きなところもあるという感じです。子供の頃から母は時々ヒステリーになったり、父や色々な人達喧嘩をしたりして、そんな激しい母を見るときは、とても嫌でした。しかし、いつもヒステリーだったわけではなく、むしろそうでないときの方が多かったのです。それは、まさに今と全く同じだなと思います。おかしくないときはきわめて普通で、好きな母ですが、おかしなスイッチ入ったときは、もういいかげんにしてくれと思います。田舎にいたときは、地元の子供達に習字を教えていましたが、恐らくのところ、とても優しくていい先生だったのではないかと思われます。一生懸命に教えていて、その生き生きした姿は素敵でした。その一面だけを見ればとてもいい人にも思えます。しかし、その一方でごく親しい間柄の人に対しては、時に一旦スイッチが入ると手がつけられない猛獣になるのです。子供達の前ではそうならないのは、子供達というものは常に従順で、母に意見などすることがないからだと思います。母の猛獣スイッチが入るのは、自分の意見を否定されたり、何か指示されるようなことがあったとき、あるいはわがままが通らなかったときなどでした。そんな猛獣になることのある母を嫌いではないのは、DVをする人と受ける人の間柄である「共依存関係」であるからではないかと思われます。DVを受けているのに、なかなか別れない妻が、「あの人優しいところがあるのよね」と言うことを何度も耳にしたことがあり、そうは言ってもなぜ別れないのだろう?と、疑問に思うと思います。 まさにDVを受けている人の心境とよく似ているというか、同じなのです。私の場合は肉体的には体罰などはなかったと思いますが、両親の激しい喧嘩を見ることや、あまりかまってもらえなかったことは、学問的には広い意味での虐待だと言われています。そう考えれば、DVを受けている人と同じ心境になっていても不思議ではないですよね。自分でも置かれた環境を振りかえってみると、可哀想な幼少期だったわりに、母に対する感情はそれほど悪くないのが不思議なところと思ったりもしていました。運動会や授業参観などに来てもらったことも、記憶にあるのは小学校一年のときのただ一度だけ。とても印象に残っているのは、水泳大会のときにはお弁当も作ってもらえず、さてどうしようと困っていたところ、たまたまお向かいに住む方にそのことを話したところ、お弁当を作って持たせてもらったことがありました。お弁当を開けると、子供が食べやすい大きさで俵型に握られた可愛いおにぎりが入っていました。子供が喜びそうな可愛らしいお弁当を持っていったのはそれが最初で、最後でもありました。子供心に、うちのお母さんは、やっぱり他の家のお母さんとは違うのだと、その時思ったことを思い出します。それでも子供とい言うのは母親を嫌いになることはなかなかできないものなのではないかと思います。DVを受けた妻と同じように、母は悪いところばかりではなかった、優しい時もあった。そう思ってしまうのです。あるいは、自分のせいで母はこんなふうになったと自責の念さえ覚えてしまいます。もっといい子にならなければならないと思うのです。母も大変なのだから、病気で可哀想だから我慢をしなければいけない。とも考えてしまうのです。それが共依存関係にある人によくある心理状態です。夫婦や親子恋人関係ではよくあることで、ただ本人達が気づいていないことも多いです。迷惑をかける側は、いつも相手が何とかしてくれるだろうと思い、何度も同じことを繰り返し、世話をする側は、やはり自分がいないとだめだと、自分の気持ちを押し殺してでも世話をし続ける。破滅的な人間関係ですが、なかなか断ち切れません。母が元気であれば距離をとりながら付き合うことも可能で、実際山形と東京で離れて暮らしていたときは、ほどよくいい関係だったと思います。しかし、一緒に暮らし始めると、母は次第に文句や注文が多くなり、気に入らないことがあると激高しはじめました。昔からそうだったのですが、いつも帰省したり、逆に母が上京するすると、はじめの3日間は母もごきげんで優しいのですが、4日目からは様子が変わってくるのは感じていました。ずっと以前から、その3日という期間に対しては、不思議だなと感じていました。今母との関係が比較的安定しているのは、もしかしたら薬のお陰というよりも、3日続けて一緒にいないからなのかもしれないと思いました。だとすれば、施設に入ることで距離が出来れば、この安定した状態を維持できるかもしれません。うまく付き合える距離を見つけていかなければなりません。母が入院をしたとき、母は寂しかろうと思って頻繁に面会に行っていました。その時も、次第に母は山形に帰りたい、鰻を持ってきてほしいなど、次第に要求が多くなりました。病院からの電話も頻繁にあり、沢山の洋服を持たせたにもかかわらず、洋服が足りないと言ってきたり。今までをふりかえるならば、3日間というのは大きなヒントなのかなとも思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月28日
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おはようございます♪いつもお忙しい中訪問頂きどうも有り難うございます。今日も昨日からの雨が降り続いています。昨日よりもぐっと気温が下がり、昨日は薄手の長袖シャツでよかったのですが、今朝はフリースのカーディガンを着ています。こども達に、そろそろコタツを出してほしいと言われるかも。山形のシャインマスカット posted by (C)みえこ55昨日は、山形に住む兄からシャインマスカットが届きました。写真では大きさがよくわからないかもしれませんが、つぶは巨峰ほどの大きさで、大きな房で、それはそれは立派でした。触ると張りがあってはち切れそうで、皮も柔らかく種がないので、皮も丸ごと食べられます。最高に美味しい葡萄でした。本当に御馳走様です。山形は知る人ぞ知るフルーツ王国です。有名なのはサクランボくらいかもしれませんが、尾花沢スイカや、庄内メロン、庄内柿などどれも味は間違いないと太鼓判を押すことができます。リンゴなども産地ではないけれど、毎年母が送ってくれるリンゴはどれも美味しかったですし。水や空気がいいので何を作っても美味しくなるのでしょうね。兄からのシャインマスカットをほおばりながら、その美味しさに感激すると共に、こんな風に地元の特産品を送ってくれるのは、自分方の身内ではもはや兄と、母が唯一愚痴の電話をかけなかった遠い親戚である福島の叔母、二人になってしまったことに気づきました。父の両親はずいぶん前に亡くなりましたし、生きていたときも、母の性格のせいで全く付き合いはほぼありませんでしたから。私が小学生の低学年くらいまでは多少の行き来ありましたが、母は例のごとく大喧嘩をして、それ以来亡くなる寸前までは交流はありませんでした。最後に祖父母の家に行ったときに母が激高して祖父母に怒鳴り散らしていたのは、今でもはっきり覚えています。父には妹もいましたが、同時に妹とも付き合いは全くなくなりましたした。今は祖父母も叔母夫婦も亡くなっています。叔母夫婦には男兄弟二人いますが、どこで何をしているかもわかりません。私は親戚からお年玉というものをもらったことのは記憶の中では一度もありませし、 祖父母や親戚達から可愛がられたとか、楽しい思い出も極めて少ないです。母方の親戚で今も深い付き合いがあったのは、アメリカに住む妹と静岡に住む弟のお嫁さんです。私からすれば叔母になります。しかし、その叔母達からは、私は極悪な娘だと思われていますので、しばらくは距離を置くしかありません。言い訳をするのも面倒になりましたし、そちらにエネルギーを注ぐ暇も余裕もありません。しばらくはこちらから連絡をすることはないでしょう。母は自分と合わない人達との関係をバッサリと切り捨てて生きてきましたが、考えてみれば、同時に私から祖母や祖父も奪い、いとこや親戚達との関係も壊して最後亡くなっていくのだなと思いました。唯一残された兄と私の関係さえ母は、壊すつもりだったのか、兄にも私の悪口を書き綴った葉書を二枚出していました。デイサービスの送迎をする運転手に私への口止めに金を渡し、葉書を出させていたのです。ただ、兄だけは小さい頃から母を見てきましたし、母には苦労させられてきているので、葉書をそのまま鵜呑みにすることはありませんでしたけどね。考えてみれば、私はこんなふうに、身内からどんどん孤立していくとういことを予測していたわけではありませんが、 家を出て以来知り合った人達との縁は大事にしてきたように思います。多少嫌なところがある人だと思っていても、それはこちら側の勝手な思い込みから相手を誤解していたということもありますし、よほど合わないという場合はほどよい距離を保てば、お互いに平和でいられることも多いと思っていたからです。多少の事でバッサリと関係を切れば、どんどん孤立していくことになります。 勿論無理してまで付き合う価値のない人もいますが。 母は人とのほどよい距離感がわからない人だったのかもしれません。気に入れば必要上に介入し、気に入らなければバッサリと切り捨てる。そんな場面をずいぶん見てきました。気に入るという視点より、もしかしたら特になるか損するか?という基準で判断をしていたとも思えます。また、本人は意識はしてはいなかったと思いますが、自分さえ良ければいいという考え方が根底にあったと私は思います。母はいつも「自分は幸せだ」と言っていましたけど、私はそれを聞いて、「私は幸せじゃないけど。」と、子供の頃から心の中では思っていました。大人になって自分の人生を自分で生きられるようになって初めて、私は幸せというものを感じられるようになりました。しかし、今母が「私は幸せだわ。」と得意な顔で言うのを聞くと、どこかで素直に喜べない、違和感を感じていました。そして、その幸せは沢山の不幸の上にあったよと、喉から出そうになるのです。特に父の最後は可哀想でした。父の最後を思い出すと母の幸せは色褪せて見えます。臨終の知らせをしても父の身内は誰一人来ませんでした。葬式に来たのは義理でやってきた妹の息子一人だけです。母は父を孤独の淵に追いやったのです。母だけが悪い訳ではありませんけど、父が頼れるのは母しかいないという状況を作った大きな原因は、やはり母だったと私は思います。母は誰の力も借りずに生きてきたことが自慢でしたが、母が最後の最後に助けを頼んだ相手は自分がいつも家柄が悪いと下に見ていた弟の嫁(静岡の叔母)でした。昔から自分の家よりも格下である家から嫁いだ田舎者だと言っていましたけど、私から見れば忍耐強く良妻賢母であり、尊敬すべき人でした。母方の親戚の中では一番まともというか、普通の人だったのではと思います。その叔母がいなかったら、おそらく今の私はなかったかもしれないと思うことがあります。母や母方の親戚達しか見てこなかったので、そんなギスギスした、絡まった糸のような関係が、当たり前になっていたこともありますから。いつもその良妻賢母の叔母が言うことや、やることを規範にしていたところもありました。子供の頃から叔母を見て、安心感を覚えるというのか、こういうのが普通というものなのだろうなと、なんとなく思ってはいたのです。シャインマスカットの美味しさに浸りながら、母の人生は、私や兄の人生はいったい何だったのか?と考えさせられました。一言で言えば大切な人間関係を切り捨てていく孤独な人生だったと、私から見たらそう思います。決して真似はしたくはありません。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月27日
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おはようございます♪いつもお忙しい中訪問頂きどうも有り難うございます。今日も朝から雨が降っていて、少し肌寒いです。暑くなったり寒くなったり、体調管理が大変ですね。金木犀が香ります posted by (C)みえこ55さて、昨日は夏野菜のゴーヤを撤去しました。この夏は暑かったからなのか、ゴーヤが豊作で、昨日も10本以上もとれました。ゴーヤを片付けたあとは、なすとミニトマトも収穫しましたが、こちらも、一度では食べきれないほど沢山収穫できました。思えば、春先に母と、夏野菜は何を植えようかと相談して植えたっけなと、紫外線が急に強くなった頃の庭を思い出しました。暴言や昼夜逆転など奇行がようやくおさまりはじめ、ほっとした頃のことです。私が野菜の手入れなどをしていると、お茶を飲みなさいと、美味しいお茶を入れてくれ、美味しいと言いながら飲むと満足そうな笑顔を見せてくれました。もうあの頃には戻れないのだなとも思いました。悲しいけれど、苦しいけれど、今の感情に流されてはいけない、そう思います。悲しいとか苦しい、母が可哀想だと思う現実に負ければ、また同じことの繰り返しになります。どんなに苦しい関係でも、またそこに戻れば現実の感情に負けて、間違った人間関係を続けてしまいお互いに苦しくなるという現状がわからなくなるのです。それが共依存というものなのだと思います。現実と現状を混同してはいけないのだと思います。 さて、おとといの月曜日、新潟から夫の両親が母の面会に来てくれました。夫と私と四人で面会に行きました。病院に行くと、敷地内に金木犀の花が咲いていました。丁度一週間前から近所でも香っていたのですが、花の姿はなかなか見つけられずにいました。やっと出会えたという感じです。思えば、初めてこの病院に来た日は、猛暑が続いていて、サルスベリが綺麗だったなと思い出しました。気温も39.3度と、観測史上最高の気温だった日でもありました。あんなに暑い日でしたが、暑さを忘れるほど、衝撃的で、長い長い一日だったので、生涯忘れることがないと思います。義理の両親が母と会うのは約9ヶ月ぶりのことです。昨年の12月に夫は実家近くで講演を頼まれて帰省したのですが、母はその講演を聴きに新潟を訪れていたのです。義理の両親は、自分達のことを覚えているだろうかと心配していましたが、心配ご無用で「⚪⚪ちゃんは元気かしら?」と、義理の両親と一緒に暮らしている、義理の妹の存在や名前も覚えていました。義理の母が「お母さんに会いたくて来ましたよ」と、母の手を握りながら挨拶をすると、母は頭を深々と下げて、「どうも有り難うございます」と言いました。母を知らない人が見ればどうということのない光景かもしれませんが、長年母を見てきた私にすると、これまであまり見たことのない光景でした。母は長年病院の婦長、総婦長をしていましたから、人に対して深く頭を下げることは滅多にありませんでした。誰かがよく母のところに付け届けを持ってくる時なども、いつも背筋をシャンと立てて、首を少しだ横にかしげて、軽く会釈をする程度でした。 真正面から、相手につむじが見えるほどに頭を下げたのは、母の病院の理事長に向かってお辞儀をしたときくらいしか見たことはありませんでした。ですから、何が起きたのか?というくらい珍しい母の姿でした。母は恐らくとても緊張をしていたのだと思います。母は、人を信用することが苦手な人です。いつも人を見るとき、敵か味方かということで判断します。そして、あるときは見方でも一瞬で敵になってしまうこともあるということが多かったために、人と接するときには緊張状態になってしまうのだと思います。ただ、私が夫と結婚して以来、義理の両親が母を不快にさせる出来事がなかったからでしょう、母は義理の両親に対しては、他の他人とは違う感情を抱いているのが私にはわかりました。義理の両親は、母と久しぶりに会って、どこもおかしいとは思わなかったと言っていましたけど、私から見れば以前とは全く違うのは一目瞭然でした。母はいつも人と話をする場合、それが例え初めて会った人であっても、ベラベラと自分の話をする人でした。相手が話をする間もなく、いつも口おかずしゃべっていました。そのほとんどは自分の自慢話です。ですから、母の話を横で聞くときは、相手の方が困っていないかといつもハラハラしたものでした。そんな母だったのに、認知症になってからは、自分から話をしはじめることはほぼなくなりました。一方、義理の母達は母とは対称的な人達です。いつも控えめで、相手を立てて、自分が自分がとしゃべり続けることはありません。長年田舎暮らしをして、濃厚な田舎の人間関係を続けてきたからなのでしょう。色々な人達と長い間協調して暮らしてきた人達なのです。今までは母がしゃべりたおし、両親が聞き役だったのですが、母は何も自分から話をしないので、義理の両親ははじめ、少し戸惑ったようですが、会話が途切れると、誰かかれかが、必死に話題を探し、母が話しやすい雰囲気を作ってくれました。「病院のご飯は美味しいですか?」「また新潟に遊びに来てくださいね」など、あくまでも母が話の主役になるよう気遣った話題を出してくれていました。いよいよ話すこともなくなり、帰ろうと面会室から出ようとしたとき、母の目にうっすらと涙がにじみ出ていたのに気づきました。よほど嬉しかったのでしょう。緊張もほぐれていたのだと思います。 白い鉄で出来た重い二重扉の向こうで、エレベーターのドアが閉まるまで手を降る母が切なかったです。可愛そうだけど可哀想だと思ってはいけない共依存。元には戻れない私と母。今日という日が、あの時はこんなだったねと、笑える日が来るのは何時なんだろう?エレベーターのドアが閉まった瞬間は、また以前のようにお母さんと戻りたくなって、とても悲しくなりました。しかし、そんな風に考えると辛くなるだけなので、限りのある人生ですから、今この瞬間を大切にして、笑って過ごそう、そう思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月26日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝も朝からどんよりと曇り空です。昨日夜は蒸し暑くて、気がついたら夜中に汗びっしょりになっていて、エアコンをつけました。 おかげで、そのあとぐっすり眠れたようで、目覚めはすっきりしています。 ここ数日、少し頭がボーッとするなという日があったのは、 多少寝苦しくてもエアコンをつけないで寝ていたからだったのかもしれないと思いました。 猛暑の頃は、迷わずエアコンをつけて寝ていましたが、 ここ最近は、さほど暑いとも思わなくなっていたので、暑くなっていることに鈍感になっていました。 温度管理ってけっこう難しいと思いました。 我が家の固定客 posted by (C)みえこ55昨日のブログでは、母と私は共依存の関係にあったと書きました。なぜその事に気づいたのかと言うと、アメリカの叔母と母の長年にわたる関係が実に不可思議だと思ったからです。母の話によれば、叔母と母は子供の頃から、さほど仲は良くなかったそうです。それは、言われなくてもなんとなく想像がつきましたけど。二人とも気性が激しく、大喧嘩をしていたのを、私も子供の頃から何度となく見てきましたから。しかし、喧嘩をして、しばらくは音信不通になるほどの距離が出来るのですが、やがていつの間にか、ケロリとしながら付き合いはじめます。それは姉妹だから、そして血縁だからなのだろうと思っていました。また、言いたいことは言うけれどカラッとした性格だからなのかもとも。しかし、必要以上に相手の個人的なことに立ち入っていくところや、そこまで言いたいことを言うというのは、血縁だからというものなのか、なんとなく理解できないと思っていました。しかし、それは、まさに共依存というもので説明がつくと思いました。叔母と母の関係だけでは共依存であるということに気づかなかったと思います。一昨日のブログで、母がアメリカから叔母を呼び寄せて自分が面倒をみるということを言い出した話を書いたのち、そういえば10年前にも同じことがあったということを思い出したのです。10ほど年前に、岩手に住む母の妹をが認知症になり、母は妹の面倒を看るからと、妹の介護をはじめたことがありました。その時母は80歳前後だったと思います。その時も私は、高齢の母には無理ではないかと言った記憶があります。まあ、人の話を聞く人ではありませんから、引き取ってしまいましたが。そうこうするうちに、叔母は母が外出をしている間に、階段から落ちて怪我をしてしまい、ようやく自分で看るのは難しいと気づき、息子達のもとに返したのでした。それから10年、母の妹は施設で暮らし、昨年亡くなりました。しかし、話はそれだけではありません。その何十年も前のこと、母のその認知症になって引き取った妹の息子(私のいとこ)も引き取って面倒をみようとしたことがあったのです。その当時、母は夫である私の父をガンで亡くし、一人孤独でした。はじめ、東京に住む兄を呼び寄せたのですが、兄とはうまくいかなくなり、兄は家を出てしまいました。兄を支配下に置き、自分の思い通りにしようという姿は、なんとも言いがたい、嫌な感じの出来事だったと記憶しています。共依存の恐ろしいことは、互いに依存し会う関係を立ち切れなくなり、互いをダメ人間にし、支配し続けるところにあります。話は前後しますが、兄が家を離れてしまい、恐らくですが寂しかったのだと思います。ちょうど進路に迷っていた妹の息子を看護師にしなさいと、自分の家に呼び寄せたのです。癖の強い母と暮らせるのだろうか?と思っていましたが、予想通り、妹の息子はほどなく母の家を出て行きました。詳しいことは本人達には聞いていませんが、昨年その岩手の叔母の葬式で私のいとこに会ったときは、当時のことをばつの悪そうな感じで話していたので、なんとなくどうなったのかは想像が出来ました。私は、何も気にすることはないと言っておきましたけど。今思えば迷惑をかけたのは、むしろ母の方だったかもしれないと思います。共依存の人は共依存する相手がいなくなると、必死で依存できる相手を探しはじめると言います。まさに、母の人生は共依存の連続だったと言えます。共依存する相手がいなくなれば、またすぐに誰かを見つけ出し依存し会う関係を作っていきました。叔母や甥だけでなく、共依存関係にあったのは、母の兄や兄の息子も、時には他人であることもありました。ここで紹介する以外にも沢山いたのです。最も典型的な共依存関係は父でした。父は私が小学校低学年の頃から、酷いアルコール依存症でしたから。母はその尻拭いをいつもしていました。一見すると、母の方が可哀想な立場ではありましたが、子供ながらに、いつも攻められて、追い詰められていた父も、私は可哀想な人に見えました。こんな関係ならば別れてしまえばいいのにと思っていました。母から聞いた上っ面に話だけを聞いていれば、いつも誰かの世話をすることで、母は慈悲深い人の美談にも聞こえますが、母に世話になった人の多くは母と気まずい別れ方をしている人が多く、母と離れてほっとしているふしがあります。世話をしながら相手を不能にし、支配していくのです。不能にされた相手は世話になった手前、表だって悪くは言えなくなります。離れたいと思っていても、どこかで相手を頼りたいと依存していくのです。共依存関係の怖いところは、本人同士にはその関係に全く気づかないことです。どちら側にとっても不幸な関係であるにもかかわらず、断ち切れない関係が続きます。どちらかが亡くなるまで続くこともあるのです。というか、母と共依存関係にあった人たちのほとんどは、最後亡くなってようやくその関係が終わりました。そもそも共依存などという言葉をなぜ私が知っていたかと言えば、父がアルコール依存症だったからです。私は大人になってからアルコール依存症についてひたすら調べていた時期があったのです。母も看護師、兄も看護師なのに、なぜ父は58歳という若さで亡くなったのか?はじめは、父の弱さ、父の自己管理能力の低さが一番の原因だと思っていました。しかし、調べて調べて、もとをたどっていくと、共依存という病がそこに隠れていたことを知りました。共依存はダメな行為をし続ける人と、それを世話をするという関係からはじまるようです。世話をさせられる人はいくら世話をし続けても裏切られ続けます。裏切られて苦しい思いをしても、ダメな行為をし続ける人にも、優しい面があり、いいところも残っていることを思うと、見捨てることはできなくなります。可哀想だと思うのです。私が見捨ててしまえばもう誰もみる人はいなくなるのだと思ってしまい、一度は逃げ出そうとしますが、また相手のもとに戻っていきます。そしてダメな行為をする人は、ダメな行為をしてもまた共依存の相手は、自分のもとへ帰ってくることを学習し、またダメな行為を繰り返すのです。共依存の相手のダメな行為をやめさせ立ち直らせる一番の方法は、別れることです。見捨てることが一番の助けることになります。可哀想だという気持ちは相手を不能にしていきます。親や子供を見捨てることはとても難しいです。ましてや認知症になって、脳が壊れはじめているわけですし。共依存関係を解消するということは、それほど困難なことなのです。しかし、自宅で母を介護しはじめたとき、ほどなく、「優しさが仇になる」ということをブログに書いたことがありました。母と私が共依存関係であることにまだ気づいていなかったときです。母が暴言を吐いたり、昼夜逆転の生活を送ることを繰り返し、なんとかなだめて落ち着きを取り戻すも、しばらくするとまた同じことの繰り返しになりました。私は母の暴言や困った行為を何度も許し続けたのです。やがて、その時の行為を許すだけでなく、困った行為をすることを見逃し、あきらめるようにもなっていました。本人がダメになることが分かっていても、それをやめさせることができなくなっていたのです。夜中に活動をするから体調が悪くなる。寝ろというといやがるので、注意出来なくなる。そして本人の好きなようにさせてあげるという構図です。あるいは、鰻を食べたいというので食べさせる、食べさせないと怒る、なのでまた食べさせる。母は痛風になりました。本人の望んでいることは本人のためになりません。かといって、それを無理矢理やめさせることもできないのです。一緒にいる限り負のループが続きます。とても辛い状況が続きました。今、病院にいる母に会いに行けば、これまで見たことのない、穏やかな母に会えます。しかし、そこで母を引き取ればほどなく前と同じ状況になるのです。共依存の関係を断ち切る方法は、心を鬼にして見捨てることであると言われています。例えば借金を繰り返す子供の借金を肩代わりしてはいけない。アルコール依存症の夫とは離婚する。など、悪い行為をした人が、これ以上の悪い状況はないという「底つき体験」をしなければ、立ち直れないものなのだそうです。見捨てることが一番本人の立ち直りを手助けすることになります。親や子供を見捨てるということは、身を引き裂かれる思いになります。なかなかできることではありません。今までの嫌な関係を続けていくことと同じくらい辛いことです。母との共依存関係を終わらせる方法は、やはりどちらかの死しかないのでしょうか。今出来る最善のことは、母と距離を置くことだと思います。これまでのように、甲斐甲斐しく世話を焼いてはいけないのです。可哀想だと思うこと、思ってやってしまうことが仇になる。それが共依存です。私は母が死ぬまで、母を可哀想だと思い、その度に母と距離を置かねばと、母を見捨てるまではいかないにしても、それくらいの気持ちで向き合っていかなければ、やがて、また同じように自分を苦しめる結果になるのです。逃れられない罪悪感との苦しい戦いが続きます。それは、母が死んでも終わらないかもしれないと思いました。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月25日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は朝からどんよりと曇り空です。朝のうちの今はまだ涼しくて過ごしやすいです。最高気温は25度となっていましたが、湿度が90%以上、ムシムシするのかな。ミドリヒョウモンのメスでした posted by (C)みえこ55昨日はツマグロヒョウモンと紹介してしまいましたが、ミドリヒョウモンのメスでした。さて、前にも書きましたが、母はこちらに来てから、たった一週間で寝たきり状態になりました。はじめは、テレビを見て過ごし、上げ膳据え膳で、楽しそうな感じでしたが、寝たきり状態になりなると、テレビも見なくなり、会話も出来なくなりました。そんな母を何とかしなければと、私は必死になって介護をしていました。母を起き上がらせる為には何をすればいいのか?どう働きかければいいのか?自分のことよりも母を優先し、倒れる寸前まで母の介護に没頭し、鰻が食べたいと言えば買いに行き、夜はカレーがいいと母が言ったにもかかわらず、やっぱり餃子がいいと言えば、餃子の材料を買いに大雪の中でも買いに走る。湯飲み茶碗やどんぶりが気に入らないと言われれば、新し物に買い換える。などなど、今思えばおぞましいほどに、母の言いなりになっていました。当時の私は、壊れていくというか、実際は壊れ切っているといったほうが正しいと思いますが、本意ではない形で私の家に引き取られた母がとても可哀想な人だと思っていました。また、世話になってきた親ですから、親孝行をし、尽くすことが当たり前だと思っていました。ところが、どんなに努力をしても、母のわがままな行動はやむことなく、どんどんエスカレートしていったのです。最後は私が母の奴隷で、母はこの家の主のようになっていました。私達家族全員が本心でものを語れない、いつも母のご機嫌をとるためにビクビク過ごす、 凍った家族です。それを本人達はおかしいことだとも思わずに、過ごしていました。いつも母のことでなにかを我慢し、息苦しさを感じてはいるけれど、母は病気なのだから仕方がないとあきらめてしまう。そんな生活を送るうちに、私は何か違うと思い始め、何かがおかしい、何かを変えなければと思い始めていました。 私の体調がみるみる悪化し、ついにはうつ状態になったからです。振り返ってみれば、うつに症状がではじめたのは、母が万引きをして警察に捕まったという知らせを受けた日からすでにその兆候はありました。 どうしようもな不安に襲われ、涙が連日止まらず一ヶ月たっても、昼も夜も泣き続けていました。母が来て一ヶ月後に予約していた人間ドッグでは高血圧と診断され、血尿が出て、血糖値は糖尿病すれすれ、心電図や他の血液検査でも異常が出ました。その時は自分では気づいていなかったのですが、最もひどく何とかしなければいけなかったのは、私のうつだったと思います。その時は、辛いという自覚はありましたが、うつになっているという自覚は全くありませんでした。ただ、共倒れではなく私が先に倒れるとは思いました。そんなことがあって、私は母の介護を大きく見直さなければと思うようになったのです。とはいえ、母の介護認定は降りず、それから3ヶ月以上、24時間体制の介護は続いたのです。どうしていいのかわからないまま、半年近く過ぎていました。 さて、その当時の私と母のような関係を「共依存関係」と言うらしいです。例えばアルコール依存症の夫の世話をかいがいしくする妻と夫の関係も「共依存」である場合が多いと言われます。お酒を飲まないように必死になって説得したり、無断で仕事を休んだりしても、本人に責任を追わせないよう尻拭いをする。やがて、本人は自分がいなければなにも出来なくなる状態に追い詰め、自分の支配下に置くのです。互いに依存し会う関係で、どちらにとっても辛い状況であるにも関わらず離れられなくなります。アルコール依存以外では、ギャンブル依存の子供の借金を返してあげる親や、DVを受けながらも「この人は私がいなければだめなの」と言って離れないカップルも「共依存」の関係です。子供を支配下に置き言いなりにさせる関係も共依存です。共依存の人は世話好きで一見いい人ですが、恐ろしいのは、世話をすることで相手の自立を阻害し無能にしていきます。やがて、無能になった相手を支配下に置くようになっていくのです。私は、自分達が共依存に陥っていることを知らずに母の介護をしていました。私がやっていた介護が「共依存」であることを今になって初めて気づいたのです。「共依存」という言葉や意味は知っていたのですが、自分達がそうであることには全く気づかずにいました。ただ、はじめの方から、母と私の関係は何かがおかしいと、そういうことには気づきはじめてはいました。ただ、おかしいけれども、どうやってそのおかしさを改善すればいいのか?また、どこが問題なのかもわかってはいませんでした。私はただ、母が少しでも病状が落ち着き、認知症は治らないけれど、少しでも進行を遅らせるよう働きかけることが最重要であるとばかり思っていました。しかし、「共依存」関係になっている場合、それは最もやってはいけないことだったのです。「共依存」関係にある人達は一緒にいてはいけないのです。 また、甲斐甲斐しく世話を焼いてもいけません。 たとえ冷たく思われようとつけ離すことが大切とも言われています。 アルコール依存やDVの夫とは別れなければならないのです。何とかしてあげようと思っても、それが逆に相手の自立心を奪います。母の世話をしながら、私はそのことをひしと感じるようになっていました。母は私が甲斐甲斐しく世話をすればするほど、自分で出来ることもやらなくなり、好き放題の生活を送るようになりました。 さて、本来共依存の親や夫などとは距離を置き、理想は別れてしまうことなのですが、困ったことに母は認知症です。全く離れて関係なく過ごすことが不可能になってしまいました。また、共依存は本人達ががそのことを自覚しなければ立ち直ることができないのです。もはや母に立ち直る機会はないでしょう。共依存というのは誰にでもなる可能性があります。自分が世話好きで言いたいことも言わずに我慢するようなタイプでしたら、特に要注意です。さて、私と母のような関係の場合どうするのがいいのやら。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月24日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今日は予報では晴れ、予想最高気温は27度ですが、今のところ曇り空です。明日からはまた曇りや雨が続きますので、シーツなどの大きなものを洗濯したいのですが、いまひとつはっきりしないお天気です。蝶がやっと来た庭で posted by (C)みえこ55蝶が来る庭といテーマの番組でブットレアが紹介されていたので庭に植えたのが2年ほど前。以来花が咲く時期に毎日庭を眺めていましたが、2年間一度も来ることがなく、アゲハ蝶が止まっているのを発見し、撮影に成功したのはつい先日のこと。そして2番乗りがやっと来てくれました。ツマグロヒョウモンのオスだと思いますが。さて、叔母からの電話がきっかけで、私達親子は引き裂かれる結果になったわけですが、叔母だけが悪いと言うことではないと思います。おそらくここでの生活の不満を言い出したのは母の方だったでしょうから。どっちもどっちなのです。この話には実はもうひとつ、引き裂かれた母と娘の話があります。それは叔母親子です。3年前だったと思います。確か母が87の時、叔母の夫が亡くなり、叔母が娘と暮らしはじめたとき、私達親子と全く同じ状況になりました。つまり叔母が私の母に娘の愚痴を言い、母と叔母で娘を悪者に仕立てたのです。そして母は叔母を自分が引き取ると言い出し、私の夫に身元引き受け人になってくれと頼んできました。私は叔母が帰国する度に母が大喧嘩をして叔母が我が家に転がり込んで来ていましたから、母と叔母が仲良く暮らし続けることなど不可能だということを言いました。また、母が87歳という高齢であったことから、母が叔母の面倒を見ることは出来ないだろうと、私は身元引き受け人を夫に頼むことは出来ないと断ったことがありました。人のいい夫は私が頼めば引き受けてくれたと思います。 実際引き受けてもいいよと言ってはくれたのですが、私は夫に迷惑をかけるわけにはいかないと思い、母に断りの電話を入れたのです。それともうひとつ断った大きな理由があります。叔母と娘を喧嘩別れをさせて、もしかしたら、彼女と叔母は二度と会えなくなってしまうかもしれない、そんな残酷なことを母はしようとしていると思ったとき、とても協力をする気にはなれませんでした。母のやろうとしていることがとても許せなく、やるせない気持ちになったことを思い出します。私が断ると、母はいつものように私に激高し、別の親戚に頼むからと電話をガチャンと切って、しばらく連絡が途絶えたことがありました。思い通りにならないことがあると、母はいつもそうなります。あのときも、かなり険悪な感じになり、親子の縁を切るぞというくらいの勢いで罵倒されたので、本当に悲しかったことを思い出します。その後どういういきさつにでそうなったのかはわかりませんが、なぜか叔母は日本へ帰国することはなく、娘の家を出てアパート暮らしをはじめたという知らせが来ました。叔母の娘であり、私にとってはいとこになる娘には、何度か会っていますが、心の優しいとてもいい娘です。アメリカ人とのハーフで、言葉は通じませんでしたが、私がアメリカに遊びに行ったときも、毎日会いに来てくれて、遊びに連れていってくれたりしました。小さかった頃一緒に遊んだこともありますし、アメリカで数日間一緒に過ごして、どんな性質の娘かは私にはわかります。血のつながりというものなのかどうかわかりませんが、私は彼女のことが大好きでした。なんとなく通じるものがあったと私は思っています。また彼女には脳性麻痺の弟がいましたが、叔母と暮らす前から弟を引き取って面倒を見ていました。弟は数年前に亡くなりましたが。今頃どうしているのでしょう。苦労をしたことでしょう。会いたいです。会って母がしたことを謝りたいです。それと色々大変だったねと、ねぎらってあげたいです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月23日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は一日中雨が降り続き、肌寒い一日でした。風邪をひいて体調を崩す人もちらほら出始めています。皆さんもお気をつけお過ごしください。小さなバラが咲いています。 posted by (C)みえこ55いささか愚痴めいた話なので、お読みになる方はあまりいい気分にはならないかもしれないと思い、書こうか書くまいか迷ったのですが、介護をしてきた中で、実は最も根深く、介護を暗いものにし、介護者を惨敗に追い込んだ出来事だったので書くことにしました。介護を経験して困ったことは数知れずありますが、その中で大きな落とし穴というか、思えば一番に上げていいほどの困ったことがありました。それは、介護経験のない外野の存在です。これまでの経験では介護をやったことのない人ほど余計な口出しをしてきます。しかも百害あって一理なしでした。何の助けにもなりませんでした。我が家に場合は、母の妹がそうでした。アメリカに住んでおり母の妹で私にとっては叔母にあたる人です。叔母も、母とほぼ同じ性質をしており、何かというと激高する、粘着質な人です。何度か日本に帰国をしていますが、必ず毎回姉である母とは大喧嘩になり、二度と来ないと言ってアメリカに帰って行きました。その度に叔母は我が家に転がり込んで来て滞在し、叔母の世話をするのが私達家族だったのです。激怒した叔母をなだめ、帰りの成田空港まで送るのも、いつも私達夫婦。あれほどの喧嘩をして捨てぜりふを残して去って帰るので、もう連絡も来ないだろうと思うと、しばらくするとケロリとして迷惑をかけたわねでもなく連絡をよこします。一見不思議な人だなと思うかもしれませんが、母も全く同じなので、血のせいなのかと思ってもいました。今まで生きてきて、他でこのような人達に出会ったことはありません。叔母は感情の起伏が激しく、いつも何かに怒っていて、自分がいかに不幸かをくどくどと語るのも特徴です。そしていつもトラブルの原因は相手にあり悲劇のヒロインになっています。いつも誰かとトラブルを起こし、大切な人間関係をバッサリと切ってしまいます。自分から切り捨てておきながら、しばらくすればあやまるでもなく、ケロリとして、また連絡をしてきます。楽しく明るい話題で話をすることが少ないです。多分病気なのだと思います。母と同じ前頭側頭がおかしくなっているのかもしれません。いつも自己中心的で、何事にも批判的で文句が多いです。そういうところも私の母とはそっくりです。二人とも同じトラブルメーカーなのです。その叔母も数年前に夫が亡くなり自宅を売って娘に引き取られたのですが、ほどなく娘と大喧嘩となり、現在はアパートで独り暮らしをしています。そのため、娘に対する不信感が大きく、私の介護に対しても母が自分と同じ立場だと思ったのか、私の介護に対し不信感を抱いているようで、色々と口出しをしてくるのです。母の携帯電話を私が預かったことも、携帯を渡してやってくれとか、病院にうなぎを差し入れろとか、私が外出をすることにまで文句をいう始末です。携帯を母に渡せないのは、夜中にもあちこちに電話をしてしまうことや、相手の都合も考えずに迷惑な電話をしてしまうこと、要らないものを注文するなどの事情があります。また、鰻などの生物は病院には差し入れできません。叔母にとって身内は母くらいなもの、自分の娘とはうまくいっていません。孤独で暇なのです。介護で四苦八苦している最中にくどくど文句を言われ、姉である母が可哀想でそのことで自分が辛いと嘆きます。叔母からの電話のせいで、落ち着いていた母の気持ちは揺れ、母の私への不信感はより大きくなっていきました。せっかく穏やかに過ごしていたのに、メチャクチャにかきまわされて、本当に無責任すぎて腹立たしい限りです。叔母からの電話がなければ、今頃母は楽しくデイサービスに通っていたかもしれません。叔母は少しでも介護をした経験のある人ならば、決して言わないことも言います。特にしつこいのが、母が認知症だとは信じられないと言ってくることです。診断書もあり、認知症であることや警察に捕まったことはまぎれもない事実なのに、信じられないと言ってくるのです。警察に捕まったことは信じられないというだけではなく、スーパーがなぜ警察に通報したのか、店長が悪いと言う始末で、どう説明しても無駄なのです。今までもそうでしたが、物事に過剰反応し、冷静に現実を受け止めることができません。何でも人のせいにして、自分が一番可哀想だと思っています。母が認知症になり、私が介護をしているという当事者よりも自分が可哀想という話を延々としてきます。人の話を聞かず一方的、しつこい、そして幼稚な人なのです。母は叔母と話をしているうちに、自分は認知症ではないと言い出し、家を出ていきました。警察が出動するまでになってしまった責任をどうとってくれるのでしょう。叔母がこれまでやってきたことは、母に何をもたらしたでしょう。母はこの家にいられなくなり施設に行くことになっただけです。母がようやく落ち着いた頃に電話をかけてくるという疫病神という感じです。母は叔母の電話がある度に、心が大きく乱れ、私もその度に荒れ狂った母をなだめることを繰り返してきました。そして、結果母は家を出ていきました。家の前で近所のことも考えず大声で怒鳴り散らしながら、ケアマネージャーや迎えに来てくれたショートステイの職員に毒づき、タクシーの運転手も怒らせて最後は警察まで出動しました。元をただせば叔母からの一本の電話からはじまったともいえます。たった一本の電話であっても介護はメチャクチャになるのです。認知症の介護では、有害な人との接触は害にしかなりません。他人の介護には口出しだけをしてくる人は疫病神だと思います。疫病神を見極めることも介護をするうえで大切なことですが、近い親戚だけに難しいですよね。介護というものは、単に母の身の回りの世話をするだけではないということでもあります。疫病神を退治するのも介護なのでしょうか。こうなるとは思ってもみませんでしたし、仮にわかっていたとしても防ぐのは難しかったです。はじめの頃に母は手当たり次第に知り合いに電話をかけては、「連れてこられた」を連発していましたからね。そういう意味では、大元は母に問題があったとも言えますが。はじめは、仕方がないと外野は無視すればいいだけと思っていました。思った通りやがて誰からも連絡は来なくなりほっとしていました。しかし、忘れた頃に、そして母がようやく落ち着いた頃に連絡をよこすのがアメリカの叔母でした。それが最悪でした。介護をするうえで携帯電話並びに電話は実に怖いものでした。介護の鉄則?かわかりませんが、疫病神との接触には要注意です。介護をメチャメチャにされてしまいます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月22日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は昨日昼頃からから降り始めた雨が降り続いていて、少し寒いです。長袖に長ズボンでないといられないほど。ぐっと気温が下がっています。もうひとつのバーベナ posted by (C)みえこ55先日も庭のバーベナを載せましたが、こちらも同じく庭のバーベナです。色は似ていますが形が少し違います。調べてみたところ「バーベナ リギダ」という品種らしいです。宿根草に助けられて posted by (C)みえこ55こちらが一昨日載せたバーベナです。さて、昨日は夫が同世代の職場の同僚の方達と集まる機会があったそうです。多くの方が介護中でその苦労話であったり、お墓の問題など、似たような事で悩んだり、話が盛り上がったと言っていました。また、現在はまだ介護をしていない人も明日は我が身ということで、興味津々だったそうです。夫の立場は、自分の親の介護ではないというところや単身赴任をしているので、ほぼ一緒に暮らしてこなかったこともあり、半分他人事のようなところがあります。しかし、夫の両親も高齢で健在であることや、私の苦労を身近に見てきたことから、少しず現実味を帯びてはきてはいる様子です。昨日の話では、遠距離介護をしている人や、介護を誰がするか、兄弟間でもめたり、施設に入ったはいいけれど、介護度が上がる度に施設を変わらなければならなくて、何度も施設を変えたなど、それぞれに色々な問題を抱えながら介護をしているようです。私自身も、振り返ってみれば、母を引き取って以来、これまでに経験をしたことのない問題が次々と起こりました。それをひとつずつ、解決してきた日々でした。問題を解決する第一の方法は地域の包括センターにまず電話することが最初です。しかし、それだけではわからないことが沢山ありました。地域包括センターのケアマネージャーさんは、国からの指示でアドバイスをしてきますので、裏技的なことは教えてはくれません。実際の介護をしている側にとっては不利になることも出てきます。そんなときに役に立ったのは、実際に介護をしている人達の情報でした。初めてショートステイ(泊まり)を利用したとき、その施設ではお風呂には入れてくれない施設だと知りませんでした。夏でしたし、お風呂が大好きな母はその施設に行くのが嫌だといい始めて困ったことがありました。介護をしている知人にその事を相談すると、お風呂に入れてくれるショートステイもあることがわかりました。また、週に5日デイサービスを使っていなかったのですが、ショートステイを使うといいということを教えてくれたのもケアマネージャーではなく友人でした。こんなことから、はじめの頃に、介護をしていることを隠さず公表してよかったと思いました。私が介護をしていることを聞いた人達の中には、かつて介護をしていた人もいれば、現在やっている人もいて、色々な情報をもらえたり、悩みを聞いてもらえました。自分だけで抱えていたらここまで頑張れなかっただろうと思います。それと、介護を経験してきた人と話をしていると、私も大変だったわと言いながら、涙を流す人がけっこういらっしゃいました。いずれも現在進行形の人ではなく、介護が終わった人達ばかりです。それほど、多くの方が、介護で苦労をし、時代が進んでも介護は楽にはなっていないということです。もっと昔は介護サービスもなく、親の介護は嫁がやるものだった時代に比べると、今はそれでも楽になってはいるのでしょうが、この問題もう少しどうにかならないものかと思います。また、少し前に介護が終わった方は、値段の安い特別老人養護施設に入れたのですが、現在はなかなか入れません。なので、これから介護する人の方がむしろ大変になってきています。家族がいる場合、なるべく家族で、しかも自宅で介護をさせるという方向になっています。私自身もはじめ、素直に言われるがままケアマネージャーさんの言う通りにしていた場合、私の母の場合は要介護ではなく要支援になるところで、ほとんどサービスを受けられなくなるところでしたから。ところで、昨日は近所の八百屋さんで、ジム仲間に久しぶりに会ったのですが、最近ジムに来ないと思っていたら、旦那様の介護をしていて来られないのだと話していました。その女性の年は70歳代で、「老々介護だわ」と笑っていました。どこもかしこも介護介護。道を歩けば介護している人にあたるという感じです。介護問題どうなるのでしょうね? ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月21日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝はどんよりと曇り空です。午後からは雨になるようです。涼しいというより、少し肌寒いと感じる朝です。秋ですね posted by (C)みえこ55先日お買い物に行ったときに見つけた可愛い木の実です。何でしょうね?ピカピカに光っていてクリスマスのリースなどに使えそう…昨日は夕方帰宅してベランダの戸を開けると金木犀の香りがしてきましたよ。金木犀のお花は可愛いですよね。小さすぎて香りがするまで気づかない事が多いです。また、撮影も難しくていつも失敗をしてしまいます。さて、昨日は久しぶりに兄から電話がありました。施設は見つかったか?という電話でした。見つかっていなければ自分も探しにいかなければいけないが、病院を新たに探すにのが難しい、住所が山形にないので探せない。仕事の休みが少なく探しにいく時間がないという事でした。そこで、こちらで探すのでいいと言いました。施設探しは、病院のケースワーカーさんからの紹介で、施設を紹介する専門の業者さんを紹介されました。3ヶ所紹介され、そのうちの一つは予算オーバーだったので、残りの2ヶ所を見学にいきました。1ヶ所は予算内ですむ施設でしたが、もう1ヶ所は、パンフレッドに書いてある値段の他に色々加算され、予算をオーバーすることがわかり、今の時点では、予算内にすむ1施設が候補です。しかし、今のところは空きがなく順番待ちであるということと、施設側で母を受け入れてくれるかどうかの審査があり、どうなるのかまだわかりません。母が退院するまであと1ヶ月を切りました。さて、施設は見つかるのか?見に行った施設はいずれも、一見して認知症であるとわかるような方ばかりでした。車イスの方も多く、一見元気な母がこの中にいられるのか?と思いましたが、それについての判断は、私が心配しても仕方がなく施設側に委ねるしかないでしょう。焦っても仕方がないので、あとは申込書と書類を揃え提出をして待つのみです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月20日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝も昨日と同様に涼しい朝です。珍しく朝から夜まで晴れマークの予報で、最高気温も24度と、今年初めての爽やかな秋晴れの一日を過ごせそうです。宿根草に助けられて posted by (C)みえこ55今年の夏は暑すぎて、そして介護の忙しさもあって、庭の手入れがほとんど出来ませんでした。春の花が終わると、いつもならジニアやマリーゴールド、ペチュニアなど、華やかな一年草の夏の花を植えていましたが、今年はほとんど新しい花は植えませんでした。地味な夏の庭になるのかなと思っていたのですが、引っ越しをしてきた3年前から、コツコツ植えてきた宿根草達が、少しずつ株を大きくして、その存在感を主張しはじめています。まるで、「私達がいるわよ」と言わんばかりに。新人だけでなくお局さんも大事にね。そう思った今年の夏でした。母を引き取ってから、まずはじめに驚いたことが、片寄った食生活でした。鰻やステーキ、寿司、カキ、とんかつ、すき焼き、カレーが好きで、特にうなぎとすき焼き、カレー、カキフライは好んで食べていました。どれも栄養価は高いのですが高カロリーで、砂糖をたっぷり使うものが多く、ご飯との組合せで食べるので糖質が多くなります。また、ソースや醤油も多く使うために塩分も多いです。また、母が作る料理は味が濃くて、甘いのも特徴的でした。なので、母が来てから、驚くほどのスピードで砂糖や醤油がなくなっていきました。母はこちらに来てから、何もせずに寝てばかりいましたので、かなり太りましたが、病院に入院してからは、3食しっかり食べているのに、以前よりも痩せて、顔色もかなり良くなっています。食生活や規則正しい生活が、いかに重要かということを実感しています。これまでも、私自身健康には気を付けていましたが、母が来てからは、共倒れ寸前にまで追い詰められましたので、より一層気を付けるようになりました。母と暮らすうちに、だんだんと濃い味に慣れてきたりもして、生活習慣病とは家族にまで大きな影響を与えるものであるということも感じました。そういう意味で、家庭の主婦は家族の健康を守る、重要な役割を果たさなければならないものだということも今更ながら再認識した次第です。色々な意味で認知症の介護は考えさせられています。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月19日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日の最高気温は30.7度と、久しぶりに30度を超えて暑くなりました 。夜になっても気温が下がらず、少しだけエアコンも入れました。今朝はぐっと気温が下がり、少し寒いです。日中も26度くらいまでしか上がらないようなので、過ごしやすい一日になりそうで嬉しいです。そろそろ小松菜など、冬に収穫できる野菜の種も撒きたいなと思います。残暑厳しき連休最後の日 posted by (C)みえこ55昨日は三連休最後の日でしたね。皆さんは何をしてお過ごしでしたか?私は新しいトレーニングウエアを買いにアウトレッドに出掛けました。ダンスがとにかく大好きなので、やる気がなくなるということはまずないのですが、より練習に気合いが入るよう、ウエアを一新することにしたのです。着るもので気持ちはずいぶん変わると思います。また、それなりの格好をした人はそれなりの運動技術を持っていたりするもので、格好がプロっぽいのにど下手というギャップのある人、またはその逆で、格好が初心者でも技術はピカ一という人にもあまり出会ったことがないです。なので、ウエア選びはけっこう大事かなと思います。昨日は祭日で、込み合うからと夫が送迎してくれたのですが、夫の車を待っている間に、この写真を撮りました。多分ハナミズキかな。リュックサック一杯に買い込んだウエア、明日はどれから着ていこうかな?とワクワクしながら車を待っていましたよ。さて、連日テレビでは、テニスの大阪なおみ選手の活躍を讃える報道が流れていますね。落ち着いた口調でインタビューに答える姿が謙虚でウイットに富み、かなり好感度が高い印象です。若いのに堂々と答えていて、一流になる人は凄いなと思って見ていたところ、コメンテーターの方が、世界で活躍するテニスプレーヤーは、 インタビューに答えるための訓練を幼い頃から徹底して受けているとおっしゃっていたので、なるほどなと思いました。一流になるためにはテニス以外のマナーや人からどう見られるか等、人としての訓練を受けているのですね。その一方で、試合の合間の様子が流れていたのですが、その時の大阪なおみ選手の様子はインタビューの時とずいぶんと違っていました。憮然とした表情で椅子に座っていて「何をそんなにイライラしているんだい?」と、優しく尋ねるコーチに、なおみ選手は「全てに!」と、また憮然とした表情で答えていました。そしてコーチは「君には出来るよ。」と、また優しく声をかけていたのです。トップに登りつめる実力のある選手でも、極限に達すると、自分を見失いそうになり、イライラを爆発させる事があるのだなと思ったら、少しほっとしました。私自身、母を引き取ってから、思い通りにいかない事ばかりで、イライラしたことが何度もあり、ついには鬱状態にまでなってしまいましたから。その時は、自分ってなんて弱いのだろうと我ながらがっかりしましたからね。 世界で戦う選手とはまるで立場は違いますが、イライラを解消し、壁を乗り越えて行く事が、何かを成し遂げる上で、とても大切な事だという事に気づかされた大阪なおみ選手の一場面でした。私も軟式ではありましたが、中学時代にテニスをやっていました。その時に、私よりも技術が上なのに、いつも私に勝てない選手がいました。なぜ勝てないのか?というと、試合の後半になると、ペアの選手がミスをしはじめたとたんに、イライラしてしまうからなのです。私はいつもメンタルが崩れる瞬間をいつも見逃しませんでした。その瞬間が訪れるのをじっと耐えながら、なおかつイライラするであろう場所にボールを狙い打ちするのです。その後大学で体育を学び、なぜ自分があのときに勝ち、その後の大きな大会で負けたのかはおおよそわかりました。勝った要因のひとつは持久力です。私は片道30分の道のりを早足で毎日学校に通っていました。一方すぐにイライラしてしまう選手は、同じ距離の場所からの自転車通学だったのです。テニスやゴルフなど、長時間にわたる競技や試合をする場合、持久力がないと、特に後半になればなるほど脳への酸素の供給が悪くなり、判断力も含めてパフォーマンスが悪化します。前半は調子が良いのだけれど、後半にスコアがガタガタになる人は、持久力がないと考えていいと思います。私は、中学時代にその事を知りませんでしたが、片道30分、往復で一時間のウォーキングを毎日行い、なおかつ、他の選手はやらなかった走り込みを徹底的にやっていました。何か、勝敗がはっきりしたスポーツなどをやらないと、持久力の必要性をあまり感じなくなると思います。しかし、普通に生活する上でも、持久力はとても大切な体力のひとつだと思います。メンタルを安定させる上でも必要ですし、持久力を鍛える事は、心臓を鍛える事です。心臓を鍛えれば全身の血の巡りがよくなり、あらゆる生活習慣病の予防になります。脳への血流もよくなり、認知症の予防にもなります。ウォーキングはジムなどに行かなくても、いつでもどこでも出来ますので、ぜひ定期的に行うことをおすすめします。一般的には、早足で軽く行きが弾む程度、一回に30~60分程度。週に3~4回が理想です。意識的にスピードや運動の頻度はきちんと効果の出るやり方で行った方がいいと思います。昨日も書きましたが、運動はただやるだけでは効果が全くないか害になる事もあります。人それぞれに合った強度があり、同じ人であっても、トレーニングの段階によってもやり方は変わってきます。歩くときに大切なのは運動の強度だけではありません。正しいフォームで歩く事もとても大切です。正しく歩く事は、意外と難しいですよ。ビデオなどに取って観てみると良いと思います。そういう私自身も、実は歩くのは下手ですが。歩く事をいまいちど極めねば!と、大阪なおみ選手のイライラ場面を見ながら思った次第です。その後の大きな大会で負けた理由は、詳しくは長くなるのでまたそのうちに… しいて一言で言うならば、練習が足りなかったのでしょう。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月18日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。久しぶりに青空が広がっています。予報ではこのあとは曇りで雨も降るようですが。エキナセアとセセリ posted by (C)みえこ556月から10月くらいまで、花期がとても長いエキナセア、一度植えてしまえば、それほどこまめに手入れをしなくてもいいので重宝しています。冬になると地上部は枯れてなくなりますが、春になればちゃんと芽がでてきます。急激に株を大きくして増えることはありませんが、着実に少しずつ大きくなってくる、コツコツタイプのお花です。我が家の庭では頼もしい存在になっています。さて、物心ついたころからからだを動かすことが好きでした。幼稚園の頃は、特に鉄棒が好きで、かなり難易度の高い技を自力でマスターして、子供心に、我ながらすごいと思っていたりもしました。しかし、小学生になってから、久しぶりにその凄技に挑戦してみると、いつに間にか出来なくなってしまっていました。また、運動能力小さい頃から比較的高かったのですが、柔軟性だけは人並み以下で、これは生まれつきのものだと思い込んでいて、自分で努力をするという意識なく大学生になりました。体育学部でしたので、オールラウンドに運動が出来なければならなく、その中で苦戦したのがダンスの授業でした。必要性にせまられて取り組んだところ、前後開脚ができるまでになっていました。自分の限界を早いうちに決めてしまったことを、今になって思えばもったいなかったと思います。また、いい指導者に恵まれなかったことも残念ポイントです。その後、子育てなどで運動から離れた期間があり、再び運動を再開したときには、前後開脚は全く出来なくなっていました。年をとると、今まで出来ていた事が出来なくなるということは、ごく当たり前のことだと思われます。しかし、出来なくなったことは、今後も出来ないか?というと、決してそうではないと思った方がいいと私は思います。数年前、前後開脚が出来なくなったことに気づいた私は、再び出来るようになるための練習をはじめました。ところが、頑張りすぎたのか股関節を傷めてしまい、これはもう無理だと諦めてしまいました。しかし、2年前からはじめたヨガのレッスンで、少しずつ柔軟性を高めていくうちに、ついに再び前後開脚が出来るようになっていたのです。自分の限界がどこにあるのかを見極めるのは、とても難しいことです。自分でも他人にもわからないことかもしれません。母はよく都合が悪くなると「年だから当たり前よ」と出来ない理由を年のせいにしていました。私はその言葉がいつも頭に突き刺さっていました。母だけでなく、年だから、運動をしてどこかを傷めたからと、限界を決めてしまう人を多く見てきたからです。私自身も、その人たちと同様に、限界を決めて諦めたことがあるわけですし。この限界を見極めることは、確かに難しいと実感しています。理想としては、運動でも何でもそうですが、物事を成就するためには高い専門知識を持つアドバイザーを持つことが理想だと思います。しかし身近に見つけるにはなかなか難しいようです。死ぬか生きるかという病気になった場合は、必死に治してくれる医者を探すでしょうが、ただ健康になりたいとか、痩せたい、綺麗になりたいという理由で、必死に専門家を探し、それ相応のお金をかける人は、一般の方では少ないと思います。私に場合は、幸いにして、専門家集団の中で過ごしてきたので、教えを頂ける機会は、普通の人よりは多かったと思います。そういう意味でこの業界にいて良かったなと思います。出来ることも出来なくなるのは、やらなくなるから出来なくなる。ということも念頭に置き、自分を創っていくことが望ましいと思います。年のせいにして努力をしなければ、人生はそこで終わります。努力を怠る理由を年にせいにしていい場合、悪い場合。見極めが難しいですが、最終的に決めるのは自分です。ジムに来ている方を見ていると、多くの時間を費やしているにも関わらず、どんどん運動が下手になっていく人や、筋力が落ちている人がいます。目的意識を持ち、意識的にやらなければ、効果が半減、あるいは害になることもあるのですが、そのことを知らない人がとても多いのも実感です。実にもったいないことだと思います。特に60歳後半からの筋力の低下は著しく大きくなります。顕著に現れるのは太ももの筋肉とお尻です。立ち姿や歩く姿が年よりくさくなり、機敏な動作が出来なくなってきます。太ももは細くなり、お尻もぺたんとして、パンツ姿がカッコ悪くなります。筋肉の老化が認知症につながることもあります。 スポーツクラブの運営方法によっても違うのですが、効果的に会員さんが運動出来るように指導をしているクラブと、そうでないクラブがあります。より質の高いレッスンを受けられるクラブを探すのは難しいです。太ももとお尻の筋肉がしっかりとキープされて、機能的にもよく、パンツルックを綺麗に着こなせているかどうか、教えてくれるクラブでもあればいいのにと私は思いますが。 介護もそうですが、自分のことは自分ででやってねという方向になっているようです。何事も他人任せではいけないということでもあります。生きるということは、いかに自己防衛出来るかということなのだと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月17日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。先程まではどんよりとした曇り空でしたが、 少し日差しが出てきて蒸し暑くなってきました。 いとしのヤブラン posted by (C)みえこ553年前にこの家を買ったとき、10年以上も空き家だった家の庭は、隣の家が見えないほど、植物が延び放題になっていて、まるでジャンルのようでした。いらない木を伐採していくと、地面にはおびただしい雑草に混じって、このヤブランがあちこちに広がっていました。雑草は比較的手でも抜けたりして、取り除くのは簡単でしたが、ヤブランは、さほど根は深くないにも関わらず、太くしっかりとした根が、ガッチリと地面をつかむように生えていました。花がないときのヤブランは、雑草と変わらないような存在感でしたし、とにかくおびただしい量のヤブランでしたので、土を掘り返し抜く作業に泣かされた日々が続いたので、最後の方は、憎っくきヤブランという感じになっていました。全部撤去してしまいたいくらいな気分になっていましたが、秋になればこんな紫色の綺麗な花が咲くことを思い出し、二株だけ残すことにしました。あのとき思いとどまり良かったなと思います。介護をはじめて、介護をしている人が、思った以上に多く周りにいることがわかりました。私の知る限りでは、ほとんどの方が体調を崩しています。 私自身も、かなり健康には気を付けて生活しており、人並み以上の体力があると自信もあったにも関わらず、体調管理に関してかなり苦戦をしてきました。家事や雑用に加えて介護が加わると、自分の自由な時間が相当数奪われるのです。 おとといも、母の入院費を払いに病院に行ってきました。ケースワーカーさんと今後の事について相談したり、母の病状について主治医の先生と話をしたり、母にも面会してきました。片道20分の道のりと、面会や相談の時間で、一時間やそこらではすみません。 母を引き取ってからも、入院してからも、母にまつわる用事で多くの時間を費やしています。 さて、介護仲間のほとんどが体調を崩している中で、ごく少数ですが元気な方がいます。 その元気な方というのは、定期的に休まずジムに通っている方でした。しかも、定期的に受けているレッスンは比較的運動強度の高いものです。意識的にそして、かなり積極的に体力と健康の維持増進に取り組んでいるのも特徴です。反対に、なかなか調子が上がらない、いつもどこか具合が悪く病院通いをしている人は、体調が悪いという事もあるのでしょうが、ジムを休みがちになります。その多くの方は、見ていると、家事や介護などで忙しくなると、自分の健康管理のための時間をまずはじめに削るようです。しかし、自分の健康管理は最優先しなければならないものではないかと私は思います。そう思いつつ、私自身もそのバランスが、この度は大きく崩れてしまいましたが。介護を続けながらジムに通うのは並大抵の努力では出来ない事なのかもしれません。介護をする人の健康管理はとても難しいと実感しています。しかし、やらなければ着実に健康を害することになるでしょう。知恵を絞っていくしかありません。ですから元気に介護をしている方に見習い、意識的に、そして積極的に、攻めの健康管理をしていく必要があると思います。体調を崩している方は、体調を崩した原因がどこに問題があるのかわかっていない方が多いと感じます。あるいは、介護が忙しく、睡眠時間が削られたり、食事の時間が不規則になるなど、原因がわかっていても、介護をやめるわけにもいかず、どうにもならないという現実もあると思います。主婦は仕事をしていないので暇だと思われがちで、なおかつ本人もそう思っている場合が多いです。しかし、実際は細々とした雑用に追われ、忙しい毎日を送っています。日常の家事や雑用、それに介護が加わると、真っ先に削るのは、自分のために使っていた時間、すなわちジムなどで体を動かしていた時間です。どんなに忙しくても、体を鍛える時間を削ってはいけないと私は思います。使えるサービスを最大限に使い、家事や雑用は家族にも協力してもらい、自由時間を限りなく多く作る事が大事なのではないでしょうか。主婦をしていると、自由時間=遊んでいるだけ と思われがちですが、健康で生きていくために必須な時間であると思います。堂々とその時間を確保し使っていいと思います。健康を維持できない状況があるということは、介護の限界を迎えたという事になります。多くの方が限界を越えて介護をしているのが今の日本です。そんな日本の現実に押し潰されてはいけないと思う今日この頃です。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月16日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝も朝からまとまった雨が降っています。予想最高気温は22度、一日中ほぼ雨のようです。しぶとさNO1 posted by (C)みえこ55バサバサとぞんざいに切ってしまっても、必ず次の年に咲く、とても丈夫なお花です。何度買ってきて植えても、枯れて次の年に咲かない宿根草もあるというのに。サルビアガラニチカは、しぶとさNO1です。さて、まじめで融通がきかない、変化に弱い。神経質なところがある。と、欠点ばかりを書いてみると、何やら付き合いにくそうな人を思い浮かべると思いますが、何を隠そう、私のことです。多分、小学校高学年くらいの頃から自覚がありました。寛容さのかけらもない自分が嫌いでした。友達とよく喧嘩もしていましたね。でも今とはだいぶ違いますよ。クラスなどで嫌われているような子がよくいましたが、遠足などのグループ分けをするときに、自分は絶対一緒になりたくないと思っていました。そう思う子は、私だけではありませんでしたけど、一人残った子を自分のグループへと入れてくれる寛容な子もいて、その違いは何かなとずっと思っていました。私が今所属しているダンスチームの皆が、子供の頃に見た、あの寛容な人達に性質が似ているなと思います。大方の人は、なんとなく「あの人嫌い」と思うような人であっても、分け隔てなく接することが出来るおおらかさがあります。ちょっとしたことで、激怒をして文句を言い続けている、沸点が低い人がいますが、我がチームのメンバーは、控えめで激高するのを見たことがないです。そんなメンバーと過ごすうちに、自分自身の物事に対する沸点が、皆よりも少し高いことに気づきました。例えば、列に並んでいて、誰かに割り込まれたとします。誰でもいい気分ではありませんが、その時の反応が微妙に違うようなのです。私の場合心では激怒をしていますが、それを相手には言えません。なので怒りが自分の中に大きく残ったままになります。ところが、我がチームの皆は、同じように腹もたつし相手に文句もいいませんが、お先にどうぞと自然に言える人達なのです。その事に気づいてから、私はメンバーの皆の行動をいつも見習うようになりました。腹のたつ現象がたとえ起きたとしても、自分の反応の仕方で、すいぶん穏やかな気持ちでいられるものだと、仲間の行動から学びました。自慢話になり少し気が引けますが、ジムでよく、我がチームは皆綺麗で性格がいいね。と言われることがあります。それは、顔やスタイルの良さだけではなく、中身も評価してもらえているのだと、勝手な判断かもしれませんが、私はそう感じています。年齢と共に心のあり方が表情に深く刻まれるようになります。なので、こうした誉め言葉をいただけることがとても嬉しく思います。最高の誉め言葉を頂いたのだと思います。美しさを保つためには、運動や食事、休養も大切ですが、心穏やかに、周りの人達と協調しながら生きることも大事なのだなと思うようになりました。美しく生きることを目標に、これからも頑張ります。今のダンスチームに恥じないように…誇り高き我がチーム。素敵な出会い、これからも大事にしていきたいです。最後まで自慢話ですみません。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月15日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は朝から雨がしとしとと降っています。予報ではずっと雨でやむことはないようです。この夏はとても暑くて庭の水やりも大変だったので、雨が続くと嬉しいです。予想最高気温は22度と、涼しい一日になるようです。ゴーヤ豊作の年 posted by (C)みえこ55テレビのリモコンと並べればその大きさが伝わるかと思いましたが、写真では迫力に欠けました。男性の腕の手首から肘くらいまでの長さと言えば想像がつくでしょうか?大抵大きくなる前に黄色くなってしまいますが、このゴーヤはずいぶん大きくなりました。野菜高騰のおり、家計的に大変重宝しました。はじめはゴーヤチャンプルくらいしか調理法を知らなかったので、数回食べて飽きてしまいましたが、小魚などと一緒に佃煮にしてからは、保存食として重宝しています。ご飯に合うのはもちろん、ゆでたキャベツや、サラダの横や、豆腐に乗せれば、調味料がわりにもなりますし、栄養価もアップします。先日は、母の病院から先月の請求書が来ていました。当初は20万以上の請求が来ると言われていましたが、市役所に行き、あらかじめ高額医療費の請求の申し込みをしていたので、それよりは安い金額ですみました。しかし、これからは、施設に入所することになるので、月に20万円前後のお金は、毎月出ていくことになります。母の場合長年正規雇用で働いていて、父も公務員でしたので、そこそこの年金や貯金もありますが、それでも、何年生きるかわからないということがあるので、無駄な出費は極力押さえなければと思います。1年間で240万円、5年で1200万円、10年で2400万円かかります。母は現在90歳です。高血圧の薬は飲んでいますが、それ以外はいたって健康で、病院に入ってからは、ますます顔色も良くなりました。100歳まで生きるということも十分あると思います。老後は先立つものはまずお金ですね。そして、それ以上か以下かはわかりませんが、健康が大事です。しかし、こればかりはどうなるのかわかりませんよね。最近ダンス仲間のお一人がレッスンをお休みして、腰痛だとはじめ聞いていたのですが、なかなか出てこないのでどうしたのかと思ったら、「多発性関節炎」と、リウマチのようなご病気になったということがわかったようです。最後に会ったときまでは、とてもお元気だったのに、まさかそんなご病気になるようには思えないほど健康そうでした。暴飲暴食などもせず、健康的な生活を送っているような方でしたので、なおさら驚きました。どんなに気を付けていても、病気になるときはなるのでしょうが、やはり、なってしまったときに、悪い生活をしていたとすれば後悔してしまうものだと思うので、やはり健康には気を付けて生活をしておいたほうが良さそうです。母の介護をしてきて、こんな結果になってしまいましたが、仕方がないと思えるのも、やれるだけのことはやってきたと思えるからだと思います。母がここまで回復出来たのも、リハビリに通わせて、寝たきりにしなかったことが大きいと思います。最後の人生を少しでも健やかに過ごせるよう、見守って行こうと思います。長生きは誰でも出来る時代になりましたが、健康で長生きは難しいですね。出来るかわかりませんが、自分のたった一度の人生にはベストを尽くし生きていきたいです。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月14日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今日は予報では最高気温は27度。曇りです。頑張らない庭で posted by (C)みえこ55さて、長い間自分でも不思議に思っていたことがあります。何かに夢中になると、取りつかれたように頑張ってしまうという自分の習性です。はじめにそうなったのは、小学校の六年生の頃でした。アニメを見て、テニスがやりたくなり、バトミントンのラケットで一人で壁打ちをして練習に明け暮れていました。なので、中学に入ったときには、ほぼ独学でテニスが出来るようになっていました。一年生はボール拾いしかさせてもらえないのが当時の練習でしたが、二年生の春には団体戦、個人戦のレギュラーにもなり、個人では市の大会で三位に入賞出来ました。ところが、三年間テニスをやったところで、燃え尽きて、テニスに対する情熱が全くなくなり、やめてしまいました。その後も色々なものに興味が湧いて、夢中になるのですが、同じように燃え尽きて、パタリとやめてしまうことが何度もありました。自分でも、何事も長続きしない自分がふがいなくも思えたり、いいところまでいきながら、もったいないなと思ったりしていました。人から見れば、多分あともう少し頑張ればいいのに…というところで諦めて投げ出してしまうのです。飽きっぽいのか?根性がないのか?何だろうと。この家の庭も危うくそうなるのでは?と思ったりしたこともありますが、今のところは不思議とそうはならないような気がしています。3年前の夏の終わりに今の家を買い、春にチューリップが沢山咲く庭を作ろうと思い、朝から晩まで、時間を見つけては通い、庭を作っていました。テニスを始めた時と同じように、一心不乱に庭を作っていたのです。今はあのときほどの情熱はありませんが、昔の自分と少し違うのは、燃え尽きてはいないと思えることです。庭作りを通して少しずつですが、自分の中で何かが変わって来ているのを感じています。口ではうまく説明できないのですが、何か大切なものがこの庭にあるようなそんな気もしているのです。どんなときも庭に出ると心がやすらぎ、幸せな気持ちになれました。ただ雑草を取っているだけなのに、それだけでも満ち足りてくるのでした。興味のない人にとっては、ただめんどくさいことなのに不思議ですよね。でも、ガーデニングが好きなかたなら、この気持ちお分かりになるかもしれません。厳しすぎたり、頑固で融通のきかない親や、不仲の両親、アルコール依存症等の、問題のある環境、いわゆる毒親で育に育てられた子供は、頑張りすぎたり、傷つきやすくうつ病になりやすいなど、ある特徴があるということが本で読み、なるほどと納得したのがつい先日のこと。長い間、自分の中にあった不協和音の理由がわかり、それと戦い続けていたということにも気づきました。何かわからない不安と戦いながら生きていくために、何かに夢中になることで、やり過ごしていたのでしょうか。そんな気もしています。今は、毎日土まみれになって庭を作っていた日々が懐かしいです。あれから3年前たった今、もうあの時と同じことは出来ないなと思います。ジムでかなりのトレーニングをしているにもかかわらず、体力は自分でも気がつかないうちに衰えているのだろうなと思います。あるいは、体力よりも気力が先に衰えてくるものなのかもしれません。今年ほど頑張らなかった庭はありませんでしたが、思ったほど庭は荒れず、それなりに綺麗でした。思えば、必死に頑張ったから今がある。そう思いました。これからは体力気力と相談しながら、地道にコツコツいきましょう。写真のタイトルは頑張らない庭ではなく、頑張ったからからこそある庭なのかもしれません。長い間色々苦悩が続きましたけど、物事に頑張れる自分が出来たということは、まんざら悪くなかったなとも思えます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月13日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は18度と、昨日よりも1.6度気温が下がりました。昨日までは窓を閉めていれば、まだ蒸し暑くノースリーブで良かったですが、今朝はそれでは寒いと感じました。白い薔薇 posted by (C)みえこ55昨日、一昨日と、全く同じ薔薇ですが、場所や角度、日差しを変えると全く違った表情になりました。昨日までは真っ白に見えた薔薇が、この写真では黄色がかって見えます。はじめに見た印象は「白い薔薇」でしたが、本物を見れば、確かにやや黄色がかっていました。秋の薔薇 posted by (C)みえこ55こちらは室内の光で撮りました。母に贈る紫陽花の庭 posted by (C)みえこ55こちらは屋外です。一枚目も同じ屋外ですが、カメラの角度の違いでずいぶん違った色合いになりました。昨日は知人が牛糞が安く手に入る場所があると連れていってくれました。市販の3倍の量はあると思われる大きな袋でたった300円。まさかの大袋で3袋予約してしまい、軽自動車の後ろの席を倒し、ようやく運びました。来年まで十分間に合いそう。来年のお庭は肥料がたっぷりで、きっと植物達が元気になるでしょう。この小さな薔薇も、一回り大きな鉢植えに移して、大きく育てましょう。昨日は月に一回の、ダンス仲間との食事会がありました。全員私よりも3~10歳年上の方達です。もう両親共に亡くなった方、兄弟が田舎で介護をしている方など、似たような経験をしているので、話をするとお互いになんとなく事情がわかる感じです。しかし、私と少し違うのは、お子さん達が結婚や自立をして家を出てしまっていることです。家を出てしまうと、それまでの親子関係と事情が異なるようで、今までと変わって最も戸惑っているのは、お子さん達ではなく親のほうであると感じました。自宅で一緒に暮らしていた頃は、よく話をしていて仲良かった息子が、結婚をしてから冷たくなって寂しい。結婚した娘が、毎年行っていた海水浴に今年は行かないと言ってきた。など、実家より結婚した相手との生活を優先することにとても大きな戸惑いを感じているようです。私もいつか、そんな思いを抱く日が来るのかな?息子に最近彼女が出来て、仲むつましく息子が彼女を大事にしている姿を見ると、心から応援したくなります。なので、今のところは息子が彼女に気持ちが行く事は喜ばしいことと感じていますが。それは、まだ私が元気だからそう思うのかもしれませんけど。 だんだん年老いて、一人でいることが不安になれば、よりいっそうー子供達になんとかしてほしいと思うようになってしまうのかな。そうなれば子供達も親を重く感じてしまうようになるのかもしれません。 それと、いずれの方たちもぎくしゃくし始めた原因のひとつにお金のことが関係していると話していました。 結婚式に出した費用が息子には少ないと感じたらしい。 ということや、老後にお墓を誰が管理するか?など、 そんなことから子供達が親から距離をとりはじめているようなのです。 親子関係というものは微妙なものだと感じた食事会でした。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月12日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は19.6度と、涼しいというよりも、肌寒く感じる気温です。起き抜けに窓を開けましたが、寒くなりすぐにまた閉めました。昨日の最高気温は30.3度で少し蒸し暑く感じましたが、今日は予報では最高気温が24度と、ぐっと気温が下がり、一日中曇り空のようです。母に贈る紫陽花の庭 posted by (C)みえこ55昨日載せた薔薇と同じ薔薇です。昨日の写真は室内で撮りました。鉢植えなので場所を移して、屋外の自然光の下で撮ってみました。背景のグリーンは庭の南側の隣の家との境目に一列に植えた紫陽花です。いつか母を引き取ることになると思って、3年前に母の好きな紫陽花を植えたのでした。運動が嫌いな母が庭を散歩できるよう、回遊出来るコースも作りましたが、とうとう散歩することは一度もありませんでした。前からお読みになっている方はすでにご存知な話ですが、大暴れして家を出ていったのち、病院に入院して、退院後は施設へ入ることになったのです。徘徊というより、主な症状は私の言うことをきかない、私にだけわがままを言うというものなので、この家に連れてくることは出来ないのです。不思議な病状で、私以外の人がいるときは比較的大人しいです。亡くなるまで、この家で庭を眺めながらのんびり過ごしてもらおうと思っていたので残念ではあります。しかし、一度だけではありましたが、紫陽花を見せることが出来たので、目標は達成したと言えるかな。母の認知症は普通の認知症とは多分違うかもしれません。前頭側頭型認知症とアルツハイマー型の認知症と合併をしている認知症なのです。前頭側頭の症状が出ているときは、記憶も比較的保たれていて、頭がよく回り、饒舌になり快活な感じで、一見認知症とはわからないです。アルツハイマーが強く出ているときは、記憶力が低下し、今話した内容は覚えられません。なので、会話が極端に減って静かです。あまりしゃべらないで、適当に相づちをうつので、こちらの場合も一見すると、認知症とは気づかないと思います。今はおだやかになり、なんら問題のない母になっているのですが、大暴れして私の家を出ていった日の母の狂暴性を見てしまった事で、もうこの家に連れて帰ることは出来ないと心に決めました。それまでも、何度も暴言を吐き、次の日はケロッとしての繰り返しでしたが、それは全て私だけに向けられたものでした。しかし、暴言や狂暴性が他人にも向けられるようになり、コントロールが不能になった母を見て、もう自宅での介護は無理だと判断しました。大勢の人に迷惑をかけてしまい、怪我人が出なかっただけでも幸いだったと思うしかありません。家族や本人、社会に迷惑をかけないよう、最善の方法で介護をしていかなければならないと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月11日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は、窓を開けると涼しい風も入っては来たのですが、途中で蒸し暑く感じて、エアコンをつけたまま寝ました。今朝は、陽射しもあったのですが、パラパラと小雨が降り、今は曇り空です。雨が降ったのでとても涼しくて気持ちがいいです。予報では最高気温30度で、雨のち曇りです。この先しばらくこんなお天気が続くようです。秋の薔薇 posted by (C)みえこ55昨年位から、ご近所薔薇好きな奥様達から頂いた薔薇を、挿し木にして育てています。半分以上はダメになってしまいましたが、少しずつ、着実に根を張り、成長し、花を咲かせはじめています。この家に来たときは、荒れ果てたジャングルだった庭。急ピッチで開拓して、様々な植物を植えましたが、管理が行き届かなかったり、庭に合わなかったりで、ずいぶん植物を枯らしてしまいました。何事もそうですが、無理は禁物ですね。その事をガーデニングから学びました。頑張りすぎて3年連続熱中症にもなりましたし。今年は介護が大変で、庭の手入れが出来なかったため、更にダメになった植物も多い中、元気に頑張っている植物だけが生き残り、暑さにも耐え頑張ってくれました。焦らず、少しずつ、花も自分も着実に生きていけるよう、花達とゆっくり語り合いながら、これからも大事に大事にして行きたいです。いつも見ているよ。と声をかけて、私のお庭に来たことを心から幸せよ。と言ってもらえたらいいな。読書の秋 posted by (C)みえこ55教育関係の仕事をしている夫が、ある日「こんな本があるよ」と持ってきてくれた本です。読んでみると面白かった。一見良妻賢母にも見えるようなお母さんが、実は毒母で、その毒母に育てられた子供はうつ病やアルコール依存症、ギャンブル依存症、性依存症、などの依存症にもなりやすく、更には、母親と同じように毒母にもなりやすい。という事が書かれています。そして毒母はパーソナリティー障害やうつ病である事も多いということで、この三点セットでお読みいただくとより理解が深まります。毒母についての理解を更に深めたい方は、岡田尊司先生の「境界性パーソナリティー障害」という著書もお勧めです。まだ子育て中で子育てに悩んでいる方は、毒親にならないために、うつ病やアルコール依存症などになってしまっている方は、毒親に育てられたことが原因かもしれません。あるいは、周りに、普段はいい人だけど、怒ると怖いとか、ちょっと付き合いにくい人、困った人がいた場合、この本を読めばつきあい方のヒントにもなるかもしれません。あなたの周りにも、一人か二人くらいはいると思います。これらに出てくる人は一見そうだとわからない場合も多いです。「いい人だけど、どうも一緒にいると振り回されてしまい疲れてしまう」こんな人です。被害に合わないよう、あるいは自分が毒母にならないよう読んでみるのもいいかも。ホラーを読むよりも怖いですけど。ちなみに、毒母の他に毒父というのもあります。頑固で融通がきかない、そんな感じの人を言うらしいですよ。私の母はどうしてこういう人になってしまったのか?なぜ私はうつになってしまったのか?本を読み進むうちに謎が解けてきて、幼い頃から抱いてきた家族の問題が解き明かされてきました。読んでいて、とても辛くなったり怖くなったりもしましたが、自分がなぜうつになったのか?原因がわかると、ほっとしたというのも感想です。まじめに生きてきたがゆえにうつになったわけですが、まじめに生きてきたから幸せになれたとも思います。物心ついた頃から、両親の喧嘩が絶えず、遊んでもらった記憶もなく、母親からは最後まで否定され続けてきた人生でした。苦しみが多かったけれど、そんな自分でも立ち直れるという自信が持てたのも、この本との出会いがあったから。 何十年も暗いトンネルを歩いてきて、やっと光が見えたなという感じです ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月10日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。一時の暑さは去りましたが、まだまだ熱中症などの危険はある暑さが続いています。昨日は庭の手入れを少ししたのですが、夕方にもかかわらず汗びっしょりになりました。3年連続で熱中症になったので、水分をこまめにとりながら、もう少し続けたかったというところでしたが、早めに切り上げました。伸びすぎた花梨を剪定したり、雑草取りだけしか出来ませんでしたが。ジャスミンティーの花 posted by (C)みえこ55中国人の友人が帰省したときのお土産にジャスミンティーをくれました。ジャスミンの香りがとても心地よく、飲むのがもったいないほど、お花も綺麗でした。その友人ですが、旦那様の転勤で福島に引っ越しをしてしまい会えなくなってしまいました。元気かな?パンを焼くのがとても上手で、美味しくパンが焼けるとよくお茶に誘ってくれたけど。多くを語らなくても、なんとなく気心が知れていたと私は感じていました。似たような感覚を持っているというか、安心して一緒にいられる人でした。自宅がこちらにあるので、また戻ってくるはず。会いたいな。さて、うつ状態がひどくなり母を看れなくなったので、兄に引き取ってくれるよう電話をしたのが約一ヶ月前。あまりいい返事ではなかったし、その後音沙汰がなかったので、引き取ってくれるかどうか心配をしていましたところ、昨日のブログを読んだ兄から電話があり、こちらで施設を探してくれと頼まれました。山形で母を引き取るための準備は何もしていないようでした。昨日のブログでこちらの施設を紹介された(空きがない)という内容を読んでいるはずなので、こちらでの施設探しは困難であるということは理解したと思ったのですが、基本的にはこちらで探してほしいという気持ちであることがわかりました。施設に入る段階、あるいは私の限界が来たときは山形に引き取ってくれると言っていたのですが、住所がこちらにあるからという理由でこちらで看てくれと言われました。さてこれからどうしましょう。やはりまた私達家族が母を看ていかなければならないのか?面会にはもう来ないと言っていましたが、仮に施設はこちらで決めたとしても、兄は今後どのように関わって行くのかを話し合いが必要だと思います。親の介護の兄弟での役割分担、他の方はどうやっているのでしょうね。とても難しいと感じます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月09日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は朝から晴れ渡り、風が入ってきてとても気持ちがいいです。日中は31度くらいまで気温が上がるようですが、あの猛暑は去ったようでほっとしています。昨日は母が入院している病院のケースワーカーさんから呼び出しがあり、病院に行ってきました。病院は3ヶ月しかいられないので、出たあとに入る施設を探すよう言われました。一応3ヶ所の施設を紹介して下さったのですが、3ヶ所とも空き室がない施設で、 空き室がないので入れないのではと聞くと、申し込んで空きが出るのを待って下さいと言われました。あと2ヶ月で空くのでしょうか?空かなくて入れる施設がなかったらどうなるのでしょう?と聞いたのですが、はっきりとした答えは得られませんでした。この辺で施設を探すのは難しいとは聞いていましたが。ちなみに、施設に入ると月々20万前後のお金が出ていくことになります。 先立つものはお金ですね。あるいは、自立した生活をなるべく長く送れるよう、健康管理をすること。母の老後を看ながら、自分達の老後の準備もこれまで以上に考えて生活をしなければと思いました。ケースワーカーさんとの面談が終わった後は、母の面会に行きました。息子と一緒に病棟に行くと、いつもの場所である食堂のテレビの前に座っていました。病院に美容師さんが出張してくれることを聞いたので、 予約を入れておいたのですが、ちょうど昨日がその日だったようで、スッキリとしたヘアースタイルになっていました。 息子を見るなり、とても嬉しそうな笑顔で、「珍しいわね」と言いました。母の面会に行くときは、私が一人で行くとカキフライを食べたいとか鰻を持ってきてとか、 カラオケに行きたいなど、要求が次第に多くなってきますが、子供達や夫がいる前ではそういうことは言わないのが不思議です。なので、子供達や夫と訪れるようにしています。そのほうが、母は穏やかでいられるのではないかと思います。母の隣の席に座ると、次第に他の患者さんが集まってきて、母が楽しく他の患者さん達と交流していることがわかりました。急性期の患者が入る病棟で、あきらかに様子が普通の方とは違う患者さんもいますが、母同様、いったいどこに問題があってここにいるのか、しばらく話をしていてもわからない方も多くいらっしゃいます。母は、前頭側頭型の症状は今のところなくなっており、アルツハイマーの症状が出ているようでした。会話は成り立ちますが、記憶がかなりなくなっていて、今のことしかわかりません。昨日やさっきというものはなくなります。なので、施設や今後の事は、話しても混乱するだけなので、母から聞いてこないうちはあまり話さずにいようと思います。他の患者さんの話によれば、トランプをしたり塗り絵などにも参加しているようですが、本人はトランプ以外の活動はほぼ何も記憶がない状態でした。母は他の患者さんに、よく面会に来てくれていいわね、私は誰も来ないわと言われていました。記憶がなくなるので、何度も来ていることは覚えていないと思いますが。いざ食べるぞ~! posted by (C)みえこ55面会が夕方になってしまい、そのタイミングで子供達も揃ったので、焼き肉を食べに行きました。この他カルビ二皿、牛タン二皿、キムチ、ナムルの盛り合わせ、冷麺とユッケジャンスープを注文しました。お腹一杯でしたよ。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月08日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は曇りでとても涼しく過ごしやすいです。お庭のイチモンジセセリ posted by (C)みえこ55蝶が来る庭を目指して庭を作って来たのですが、夏のガーデニングで3年連続熱中症になり、介護の忙しさも加わり、今年の夏は水やり程度で、ほぼほったらかしの庭になりました。いつもは花のない場所があれば、一年草を植えて、草花がそこらじゅうにある庭だったのですが、今年は、宿根草がどんどん勢力を伸ばし、暑さに耐えられる花だけが残りました。そんな、ほったらかしの庭ですが、蝶がひっきりなしに来てくれて、花より蝶という感じで、ひらひらと蝶が舞う庭を楽しむ事が出来ました。こちらのお花はブルーサルビアで、こちらだけは、暑くなる前に買ってきて植えたものです。地植えでもうまくいけば冬越しをすることがあります。昨日は北海道で大きな地震がありましたね。地図を見て、友人が住むあたりはどこだったか?わからなくて、震度が表示された画面を見て地名を探しました。結局地名が書かれていなかったのですが、震度5位であるというアナウンスが聞こえて来たので、何か物が落ちてくるなど、怪我などしていないかとても心配になりました。また、自宅にいなくて、外出をした先で被害に合う場合もありますし。すぐにラインをして、無事だと聞き、安心しましたが。東日本大震災の時は、私の住む地域も震度5でした。亡くなった方もいて、駐車場の屋根と、大きなホールの天井が落下し、亡くなりました。たまたまいた場所が運悪くという状況で、なんともお気の毒な事でした。 トイレットペーパー、ライター、カセットボンベが売り切れて、スーパーではパン、納豆、ヨーグルトがしばらくの間手に入らなくなりました。計画停電がなされ、オール電化だったので、お風呂に入れなくなる時間などが出来ました。直接の被害がなかったにもかかわらず、気分が落ち込んでしまった事を思い出しました。ジムがしばらくお休みになり、再開したときも、自分だけが楽しんでいいのかと思ってみたり。あのときは寄付金を出すことや、風評被害があたところの野菜を買うことくらいしか出来ませんでしたけど。 何か少しでも力になれることがあればと思います。母が認知症になってから、脳や認知症に関する本を沢山読みました。その中でとても良かった本に「脳にいいことだけをやりなさい」というマーシー シャイモフさん著、茂木健一郎さん訳の本があります。その中に書かれていた言葉で、正確な文を思いだせませんが、「幸せに生きることだけでも社会貢献なのだ。幸せに生きているだけで十分価値がある」というような内容の一節があり、その言葉に救われました。その時、私は7ヶ月半、自分なりに精一杯母の介護をしてきたにもかかわらず、母が荒れ狂い、暴言を吐き散らし、私への恨みをありったけ言って、家を出ていってしまって、大きな無力感に襲われていました。そんなときに、幸せに生きていることだけで社会貢献になるという言葉を目にして、心がずいぶん軽くなったのを今思い出しました。今は震災にあった方達に何も出来なくても、幸せに生きていることで、色々な貢献が出来ると思います。開拓者精神の旺盛な北海道の皆さんですから、力強くたくましく生きていくことと信じています。引き続き余震などあるかもしれません、どうぞお気をつけてお過ごしください。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月07日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝は朝から青空が広がっています。また33度の暑さになるとの予報ですが、今のところはまだ涼しいです。隣の庭から、奥様がお庭の手入れをしている音がしてきました。私も庭仕事がしたいなあと、ウズウズしてきました。いつに間にか心が晴れて、元気になってきました。以前はずーっと、どんよりとした曇り空で、何をするにもどっこいしょという感じでした。理由もなく不安感がつのり、いい知れぬ恐怖感にも襲われました。今はその逆で、理由もなく嬉しい気持ちです。幸せだなと思えます。またね posted by (C)みえこ557月頃からつい先日まで、夏の猛暑の中でも元気に咲き続けていたセイヨウニンジンボクが、とうとう終わりました。今年は長くて暑かった夏、介護疲れでぐったりしていた日もありましたが、ずっと私を励まし続けてくれた友です。本当にありがとうと言いたいです。以前も書きましたが、筋力トレーニングをすると、男性ホルモンのひとつであるテストステロンが分泌されます。テストステロンは人にやる気や闘争心をもたらします。男性が果敢に戦いに挑んで家族を守る行為は、このテストステロンの働きによるものとも言われています。男性も年をとると、テストステロンの分泌が悪くなり、うつになりやすくなります。いわゆる男性の更年期障害です。私が実際筋力トレーニングをやってみた経験上の話なので、絶対という話ではありませんが、私の場合は、かなり追い込んだくらいの筋力トレーニングが効果を感じました。軽い重りで行うのではなく、その重さで運動を行ったときに、歯を食いしばって行うくらいの負荷で行います。効果は直後から1~2日でした。筋力トレーニング日を開けて週に3日やると良いと言われていますが、まさに、そんな頻度でやると、落ち込んだ気分が上がり、また下がったところで次のトレーニングをやるというサイクルでした。筋肉を壊し修復するサイクルとリンクするかのようでした。うつになる前は週に一度だった筋力トレーニングを、私は、たまたまですが、筋力を確実につけるために、週3回に増やしていました。筋力トレーニングをした後は、自分も「あれ?何かが違う」という手応えを感じたので、どんなにやる気が起きなくて、一日中寝て過ごしたいという気持ちになっていたとしても、休まずにジムに通いました。私が行っている筋力トレーニングは、スタジオで大勢の生徒さん達と行うグループレッスンです。今流行りの音楽に合わせて行うので、とても楽しく出来ます。また、毎回同じメンバーさんにも会えるので、自然に仲良くなって、それもとても励みになりました。トレーニングをするのが一番の目的でもありましたが、私は皆の笑顔に会いたくて通っていたと思います。挨拶や何気ない会話がとても嬉しい気持ちになりました。なので、メンタルに効いたのは、一人でマシーンに向かって黙々とやる筋力トレーニングではなく、楽しみながら行う筋力トレーニングが良かったのではと思います。以前は、早朝にウォーキングを行っていたこともあります。朝日を浴びながらのリズム運動もうつの改善にはとても効果があると言われています。しかし、朝は気分の落ち込みが激しすぎて、外に出て歩く気力はありませんでした。実際、大うつと言われるようなひどいうつの場合は、ジムなど行けないかもしれませんね。私の場合はまだ軽かったのかもしれません。ストレスが長期間続けば、誰でもうつになる可能性はあります。私も今後、また何か強いストレスがあればうつになるかもしれません。なので、そうならないよう、今回の事はいい学習の機会になったと考えて、次回はならないよう予防に努めていこうと思います。まずは週3回の筋トレを続けます。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月06日
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こんばんは♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は、日中は時折強い雨が降りましたが、やんで日差しが出ることもありました。夕方くらいから、風が強くなり、夜中にはゴーっという音がするほどの、雨の音が鳴り響いていましたが、朝は嵐が去り静かで、虫と鳥の声だけが響いています。庭をざっと見る限りでは、なすの鉢植えと地植えしたなすがなぎ倒されているくらいで、ほとんど被害はありませんでした。お隣の方の三重に住む娘さんは、駐車場の屋根が飛ばされたと、ラインで写真が送られてきたそうです。皆さま方のところは大丈夫でしたか?夏の終わりに posted by (C)みえこ55まだ35~36度の猛暑が続いていた2週間前、友人が別荘に誘ってくれました。その友人の別荘の広いお庭に咲いていたお花です。2週間前は、まだうつの症状がきつくて、とても辛い時期でしたので、友人に誘ってもらい、本当に助かったなと思います。あの日を境にして、自分に何か変化があったと思います。秋を知らせるお花 posted by (C)みえこ55気の置けない仲間と美味しいものを食べ、とりとめのない会話をし、綺麗なお花畑やオルゴールを見て、温泉に入って、日常から解放されました。辛くて辛くて仕方がなかった日常から距離を置いたこと。これがとてもいい気分転換になったと思います。母が来てから、ジムで過ごす時間が限られるようになったため、それまではジムで行っていたストレッチを、朝布団の中で行うようになりました。それが今ではすっかり習慣になり、やらないと気持ちが悪いというほどに。ゆっくり足首を回したり、手のひらをグーパーと広げるところからはじまり、徐々に体の筋肉を伸ばしていくと、終わる頃にはすっきりと目が覚めます。私がストレッチに力を入れるようになったのは、8年ほど前に、毎年出場していたダンスの大会で踊っていた方がとても美しかったのを見て、伸びやかでしなやかな動きをするためには、柔軟性を鍛えなければいけないと思ったのがはじめです。その後ぎっくり腰を経験し、その原因のひとつに、腰回り、脚の後ろなどに筋肉が特に硬い事があり、腰痛の予防のためにも、更にストレッチを入念にするようになりました。ストレッチをすることと、筋トレを行うことで、正しい姿勢を保てるようになり、ダンスのパフォーマンスもずいぶん高くなったと思います。しかしながら、まだまだ師匠には程遠いところにいます。大勢で踊っていても、師匠はどこにいるかすぐにわかり、師匠しか目に入らなくなります。いつか、そんな風になれたらいいなと思いますが。毎日、ダンスがうまくなりたいと思う一心で練習やトレーニングを続けています。ダンスがあきれるほど好きなのだなと思います。上手に踊れることももちろんなのですが、目標としては、人を感動させる踊りができたらと思います。自分だけが楽しい自己満足の踊りではなく、見ている人を感動させられたらいいなと。そこに到達できるかどうかわかりませんけど、遠い道のりかもしれませんが、ワクワクする目標です。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月05日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日から雨が降ったりやんだり。さきほどまでは雨はやんでいて、嵐の前の静けさだったのですが、これを書いている間に、雨足がどんどん強くなりどしゃ降りに変わりました。日中は蒸し暑くなるようですが、今はまだとても涼しいです。蝶が来る庭 posted by (C)みえこ552年ほど前から蝶が来る庭を意識して草花を植えてきました。よくやって来るのがヤマトシジミ、よくやって来るというよりも住人かも。たまに来るゲストはアゲハ、モンシロチョウ、キチョウ、ツマグロヒョウモンなどです。さて、私は母が来てから、ずっとうつの症状に悩まされてきました。特にデイサービスも使えなかった、はじめのあ4ヶ月半が一番きつかったです。今思えばよく乗り切れたなと思います。デイサービスやショートステイを利用できるようになり、比較的母が夜もよく寝るようになってからは、私のうつの症状は、ほぼなくなったと言えるまで改善しました。しかし、猛暑が続き、そのせいなのか、母の生活リズムが乱れ始め、夜もなかなか寝付かず、寝てもまた起きて活動をしはじめ、言動や行動がおかしくなってくると、また私のうつの症状が出始めました。母が入院して、ほっとするかとおもいきや、母は3ヶ月たてば病院を出され、また深く母と関わって活きていかなければならばならない事への恐怖が襲ってきたり、理由もなく辛く悲しくなったりしました。一日中、何かを考えているような、頭が休まらない感じで、夜中にぱっと目が覚めて眠れなくなったり、早朝に覚醒したりと、睡眠が十分とれなくなりました。風邪や運動をしたときとは違う倦怠感にも襲われ、日常生活がままならなくなりました。そんな状態でしたが、12月にダンスの発表会がひかえているため、寝てばかりいて体力を落とすわけにはいかないと、これまで行っていたレッスンだけは休まずにこなしてきました。何が効を奏したのかわかりませんが、ここ数日で劇的にうつの症状が改善してきました。それまでネガティブな考えが、何をしていても、寝ている間でさえも、頭の中がぐるぐると、絶え間なく支配されていたのですが、あるときから、波が引くように、パタッとそれがなくなったのです。それまでは、考えても仕方がない、どうしようにもない事でも、頭がそこから離れられなくなっていました。脳に何らかの問題が起きていたのでしょうね。悩むだけ悩み、ふっきれたというのでしょうか?ぐちゃぐちゃだった悩みがだんだん整理されてきて、悩んでいた事の大元の原因がわかりかけてきたことも、うつの改善に繋がったように思います。また、運動を続けることで、基礎体力が落ちていなかったことや、規則正しい生活を送るというスタイルを変えなかったことも良かったのではないかと思います。それともうひとつ、先人達の知恵、自分をたち直させるために良いと思われる本を片っ端から読んでいました。本を読んでいるうちに、自分の中で何かが変わったのも感じています。知力体力は力になるなと、しみじみ思います。まじめさが、今回のうつに繋がったわけではありますが、若いときからまじめにコツコツやってきたとや、勉強が好きだったこと、それが自分を救ったのだと思っています。まだ心はすっきりとした快晴とはいっていませんが、晴れ間が見えてきたと感じます。 あ一息、小さな光に向かって歩いて行こうと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月04日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。昨日は一日雨が降ったりやんだり。そして今朝はまた雨です。 待ってました! posted by (C)みえこ55 蝶が来る庭というテーマの園芸の番組で、ブットレアがおすすめと聞き植えたのは、2年ほど前だったか…以来待ち続けていましたが、先日初めて、ブットレアに蝶が止まっているのを発見しました。それにしても、確率低すぎです。次はまた2年後か?と、これ以来やはり蝶は来ていません。キクラゲの玉子炒め posted by (C)みえこ55夫と結婚したのが今から33年前。夫の実家は古くからの農家で、当時は夫の祖母、父、母、妹と弟の5人で暮らしていました。本家だったので、お盆やお正月には20人以上の親戚が集まり、家で宴会が開かれていました。夫の母は専業主婦でしたので、暮らしぶりは質素で、いつも野菜を中心とした手料理をふるまってくれました。外食もしますが、母の頻度には及ばず、ごくごく普通の家庭のレベルだと思います。裁縫も得意で、壊れた傘の布ででエコバックを作ってくれたり、孫である私達の子供の世話もよくしてくれ、いわゆる「普通のお母さんはこんな人」という感じの人です。ただ、社会に出た経験がないために、いつも夫頼りで、一人では何も出来ない、どこにも行けないという所がありました。。例えば、私が第一子を妊娠したときは、嬉しさのあまりお祝いをしたいので、東京に来ると言ったのですが、一人では来れないために、妊娠三ヶ月でつわりのひどかった頃、東京駅から二時間かけて、電車で迎えに行かなければならなくなったこともありました。私の母だったら、一人でドイツまでやってきたのに、ずいぶん違うものだなと思った事があります。何かにつけ正反対だった夫の母とは私の母。はじめの頃は、どちらかといえば、一人では何も出来ない姑よりも、自立している母の方がいいと思っていたこともあります。何かするにも、何を買うにも夫の承認を得なければならないし、もし、夫が亡くなったら、どうなってしまうのか?一人では何も決められないのは困るだろうなと思っていました。しかし、時を重ねると、結論としてはどちらがいいなどととは言い切れませんが、私個人の考えとしては、家族と寄り添いながら生きてきた夫の母の方が幸せに見えました。夫の母は専業主婦だったので、時間的にもいつも余裕があって、子供達とよく遊んでくれたり、私も田舎料理を教えてもらいました。季節ごとに食べきれないほどの、自宅で作った野菜を送ってくれ、ほとんど買わずに生活できるほどだったりもしました。料理の味付けはいつも薄味で、化学調味料を使わないので、はじめの食べたときは少し物足りないと感じましたが、今は姑の作る味の方が好きです。家族のために、手作りの料理を作る事は、主婦ならばごく当たり前の事かもしれませんが、私の実家では外食が多く、買ってきたお総菜や、カレーや焼きそばのような簡単な料理が多かったのでずいぶん食生活が違うと感じました。長年働いてきた母は、お金はあったかもしれませんが、それだけ出ていくお金も多かったと思います。専業主婦というものは、掃除や洗濯、料理や家族の雑用、一見地味な仕事ばかりで、しかも収入がないという立場で、ともすると、家族からも感謝されるでもなく、当たり前に様に、変な言い方ですがこき使われていたりします。しかし、いなくなったときにどれだけ大変な事をしてくれていたのだろうと気づく人もいると思います。母と暮らすようになって、あらためて、家族のために、健康に良い食べ物を作ることや、家族が心地よく過ごせるように家を整えることの大切さを痛感しています。仕事を続けながら、家事も育児も自分の健康も両立できる人もいるとは思いますが、私の場合は出来なかったなと思います。フルタイムで働いていた頃は、忙しさのあまりイライラしていたことが多かったです。食事も外食が多かったです。どちらがいいとか言える話ではありませんが、両極端な二人の母の生き方を見てきたので、この先、最後はどうなるのかなと思ったりしています。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月03日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。ピンクのお花 posted by (C)みえこ55母は昔から猜疑心強い人で、人が言った言葉をそのまま受け取らない所がありました。なので、人を信用するという事が苦手だったようです。大きな病院で総婦長(今は師長と言うらしいですが)まで登りつめる為に、自分の地位を脅かす人達を「○○のやつ」という呼び方をよくしていました。ですから母の話を聞くのは、あまり気分のいいものではありませんでした。そして、いつも色々な疑問が沸き上がってきました。周りにいる人達が全て敵であるかのような考え方をしていて、部下はついてくるものなのだろうか?たとえついてきたとしても、楽しいことなのだろうか?と。私は18歳で大学進学のために家を出ましたが、たまに帰省する時には、部下の方が家にお中元やお歳暮を持ってきたり、街で偶然出会ったときに、母に対する態度が、うまく言い表せませんが、敬意を感じているというよりも、とても気を使っているなという印象を受けていました。別の言い方をすれば、持ち上げているという態度です。よくテレビドラマで見る、いばりんぼうの社長に手をすりすりと擦りながら着いていくというシーン。あんな感じです。母はおだてられて、持ち上げられて、さぞ心地よかったでしょうが、そこには対等な人間関係はないと私は感じていました。私には大好きで、尊敬するダンスの師匠がいるのですが、その弟子である私や他のメンバーが先生に対する接し方とはずいぶん違うと感じるのです。人は無意識にあの人はこういう事を言えば怒るだろうとか、喜ぶだろうということを判断しその人に合った接し方をするようになります。私もそうだったのですが、部下の方も同じような心境だったのではないかと想像します。ちょっとしたことで瞬時に激高することがよくありましたから。ですから、母を必要以上に持ち上げる部下の方を見ると、根底に母に対する恐れがあったのではないかと思いました。それはあくまでも私の勝手な思い込みであるかもしれませんけど。母と暮らした7ヶ月半、私はそういう部下のような心境になっていました。これを言えば怒るだろうとか、腫れものにさわるような感覚です。元気だった頃は、そこまで気遣う必要はなかったのですが、認知症になってからは、今は悪魔が降りている?それとも穏やかな日か?と、母の時間ごとに変わる性質?のようなものを見極めながら接しなければなりませんでした。他の認知症の方はどうなのか知りませんが、扱いはかなり難しいと感じました。母の場合前頭側頭型認知症とアルツハイマー型の認知症の合併型でした。前頭側頭型認知症の症状が強く出ているときは、記憶は比較的はっきりして、話が饒舌になりますが、アルツハイマーが強く出ているときは、記憶力がほぼゼロ状態になり、自分から会話をすることはなくなります。アルツハイマーが強く出ているときは、大人しく、ボケたところも可愛いと思えるおばあちゃんなのですが、前頭側頭型認知症が強く出ているときは、小憎らしいを通り越した憎まれ口のばばあになってしまいます。頭がはっきりした感じになるので、こちら側の心理状態も母を認知症とは思えなくなり、とても辛くなりました。認知症になる前からの母の生き方を、長年見てきたせいか、私はある意味、母を反面教師の様にして生きてきたと思います。かつては、小さな部署ではありましたが7人の部下を持ち、その部署ではナンバー2という、母とは規模は違えど同じナンバー2という立場で働いた経験があります。部下を持って働くということはとても大きな技量がいるとその時感じました。夫の転勤で仕事をやめざるをえなかったという事情もありますが、ある意味そういう立場から脱落したような所があります。しかし、自分に戻る気持ちがあれば、いくらでも戻れたはずで、それをあえてしなかったのは、母の影響は大きかったと思います。自分に合った場所で無理をせず穏やかな人間関係を築くこと。これが私の選らんだ道です。母からすると、消極的でうだつが上がらない人生に見えたようで、その事では、「大学まで出してやったのに。」(私を見なさい)とよく言われたものでした。しかし、それを言われても、さほど気にならなかったのは、毎日が満ちたりていたからだと思います。優しい家族や友人達に囲まれて、贅沢さえしなければ、不自由なく暮らせるお金もある。充分です。やりたいことが出来て、情熱もある。なんて素敵な毎日だろうと思います。爽やかな秋の始まり posted by (C)みえこ55いつも私と接する人は、安定した気持ちでいられ、浮わついたお世辞など言わなくてもいい、たまに失言をしても許される、そんな人でありたいと思っていました。びくびくしながらすりよられても、心地よくありません。母は、結局私も兄も誰も信用出来なくなって、一人で私の家を出て行きました。90年も生きてきて誰一人信用する人がいないという最後は悲しすぎます。信用されなかった自分も残念すぎますが。信用とか信頼。これは日々の積み重ねだと思います。失った信用を取り戻すことはとても大変なことだと思います。なので、日頃から信用や信頼というものを大事にしていかなければならないと思います。家族や友達などに「あの人は昔からあんなだったから」と諦められるような人にならないようにしたいと思います。間違いを指摘されたら、素直に謝り、正す姿勢のある人にならなければとも思います。でないと、あの人に言っても無駄よ。と思われて、ますます孤立してしまいます。老いては子に従えとよく言ったものですが、私も時々子供達に叱られることもあったりして、それに対して、素直に受け止めなければならない年になったことをひしと感じます。母は色々な問題を抱えてきた人ではありましたが、いいところも沢山ありました。私や兄を産み育ててくれた人でもあります。色々言葉では言い尽くせないほど助けてもらったこともあります。それらのことに感謝の気持ちは忘れずにいたいと思います。なので、母から失ってしまった私への信用や信頼を、もはや取り戻せるものなのかどうか、それはわかりませんが、そうだとしても、最後まで兄と私で母を看ていかなければならないのだと思います。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月02日
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おはようございます♪いつもお忙しい中、訪問頂きどうも有り難うございます。今朝はまだ日差しはありますが、パラパラと雨音がしています。窓から冷たい風が入ってきて、久しぶりに自然の風に当たっています。挿し木にしていた、小さな薔薇も咲き始めています。いつの間に…という感じでひっそりと咲いていました。出会い posted by (C)みえこ55富士大石ハナテラスでは、色々なお花や植物に出会いました。いつも同じ風景しか見ていなかった日常でしたので、こんな小さな花と出会いさえも新鮮で嬉しく、幸せを感じました。母を引き取ってから、始めに苦労したのは、母の食事でした。栄養バランスを考えて、色々作るのですが、少しでも気に入らないと手もつけません。食べたいと訴えてくるものは、カキフライ、ステーキ、すき焼き、うなぎ、カレーでした。しかも、カキフライとステーキに関しては、家で作るものではなく、外で食べたいと言いました。食べたいと言ってくる頻度も、昨日連れていっても次の日にまた言ってくるという感じで、ある日は、鰻を朝食べさせ、外出から私が帰ってくると、息子の分も食べてしまい、朝昼鰻を食べていたこともありました。また、甘酒を毎日飲みたがり、尋常ではない甘さにして飲んでみたり、すき焼きなども大量の砂糖を入れるので、とても甘い味付けでした。 砂糖を大量に入れる分塩分もかなり多くなっていました。 大福がなくなると、買ってくるように言い、毎日食べていました。栄養のバランスが悪いと思い、色々工夫しても、食べないので、どうしたらいいのか、本当に困りました。母が好むものは大量の油と砂糖を使ったものでした。母が来てから、驚くほどのスピードで砂糖が消費されていき、それまでは、一キロの砂糖などお菓子でも作らなければなくなることはなかったのに、あっという間になくなって、補充しなければならなくなりました。検査で、母の尿酸値が8.0と、治療の必要なレベルに達している事を医師から告げられて、母の言うままに食事を出してはいけないと思い、それからは、母の最も食べたい鰻やカキフライなどを食べる頻度を減らしました。減らしたと言っても、恐らく普通の人の食べる頻度から言えば食べていた方だったのは思いますが。母と半年以上一緒に暮らして感じ驚いたことは、極端に片寄った食生活でした。母の食べたいものは、炭水化物や糖質に片寄った食べ物でした。思えば私が小さかった頃から、カレーやチャーハン、焼そばなどが夕飯に出てくる事が多く、たとえばひじきの煮物などは、私は大人になるまで存在すら知らずに育ちました。副菜と言われるものが極めて少なかったのです。母50歳位から高血圧になって、以来薬を飲み続けています。父が亡くなったのは今から32年前。父が亡くなって以来一人で好きなものだけを食べ、運動もせず、高血圧という病気を持っていても、89歳まで独り暮らしをしていたので、私もそれが出来たことが不思議でした。89歳まで元気だったからいいのでは?と思う方もいるかもしれませんが、この数ヵ月の母を間近で見た人は、自分の最後がこれだったらと思うと震え上がると思います。それまでの長い人生、仮にどんなにいい人だったとしても、それらを打ち消すほどの、破壊力を持ってぶつかってくるのですから。母に関して言えば、それまで母にはなかったものが吹き出すというよりは、もともと持っていた要素中で、最も出てきてほしくなかった部分が残っているという状況でした。こうした一連の生活スタイルを見たとき、今の自分がとても大事なのだということを思います。より正しい食べ物を食べ、より正しい考え方をし、睡眠や運動など、日々の生活習慣を大切にすること。これがとても大事です。それ以外で気を付けようと思うのは、他人への配慮です。思いやりにあふれた行動ができているかどうか。過剰なではなく適度な気配りが出来るか?そんな、人としてどうなのか?という、少し曖昧な言い方になりなすが、その部分が最も大事ではないかと私は思っています。 ←ポチっとお願いいたします♪
2018年09月01日
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