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2008.05.17
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カテゴリ: Movie
5月10日のエントリー から続く>
渋谷のPARCO劇場で美輪明宏演出・主演により何年かおきに再演されている『双頭の鷲』(記憶では、PARCO劇場での初演のときは演出は外国人だったように思う)。この戯曲が書かれたのは、映画『美女と野獣』の台本より早い1943年末。

オリジナルの戯曲を書くときは、必ずジャン・コクトーはジャン・マレーに、「次はどんな役がやりたい?」と聞くのが習慣だった。このときも当然マレーに希望を聞いた。マレーは難問で仲間を困らせるようなノリで、冗談半分に言った。
「第一幕ではしゃべらず、第二幕では随喜の涙を流し、第三幕では階段から仰向けに落ちる」
孤独な女王と無政府主義者の若き詩人の悲恋をテーマに、コクトーはそのとおりの戯曲を完成させてしまう。

執筆はパリから離れ、ブルターニュで進められた。第一幕を読んで聞かされたとき、マレーはコクトーに、「女王のモノローグがそれほど生き生きとしていないよう」だと意見を言っている。マレーが演じる予定のスタニスラス役の沈黙は、台詞としての力をもたなければいけないし、加えて沈黙そのものに相手の返答を生み出す力が備わっていなければならない。だから、女王の台詞にもっと詰問の調子があってもいいのではないか。それがマレーの意見だった。

役者の意見にそって、原作者は手を入れる。書き直した第一幕はマレーには満足のいくものだった。コクトー自身は『占領下日記』に、「ぼく自身は、前のほうがいいように思うが、ジャノの希望を尊重した」と書いている。
コクトーは、
「クリスマスまでには書き終えたいな」
とマレーに言っていた。事実、クリスマスの晩に戯曲は完成。マレーにとっては「素敵なジャンからのクリスマスプレゼント」になった。できあがった戯曲をコクトーが朗読する。コクトーの声は金属的で、真似のできない独特な調子があり、リエゾンはほとんどせずに、単語1つ1つを際立たせるようなしゃべりかただった。マレーは聴きほれる。
「素晴らしいアイディアだね」
と、朗読を聴き終えたマレー。
「対立する2人の人間の孤独が胸に迫るよ」
マレーの絶賛にほっとするコクトー。コクトーは常に、演じるマレーが自分の戯曲を気に入ってくれるかどうかを非常に気にしていた。

この作品は、なかなか題が決まらなかった。コクトーが考えた案は3つ。『アズラエル』『しのびよる死』『美女と野獣』。マレー自身は『しのびよる死』というタイトルが非常に気に入っていた。『美女と野獣』には即座にダメ出し。「『美女と野獣』というタイトルで別の話を作って」とコクトーにリクエストし、それが映画『美女と野獣』になるのは、すでに紹介したとおり。最終的には最初の候補とはまったく違う、『双頭の鷲』というタイトルに決まった。

『双頭の鷲』で女王役を演じたのはエドヴィージュ・フィエール。あまりにもハマリ役になったので、この作品はあたかも最初から彼女のために書かれたような錯覚さえいだくのだが、意外なことに、コクトーは実は別の女優にあててこの戯曲を書いたのだ。それはコクトーと個人的に親しかったマルグリット・ジャモア。『双頭の鷲』の執筆に入る前、コクトーは彼女に「エリザベート(オーストリア・ハンガリー帝国皇后)のようなイメージで作品を書くから」と約束していた。そのため、『双頭の鷲』執筆時にコクトーは、エリザベートとルートヴィヒ2世に関する本を読み漁っている。

ところが、完成した戯曲を読んで聴かされたマルグリット・ジャモアは、まるで駆け出しの若い作家から仕事を押し付けられたと言わんばかりの切り口上で批評をまくし立てた。すっかり気まずくなって別れるコクトーとジャモア。その場に居合わせたマレーも、
「あの態度は許せない」
と激怒している。
「ジャン、きっと彼女は、あの役が自分に合わないと思ったんだよ。でも、それにしたって、あんな言い方をするのは間違いだ」
コクトー自身も「ジャモアは、これほどに女性的な女性は自分の柄ではないと見抜いたのだろう」と察していた。マレーは、かわってエドヴィージュ・フィエールを推した。

フィエールはマレーより6歳年上の人気舞台女優だった。マレーが最初にコクトー戯曲で主役を務めた『円卓の騎士たち』の上演にあたって、女王役をフィエールにオファーしたのだが、このときは先輩の有名女優はまったく相手にしてくれなかった。

だが、『悲恋(永劫回帰)』が封切られたとき、フィエールはコクトーのもとに自分からやってきて、
「私が映画に出るなら、あなたかジャン・ジロドゥの作品しか考えられない」
と告げていた。
ジャン・ジロドゥは、フランスでは知られた小説家兼劇作家。反リアリズムの作風で知られ、占領下時代にはコクトーと同じく映画のシナリオも書いていた。

コクトーは美術担当のベラールを通じてフィエールにコンタクトする。今回はフィエールからすぐに電話があった。
「金曜日にお昼をご一緒しましょう」
1944年1月28日、コクトーはフィエールと会い、コトの顛末を率直に打ち明けた。フィエールはマレーやベラールがコクトーの話を聞くような真剣な態度で耳を傾けてくれた。そのやさしさ、礼儀正しさ、そしてどこまでも女性的な物腰にコクトーは感銘を受け、「彼女とは話が通じる」と日記に書いている。

「その戯曲、是非聞かせていただきたいわ。来週にでもいかが?」
と、フィエール。
「じゃあ、さっそく月曜日の午後はどうでしょう」
「問題ないわ。2時でどう?」

自宅に戻ったコクトーは、
「エドヴィージュに賭けよう」
とマレーに言っている。
「もし彼女が受けてくれないとなると、この仕事は失敗だ。女王の役を責任をもって演じきれる女優は他にいない」

『双頭の鷲』にはのちのちまで奇妙な符合がついてまわるのだが、最初の不気味なめぐり合わせはこの朗読の日に起こる。フィエールが演じたい作家としてコクトーとともに挙げていたジロドゥがその当日(1944年1月31日月曜日)に急死したのだ。
フィエールのもとに行ったコクトーには、フィエールが動揺しているように見えた。

「今日読むのは、やめておきましょうか?」
心配するコクトーに対して、
「なぜ? 私の心はあなたの朗読を聴く準備ができているわ。たしかに、ジロドゥは行ってしまった。でも、私たちは仕事を続けるべきよ」
と、きっぱりと答えるフィエール。その真摯な気高さを見て、「彼女こそ女王」とコクトーは改めて確信する。

朗読を聞いたフィエールは感激を隠さなかった。
「舞台作品でこれほどの傑作を聴いたのは初めてよ。この作品を贈り物として私にくださるの?」
「受けてくださることが、私への最上のあなたからの贈り物になるんです」
さらにジロドゥの突然の死が頭にあったコクトーは、
「ぼくが死んだら、あの作品はあなたにお任せします」
とまで付け加えた。パリでの上演はフィエールが好むエベルト座に決まった。

「エドヴィージュは、自身のもつ才能以上に強烈な優雅さの光を放っている。彼女は言う。『自分を表現し、幾つもの限界を超え、本当の役を演じてみたいのです』。彼女はぼくのためにきっと素晴らしく役に立ってくれることだろう。探し求めていた女優を彼女の中に見つけた気がする」「よりにもよってまさに今日というこの日に、ぼくの劇をエドヴィージュに聴かせたということ。そこに、尋常でない何かがありはしないか?」(ジャン・コクトー『占領下日記』より)

<続く>





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最終更新日  2008.05.17 19:00:54


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