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2008.06.03
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カテゴリ: Movie
<きのうから続く>

ジャン・マレーの自伝は、出版されたのが1975年。ジャン・コクトーはすでに亡くなっていたが、マレーと関わった人々はまだ当然ながら、ほとんど生きていた。そのせいか、プライベートで交際のあった人については最大限の配慮がなされている。

たとえば、ミッシェル・モルガン。1948年公開の『思い出の瞳』で初共演した女優だが、自伝では、わざわざ 「私が本当に恋することのできた唯一の女性 (って、じゃあ ミラ・パレリイ の立場は??) だった。しかし、私は不運だった。彼女は未来の夫アンリ・ヴィダルに出会ったばかりである。彼女は彼にまったく心を奪われていた」 と自分の一方的な片思いであることを強調している。

なんでわざわざ片思いを告白してるのか、非常に不思議だった。その秘密は、いみじくも、自伝から遅れること12年たって出版された、『ジャン・コクトー ジャン・マレーへの手紙』で明らかになってしまった。モルガンとマレーは1950年の『ガラスの城』で再共演している。だが、2人がまったく一緒に仕事をしていなかったハズの1953年のコクトーの手紙に、モルガンがマレーと親しかったことをうかがわせる記述があるのだ。マレーは筆不精で、コクトーにしばしば「葉書に2~3行でいいから何か書いて」「電話がほしい」とせっつかれている。そんな文脈で書かれた手紙。

「1953年9月3日 頼りは着きません。でも、昨日、ミッシェル・モルガンが、君はちゃんと家にいると言っていました。短い手紙なりと書くようにしてください」 (お、脅し??)

どうやら、モルガンといるときは、マレーはコクトーのことはほったらかしになったらしい(笑)。「短い手紙なりと書くようにしてください」という文言の苛立ちを含んだような強さは、コクトーのマレーへの手紙では珍しい。1950年の『ガラスの城』撮影時には、マレーに「今度の映画にはさぞや熱くなっているでしょうね」と書いてるから、コクトーはモルガンに対するマレーの気持ちを知っていたと推察できる(とにかく「ぼくのために別の人への愛を抑制しないで」「秘密にしないで」とマレーに懇願しまくるコクトーだし)。

マレーにしても、自伝では大切な人のことを書かないわけにもいかない。といってスキャンダルになるような暴露話はしたくない。だから、「一方的な片思い」というふうにさらりと書いてモルガンにメッセージを送ったのだろう。

同様に、なぜか突然マレーの人生から消えてしまった友人もいる。彼らは必ずファミリーネームをイニシャルで示される。たとえば、アンドレ・Gという青年。彼はマレーより10歳年上で、コクトーと会う前に、マレーに大変に尽くしてくれた友人だった。そのアンドレ・Gについては、 「彼は私にすべてを提供してくれたが、それに報いるほど、多くのものを私は提供できなかった。彼は私に与え、教え、導いた。その返礼に悲しみと後悔だけを与えてしまった」 と、まるで謝罪のようなことを書いている。そして、コクトーと出会ったマレーは、コクトーに頼んで彼を秘書として雇ってもらっている。そこまでははっきりしているのだが、その後、ポールという別の友人にマレーが出会って深い友情を感じ、ポールがコクトーの秘書になった。アンドレ・Gはどこへ行ったのだろう? それがまったく書かれていないのだ。コクトー(そしてマレー)のもとを去ったのは確かだが、それがいつなのか、なぜ秘書をやめたのかわからない。可能性が高いのは戦争だろう。アンドレ・Gも出征したと考えられるし、戦争中はコクトーとマレーは破産状態になる。秘書どころではなかったはずだ。

もう1人、マレーがジョルジュと急速に親しくなっていった時期に、マレーのハウスボートのある川の土手に突然現れ、マレーと会話を交わして、そのままマレーの人生から忽然と去ってしまった友人がいる。彼はシャルル・Rと書かれている。

ある晩、ジョルジュをリドまで送って、家に戻ったマレーは、ベッドに横になったところで、土手から自分を呼ぶ声を聞く。それがシャルル・Rという男性。彼がマレーの自伝に登場するのは、後にも先にもこの一回だけだ。何をしていた友人なのかも謎のまま。

マレーはシャルル・Rを家に招きいれ、2人は会話を交わす。その会話は非常に秘密めいていて、自伝を読んでも要領をえないのだが、要はマレーとジョルジュが親しく交際していることを知ったシャルル・Rがそれをマレーに確かめに来たのだ。そして、マレーは自分の気持ちをシャルル・Rに打ち明け(どう打ち明けたのかは書かれていない)たうえで、
「今後はジョルジュには会わないようにするから」
と言っている。するとシャルル・Rが、
「なぜ? 君たち2人はよく似ている。2人一緒のところを見たら、きっと素晴らしいぜ」
と言ってくれたという。 「そこで私は、またジョルジュと会った」  (マレー自伝)。

当事者にはわかる話なのだろうが、読んでいるほうは行間を推察するしかない。これは恐らく、ジョルジュ以前にマレーと親しかった男友達がいたということだろう。その彼に遠慮して、「もうジョルジュとは会わない」とマレーが言ったところ、「よく似た2人が一緒にいるのを見るのは素晴らしい」と言われて、またジョルジュと会ったということだと読める。

そして、そのすぐあと、ハウスボートで食事をしていた夜に、ジョルジュが突然筋肉の激しい痛みを訴え、倒れてしまう (すんげー、ベタな展開…… ジョルジュ君、わざと?) 。マレーがドクターを呼ぶと、「おそらくは、ただの神経的筋肉痙攣。ただもっと別の重い病気かもしれない」と診断され、外出が禁じられた。しばらくは舞台には立てそうになかった。そこで、ジョルジュはその晩マレーの家に泊まり、「 彼の滞在はそれから10年にも及ぶ」 (マレー自伝)。ちなみに、「滞在」と 往生際の悪い 微妙な表現を使ったのはマレー自身。

パリに来たばかりの自分によく似た青年の仕事をマレーが支援するのは、ごく自然な成り行きだった。まして、彼の歳が自分がコクトーと出会った歳と同じとあっては、マレーにとってそれはほとんど義務のように思えた。マレーはコクトーにも相談し、「もちろん、ぼくをあてにしてくれていいです」とコクトーから返事をもらっている。マレーとコクトーの人脈で、ジョルジュは仕事の幅を広げ、マレーの映画に端役で出たり、ローラン・プティ振り付けのバレエに出演したりして、売れっ子になっていく。

シネヴィ
これは雑誌の表紙になったジョルジュ(左奥)とマレー(右)。

ブリタニキュスのころ
これは、ジョルジュと同じ年頃のマレー。黒髪に染めて『ブリタニキュス』のネロに扮した写真。ピカソも写真がほしいとマレーに頼んでいる。

似てるか? う~ん。正直、よくわからない(苦笑)。ジョルジュが端整な美男子であることは確か。

1952年にマレーとジョルジュはバルセロナでオペラコミック『ドリアン・グレイ』(作曲はネッド・ローレム)を共に演じている。マレーが額縁に入った「良心の肖像」の役で、その周りをジョルジュが踊るという演出。これについて、マレーがコクトーに意見を求めたところ、コクトーは次のように書いている。

「1952年5月24日 ジョルジュが結構な姿であらわれるのに、君のほうはひどい姿で、しかも、さしてジョルジュの助けにならない。ぼくとしてはどうにもうなずけないところです。彼だって嫌がると思いますよ。彼のこととなると、君の謙虚さ、公正さが、かえって不公正になりかねない」「ぼくの善良な天使、昼となく、夜となく、ぼくは君のことを思っています。君の人生によかれとばかり願っています。君とジョルジュにくちづけを送ります」

どうやらマレーは、ドリアン・グレイ的美貌のアメリカ人にとことん弱いらしい(詳しくは、 3月29日のエントリー 参照)
<続く>







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最終更新日  2008.06.04 17:57:48


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