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<続く>
フリーの日本人選手の点をもう少し詳しく見てみると、
高橋 技術点73.48+演技構成点84.5=156.98
織田 技術点79.69+77-(転倒と演技中断によるマイナス3)=153.68
小塚 技術点78.4+74.2-(転倒によるマイナス1)=151.6
ということになる。
的外れなことばかり書いている日本の新聞だが、 この記事
はまた、群を抜いてトンチンカンだ。
以下、一部を引用。
(4回転に)調子の善しあしに関係なく挑戦してきた高橋、この日初めて成功した小塚とは対照的に映る。ひざの柔らかいジャンプを持ちながら、結果を最優先するモロゾフ・コーチの方針、自身の弱気が災いし大技の精度を磨ききれないようにみえる。(引用終わり)
ハイリスクの4回転は何のために入れるのか? 当然技術点を積み上げるためだ。だが 、オリンピックで織田選手の出したフリーの技術点は、
フリップジャンプのところで紐が切れるというアクシデントで、次のループがちゃんと降りられなかったことを割り引かなくても、 4回転を決めた小塚選手や、4回転に挑戦して転倒した高橋選手より高い
のだ。
4回転に挑戦して決めたら、勝てるルールならいい。今は逆なのだ。4回転で体力をつかって後半のジャンプが低くなるとダウングレードが待っている。一番技術点を出した織田選手を他の2選手と比較して「対照的」だとか、「弱気」だとか、何を言っているのか。こういうバカな論調が幅をきかせるから、日本人選手はムチャな挑戦を果敢な挑戦だと勘違いする。確率の悪い大技は入れないほうが点が取れるのだ。 回避して技術点が低かったのならともかく、日本人選手で最高の技術点を取った選手を無知な視点で貶めるのはやめてほしい。
4回転は成功させるのも至難の技だが、成功させたあとも体力を奪われて演技をまとめるのが難しくなる。小塚選手はMizumizuが何度も指摘している後半のトリプルアクセルでパターンどおり転倒。「あの失敗さえなければ」「もうちょっとだ」と本人も周囲も思うかもしれないが、それをなくすことが難しい。そのもうちょっとの壁がはかり知れなく高いのだ。たとえ後半の3Aを決めても、今度は後半のループでコケたりする。4T挿入にともなうジャンプミスをすべて克服するのは、非常に難しいのだ。
高橋選手の後半の3+3のセカンドが回転しきれなかったのも、4Tによる体力消耗と連動している。ショートでも力でセカンドの3Tをもっていった。ショートでは体力があって回りきれたが、フリー後半では、回りきる力がなかったのだ。最後の最後のスピンでグラッとなったのも体力がもたなかった証拠だ。ルッツのエッジは微妙だが、高橋選手の後半のミスは、ほとんど体力不足から来ている。4Tというのは、それほど過酷な技なのだ。
高橋選手については、正直、後半もっと乱れてしまうかも・・・とヒヤヒヤしながら見ていたのだが、かなりのレベルでまとめてきたのは、本当に凄い選手だと思う。
高橋選手がたとえ4回転を回避して、単純な3Tにしていても、後半のミスがそのままなら160点ぐらいの点で、ライザチェックには追いつかなかった(セカンドの3Tは使えないので、今回ダウングレードされた基礎点と同じ)。もし、こういう点が出てきたら、高橋選手はどう思うか? 「あのとき4Tを跳んでいれば、もしかしたら金だったかも・・・」――そうした気持ちが残ってしまうのが選手にとっては一番いけないのだ。今回は試みて失敗した。しかもそれでメダルを逃すことなく、銅メダルを獲った。ベストではないが、好ましい結果になった。
何より素晴らしかったのは、フリーでの演技構成点が全選手トップだったこと。旧採点時代の「アーティスティック・インプレッション」とは微妙に違うとはいえ、今の採点も演技構成点=芸術点(表現力)だとおおまかに解釈されている。
表現力がここまで評価される日本人選手は本当に珍しい。しかもオリンピックの大舞台で。「eye」も「道」も実にエポックメイキングな振付で、Mizumizuは高橋選手の最高傑作だと思っている。モロゾフの「オペラ座の怪人」もよかったが、今年の2つのプログラムはそれ以上に魅力がある。
高橋選手があのままモロゾフに師事していたら、こうした冒険的な作品にチャレンジすることはまずなかったと思う。その意味では、モロゾフから離れてよかったと思うし、「あのエージェントとくっついている限り高橋に明るい未来はない」と断言した元コーチに、結果をもって「それは違う」ということを証明してみせた高橋選手は偉大だ。
そう、すべては結果。結果を出せば、世間の論調などコロッと変わる。結果が出なければ不当に叩かれる。特にトップレベルのフィギュアスケーターはスポンサーもつき、ショーにも出ている。つまり実質プロなのだ。プロだったらなおのこと、結果がすべてだ。
今回の高橋選手と4位のランビエール選手の総合点の差はわずか0.51点。ショートで本田コーチが心配していたセカンドジャンプをダウングレードされていたら、逆転されていた。だが、0.01点差でも勝ちは勝ち。メダルを獲るのと獲らないのとでは雲泥の差だ。その後の人生だって違う。だいたい「あと一歩」の4位で甘んじることの多い日本人選手が、欧米人しかのぼったことのないオリンピックのフィギュアシングル男子の台に、初めてのぼった。
今の意味不明の採点で、点差が実力差でないことも、日本のアホメディアはしらないが、ちょっと熱心なファンならわかっていると思う。全米ではライザチェックに圧倒的な点差をつけて優勝したアボットが振るわず、逆に言えば全米で2位だった選手がオリンピックチャンピオンになる。だからこそ、試合では集中して、自分のできることを最大限やらなければならない。一切の雑音を聞いてはダメ。どんなに恣意的に感じられる採点であっても、本番でジャッジへの不信感を、自分の心の中に持ち込んでしまったら、その時点で負ける。
今回の高橋選手の「快挙」でもう1つ嬉しかったのは、ショートプログラムの高評価。日本人の曲、日本人の振付、日本人のパフォーマー。オールジャパン作品は、世界でもトップレベルだということを証明した。この意義は大きい。特に振付師の宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏は、この成功で世界の一流振付師に仲間入りする切符をつかんだ。
これで彼の人生は変わるはずだ。振付といえばローリー・ニコルだデビット・ウィルソンだニコライ・モロゾフだと、カナダ人とロシア人ばかりに儲けさせる理由はないではないか?
フィギュアスケートは、選手を続けるのにお金がかかるにもかかわらず、あまりに見返りが少ない世界だ。フィギュアの世界で食べていけるのは一握りの優れた人材だけ。プロとして稼げる選手はまたごく少数だし、それも一生やっていけるわけではない。有名コーチや有名振付師になれば、収入もそれなりだが、それ以外は軒並みビンボー。
そういう厳しい世界だからこそ、宮本賢二氏にはぜひ振付師として成功して、経済的な成功もつかんでほしい。成功すれば格段に収入がハネあがる・・・そうした体験は悪くないものだし、サラリーマン人生を選んでしまうとできない。得がたい体験をするためのスタートラインに、オリンピックで高橋大輔という稀有なスケーターを得て、彼は立ったと思う。
振付師としての名前が高まれば、才能のあるスケーターから仕事の依頼がくる。優れたパフォーマーと仕事をすれば優れた作品ができ、振付師の評価もさらに高まる。バレエの世界で名を成す振付師は、たいていこのパターンでのし上がっていく。フィギュアスケートの世界も同じだろうし、そもそも何の世界でも原則は同じだ。コラボレーション(共同作業)は相手を選ぶことが肝要で、選べる立場に自分を引き上げることが大切だ。1+1が3にも4にも10にもなる。逆に責任転嫁に時間を割いたり、文句を垂れるしか脳のない低級な人材と一緒に仕事をしたら、自分まで堕ちてしまう。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ・・・じゃなくて、宮本賢二という振付師は、特別に光る感性をもっていると思う。まず一番心を惹かれるのは、日本人男性としては珍しく、「官能美」に非常に敏感だということだ。しかも、下品にならない。セクシーでありながら、品が悪くならない――この感覚がまず凄い。
高橋選手と鈴木明子選手のショート、中野選手のEX、すべて非常に官能的で、3人のもっている艶っぽい魅力を引き出しながら、決して品位を落とさない。
音の表現で、他の振付師にない感性があると思うのは、「叩きつけるような音」の使い方の巧みさだ。メロディーやリズムを上手く表現した作品は多く見てきたが、「打」の音(打楽器とは限らない、スタッカートのようなリズムも含む)をブレードの一部や全体を使って、小気味よくステップで表現する振付にはいつも目を奪われる。こういうことのできる振付師は、なかなかいないのではないか。「叩く音」が際立って綺麗に見えるのは、「伸びる音」にも敏感でその表現に心を配っているせいもあるかもしれない。1つの音の響きの「短」と「長」をさりげなく対比させて、ステップやスケーティングに入れているのが実に独創的だと思う。
メロディのない、「タッタッタッタッ」という単調なリズムの繰り返しを演技の盛り上げにうまく使っているのも高橋選手・鈴木選手の振付に共通している。大げさな音楽の切り替えで盛り上げようとしてる振付が鼻についているMizumizuとしては、こうした通な「音の官能性」に痺れさせていただいてる。
レベル取りも、高橋選手のシーズン初めはヒヤヒヤしたが、肝心のオリンピックまでにはピシッと修正してきた。高橋選手・鈴木選手ともステップでレベル4を獲得したのが素晴らしい。これは選手と振付師との共同作業で、カナダの振付師だとレベル4が出るが、他国の振付師だと出にくい(ロシア人振付師だとちょ~出にくいのは・・・あ、ルールにのっとっての「公平な」判定ですね。はいはい)。
あとは、彼の「世界観」だとか「人生観」だとか「思想」だとかを振付に織り込んでいけるかが、宮沢賢治・・・じゃなくて、宮本賢二氏の名を世界にとどろかせることができるかどうかのカギになるだろう。選手の魅力をよく見極めて引き出す能力や、音の表現は文句のつけようがないが、あまりに選手に合わせた現実的な振付だと、(ショーナンバーとしてはいいが)作品に深みがなくなり、欧米人の好きな思想性に欠けると思われてしまうかもしれない。今はショートが中心で、スケーターの魅力を最大限見せてあげようという振付をしているように思うが、宮本賢二氏自身が訴えたい何かを、スケーターを通して一緒に作り上げ、表現していってくれれば最高だと思う。カメレンゴ振付の「道」には、そうした思想性が確かにある。
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