PR
キーワードサーチ
カレンダー
カテゴリ
購入履歴
ニースにはいくつか美術館があるが、なかでも行く価値大なのが、マチス美術館とシャガール美術館。
行き方はマセナ広場の北から東にのびるGioffredo通りから15番あるいは22番のバスで(さらに詳しい情報は、 こちらのエントリー の真ん中あたりを参照)。
マチス美術館の前庭は、オリーブ林になっている。もちろん、オリーブ林それ自体なら、カーニュの ルノワールの家 のほうがずっと見事だが。
内部の展示は、大規模なマチス企画展などを見慣れた感覚で入ると、やや期待を裏切られるかもしれない。それでも下にくりぬいたような中央展示ホールの吹き抜けのある大きな空間や、切り絵が効果的に鑑賞できるよう配列された展示室などは見ごたえがある。
実は仕事場のロールカーテンをマチス風のブルーにしたぐらい、マチスの色彩がかなり好きなMizumizu。さっそく「いかにもマチス」なマグネットをお買い上げ。
絵葉書も・・・
切り絵のカードもお買い上げ。
シャガール美術館は、モダンで近代的な建物。油絵のほかに、タベストリー、ステンドグラス(ただ残念なことに、ステンドグラス展示ホールは入ることができず、遠くから眺めるだけ)、モザイク(これは外にあるのだが、室内から細長いガラス越しに眺めるだけだった。うっかりすると見逃すので、どこにあるのかわからない場合は、係員に聞こう)もあった。
しかも、日本語解説のあるトランシーバーを無料で貸し出している。
しかし、その内容を聞いて、裏事情がハッキリわかった。ナレーションはもっぱらユダヤ教の聖書物語と、ユダヤ人受難の歴史解説に終始している。
つまり、ユダヤ資本による旧約聖書とユダヤ人迫害のプロパガンダなのだ。こうした解説のスクリプトを書き、さらにそれを日本語にまで翻訳して、日本人に吹き込みをさせるなど、かなりの資金が必要だ。誰がわざわざそこまでの資金を提供したのか。火を見るより明らかだろう。
シャガールの絵に、民族的・政治的なニュアンスを感じる日本人はむしろ少数派だと思うのだが、ナレーションはひたすらそうした側面を強調して解説していた。シャガールの芸術世界は普遍的な魅力を備えおり、単なる宗教画、政治画には留まらない夢幻のロマンチシズムが多くの日本人を魅了しているが、それらはユダヤ人という特異な民族性抜きでは成立しえなかったということがよくわかった。
そして、芸術は、常にプロパガンダ的側面をもつという現実も。絵画であれ、文学であれ、音楽であれ、なぜ多くのユダヤ人芸術家が世界的名声を獲得するのか? 彼らに才能があり、彼らの作品に人々の心を捉えるパワーがあるのはもちろんだが、それだけでは必ずしも、世に出る理由にはならない。ユダヤ人ネットワークによる宣伝力(つまりそれは資本力だが)が、ユダヤ人芸術家の価値を作り出し、高めているのだ。
ダイヤモンドが高値で取引される理由と、根本的には大差ない。人は芸術をほとんど自分の眼で見る能力はない。評判は宣伝で作られる。評判が人々の感動を誘う。それが商業主義に利用され、マチス、シャガールといった確立されたブランドネームをもつ作品は、バカげた高値で市場取引されるようになるというわけだ。
いったい優れた芸術作品は、1億円が適正価格なのか? 10億が適正価格なのか? 誰にも証明できない。誰も正しい値段がわからないものを、かつて日本人はバブル時代に主にヨーロッパの画商から破格の高値で買いあさり、バブルが崩壊すると、今度は足元を見られて高値で買ったものをこれまた主にヨーロッパの画商に安く買い叩かれた。
つまり彼らは、信じられないような高い値段で、絵画作品を数年間日本に「リース」したというわけだ。
すぐれたものに対する価値を自分たちで創造できず、見極めもできず、ユダヤ人や白人の作った「価値という虚構」に振り回されて、石ころをダイヤだと思い込み、ダイヤでも石ころだと信じ込んでしまう日本人は、もうあまり、こうした芸術の商業主義的世界には足を踏み入れないほうが無難かもしれない。
絶品ジュレの泡立ちのヒミツは、シードル 2010.07.01
ギャルリー・ヴィヴィエンヌ~パッサージ… 2010.06.25
エッフェル塔を堪能するならバトー・ムッ… 2010.06.24