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ニースからマントンへは、豪華1ユーロ路線バス(笑)で日帰りした。
ニースのバスターミナル。マントン行きは頻繁に出ている。
海の際を走る路線バスからの眺めは素晴らしい。
海岸沿いの小さな町を抜けて走る。
海に散らばるヨット。バスはこのあとモナコを抜けてマントンに着く。マントンの鉄道駅まで行かずに、海の近くのカジノの前で降りた。
前回マントンに来たのは、たぶん10年以上前なのだが、町の変わりようにびっくりした。海沿いには、新しいホテルがこれでもかというくらい立ち並んでいる。
「こんなにホテルあったっけ?」
とMizumizuが聞けば、
「なかったわよ~。レストランもなくて困ったぐらいだったじゃない」
とMizumizu母。
そうだ。記憶の中のマントンは素朴な漁村の名残りを感じさせる小さな町だった。たぶん次回訪れても、どのホテルに泊まったかすぐわかるだろうと思うほど、ホテルもレストランも本当に少なかった。
今はニースよろしく、海沿いのプロムナードに布のかかったレストランのテーブルが並んでいる。完全に観光地化し、町から生活の臭いが消えている。
また何やら建設するらしく、工事現場を木材の壁が囲っている。そこにちゃっかりジャン・コクトーの写真。
マントンは生前のジャン・コクトーとさほど深いつながりのある町ではない。ジャン・コクトーが一番南仏で一番時間を過ごした場所は、サンジャンカップフェラだ。
エクスアンプロバンスの老舗カフェもそうだが、なんだかあっちでもこっちでもジャン・コクトーゆかりの場所が沸いてきているようで、若干気味が悪い。10年以上前にマントンを訪れたときは、ジャン・コクトーはむしろ、フランスではかなり忘れられた存在だったのに。
キャロル・ヴェズヴェレールは、著書「ムッシュー・コクトー」の中で、コクトーの映画「オルフェ」は、フランスでは入りが悪かったと書いている。「オルフェの遺言」(キャロルの母親が資金援助をした)も興行的には失敗で、「コクトーの映画は、しばしばフランスでは評価されなかった」と。恐らく「オルフェ」は、日本ではコクトー映画でもっとも高く評価されていると思うのだが、本国ではあまり好まれなかったというのも意外な話だ。
こうやって町興しにジャン・コクトーを利用しているフランス人って、本当にジャン・コクトーの作品を愛しているんだろうか? 詩も読まない、映画も見たことない、でもどうも世界的に人気があるみたいだから、ジャン・コクトーと言っておこう、そんなところじゃないだろうか。
ジャン・コクトー美術館の周囲も賑やかにひらけ、港にはレジャー用とおぼしきヨットが無数に係留されている。
以前は片田舎の辺鄙な場所にひっそりと立っている、孤独な美術館という雰囲気だったのに。コクトーが生きているころは、この防塞周辺は廃墟同然だったというのに。
美術館の前のカフェもコクトー一色(呆)。
「ジャン・コクトーを利用しようとする人が多すぎる」と、ジャン・マレーは著作で憤っているが、その気持ち、よくわかる。
美術館の入り口。「ノー・トイレット」と書かれている。
またか~ 有料の美術館なんだから、トイレぐらい作れって。それとも目の前のカフェとの談合なのか?
とはいえ、ジャン・コクトーのモザイクは、どこまでもカワイイ。
写真撮影可なのは周囲だけ。美術館の中は、撮影禁止。
小さな窓越しに海が見え、そこにコクトーの陶器や油彩画を飾っている。小さいがセンスあふれる美術館だ。コクトー作品のコレクションがもっと充実していれば言うことないのだが・・・
便利な場所ではないにもかかわらず、心地よい程度のお客さんが入っていた。ジャン・コクトー人気の根強さがわかる。
売店には、ジャン・コクトー研究書、コクトーの著作、絵葉書、アクセサリーなど充実している。
絵葉書や小物に加えて、分厚い本を3冊も買いあさるMizumizu。それを見て、さらに「この本もいいわよ」と4冊目を売りつけようする売店のマダム・・・
重いっちゅーの。全部自分で日本まで運ぶんだから、そんなに持てんっちゅーの。
そのときに買ったジャン・コクトーのマグネット。左はコクトーのお好みのモチーフ「牧神」。右はいかにもパリなエッフェル塔。
エスプレッソカップも買いました。
マントンで残念だったのは、市庁舎の「結婚の間」のコクトー壁画が見られなかったこと。土曜日だったせいだ。土・日・祭日は市庁舎が開かないからということらしい。Mizumizuが持っていたガイドブックには書いてなかったのだが、日本に帰って別のガイドブックを見たら、確かにそう書いてあった。過去に1度見ているので諦めたが、「結婚の間」も入ったとたん、のびのびとした線画の自由さに心が浮き立つような場所。再訪して、どんな化学変化が自分の中に起こるのか観察したかった。
コクトーの壁画は、なぜか人を幸福感で満たしてくれる。ウツっぽい人はコクトーの描いた壁画のある空間に身をおくといいんじゃないだろうか――Mizumizuは半ば本気で、そう考えている。
マントンからニースへもバスで帰った。カジノの周辺でバス停を探したのだが、見つからない。そこでカジノの人に聞こうと建物の中に入っていったら、ちょうど出てきた老婦人が、カジノのおじさんと話しているMizumizuの声を聞いて、
「ニースへ行くバス? 知ってるから案内してあげる」
と言ってくれた。フランス人らしからぬきれいな英語だと思ったら、今度はカジノの出口で向こうからやってきた友人らしき人たちとイタリア語で会話している。
マントンはイタリア国境に近い。イタリア人なのかと思って、イタリア語でそう聞いてみた。すると、イタリア系アメリカ人で、サンフランシスコから来たという。
「姉がイタリアに住んでるから、遊びに来たけど、今年は寒くて、天気も悪いし、それにイタリアや南仏って何でもかんでも高いのよね」
カジノから駅方面に北上するヴェルダン(Verdun)通りを歩きながら、そんな話をしてくれた。リビエラはあまり気に入らなかった様子。やっぱりアメリカ人から見ても、物価高いのよね。そりゃそうか。
ニース行きのバス停は、ヴェルダン通りを左に折れたティエール通りにあった。カジノの前は通らないでニースに戻るということだ。これはわかりにくい。案内してくれる人に会ってラッキーだった。
バスは10分ほど待ってやってきた。ニースまでの道は渋滞して、1時間半ぐらいかかってしまったが、1ユーロで戻ってこれたことは言うまでもない。ただ、時間を考えると、鉄道のほうが速いから、往復バスではなく、行きはバス、帰りは鉄道にしてもよかったかもしれない。
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