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ここのところ、ウランバートルは寒いようです。確かにこの時期は通常であれば両足マイナスとはなっていますが、今年はあまり経験したことがないような寒さとのことです。ウランバートルの気温は、7月上旬に30度超えとなり、この時点では日本とあまり変わりません。それがナーダムを過ぎると徐々に下がり、8月中旬の日本ではまだ猛暑が続くころには夜間のゲルではストーブが欲しくなるほどです。9月に入ると一気に寒くなり、9月中旬からはアパートには暖房が入ります。10月になれば気温は低下し、最低気温がマイナスになることも。雪もちらほら降り始めますが、最高気温はまだプラスなので、マイナスは片足状態です。それが11月になると両足マイナス、つまり最高気温もマイナスになってきます。それでも平年を見れば、最高気温マイナス5度、最低気温マイナス19度と、マイナス20度よりも寒くなることはめったにありません。ところが今年は既にマイナス30度を下回っているというのです。日によっては、最高気温がマイナス20度以下もあるようです。これは例年なら1月あたりの極寒の時期の気温です。あまりに急激な寒さがやってきたため、臨時休校する小学校も結構あったようです。こうした極端に暑いとか寒いといった現象が世界的に多く見られるようですが、これも温暖化の影響なのでしょうか?元々今年は夏の時点で、今年の冬はかなり寒くなる、ゾド(雪害による家畜の死亡)が心配されていましたが、どうやら本当にそうなりそうな雰囲気です。最近の成田からのMIATは週3便ということもありますが、チケットが取りにくいほど搭乗客が多いようです。恐らくモンゴル人の乗客の方が多いとは思いますが、これからモンゴルへ出かける日本人の方は十分に寒さ対策を意識して行ってください。とはいえ、多くの日本人は空港から目的地、目的地から別の目的地へは車で移動ですから、極寒の中を歩くことは稀です。ですが、一番の問題は渋滞なのです。最近のウランバートルは、あまりにも渋滞がひどいので都心部に車で出かけた場合、駐車スペースを見つけるとそこに置いたまま、異動は主に「徒歩」というケースが多いのです。タクシーに乗っても渋滞ですので、スフバートル広場を中心に西と東のドゥルンザム(大きな交差点)の範囲内なら、歩いて移動したほうが早い場合が多いのです。ですが、さすがにマイナス30度となると、それは危険です。5分もすると、クラクラしてくる場合があります。ですので、市内を移動するのであれば、十二分に時間を取って車で移動してください。この寒さは来年のツァガンサル(多分2月?)までは続くでしょう。
2022.11.28
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ウランバートルはもう雪景色です。今朝のウランバートルです。モンゴルの秋は短いというか、冬は駆け足どころか、猛ダッシュでやってきます。ウランバートルの今日は最高気温マイナス2度で最低気温マイナス10度とあります。モンゴルの7月上旬はまさに夏って感じで、最高気温は30度超えも多いです。ですが、7月下旬から徐々に気温が下がり、8月も中旬以降はすっかり秋。ゲルに宿泊する場合はストーブが必要になります。そして秋の速さはものすごく速く短く、9月中旬からはウランバートルのアパオートに暖房が入ります。15日前後に暖房が入りますが、数日の違いで暖房が来るのが遅く、夜寝るときに寒くなるときもあるほどです。そして10月。モンゴルではまだこの時期を「秋」と呼びますが、世界的常識で見ればご覧の通りに「冬」と言ってもいいでしょう。とはいえ、10月はまだ最高気温が氷点下というのは普通ではありません。11月になると、最高気温も氷点下になり、そのまま来年春まで気温が0度を上回ることはないのです。これから観光に出かける人は少ないと思いますが、ビジネストリップでも暖かい格好をしてください。
2022.10.02
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日本のコロナ感染者数は、直近7日間平均で700人を割るレベルまで激減しています。先月には1日5,000人を超えた日もあった東京都も直近7日間平均で89人と激減してます。激減の理由は専門家にもわからないようですが、緊急事態宣言停止から2週間たっても大幅な増加にならないということは、しばらくはこの状態で行くような気もします。もちろん、減った理由がわからないのですから、根拠のない期待のみですけど。で、モンゴルです。最近、身近な人やその家族がコロナにかかったという話をたびたび聞きます。一体どうなっているのでしょうか?調べてみると、結構大変な状況であることがわかりました。本ブログでもお伝えしましたが、一時はワクチン接種率が世界でもトップクラスにまでなったモンゴルですが、その肝心のワクチン効果がないようなのです。具体的な数字でいうと、10月13日の新規感染者数が4,131人で、直近7日間平均の感染者数でも2,324人となっているのです。東京都の人口(14百万人)とモンゴルの人口(330万人)で「東京都換算」すると、この2,324人というのは東京でいえば9,859人相当だということになります。東京都で入院することができない感染者が大量にいた時の2倍近くの感染者数です。医療体制が非常に脆弱なモンゴルでは、東京どころの騒ぎではないでしょう。現に、入院できる人はほとんどいないそうです。日本の国全体では、1億2、500万人ですから、モンゴルの状況を日本全体に換算すると、8万8千人くらいになります!これはもちろん、1日あたりです。日本全体が一番多かった8月下旬でも、1日当たり2万5千人でしたから、今のモンゴルはその3.5倍ということになります。繰り返しますが、モンゴルの医療体制は日本とは比べ物にならないほど脆弱なので、これはもう重大な危機と呼べるレベルだと思います。コロナ感染が起こった当初、あれだけ厳しく対処してきたモンゴルはどうなってしまったのでしょうか?モンゴルの人たちに聞いても「政府は無策だ」と言いますが、無策の点では日本も大して変わりません。私の勝手な推測ですが、やはりあの中国ワクチンに原因があるのではないかと思います。早期に中国ワクチンを接種したモンゴルの人たちは、日本よりも早く経済活動再開となっていました。ほとんどの人がワクチン接種済みということによる安心感で、完全に昔の生活に戻ってしまったような気がします。もともとモンゴル人はマスクをする習慣はないですし、友人や親せき・家族と会えば抱擁やキスをします。日本を含むほかのアジア諸国とはかなり異なる習慣です。ですが、ワクチンが効かないのにこの習慣が復活したらどうなるか?中国ワクチンの欠点は多くのところで報道されていますが、その欠点は二つあります。一つは「そもそも効果がない」というのと、もう一つは「効果は多少あっても3か月くらいで消える」というものです。これによって、中国ワクチンを接種したアジア諸国や南米の一部が、最近感染者数が増加しているというわけです。もちろん、モンゴルもファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの輸入を頑張ってきましたが、やはり絶対量では中国ワクチンが圧倒的なようです。ロックダウンは解除されたと聞いていますが、もしかして再びロックダウンされるのかもしれません。日本との航空便も再開し、近いうちに完全自由な交流が実現するのではないかと期待していましたが、まだまだ時間はかかりそうです。
2021.10.13
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どれが正しいのかはともかく、「モンゴルはロシアの匙(さじ)加減一つで、常に国が右往左往するリスクがある」というのは、1990年の民主化の時からわかっていたことでした。そうであったことは事実として仕方はないのですが、結局その後30年間もの間なんら対策を打ってこなかったことが問題の本質だと思います。これは長年のエネルギー行政のつけだと思われます。モンゴルではエネルギー産業は厳しく規制されています。その分良い時もありましたが、反対もあります。ガソリン輸入業者の数と小売価格は政府によって規制されていたため、特にガソリンの輸入価格が大幅に上昇した時にはほとんど利益はなくなります。価格統制が厳しいために、場合によっては赤字になってしまうこともあり得るのです。それ故に、ガソリン輸入業者は設備への大幅な投資が困難だということがあります。モンゴルでは将来性がある油田も発見されていますが、そのほとんどの採油・精製の権利は外国=中国に頼らざるを得ないのです。なぜなら、国内企業にそれをやり遂げるだけの体力や資本の蓄積がないからです。30年間もあれば、市場を開放し、コク何に精製工場ができていてもおかしくなかったのですが、それぞれの時代の政権は、全くそれをしてきませんでした。そして現在の最大の問題が、人々のFOMOでしょう。FOMOとは、Wikipediaによれば、「FOMO(Fear of missing out、フォーモ、取り残されることへの恐れ)とは、「自分が居ない間に他人が有益な体験をしているかもしれない」、と言う不安に襲われることを指す言葉である。」とあります。ガソリンの潜在的な不足に関するニュースが広まったとき、人々はガソリンスタンドを待ち行列に入れ始め、燃料タンクを満たし、更なる在庫を持ち始めたとのことです。これは他人事ではなく、日本も石油ショックの時にガソリンスタンドに列をなし、トイレットペーパーを大量に買い込み、家庭内在庫としたことと同じです。モンゴル西部の電力不足も原因はロシアのようです。モンゴル西部では電力はロシアから輸入していますが、ロシアでのメンテナンス作業のために数日間電力不足が生じているというのが、主な理由らしいです。ですが、本当の理由は違うらしいです。モンゴル政府は先月、中国と「ホブド州にエルデネブレン水力発電所を建設する」ことに合意しました。これができれば、ロシア側からの供給は不要になります。つまり、ロシアにとっては外貨獲得手段が一つなくなるのです。恐らくこれに対してのロシア側の見せしめというのが有力な見方でしょう。いかにも姑息なロシアがやりそうなことです。食品、建設資材などの輸入に関する問題は、ロシアではなく中国です。これらの主な輸入経路は中国からの鉄道やトラックで行われていますが、コロナの状況により、通関手続きが全体が非常に遅く官僚的になり、商品輸入全体が3-6か月遅れているそうです。これにより単なる遅れ以外にも、輸送と保管のコストが大幅に増加しました。そうなると、二次的にはモンゴル国内市場での生産コストも上がります。特にアパートの建設コストは3割近くも上がっていると言われています。こちらの問題に、ロシアと同じような「悪意」があるかどうかはわかりません。多分、ないような気がします。中国から見ればモンゴルへの商品輸出はごくごく少量でしょうし、今の習にそんなことにかまっている余裕はないと思います。ですが、もともと対モンゴルでは官僚的、意地悪的なので、潜在的な問題がコロナで顕在化したということではないでしょうか?石炭の輸出に関する問題も同じようなことが原因でしょう。更に輸送手段がほとんどトラックであることもあり、ロシアからの燃料不足も河和って、全体の輸送プロセスが非常に遅くなり、中国側もモンゴル側の混沌とした状況を見て、トラックを制限しているとのことです。結局わかるのは、ロシア、中国への極端な依存体制が民主化後も変わりなく続き、しかも何の改正、改良もしてこなかったということなのでしょう。今回のような問題がマイナス30度の厳冬に起こったら、本当に死活問題です、残念ですが、それがモンゴルの現実です。
2021.09.28
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数日前に「モンゴルが大変なことになっている」「国が崩壊しそうだ」などという非常に厳しい状況らしいことが、モンゴルから伝わってきました。「ガソリンが買えない」とか「卵も買えない」などとの声です。ですが「なぜそうなったのか?」と聞いても、よくわからないという声しか届きません。確かにモンゴルのネットニュースを見ると、断片的ではありますが、「モンゴルの大臣がロシア側とエネルギーに関する協議をした」などとは出ていますが、今一つその理由がわかりません。まずはどのような問題が実際に起こっているかを見てみましょう。最大の問題は、ガソリン問題のようです。ガソリンがここ1週間程度で急速に買えなくなっているようなのです。具体的には、「ガソリンが30,000トゥグルグ以内でしか買えない」というものです。30,000tgというのは日本円で1200円弱でA92のガソリンが1500tgくらいでしょうから、20リッターも買えるかどうかでしょう。当然これでは足りませんから、またスタンドに並ばねばなりません。で、結果としてウランバートルでは朝から晩までガソリンスタンドに長蛇の列が続いているとのことです。UB市内はともかく、田舎へ行く人にとっては本当に死活問題でしょう。モンゴルの田舎及び田舎への道路は、本当にガソリンスタンドが少ないので、行く前には絶対に満タンにする必要がありますから。これが冬にまで続いたら、文字通り「死」活問題となります。別の現象は、消費財が手に入らなかうなっているとのことです。具体的には、卵さえ入手困難になっているというのです。消費財だけでなく、建材も入手困難になり、住宅建設価格が高騰しているという話もあります。更には、モンゴルの西の方(おそらくホブドやバヤンウルギーなどでしょう)では電力供給が数日間停止したとの情報があります。これも冬に起こったら、大きな問題です。こうしたモンゴルでの困難が同時多発的に発生し、一般国民の生活がかなり困難になっているというのです。一体原因は何なんでしょうか?それらの原因は同じ理由なんでしょうか?残念ながら、一般国民には正確には伝えられてないようなのです。ネットニュースを見ても、政治家らは「問題ない。もうすぐ解決する」などと言っていますが、その本当の原因はよくわかっていないようです。まずはこれらの現象を整理しないといけません。いずれにしても、これらの問題の根本には、ロシアまたは中国が関係しているのは間違いありません。ガソリン、電力についていえばロシアが供給者であり、消費財、生産財についていえば中国が主な供給者です。とにかくモンゴルに陸路で入ってくる輸入品の全ては、ロシアか中国経由なんですから、この両国が関係しているのには間違いないでしょう。更に輸入だけでなく、石炭の輸出も滞っているという話も耳に入ってきます。ガソリンに関して言えば、そのほとんどをロシアから輸入していることもあり、ロシアから輸入できていないというのがそもそもの発端です。ではなぜ、ロシアから入ってこないのか?ちなみにモンゴル西部の電力供給もほぼすべてロシアです。モンゴルからの情報では「詳細はよくわからないが、ロシアとは何か上手くいってないようです。」との声があります。ロシアに関してはいくとかの説があるようです。まずは公式見解です。「モンゴル政府当局者は、ロシアは選挙と国内観光のために国内使用量が急増しているため、ロシア政府はガソリン製品の輸出を制限していると述べた。エネルギー省の関係者は、これはモンゴルとロシアの間の契約違反であると述べたので、ロシアは補償を支払うべきである。」とあります。これがもし本当で、悪いのはすべてロシアにあるなら補償してもらうべきですが、あのロシアがそんなことをするとは思えません。反対にもっと脅されるでしょう。ではモンゴルの輸入業者は何と言っているのでしょうか?モンゴルのガソリン輸入業者の関係者は、ロシアの主要サプライヤー(ガスプロム)が彼らがメンテナンス作業を行っているためにモンゴルへの供給を減らしている可能性がある、と言ってます。ガスプロムはモンゴルの輸入業者に通知を送っていましたが、モンゴルにはそれを知っても、十分な量のガソリンを貯蔵する能力や設備はないと言われています。これは現象を説明することの一つの要因と考えられますが、モンゴルが困ることを分かり切ったことをロシア側があえてやっていることが問題なのです。更に問題なのは、今起きていることはもっと実は前からわかっていたということです。7月29日の政府の会見で、「ロシアのガソリン価格の高騰により、9月1日までガソリンの輸入を一時的に制限する」と発表しているのです。「モンゴルには十分に備蓄がある」とも。恐らくその時点で何か簡単には解決できない問題があり、モンゴル政府はそうせざるを得なかったのかもしれませんが、発表からほぼ2か月間もの間、結局何もせずに夏休みを過ごしていただけだったということなのでしょう。いろいろな説がある中、一般の人々の見立ては下記の3つのどれかが本当の理由だと考えています。(1)これは、ガソリン輸入業者がガソリン製品の価格を上げようとしている人工的な供給不足である。(2)2021年5月に行われたモンゴル外務大臣のロシア訪問は、モンゴルが「上海協力機構」に加盟することについてロシア外務大臣に「いいえ」と述べたため、この状況に悪影響を及ぼしている。(3)モンゴルの新大統領及び官房長官が、最初の訪問国として近隣諸国ではなく、米国を訪問したことによって、モンゴルとロシアの関係に影響を及ぼしている可能性がある。などです。(続く)
2021.09.25
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先日、モンゴルの大気汚染についてネットニュースが出ていました。このブログでもたびたび大気汚染問題は紹介していますが、今回はAFPというフランス最大の通信会社のニュースなので、関心を持ちました。要するに、ウランバートルの大気汚染問題はヨーロッパを含めて世界中に配信され、知れ渡っているということです。その内容を拾ってみます。「世界一寒い首都、モンゴルのウランバートルでは、多くの人々が氷点下40度にまで気温が下がる厳しい寒さをしのぐために石炭やプラスチックを燃やしている。」と端的にウランバートルを紹介しています。そして「ウランバートルの大気は子どもが呼吸するには毒性が高すぎるレベルに達しており、親たちは子どもを地方に避難させる以外に選択の余地がほとんどない状況に陥っている。」という表現も、全く大げさではないレベルだと思っています。既に主要な国の在モンゴル大使館駐在員には「家族を母国に避難させるように」というお達しが出ているところが多いです。北京やニューデリーは、その知名度から世界的にも大気汚染都市として有名ですが、実態としてはUBが世界最悪なのではないかと思います。北京では習主席が「強権的に」いろいろな規制をして、最近は以前よりも改善されたと聞きます。ですが、UBは誰も何も手を付けられずに、毎年毎年悪化が続いています。私がUBに住んでいた前から大気汚染撲滅が叫ばれ、インチキ政治家による「今年の冬から綺麗になります」というのは何度聞かされたことでしょう。10年以上繰り返されているのに、何もできていません。こういう言い方をすると、モンゴル人の一部には「何もしていないとはひどい。皆頑張っている。」と言うかもしれませんが、それは違います。私もそういう会議に参加したことがありますが、「抜本的に改善するための施策」などが提案されても「そんなことやっていては、3年も4年もかかってしまう。今年の冬から良くならないとだめだ!」という、モンゴル人にありがちな短視眼的考え方で対策を考えてきました。「3年、4年?いいじゃない、それで改善されるなら」という声は、政治家の無意味な約束「今年の冬に綺麗にする」に打ち消されるのです。でも、そんなこと言ってからもう10年以上もたつのに、結局は「何もしていません」結果は?「ウランバートルでは1月、有害な微小粒子状物質「PM2.5」の大気中濃度が1立方メートル当たり3320マイクログラムに達した。これはWHOが安全とみなす値の133倍に相当する。」という記事にあるように、異常というレベルを超えるほどになっています。私はこの大気汚染の問題も、新空港の問題も、経済において中国に依存しすぎる問題も、すべて根本は同じだと思っています。要するに政治家が頭悪すぎること、短期的な目先の利益以外何も考えないこと、そして国民より政治家の個人的利益を優先することがこれらの問題の根源だと思います。その深刻な影響はどこに向かうか?それはもちろん、政治家ではありません。向かうのはモンゴルの未来です。未来イコール子供たちです。記事は子供への影響を懸念しています。「PM2.5は大人にとっても恐ろしい影響をもたらすが、子どもはさらに大きな危険にさらされる。その理由の一つに、子どもは呼吸のペースが速く、より多くの空気と汚染物質を取り込むことが挙げられる。」「また、子どもは大人より体が小さく、一部の汚染物質が集まる地面により近い上、肺、脳や他の主要な臓器がまだ発達段階にあるため、大人より損傷を受けやすい。」更には子供の母体である母親にまで。「これらの危険は子宮にも及ぶ。ガスや微粒子が母親の血流や胎盤に入り込み、流産や出生異常、低出生体重などを引き起こす可能性があるからだ。これらの問題が子どものその後の人生に影響を与えることも考えられる。」モンゴルを滅ぼすのは中国でもロシアでもありません。自分たち自身です。この国の政治家は、自分たちの子孫の抹殺を企てているとしか思えません。現にUBの若い母親は「私は今、もう一度出産することに大きな不安を感じている。妊娠は危険を伴う上、これだけの汚染の中で生まれてくる子どもがどうなるかも不安だ」と不安を隠せません。未来を消し去るしかないと嘆いているようにも聞こえます。右と左の写真が、同じ場所の写真だとはとても思えないほどです。10年前ならまだ手の施しようがあったと思います。が、ここまでひどいレベルとなると、もう遷都しかないように思います。ただ遷都となると、利害関係がものすごいでしょうから、とてもこの国の政治家ができるとは思えません。私も冬のモンゴルは、寒いという理由よりも大気汚染が嫌だという理由で、なるべく避けたいと思っています。私がここに書いたことが数年後「あいつは何もわかっていない。モンゴルのリーダーたちはちゃんと対策を打って、こんなに綺麗な街にしたじゃないか!」と批判されるのを願ってやみません。
2019.03.23
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最近、そうですね、ここ2-3週間ほどでしょうか、急にキリル文字の見出しのメールが増えてきました。まさに急増という感じです。そのアドレスは、mail@bridgetower.mnとinfo@coolmarketing.mnというのがほとんどです。モンゴルとのメールのやり取りは、ほとんど従来から知っている人ばかりで、新しいアドレスの人とかないし、おかしなサイトに侵入したなどの記憶はありません。前者のmail@bridgetower.mn を見てみると、HPそのものはまだ作成中というか「we are coming soon」とあるだけです。これはブリッジグループと関係あるのでしょうか?ブリッジグループと言えば、前社長が今、在日モンゴル大使館にいますが、彼から私のメールアドレスが転送された・・・なんてことはないでしょうね。メールの内容は、不動産販売の紹介、金庫販売の紹介、インターフォン販売の紹介などです。と言いながら、mail@bridgetower.mnから来たメールをよく見ていたら、一番下にcoolmarketingという名前が出ていました。後者のアドレスと同じです。つまり、この二つのメールは実質同じ会社が流しているってことですね。このメールは、わざわざ海外にまで流しているのに全部モンゴル語のままなんです。ですから、海外在住の外国人にはほとんど何の意味もないメールなんでしょうが、なんでもいいからメールアドレスとあれば出しちゃえってことなんでしょう。私は早かれ遅かれ、モンゴルはこの手のメールが増えるだろうとは思っていました。なぜなら、モンゴルにはダイレクトメール(DM)がないからです。モンゴルは郵便制度が整っていないため、ウランバートル市内には個人宅に郵便配達ができないのです。不思議なんですが、田舎の草原にポツンと立っているゲルにはちゃんと届くんですけどね。東京などでは、おそらく個人向け郵便の半分近くがDMなんじゃないでしょうか?ちなみに、日本全体では郵便全体の4分の1くらいです。このDMは通常は経済成長とともに件数が伸びるのですが、モンゴルにはそれがないわけです。その代わりと言ってはなんですが、どうせ対象はUB1市なので、アルバイトを使ってのポスティングは時々あります。ですが、むろん数的には知れています。というわけで、経済成長と共に、より消費者に購買意欲を書き立てるような情報を流したいというニーズが生まれ、そのニーズがいずれどっとメールに流れてくるなと思っていました。日本では、ドコモがドコモの回線を使って(開放して)SMSでDMを送るようなことはしませんが、モンゴルではジャンクメールではないく、モビコム自身がSMS使ってやってますから、元々そういうニーズは高いのでしょう。というわけで、私のもとには毎日相当な数のジャンクメールが来るわけです。英語ならまだ読む気もしますが、モンゴル語のままでは私には情報にもなりません。迷惑メールに分類されても、メールが来るのは一緒です。なんとかなりませんかね、と思うこの頃です。
2015.09.20
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この後、モンゴルのもっと生活部分を見てみたくて、いろいろ試してみました。「銀行口座って簡単に作れるの?」と友人のBさんに聞くと「多分、すぐできるんじゃないですか?」と言われました。以前、Bさんがモンゴルの預金金利は15%だと聞いてびっくりした覚えがあります。本来は、「金利が高い国はその分貨幣価値が落ちて結局は金利の高い部分と為替の下落部分が相殺されて同じになってしまう」という金利平価説なる考え方で考えると、それほど魅力的ではないはずです。ですが、6年前に来た時から、対円レートは大して変わってないような気がしたので、お得なのかなーとも思ってみたりです。結局、銀行口座は試しに作りましたが、預け入れは1000円分程度だけのお試し預金でした。ちなみに連絡先は友人のBさんにしてます。彼がいなければ、とても開設は無理だったでしょうね。とあるマンションのリビングです。郊外のゲルとは違って、ウランバートル市内の生活はあまり日本とは変わらないようですね。この日は、この後スーパー見学したり、銀行行ったり、不動産会社の人と話したり、かなり生活に密着した部分について見聞きしました。どこへ行っても感じたのが、「生活水準は低くないな」ということです。多分、一人当たりGDPというのは遊牧民も含めた平均値でしかなく、遊牧民は自給自足が多いのでデータとしては出てこないからなのだろうと思いました。ですが、インフラはさすがに貧弱だなと思いました。市内であるにもかかわらず、道路は凸凹、歩道は歩きにくい、少しでも雨が降ると水はけが悪いなど、楽しく散歩する気になれません。あと、緑が少ないです。草原にできた都市なので仕方ないかもしれませんが、なんとなく殺伐とした雰囲気を感じてしまいます。 友人のBさんがこの春に設立した会社のオフィスがあるビルです。小さなビルにオフィスがあるというのは、ヨーロッパによくあるパターンで、ちょっと似てるなと思いました。街の雰囲気は、アジアというよりは東欧に近いような気がしました。これもソ連時代の影響でしょうが、街全体が「明るく活動的という雰囲気」は伝わってきません。夕方になると、ヨーロッパの如くオープンパブのようなものがいくつも出て、多くの人がビールを楽しんでいました。お店での西洋人比率は結構高く、3-4組に1組はヨーロッパ人という感じです。モンゴル人は、ビジネスっぽい男性かおしゃべり好きなOL風というのは、日本と同じです。外国からのビジネスマンの中では、韓国人が一番多いように思えました。ですから、焼肉屋さんも結構あり、カラオケ屋も韓国語の歌が中心だと聞きました。ちょっと疲れたので、足裏マッサージに行ったのですが、やはりそこも韓国人の経営のようでした。ベトナムの足裏マッサージと比べてどうか?1に笑顔、2に力でしょうか?ベトナムをはじめとする東南アジアでは、大体愛想が良くにこにこしている人が多いですが、モンゴルではあまり愛想を振りまいてはくれません。黙々と足を揉むだけです。但し、パワーはすごいです。小柄な女性のどこにそんな力らがあるのかと思うほどです。一緒に行ったBさんは「モンゴルのマッサージは手加減を知らないのかなあ?」と嘆いてました。凝りがひどい私には、結構気持ち良かったですけど。ちなみに料金は1700円くらいと、あんまり安くはなかったです。中国なら400円、タイでも1000円以下でしょう。ベトナムは日本人向けは15ドルだから同じくらいだったかな?ですが、客は日本人や韓国人ではなく、地元の人、特に女性が多かったように思います。24時間ミニスーパー(コンビニみたいなもの)もあり、生活様式はどんどん先進国的になっていくような気がしました。小さな24時間スーパーの店内です。中央に黄色い「ラーマ」のマーガリンが見えます。欧州系であるユニリバーは、モンゴルへもしっかり進出しています。日系の食品はほとんど見ません。外国の食品は、中国、韓国そしてヨーロッパが多いです。日本食はちょっと足りないかも。(完)
2015.01.26
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モンゴルから日本へ帰国した後の本ブログはモンゴルの情勢の分析などが中心で、モンゴルそのものを伝える機会が少なかったように思います。ですので、本ブログの開始前に書いた内容を時々アップしようと思います。ちょっと古い内容ですが、まだモンゴルのことをあまり知らなかった頃です。お楽しみいただければと思います。 今回は2008年6月付け「ウランバートル徒然日記」(大学と生活)という題名の記事です。 着いた翌日、モンゴル国立大学の経済学部長さんと会いました。会う前に、ちょっとモンゴルの教育事情を調べてみました。まず、驚いたのは大学進学率の高さです。正確な数字はよくわかりませんが、50%は優に超えているようです。女性に限ると、70%くらいというデータもあります。大学の数も多く、なんと170もあるんだそうです!!新潟県と同じような人口で、大学数が10倍というのは確かにすごいです。しかも留学に出る比率がこれまた高い。これはソ連社会主義時代から続いているそうで、ソ連の援助でソ連や東欧各国へ留学させていたそうです。私の友人のBさんは日本留学、彼のお父さんはモスクワ、お母さんはドイツ、妹さんはベルギー、弟さんはドイツへ留学したそうです。実際、この地で会う人の多くが留学経験をしているのに驚きました。言葉も英語、ロシア語は皆話せる感じで、日本語もかなり勉強の対象になってるなと感じました。私が日本人とわかると、レストランの店員さんも日本語で話しかけてきました。日本語は英語の次に人気外国語のようで、今ではロシア語はかなりマイナーになってしまってるようです。非常に親日的な雰囲気の国です。モンゴル国立大学は12学部から成り立っていますが、この校舎は経済学部のものです。学部長さんにいろいろ話を聞きました。日本への留学経験もあるということで、日本語はペラペラ。日本語を話せるとは思ってなかったので、ちょっとびっくりです。博士課程は慶応大学で学んだそうです。モンゴルの東大といわれるところですから法学部が強いんだろうなと思いましたが、モンゴルでは法学部より経済学部の方が人気もあり、学内での発言力が強いのだそうです。実際、12も学部があるのに、学生の3分の1が経済学部だとも言ってました。私が「法学部に魅力がないのは、まだ法律が十分に機能してないからではないですか?」と聞くと、苦笑いされていました。モンゴルは、幹部クラスのビジネスマンが皆若いのに驚きます。でも、よく考えるとそれも当然で、民主化したのが1992年であり、それまでの国有企業は民営化され、経営者も交代しています。現在多くの分野で活躍している新興財閥はここ10-15年で急成長したところばかりです。50歳代以降は、旧社会主義の中での国有企業経営しか知りませんから、結果として世代交代が早まったのでしょう。日本でいえば、明治維新みたいなもので、いつまでも江戸時代から抜けれないシニア層はどんどん淘汰されていったのでしょう。この学部長さんもなんと37歳で学部長に就任したそうです。東大がどうなっているかは全然知りませんが、37歳では教授にもなれず、せいぜい準教授か講師なのではないでしょうか?ですから、考え方もオープンで視野も広いです。彼は笑いながら「昔ながらの社会主義の延長みたいな老教授はまだいますよ。定年までは辞めさせるわけにもいきませんからね。でも、意思決定は新しい考え方でやっているので、大きな障害にはなりません。」と言ってました。この学部長は人望もあるそうで、最近行われた学長選挙では第1位に選ばれたそうです。ですが、モンゴル国立大学の学長は政治家の任命らしく「さあ、どうなるかわかりませんね。私は面倒なことはやりたくないんですけど。」と言ってました。聞いてると、日銀総裁人事みたいに、政治のおもちゃにされる可能性もあるんだなと感じました。(続く)
2015.01.25
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こう言ってはなんですが、多くの場合、公共サービスも含めてIT化については日本の方が進んでいます。まあ、「そんなことは当然だよ」と思う方も多いことでしょう。モンゴルの公的なATM設置所には、いくつものATMが競うように置かれています。見るからに「重複投資はもったいないなあ」と思えるものです。が、もちろんこれには理由があります。異なる銀行同士で回線がつながっていないのです。つまり三井住友銀行のATMでみずほは使えない、ってことです。ですから、7-11やローソンのように「どこの銀行のでも大丈夫ですよ」なんてものは、そもそも存在しません。これは意外と不便です。ATM自体は街を歩けば結構あるのですが、他行のは使えないのでお金を引き出せる場所がかなり限られているということです。ショッピングセンターなどで3つも4つも並んでいるのを見ると、こんな高価な機械をなぜ効率的に配置しようとする力が働かないのか不思議です。全銀協みたいなのがないんでしょうかね?でも一方で、オンライン化が進んでないので「進んでない方がいいこともあるな」と思う場面もありました。私はモンゴルで2年間ほど運転していました。そもそも自分で運転する日本人は非常に珍しがられましたけど、その方が行動範囲が格段に広がるので運転していました。もちろん、モンゴルへ行かれたことがある方ならお分かりになると思いますが「え?あんな交通ルール無視、マナー最悪のモンゴルで運転?」と言われることも何度もありました。幸い、モンゴルで事故を起こしたことは一度もありませんでしたが、違反となると・・・ゼロではありません。最初のはなんだったかな?確か一時停止違反か信号無視だったような気がします。モンゴルでは、本当にドライバーが違反した場合もありますし、何もしていなくても警察が気ままに停めて罰金を徴収することもあります。最初は確かに信号が変わりかけだったような記憶があります。最初の時はドキドキしましたね。もちろん、モンゴル語しか通じないのに、私にはモンゴル語はわかりません。車検証と免許証を出すのですが、相手も「日本人?面倒くさいなあ」という顔をしていました。私は諦めながらも「どのくらい累積すると免許取り消しになるのかな?」「罰金っていくらくらいになるんだろう?」とちょっと心配になりました。が、結果は「その場限り」だということがわかったのです。要するに、私の免許証を見て本部に連絡するわけでもなく、単にその場でお金を徴収するだけのことだとわかったのです。確か5000トゥグルグでした。今なら300円。その頃でも400円くらいでしょう。私は思いましたね、その時。モンゴルではランドクルーザーやレクサスなど高価なクルマに乗っている人たちは結構います。数百万円もする車に乗っている人にたったの400円の罰金じゃあ、なんの反省材料にもならないんじゃないかって。友人のBさんによれば「罰金が安いから、面倒くさくてもみんな従うんですよ。あれがもっと高かったら、きっと多くの場面で警察官と喧嘩になるでしょうね。」と。その発言は怪しい取り締まりもあるという前提なんですけど。安い上に、免許は傷つきません。なるほど、そういうことかと思い、その後は結構気楽に考えるようになりました。結局、モンゴルでは3回罰金を払ったように記憶しています。2回が確かに私が悪かったかな?というもので、1回は「あれ、おこずかいが欲しいの?」というものでした。その時は結構警察官とやり合いましたが、最終的には「ま、400円だからいっか」って感じでした。累積記録が残らないので、きっとたくさんやっている人もいるんだろうなと思っていました。最近の日本の新聞を見て、そのことを思い出したのです。「反則切符、携帯端末で」との題名の元、来年から警察が携帯端末を使いながら現場で処理できる容易にするとあります。今は現場で警察官が手書きで切符を作成したり、電話で本部に問い合わせたりしていますが、その手間が省けるというのです。なんで、こんな記事が気になったか?実は、今月上旬にモンゴルで経験していたからです。10月上旬にUBでタクシーに乗っていたときのことです。UBでは渋滞がひどいため、バスレーンが導入されています。それを守らせようと、市内の要所には警察官が目を光らせています。平和通りのしかもデパートの前付近で、それまで渋滞の中、一般車線をトロトロしていたタクシー(もちろん、白タク)の運転手が、突然ガラ空きのバスレーンに飛び出たのです。私は思わず「やるにしても、ここじゃあないだろう」と思ったのですが、ほんの1分ほどで予想通り警察に停められました。「そりゃあそうだよな、いくらなんでもここはまずいでしょ」と思って、車内で警察とのやり取りを見ていました。すると、警察官は携帯端末を持っているではないですか。見た目的には、クロネコヤマトの携帯端末みたいな形で、プリンターまでついている優れものです。印刷された切符を渡されて、運転手は若干落ち込みながらも運転再開しました。同乗していたEさんが「これで私たちを乗せたタクシー代は消えたね」とつぶやきました。そんな光景がまだ記憶に新しいので、今回の新聞記事が私の目に飛び込んできたのです。「モンゴルの方がIT活用で進んでいる分野があるんだな」と確信した瞬間でした。やるじゃない、モンゴル!
2014.10.28
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その中で、これまた何度も耳にしたことがある日本政府についての噂を口にしました。私はその話は聞いていましたが、やはり最近、その噂は相当広まっているんだなと実感した次第です。それは、日本の援助です。日本がモンゴルに対して大きな援助をしてきたことは、国民のだれもが知っています。もちろん、感謝の気持ちも持っています。ですが、モンゴルでは「外国が何の目的もなく援助してくれはずがない」という見方が多いのも事実です。彼女は最近友達からこんな話を聞いたそうです。「日本が援助しているのはもちろん目的がある。日本は小さい国だから、住むところが足りないのです。だから、モンゴルを援助してモンゴルの国土を取って、そこに日本人を住まわせたいと日本政府が考えているのです。」という話です。モンゴルにお住まいの方なら、一度は耳にしたことがあるでしょう。人口も減少し、空き家が増加して困っている日本が「モンゴル国土移住計画」をしているなんて、日本人ならあり得ないというか夢にも思わないのですが、こちらではそうでもないのです。私は2つのことを言いました。1つは「なるほどね、何か利益を得る目的があって援助してきたってことですね。正直に言えば、その目的は別にしても、私は日本政府がそういう戦略的目的を持って援助してきたなら、それは大いに嬉しいですよ」と言いました。「日本政府、特に外務省はきれいすぎるというか、アホというか、「モンゴルさん、いい国になってくださいね」という方針しかないのが問題なんです」と言いました。「何かを得るなどという目的も持たないもんだから、日本が長年かけて整備した道路の上を中国のクルマが走って金儲けしているってことになっているんです。」とも。もう1つは・・・さすがに言うには躊躇しました。が、言いにくいけどやはりこれが一番効果あるかなと。「前から思っていましたが、モンゴル人の多くはこの地が世界で一番いい場所だと思っているということです。もちろん、それはチンギスハーンもそういう言葉を残しているし、遊牧には大変いい場所だというのはわかります」「でもね、それを世界中の外国人がモンゴルに住みたいと狙っていると思ったら、それは大きな間違いです。もっと言えば、全くありません!多くの日本人にとっては、ただでも住みたいとは思わないでしょうね、残念がら。」とも言いました。プライドを傷つけてしまうようなきつい言い方でしたので、反応をちょっと心配しました。が、その反応は「え?みんなモンゴルに来たいというわけじゃないの?」という驚いた顔をしていました。そして、その言葉で納得したのです。「これはモンゴルがいいとか悪いではなく、それぞれの国には歴史や伝統があって、特に日本のような国にとってはモンゴルの大草原に住むのはとても困難なことなんです」とも付け加えました。こうして直接話せば、何の問題もありませんが、恐らくモンゴルでは「小さな国の日本はモンゴルの国土を奪って、日本人を移住させるために援助してきた」というのは既に都市伝説になっているような気がします。でも問題は、この日本を中国に置き換えたら、都市伝説ではなく、現実的な恐怖と言ってもいいでしょうね。「中国はモンゴルの土地を奪って、中国人を移住させるためにお金を出している」というのは、本当なんですから。こっちのことには、なぜか無頓着な人が多いのが不思議です。(完)
2014.08.16
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今日は、ランチを仕事先のスタッフの方々と一緒にしました。言ってみれば、通常仕事で多く接する経営者層ではなく、普通のビジネスパーソンたちです。彼らはもちろん、数年前からオフィスに出入りする私の存在は知っていましたが、ほとんど一緒に話す機会もなく私の素性に興味を持っているようでした。こういう会話で必ず出てくる質問は「なんでモンゴルに来ることになったのですか?」「なんでモンゴル国立大学で教えるようになったのですか?」「経営者のBさんとはいつから知り合いなんですか?」などなど。一通りの説明を終えると、次は日本や他の国についての質問などが続きます。「日本のどこに住んでいますか?」「今までに何か国行きましたか?」「どの国が一番良かったですか?」というのも典型的な質問です。そして段々私への理解が進んでくると、再びモンゴルの話に戻ります。「この国は一体どうなるのですか?」「中国はもっとモンゴルにやって来るのですか?」「今のひどい政府はもうだめだと思います。私たち個人にできることはなんですか?」など。若い人たちとこうした話をしていてよく感じるのですが、なかなか正しい情報に触れる機会がないように思えるということです。政治も含め、世の中のことに無関心というわけではありません。ですが、友達の噂話やちょこっとネットで得た情報程度しか知識がないので、全体の構図がよく掴めないんだと思います。そんな中で、やはり中国への意識の差は世代間でもあるなと感じました。ある程度の年齢の方はやはり「私たちの血液には嫌中のDNAが流れている」と今も認識していますが、若い世代となるとどうもそれは薄れているようです。「中国は私たちを助けてくれるのに、何がいけないの?」「なまけもののモンゴル人の男性より、ちゃんとしている中国人の男性の方が人気がある」など、わずか4-5年前には考えられないような発言をする若い世代が増えているそうです。(今回会った若い人にはそういう人はいませんでしたが、そういう友人は結構いるそうです)或いは、今の政治家たちのひどさにうんざりしている人も多いです。私が「でも、それを選んだのはモンゴルの国民だからね」というと、一層悲しそうな顔をします。ま、私も口ではそう言いますが、日本だって「正しく選ばれた政治家」がどのくらいいるのか怪しいものだと思っています。民主主義と言いながら、民意が政治に反映されるなんて奇跡に近いということです。「あー、モンゴルじゃないところで生まれればよかった」という声も、以前は決して耳にしなかった言葉です。以前のモンゴルは、確かに金銭的に見れば豊かではないけど、モンゴル人の独立した国を持てることは素晴らしいこと、しかも民主化した国になったのは誇るべきこと、という遊牧民らしい誇りを感じました。日本人の一部には「なんでモンゴル人ってあんなにプライドが高いの?」という声も聞かれたほどです。若い人たちは、経済的な問題よりも、一部の政治家たちによってどうしようもない国に転落していきそうな感覚を肌で感じ、それに対して自分たちではどうしようもないむなしさが辛いと感じているように思いました。こう書くと、なんだか悲壮感溢れるように見えますが、もちろんそんなことはありません。特に女性は元気です。私は「日本は多くの面で、調査や統計上でアジアで一番か上位に来る指標が多いけど、絶対にモンゴルに勝てない指標があるんですよ。なんだと思いますか?」と聞きました。「肉の消費量?」(笑)まあ、確かにそうでしょうね。それは間違いないね。それ以外では?答えは「女性の社会進出度、活躍度です」というと、なるほどという声も出ました。私が「日本で言えば、新日本石油やフジテレビの社長が女性だというような現象は、私は日本ではあまり想像できない。もちろん日本にも女性の社長はたくさんいるけど、いわゆる国や業界を代表するような大企業にはあまりいません。」「モンゴルの場合、社長が男性の場合は、副社長とかCFOとかの重要なポジションが女性のことが多いことも、日本ではあまり見られない現象です」とも言いました。すると一番若い女性が「それがいけないのかもしれませんね。確かにモンゴルでは子供のころからずっと女性の方が優秀と見られてきたし、実際そういう場合が多いです。女性は社会に出ても頑張りすぎるほど働きます。それを見た男性の方が「うん、頑張ってね。」と寝転んでしまい、レイジーになってしまう例も少なくないように思えるのです。」「女性が働くのを止めたら、モンゴルの男性ももう少し頑張るんじゃないでしょうか?」などと面白い話をしてくれました。男性陣は苦い顔をしてましたけど。その彼女は海外にも留学し、いろんなことに興味を持っているようです。その中で、これまた何度も耳にしたことがある日本政府についての噂を口にしました。(続く)
2014.08.15
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さすがは夏のモンゴル。今日は終日いい天気で、しかもさわやかな気候でした。東京の蒸し暑さを忘れるほどのお天気でした。が、実際にはほとんど会議室に籠っていましたけど。昨日もお伝えしましたが、やはり道路は空いています。かなり西の方、西の踏切を超えるような場所まで行きましたが、都心からなんとたったの20分でした。7月に同じ所へ行ったときには、1時間以上かかったのですけどね。やはりこれだけ空いているのは景気云々ではなく、夏休みだからということです。夏休みと言えば、こちらでは夏季休暇は2週間ほど取る人が多いようです。日本は経済大国になったとはいえ、まだまだ夏季休暇は少ない人が多いような気がします。どうでしょうか、平均的には土日含めて1週間程度の方が多いのではないかと思います。モンゴルの大したところは、経済的にはまだまだ途上とはいえ、女性の進出度や夏季休暇の取り方などは日本なんかよりよっぽど先を行っています。とはいえ、やはり景気は悪いようです。特に鉱山関係やそれと取引している企業は厳しいです。石炭を始めとする鉱山関係が悪い中でも、金や銅の鉱山はまずまずだとのことです。規模的には石炭鉱山とは比べ物にならないほど小さいですが、この2種類だけはなんとか前年比でも伸ばしているようです。景気は悪いですが、物価高は相変わらずです。飲食店は概ね4年前の倍という感じです。年平均で20%ずつアップというところでしょうか。スーパーで売っているモノは、さすがに倍とまでは行ってないように思えます。給料は上昇しているとはいえ、倍までは行ってませんから鉱山関係など高給取りは別にして、一般の人の生活が楽になったかどうかはわかりません。間違いなく年金生活者にはきついでしょうね。今日会った経営者から「あなたの記事を見ましたよ」と言われました。ああ、あの例の無断で翻訳・転載された記事のことだなと思い「あの記事は、私には何の連絡もなく勝手に掲載されたものなんですよ」と言ったら、驚いていました。ウランバートルは結構狭い世界なので、似たような話は何度か聞きました。友人のUさんによれば、このブログは日本語なので読めるモンゴル人は限られているが、モンゴル語で出したらかなりの反響があるだろうといういことです。モンゴルではあまり「客観的な見方」をする記事が少ないようですし、そもそも外国人による記事がほとんどないということもあるのでしょう。いずれそのことも考えることになりそうです。
2014.08.14
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いよいよモンゴル最大のイベントであるツァガンサルまであと1週間となりました。ツァガンサルについては、このブログでもモンゴル滞在中に詳細情報をお伝えしてきました。「モンゴルの旧正月です」というと、「ああ、中国と一緒ですね」という日本人が多いですが、モンゴルの旧正月は中華圏のそれとは違います。もちろん、日程も異なります。今年の中国の旧正月はもうとっくに終わっていますから。このブログでも何度もお伝えしているように、モンゴルのツァガンサルの日程は「人為的」に決まるものです。しかもいつ決まるのかよくわからない上に、誰が決めるのかもはっきりしない、という特徴があります。それゆえ、外国人から見るとなんとなくこの日程の決め方がよくわからないのです。毎年、秋ごろ(日時は不明)になると、モンゴルの一番偉いお坊さんが年明けの旧正月の日を決めます。ですので、常にカレンダーの印刷には間に合わず祭日マークはついていません。一方、旧正月は休日(祭日)にせよとの法律があるので、企業も学校もそれを守らないといけないのです。遊牧民だけだった時代ならそれでもいいでしょうが、現代企業は外国との取引や出張もありますし、大学では冬季の試験もあります。日程が「大体決まっている」なら対応も可能ですが、1月下旬から2月下旬の間で1カ月もの幅があるので、あまり予測しても意味ありません。実際、モンゴル大学を訪れた外国の要人の日程がツァガンサルになってしまい、大幅な変更を強いられたなどの話もあります。しかも、しかもです。単に「日程が決まるのが遅い」だけならまだいいです。そもそもツァガンサルというのは、2つ(もしかしてそれ以上?)あるようだというのが驚きです。今書いたように「一番偉いお坊さん」が決めるのですから、これは宗教上の決定なのです。ですので、人によっては「私はあのお坊さんよりも、このお坊さんが一番偉いと思っている」という人もいるわけです。そして面倒なのは、「あの」お坊さんに加えて、「この」お坊さんもツァガンサルの日程を発表するのです。もちろん、全国的にはメジャーなお坊さんの決めた日程が多いですが、人によっては「自分たちの信じるツァガンサル」が出てしまうのです。実際、今年も2月上旬にツァガンサルを終えた人もいるらしいです。私は宗教的な決定ごとには、多様性があるのは構わないと思いますが、それが公的な祭日となるとちょっと面倒だなと思います。ちなみに、今年の旧正月元旦は2月22日ですから、この日は祭日です。翌日23日も祭日となるのは、既に昨年末の段階ではわかっていました。その「公的」であるはずの、政府の決定もまた非計画的であるのがモンゴルの特徴です。モンゴルだるまさんによると、24日も祭日にしようと閣議で決まったのだそうです。その閣議決定はなんと今週の月曜日13日だそうです。つまりわずか10日前に休みとなることを決定したのです。しかも、もっと驚くことは、その祭日の代わりに18日土曜日は「お休みじゃなく、働く日」にしたのだそうです。つまり、わずか5日前です。新聞などで知るのは、4日前ということになります。モンゴルは週休二日制ですから、急きょ出勤しろということになります。土日でどこかへお出かけ予定だった人もいるでしょうに・・この決定は、宗教上でもなんでもなく、政府が閣議で決めたことなので、公的な決定です。事前の計画性を重んじる日本人からは、想像すらできない唐突な決定に見えますが、モンゴルに住んでみると「なるほど、この国民性は政府も庶民もおんなじなんだな」と感じてしまいます。モンゴル人の多くは、計画的に行動するよりも、その場その場の対応力で行動している場合が多いように感じます。日本人が新たな祭日を決めるとか、祭日の月曜日化に移行するとかに、多くの議論や準備期間を設けるのとは全く違うということです。モンゴルでビジネスををする、モンゴルで生活をする、というのは、良い悪いではなく、そういうものなんだとしっかり理解する必要があると思います。確か以前も、わずか2週間前に祭日を決めたとお伝えしました。つまり、こんなことは全然珍しくもなんともないということですね。
2012.02.15
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日本に帰ると決めたものの、そのためにしなくてはならない準備が結構あります。まず、荷物です。日本からモンゴルへ来る時には、10箱ほど送りました。箱は、宅急便の箱としては大きめのサイズです。今回は、それよりは少ないですが、8箱ほどになりそうです。料金は、重量制なので、一番占めるのが本です。本なんて、置いて行ってもいいとも思いましたが、かなりを持ち帰ることにしました。今のところ、一箱20kg平均で、総重量150kgくらいになりそうです。なんでこんなに!とは思いますが、本以外にも授業の資料、衣類、靴、CDやDVD(こっちで買ったものは、ほとんど全部差し上げました)など、多いです。荷物以外にも車の売却もあります。車はできるだけ帰国直前まで使いたいところですが、いつ売れるかをコントロールすることは難しいです。日本のように買い取りセンターもないですし、中古車販売店も「直輸入中古(モンゴルで走ったものは、通常は売らない)」だけだったりしますので、販売ルートや方法は難しいです。これら以外にも、種々の手続きや荷物の友人知人への配布(捨てるのはもったいないので、できるだけ使って頂く)など、たくさんあります。ここ1週間は、想像していなかったほど、毎日忙しく、ブログのアップもままならないほどでした。今日は急速に冷え込みました。夕方の6時の時点で、既に氷点下21度に達したほどです。いよいよ冷凍庫よりも低い温度の季節に入りました。友人らに送別会してもらったり、最後の挨拶をしたりで、この2年間のモンゴル生活が思い巡ります。ですが、私は正直それほど強い感慨というか、寂しさはありません。それは、これでモンゴルと縁が切れたとは全然思っていないからです。「ま、そうのうちまた帰ってくるさ」「夏には馬に乗りに来るだろうな」と、気楽に考えていることもあります。残り僅かのモンゴル生活を「意識して」過ごしてます。
2010.11.21
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こちらのNHK放送でも連日のようにG20やAPECに加えて、日米、日ロ、日中の首脳会談が報道されています。このブログで日本の政治のことを書くことはほとんどありませんが、ここ1-2週間は関心を持って見ています。それは来週モンゴル大統領が訪日し、それに合わせてテレビ局社長のUさんも訪日するからです。以前、申し上げた通り、Uさんは日本大使館、外務省経由で菅首相にインタビューを申し込んでいます。が、実現できるかどうかは現時点ではわかっていません。当初、インタビューの目的と質問事項を外務省に送りました。こういうお役所経由でのインタビュー申し込みはなかなか難しいです。私はコンサルティング・ワークはもちろん、講演会や雑誌の対談などでも何度か経験ありますが、本当に的を得た質問は、直接会って話の流れの中から引き出してくる場合が多いです。もちろん、事前にそういう流れも含めて考えていますが、そういう「良い質問」は、前もって紙に書いて聞くようなものではありません。対話の中でその話題が深まってきた中で出すべきものだからです。聞く人「日本はAについてどうお考えですか?」答える人「はい、是非Bで行きたいと思います」聞「ですが、BをやるにはCという困難がありますが」答「はい、ですので、従来よりDという施策に力を注いできました」聞「ですが、Dでは全く効果はなく、Eという課題が克服できません」答「はい、Eについても2年前のF合意に基づき、関係者が努力しています」聞「そのFは、現実的にほとんど機能していないのです。時間が限られている中でGを考える時期ではないでしょうか?」と続くのです。ですから、本当に聞きたいのは、「Fじゃあダメだからどうするのか?GでもHでも考えないと、日本は負けますよ」なんですが、なかなか役人向け文章にはそんなことは書けません。なぜなら、役人的建前としては「DやFをやっている」という認識があり、それを「有効でない」という前提での質問は書けないからです。ですので、私はまずは役人も含めて「菅さんや外務省に関心を持ってもらえるインタビュー理由」を考えました。そして、実際にインタビューが実現したら、そこでアドリブでも良いから、本音を引き出そうという作戦でした。企業トップとのインタビューの際ももちろん「主な質問項目」なるものを出すことはありますが、流れを作れれば、十分に良い質問に辿りつくことができるので、この方法しかないと思いました。ですが、外務省からの返事は意外なものでした。「質問事項はこの3つだけですか?だったら、この3つだけで、それ以外の質問は受け付けませんがいいですか?」と。うーむ、これは困ります。菅さんとUさんが二人っきりならなんとかなっても、当然周りには外務省、総理府、秘書官などたくさんいるでしょうから、簡単に打ち切られそうです。いいインタビューとは、核心の周りにある意識や前提を上手に取り除いて、核心に向かう流れを作り、機を見てズバッとその核心に切り込むことができるかどうかです。ですが、役人の考えるインタビューとは、聞く側に何か「知らないこと」があって、それを知っている人に「訊ねる」というような、一問一答しかないようです。外務省の返事を受け、質問を5つにしましたが、それが受け入れられるかどうかはわかりません。それに、私は菅さんなら「なんらかの反応をするだろう」という気持ちで質問を考えましたが、実際にはご覧の通り、菅さんは各国首脳との会談で大忙しですから、こちら側の質問書なんて見ることもないでしょう。見るのは、役人です。しかも、菅さんに辿りつくまでには、大使館、外務省、経済産業省(資源のこともあるから)、総務省、秘書官などなどの検閲を受けるので、どうなるかはさっぱりわかりません。今回の経験で、なんとなく思ったのは、日本を想う心ある人(特に日本人)は、日本のみならず外国も含めてたくさんいるんだろうなと。そして、その中には、日本の政策に生かした方が良いかもしれないという考え方も随分含まれているのだろうと。ですが、首相というのは、巨大な官僚組織の頂点でもあるわけですから、有意義な考えもそこの頂点に届くには、大きなフィルターを通さないといけなくなり、ほとんどが跳ね返されるのだろうと。あるいは、見事フィルターを通ったとしても、「味もそっけもない、普通の水」のような案になってしまうんだろうな、と感じました。最近の一連の報道を見ていると、いよいよもって日本の国力が弱って行くのを感じます。日中会談は、ギリギリまでやるかやらないかは中国側に決定権があり、こちらはテレサテンの歌のように「待つ身」です。そして、最終的には「会って頂けました!」って感じでした。やっと会ってくださった方に、尖閣諸島で「文句を言う」なんてできないし、発言したとしても「紙を読んだだけ」みたいになるのは当然でしょう。日ロは、領土問題そのものが前提として存在しないかのように「自国を自由に行動して何が悪い?」とさえ言われる始末です。さすがに、歴代大統領やソ連時代の書記長を含めても、そんなこと言われたことなかったのに、完全に見下されてます。日米も、アメリカとは距離を置くようなことを民主党は言ってましたが、冷戦時代よりも立場が弱くなった日本は、アメリカ様に従う他はありません。そして、できもしない「普天間日米合意の路線で行きましょう!」と問題先送りです。これは菅さんの資質なんでしょうか?それとも、時代の問題で、誰がやっても同じなんでしょうか?難しい問題ですが、私はチラリと「小泉さんならどうしたんだろうな?」と思ってしまいます。ちょっとと古すぎますが「角栄は、こんな時どうするのだろうか?」とも。菅さんも若い時は、結構いい感じだったのに、最近は首脳会談でも手元の作文を読まないと、発言できないようになってしまって、情けないです。韓国の大統領の自信に満ちた姿ともかけ離れています。多分、モンゴルの大統領よりも貧相に見えます。(ルックスではなく、態度や姿勢)日本も40代~50代の一番元気のいい時に、トップに立てる制度が必要な気がしてなりません。議院内閣制の悪いところばかりが目につきます。大企業の年功序列型の社長ではなく、ベンチャーで突破してきたようなタイプの政治家が全然出てこない仕組みになっているのが問題のような気がしています。Uさんのインタビュー、実現するといいのですけど、どうかな?
2010.11.14
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久しぶりに、テレビ局社長のUさんと日本人居酒屋で飲みました。Uさんよりメールで相談があったのです。それは菅首相にインタビューを申し込むのに、どんなことを聞けば良いかということです。11月中旬に、モンゴルの大統領が訪日するのに合わせて、報道機関の幹部らも取材同行するので、Uさんも日本に行くことになりました。それに関して、どういう質問がいいのか、どういう趣旨で申し込めばいいのか、などをアドバイスしました。もちろん、このご時世ですから資源に関する内容になります。詳細は、ここには書けませんが、今回Uさんがインタビューを実現できるかどうかは、五分五分とのことです。いずれにしても、菅さんに通訳なしでインタビューできるモンゴル・メディア企業のトップはUさんだけでしょうから、是非とも実現するように祈っています。Uさんは、日本との関係強化に向けて、常に積極的です。先日放送があった、私も出演したNHKドラマ「チャンス」をモンゴルでも放送したいと、現在交渉しているそうです。NHKからすれば、安くしてくれているのでしょうけど、やはりこの国の財政状況からすると権利を買うのは結構高いそうです。うまくいけば、翻訳、吹き替えなどをやって、来年明けごろには放送したいと言ってました。また、私の本の翻訳も考えていると言ってます。と言っても、まだ出版されてもいないし、そもそも私の段階でもまだ原稿が最終になっていないのですから、もちろん内容次第ということでしょう。基本的には、日本のことを念頭に書いているので、新興国であるモンゴルにのビジネスにフィットする内容かどうかは、正直わかりません。他にも、まだまだあるようで「やりたいことが、たくさんありすぎます!」と悲鳴に近い声を上げていました。日本の同世代の人に比べると、少なくとも仕事的には、Uさんは幸せな立場だと思います。やりたいことがたくさんあって、しかもそれを実現させるための人脈や仲間もおり、未開の市場がそこに待っているのです。日本は洗練された大市場ですが、30代半ばで、思いついたことを次々に実現させられる機会というのは、そうはないでしょう。なんか思いついても「それはもう誰かがやっている」か「話は面白いけど、金がかかり過ぎ、リスクも大きい」となったり、そもそも「やりたいことが、たくさんありすぎ」なんて状況には程遠い日々を送っている人の方が圧倒的に多いと思います。意思決定も早いです。今回行った居酒屋のK兄ぃと話が盛り上がり、日本食のレシピーを紹介する番組を作ろう、ということになりました。K兄ぃが料理人として登場し、モンゴルで手に入る範囲内での材料を使って、モンゴル人に不足しがちな野菜を使ったレシピーを紹介するというものです。医療体制の充実はもちろん大切ですが、究極的には極端に肉食中心のモンゴル人の食生活を改善しないと、平均寿命などの根本的解決にはつながらないのではないかという思いもあります。K兄ぃも「ギャラなんかいらへん」と乗り気で、Uさんは「よし、年明けから放送開始!」と決めてしまいました。ちょっと話題になったのは、「味噌汁」です。私も何人にも聞きましたが、モンゴル人はみそ汁に対して、かなりの確率で好きになる傾向があります。中国や韓国と違って、味噌・醤油文化は全くありませんが、なぜか味噌、特に、味噌汁は好まれます。お土産にインスタント味噌汁を買って行ったこともありますが、かなり喜ばれます。モンゴル人へのお土産で悩んであられる方、インスタント味噌汁(21袋入りとかで安いのありますよね)なんていかがでしょうか?友人のBさんにしろ、このUさんにしろ、30代の人が国を引っ張って行ってるんだということが、実感できるのがモンゴルの魅力でしょう。私なんかは、その後ろでこちょこちょと、少しでも役に立てれば嬉しいと思っている程度ですけど。私のブログを読んでいるUさんが「あの、ベトナムの人の話面白かったですね」と言いました。ベトナムに住んでいる日本人がモンゴルに、という意外性を言っているようです。聞けば、Uさんも最近ベトナムからベトナム人のお客さんを迎えたばかりだそうです。やはり、モンゴルでのビジネスに関心を持ってやって来たのだそうです。ベトナムとモンゴルは、文化(農業文化、遊牧文化)も気候(亜熱帯、乾燥寒冷)も人口(8500万人、270万人)と大きく異なりますが、元々社会主義時代から同じ陣営にいたこともあり、我々が思う以上に、お互い関心があるようです。中国をぐるっと取り囲む国々(ベトナムから始まって、ラオス、タイ、チベット、ウィグル、カザフ、モンゴル、韓国など)は、歴史的にも、文化的にも、いろいろ複雑な思いがあるようで、ある種の「共通点」があるようです。最近は、日本もそういう「悩み」に引き込まれていますけど。グローバルというのは、何もアメリカやEU、BRICsなどの大きな世界の話だけではなく、こうした世界の片隅のような国でも、大いに語り合えることも、そうなんだなと思うこの頃です。楽しいもんです。
2010.10.29
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今までも、雪が降ったり、寒さを感じてはいましたが、どうも今日の昼の感じは「あぁ、またあの寒い冬に近付いているな」と思われました。ウランバートルはもう最高気温が摂氏10度を切っており、最低気温はもちろん零下です。今年の夏「サバイバル旅行」をしたフブスグルではもうマイナス2ケタです。こうなってくると、夜の外出もちょっと億劫になってきます。治安のこともあるので、最近は日本人居酒屋さんへ行く回数が減ってます。今日は、日本留学組のBUさんと会いました。エネルギー関係の仕事をしている、これまた日本留学組のTさんから「彼に会って、アドバイスして欲しい」と頼まれたのです。日本留学組がどんどん成功してくれるのは嬉しいことなので、もちろん喜んでお目にかかりました。BUさんは、まだ30代半ばと若いですが、不動産会社の社長です。話を聞くと、元々お父様がやっていた事業なのですが、お父様の急逝により、3年前に急きょ日本から戻ってきたのだそうです。日本では、IT系のベンチャー企業で働いていたそうです。聞けば、なんとウランバートルの都心部に1ヘクタールもの土地とオフィスビルを持っているのだそうです。確かに、世界一高い東京とは比べようもないですが、発展著しいこの国の首都の中心部にこれだけ所有しているというのは、すごいです。他の日本留学組同様の謙虚な姿勢は、一般のモンゴル人ビジネスマンとは全然違います。で、彼が相談したいというか、これから考えていることは、持っている不動産を再開発をしたいということです。できれば、今までのモンゴルにはなかったような、複合施設を作りたいとのことでした。私は、せっかく一等地に広大な土地を持っているんだから、将来モンゴル最大、最良の不動産会社になるために、細かい小手先のことよりも、まずは大きな道筋というか、どうなりたいのかのビジョンを考えて欲しいと伝えました。とはいえ、「地上げをするのも難しそうな」都心部で既に土地を持っているわけですから、専門の不動産コンサルタントではない私でも、いくらでも収益事業は頭に浮かびます。確かに、今のモンゴルの不動産開発は、街造りという視点はほとんどなく、とにかくマンション作って儲けちゃえ、とか、これだけの車社会なのに駐車場のこともほとんど考慮に入れてないようなオフィスビルがどんどんできています。その結果、新しいビルの周りは、路上駐車で溢れてしまっています。BUさんには、モンゴルの街づくりのトップランナーになるようなプライドを持った都市開発をして欲しいと思います。このブログを読んで、「我こそはモンゴルの再開発に貢献したい」という日本の専門家の方がおられましたら、是非一緒に考えてみて下さい。現実的には、日本の大手不動産会社では、ウランバートルは遠過ぎ、規模が小さすぎるでしょうから、韓国や香港デベロッパーと組むのが現実的かなとも思っていますけど。今、モンゴルで一番立派なビル(ルイヴィトンが入っているタワービル)の相談を、私が最初に受けたのは8年前でした。今回の話は、何年後に実現するのでしょうか。今からその時が楽しみです。
2010.10.22
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日本からモンゴルへ出張中の大企業勤務のFさんらと食事しました。「出張中」とは書きましたが、Fさんは半年前までウランバートル駐在をされており、2度に渡る勤務の合計が7年にもなるモンゴル経験のベテランです。ですので、Fさんにとっては、出張というより「帰ってきた」という感覚じゃないかと思います。そのモンゴル生活ベテランのFさんに、顎のあたりにちょっと怪我をしたような跡がありました。聞いてみたら、びっくりです。ウランバートルで白昼、モンゴル人強盗に殴られたんだそうです。ちなみに、Fさんは堂々とした体格で、普通の人が喧嘩を挑みたくなるような雰囲気はありません。体格のいい人が多いモンゴル人の中にあっても、全然引けを取るタイプではないです。話を聞いたら、もっと驚きました。彼は昼間、仕事で打ち合わせていた人と別れ、一人で横断歩道を渡りかけていたそうです。場所は、寂しいところでは全然なく、人通りの多い場所です。国立図書館の近くの横断歩道でしたから、確かに見えにくい場所でも、人通りの少ない場所でもありません。更に、その道路は渋滞中だったそうです。確かに、あの辺はいつも渋滞しています。つまり、明るい昼間、たくさんの人が歩いている、しかも渋滞で多くの車がこの横断歩道付近に止まっていたというシチュエーションです。そこで、3人組に襲われたらしいのです。Fさんの前に2人の男が歩き、横断ほどの中央付近で立ち止まりFさんを「ブロック」したそうです。周りは車も多いし、Fさんは立ち止まるしかありません。勘のいいFさんは、「あっ、前の二人おかしいな」と思ったそうです。ですが、気付いた時にはもう遅く、後ろからポケットに手を突っ込まれの財布類を取られそうになったそうです。Fさんは、抵抗し、結局数発の殴り合いになって、相手は3人とも逃げたそうです。なので、財布などの被害はなかったそうです。とはいえ、顎に残る跡を見ると、結構なダメージです。Fさんは、念のため外国人向けの救急病院で見てもらったそうです。幸い、大したことはなかったようですが、800ドルも取られたそうです。800ドルって、下手すりゃ、この国のサラリーマンの3カ月分近いです。随分高いもんです。Fさんによると、恐らく、一人になる前に仕事の話をしていた人と英語で話していたからだろうということでした。英語なので、外国人とわかり狙われたんだろうという推測です。別に外国人排斥運動とかではなく、途上国によくある外国人イコール金持ちということです。いやー、夜の一人歩きがダメなのはもちろん知っていますが、昼間、しかも人通りも交通量もかなり多いところでもそういうことがあったことにはちょっとショックでした。私はそもそもモンゴル語を話せないので、誰かといたら英語か日本語だけ話すわけですから、一層注意しないといけないなと思いました。普段は車での移動ばかりなので、たまには歩かなくちゃ、と思っていた矢先ですので、方針変更せざるをえません。経済発展に伴う、経済格差、特に地方から出てきた人には、多分かなり絶望的な状態があるのでしょう。多くの途上国で、経済発展段階で似たようなことが起こっていることを考えると、日本の経済成長時代の日本人って、本当に稀なほど民度が高かったんだなと再認識させられます。こちらでは何度も「モンゴルは貧しいから」という言い訳を耳にします。何も泥棒だけではなく、自己中心的行為や約束を破ることが平気な習慣などでもです。ですが、終戦直後の日本は世界でもトップクラスに貧しかったわけですが、高度成長期にあっても日本人はかなり高度な規律が取れていたと思います。むしろ、豊かになった最近の治安の悪化の方が心配されているほどですから。多分、こういう問題のルーツは相当深そうです。
2010.10.10
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最近、ちょっと家に閉じこもっていることが多いです。さすがにまだ冬の寒さではないですが、原稿に向かっている時間が多いのです。もちろん、挨拶程度しかできないモンゴル語ではなく、日本語です。それにしても、当たり前のことですが、インターネットはすごいです。こんな遠く離れたモンゴルの地で、東京・神保町にある出版社の方とほぼ毎日原稿のやり取りができるのですから。私がベテランの書き手だったり、伊豆か箱根辺りの旅館に籠って書き上げられるような大作家であれば、頻繁なやり取りなんて不要でしょうが、なんせまったくの初心者なので、編集者との頻繁な接触が必要なのです。企画自体は、昨年末の帰国時に楽しい飲み会で盛り上がって「じゃあ、それで行こう!」なんて気楽に決まりました。が、いざ始めるとなると、どんなコンセプトでやるのかすら半年ほど全然決まりませんでした。で、大まかな方向性が決まったのが、ようやく7月上旬でした。個人的にはモンゴル関係の本の執筆にももちろん興味がありましたが、まずはビジネス関係でということで書くことになりました。内容は、いずれ題名や発売時期が決まったら、この場でお知らせするつもりです。きっかけは、私の姉妹ブログに書いたこの記事でした。「徒然散文記 断捨離とモンゴル人」 (http://blogs.yahoo.co.jp/uncle_summy/29370598.html)このブログを「断捨離」の創設者である「やましたひでこ」さんがご覧になり、彼女の本「新・片づけ術 断捨離」(マガジンハウス)のコラムにこの記事を載せたことから、今回の話につながりました。世の中、どんなきっかけでどんな話が来るのかわからないものです。元々は、友人であるサイコセラピストの「川畑のぶこ」さんのブログを読んでいて、これは面白い!と私のブログに書いたものです。その川畑さんも「モノを捨てればうまくいく 断捨離のすすめ」(同文館出版)を書かれました。今回、私の本を出版して下さるというのは、この同文館出版です。書いてる本人がまだ悪戦苦闘しているのに、なんともう出版社には書店から注文が入っているのだそうです。というわけで、発売時期はこの秋ということです。「えっ、今、秋じゃないか?」って?そうですね、ですから、遅くとも11月までには店頭に届くことになりそうです・・・ということは、あと1カ月。正直、まだ実感も自信もありませんけど、出版社の方はそうおっしゃってます。というわけで、あと1週間ほど、最終の追い込みとなりそうです。中身は、このブログと同じように、平易な文章で書いています。是非、ビジネスパーソンの方々に手にとって頂きたいと思っています。
2010.10.05
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ウランバートルは、9月にしてどんどん冬に向かっているようです。東京は冬でもマイナスになる日が少ないので、気温としてはもう東京での冬です。服装も、もうダウンを着ている人もおり、半そで姿はほとんど消えてしまいました。私は明日からウランバートルを離れますので、少しの間ブログはお休みです。
2010.09.26
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タクシーについては、以前も何度かお伝えしているように、圧倒的に白タクが多いです。白タクといっても、日本のようにナンバーが白いというわけではありません。モンゴルでは、営業車ナンバーはありません。ここでいう白タクとは、非公認タクシーのことです。街を走っているタクシーの8-9割は、白タクと言っていいでしょう。白タクは、個人が勝手に客を取って乗せているだけのもので、私が「今日はちょっとおこずかいが欲しいから、タクシーやろうかな。」と思ってやることもできるわけです。もっともモンゴル語ができないので、行き先もわかりませんけど。日本では「白タクは怖いから、ちゃんとした正規のタクシーがいい」というのが常識ですが、日本の常識はもちろんここモンゴルでは通用しません。もし、正規のタクシーと白タクがあったら、私は白タクを選ぶでしょうね。白タクがディスカウントしてるから?いいえ、その反対です。タクシー料金は、政府が「1キロ当たり500トゥグルグ」と決めています。ガソリン価格の変動などで、時々動きますが、過去2年間のほとんどの時期はこのレートでした。白タクに乗ると、経験上大体この距離はいくらかわかりますので、私は「はい、1500トゥグルグ(100円)」と言って、運転手に渡します。ここでのコツは、「いくらですか?」なんて聞かないことです。明らかに外人とわかる人が「いくらですか?」って聞くのは、日本語でいえば「あなたはいくらお金が欲しいですか?」と聞いているようなものです。外人がいくら欲しいかと聞いてきたら、そりゃあ誰だってたくさん欲しいに決まってます。「3000トゥグルグです」などと相場の倍くらいは平気で言います。3000と言われて、相場の1500まで交渉するのはかなり面倒です。「高い!」と言ったところで、それが2500とか2000になればかなり交渉成功と言えます。なので、私は、値段は聞きません。降りる時に「はい、1500トゥグルグ」と言って渡します。もちろん、相場を下回れば怒るでしょうが、相場かそれにちょっと上乗せした程度を、有無を言わさない雰囲気で渡せば、ほとんどの場合大丈夫です。なぜ、正規のタクシーではダメなのか?それはメーターがあるからです。日本人の常識では「メーター付きは安心」と思うでしょう。私もそうでした、最初は。ですが、ここは日本ではありません。モンゴルです。モンゴルのメーターは、ほとんどインチキ操作しています。軽く2倍から3倍早回ししています。なので、いつもは1500かなと思うような距離も4000などと表示されるのです。これは面倒です。表示が4000とあるので、交渉も難しいです。なんせメーターに書いてあるのですから。早回ししている!などという難しいモンゴル語をわかるはずもなく、当然交渉すらできません。こんな経験を何度かやって(正規のタクシーのほぼ全ては、経験上インチキだと思います)、今では白タクしか乗らないというわけです。モンゴルでは、正規のタクシーのほとんどはヒュンダイの小型車です。ほとんどが10年落ち以上の古いオンボロです。こういうタイプが多いです。これは新車時のきれいな写真ですが、これが10数年たったかならずどこかが壊れているようなオンボロが多いです。白タクの場合も、このタイプが多いですが、実際には普通の個人の車ですから、ヴィッツもカローラもサニーもなんでもありです。車種や外見に関係なく止まってくれる車がタクシーなわけですから。街の中でも、このタクシーがうろちょろうるさい運転をしています。日本でも、大阪や博多辺りで、やっぱりタクシーの運転はひどいですし、マナーが最低なのと同じで、ここウランバートルのタクシーの運転はひどいなんてもんじゃないです。当然、タクシーに関するトラブルも多いです。先日、日本留学組のモンゴル人のTさんと約束していたら「すいません、待ち合わせの時間にいけません」と携帯にメッセージが入りました。結局、待ち合わせ時間の3時間後に会えたのですが、その理由を聞くと、タクシーに乗っていて、事故に巻き込まれたというのです。彼の乗っていたタクシーが、交差点で対向車とぶつかり、彼はそのまま病院に行ったそうです。私と会った時には、足を引きずっていました。「モンゴルのリスクというものを、初めて実感しました。やっぱり日本よりは怖いですね。」と、日本から戻ってからまだ半年のTさんは言ってました。私は普段は自分の車を運転していますから、タクシーを使うことは少ないです。が、飲みに行く時は、タクシーで行きます。昨日もそうでした。アパートの前でタクシーを拾って、待ち合わせ場所に向かいました。前の車が青信号でも動かなかったので、かなり興奮して警笛を鳴らした後、赤信号(?)だったかどうかは知りませんが、勢いよく飛び出して右折すると、そこには警察官が待っていました。運転手は降りて、警察官と話しています。「こりゃあ、時間がかかるな」と見切りをつけて、私はさっさと降りました。もちろん、「すいません、ここまでの料金はおいくらですか?」なんてことを言う気にもなれません。なんせ荒っぽい運転でしたから。そして、別なタクシーを止めて、目的地へ向かいました。実際、ルール違反やり放題のタクシーが多いので、警察官に止められているタクシーはよく見ます。で、飲んで良い気分で帰ることになり、またタクシーを拾いました。ですが、このタクシー元気がありません。随分低速走行です。見ると、燃料計はゼロを指しています。ガソリンが無くなるのを恐れているのでしょうか?案の定、アパートまであと50メートルという交差点で、ついにストップしました。エンジンもかからず、動かないのです。私はここまで来れたんだからと、料金を払って降りました。が、その交差点では、当然のごとくその車に対して警笛が鳴り響いてます。なんせ、交差点の真ん中でしたから。タクシードライバーは、ほとんど現金を持っていません。ちょっと大きいお金を出すと、必ず全部取られます。お釣りは期待できません。彼らも、少しでもお金を稼いだら、ガソリンスタンドへ行って10000トゥグルグ分(7リットルくらい?)のガソリンを入れて、また営業に出かけるのです。モンゴルのタクシーの良いところ、それは安さです。日本人にとってはもちろん安いですが、地元の人にとっても安い交通機関なのです。しかも白タクの方が、政府の決めた料金をちゃんと守っています。悪いところは、正規のタクシーがインチキということです。あとは、壊れる、ガス欠、警察に止められる、などの確率が、日本で考えられる確率の100倍以上はあるということでしょう。ちなみに、日本にいた時は、私は仕事上かなりタクシーに乗る機会が多かった方ですが、これらの問題は当たり前ですが、一度もありません。これからのタクシー事情が、今後のモンゴルの経済発展に伴って、どう変わっていくのか興味があります。香港のように、昔は「信じられないくらい安かった」タクシーが、あっと言う間に先進国並みになってしまうのでしょうか?
2010.09.23
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今日は、モンゴルの鉱山開発会社に勤めている、Tさんから相談受けました。Tさんは、日本留学組でもちろん日本語ペラペラです。偶然にも、私と同じ大学出身だそうです。前のブログにも書きましたが、結構多いんです、モンゴルでは。彼も日本の大企業勤めを辞め、モンゴルで羽ばたくぞと帰ってきたわけで、こっちへ戻ってから半年くらいでしょうか。待ち合わせをしたものの、なんとその日の朝、タクシーに乗っていて交通事故に巻き込まれたということで、待ち合わせ時間は一旦キャンセルになりました。幸い、大きな怪我ではなく、午後には会えるということでしたので、一緒に遅めのランチをしました。今、日本でも新聞などに載っている、世界最大級の炭鉱に関わっているようで、今後の戦略などを話しました。私の主張は「付加価値をつけることを考えないと、単なる鉱物輸出国になってしまう」というものですが、その通りだとしても、確かに一私企業が高付加価値化を全部やろうというのは非常に大変なことです。やっぱり手っ取り早いのは、掘ってすぐに中国に売っちゃうということです。この辺のこと、モンゴル政府がどのあたりまで考えているのかはわかりません。なんでも私が昔いた某コンサルティング会社のモスクワオフィスが、モンゴル政府のコンサルをしたんだそうです。多分、その結論は、私が以前こちらの新聞などで主張していたことと似たようなことのようです。その時に、一つの例として「インダストリアル・コンプレックス」(産業集積工業団地、みたいなもの)の絵があったらしいのですが、最近ではどの役人と会っても、プレゼン資料にはその絵が入っているそうです。残念ながら、その某コンサルのプロジェクトも「イメージ図」だけで終わっており、具体的にどう進めるかはないそうです。ですので、政府役人もその絵を見せるのは良いのですが、「どうやってそれを実現するのですか?」と聞くと、誰も答えられないんだそうです。新聞上では華やかな入札合戦のように言われていますが、なかなかこの国では、望むような形に進めるのは難しいです。それでも、日本企業には是非入札で頑張ってもらいたいものです。
2010.09.15
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モンゴルに戻ってきた時は「意外に暖かいな」と感じましたが、そこはモンゴル。気温が下がるのも早いです。昨日、日本からの新しい語学留学生が来たというので、ご紹介いただくべく夕食に出ました。部屋の中にいると、まったく外の気温がわからないので、半袖の気楽な格好で出ました。ちなみに、今はまだ暖房は入っていません。窓から見えるウランバートルの天気は、晴れが圧倒的に多いので、ついつい部屋の温度と似たようなもんだろうと思ってしまいがちです。ですが、アパートを一歩出ると「ひぇ~、さぶい」とすぐに引き返しました。明らかに20度以下どころか、13-4度程度?って感じですから、半袖ってわけにはいきません。長袖&ジャケット着て出直しました。今度は、ひどい渋滞です。ウランバートルの渋滞は、もともとひどいのですが、今月はアパートの近くを通る幹線道路が完全通行止めで切れているので、既存の道路の渋滞は益々ひどくなる一方です。とはいえ、昨年の今頃も、最大の幹線道路を全面通行止めにしていたので、ウランバートル史上(?)多分最悪の渋滞がありましたから、通行止めによる渋滞も、「普通の状態」のようになってしまっています。歩いて行くか、タクシーで行くか?途中まで歩き、そこからタクシーで行きましたが、普段なら10分もかからないようなところ(普段っていつ?って自分でも突っ込みたくなりますけど)が、50分もかかってしまいました。日本からの留学生は2人でした。紹介してくれたのは、今日本からモンゴル訪問中で、半年前まで留学生だったMさんです。私と「うるるん」で共演した女子大生です。やはり学生の関心は就活にあるようです。モンゴル語ができるからって、就職には全然役になたないでしょうし、この不景気ですし。最近の留学減少を受け、「若者よ、もっと海外へ出ろ!」という声も多いようですが、出たところでその後の就職にはなんにも役に立たないのでは、それに続く人も増えないでしょうね。今回新しく来た2人が、少しでもいい思い出をモンゴルで作ってくれるのを期待するばかりです。この日の夜は、間違いなく気温はマイナスです。モンゴルでの日本語学習熱が減っていると聞きました。モンゴルまでやってきた若者も、なかなか就職できません。大人たちは「今後の日本・モンゴルの関係は発展する」と口を揃えて言いますが、肝心の若い人たちは、ちょっと逆方向に向かっているような気がしました。
2010.09.14
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「モンゴルまるかじり」という日本人のモンゴル関係ブログの老舗ブログで、私のブログのことが出ていたので、ご紹介します。書いているのは「モンゴルだるま」さんという「アラフォー」(本人談)の女性で、なんとモンゴルとの縁はかれこれ20年近くになろうかという方です。モンゴルの民主化直後に留学にやって来てからですから、まさに生き字引的存在です。おそらくモンゴルにいる日本人の中でも、最も「土着化」(良い意味です)した方の一人だろうと思います。お仕事は、モンゴル語通訳、コーディネーター、旅行業などです。このブログでお馴染のテレビ局のU社長も、日本へ留学する前の日本語チェックなどの面接を彼女が担当したというくらいの方です。恐らく、日本帰りのエグゼクティブの中には、彼女の「教え子」がたくさんいることでしょう。私はラクダ&馬乗りの旅行の時に一度だけお目にかかっただけですが、当然のことながらモンゴル日本人社会では有名人の一人です。その彼女のブログが「モンゴルまるかじり」( http://ameblo.jp/mongol/ )で、もう6年も続けられており、アップ記事数はなんと2000を超えるほどです。そのブログの中で、先日「モンゴル発のお勧めブログ紹介」という記事がありました。そこで私のブログも紹介していただいたのですが、大変お褒めの言葉を頂き、ちょっと嬉しくなってここにも書いてしまおうというわけです。以下、「」は引用です。前略「それにしても10年前は想像だにしなかったけど、モンゴルブロガー、多いです。嬉しいことです。いろんな切り口で、いろんな素顔のモンゴルが紹介されてるのは、私も読んでいて楽しいし。というわけで、私が愛読しているモンゴルブログの紹介なんぞもしてみまーす。」という文章の後、最初に私のブログが紹介されました。「「田崎正巳のモンゴル徒然日記」http://plaza.rakuten.co.jp/mongolmasami/・・・こんなすんごい国際経営コンサルタントの方がモンゴルに在住し、がんばってるエネルギッシュなモンゴル人の経営サポートしてるなんて、すごいすごいすごい!っていう田崎正巳さんのモンゴル観察・体験日記。更新頻度の高さと毎回、毎回面白く、モンゴルに対するコメントの鋭さが病みつきのここ最近のイチオシモンゴルブログです。淡々と良識ある日本人ならではの「あるあるモンゴル人」的現象を綴っているのですが、「そうそう!!」って激しくうなずき、両手を握ってしまいたくなるくらいナイスつっこみ!炸裂でありつつ、今後、モンゴルでビジネス、投資を検討していらっしゃる方、あるいはモンゴルで暮らしたい方は必見!の良質情報記事てんこもりです。」とあります。最近イチオシと言っていただけると、素直に嬉しいです。もちろん、私のブログ以外にもいくつか紹介されていました。そこには、モンゴルという超マイナーな国ではありますが、そこからも発信している多くの日本人がいるんだなということを再認識しました。そんな中で、私のイチオシ(あ、もちろん、モンゴルだるまさんのブログは当然お勧めです、はい)は、「ウランバートルひつじ日記」( http://ameblo.jp/shaun-mn/ )です。これは黒ひつじさん(ご主人)と一緒にモンゴルへやって来た白ひつじさんという女性のブログです。私のブログとは正反対のような、女性的で優しい視線で書かれていますが、もちろんモンゴルへの突っ込みも忘れていません。お目にかかったことはありませんが、きっとほのぼのとした素敵な奥様なのでしょう。モンゴルでの生活視線にご興味のある方は、是非訪れてみてください。きっと世界各国で、さまざまなブログが現地の日本人から発信されていることでしょう。ちょっとお手軽な世界旅行気分が経験できそうです。
2010.08.13
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今日8月7日で、本ブログを初めてから2年になります。1年目の時にも思いましたが、よく2年も続いたなあと、我ながら感心しています。これも訪れて下さる方々がいるからこそと、感謝しております。ご覧いただく方がいると思うと、せっせと更新しようという気になってきます。それでも最初の1年間には306本もアップしていたのに、次の1年間は231本とペースダウンしています。ペースダウンさせているつもりはないのですが、実際には週に2-3日はお休みしながら書いているのでしょう。ですが、日々のPVは逆に増えています。結果としてモンゴルという国に関心を持って下さる方が一人でも増えれば嬉しいです。特に、ここ1-2カ月は旅行記的なものが増えています。夏というシーズン性もありますが、読まれる方も、文字ばかりの記事よりも写真を見ているだけでなんとなくイメージが伝わる旅行記的なものもいいかなと思っています。今後もモンゴルの今を伝えて行こうと思っています。これからもお立ち寄りくだされば幸いです。筆者拝
2010.08.07
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モンゴルにいる日本人の方のブログを読んでいたら、面白い記事が目に止まりました。「ちょっと非常識では!」と思う友人の特徴ランキングというのがgooのランキングに出ていたのです。1位、1時間以上の遅刻に連絡なし2位、モノを貸したら返ってこない3位、出かける約束をしてもドタキャンが多い 4位、24時過ぎに緊急度の低い電話をかけてくる 5位、他の人に自分の悪口を言っている 6位、電話がいつもワンコール切り 7位、自分の恋人と二人で出掛けている 8位、小額のお金は貸しても返してくれないというものです。当初私は全く疑いもせず、モンゴル人の特徴のランキングだと思って読んでしまいました。なぜなら、余りにも当てはまるからです。この中では5位と7位以外はほぼ完璧にモンゴル人の特徴として挙げられます。もちろん、全員がそうだというのではありませんが、多分モンゴルに住む日本人のほとんどは、これらの特徴を「モンゴル人の特徴」と思っているでしょう。このランキングの題名と決定的に違うのは、「非常識」というネガティブなテーマではないということです。「日本人から見たモンゴル人の特徴は?」という設問の答えとして出てきそうだということです。例えば、日本人は多くの外国人よりも集団的協調性があるとか、あまり自己主張をしないとか、そういう一般的な「特徴」であるということです。ちなみに、日本へ留学していた人や、日本語を勉強している人の場合は、ここに挙げる特徴はあまり備わっていない場合が多いです。ですから、このブログを読んでいるモンゴル人の方は「私は違います」と思われることでしょう。確かに、その通りです。1位、1時間以上の遅刻に連絡なしそうですね、これはこのブログでも時々触れますが、遅れることはもうほとんど当たり前だと思った方がいいです。遅れる時も、事前に「遅れます」という連絡はほとんどなく、こちらから連絡して初めて「ああ、1時間後に行きます」という返事ということも珍しくないのです。2位、モノを貸したら返ってこないこれも良く聞きます。返ってくることももちろんありますが・・・モノを貸したら、壊されて返って来た。滅茶苦茶にされて返って来た、という話もよく聞きます。3位、出かける約束をしてもドタキャンが多い 1位とも関連しますが、ドタキャンは確かに多いです。仕事上でも非常に多いです。基本的には、段取りとか予定を立てて行動するということが少ないので、急に入って来た話が優先してしまうことも多いです。それによって、ドタキャンの連鎖が起こるのでしょう。4位、24時過ぎに緊急度の低い電話をかけてくる 私の場合は、これはあまりありませんが、モンゴル人を見ていると、深夜でもいつでもどうでも良さそうな電話を受けているようなので、こういうことは十分にあります。5位、他の人に自分の悪口を言っている 悪口を言いあっているというのはあまり聞きません。もちろん、一部にありますが、それは日本人でもあることですから、取り立てて特徴というほどではないでしょう。6位、電話がいつもワンコール切り これはしょっちゅうです。ワン切りでコールバック狙いです。95%以上の人が、料金前払い制なのでユニット切れが頻繁に起こります。私は料金後払いですから、狙われやすいのでしょう。自分が電話持ってるのに「ちょっと電話貸して」というのも多いです。ユニット切れかユニット節約です。料金後払いの人はなかなか断れないというわけです。7位、自分の恋人と二人で出掛けている これは聞いたことないです。男女ともに嫉妬深いと聞きますから、これはあまりなさそうです。8位、小額のお金は貸しても返してくれないこれはモンゴル人の間では一般的です。「金を貸す馬鹿」に「金を返す馬鹿」という言葉があるくらいですから。モンゴル人の場合「お金貸して」というのは「お金ちょうだい」というのと同義語だと思った方がいいです。日本でも「醤油貸して」と言って借りても、使った分を返す人はいませんよね?多分、あれに近い意味だと思います、モンゴル人にとっては。それにしても、こんなランキングとモンゴル人の特徴がピタッとはまるというのは・・・ちょっと困ったものですね。
2010.08.04
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先月、先生ツアーで世界のエネルギーの中心に行ったことを、モンゴル人の英語の先生であるAさんと話していた時のことです。世界のエネルギーの中心はサエンシャンドという街の近くにあるので、Aさんが「私の妹がサエンシャンドに住んでます。なので前に遊びに行きました。」と言いました。今年大学を卒業したAさんの妹さんは、サエンシャンドの総合病院で医者の見習い中だそうです。サエンシャンドはウランバートルから500kmほど離れた街で、ドルノゴビ(東ゴビ)県にあります。確かAさんの出身地(田舎)がお隣のスフバートル県でしたので、なんとなく「ああ、やっぱり実家に近い県にある病院を選んだのかな?」と自然に思いました。「秋田出身の人が岩手の病院で働いている」と聞けば、自然にそう思うように。ですが、そこはモンゴル、当然隣の県と言ってもサエンシャンドからは優に2-300kmはあります。「そっか、妹さんはやっぱり実家の近くがいいんだね。Aさんの実家まではどのくらいの時間がかかるの?」と聞きました。ですが、なんとなく質問の趣旨が伝わりません。私は単純に、妹さんのいるドルノゴビ県は、ウランバートルからは遠く離れているけど、お隣のスフバートル県は実家にも近くて、ご両親にもちょくちょく顔を出せるのではないかと思って聞いたのです。Aさんはなんか計算しているみたいで、24時間とか1日半とか言ってます。「そんなに離れてるの?隣でしょ?スフバートルって、スフバートル市じゃないよね?県だよね?」と確認しました。ウランバートルで「スフバートル」というと3つの可能性があります。一つは、国会前の一番大きな広場の名前で「スフバートル広場」と言います。さすがにこれではないでしょう。次は、スフバートル市といって、ロシアとの国境の街で、税関もあります。旅行客がスフバートルという時は、この国境の市を指すことが多いです。そして、今確認したスフバートル県です。ですが、やはりなかなか話が噛み合いません。「妹さんがサエンシャンドから実家のあるスフバートル県に帰る時は、何で行くのですか?大きなバス?ミニバス?」と聞くと「鉄道とバスです」と答えます。サエンシャンドから鉄道?ドルノゴビに向かって将来鉄道が計画されているのは知ってますが、今はないはずです。で、最終的にわかったことは・・・サエンシャンドから11時間かけて鉄道に乗ってウランバートルに来ます。そして、ウランバートルから5-600kmかけてスフバートル県へ長距離バスで行くのだそうです。多分、その実家はまた地元のバスに乗り換えて、実家のある地方まで行くのでしょう。実際に妹さんはその経路でこの春に帰郷したそうです。隣の県、2-300km隣の県に行くのに、ウランバートルまで戻らないと交通機関はないのです。結局、1000kmくらいを大回りをしながら、鉄道とバスの乗り継ぎで行くしかないということです。なんという不便さ!岩手から鉄道で東京に出て、東京から秋田までバスで行く・・・すごいです。もちろん、新幹線も高速道路もありません。あるのは、低速単線列車と未舗装の道なき草原です。サエンシャンドからスフバートル県にはバスはないのかと聞いたら、1本もないそうです。人口密度の薄い国の問題とも言えるでしょう。首都は100万都市ですが、第二位と第三位の都市が、10万人程度で、あとはほとんどが日本でいえば町村のようなものです。ですから、確かに人口1万人もいない街から、2-300km離れた隣の県の1万人もいない街への直行バスは難しいのでしょう。サエンシャンドから隣の県に移動したい人は、週に10人もいないのかもしれません。しかしこれでは、ウランバートルの一極集中はどんどん進む一方でしょう。ただでさえ、全人口の半分近くがウランバートルに集まろうとしているのに、地域間には何の連携もできないのでしょう。とはいえ、何でも便利なはずの日本でも似たようなことはあります。例えば、四国の松山から高知や徳島へ急ぐ時は、大阪伊丹空港経由で行くのが一番便利と聞いたことがあります。首都圏だって似たようなものです。埼玉県は、草加市から旧与野市や旧蕨市に行くには、バス便もなかなかなく、電車で東京経由で行くのが一番便利だった経験があります。意識してモンゴルの他の地方のことを聞いてみたら、やはり同じような話でした。国土が日本の4倍で人口が50分の1ですから、交通網の整備どころか、隣の県と行き来すら難しいのです。いくら遊牧民が多いと言っても、今では定住している人も多いです。これだけの大きな国土がありながら、ほとんどの地方の人は首都との往復以外に移動する手段がないのが実情のようです。一層、人々の目は首都に向き、結果として一層の中央集権が進んでいくことになるのです。そして、これだけ広い国土を持ちながら、狭っ苦しい首都に今も過剰な人口集中が続き、狭い土地を奪い合うようにしているのは、なんとも残念な光景です。
2010.07.18
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今日、突然携帯電話が使えなくなりました。通話もメッセージ(メールみたいなもの)も使えません。理由は「あなたのネットワークは使えません。カスタマーサービスにお問い合わせください」とありますが、問い合わせる電話自体が使えないので、困ってしまいました。使っている携帯は、モンゴル最大の携帯電話会社モビコムで、住友商事とKDDI合計で過半数の株を持っている会社です。モンゴルへ来たばかりの時は、勧められるままにGモバイルという新興の携帯電話会社に加入しましたが、周りからあまりに不評だったので、1カ月ほどでモビコムに変更しました。Gモバイルは、私の名前で加入できましたが、モビコムは外国人の名前では加入できないとのことで、友人のBさんの名前で契約しました。そしてどうもこれが原因らしいのです。使えなくなって、まずチェックしたのが電話料金です。ですが、今月10日に支払っているので問題ありません。なのでモビコムに出向こうと思いましたが、あの受付でこのような問題を英語で話すとなると絶望的です。英語はほとんど通じませんし、言ったところで「わかりません」でおしまいになるでしょう。そこで普段はほとんど使っていない、最初に買ったGモバイルで電話をすることにしました。この電話は中国ブランドの一番安いもので、電池は10分程度しか持たないという、とても携帯電話とは思えないものです。ですから、使うときはコンセントにつないだまま使います。つまり固定電話と同じことです。このGモバイルでモビコムに出向している日本人のSさんに相談してみました。調べてもらうと、やはり電話料金らしいのです。私の分はもちろん払っているのですが、Bさん名義の他の携帯が未払いだそうで、それ故きちんと払っている私の番号まで閉鎖してしまったというわけです。多分、メッセージや電話も私宛に来ていることでしょうけど、着信もできない状態です。モンゴルで携帯が使えないのは、かなり致命的です。固定電話はもちろんオフィスなど以外からは消え去っているので、一切の連絡から隔離されてしまいます。留守電機能などありませんし、回復した後から着信の様子やメールが届くということもありません。サービス的にははるかに低いレベルなのです。もちろん、こんなことは初めてです。ですが、モビコムと契約する時にその点を確認しました。私の電話はあくまでも別の番号なので、この番号についてちゃんと支払っておけば問題はないと。その旨を、Sさんに告げると「そうですか、ではまた調べてみます」と言われました。ちなみに、Bさんは現在海外出張中です。確かにBさんは今月は2回も海外出張があるなど、忙しかったのでしょう。ですが、ちゃんとお金を払っている電話まで止めるというのはおかしな話です。なんだか債務保証人のような気分です。と、言いながら2時間近く経ちましたが、まだ連絡ありません。私の方から再度かけてみました。「あのー、どんな状況でしょうか?」。Sさんは恐縮しながら、丁寧に説明してくれました。私が私の携帯に対して支払っていることは確認できているのですが、どうも私のだけ通話可能にしようとするとビリングのシステムそのものに修正を入れないといけないのだそうです。そしてその修正をする権限を持っている人は少数しかいないので、それでちょっと時間がかかっているとのことでした。なるほど、入金確認とネットワークの停止は、いちいち人手で確認して操作しているのではなく、システム化されているということなのでしょう。だとすると、確かにちょっと大変そうです。結局、相談してから3時間後にSさんから「もう使えます!」とのご連絡を頂きました。これは親会社出身のSさんだからこそできたのでしょう。やはりこんな難しそうな話を、窓口のお姉さんに行っても絶対に埒はあかなかったでしょうね。しかも、その後Sさんから「この度は申し訳ありませんでした」とのメールまで来ました。いやー、モンゴルでは考えられない対応です。さすが日本人の対応力は違いますね。親会社が日本の会社で本当に良かったと思った瞬間でした。ちなみに、Bさんは今年の年初からお金払ってなかったそうです。これはこれでひどいです。彼が帰ってきたら、強く言わねばなりません。
2010.06.25
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1週間前に、このブログの写真容量がなくなったので、引っ越しますと申し上げました。引っ越しの理由は、楽天の有料会員規約に「退会時には、(無料分の)50MBを超える部分は消去せよ」と書いてあったからでした。容量を増やすために有料会員になるのは構わないのですが、退会したらそれまでアップしていた画像が全部消されると書いてあったので、躊躇していました。その後、楽天の事務局と何度かメールのやり取りをして最終確認したところ、HPに表記されている文言の方が誤りのようで、それまでにアップされた画像が消去されることはないとの明確な答えをようやく頂きましたので、早速有料会員になりブログを再開することになりました。ご心配や別メールでアドバイスをくださった方々、本当にありがとうございました。ということで、この楽天ブログをこのまま続けて参りますので、よろしくお願いします。筆者拝
2010.06.18
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ブログをアップしようとしたら、なんと写真の容量がないという表示が出てきました。楽天のブログは、写真の容量が小さいらしいのです。どうすればいいのでしょうか?新しい会社のブログへ引っ越すしかないのでしょうか?せっかく続けてきたものを、変えてしまうのも残念です。どなたかブログに詳しい方、アドバイスをお願いします。
2010.06.13
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ワールドカップ代表が発表されました。日本のサッカー界においては、ある意味4年に1度の最も注目される日と言えるでしょう。実際に、東京では号外が出たようですし、テレビのニュースでも何度もやってました。サッカーをそれほど見ない私も、選手リストをじっくり見ました。とはいえ、選手の半分は私には馴染みのない、知らない名前です。数年前までオールスター集団だった浦和からはわずか一人、新潟からも一人。浦和と新潟が同じ数とは、世の中随分変わったんだなぁと感じました。これからの数ヶ月間は、このワールドカップの話題で盛り上がっていくことでしょう。もちろん、日本が本当にベスト4にまで行くとは思ってもいませんが、やはりスポーツのメジャー国際大会は、逐一の報道も楽しいものです。日本を応援したいですね。ですが、こうなってくると海外在住者には困ったことが生じてきます。それは以前も書いたとおり、NHKの問題です。海外向け番組はNHKが独占しているというか、NHKしかありません。そのNHKは契約方法が下手だからかわかりませんが、他のBBCなどでは見られない問題が起きます。それは映像が出ないことです。昨日の代表発表の様子も、岡田監督は映りましたが、他のほとんどの映像はストップしてしまい、動かない写真に切り替わってしまうのです。要は、海外へはこの映像は出せません、ということです。ですから、中村俊輔の紹介も写真1枚のみ、長谷部も写真だけ、サプライズ選考の川口も写真だけ。動画が出ないのです。ここに大リーグ情報なんて組み合わさったら、その時間帯はずっと紙芝居状態で、動画がないのです。ですが、この辺までは覚悟というか、認知はしていました。ところが、今朝の「あさイチ」という番組では、遂にというか、やっぱりというか・・・海外の視聴者からのクレームに耐えられなかったのでしょうか?ちなみにこの番組は日本と同時放送のようです。時差が1時間ですので、こちらの方では1時間早い時間帯、つまりゲゲゲの後の7時15分からの放送です。昨日のニュースでの紙芝居時は、映像は写真だけですが、音声はそのまま番組で流されている通りでした。ですが、今朝のその「あさイチ」という番組では、とうとう番組自体が消えてしまいました。昨日の代表発表を受け、今朝はその報道を詳しく伝えようとしたのでしょう。3人の司会者が登場して挨拶をすませると、突然画面が切り替わりました。「海外でご覧の皆さまには・・・」と見せられないので、なんとかという番組にしますと出てきたのです。その番組は、NHKのライブラリーに時間が空いて困った時用の番組と思われるしょうもない番組が出てきました。最初は、手芸の番組が出てきました。それでもまだ「あさイチ」ではワールドカップが続いているのでしょう。その手芸の番組が終わると、今度は自然の風景です。癒し系のDVDでも映している感じです。結局、10分ちょっとしてから、前触れもなく再び「あさイチ」に切り替わりました。もうワールドカップ関連が終わったのでしょう。日本であれば、間違いなくチャンネルを切り替えていたでしょうが、そこは独占NHK。どんな文句を言っても通じません。これから数ヶ月間、ワールドカップが話題になればなるほど、海外の視聴者は映像が消え、時には番組そのものが消えてしまうことに直面してしまうのです。ただでさえ、大リーグのニュースで画像が消えるのに、更にサッカーまでも。もちろん相撲は普通に放送されますけど。 BBCもCNNも北京オリンピック時でも問題なかったけど、NHKだけはやっぱりだめでした。モンゴルの放送局なんて、そもそもそんな著作権なんて厳格に運営してないので、こんなことは起きるはずもありません。結局は、海外視聴者向けのことを微塵も考えずに契約をしているので、こうなってしまうのでしょう。まあ、そこを含めてしまうコストを考えると割に合わないんでしょうけど。ただ、NHKを見ているのは日本人だけではないのです。モンゴル人も見ている人は結構いるようです。他の国々も考えたら、日本に興味ある人、日本語勉強している人なども考慮すれば、もうちょっと配慮できないかと思わずにはいられません。
2010.05.11
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ウランバートルのインフラ、電機や水ですが、これらは随分良くなったと聞きます。確かに、2008年に来た時は、もう少し停電や断水が多かったように思います。ビジネスの上でのインフラとなると、もっと広範囲となるでしょう。もちろん、道路や鉄道もそうでしょうし、空港もオフィスビルもインフラと言えます。更には、インターネットやバス・タクシーなどの交通公共機関もそう言えるでしょう。まず、停電ですが、これは確かに少なくなったような気がします。2年前に来た当初は、もっと頻繁にあったような気がします。レストランで停電したのも、1度や2度ではありません。レストランは慣れているせいか、すぐにテーブルにロウソクを出してくれる手際のよさでした。今年に入っては・・・1、2回このアパートで停電があったように記憶しています。アパートの場合は、エレベータが使えない、調理できない(全て電気コンロ)などの不便はありますが、まあ数時間であれば大丈夫です。でも、一度夕方5時くらいから夜11時くらいまで停電したことがありました。あの時は、各家庭では食事はどうしてたのでしょう?ちょうど夕食の準備時間でしたから。今日、新しい月になったので、携帯電話の支払いのために携帯会社に行きました。いつもは結構並んでいるのに、今日はラッキーなことに空いてました。ですが、空いているというより、客は誰もいませんでした。しかも、なんか暗い。いつものように英語で「料金払います」と言いました。ですが、反応がありません。よく聞くと、停電なんだそうです。それ故、パソコンが動かないので、今日は支払いを受けることができないというのです。確かに、パソコンが使えなければ、料金計算もできないでしょう。しかも、インターネットも使えません。つまり仕事にならないということです。当たり前のことに気づきました。今までは、生活用の電気とかレストランの電気しか気にしてませんでしたが、現代ビジネスにおいて停電というのは、ほとんど何もできないということです。一般の職場は、パソコンやネットがなければ仕事できませんし、固定電話もネット電話が多いので、やはり使えません。スーパーのPOSも使えないでしょうし、銀行のATMもストップします。ウランバートルの場合、多くの場合はある地区での停電というのが一般的です。場合によっては、当局が意図して(修繕とか供給力調整とか)区域別に停電させることもあるそうなので、多分同一区域はどこも停電なのでしょう。被害は、時間X就業人数とも言えるでしょうが、一体どれくらいになるのでしょうか?東京の丸の内だったら、短い時間でもあっという間に数十億円相当くらいにはなることでしょう。同じく今日、近くの市場(モンゴルではザハと言います)で買い物してました。ザハが便利なのは、種類が多い、安い(多分?)に加えて、1個からでも買えるということです。こっちでは、どのスーパーも多くの野菜は袋に入って売ってるので、人参など1本で十分なのに5本も6本も買わないといけません。そこで1週間分まとめて買い物していると、いつもお世話になっている日本式居酒屋のオーナーに声かけられました。「何しとるん?なんや、所帯じみたことしとんなー」と、野菜をたくさん袋に入れて歩いている私に言いました。関西出身のご主人はもちろん、どこだって関西弁です。「いやー、一人分はかえってスーパーよりもザハの方が買いやすいんですよ。」と言いながら「そうそう、今晩お邪魔しますね。お店で待ち合わせしてるんですよ。」と言いました。今晩は、同じ大学に考古学の研究に来ている日本人のSさんと飲むことになっていたのです。実はおとといの5月1日にもそのお店に行って飲もうということになったのですが、残念ながら毎月1日は「禁酒の日」で、全てのお酒は禁止の日なのです。小売店やスーパーで売るのも、飲食店で提供するのもだめなのです。ですから、毎月1日はパブなどは上がったりで、お休みにしている店も多いのです。で、その日は飲めなくてもいいからとその居酒屋に電話したのですが、やはり閉店だったようです。そういうわけで、今日その店で会うことになっていました。ところが返って来た返事は「まずいなー。」です。「実は、今日断水なんや。5時か6時頃復旧するとはいうてんのやけど・・・」と言いました。私は「確かに6時から水が出ても、その前の仕込みができないんじゃ困りますからね。」と答えました。断水は先週私の住んでいる地区でもあったばかりで、さほど珍しいことではありません。が、確かに断水となると、飲食店には大きな影響が出るのでしょう。その前には、モンゴル人の知人とインターネットを使っての日本からのアウトソーシングの可能性の話をしました。私は技術者育成なども大切だけど、そもそもこのインターネット環境では難しいのではないかと言いました。実際、私の経験でも、大学では少なくとも週に1-2回はつながらないことがありますし、このアパートでも月に3-4回はつながらないことがあります。アウトソーシングというビジネスを考えた時に、常に期限を守らないといけない契約なのに、「すいません、インターネットの調子が悪くて1日遅れました」なんて許されないでしょう。しかも、インターネットの調子が良くても、今日のような停電ではやはり使えません。他のインフラで気になることは・・・市内の道路でも、舗装されているにもかかわらず凸凹が多いです。でもまあ、それは承知のことでしょうがない。ですが、幹線道路クラスにも、マンホールの大きな穴が開いたまま放置されているのか危険です。夜間、車が突っ込まないか心配です。歩道の脇にも、穴のあいたまま放置されているのがあります。人間一人は十分に落っこちることはできます。タクシーは、基本的にほぼ全部白タクです。電話をかけて呼ぶと、正式なタクシーが来ますが、ほぼ間違いなくインチキメーター(倍くらい?速く値段が上がる)なので、人気ありません。ですが、白タクも夜間はおかしな運転手もいるので、危険と言われています。私も胸ぐら掴まれたことはあります。銀行のATMは、大体大丈夫ですが、故障は結構多いです。本当に重要なお金の引き出しをその直前に予定していると、痛い目に合うことはあります。飛行機の運航は、欠航や遅延が非常に多いです。しかも、航空会社によって違うらしいのです。私はモンゴル航空しか乗りませんが、実はそれはまだましな方だそうです。中華航空の方が欠航の頻度が高いそうです。その理由を聞いたら、モンゴル航空の方が「行けるぞ!いや、行くぞ!」という気合度が強いそうです・・・本当なら怖いです。大きな企業の進出でなくとも、インフラ整備はビジネスにとって非常に大事だということを、ここにいると日々実感します。
2010.05.03
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理不尽なことの多いモンゴルですが、警察もその理不尽グループに入っています。恐らく、途上国のほとんどに、怪しい警察がたくさんいると思って間違いないのかもしれません。こちらで運転して1年半。幸い事故はありませんが、違反は何度かあります。ですが、その多くは日本でならあり得ない違反です。明確に私が違反をしたと言えるのは、2回しかありません。1回は、左折禁止の場所。それまで、その場所で毎日のように左折する車を見ていたので、私も左折したら、その先に警察がいました。標識を聞いたら、見えにくいものの一応あったので納得しました。もう1回は赤信号。こちらの信号は日本と違って光が非常に弱いので、夕方逆光にになるとほとんど見えないことがあるのですが、車がほとんど走っていないところで、赤信号を渡ったようなのです。なんと私の真後ろに警察の車(パトカーではなく、普通の車)だったのでした。私としては、そんな小さな違反よりも、毎日のように多発している明らかな違反者を取り締まってもらいたいのですが、どうもそういう車は野放しにされているようです。私の家から学校へ行く途中に、少し大きな交差点があります。私はその交差点を毎日右折するのですが、交差点から100mほど行ったところに毎日警察官が立ってます。しかも、いつ通っても、必ず停車させられている車がいるのです。その交差点に警察がいるのは誰でも知っているので、さすがのモンゴル人ドライバーもその交差点で違反するはずもなく、実際、違反している人は見たことありません。(普通の交差点では、交通違反をしている人を見るのは日常茶飯事ですけど)ですが、先日その常に停められている車がいる原因がわかりました。先月のことでしたが、なんと私も停められたのです。私が英語で「何か悪いことしましたか?」と聞きましたが、当然そんな言葉は通じるはずもありません。でも、免許証と車の証明証を見せろと言います。私は見せながらも「何が悪いのですか?」と何度も聞くと、英語のせいか面倒くさそうに「もういい。行け!」と言われました。なるほど、違反だから停めているのではなく、適当に選んで停めているんだなとということがその時わかりました。だから、違反者らしき人はいないのに、毎日毎時数台常に停められているということがわかりました。で、今日です。そこはいつも警察がいるのを知ってますから、他の交差点以上に信号などを意識して安全運転しています。今日も、青であることをしっかり確認して右折しました。すると、また停められたのです。以前と同じように「何が悪いのですか?」と聞いても、答えません。ですが、何やら信号が赤だったと言ってるようです。さすがに彼も「レッド」くらいは知ってました。私が強く「ノー!!私はちゃんとグリーンを確認した!」と強く言うと、今度は私のシートベルトをつかんで「これを付けてない」と言います。冗談ではありません。私は日本でもモンゴルでも100%シートベルトしてますし、癖になるとしない方が変な感じです。停車命令を受け、免許証の提示を求められたので、ポケットの財布を取り出すためにシートベルトをはずして、ポケットから取り出したのです。停車後にはずしたシートベルトをつかんで、文句を言ってるわけです。これでわかりました。前回もそうでしたが、停車させるのに理由なんかなくたっていいんです。誰でもいいんです。理由は、適当に赤信号でもシートベルトでも作れますから。ちなみに、モンゴルではシートベルトしている人は多分10%程度でしょう。そもそもそういう法的義務があるかどうかもわかりませんけど。問題はここからです。既に私の免許証はその警察官が持っています。そして私が簡単に諦めそうもないので、なんとそのまま私の車から立ち去り、また他の獲物を停めています。そうです、言うこと聞かなかったら免許証を返さないのです。私はしばらく待っていましたが、彼は全然気にする様子はありません。そりゃあそうでしょう。彼には時間はたっぷりあるし、こっちは授業で急いでます。私がその警察官に向かって、叫んで呼び戻しましたが、彼は相変わらず赤信号だと言い張ってます。認めないなら、免許証を返さないだけです。他の車で停車させられた人の中に英語ができる人がいて、私の車にやってきました。彼が「英語できますか?」と聞いたので、彼に通訳してもらいました。私が「私は確実に信号がグリーンなのを確認して右折したのに、この警察は赤だと言い張ります。私は、ここをいつも通るし、ここに警察官がいるのがわかっているので、常に意識して見ています」とその人に言いました。彼は「なるほど、多分その通りでしょう。でも、この警察は、赤だと言ってます。彼が赤だといえば、罰金を払うしかないのです。」と言います。確かに彼を通じてその警察官と話しましたが、彼は特段気にする風でもなく、免許証を私に見せながらもてあそんでいます。要は、認めないなら返さないということです。通訳してくれた人は「お金さえ払えば、返してくれるし、それで終わるよ。」と忠告します。当然ですが、時間の制約と免許証の返還を考えたら、少額である罰金は払った方が賢いとなります。なんせ日本円でたったの400円程度なんですから。以前友人のBさんが言ってました。私が「罰金が少額すぎないか?」と聞いた時「少額だから、いい加減な警察に対しても皆おとなしく払うんですよ。もし大きなお金だったら、もめごとがたくさん出るでしょう。」と言ったのです。まさに、今回のケースです。理不尽で、文句も言いたいけど、金額も小さいし、日本のような点数制もないので、結局こうして泣き寝入りした方が早いとなるのです。私は、時計を見ながら「わかったよ、罰金払えばいいんでしょ?」と言って、払いました。警察官は当然のように受け取り、免許証を返してくれました。そのお金が彼の懐に入っているのか、或いは警察署で決められたノルマのためなのかはわかりませんが、このやり方でなら確実に実績を上げることができるでしょう。先月理由もなく停めた人も、きっと狙いは同じだったのでしょう。ただ、私が外人で、何も問題ないと主張してることがわかったので、面倒になりたくないのですぐに解放したのでしょう。今日の警察官は、当初の予定通りに、適当に車を停めてはせっせと罰金を徴収しているのです。最近、どの交差点にも異様に警察官の数が増えましたが、もしかしてトップの方から「もっと稼いで来い!」との指示でもあったのかもしれません。いずれにせよ、この国も他の途上国の例と同じく、警察官は先進国の人とはやはり違います。いつも行く、日本食の居酒屋のご主人が言う通りです。「この国でマフィアがいないのは、警察がマフィアの代わりをしているからだ」というわけです。彼の居酒屋もそうですが、見かじめ料を地元の警察から求められるのですが、それで安全を得られるなら仕方ないと言ってました。今回のケースなら、日本でなら絶対に払わなかったでしょうね。でも、ここはモンゴル。警察は、理由なんていくらでもできると思って確信犯でやってるのですから、従う他はありません。これもきっとモンゴルで生活するための必要経費なんでしょう。読者の方々の中には「他の国では、そんなもんじゃないくらいにひどい警察たくさんいるよ」という人もおられることでしょう。日本の警察もいろいろ問題あるでしょうけど、やはり途上国よりは数段上だなと思います。
2010.04.13
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今週、日本企業のモンゴルへの進出をサポートする会社のモンゴル事務所の方と会いました。「モンゴルに進出する日本企業向けサポート」と言っても、実際にはほとんど日本企業の進出がないので、仕事はあまりないとのことです。タイやベトナムなどの東南アジアでは、このようなサービスは人気があるとのことですが、モンゴルではそもそも日本企業が進出して来ないということなのです。その事務所のモンゴル人スタッフであるSさんと会いました。Sさんはモンゴル国立大学で日本語を勉強したそうですが、とても上手です。大学での4年間だけでこんなに話せるようになるのかと感心しました。自分の大学時代の英語力やこの1年半のモンゴル語の成果などを省みるまでもなく、私の語学力とは雲泥の差です。ですが、Sさんのすごいのは単に日本語が上手というレベルではありません。モンゴルの税法などの改正のために、それを全て日本語に翻訳する作業もやったのだそうです。数年前にモンゴルで税法を改正することになった時、日本政府がその改正の協力をしたのだそうです。窓口はJICAだったそうです。まずは、日本人の法律の専門家にモンゴルの税法を知ってもらわなければなりませんから、モンゴルの税法を日本語に翻訳したのです。そして、それを理解した上で、日本人の専門家が「こういう法体系や法律にしてはどうですか?」と提案します。すると、今度はその日本語で書かれた新税法案をモンゴル語に翻訳したのです。彼女は日本に留学したわけでもないですし、モンゴル国立大学の日本語学科卒業ですから、法律を専門に勉強したこともありません。税法を翻訳しようとすると、当然会計の知識も必要になりますから、会計の勉強もしたそうです。税法なんて、日本人でも何を言いたいのか良くわからない文章なのに、それをモンゴル語にしたり日本語にしたりは本当に大変なことだと思いました。最近のモンゴルの子供たちのように、中学や高校生レベルから日本語をやったわけではなく、大学からだそうです。外国人にとっては、何と言っても最大の難関は漢字でしょう。しかも、中国語より難しいのは音や訓で読み方が3つも4つもある場合あが多いのも障害の一つです。しかし、それらを克服して、法律書の翻訳までやってしまったというSさんの努力と能力は大したもんだなあと思いました。彼女は民主化直後に大学生になったそうです。ですから、モンゴル国立大学の日本語学科生としては、第二期生だそうです。その頃の話をしてくれました。それまで皆ロシア語が第一外国語だったわけですが、民主化後は英語が第一外国語になりました。ちなみにその時に、日本語がロシア語などと同じ第二外国語の一つになったのだそうです。当時、モンゴルにはセカンダリースクール(小中高校)でも大学でもロシア語の先生はたくさんいましたが、英語の先生は非常に少なかったそうです。ところが、急に英語が第一外国語になったので、英語の授業が急増しました。他方、ロシア語の授業は急減したわけです。その結果、英語の先生はものすごく足りなくなり、当然の結果としてロシア語の先生が余ったそうです。ロシア語は、ヨーロッパ系言語ですから、文法などは英語には近いそうです。で、急きょ、ロシア語の先生たちは英語の勉強を始めて、即席でにわか英語教師がたくさん出てきたんだそうです。昨日覚えた英語を明日生徒に教えるって感じでしょうか?民主化や社会主義崩壊など、私たちが大きく報道されている政治的な面は注目しますが、こういう数多くの社会現場での混乱は数多くあったのだろうと思いました。経済学部の先生も、昨日まで「計画経済」を教えていた先生が、急きょ「経営戦略」を教えたのに似ています。計画経済と経営戦略は、正反対の概念みたいなものですが、職業として食べて行くにはそんなことも言ってられないのでしょう。ですから、その当時の学生たちが相当混乱したのは十分頷けます。あれから20年近くが経ちました。Sさんはモンゴルの教育制度は全く十分でないどころか、以前よりもレベルがかなり低下しているのではないかと懸念していました。私が「なぜ、みんな留学したがるのですか・」と聞くと「それはモンゴルの大学で得た知識やスキルが、企業にとってほとんど使えないからでしょう。それに対して、留学してきた人たちの方がずっと役に立つということがはっきりしているからだと思います。」と言いました。Sさんの二人のお子さんも、「もちろん、留学させたい」そうです。とはいえ、国立大学ばかりを責められません。国からの補助金はほとんどなく(補助金は大学収入の3%未満でしかない)、教員へも満足な給与を払えない現状では、教育内容の充実を望むのも難しいだろうと思います。こういうインフレ気味で通貨が下落してきた途上国においては、国家公務員などの給料はどうしても年々相対的に価値が下がってきているのです。結果として、大学の給料で一家を支えて行くことはほとんど不可能になっているという現実になっているのです。モンゴルでの社会主義から民主主義への移行は、暴力もなく無血革命により比較的スムースに進みましたが、その後の社会の調整にはやはり時間がかかっているのだと思います。残念なのは、モンゴルでは他のアジア諸国のように「日本語が上手」だということでいい就職先には恵まれる、というのはほとんどないのです。一番大きな理由が、日本企業が進出してこないことにあります。せっかく日本語ができても、多くのモンゴル企業は英語力を要求するそうで、学校出てから英語のやり直しをする人も多いようです。外国人による日本語の勉強を一番底辺で支えているのは、やはり日本という国でしょう。そして日本企業という存在です。それがないと、せっかく日本語を学んでも「ああ、やっぱり英語にしておけばよかった」だけで終わってしまうのです。モンゴルの日本語教育が、この先、細って行くことがないことを祈ってます。
2010.04.09
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2日前に、在モンゴル日本大使館から注意を呼び掛けるメールが来ました。それは、「当地新聞報道等によりますと、4月5日(月)午前11時から、スフバートル広場において「公約実現を要求する国民連盟(仮訳)」による集会及びデモンストレーションが行われるとのことです。中略在留邦人の皆様におかましては、不測の事態に備え ○集会・デモ会場に不要に近づかない ○集会・デモ参加者等を刺激しないなど、十分にご注意いただきますようお願いします。」というものでした。午前11時頃にその辺りに行く予定もないので、あまり気にしていませんでした。今晩は、ウルルンでお世話になったテレビ局の社長のUさんと会食する予定になっていました。ちょうど夕方から喉が渇いて、ビールにはもってこいの状態になっていました。しかも訪れたのが、モンゴルでは一番の和食屋さん。ここにはモンゴルで唯一、本物の日本人職人であるSさんが板長をやっている店です。行ってみると、驚くほどお客さんがたくさんいました。しかも、日本人は数えるほどで、一番多かったのが外国人(西洋人)、次がモンゴル人という感じでした。モンゴルの和食屋さんが、日本人以外でこんなに混んでいるとは驚きでした。早速「まずはビール」と喉を鳴らしながら頼んだら「今日はデモのため、アルコール販売は中止です。」と言われました。なんでも警察が直接飲食店を回って、禁止の通知をしているのだそうです。Uさんともども、がっくりです。なぜかモンゴルは、何かにつけてお酒禁止の通達をします。しかも、直前や当日に。インフルエンザが流行り出した時も、9時以降の営業禁止とか、毎月1日はアルコール販売禁止とか。アルコールを出すこととデモとどういう関係があるのか?Uさんによれば、それだけ政府が一般人の集会に敏感になっているということです。ホテルのレストランでお酒を出したからといって、それが暴動につながるとは思えないのですが、短絡的に禁止にしてしまいます。実はUさんのテレビ局も、今日のデモの様子をテレビで映したのですが、政治家から電話がかかってきて「あんなデモを応援するのか?」とクレームを受け、放送中止せざるを得なかったようです。「こんなことじゃあ、報道の自由なんて当分来ない」と嘆いていました。Uさんによれば、社会は民主主義、資本主義に変わったけど、政府の態度は社会主義時代のままだと言ってました。そのデモにしても、午後にその広場の前を通りましたが、もう誰もいなくなっていたほどで、何の騒ぎもありませんでした。この影響で、夜のパブなどお店を閉めたところもあるようです。デモへの対策がお店でのお酒販売の禁止というのは、相当的外れな対策でしょう。結局、夜に警察が店回りをして、お酒販売を隠れてやってる店を見つけ出し、それを自分たちのお小遣いのネタにするのが関の山でしょう。ただ、敢えて言えば、政府が民衆を怖がるというか、意識するというのはいいことだと思います。無視するよりは。
2010.04.05
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腕時計が止まってしまったので、電池交換をしようと出かけました。私の時計はスウォッチなので、特段珍しい電池でもないでしょう。この時計は15年ほど前に、スイス人の友人が来日した時にお土産で貰ったものです。彼はスイスで会社を経営していて、その会社のノベルティ・グッズとして作ったものでした。作ったといっても、普通のスウォッチですが、ゴムベルトの部分に会社の名前が印刷してあるだけでした。ですが、今はその印刷もきれいさっぱり消え去り、普通の時計でしかありません。こんな感じの、ごく普通の時計です。またこの時計はクロノグラフですが、未だにその機能を使ったことはありませんし、使い方もわかりません。それでも以前はわけわからないままボタンを押してしまって、大小の秒針がくるくる回ったりしたものですが、故障したのか、今では大小4つある秒針のうち1つしか動きません。(動かし方がわからないのかもしれませんが)確か、私のアパートのすぐ近くのスーパーの出入り口付近に時計の修理屋さんらしきものがあったなという記憶があったので、行ってみました。畳1畳半くらいのスペースというか、部屋で機械小物の修理のようなことをやっています。私の記憶は正しかったのですが、修理屋さん本人がいません。ちょっとぶらぶら時間潰してましたが、それでも来ません。他の小物屋さんの人に、英語+身振りで「あそこの人はいないの?」と聞きました。するとその店員さんが大きな声で、誰かに「あの人どこにいるの?」と聞いてくれましたが、答えは「いません」です。仕方なく帰ろうとすると、そのスーパーの警備員がやってきて「電池が欲しいのか?」と聞き、その小部屋の鍵を開けてくれました。そして「好きなのを選べ」という仕草をします。好きなのと言われても、私もどの電池がいいのかわかりません。その警備員は、私の時計を手にとって電池を取り出そうとします。が、ドライバーで開けなければならないのに、なんとピンセットを持って格闘しています。これをピンセットで取ろうという考えが、ほとんど理解できませんでした。そんなの誰が見たって無理に決まっています。彼が次にペンチのようなものを取り出したのを見て、私は「このままでは壊されてしまう」と思い、その店を諦めました。その店からほんの50mほど離れたところに「カメラショップ」と書かれた店があったので、そこに行ってみました。そこでもカメラや時計用の小さな電池を売ってました。店員さんが「はい、電池あります」と言います。私が時計を差し出して、「交換してください」というと、彼女はドライバーを取り出して電池を取り出そうとしますが、なぜかできません。ここがいかにもモンゴル人らしいのですが、すぐに「ダメです」と諦めます。モンゴル人らしいというのは、多くの場合店員はほとんど探しもせずに「それはありません」「できません」というのです。正確には「私は」どこにあるかわかりません、や「私には」できません、なのですが、あたかも店全体での結論のようなことをほんの数秒で言い切ってしまうことが多いのです。このカメラショップの店員も、ドライバーを他のサイズに変えてみるとか、他の店員に相談してみるとかは一切せず、ほんの数秒やってみて、即結論を出します。「できません!」他の店員も応援する雰囲気はありません。このあっさり感はどうしてなんでしょうか?以前、デパートの受付でコピー用紙の売ってる場所を聞いた時も、全く調べもせずに「当店には売ってません」と英語で言い切りましたからね。もちろん、2階の文房具売り場に売ってましたけど。学校でも、生徒に何か質問しても「知ってるか、知らないか」だけの判断で「考えよう」という姿勢があまりにもないのに驚きます。レストランでも「ありません」という答えが本当に多いです。私の英語がわかりにくいとか、「それはどんなものですか?」などという質問や確認は一切なく「バフグイ」(ありません)と実にあっさり答えます。つまり、なんら粘り腰がないような感じです。なので、ビザ取得にしろ、授業のスケジュール作成にしろ、ラーニング、つまり学びがないので「改善」が全くないのです。長年大自然相手に暮らしてきたので、諦めも早いのでしょうか?知識はあるけど、思考力が乏しいというのは、多くのモンゴル人に共通している特徴のような気がします。仕方なく店を出ると、ちょうど向かいにも「カメラ、電気製品」などと書かれた店がありました。早速行ってみました。もちろん、カメラなどを売ってますが、答えは即座に「ありません!」です。そのまた近くに電気屋さんがあったので、そこへ行ってみましたが「ありません」でした。その先のカメラ屋さんに・・・結局、最初の修理屋さんの後5店ほど覗きましたが、どこも「できない」「ありません」とのつれない返事です。こういう時計の電池交換という大した問題でもなさそうなことが問題になることが、モンゴル生活の面倒な一端を示しているのかもしれません。結局、車で市場(いちば)まで行って、機械修理などを専門にしている店を見つけて交換してもらいました。ついでに車の電子キーの電池もなくなっていたので、それもお願いしたら「その電池は、今日はない。明日だ。」と言われました。モンゴルでは、時間の使い方が日本とは随分違います。銀行振替なる制度がないので、毎月いろんな雑用が出てきます。携帯電話代、ケーブルテレビ代、インターネット代、アパート代、公共料金などなど毎月自分でその場所に赴いて、現金を払わねばなりません。もちろん場所は全部違います。仮に5か所とすると、1年で60回も出向かねばなりません。私は車があるからまだいいですが、ない人は大変でしょうね。日本人はこういうのは時間の無駄と思ってしまいまがちですが、まだまだ時間がたっぷりある国なので、そういう意識はないようです。電池交換も、1日で済めば上出来と言えるのでしょう。
2010.03.29
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前回書いた「よくわからない出来事」は一体何が原因だったのか?結論からいえば、両方ともよくわかりませんでしたが、多少は推測はできました。まず、誰も出てこなかった授業の件です。翌日は、何事もなかったかのように今まで通りに生徒は出席していました。生徒に直接聞いてみました。「なんで昨日来なかったの?」と。ある女生徒は「昨日は私の誕生日だったから」という全く個人的な理由です。他の生徒に聞いても、理由らしい理由はありませんでした。そういう個人的行動は普通に良くあることでしょうが、なんで昨日は全員揃って来なかったのか?事務局に聞いて、理由が推測できました。それは私の授業の前の授業が休講になったことが遠因らしいのです。私の授業の直前2時間は、アメリカ人のG先生が英語を教えていますが、その日はたまたま休講になったのだそうです。私のクラスの生徒は、全員そのG先生の授業を受けているのです。ところが、2時間も空いてしまい、そのまま学校から消えてしまったらしいというのです。もう一つの、私のブログへのPVの急増についてです。結局、あの日のPVは459にもなりました。平均的な日の3倍くらいです。翌日も200を超えました。多分、これは何かの動きの反映だろうとは思っていました。その後、日本にいる友人から「ツイッター・ホットエントリー」に私のブログが出ていると連絡がありました。私はツイッターはやったことないので、どんなものなのかはわかりませんが、恐らくこれが原因でしょう。もちろん、それを見る方法も知りません。こういうSEOは短期的なものでしかないので、すぐに落ち着くことでしょう。ですが、2日で600を超えるPVだったのにコメントはゼロでしたから、やはりこういうので訪れる人は、特に私のブログに関心があるというわけではないのでしょう。ウランバートルにも確実に春が訪れています。先日のNHKの天気予報を見ていたら、ようやく最高気温が「プラス」になりました!とはいえ、その後また雪がちらついたりしましたが、とにかくこうして寒暖を繰り返して、このモンゴルの地にも新しい季節がやって来ようとしています。
2010.03.18
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今、大学でブログを書いています。理由がよくわからない出来事を2つほど。1つ目が、なぜか今日の授業がないのです。具体的には、教室も鍵がかかっており、生徒もいないのです。今日は英国式授業の日です。これは英国の大学と提携している授業で、経営入門みたいなのを英語で行っているものです。正確には、この授業はモンゴル国立大学からの単位取得ではなく、イギリスの学校からの単位取得をするプログラムです。で、2月からの今期の授業はもう既に6回行っています。昨日もやりました。で、いつものようにクラスへ行くと・・・生徒がいません。雰囲気が「まだ来ない」という感じではなく「今日はクラスがない」という感じに見えました。1時間ほどして行ってみましたが、やはりだれもいません。いつもなら、その隣の部屋にある事務局の部屋で「どうなっているの?」と聞けばいいのですが、それも部屋にかぎがかかったままです。うーん、おかしいです。その後、私と同部屋の学科長が来たので「今日は、何か特別の日ですか?授業お休みとか?」と聞きましたが、「いいえ、そんなことはないです」と言われました。事情を話すと不思議がって、ちょっと関係者に連絡してもらいましたが、なぜかわかりません。その後、事務局の女性がやってきたので「今日は一体何があったの?」と聞きましたが「わかりません。特に何もない、普通の日です」とやはり何もわからないとのことでした。出席者が少ないことは過去にもありましたが、こんなことは初めてです。全く不思議なクラスです。そしてもう一つは、このブログです。今、このブログを見たら日本時間の午後4時半現在で260ものPVがあるのです。他のブログは知りませんが、このブログにとっては異常な数字です。このブログでは、書き込みをした日やその翌日だと1日で150PVくらいで、書き込みがなければ100ちょっと程度です。なのに、まだこんな時間なのに260もあるなんて、過去に経験がないことです。あったとすれば、モンゴルで事件が起こった時でしょうか。特にコメントなどの書き込みがあるわけではないので、理由は全くわかりません。訪問者履歴を少しだけ見れるのですが、もちろんどんな方なのかを特定できるはずもなく、全然わかりません。ただ、同じ人が何回も、というのではないようです。ここ2-3日書いてなかったのに、なんでこんなにPVが増えるのでしょうか?最後のアップは朝青龍のことでしたが、このログがどこかで使われたのか、どこかで紹介されたのでしょうか?PVは確かに日によって異なりますが、全く理由が推測できずにこんなに増えたのは初めてです。多分、今日は300を超え、今までで一番多い日になるでしょう。理由がわからないと、なんだかちょっと気持ち悪いものです。今書いているこれをアップしたら、またPVは増えるのでしょう。良くわからないことが起こるのは、なんとなくすっきりしません。
2010.03.17
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昨日の深夜にモンゴルに戻ってきました。モンゴルとの便は、冬の間は成田との間で週に2便のみです。しかも、ソウル経由ですので、時間もかかってしまいます。夏季には、週3便でしかも直行便となるので、便利性はかなり劣ります。ソウル経由は面倒なのですが、乗ってみると「仕方ないかな」と思ってしまいます。東京行きの時は、チケットを買う旅行会社の人が「2月26日の便は満席になりましたよ」と言われたほどに混み合っていました。これなら、週に2回なんてせずにもっと増やしてほしいと思ったほどです。ですが、ソウルを過ぎて東京に向かうと・・・ガラガラになってしまいます。半分以上ソウルで降りてしまい、残ったのは3割程度でしょうか。確かにこれでは成田直行便は難しいと思いました。東京へ向かう便から降りて、すぐに皆の注目を集めた子供がいました。2-3歳児でしょうか。全身モンゴルの民族衣装デールに包まれ、おばあちゃんらしき人と2人で成田に降り立ちました。(おばあちゃんはここには写っていません。おばあちゃんを置いてきぼりにして、どんどん進んでいるのです)周囲の日本人のみならず、航空会社のモンゴル人スタッフや外国人(西洋人)らも「あら、かわいい」と写真を撮ったりしていました。また特に冬は、日本と行きかう人が少ないので、お相撲さんに会う確率も高くなります。今回の成田行きにもまだざんばら頭の若いモンゴル人の相撲取りが乗っていました。更には、モンゴルで最も古いカシミヤの会社の社長さんも乗っていました。彼は、日本に留学したこともあり、日本語はペラペラです。今回は日本で展示会をするので行くとのことでした。この社長さん、モンゴルへ帰る便でも一緒でした。週に2便ですから、偶然というほどでもないでしょう。 帰りの便も、成田からはガラガラでした。私はかなり後ろの席だったので「なんでこんなに空いてるのに、こんな後ろなのかな?」と感じたほどです。ですが、これもソウルで停まったらわかりました。ソウルからたくさん乗り込んできて、満席になりました。今回の日本滞在でも感じましたし、ビジネスだけでなくオリンピックなどのスポーツでも感じますが、最近の韓国の台頭はすごいです。週刊誌などを開いても、そんなことが書かれています。サムソン、ヒュンダイしかり、オリンピックでの強さ、特に女子ゴルフでの日米での活躍など、人口が日本の4割足らずなのに、多くの分野で日本以上の活躍をしています。モンゴルというマイナーな国は、日本から見て戦略的な要地でもなんでもないのですが、モンゴルと韓国の関係からも、韓国の発展ぶりを少しは推測できます。韓国は特にモンゴルと歴史的に親しい関係があったわけでもなく、却って北朝鮮の友好国であるモンゴルとは疎遠でした。ここ100年程度の近代史的に見れば、モンゴルにとってまだ日本の方がなんらかのつながりや関心があったと言えると思えます。ですが、このマイナーな国での韓国の存在感はどんどん増しています。8年前に初めて来たときは、ヒュンダイはほとんど見ることもありませんが、今では小さな車では一番多いように思います。テレビも携帯電話もサムソンやLGが人気です。街を走るバスも、昔は日本からの寄付などが多かったように思いますが、今ではほとんどがデーウかヒュンダイの韓国製です。テレビ局も日本はNHK1チャンネルだけですが、韓国のチャネルは複数あり、それ以外にモンゴルの放送局の流すドラマはほとんどが韓流ドラマです。韓国レストランも、圧倒的に日本食の店よりは多く、かなりこの地に根付いている感じがします。人的交流も、対日に比べて数十倍はあるようです。これらは、確かに東アジアの小国での風景にしか過ぎませんが、お隣のカザフスタンとか、南アジアとか、途上国では普通になっているような気がします。対照的に、ソニーやパナソニックなどは有名であって、実際に買っている人がほとんどいない、憧れのブランドでしかないような気もします。日本人が長い間無意識に抱いていた韓国についてのイメージは、相当変わらないといけないと思います。以前ソニーの人が「世界中で一番ソニーのブランド力が弱いのは日本です」と言ったのを聞いたことがあります。ソニーのブランドイメージの凄さは、日本人にはわかっていないというのです。今では、韓国ブランドがそれに当てはまるかもしれません。ヒュンダイは日本を撤退しましたが、そのヒュンダイは世界中の大手自動車メーカーで最も成長しているのです。サムソンに至っては、ソニーブランドと並ぶか、一部では抜いているという記事も見ました。昨日のモンゴルへ戻る便の機内で、私は後ろの方に座りました。そのすぐ後ろに座っているモンゴル人夫婦にに、前の方に座っている日本人の女性が訪ねてきました。日本語で朝青龍とかなんとか言ってます。私は気にも留めていませんでしたが、ソウルで途中降機した時、改めて見るとなんだか見たことあるような気がしました。再び機内に戻った時に、女性の方と目が合い、にこっとされたので思い切って聞いてみました。下手なモンゴル語で「朝青龍のお母さんですか?」と。やっぱりそうだそうです。お隣がお父さん。元モンゴル相撲の関脇だけあって、立派な体格です。更にその後ろの席には、朝青龍そっくりの人が座っていました。これがお母さんです。後ろは朝青龍のお兄さんです。こちらがお父さんです。とにかくこの二人は優しそうにずっとニコニコしていました。「私が写真撮っていいですか?」と聞くと、手招きしてご夫妻の間に座らせて、スチュワーデスさん(CA)に撮影をお願いしてくれました。当然ですが、このご夫妻は有名人ですから、CAも知っています。カメラを構えて、CAが私に聞きました。「お客さん、新聞記者の人ではありませんよね?」って。日本のマスコミはダメなのかも。その写真は、かなりぶれてしまっていますが、私のいい記念の写真となりました。冬のモンゴルの便には、日本との往復する人が少ないだけに、いろんな出会いがあります。着陸前のアナウンスが「ウランバートルの気温は現在マイナス25度との報告です」というのを聞いて「ああ、またこの地へ戻ってきたんだな」と実感しました。
2010.03.09
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今朝、コンサルティングの件でお客さんのところへ行ってきました。仕事の話を終えた後、「私は今回の朝青龍の件はどう思われますか?」と聞きました。するとその社長さんは笑いながら「残念ですけど、仕方ないことでしょう。この件で日本や日本人が悪いと思う人もいないでしょう。」と言ってました。その後新聞販売所を覗きましたが、全部の新聞が一面トップというほどではなかったです。もちろん、いくつかは大きな写真入りで報道していました。で、家に戻ってメールを見ると、「朝青龍の引退に伴う注意喚起」と題するメールが来ていました。差出人は、在モンゴル日本大使館です。その内容は以下の引用の通りです。以下引用在留邦人の皆様へ昨日4日の大相撲モンゴル人力士、横綱朝青龍(ドルゴルスレン・ダグワドルジ)関の引退を受けて、一部のウェブサイト等には、感情的なモンゴル人らによる日本人に対する過激な書き込みが散見されています。在留邦人の皆様におかれましては、これら書き込み等が行われていることを踏まえ、特にレストランやバス内等の、周辺にモンゴル人がいるところでの本件に関する言動等には十分注意していただき、無用な誤解・被害を受けることのないようご注意願います。引用終わりなるほど、今日会った社長さんは冷静でしたが、やはり感情的になっているモンゴル人もいるようです。酒場などで、変な騒ぎにならなければいいのですが。朝青龍にはいい形で、日本とモンゴルの懸け橋になってもらいたいです。
2010.02.05
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ヤフーのニュースで朝青龍引退のニュースが出てました。今回の暴力事件は、嘘があったり、相手が一般人だったりしたので、前回のサッカー騒動の2場所出場停止程度では済まないだろうなとは思っていましたが、引退となるとさすがに驚きです。私はモンゴルにいるものの、新聞も読めないし、テレビのニュースも見ませんから、こちらでの反応ぶりは今は全然わかりません。以前、友人のBさんに朝青龍のことを聞いたことがあります。私が、「私は朝青龍は好きなんですけど、日本では素行の問題で評判悪いんだよねー。やっぱりモンゴル人と日本人の違いかな?」と言うと「そんなんじゃないですよ。彼は特別なんです。」と言いました。Bさんによると、朝青龍はもう中学時代からウランバートルでは大変有名だったそうです。その理由は「手が付けられないほどの暴れん坊、ワル」だったということです。彼のお父さんはモンゴル相撲でも有名な人だったのですが、その親でさえも朝青龍のことを抑えられなかったそうです。もうどうにも手を付けられないほどになり、親もお手上げだったそうです。そこで、「このままウランバートルに置いておいてもどうにもならん。日本へ送ってしまえ。」ということで、日本に留学させたのだそうです。もちろん、彼の力量がプロのスカウトの目に留まったのも事実でしょう。そんな彼の素性は多くのモンゴル人は知っているとのことです。ですが、モンゴル人初の関取が旭鷲山だとしても、やはり日本人にとってのモンゴル人の象徴は朝青龍であることは間違いないと思います。その朝青龍が引退するのはやはり寂しいです。早速Bさんに電話してみました。「朝青龍引退するんだって。知ってた?」と聞くと「ああ、そうらしいですね。」と言いました。「テレビとかネットで見たの?」と聞くと「いいえ、今日は全然見てません。昨日、一昨日辺りからテレビや新聞で引退の可能性があるとの報道があったんですよ。」と言いました。なるほど、こちらモンゴルでは、半ば引退の覚悟はもう伝わっていたのですしょう。Bさんは「仕方ないかもしれませんが、やっぱり残念ですね。」と言ってました。白鵬と比べても、朝青龍のインパクトやモンゴルに関する発信力は全然違いますから、私も寂しいです。今後はどうするのでしょうか?既にこちらでは「アサ・グループ」なる企業を持っており、モンゴルに帰ってビジネスマンになるというのが順当でしょう。その後は、国会議員経由大統領狙いでしょうか。もう一つは、総合格闘技への挑戦でしょう。朝青龍の兄弟も格闘技の選手だと聞いたことありますし、彼ほどのビッグネームならギャラも破格でしょう。衰えて引退した曙と違って、優勝したばかりの現役バリバリですから、短期間に数億円くらいは稼げるでしょう。個人的には、ビジネスなんて5年後にでもできるんだから、総合格闘技で活躍してほしい気がします。ただ、柔道出身の石井や吉田が、ボクシングのようなグローブ姿で情けない試合を見せたように、ボクシング系ではつまらないと思います。プロレス系の格闘技の方が朝青龍には合っていると思います。今年の大晦日のダイナマイト!で見られたら、すごい視聴率でしょうね。
2010.02.04
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昨日から今日にかけてなんと12時間も寝てしまいました。昨晩、9時くらいにものすごく眠くなってそのまま寝てしまったのです。モンゴルへ来てからの最長睡眠時間ではないかと思います。で、朝から全く食欲がありませんでした。昼間、学校へ行ってもお腹が空きません。スーパーマーケットに行ったのですが、こういう状態の時はあまりどんどん買いたいという気にならないものです。結局、夜になっても食欲はありませんでした。熱を測ってみると、37.5度。まあ、微熱というか、ちょっと熱っぽいという状態です。何かお腹に入れなくてはと思い、ヨーグルトに瓶詰めストロベリーを入れて食べました。もちろん、日本から持ってきた風邪薬も飲みました。ちょっと筋肉痛もします。典型的な風邪の症状でしょう。社会人になってからも、「風邪で仕事を休む」という経験がないほど丈夫なので、多分数日で治るでしょう。ウルルンの週末までには完治させないといけません。ではおやすみなさい。(モンゴル時間で9時です)ですが、楽天のページが開かず、アップするのになんと50分もかかってしまいました!
2010.01.25
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今日は暖かかったです。 ここ数日、寒さが緩んでいます。特に今日の昼間は手袋をしなくても歩けるほどでした。というか、日差しを受けると少し暖かいほどでした。それでもマイナス10度ほどですから、人間の感覚というのはあてにならないというか、わからないものです。 一緒にいた友人のBさんによれば「東京の寒い日より、今日のウランバートルの方が暖かく感じますね。これは、湿度と関係があるのです。」と言ってました。さすがに東京で寒い日といえども、マイナス10度になるなんて滅多にないでしょう。私の記憶にはありません。 ですが、確かに気温が高いはずの冬の東京より今日のウランバートルの方が「暖かいかも?」と感じてしまいました。さすがに寒さに慣れた、というのが原因ではないと思います。ウランバートルの冬はほぼ無風であることと、乾燥しきっていることが体感温度をあまり低く感じさせないのでしょう。ハワイが夏の日本より過ごしやすいのと同じかもしれません。 また実際にも、道路などの凍結もかなり緩んでおり、走りやすくなっているのも事実です。ですが日本のように、雪が降った後気温が上がって、道路や歩道が溶けた雪でぐちゃぐちゃになるということはありません。上がったとはいえ、マイナス10度以下なのは事実ですから。 ですが、どうもこの暖かさはほんの束の間のことらしいです。来週辺りからまた寒さがぶり返し、マイナス40-50度近くになると聞きました。昨年日本から来蒙した友人は、例の「モンゴル風邪」に悩まされているようです。私も喉は絶好調とは言えませんが、年末年始に日本で受けた治療のお陰で、かなり良くなりました。 体調に一層気をつけて、あと数カ月の冬を乗り切りたいと思います。
2010.01.18
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昨日、今日と買い物したり、友人と会ったりでウランバートルでの日常生活が再開しました。で、やっぱり寒いです。ネットを見ると、今(夜です)の気温はマイナス36度です。更に、明日の天気予報ではマイナス42度だそうです。いよいよ40度突破となりそうです。次の金曜日には、かなり寒さが緩んでマイナス27度との予報が出ています。ちなみに、その日の最高気温はマイナス14度です。ここまで来ると、「ちょっと寒さが緩むな」という気がするから不思議です。寒さ自体の生活への直接の大きな影響はないのですが、一番の問題は道路です。文字通り「カチカチ」です。こちらは雪がたくさん降るということはありませんが、ほんの少しでも降ると、それが水分のベースになり「氷道」といえるような状態になります。歩道も見た目は雪もなく普通なのですが、歩くとスケートリンクのようです。道路はもっとでしょう。平坦な道を時速15km程度で走っていても、ブレーキをかければ足の裏にABSの感触がググッと来ます。つまり、タイヤが滑っていることを感知しているということです。幸いウランバートルは、東京のように坂道が多いわけではないのですが、それでもなだらかな坂はあります。非常に緩い坂でも、下りの場合は2速ではなく1速に減速してエンブレ効かせないとやばい感じです。とはいえ、一番心配なのは自分の車ではなく、周囲の車の方です。私のは4輪駆動でブリヂストンのスタッドレスも新品で買ったばかりですから、かなり良い方です。ですが、こう言ってはなんですが、やっと買えましたという感じのヒュンダイの古い小型車は、そもそも冬用のタイヤを買えるかどうかもわからない人がたくさん乗っていますから、あちこちでズルズル滑ってます。ヒュンダイはFFなので、タイヤさえ冬用であればいいのですが、怖いのはそこらじゅうで走っているマーク2系のFR車群です。FRで夏タイヤだったら、もう無理でしょう。今日も、目の前で超低速走行にも関わらず、お尻を振りながら走っているマーク2を見ました。こんな車にぶつけられたら、面倒この上ないです。この国では、接触があったら絶対に両車は動かしてはいけないそうです。しかも、外は極寒ですし、言葉もわからないですし・・・想像しただけで、面倒なので、とにかく車の接触だけは避けるべく、超慎重運転をしています。こんな中でも、一つ良いことは、いつもは急発進、急停車、割り込みなどなんでもござれのドライバーたちですが、さすがにほとんどの車がノロノロ運転をしています。ですので小さな接触はそこらじゅうでありますが、大きな事故は滅多にないことでしょう。天気は良いので、昼間は太陽が出ています。ですが、強大な太陽エネルギーが降り注いでいても、路面が融けるということはありません。とはいえ、やはり夜の方が一層滑る感じはします。去年はどうだったかな?と思いだしてはいますが、今年の滑りの方が強いような気がしています。多分、あと2カ月くらいはこんな感じが続くでしょう。
2010.01.10
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先ほどモンゴル時間の18日深夜(もう19日になってしまってました)、ウランバートルの自宅に帰ってきました。マイナス30度の世界は、やはり日本帰りには異次元の寒さでした。ですが、そんな直接外気に触れたのは3分もなく、友人のBさん手配のぬくぬくのレクサスに乗り、自宅に戻れば主のいない間もずっと部屋は暖かいままでしたので、皆さんが想像されるほど大変ではありません。今回も思いましたが、東京からソウルはガラガラだったのに、ソウルで停機後は満席でした。いかにモンゴルが日本よりも韓国と交流が深いのかよくわかります。しかも、東京からモンゴルへの便は週に2回なのに、ソウルは毎日便があります。社会主義時代は、日本も韓国もほとんど交流はなかったでしょうから、この10年ちょっとで大きく差が出たのでしょう。「差が出たって、モンゴルのような小国や途上国は別にいいよ」という考え方もあるでしょうが、韓国企業は、ヒュンダイ・キアしかり、サムソン・LGしかり、日本企業が「本気になっていなかった」途上国市場をしっかり開拓してきたので、ここへ来て先進国、大市場依存型の日本企業と、成長率において大きく差が出たのではないかと思います。前から不思議だったことが一つあります。ソウル経由で行ったり来たりの時は、必ずソウルで機内から全員降ろされ、手荷物&ボディチェックをするのです。そのまま機内に残しておけばいいのにと思います。或いは、一旦機内から降ろしても、そのゲートの待合室で待たせておいて、また搭乗させればいいと思うのですが、なぜなんでしょうか?もちろん、同じ飛行機ですし、清掃した様子もありません。特に、今回の東京行の時は、降りてから搭乗までわずか20分しかなかったので、全員で移動して手荷物検査や身体検査して、そのまま戻ってギリギリでした。なぜ気になったかと言いますと・・・成田でモンゴルの友人にお酒を買おうとしたら「直行便ですか?それとも乗継ですか?」と聞かれました。私が「同じ飛行機だけど、一旦ソウルで降ります」と言ったら、「それでしたら、液体であるお酒は没収される可能性があります。」と言われたのです。結局、買えませんでした。お土産の定番であるお酒を空港の中で買っても、その飛行機が1度でも他の空港に停まったら持ち込みできないというのは、なんかおかしい気がします。今まで乗って来た人をわざわざ再チェックするために外へ出すというのは、一体どういうリスクがあるからなのでしょうか?ショッピングしたいとかならわかりますが、たった20分しかないのにです。ともあれ、とにかく無事に到着しました。これから、ビザ問題や新しいプロジェクトの話など頭の痛いことや楽しそうなことが来週明けからありそうです。
2010.01.09
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モンゴルでは、と言いますか、ウランバートルでは停電が多いです。多いというのがどの程度なのかわかりませんが、当然日本よりは多いです。ベトナムなどの途上国ではどこも多いと聞きますので、必ずしもモンゴルだけの問題ではないのかもしれません。特にウランバートルでは、人口急増や都市化の影響で電気使用量が増えていることも大きな要因でしょう。ビルやマンションも増えてますし。どのくらいの頻度か?毎月あるか、と聞かれれば、そういう気もするし、ない月もあるかもしれません。ちなみに、一昨日は1時間程度のが2回、昨日は夜に30分ほどのが1回ありました。多い時は、続きます。東京の地震の頻度とどっちが多いかな?同じくらいかな?初めのころ、レストランでもよく停電にあいましたが、どこも誰も驚く風でもなく、手際良くろうそくをテーブルに持ってきてくれました。一部の店はキッチンは電気だけのところもあるので、そうなると全て料理はストップします。このアパートに入る際「停電が多いと聞きましたが、ここは大丈夫ですか?」と聞いたら「停電ですか?そうですねー、年に1回くらいはあるかもしれませんが、滅多にないですよ。」と日本に留学経験したこともある不動産会社の人が言ってましたが、当然そんなことは全くの嘘でしかありません。こちらも、停電があるからと言ってアパートを諦めるわけにはいきませんけど。停電で困るのは、とにかくなんでも停まったしまうことです。パソコンは電池で多少はできますが、インターネットは全て停まります。エレベータなども停まりますし、キッチンも使用不可です。更には、水道も電気モーターで送っているからなのか、使えません。となると、トイレもシャワーも水が出なくなります。さすがに「人命にかかわる」セントラルヒーティングは動いてますけど。ただ、昨年に比べて明らかに部屋の温度が低いのが気になります。去年は外がマイナス35度でも室内はセーターなしで過ごせましたが、今年は寝ていても布団の隙間からの風が寒いです。原因は、人口増ということなのでしょうが、そもそも社会主義時代にソ連の援助でできた発電所が老朽化し、修理もままらないようなのです。部品もないし、修理するにも元の設計図もないらしいです。だから、故障するし、効率も悪いということなのです。建て替えた方がましのようですが、お金はありません。しかし、まだ今の現状だからましなのです。というのは、ウランバートル市は100万人を超えていますが、その半数近くがゲル地区というところに住んでいます。そこは、電気がない、あるいは電気は来てもキッチンなどの電気コンロがないなどの家が多いのです。電気消費量はアパートに比べ格段に低いです。もし、これらの人々が全員「普通のアパート」に住むことになったら、電気需要は倍まではいかないにしても5割以上はアップするでしょう。そうなったら、今の停電どころではないでしょう。貧困地域の救済はもちろん必要ですが、インフラが全く追いついてないので、救済すればいいという状態でないのも確かです。電気よりも水道の方がもっと大変です。ゲル地区はもちろん、郊外の戸建て住居(日本のように戸建てが立派、という概念ではなく、ちょっと立派な小屋というイメージです)にも水道がないところはたくさんあります。マイナス30度の厳寒の中、水汲みに行くのは想像を絶するものがあります。女性や子供の仕事のことが多いです。発展を続けるウランバートルですが、この厳寒の季節になると、負の部分が露呈してしまい、弱者が一層苦しくなるのです。インフラ整備の意味が、実体験で感じる今日この頃です。
2009.12.18
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地方出身者にとっては、福岡や札幌などの大都市出身者でもなければ、東京においてすら自分の田舎出身者と偶然会うことはあまりありません。ましてやここモンゴルとなれば、奇跡に近いでしょう。モンゴルは人口わずか260万人ですし、そのほとんどが外国に行ったことない人たちです。先週、日本人の経営する居酒屋さんで飲んでいたら、テレビカメラらしきものが店に入っていました。聞けば、九州地方のケーブルテレビ局というではないですか。私は博多に3年いたこともあり「そうですか、九州ですか。で、九州のどちらですか?」と聞くと「宮崎です」との答えでした。インタビューアーはモンゴル人女性ですが、日本語ペラペラでその宮崎に留学していたのだそうです。「じゃあ、宮崎弁も話せるんですか?」と聞くと「それだったら彼の方が上手です。」とカメラマンを指します。なんと二人とも宮崎に6年以上もおり、しかもメインは都城というではないですか!このケーブルテレビ局も都城にあるのだそうです。都城?と聞いて、すぐに翌週やってくるKさんのことを思い出しました。そうです、前回のブログでビザを忘れてたあのKさんです。私は「なんで、都城のテレビ局がモンゴルに来るんですか?」と聞くと、なんとウランバートルと10年も前から友好交流都市なんだそうです。もちろん、知りませんでした。とはいえ、宮崎の人がそんなにモンゴルに関するテレビ番組を見るのか不思議です。しかも「来年からは、毎月4回放送するので、ネタ探しが大変なんです」と言います。私は「実は来週、都城出身の女性コンサルタントがモンゴルにやってきます。モンゴルに都城出身の人がビジネスをしているなんてほぼ100%ありえないでしょうから、会ってみますか?」と言いました。すると即座にそのインタビューアーのSさんは「はい、是非会いたいです」となったのです。ただ、モンゴルでの滞在予定がびっしりで、いつ時間が取れるかもわからなかったので、Kさんが来てから連絡しますと言いました。まさか、Kさんが来れるかどうかすらわからない状況になるとは夢にも思っていませんでしたが。結局、友人のBさんの「ウルトラC]で入国で売ることができました。そしてKさんは、昨日9日は終日会議でした。会議が終わって私に「食事をしましょう」との連絡が入り、Bさんと3人で食事をすることになりました。私はすぐにテレビ局にいるSさんに電話をして「今晩、アイリッシュパブにいるので、Kさんに会いに来ませんか?」と声をかけたら、1時間ほどして来てくれました。都城出身で郷土愛に満ちているKさんと、都城留学を経て都城のケーブルテレビの仕事をしているSさんの初対面が行われました。二人は意気投合し、超ローカルネタで盛り上がっていました。Sさんは都城が島津藩だったこともよくご存知で、Kさんは私たちに「そうなんですよ、都城市と宮崎市藩が違って、仲悪いんです」と言ってました。都城は食べ物が豊富、特に焼酎の搾りかすを食べさせる豚肉のおいしさは有名とか、どこの家にもたくあんは欠かせないとか、鹿児島のカルカンがあるとか、などの地元話です。一緒にいたBさんもあまりのローカル話にびっくりしてました。今日は来てないカメラマンの方の話になった時、Sさんが「彼は市役所の仕事もしていたので、街では有名なんですよ」というと、Kさんは「え!実は私の姉は都城市役所で働いているんです」と言いました。そして携帯を取り出して、「あ、言葉が変わりますからね」と私たちに断って電話をかけました。「あ、お姉ちゃん、私ね今モンゴルに来とるんだけど・・・」と確かにいつものKさんとは全然違う発音で話しだしました。やはりお姉さんはカメラマンのBさんのことを知っていたそうです。しかもお姉さんの旦那さんはそのBさんと飲んだこともある仲だそうです。いやはや、世の中狭い、というか超ピンポイントの「ご縁」です。肝心の取材については、現在のプロジェクトについてまだオープンにできないので、その辺の見通しが立ってからにしましょうということになりました。いつかKさんの姿が、モンゴル経由でふるさと都城のテレビに登場するといいです。「モンゴルで活躍する都城出身ビジネスウーマン」はさすがに一人しかいないでしょうから。
2009.12.10
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先日、大手商社のモンゴル事務所長さんから「日本からおでんの具を仕入れてきたので、おでんパーティをやりませんか?」とのお誘いを受けました。彼の料理は和食など玄人肌で、とても楽しみにしながら、6日の日曜日に行くことになりました。その当日に彼から「おでんや他の料理をちょっとたくさん作り過ぎたので、どなたかお誘いください」との連絡を頂きました。私が最初にメールで連絡を頂いた時のあて先は私を入れて4名でしたので、もっと多くの方が来てもいいということなのでしょう。そこでモンゴル国立大学法学部に、日本の大学から派遣されているU先生ご夫妻と私がおちこぼれ組だった時のモンゴル語科の日本人の同級生らに声かけました。午後6時にお宅へ留学生3人と一緒にお宅へ訪問しました。さすがに大手商社の所長さんのアパートだけあって、豪華で大きい部屋です。友人のBさんの話では「モンゴルで一番立派なアパート」とのことです。広さも200平米は優に超えると思われました。まあ欧米式に言えばまさに「フラット」です。部屋に入ると、和風のだしの香りがぷーんといい感じです。さすがに留学生諸氏は、立派な部屋に驚いていた様子でした。お目当てのおでんは本格的で、とても美味しそうです。それ以外にも手作りの肉じゃが、チャーシューなどに加え「油めん」まで登場しました。前にも思いましたが、本当に料理上手です。おでんもはんぺん、ちくわなどの練り物(モンゴルではもちろん手に入りません)と大根がよく合って、とてもおいしかったです。「写真撮ってもいいですか?」と留学生が聞いたのも頷けます。日本にいてもこれだけのアパート(マンション)でパーティという経験はないでしょうから。当初は6-7人?と思っていましたが、その後どんどん増えてきて、最終的に14-5人くらいになったでしょうか?多くは日本人ですが、日本語ぺらぺらのモンゴル人の方も数名おられました。お酒も入って、いろんな話になりました。とはいえ、これだけ多いと若い人たちのグループと私たちのちょっと年上のグループに、自然と分かれました。仕事というか、仕事上の関心ある話、例えばマイニングのことなどから始まり、法学部の先生もいることから、モンゴルの法律の話、更にはモンゴル人気質の話など、興味ある話が続きました。この話には、日本に留学した後モンゴルでテレビ局を立ち上げ社長をやっているUさんもいました。モンゴルでは日本と違って、たった260万人しかいない国にテレビ局が14もあるのだそうです。そのUさんの話は、日本人の疑問もよくわかっているし、もちろんモンゴル人としてのいい分も理解している、という立場でわかりやすかったです。例えば、どうして多くのモンゴル人は、日本人から見ると利己的で公共の概念がないのか?車の運転のマナーが悪いのか?などです。彼の説明は面白かったです。そもそもほんの4-50年前までは、ほとんどが遊牧民だったのです。しかも世界で一番人口密度の低い国ですから、大草原の中での人間の数は極めて少ない。移動式ゲルに住んで、何から何まで自分たち(家族)だけで全てを行うという生活を1000年以上もやってきたのです。「定住生活で、多くの人たちと協力しながら生活してきた」農耕民族とは、決定的に違います。ですから、そもそも日常的に多くの他人と接して、そこでいろいろな調整をしながら生活をする、ということがほとんどなかったのだそうです。確かに、ゴビなどの田舎のゲルを見れば「お隣さんは30km向こう」なんて例もあります。そうなると、自分たちだけでなんとかする、別な意味でいえば、自分のことは自分で守る、というのが強くなるのです。結果として、他人のことよりも自分のことが最優先となり、それが今の利己的な行動につながっている、というのです。更には、人々の集合する場がほとんどないので、「公共の場」というものがほとんどないのです。法律もないし、一定の公共のマナーというのもほとんどないわけです。確かに、モンゴル人を見ていると、日本人的価値観からすると相当「自己チュー」が多いように見えます。また、ちょっと先のことを考えればわかるようなことでも、先のことは考えずに行動してしまい、結果として上手く行ってないことも多々あるように見えます。ですが、「なんでも自分でやり遂げる」という気持ちが強いのも確かです。何かを作ったり、修理したりする時に、日本だと「ちゃんとした部品がないとできない」と思えるような場面でも、とにかくその辺にあるものをなんとか工夫してやり遂げようとする粘りは、日本人よりはずっと強いなと思うこともあります。またこんな話もありました。ウランバートルの都市化は、せいぜいここ数10年。自分の親の世代がどこかの田舎から出てきて生活を始めた。当然、当初は混乱もあったようです。それまで各自が勝手に生活してきたわけで、たくさんの人間が同じところに住むというのは、モンゴルの長い歴史でも全くなかったことなのですから。マナーもルールもないような生活もあったようです。ですが、さすがに数10年の経験を経て、そしてUさんらの都市部の2世の代になると、だんだん慣れてくるわけです。「バスは、まず降りる人が先で、その後に乗るんだよ」ということなど。2世の世代は、1世よりは都市での生活マナーは多少は向上したでしょう、と言ってました。ですが、ここ10年程のウランバートル市の急成長(もう人口は100万人を超えています)の陰には、田舎からの人口流入が急拡大していることがあります。なので、私たちがモンゴル人に驚くように、都市部2世の人たちが、田舎から出てきた人たちのマナーの悪さに呆れている状態だと言ってました。これに近い話は、何度も耳にしました。「昔からのウランバートル市民は、マナーもいいし集団生活も理解しているが、現在のウランバートルの半分近くを占めている田舎からの人たちのマナーがひどく、しかも犯罪の原因になっている」ということを、別な場で聞きました。もちろん、日本人から見れば2世も田舎からの人も50歩100歩なのですが、そういう意識は強いです。ただ、私は個人的にはこういう差別的な考え方にはなかなか同意しづらいです。要は、前から東京に住んでいた人たちは健全なのに、お前らみたいに新潟などの田舎から出てくる奴がいるから東京は混雑して住みにくいんだ、と言われてるような気がするからです。ウランバートルもそうでしょうが、新潟から出てきた人間にとっても東京は非関税障壁みたいなものがあります。住むこと一つ取っても、ハードルは高いし、簡単ではありません。ウランバートルも同様で、多くの田舎出身の人たちが「ゲル地区」と呼ばれる、貧しい地域に住んでいます。Uさんは、とても感じのよい人なので、田舎からの人を悪くは言ってはいませんでしたが、でもその底には「もともとのウランバートル市民」という「優越的江戸っ子思想」の考え方に似たものを感じました。車の運転のマナーでも面白いことを言ってました。「車はモンゴル人にとっては馬です。だから、バックしないんです。Uターンはしますが、バックはせず前進あるのみです」と言ってました。確かに、毎日ほば確実に事故を目撃するほど接触事故が多いのですが、その多くは車同士のせめぎ合いのまま接触する、ということが原因です。交差点や路上駐車で道幅が狭くなったところでは、お互いに対向車として向かい合った時に、まずバックすることはありません。ずっと向かい合っています。なので、そこを起点にどんどん車が絡み合い、渋滞につながることが本当に多いのです。最初にほんの数メートルでも後退していれば、なんてことない場面でも、お互いに引こうとしないは、呆れるというか、先のことを考えられないんだなと思っていましたが、後退することが必要以上に「嫌なこと」なんだとわかりました。初めて会ったモンゴル人の人たちともフランクに話せるのは、楽しいです。これもパーティ主催者の人柄のお陰というか、ある意味「常識のある人たちの集まり」だからなんだろうなと思いました。おいしい食事、ビール、そして楽しい会話ができたパーティでした。
2009.12.07
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モンゴルで時々テレビを見ますが、ほとんどはNHKの海外版です。日本ではあまりNHKは見なかった(というか、民放もあまり見てませんでした)のですが、こちらへ来てからはかなり頻繁に見るようになりました。実はチャンネルは60近くもあるのですが、日本語はわずかに1つです。英語も、CNNやBBC、あとはナショナルジオグラフィックとスポーツ局くらいで非常に少ないです。言語的にはもちろんモンゴル語が一番で、次がロシア語でしょうか。ロシアからの放送はほとんどがロシア語ですが、意外にもアメリカ映画が多いのです。最初、アメリカ映画を見た時は「半分しかわからないけど、英語ならいいや」と思って見ましたが、残念ながら全てロシア語の吹き替えなので、全然わかりませんでした。モンゴル語の放送も、中身は他国のが多いです。多分一番多いのは、韓国ドラマでしょう。どのチャネルにもかならず韓国ドラマがあり、特に女性には人気のようです。全てモンゴル語への吹き替えですが、こちらの吹き替えは完全にはオリジナルは消えておらず、韓国語のセリフの上からモンゴル語をかぶせています。そのせいか、特に習ったわけでもないのに、簡単な韓国語を話せる人はとても多いのです。以前「どこで習ったの?」と聞いたら「ドラマは韓国が多いから、簡単な言葉くらい皆知っています。」と言われました。ちなみに、日本のドラマは一度も見たことありません。さすが韓流は強いな、と感心したら、ちゃんと理由がありました。7-8年前に韓国の大統領が来蒙した時に「韓国のテレビを無料でモンゴルに開放する」と言ったのだそうです。なのでモンゴルのテレビ局の全局が競うように韓国ドラマを放送しているというわけです。このパワーはかなり大きいです。毎日子供のころから韓国ドラマを見ていれば、韓国製品(サムソン、LG、ヒュンダイなど)への馴染みは高く、食生活も韓国の影響があります。元々ご飯を多く食べないモンゴル人ですが、キムチの人気は高いです。ライフスタイル(家の中の様子や遊ぶ場所、学校に職場など)も韓国の影響は大きいでしょう。こうして韓国という国への好感度は当然アップするでしょうし、アメリカや日本などの遠い先進国ではなく、韓国は身近な先進国と受け止められているように思います。日本も「おしん」などのソフトパワーの強さは十分わかっているはず(別ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/uncle_summy/33808228.html 参照)ですが、それはたまたま買いつけられたドラマの人気が出たということでしょう。別に戦略的に考えたわではないと思います。ですが考えてみれば、モンゴル程度の小さな国なら、難しいこと言わなくて番組をただで上げたっていいのではないかと思います。要は新潟県1県程度の人口でしかありませんから、正式に交渉したってソフトの価格はたかが知れてます。NHKや民放に莫大な収入をもたらすとも思えませんし、将来的にも放送局各社がここを収益源にするとも思えません。そうであれば、例えば「10年間は無料」とかにしてどんどん開放したっていいのではないかと思います。人口の大きな国では、トヨタでもパナソニックでも、黙っていても進出し、日本について知る機会も多いでしょう。ですが、こうした人口小国へはなかなか進出してきません。であれば、中央アジアやアフリカ、中南米の小国へは、テレビ番組を無料で開放して、日本への親近感を得るというのも戦略ではないでしょうか?ODAだけが、日本の味方を作る手段ではありません。こういうソフトパワーの方が、投資も少なく長期的な効果が期待できるのではないかと思います。小国だって、国連での1票の重みは同じです。その点、韓国は大したもんです。韓流ドラマの美男美女がサムソンの携帯使って、ヒュンダイを運転して、LGの大型テレビを見ているのでから、韓国企業が進出しやすくなっているのは確かでしょう。どうせ国際的に大きな引き合いが来るわけでもなさそうな、純国内向け番組などはどんどん開放すればいいと思うのですが。誰かそういうことを考える人はいないのでしょうか?
2009.12.01
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