白い花園
5月12日は母の日でもありましたが、
3月25日に亡くなったわが母の49日、忌明けの日でもありました。
49日の法要があったで実家に行った。
驚いたことに、
母が急に体力失くし、弱り始めた2年前から
大好きだった野菜作りや花栽培が出来なくなり
そのまま放置されて
誰も手入れする者なく、荒れ放題の畑が
なんと
一面、真っ白なお花畑になっているではないか。
他の野の草を追いやって一面に咲き競う
マーガレット
白の花園のなかに
かすかな母の名残り
芍薬の花
母が丹精こめて
豪華に咲かせ続けていた
シャクヤクの花が
花園の片隅で、息絶え絶えに
ひっそりと咲いていた。
そして、
白いマーガレットの花園に淡い淡い紅紫のヒメジオンが群生して
やさしいやわらかな色合いを添えている
おかあさん!
この花園は
きっとおかあさんのプレゼントですね。
晩年の2年間は
母にとっては不本意な不遇なものだった。
母の生き方そのものが
全面否定された
その孤独
その哀れ
悔いを残して
あの世へと旅立ったのではないかと
未だに
こころに
引っ掛かり
突き刺さるものある
娘のわたし。
後味悪く
母の死から
私は立ち直れていない。
そんな
私に
この思いがけない
白い花園の出現は
少しこころ和ませてくれる。
畑の
わずかなスペースに残っていたマーガレット
すさまじい生命力で
畑一面に広がって
母の忌明けに
咲き乱れているとは。
きっと
母は
苦しみの果てに
悟りひらいて
朗らかに
あの世へと
旅立っていったにちがいない。
その
白い花園は
そのことを私に教えてくれている。
3月25日に母が亡くなってから49日がたった。
寺の坊守ととして、寺を守ることだけを必死に貫いて生きた母
私はこの母の生きざまが嫌いである、激しく抵抗して生きてきた。
絶対に妥協したくない。
私はその受け身的な女の一生を嫌悪している。
母と反対の生き方をしてきた。
しかし、
寺を守り、家をまもり、自分の親や夫を介護し看取り、
最後に残った母。
最後の2年間は、母の生きざまを理解する者なく孤独であった。
最も不幸なことは、
あれほど必死に守ってきた家の中で
晩年2年間を過ごせなかったことである。
その悔しさを最期まで抱えて死んでいった。
なんという不条理、
子どもとしては、そんな母が哀れである。
母逝く
で母の死について書いています。
最後まで生きるとは
どうあるべきかということである。
昨今、大規模で高額なあらゆる種類の介護住宅や施設が
出来ている。その内容の一部もよく観察できた。
大病院の実態もつぶさに知る機会を得た。
ここから得た教訓は
高齢者だからといって、
受け身で生きていては命は全うできない。
この世界をどう受け入れ、
最期まで自立してどう生きるか
を絶えず模索し
自分の肉体や精神と戦い続ける必要があるということだ。
命尽きるまで、人は闘って死んでいくということが少しわかった。
夫の父、母、私の祖父母、私の父など
今まで出会ってきた死のなかで、
母の死は
現代の高齢者がかえる様々な問題を
集中的に孕んでいた。
良きも悪くも
私の死は
その問題の先にある。
この意味からも、
母の最期から
さまざまなことが学べた。
コロナで家ごもり 2020.03.29
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