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以前の日記で、ウチの店舗の側壁にマンションモデルルームの広告を掲載したことを書いたが、この看板もいよいよ用済みとなり、あとはウチの店仕様のデザインに替えてもらえることになっている。ちょうど新しい駐車場を確保したところなので、いいタイミングでそのPRが出来る。そうこうしていると、今度はまったく別の新築マンションを担当する広告会社から、同じような条件で1年間、同じく店舗側壁の別のスペースに、モデルルーム案内の広告を掲載させて欲しいとのオファーがあった。私の感覚では、こんな所にそういうものを出して、果たしてそれほどの広告効果があるのかどうか疑問に思うところだが、まあ人様がそう思ってくださるのならそういうものなのかもしれない。いずれにしてもウチにとって悪い話ではないことには違いないので、即座にOKしたことは言うまでも無い。
2007年06月30日
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キャラメルは結構好きだ。普段はミルクキャラメルが多いが、そればかりだと飽きてくるので、たまにこういうものを交えている。また通常期はこれをクルマに常備するのだが、この暑い時期クルマの中に置いておいたらとんでもないことになるので、事務所に避難させているのだ。
2007年06月29日
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先月から始めている顧客向けのニュースレターの中で、知っていそうで実はみんな知らなかったりするような、あるいは今さら恥ずかしくて人には訊けないような、お酒に関する常識を取り上げて、易しく解説していくという試みを行っている。私が店頭でお客さんから直に聞くことの多い質問をベースにして進めていくつもりだ。で、今月分では、「お酒はいつまでもつのか?」ということを取り上げようと思った。実際そういう質問は非常に多いのだ。ただこのことについて書き進めていくうちに、ちょっと行き詰ってきた。たとえば焼酎、ウィスキー、ブランデー、スピリッツなどのようないわゆる「蒸留酒」は、何年経ってもそれほど味に大きな変化はないからまだいい。問題は日本酒、ワイン、ビールといった、いわゆる「醸造酒」と呼ばれるものだ。この中でもビールは一応「賞味期限」が設定されていて、それが“絶対的基準”といえるかどうかには個人差があるにせよ、ともかくそれをある程度目安にすればいい。ところが日本酒とワインは少々勝手が違う。たとえばワインの場合、ご存知のようにある程度以上のクラスのワインなら、多少寝かせてビン熟成を促すということが必要だが、これもそのワインのクラスやビンテージなどによって状況はまるで違ってくるので、一概に答えの出せることではない。日本酒の場合は、一般的にはビールなどと同じように、「日付の新しい物の方が良い」という既成概念があるが、日本酒もワインと同じようにビン熟成することを考えれば、日付の古い物が一概に悪いとは言えない。そしてワインにも日本酒にも共通していえることだが、同じ時期に生産された同じ商品であっても、保存状況の良し悪しで味も格段に変わってくる。つまりワインや日本酒に関しては、コレという明確な答えが無いのだ。よって「ケースバイケース」で判断するしかない。今までにもそういう問い合わせは結構あったが、ではどうするかというと、その商品を直に見ることが出来れば、見せていただいて判断する。電話での問い合わせの場合は、その商品名や購入の経緯、保存場所などを出来る限り詳しく聞き出して判断するわけだ。まあしかし基本的に、古くなったお酒を飲んでも「味が変わっている」というだけのことで、特に「カラダを壊す」などということはまず無いので、とにかくまず一度飲んでいただいて、OKならばそのまま飲み、納得いかなければ処分していただく、そういうスタンスを取っている。もちろんこういう問い合わせというのは、ウチで購入した商品に限ったことではないし、それどころかウチの顧客以外の方から飛び込みで掛かってくることも多い。貰い物の場合もあるだろうし、今は無くなってしまった店でずいぶん前に買ったという場合もあるだろう。どちらかというと私の両親などは、こういう「よそで買ったもの」に関する問い合わせにはあまりいい顔をしなかったが、逆に私はこういうのは素直にウレシイ。ウチに尋ねてくれる、というのはひっくり返して考えれば、ウチなら答えてくれるだろう、という期待感をお客さんに持ってもらっているからだ、と自分勝手に解釈しているからだ。
2007年06月28日
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ブラジル音楽界のスーパースター、『ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルシアーノ』という兄弟デュオの、実話に基づくサクセスストーリーだ。彼らの音楽は「セルタネージョ」と呼ばれるもので、言ってみれば「ブラジル風“カントリーミュージック”」というようなものだ。2人組が基本で、アコーディオンやギターを弾きながらハモリながら歌うスタイルだ。もちろん私はこのデュオのことはまったく知らなかったし、ブラジルといえば、「サンバ」と「ボサノバ」.......、この2つしか知らない私にとっては、こういった未知の音楽に触れられること自体、新鮮な体験だった。フランシスコというのは、彼らの父親の名前だ。この父親がまた「思い込んだらまっしぐら」という人で、自分自身が貧しい小作人であるが故に、「貧困から抜け出すには音楽で身を立てるしかない!」との思いで、2人の息子を何とかミュージシャンに仕立てようとする。地主への地代の支払いを後回しにしてでも、ありったけの金をはたいてアコーディオンとギターを購入する。村まつりがあるたびに何とかそこで歌わせようと奔走する。果ては息子たちのレコードデビュー直後に、自分の給料を全部コインに換えて、職場の同僚に配ってラジオ局にリクエストをするように依頼する.......。このあたりなんだか、日本で言えば『さくらパパ』あたりを彷彿とさせる。ただ現在の日本と決定的に違うのは、彼の家庭の貧困さもさることながら、音楽で売り込んでいくための「ノウハウ」が皆無であることだ。今の世なら、ちょっと歌の上手い子であれば、何らかのオーディションを受けさせるなり、数多の手段があるから苦労はないが、この時代(1970年代)のブラジルの、しかもかなり内陸の田舎ではどうしようもない。貧しく、且つ選択肢の乏しい暮らし、しかも子だくさん(フランシスコ家は7人).......そう、それはかつての日本の姿そのものなのだ。それは私よりももうちょっと上の世代の方の話になるだろうが、何も無い代わりに、今とは比べられないほどの「家族愛」があったはずだ。まさにこの映画で描こうとしていたのも、そういった普遍的な「家族愛」なのだろうと思われた。フランシスコの餌食(?)となって音楽に関わり出した2人の息子も、おそらく最初は“いやいや”やっていたんじゃないかと思わるフシもあったが、あまりの貧困に耐えかねて流した母親の涙を見て、カネを稼ぐためにコッソリと「ストリートミュージシャン」として歌っている姿、そしてビッグになった彼らがステージ上で両親と交わした熱い抱擁........。最後には彼らはきっと、彼らの両親に対する感謝の気持ちで一杯になったであろうことが、容易に見て取れる。いまどき「家族愛」という言葉も何となく陳腐な響きを帯びてはいるが、地球の真裏のこんな彼らの姿を見ていると、単に私たちがどこかに置き忘れてしまった何かが、地球上のいたるところに脈々と息づいていることを、思い知らされる気がするのだ。そしてそんな気持ちを忘れてしまっている我々日本人には、最早「先進国」という称号を名乗るだけの価値も無いのかもしれない、そういうふうに思ったりもした。心がホンワカ暖かくなる映画だ。
2007年06月26日
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私の住んでいる市では、学校給食(小学校のみ、中学校は無し)は市職員である調理員の手によってつくられている。ところが今、市では調理員の不足を主な理由として、段階的に従来の「直営方式」から「民間委託」に移行させようとしている。とりあえず手始めに、ウチの子供たちが通う小学校から始められることが計画されていることから、危機感を抱いた市職員の労組が昨日、校区内の全戸にビラを配った。かいつまんで紹介すると、民間委託になると質的低下を招き、安全性への不安も拭えず、またアレルギーなどへのキメ細かな対応も出来なくなり、「食育」の重要性が声高に叫ばれている現状に逆行する、といったものだ。書かれていることはどれもなるほどと思わされることだし、調理員さんの仕事に対するプライドの高さもよく現れている。ただこういう場合においては、「直営方式」を採るにせよ「民間委託」を採るにせよ、それぞれにメリットとデメリットがあるわけだから、一方の言い分だけを聴いているわけにもいかない。実際、民間委託になると本当にここに書かれているようなヒドイ状況になるかというと、一概にそうとは言えないかもしれない。ちょうど少し前の「郵政民営化」の議論のときと同じようなもので、権益を守りたい方としては「民間委託」のデメリットをことさらに強調しがちになるものだから、そのあたりも割り引いて聞いておく必要があるかもしれない。私としては、双方の主張をよく聞いてみないと何とも判断できないことだし、しばらくは様子を見守りたいと思った。ただひとつ、現在行われていない、市内の“中学校”向けの給食は、出来るだけ実施の方向で動いて欲しいと思うし、「直営方式」or「民間委託」の論議が中学給食の行方に影響を及ぼすとしたら、あくまでも中学実施の方向に沿った形で決断されるのが理想だとは思っている。
2007年06月25日
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我が家の日曜日のお楽しみのひとつに、朝の「パンケーキ(ホットケーキとも言う)」がある。毎週というわけではないが、日曜日の朝食時にホットプレートをデェーンと出してきて、めいめいが好きなように自分のパンケーキを焼いて食べるのだ。最初はごくノーマルに焼いていたところが、あるとき生地が飛び散った「カケラ」状のものが、ホットプレートの上で焼けているのをつまんで、その美味しいことに気がついた。お好み焼をつくるときにソースがはみ出して鉄板の上で焦げている、その部分が妙に美味しかったりするのと同じような感覚に思えた。というわけで、生地をわざとポタポタと粒状に垂らして、ちょうど『たまごボーロ』をひと回り小さくしたようなものをたくさん作ることに熱中してしまった。それに少々飽きが来た頃、今度はプレートの上に残った「カス」が、なんともサクサクした食感で妙に美味しいことに気がついた。カスを意図的に作ることは出来ないが、それなら、と「薄焼き」に挑戦してみた。ちょうどクレープを作るのと同じような要領で、普段よりも生地を少なく取って、プレートの上に垂らしたらすぐに、おたまでグルグルとプレートの上に円を描くようにして、生地を薄く広く延ばしていくのだ。最初はイマイチかなと思ったが、何度もやっているうちにコツを掴んできた。普通のパンケーキと違って、ひっくり返さずに片面だけをこげ茶色になるまで焼くのだ。そうすることによってまるで『ゴーフル』のようなパリッとした食感が得られるのだ。ただこれの欠点は、胃袋をある程度満たすためにはかなりの枚数を焼かなければいけないことだ。そうやって「“ゴーフル”風焼き」に躍起になっている私を、家族はみんな冷ややかな眼で見ている、というのがこのところの日曜日の朝の光景だ。P.S.よっぽどその画像をここにアップしようと思ったが、このブログ自体家族に内緒で書いている手前、変にそんなものを写真に撮っていると、「お父さん、いよいよおかしくなった!」などと思われかねないので、止めることにしたのだ。
2007年06月24日
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人間は食事のとき、胃の中が食べたもので満たされると、脳に向かって「満腹信号」が発せられる。ただそれが脳に届くまでに多少のタイムラグがあるので、ゆっくり食事をしているときは比較的少量でも満腹感があり、逆に早食いだと満腹感が脳に達するまでに次々と食べ物を胃に放り込んでしまうから、太りやすくなる。と、私のごくごく乏しい医学的知識によると、確かこんなものだったかなと思う(違っていたら指摘してください)。ただ別にこういった知識をひけらかしたいというわけではない。私の胃腸がここのところちょっと変なのだ。その「満腹信号」が脳に届くまでのタイムラグは、一般的には確か20~30分位ではなかったかと思うが、最近の私の胃は30分くらいでは満腹感を感じないのだ。だから食後も何となくまだ物足りないような気になる。しかしその代わり、食後2~3時間くらい経った頃に、ようやく満腹感が到達する感じだ。要は胃か神経のどちらかが鈍感なのだ。だから食後物足りないからといって余分に食べたりすると、あとで苦しくなってしまう。とにかく今は、努めて食事をセーブするように心掛けているが、どうしてここ最近になって急に、こんなに鈍感になってしまったんだろう?
2007年06月23日
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いまどきの若者言葉については、いろんなところで取り上げられる機会があるが、たいていは「日本語も最早ここに極まれり!」というような、半ば「呆れた」ようなニュアンスで語られることが多い。ただ私がこうやって“若者言葉”などという言い方をするのは、「最早自分は若者ではないのだ」という、目を背けたくなるような事実を追認するようなものなので、私としてはあまりいい気はしないのだが、いや、そんなことは今日の話の本筋とは関係のないことだ。今高校生の間で、「オナチュー」という言葉がよく使われているという。用例としては、「アイツ、“オナチュー”なんだよね」という具合だ。まったく、公衆の面前でみっともない、と眉をしかめられる向きも多いだろう。ホントに品性のカケラも無いな、今の高校生は.....、と私も思った。そんな“オナチュー”なヤツの顔が見てみたい、とも思った。きっと「バカ丸出し」みたいな、しまりのない顔してるんだろうな、などと勝手な想像もした。しかしそんな私の想像が、大いなるカン違いだということが判明するまで、それほど時間は掛からなかった。「ところでアナタ、“オナチュー”ってどういう意味か知ってる?」と妻が問う。何言ってるんだオマエ、そりゃもう若くはないがそれなりに分別を持ち合わせた女性が、そんなはしたないことを言うもんじゃないよ、という思いが口にすら出ないが、頭を駆け巡っている最中に、妻の口を突いて出てきたのは.......「“同じ中学の出身”って意味なんだって」「へ!?」なんだ、「品性の無い」のは、実は私の方だったのか.........。それにしても........「何でもかんでも省略すればいいってもんじゃないぞー(怒)」
2007年06月22日
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『ビリーズブートキャンプ』というダイエットDVDが、現在大ブレイク中だ。確かにテレビで流れているこのDVDの宣伝用の映像を見ていると、ほんとにすぐにシェイプアップ出来そうな気になるから、みんなこぞってこれに飛びつく気持ちもよく解かる。しかし現実ははたしてどうだろうか?このDVDのダイエットメニューは、1週間のプログラムで構成されているが、これはもともとアメリカ軍の新入り兵のための体づくりプログラムがベースになっているらしい。つまり通常は、軍隊の厳しい訓練に耐え得るための体づくりをするためのものなのだ。実際の入隊者なら、そういった体づくりをした後、毎日過酷な訓練が待っているから、太るヒマなどないだろう。しかし軍隊とは何の関係もない一般人が、このプログラムに沿ってトレーニングを積み、まあ1週間である程度の成果を上げたとしても、その後軍隊に入隊するわけでもなく、普段通りの生活を送ることになるわけだ。そうなると必ずリバウンドが来やしないか?つまり、たとえ1週間で理想的な体型を手に入れたとしても、それを維持する仕組みが無ければ、元の木阿弥になってしまわないだろうか。1週間といわず、たとえもっと長い日数が掛かっても、長期間体型維持が可能なダイエット法の方が、本当は良いのかもしれないな。
2007年06月21日
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昨日の内容が長くなりそうだったので、昨日の続きを今日アップすることをお許しいただきたい。(決してネタ切れだからひとつの話をわざわざ分けて書いている、ということではないので、念のため)昨日私が観戦したドラゴンズの2軍戦、相手は『サーパス神戸』、そう『オリックス・バッファローズ』の2軍だ。私が球場に到着したときにはすでに1回表が終わったところだったが、スコアボードを見てビックリ!『サーパス』の先発投手はなんと吉井。そう、一時メジャーリーグでも活躍していたあの吉井理人だ。かのチーム事情はよく知らないが、今年は不調なようだったから2軍落ちしてるんだろう。そしてドラゴンズの先発は......と見ると、なんとこちらは山本昌!吉井VS山本昌なんて先発投手だけ見たら、まるで1軍の交流戦そのものだ(笑)。山本昌といえば、私がゴールデンウィークにナゴヤドームで観戦したとき(これは1軍戦)に先発したのも彼だった。まさかここで再会しようとは.......。なんとも「若手の育成」たる場である2軍戦の先発ピッチャーにはおよそ似つかわしくない、2人の「超ベテラン」の投げ合いとなった。しかもこの2人は同学年だ。昭和40年生まれだから、お互い今年42歳になる(厳密には誕生日がまだ来ていない山本昌は41歳)。熱心な野球ファンならご存知かと思うが、ヤクルトの古田監督が中心となって、この2人も含めた彼と同学年のプレーヤー(今はプレーヤーとして残ってるのはほとんどいないが)を集めて結成した『40年会』というのがあって、この世代はなかなか結束が固いようだ。だからこの2人も、おそらくはプライベートでも仲は良い方なんじゃないかと思われる。しかしなんといっても、2人ともそのタマの遅いこと!球速はMAXで140キロいかない。その分2人とも巧みなコントロールで、打たせて取るピッチングに徹している。結論から言えば集中打を浴びて3点を失い、5回でマウンドを降りた吉井に対し、山本昌は8回を被安打2、失点0と好投し、今日のところは山本昌に軍配が上がった。ところでこの試合で何が一番盛り上がったかといえば、この2人がピッチャーとバッターとして対決したところだ。それぞれ2回ずつ、計4回(だったと思う)の対戦機会があったが、ともに空振りの三振。吉井のことはあまり知らないが、山本昌といえばドラゴンズの投手陣の中では、バッティングが不得手なことで有名だから、この結果はまあ納得だ。で、この2人の対戦となると観客の反応もまた違う。「吉井ぃ~、打たしてやれや~!」「マサぁ~、ストレート勝負や!」そこかしこでこんな声が飛び交う。そして吉井も山本昌も空振りの三振を喫すると、ヤンヤの大喝采。当の本人たちも気心の知れた仲だからだろう、この対決を心底楽しんでいるように見えた。なんだか当ても無くふらっと出掛けた試合で、とても良いものを見せてもらった。ちょっとぼやけてしまったが、山本昌 炎天下のデーゲームはベテランにはちょっとキツそう…吉井中日の先発オーダーで最も拍手が大きかった4番、堂上(兄) 期待が大きかった分、ヤジも辛らつだった、イ・ビョンギュ
2007年06月18日
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今日はナゴヤ球場に、ドラゴンズの2軍の試合を観に行ってきた。実は少し前から、一度2軍の試合を見てみたいと思っていたのだ。ただそれまでは私も、2軍の試合なんか見ても面白くないんじゃないか、と正直思っていた。しかし私の中には、「やっぱり野球は屋外で、尚且つ土のグラウンドでするものだ」という、強い固定観念があって、ドームで観戦してもその思いが満たされない、いくばくかの空虚感を感じていたことがあった。というわけで、今日の天気が雨になりそうに無いことを確認した上で、急遽名古屋へ出かけた。行ってみた感想としては、「やっぱり最高!」何よりも人が少ないので、グラウンドにかなり近いポジションで試合を観ることが出来るというのがいい。ナゴヤドームでは、グラウンドに近いシートというのは年間契約席だったり、そうでなくてもかなり高額な席だったりするので、庶民である我々はいつも最上階の「パノラマ席」というところで観ている。ところがグラウンドからあまりに遠いために、球場でナマで観ているのにもかかわらず、「ライブ感」に乏しいのだ。ところがここではすぐ目の前に選手たちがいる。ドームで観るときに、グラウンドの選手との間に感じていた“もやもやした隔たり”のような感覚が無く、「ライブ感」満点に選手の姿を捉えることが出来る。そして、これは球場に行ってはじめて気が付いたことだが、「ライブ感」は単に選手との距離だけのことではなかった。ここには私が忌み嫌う、あのやかましい応援団はいないし、過剰ともいえる大音響の演出もなく、まったく静かなものだ。それだけに、バットでボールを捉える「カキーン」という音、グラブやミットで捕球する「パーン」という音、それのみならず野手同士が掛け合う声などもナマでこちらの耳に届いてくる。1軍の試合しか観ていないと分からないことだが、この「音」こそがもうひとつの「ライブ感」を構成する重要な要素なのだ。まさに野球の原点に触れた思いがした。もちろん、スタープレーヤーを見たいとか、贔屓チームのペナントの行方がどうしても気になる人は、2軍の試合など見ても面白くないかもしれない。でも純粋に野球の試合そのものを堪能したいという人なら、2軍の試合に行くことをおすすめしたい。2軍の試合のメリットというものはまだまだある。まずこれはナゴヤ球場に限っての話になるが、アクセスが断然良い。ナゴヤドームだと、名古屋駅から地下鉄を2本乗り継いで20~30分、その上駅を降りてからの歩きが長いのだが、ナゴヤ球場なら名古屋駅から電車でたったのひと駅だ。しかも駅から極めて近い。それから当然ながら料金が安いのも魅力だ。おとな1人たったの1,000円で観られるのだ。それから球場の雰囲気がとても良い。観客もみんな心底野球が好きで集まってきている人ばかりだろうからか、とても和やかな雰囲気で、ヤジひとつ取ってみてもとても微笑ましい感じがするのだ。しかし何よりも、ビールで幾分ほてった頬に当たる屋外の風、この感触はやっぱり何物にも代え難い。あー、なんだかまた行きたくなってきた。
2007年06月17日
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私は「リカーマン」、酒を売ることを生業としている者だ。昼間の歓楽街をクルマで廻っていると、同業の酒屋たちだけでなく、様々な業種のクルマがそこかしこに止まっている。魚屋あり、八百屋あり、肉屋あり、おしぼり屋あり..........。そんな中に、比較的よく見掛ける業種として、「氷屋」がある。「氷屋」か........私が「リカーマン」なら、彼らはさしずめ「アイスマン」だな。そんな「リカーマン」が「アイスマン」と火花を散らして敵対!?と、そんなようなハナシではない。だいたいこのタイトルは、なんだかまるで怪獣映画のようだと「リカーマン」が勝手に面白半分でつけたものであって、他には何の意味もないのだ。「アイスマン」などといっても、「氷屋」のことではない。いわゆる「氷河人」、そう、今から5千年以上も前の氷河期に生きていた人種のことだ。(なんて長い前置きだ........^_^;)この「氷河人」の氷漬けのミイラが1991年に発見されており、永年の研究の結果、その死因について新たな発見があった、と報じられていたのだ。このニュースではじめて「アイスマン」なるものの存在を知った私は、早速関連するサイトへ足を伸ばし、初めてその写真とも対面した。ミイラとはいえ、世界の4大文明が興る前に生きていた人間だ、見ているだけで感慨もひとしおだ。彼の素性や心理状態などは到底分かるはずもないが、彼はこのような形で、彼自身がまったく思いもつかないような5千年後の人間たちに発見され、あれやこれやと体中いじくり回されるなどとは、夢にも思っていなかっただろう。まったく風化しないままに5千年の時空をポーンッと超えてきたわけだが、その間の地球上の変わりようを考えると、なんと永い眠りについていたことか。そう思うと、見かけはただ気味の悪いだけのミイラが、なんともいとおしく思えてくるから不思議だ。
2007年06月16日
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ここ1~2年、輸入ワイン(主にヨーロッパ)の値上がりが続いている。ヴィンテージごとに価格の変動がある高級ワインはともかくとして、デイリー向けのスタンダードなワインというのは、今まではヴィンテージが替わっても基本的に同じ価格をキープしてきた。それらのクラスのワインの価格が、ここのところ軒並み上がり始めている。理由は簡単、まず最大の原因は「ユーロ高」、それから原油価格高騰に伴う「輸送コスト高」、あとあるとすれば、各生産者固有の何らかの事情による出荷価格アップ、というところだ。しかもこれらの値上げは、税制改正などのときとは違って、「○月×日を以って一斉に」という類のものではない。インポーターごとに値上げのタイミングはバラバラだし、またひとつのインポーターの商品群の中でも、上がる商品も上がらない商品もあれば、上がり幅もまったくのバラバラだったりする。ただでさえ価格の管理の面倒なワインだが、こうやって五月雨式にちょこちょこと単価が変わっていくというのは、いかにも販売業者泣かせだ。店頭POPやプライスカードの書き替え、コンピューターの商品マスターの単価変更、納入している飲食店への告知などなど、これに付随する作業は山ほどあって、ほとんど私ひとりでやっている状態だ。まだ税制改正のときのように、一度にすべての商品がザッと変わるという方が、はるかにラクなのだ。しかし様々な要因で価格が上がるが、それが解消されたときに果たして価格が下がるか、というと、なかなかそういうわけでもないのだ。日本酒でも、何年か前に米の不作を理由に、純米酒の価格が軒並み上がったことがあったが、その後豊作の年もあっただろうけど、あれから価格は下がってないからね。今月から来月にかけてはイモ焼酎の値上げもパラパラと行われるが、これも果たしてどうなるか........。
2007年06月15日
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最近の一連の『コムスン』の報道を見聞きしていて、ちょっと釈然としないものを感じている。『グッドウィルグループ』(以下『GWG』)、そしてそのトップである折口会長の、「金儲け主義」に対してとかく批判が集まっていて、「介護」を金儲けの道具に使うなどケシカラン、といった論調が目立つように思う。確かに『GWG』がやってきたことは誉められたことではない。これは事実だ。しかしだからと言って、「介護」で金儲けをしちゃいけないということはないだろう。民間企業である以上、利潤を追求するのは当然のことだし、株主に対する責任でもあるはずだ。会社が利潤を得られなくなるというのは、その会社にとって「死ぬ」のと同じことだ。「介護ビジネス」という言葉があるように、「介護」はもはや公的な機関では手に負えないものとなっており、言葉は悪いが「民間に丸投げ」されているのが現状だ。民間にとっては「ビジネスチャンス」であり、ビジネスであるならば当然稼がなければいけない。新規のお客獲得競争になるのも必然だ。『GWG』の場合は、それがあまりにも度を越していたということだと思う。もちろん介護に携わる会社としては、それなりに崇高な理念が求められるだろうが、理念なき会社はいずれ淘汰されていくだけだ。『GWG』のような特異例だけを取り出して、「介護」でお金を儲けることをよしとしない風潮が生まれてくるとすると、それはちょっとマズイんじゃないだろうか?日本には以前から、「介護」=「ボランティア」というイメージが、色濃く根付いているように思える。そんな偏ったイメージが、「介護」で金儲けをすることをよしとしない気運を醸し出している、ということはないだろうか?「介護」の現場に居られる方でないと、その辛さやご苦労は到底分からないと思う。そんな方達に、「無報酬でやれ」などと言えるはずもない。「介護」でしっかりと儲けられる仕組みが構築されなければ、いずれ誰も「介護」などやらなくなってしまうだろう。そうならないために、少なくともマスコミに出てしゃべったり書いたりしている人達には、偏狭な考え方で「介護」というものを語ることの無い様にお願いしたいと思う。
2007年06月13日
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いまだに記憶に生々しい、昨年8月の福岡での飲酒運転ひき逃げ事件の初公判があった。このニュースをラジオで聴いていたのだが、思わず耳を疑ってしまった。被告の運転手は、「飲酒運転は間違いないが、正常な運転が困難になるほど飲酒していない」などという供述をしているという。何をいまさら.........まったく開いた口がふさがらないとはこのことだ。だいたい時速100kmで前のクルマに追突して、そのクルマが橋から海に落ちたのにも気が付かないような状態が、「正常な運転が困難になるほど飲酒していない」状態だといえるのだろうか?完全に「危険運転致死傷罪」逃れの、都合の良い言い訳でしかない。「オマエは3人の子供を死なせたばかりではなく、全国の数多の飲食店を廃業に追い込んだ張本人でもあるんだぞ!」私は頭の中で何度もこう叫んだ。ただ口惜しいけど、それを口にすることはしないでおこう。この事件に関係なく、飲酒運転は絶対にやってはいけないことだ。
2007年06月12日
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ナチスドイツ占領下のオランダを舞台にした物語だが、いわゆる通り一遍の「戦争もの」とはちょっと毛色の違う、家族の復讐に燃えるヒロインの「愛と裏切り」の物語だ。とにかくナチスとレジスタンスの双方の人間関係の中に、想像をはるかに超える見えない糸が張り巡らされ、見ているこちらの方が頭を整理させるのにちょっと苦労するほどだ。ラストまで状況が二転三転して、ヒロインの家族を殺した首謀者も最後までまったく分からないままハラハラさせられる。タイトルにもなっている「ブラックブック」、これがどういうものなのかも最後まで分からない。しかしその正体が明かされたとき、もつれていた糸が一気にほどけてくる。そしてこのタイトルが意図するところが見えてくるのだ。ヒロインのラヘルが冒頭で、戦禍を逃れて落ち延びるために必要なおカネを、父の知り合いだという公証人に借りに行くシーンがある。公証人がラヘルの目の前に札束を出したところ、ろくに確認もせずに借用書にサインするラヘルに対して、「簡単に人を信用するな」と戒めるシーンがあった。最初は特に気にも留めてなかったシーンだったが、見終わった後でこのセリフがとてつもなく意味のあるものに感じられて仕方なかった。今のご時世でも同じようなことは言えるわけだが、特にこういった戦時中ともなると、生き延びるためには「何でもアリ」という世界だ。安易に人を信じることができないという不幸が、リアルの現在の社会とダブってくる。さらにいえばドイツ降伏後のオランダで、ナチスドイツに加担した者たちを、オランダ国民たちが寄ってたかって吊るし上げるシーンがある。ナチスドイツによるユダヤ人迫害はもちろんだが、同じ国民同士がこのように自国民を迫害するというのもまた、戦争によって麻痺させられる「狂気」の一面を垣間見たような気がする。しかしとにかくヒロインであるラヘルの、失うものの無くなった女性のしたたかさ、たくましさ、それが全編に溢れている。そしてそれを演じきった女優、カリス・ファン・ハウテンの迫真の演技も光っていた。
2007年06月10日
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「不良」といっても、“ちょい不良(ワル)おやじ”とかいう意味での「不良」ではない。先日『どっこい、ジュリーは生きていた!』というタイトルでこのブログにも書いた、沢田研二の『Croquemadame & Hotcakes』というアルバムだが、これがちょっといわくつきのCDとなってしまった。最初に聴いたとき、音飛びが多いのがちょっと気になった。初めはウチのプレーヤーの異常かと思い、クリーニングCDをかけたりしてみたものの、あまり改善されない。しかも他のCDは問題なくPLAYできるのだ。おかしいなと思っていたところ、ふっとディスクをひっくり返したとき、ディスクの裏面が異常に汚れているのに気が付いた。ちょうどガラスのコップを何ヶ月も使わずに食器棚に置いておくと、ガラスが白く曇ったような状態になるが、ちょうどそれがひどくなったような状態だった。原因はコレか、と気が付いて、すぐにWeb購入した『“塔”レコード』に電話して、交換を要求した。先方の了解を得て現品を着払いの宅配便で送ったら、数日して代品が届いた。しかし、何だかちょっと嫌な予感がしていたのだが、これも開けてみたところ盤面が同じように汚れているではないか。もう一度『“塔”レコード』に電話をして、「ちゃんと中身を確かめてから送ったのか?」と質したところ、案の定、製造元から送られてきた商品をそのまま、確認せずにスルーでウチへ送ったということだった。そのとき私の頭の中に、「もしかすると......」と恐ろしい(?)ことが浮かんだ、「製造元にある完成品は、すべて同じように汚れているのではないだろうか?」というのも先日のブログにも記したように、このCDが特殊なパッケージになっているので、そのことが原因ではないか、と思ったからだ。私もこういう化学素材の関係は疎いのでうまく説明できないのだが、普通のプラケースとは違う、もっと弾力性のある“シリコンっぽい”ような素材のケースで、その上、上下からその素材で押し付けられて挟まれているような格好になってのだ。そのことを『“塔”レコード』の担当者に告げると、「わかりました、確認してみます。」数日経って、『“塔”レコード』からメールが届いた。そこには、私が心配していたとおりのことが書いてあった。曰く、「製造元でチェックしてもらったら、ほとんどの完成品に同じような白い汚れが見られた。」、「ついては代品を送る際に、パッケージとCDを別々にして送らせてもらおうと思うが、いかがだろうか?」ということだった。もちろん了解した。さらに数日経って、ようやく“キレイな”代品が届いたのだった。しかしこのCD、他にもたくさんの人が購入しているはずだが、今まで一度もクレームなど来たことが無かったんだろうか?
2007年06月08日
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お客さんが来店し、レジで精算する。商品を渡して、おカネを頂いて、お釣りを渡す。そして「ありがとうございました」とお辞儀をして見送る。私の仕事は一旦ここで完結するはずなのだが、その後お客さんは一生懸命に釣り銭を財布に入れようとする、あるいは購入した商品を一生懸命にカバンに押し込もうとしている。その動作が結構長いお客さんがたまにいらっしゃる。その間私はどうしているべきだろうか?もちろんよく見知った方であれば、その間に世間話の一つも出てくるところだが、まったくの一見さんの場合だと、同じようには話し掛けづらいものだ。何とも言えない沈黙がふたりの間を流れるのだが.......。そういう場合でも私はやはり、お客さんがレジを離れるまではそこを動かず、お客さんが離れるときに再度一礼して「ありがとうございます」と言うようにしている。お客さんを残して自分だけがレジを去るのも、なんとなく失礼じゃないかな、という気がするからだ。しかし自分がお客の立場として他の店へ買い物に行って、同じようなシチュエーションになったとき、意外と私のことはお構い無しに、サッサとレジを離れてしまう店員さんは案外多い。先ほど、こういうのは何となく失礼じゃないかと思う、というようなことを書いたが、自分が客になってみると案外、ずっと自分に相対して立っていられるのも逆にうっとうしいかな、という気がしないでもない。まあこうなると原則論ではなく、結局はお客さんの性格次第、というように結論付けてしまわざるを得ないな。皆さんはどうだろう?
2007年06月06日
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ウチの得意先に、音楽用の「貸しスタジオ」をやってるところがある。以前私がバンドを組んで活動していたときに、よく練習用に使わせていただいたというツテで、そこに設置されている飲料の自動販売機の商品を納入させていただいているのだ。ただそこの自販機の売れ行きが、最近芳しくない。ビールも入っているのだが、そのビールがほとんど売れなくなったのは言うまでもない、例の「飲酒運転取締り」の影響だ。それだけならまだ納得もいくが、それ以外のソフトドリンクの商品まで、軒並み売上が落ちている。スタジオのオーナーと話しているときに、何となくその訳が解った。何のことはない、バンドをやる人口が減っているのだ。特に中高生のバンド熱というのが、以前とは比べ物にならないくらいに冷めているという。私が中高生の頃は、さほど音楽に熱心でなくても1回は何らかの楽器に手を出したヤツが結構居たものだが、今はそういうご時世でもないらしい。中高生の興味の対象が、昔に比べて格段に増えていることも一因だろうが、それでもここ最近急に減りだしたというオーナー氏の証言の裏付けとしてはちょっと乏しい。まあ他に何らかの原因が有るんだろうが、いずれにしても、音楽をやろう、という志を持つ人達が減っていくとしたら、それは単純に寂しいことだ。
2007年06月04日
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最近新聞などを見ていると、またまた新しい用語の登場だ。『第4のビール』確か『第3のビール』ってのは聞いたことがあるけどなー、とお思いの方も多いと思うが、この『第4のビール』ってのも今までは『第3のビール』のカテゴリーの中に入っていたものが、ここへ来て商品群が増えてきたために、従来の『第3のビール』と分けて考えなければいけなくなってきた、そういうものなのだ。具体的な商品名で言うと、キリン 『良質素材』アサヒ 『極旨』サントリー 『スーパーブルー』 〃 『金麦』サッポロ 『W-DRY』上の3つは既発売、下の2つはこれから新発売になる。もともと『第3のビール』ってのが何だかしっくり来ない言い方だが、これは『ビール』『発泡酒』とは異なった製法のもの(「ビールもどき」?)を総称するために出来た言葉だ。しかしこの『第3のビール』の中にも、ふたつの流派が存在する。麦芽以外の代替原料を発酵させる『雑酒流』出来上がった「発泡酒」と「スピリッツ」を混合させる『混合流』だ(名前は今私が考えた)。もちろん上に挙げた5品はすべて『混合流』だ。以前までは『第3のビール』のほとんどが『雑酒流』で、『混合流』はごくごく僅かだったから、何も問題になることは無かったのだが、ここへ来て先に挙げたような『混合流』の新商品が続々と新発売され、比率においてどんどんと『雑酒流』に近づいてきた。そうなると最早このふたつの流派を一緒くたに考えるのも無理があるということで、晴れて『混合流』が独立して、『第4のビール』と名乗るようになったのだ。とまあ、まるで相撲部屋の独立よろしく、『第4のビール』が成立したわけだが、何のことはない、これって単なる「マスコミ用語」に過ぎないのだ。じゃあ当のビールメーカーは何と呼んでいるかというと、『第3』も『第4』もひっくるめて『新ジャンル』という呼び方をしているのだ。『新ジャンル』というメーカーの呼び方も私からすれば、「もっとマシな表現は無いのかよ!」と言いたくなるようなシロモノだが、『第3』だの『第4』だのとマスコミに引っ掻き回されている現状も何となく面白くない。当の消費者の皆さんはおそらく、そんな細かいことはいちいち気にせずに、ただ味と価格で判断して飲んでおられるだけだろうからね。しかしここでフト思った。今後さらに今までにないような製法でビール風の飲料が出来るようになれば、そのときは『第5のビール』、『第6のビール』という形で登場するんだろうか?いい加減にして欲しいね。
2007年06月01日
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