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月食を見るのだったら、五時半にはおきなくてはいけないのに、「どうせ雨だろう」と油断したせいか、目がさめたら、もう7時。外はまだ暗いが月食は終わっている時間。そして・・・雨が降っていない。晴天とはいかないが、雲の切れ間もあるもよう。msn.ca を開いてみたら、”Super Blue Blood Moon" または、”Bloody Red Orange Moon" の動画がたくさんあった。それにしても、あの色を、血の色 とはまあ・・・、あまり、私の趣味ではない・・・などと負け惜しみを言いながら、寒い思いも、不用心な思いもせず、居間で数時間遅れの月食を見た次第。そして、日本の方々は、これから、しかも皆既月食をごらんになるのだろう。いつも、四時には目がさめて困っているのに、こういう時ばかりよく眠れるのは、緊張がたりないとしか言いようがないし、人生で最後のチャンスなのに逃したと思うと残念だが、ま、それだからといって、どうということもない。短歌的には、ちゃんと見て観察するよりも、寝過ごして残念がる場面の方が、成立しやすいかもしれない。
January 31, 2018
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息子の家に電話をしたら、息子が「Hello」と答えた。・・・・と思って、「あ、たかし・・・」と話し始めたら、「息子」が、笑い声で「Wait a minute! He is here with me」という。「え? 息子じゃなくて、孫だあああ!」ついこの前までは、ママさんと間違えるほどよく似た声だった孫が、このころ、変声期にかかって、声がしゃがれてきたので、「もうまちがえないぞ」と思っていたのに、今日は、父親と間違えてしまった!それにしても、よく似た声だ。すぐにお父さんに代わってくれるようなことを言っていた孫は、私があんまりびっくりしたのがおかしかったのだろう、笑いこけてしまって、なかなか代わってくれない。電話の声では、私もよく母と間違えられたものだけれども、血筋は争えないものだ。ま、孫が大人の声を出すまで生きていられたのが、そもそもありがたいということにしておこう。
January 31, 2018
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飢饉での死者を供養しながら、額に「阿」と書いていって数えたらら、京都のほんの都心部だけでも、42,300人に上ったという。あの怖かった神戸の地震でなくなった人の内訳が、兵庫県内6,402名(99.5%)・兵庫県外(大阪府、京都府など)32名(0.5%)であると考えると、淡路・神戸の被害者の人数がいかに多かったかが実感できる。どれだけの区画の中というのが、通りの名前で示されていたので、地図を参照しないと、わかりにくかったのが、「あずまえびす」の哀しさか。・・・・・・・・・・・・・ここで曰く、 「京の中、一条よりは南、九状より北、京極よりは西、朱雀よりは東」もし、私の住んでいるリッチモンド市の中での描写だったとして、「No1Rd より東、No.5 Rd より西、Westminster Hwy より南、Steveston Hwy より北」とか、だったら、私には、すぐその範囲がピンとくるので、昔の京都の地理をしっている読者には、こんな風に頭にはいってくる言い方なのだろうなあ・・と想像するし、「「京都の中心部」と書くよりも、具体的で記録的価値も出てくるというものだろう。
January 31, 2018
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未分類 「今月は、1日が満月で、また30日も満月。 月に二度満月があると、二度目はブルームーン。 しかも、地球と月の距離が短くなるスーパームーン。 その上、明日の朝 5時すぎから月食がはじまり・・・・」 と、丁寧に解説したあと、気象予報士さんが、「とはいえ、バンクーバーは、内陸の方の一部をのぞいては、今夜から明日は雨なので、たぶん、月は見えないでしょう」と、結んだので、思わず失笑。 しかし、夜になって、東の空を見たら、いつのまにか雨がやんて、春のような朧月の満月が出ていた。 うちは、東向きで西側の空は全く見られないのだけれども、早朝といっても、5時過ぎのことだから、念のため、明朝は外に出てみることにする。 ・・・・・・・・・・・・・ たとえ、明日の月食がみられなくても、英語にOnce in a blue moon.... という言い回しがあるくらい、ブルームーンの現象の回数は少ないし、それがスーパームーンとかさなる月を、見られたことだけでも、ラッキーということにしておこう。
January 30, 2018
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いよいよ食べ物がなくなったきた。 人々は工夫しては仲間・家族と分け合って食べるのだが、強い人が弱い人をかばう例が最後に出てきて、涙を誘われた。この段、文章が長いので、一行の字数をふやし、行間も1センチくらい狭くして書いたが、やはり、字は小さい方が、私にはむずかしい。全体を見まわして書くのが難しいので、字の大きさがだんだん変わってしまったり、墨継ぎがうまくいかなかったりして、残念。全部終わったら、もう一度、ここだけ書いてみたい。
January 28, 2018
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春・夏は日照り、秋は大風、洪水などが二年も続き、「五穀ことごとくならず」という養和のころ。私が子供ながらに覚えている戦後の食糧難が 彷彿とされるような描写が続く。時代が変わっても、たくさん共通するところがあって・・・。
January 28, 2018
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夫と、息子と、その息子が、ウルグアイとカナダのラグビーを見に行ったので、「じゃあ、女組も、なんかしよう」ということになり、息子の妻と二人で、夜の町へのアドベンチャー(?)として、パブに行った。女同士で、パブに行くのは初めて。けっこう、そういうところは、日本より不自由。(日本に住む女の人は、本当に自由だ。)あちこちに、テレビの大きなモニターがあって、サッカー、ホッケー、バスケット、ラグビー、ゴルフと、それぞれが一度に見わたせる。が、テレビは、音が出ているのかどうかわからない。なにしろ、ロックがはちきれそうにガンガン鳴っていて、人々の話し声もはんぱでなく大きいもので。「まあっ!」と一瞬ひるんだが、30分もすると、不思議なことに、自分も大きな声で話し、「音が苦」みたいだった音楽も、ちっともうるさくなくなって・・・。でも、落ち着いて、あたりを見回したら、私が群を抜いて、一番の年より。そして、なんとなんと、52歳になるヨメ君が、二番目の年より。それに気が付くと、またそれがおかしくて、お酒も飲まないのに、騒いでしまった。あとで、家族そろってみると、ラグビー組よりも、パブ組の方が、「土産話」が多かったりして。
January 27, 2018
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夫の父の37回忌、夫の母の27回忌 のお経を、文京区の大圓寺であげていただいた。子供達は、五人とも健在で、その家族を同伴して、お修めできたのは、ほんとうにありがたいことだと思う。大圓寺には、仏像彫刻家であった舅の作品がいくつもある。代表的なのは、この写真のみぎ手の馬頭観音と、十二面観音様。戦災で焼けた仏さまに代わって、終戦後すぐに作られたのが、右手の馬頭観音さま。舅四十代の作品だが、さすがに年代を重ねただけあって、しっとりと落ち着いた中にも、貫録のある雄型になっていた。ご住職は、これを、「ありがたくなった」と表現されていた。この仏様の奥にある部屋には、やはり舅の手になる子育て地蔵さまの像がある。この地蔵さまの頬のあたりの感じが、どこか姑に似ているのが、私にとっては、とても暖かい感じがして、「ありがたい」。
January 26, 2018
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方丈記(5)福原では、広さが十分でなく、都にするのには、無理があったらしい。福原は準備が進まないし、捨ててきた京都は、もうもとの京都でなくて、あれてしまっているし・・苦しいところ。――古都はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は、みな浮雲の思ひをなせり。--21世紀に、築地を豊洲に移すのだってずいぶん大変なのだから、まして、12世紀のこと、いくら清盛でも思うようにいかないことがいろいろあった。―― 世の乱れ瑞相とか聞けるもしるく、日を経つつ、世の中浮き立て、人の心もをさまらず、民の憂へ、つひに空しからざりければ、おなじ年の冬、なほこの京に帰り給ひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、ことごとくもとのやうにも作らず。---ついに、もとに戻ることにしたって、そう簡単にはいかない。でも、ダメだと判断したら、出発点に戻るのも大事な決心だったのだろう。この段は、他の段よりも随分長いので、字を小さくしたし、さらに横の幅をあわせなくてはならないので、ただでさえ、小さい字がもっと小さくなってしまった。・・・・なので。。。。。ここにUPしても、ほとんど、字は読めない。ま、それでも「書いた記念」にはなるからよいかもしれないが、やはり、字は読めてこそ意味があるので、むずかしいところ。
January 26, 2018
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11時の約束で、町に出た。東京の街中を歩いていると、かならず、どこかに時計があって、自分の電話や時計を見なくても、時間がわかるものだが、バンクーバーでは、ちょっと見渡したら、どこにでも時計がある・・・というわけには、いかない。雨が降っていて、手も塞がっていたので、電話を出すのも面倒で、そのまま歩いていたら、オメガの店があった。オメガといえば、時計屋。「あのウインドウをのぞいたが、時間がわかるかな?」と、美しい時計がたくさん並んでいるウインドウをのぞいてみたら、 Oh, no! 時計は、10時から11時まで、それぞれ自由な時間で動いていた。(もしかすると、とまっているかもしれない)いくら、Canada is a free country ! と言ったってねえ・・・。
January 25, 2018
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方丈記 の続き福原遷都。交易の活発化には、よい結果がでたらしいが、そして、今の交通事情から言えば、そんなに遠隔地への引っ越しではないが、当時、いかに大騒ぎであったのかが、よくわかる。度々書くようだが、同じことを、平家物語と違う視点で書いてあるので、読者としては、自分のものさしでよまなくてはならないが、そこが魅力。豪快なのは、家屋の引っ越し。取り壊して、淀川に流しておくり、福原で回収するらしい。
January 22, 2018
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だいぶ強く降っていた雨が、急にあがったらしく、ショッピングモールから出てきたら、大きな虹が出ていた。自宅は11階で、虹はよく見えるのだけれども、やはり、人間をしては、地上から見上げる虹の方が、いかにも虹という感じがする。この虹の橋のむかって右側の脚がでているようにみえるところ、丁度、そのあたりが、息子の働いているオフィス。こちらの言い伝えで、虹の脚を掘ると金の壷がうまっているという話があるのだが、そう思って近づくと、虹の脚は、すぐ逃げてしまう。今までで、自分に一番近いところから虹がたったように見えたのは、ゴルフ場での話だが、ほんの30メートルくらいしか離れていなかった。そして、追うと逃げるところが、いかにも宝物のようで、子供むけの話としては、むなしくて面白い。
January 21, 2018
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最近、同じ年齢の友人の中にも、パートナーの介護をしたり、自分が介護をうけたりする人が増えて、「介護」という言葉が、言葉以上の意味を持って身にしみるようになった。でも、私が日本にいたころには、あまり「介護」という言葉を聞かなかったなあ・・・とおもって、広辞苑を開いてみたら・・・・まず、第三版(1983年発行)には、「介護」という見出しの言葉はない。「看護」の項はあって「傷病人を介抱すること。看病」と解説されている。第四版(1991年発行)では、介護の項目があり、「病人などを介抱し、看護すること」として出ている。一方、「看護」の方は、第三版とまったく同じ解説。介護という言葉はできても、看護の一部であるように扱われていたような印象を受ける。それが、第五版(1998年版)になると、「介護」は「高齢者、病人などを介抱し、日常生活を助けること」「看護」は「傷病者に手当をしたり、その世話をしたりする。看病」となり、今、つかわれている概念が出てきた。で、日本の「介護保険」ができたのは、平成12年(2000年)。「介護」という言葉の概念が確立したから、「介護保険」にも使われることになったのだろう。小渕内閣のときにできたのに、小渕氏は、その恩恵にあずからず、64歳で逝去されたことなども、思い出される。(そういえば、カナダでは、介護保険という特別なものはないけれども、どうなっているのだろう???)第六版(2008年発行))では、第五版とまったく同じ解説で、どうやら、「介護」の定義は、第五版で確立したらしい。あと数週間で、第七版が発売されると聞いているが、そこではどのような定義になっているだろうか。もちろん、大事なのは、言葉よりもその中身だけれども。
January 21, 2018
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方丈記 3辻風 の被害の模様が出ていた。辻風というと、ちょっとしたつむじ風のようなものだと思っていたが、この場合は、もう、竜巻にちかい。もっとも、歴史に残るような建造物はともかく、一般人の住処などは、災害に弱い木造だったのかもしれないが・・・この治承4年というのは、1180年 安徳天皇即位の年。平家物語に出てくる京都の有様と比べて読んでみると、興味深い。ち
January 20, 2018
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月曜日にゴルフに行っていらい、天候にも仲間にも見放された日々。あまり歩かないと、夜中に足がつって目覚めてしまうので、今日は思い切って、晴れ・曇り・雨とめまぐるしく変化するなかを散歩にでた。あまり、重装備をしていったので、2時間半くらい歩いて帰ってきたら、汗びっしょり。それでも、雨の中でゴルフをするよりは、つねに傘がさせるし、屋根のあるショッピングモールに入ることもできるし、かなり楽だ。
January 20, 2018
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昨夜は、久しぶりによく眠れた。もしかすると、お習字は、睡眠薬になるのかもしれないと思い、今日は、方丈記の第二話を書く。一 よりも、有名でないけれども、書き出しがすごい。予、ものの心を知れりしより、四十余りの春秋を送れる間に、世の不思議を見ること、やや度々になりぬ。ですって! 鴨長明さんって、四十余りのときに、方丈記をお書きだったのか??? それとも、ものの心を知るようになってから、四十年余り というのだから、ものの心を知らないでいた期間が、その前にあったということか??それにしても、七十をすぎて、まだ「ものの心」がよくわかっていない私には、ショック。しかも、「知れりしより」という言い方も、むずかしい。「知れり」+「し」は、他であまりみかけたことのない言葉。「知るようになってから」という意味とはわかるが・・。たとえば、「行く」だったら、「行けりしより」という風に活用するのだろうか?内容としては、火事の様子が具体的に、こまかく写生されていて。こんなことなら、さしもあやふき京中の家を作るとて、宝を費やし、心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍る、とあって、まことにごもっとも。平家物語など読むと、戦術の一端として、簡単に家々や畑を焼き払っているように思えるが、ずいぶん迷惑な話だから、なにもかも無駄に見えるのが普通の感情だろう。 焼けたのが都の「三分が一に及べり」とあるから、分数の考えかたが、もうこの時代にあったのだとか、本筋から離れたことに感心したりして。さて、書き終えたら、もう1時半。いくら昨日、よく眠れたからと言って、火事の様子をつまびらかに読んで書いたのちに、すぐ眠ったら、悪夢でも見そうだし、ちょっと寝る前にお酒・・ということもできないし。さて、今夜はどうなることやら。
January 17, 2018
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雨の夜。 思うところあって、方丈記を書いてみることにした。これがその一。中学の国語の時間に、第一章だけは読んだのだが、その時にはあまり実感がなかったことが、今読むと、実によくわかる。特に、一時帰国をすると、この心境は、そのまま私の心境だ。とはいえ、「ああ、こういうことなんだ。だから、あれもこれも自然のことなんだ」と思いつつ書きはじめても、実際に書き始めてみると、今度は字を書くことに気持ちが集中して、精いっぱいで、内容への感動よりも、字の大小、墨の濃淡、行間の置き方などが気になってしまう。書き終わって・・さて眺めると、あちこちなおしたいところが目につくので、何回か書きなおしたが、急にちゃんと書けるようになるものではないことが、私にもよくわかっているので、こんなところで。 ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。たましきの都のうちに、棟をならべ、甍を争へる、高き、卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或は、去年焼けて今年作れり。或は、大家滅びて小家となる。 住む人も、これに同じ。所もかはらず、人も多かれと、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死し、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。 知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或るは露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或るは、花はしぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。
January 16, 2018
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毎日雨ばかりのバンクーバーで、今朝は晴れもよう。10月15日以来のゴルフだし、あまり好条件ではないが、とにかく、半分でもやってみようということで、夫とでかけた。夫の方は、昨日も、小雨(といってもつめたくて、ほぼ氷雨)の中で、ワンラウンドこなしてきたので、積極的。朝、霜が降りたので、今日のゴルフ場は、少し日が昇ってからの開場。私はプルカートを押したが、主人は、地面がやわらかいので、クラブの本数を減らして担いでのラウンド。他にも、寒さにめげない遊び人が、平日の朝だとうのに、ラウンド中。おっと、これは自然の闘いのあと。カモメを襲ったのは、コヨーテか、ふくろうか、それとも鷲か・・太陽が黒い雲の向こうに見え隠れしていて、たまには、地面に自分の影も見えるのだが・・・東京の青い空からは考えられない、午前10時22分の空。思えば、1月15日は、寒の入りではなかったかしら。 (16日だったかな?)柔道や剣道をする人たちが、寒げいこをして、鏡開きのお汁粉を食べる日????お汁粉は食べる人がいないけれども、鏡開きくらいしよう!
January 15, 2018
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月例短歌会のあとで、Kさんから、みんなに一尾ずつ、ビニール袋にいれた、大きくて重い魚がプレゼントされた。魚屋さんで見る、この種の魚よりも、ずっと大きい。この魚、うまれたときは全部オス。オスのまま育って、成長を遂げると、メスになり、卵を産むのだそうだ。「へええ・・・・。すごい」生物としては原始的な形だろうが、ヤルデハナイカ。Finding Nemo の Nemo(クマノミ)も、大人になると雌になるとどこかで聞いたことがある。手に伝わってくる重さが楽しくて、帰宅してすぐ出刃包丁をとりだしていたら、 夫が「どれどれ」と立ってきて、さばいてくれた。切り身二切れは、今晩用に、あとは一回分ずつにわけて冷凍して・・・で、早速、夕食は煮魚。肉厚でおいしかったので、さっそくメールで「鮃をごちそうさまでした」とお礼を書いたら、あれは鮃ではなく鰈だとお返事が来た。ちなみに、鰈よりも、鮃の方がお値段が高いそうだ。(逆に間違えないで、まだしも)「え? そういえば、確かめなかったわ。たしか、目がどちらを向いているかで区別するんだったなあ」と思ったが、写真もとらずにさばいてしまったので、今となっては、全体像を確認できない。この際、ちゃんと覚えておけたかもしれないのに、残念。和英辞書をひいてみたら、鮃も鰈も flatfish.なんとまあ、それでは、見たままではないか。そうか、英語圏では、あんまり区別しないんだ!!大雑把なのは、私ばかりではない・・・としておこう。
January 12, 2018
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「はれの日」の計画倒産で、折角の成人式に晴れ着を着られなかった人、晴れ着がないから成人式に出席できなかった人、そしてその晴れ着をかなりの金額で整えた人たちの損害などが話題になっている。もちろん、詐欺をした「はれの日」が悪い。ひどい。そして、被害者のおじょうさんたちは、本当にお気の毒だ。でも・・・・ でも、それを承知の上で、あえて言わせていただくと、「成人式」に、一人前になったという建前の「成人」が、自分では着付けもできないような装いで出席するという習慣がいつのまにか出来てしまっているのが、本当によいことなのだろうか?孫の成人式に振袖を買おうとしたら、縫製はカンボジアに出されていた・・という話を聞くが、縫うのも国内ではできなくなっている時代だ。成人式の後も、ちょっとした場所に着ていけるような、用途の多い服で、ちょっとおしゃれをしての成人式に戻ってもよいのではないだろうか。こういうことでもなければ、和装をすることもないから、和服文化を継承していくためにも一役かっているかもしれないけれども、実力相応、分相応のやりかたがあるのではないだろうか。 私は、成人の日に母が口紅を買ってくれたのを、よく覚えている。かなり大人になった気がしたものだった。最近は、高校生だってちゃんとお化粧をするから、まさか、今の時代には通じないだろうだろうから、特に、それがよいとは言わないけれども、なんだか、今の成人式は、実生活に沿わないような気がするばあさん」だという。そう思う自分が「いじわるばあさん」だということも、十分承知の上だけれども、ひとこと。
January 9, 2018
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久しぶりにバンクーバーの中心部にでたら、びっくりするほど、人がいない。夏なら、土曜日の街は人でいっぱいなのに・・・カナダ建国以来、150年を記念してのものと思う。しばらく来なかったので、私としては初めてみた。この2枚の写真は、別々のものではなく、このサインの字がピンクや緑に変化する。にぎやかな色が好きなカナダにしては、めずらしいやさしい色だと思う。
January 6, 2018
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図書館で、デズニーの「Beaty and Beast (美女と野獣)」のDVDを借りてきて見た。孫がハイスクールのミュージックの時間に、ミュージカルの練習をして、五月末に発表するのだそうで、数日前に、台本も見せてもらい、上演に際しての招待状を貰ったので、これは、その予習。映画の英語は、私にも聞き取れるのだが、劇場のせりふ、それも、歌になっているものは、ちょっと聞き取れにくいので。で、彼がもらった役は、ガストン という。(自分せりふや歌の部分には、黄色いハイライトが塗ってあったが、これがけっこう多い)主役のBelle (美しい という意味なのがわかりやすくてよろしい)と野獣(本当は、プリンス)の次にセリフも歌も多いが、対抗馬・・・といおうか、女性にはもてるのに、Belleの心をつかむことができず、野獣と張り合うが、負けてしまう、いわば気障なふられ役。うぬぼれで、ちょっとあさはか。その人格はともかく、大役で名誉だろうとは思うのだが、心配なのは、彼の声。今、変声期の最中で、このところ、ピッチはずっと下がって、しかもかすれていて、よく声が出ていない。 それで大丈夫なのだろうか? 本人に聞くと「大丈夫」というが、今の時期、あまり声帯に負担をかけるのはよくないのではないか・・・???ところで、どういうわけで、彼がこの役を貰えたか聞いてみたら、オーディションだという。それぞれ、自分のやりたい役を選んで、それについてのオーディションを受けたうえで、割り当てられるので、やりたい役でもやれない人はいても、やりたくない役をやる人はいないらしい。ということは、この子、ガストンをやりたかったんだわ。なるほど・・・。では、祖母としては、応援するのみ。それでも、村人もたくさんいるのだから、変声期の間は、村人役とか、舞台装置役くらいにしておいて喉を大切にしたらよいのにと思うのだけれども、両親はそういうこと、考えなかったのかな?・・・・などと、内心は気になっている。もっとも、他の子も変声期は同じだから・・・そんな勝手は、許されないのかな?なるべく声帯に負担にならない発声など、教えてくださるのだとよいけれども・・。
January 6, 2018
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Michael Wolf 著の Fire and Fury が 話題になっている。・・・・というか、昨日など、なんどもニュースに出てきてた。夫が読みたそうなそぶりで、ネットを見ていたから、40分もドライブすればすぐの国境を越えて、アメリカで買ってきてプレゼントをするのが「よい妻」というものかとも思ったが、往復すれば半日仕事だし、そこまでして買わなくても、もう少し待てば、ご近所の図書館に入るのも時間の問題。それに、話題の本を発売当日に買うなんて、本屋さんに行って品切れのこともあろうし、能率的でない。それに、私は、お金を払って、体力を使ってまで人の悪口を読むのも気が進まない。夫だって、ちょっと本に関心をしめしたくらいで、すぐに、その本を買ってこられたら、これからうっかり本の話題もだせなくて、窮屈だろう。ただ「こういう本がでたねえ。明日発売だねえ」というだけの感慨かもしれないのに。ところが、さすが21世紀。「電子版も同時発売だ」と、これもネットを見ていた夫が言う。それなら、紙の本より安いだろうし、買いに行く手間もかからないし、がぜん、その気になった私が「じゃ、買おうか」と言ったら、「いや、こんな本に20ドル近く払うのはばかばかしい」と今度はあちらが消極的。どうやら、結局のところは、うちでは、買わないことになりそう。世間様では、どういう反応が出るのだろう?
January 5, 2018
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「つまらないことをする人がいるもので」と言ってしまえばそれまでだけれども、朝から何度も、ニュースで放送されて、いやな気分になる。カナダのためにも、日本のためにも。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・A Vancouver musician could be facing serious jail time in Japan after being accused of trying to smuggle almost 10 kilograms of drugs into the country.Daniel Whitmore, 44, was arrested on Dec. 11 at Narita International Airport for allegedly smuggling stimulant drugs with a street value of more than $7 million. The drugs were allegedly concealed in a guitar case and tea canisters.Whitmore was the lead singer of Powerclown, an Iron Maiden tribute band whose members wear clown makeup. He performed under the stage name Dicksee Diànno, a tribute to original Iron Maiden lead singer Paul Di’Anno. He also performed under the name Dan Scum・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一方、この事件、日本のニュースでは、「自称 ミュージシャン」とあるが、彼は この件で、ミュージシャンとしての活動ができなくなりそうだから、「自称」にされてしまったのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・覚醒剤約10キロをギターケースなどに隠して密輸しようとしたとして、カナダ人の男が逮捕・起訴されました。 カナダ国籍の自称・ミュージシャン、ダニエル・バートン・ウィットモア被告(44)は11日、覚醒剤約10キロ、6億2700万円相当をギターケースに隠して密輸しようとした罪で起訴されました。検察などによりますと、成田空港の税関検査場で、大量の汗をかいているウィットモア被告を不審に思い、手荷物をX線検査で調べたところ、大量の覚醒剤が見つかったということです。これまでの取り調べに対し、ウィットモア被告は「カナダで中国系の人物から依頼されたギターケースなどを運ぶことになった」「成田市内のホテルで受け渡しを行う予定だった」などと供述しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
January 5, 2018
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両親の仕事はもう始まったが、学校はあと数日休みになっている中学生の孫。カナダの法律では、13歳からは一人でで家にいてもよいことになっているのだが、一日中となるとあまりうれしくないのか、朝から、うちに来ていた。彼は彼で、宿題をしたり、本を読んだり、スマホをいじったり、日課の腕立てふせをしたりして、私たちも私たちで、普通の日常の暮らしをしていたのだが、一緒にランチを食べたあと、気分転換に、彼と私で、アパートのリクリエーション・ルームに行き、どちらかが5セットとったら勝ちと決めて、卓球の真似事をすることになった。もちろん、どうせすぐに、私の負けになるだろうと思っていたら、案の定、手が出ない。でも、4対1で私がまけていて、あと1セットとれば、彼の勝ちが決まるという場面で・・・「あれ? なんだか打ちやすいタマが来はじめたような・・! 」と、手加減されていることに気づいた。「おやおや」と思ったが、魚心あれば水心。かまわず頑張って、4対4までもっていったら、さっと次の1セットとってしまい、たちまちに、5セットとった彼の勝ち。おまけに”Good Job !"などという。以前は、インチキしても勝とうとしていたヤツなのに、なんと手加減をするようになったとは・・・。当然の成長といえば、そうなのだけれども・・・。しかし、本当の大人はもっと上手に「手加減」するものですわよ。
January 4, 2018
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朝から、濃霧。霧は、日本では秋の季語だそうだが、このあたりでは、秋よりむしろ冬。なかなか同じには行きません。
January 3, 2018
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マイナス気温だけれども、晴天に恵まれて、南南東から美しい初日の出。午前8時すぎですが・・・そして、夕方になるとスーパームーンが、北北東の 山の端から、しずしすと見え始める。
January 1, 2018
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2018年が、よい年になりますように。昨夜は、スーパームーン一日前の美しい月が見えたが、今日は少しお天気があやしいので、スーパームーンが見られるかどうか・・・。
January 1, 2018
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