全33件 (33件中 1-33件目)
1

南に飛んでいかないスノーギースが、秋にいた海沿いの湿地にはいないのに、いつも飛んでくるのをみたり、声が聞えていたりするのだけれども、どこにたむろしているのかと思ったら、今日、たくさんの群れがアパートに囲まれた中の芝山になった公園で食事中なのをみつけた。 少しまだらになった雪の芝山だったので、スノーギースが保護色になってしまい、まったく見えなかったのだが、たまたまその近くに用事があって車を止めてあたりを見回したら、すぐ目の前にたくさんにいるのだから、驚いた。スノーギースがたくさんいれば鳴き交わす声ですぐわかるはずなのに、その声がまったくしないということは、もう集まるべきものは集まり、しばらく飛び立つ気持もないし、交換すべき警報もないのであろう。黙々としたスノーギースなどは、初めてみたのでびっくり。 みんな下を向いて、芝の間の土をつついて何かみつけて食べている。湿原地帯にいるときよりも、すぐ目の前に集まっているのでよく見えるが、先方は私のことを少しも気にする様子もない。私には寒いバンクーバーの冬だけれども、鳥たちは今年はここで妥協して越冬することにしたらしい。まあ、アラスカよりはずいぶん暖かいのは確かだ。鳥語が出来たら、インタービューでもしたい気がする。
January 31, 2008
コメント(0)

ふたり児が母と遊びし中庭の雪に残れる足跡あまた
January 30, 2008
コメント(0)
TV JAPANを見ていると、いろいろショッキングなニュースがあるけれども、中でも冷凍餃子に殺虫剤の成分が入っていたというニュースは怖い。日本の(中国製)冷凍食品は、カナダでもたくさん売られているが、中国系の店にはそういうニュースがとどかないらしいから、買う人の方で気をつけなくてはならないと思う。うちでは、冷凍餃子を買うことはないのだけれども、他のものなら安心できるかというと、また別問題だし、冷凍餃子が全部あぶないかというと、そういうわけでもないだろう。あまり神経質になっても暮らしていけないが、避けられるものは避けた方が・・・。そんなことを考えていたところに、日本の友人からメールが来て、「自分の家の冷凍庫の中にも同じ商品がありました」と冷凍庫に冷凍枝豆などとならんで冷凍餃子の袋が2つならんでいる写真まで添付されている。なんだかいささかうれしそう???「威張ってないで早く処分しなさいっ!」てば・・・。
January 29, 2008
コメント(0)
明治神宮春の大祭奉祝献詠歌募集要項が届いています。すでに、メールメールアドレスのわかっているカナダの短歌愛好者の方や、グループのお世話役の方にはお知らせをしましたが、念のため、ここにもUPしておきます。ご興味のおありの方、どうぞ応募してみてください。カナダの方で、応募用の葉書ご入用の場合は、「メールを送る」のタブからご連絡ください。私が多少お預かりしていますので、お送りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治神宮春の大祭奉祝 献詠歌募集要項 一、献 詠 歌 未発表の近詠(一人一首) 小・中・高生の献詠もお待ちしております一、用 紙 はがきに限る(詠草は楷書で氏名には振仮名を付す) 郵便番号・住所・氏名・電話番号・年齢を明記 (小・中・高生は、校名・学年も記すこと)一、締 切 日 三月十四日(金)必 着一、選 者 太田絢子・来嶋靖生・藤岡武雄・森岡貞香(敬称略五十音順) 一、選歌発表 五月六日(振替休日)歌会当日 於 明治神宮参集殿一、賞 一 般 特 選 一〇名 記念品贈呈 入 選 二〇名 記念品贈呈 佳 作 一七〇名 記念品贈呈 小・中・高生 秀逸作 若干名 記念品贈呈一、送 り 先 〒一五一-八五五七 東京都渋谷区代々木神園町一―一 明治記念綜合歌会 〇三(三三七九)九一二三 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一、 献詠歌奉奠奉告式 1、日 時 五月六日(振替休日)午後零時三十分 2、場 所 明治神宮御神前 一、第百十八回明治記念綜合短歌大会 1、日 時 五月六日(振替休日)午後一時 2、場 所 明治神宮参集殿 3、歌会内容 一、入賞歌発表一、表彰一、講演 連続短歌講座《昭和の女性歌人》 第五回「斎藤 史―物語と短歌」講師 佐伯 裕子 氏一、選評 ◎ 会 費 不 要 ☆来会者には作品集を贈呈致します ☆作品集郵送ご希望の方は三百円分切手同封の上お申し込み下さい ※特選・入選・佳作・小中高生秀逸作に入賞の方には歌会前に予め ご通知致します 主 催 明治記念綜合歌会 〇三(三三七九)九一二三
January 28, 2008
コメント(0)
紅茶の香まゆげに沁みて晩秋はさびしいばかりでもなし 人よ(小島ゆかり『憂春』)昨日の欄に眉を主題にした3首をUPしたせいで、眉の歌のことが頭に残っていたのかもしれない。他の本を読んでいても、つい眉の歌のところで立ち止まってしまう。むさしのコスモス171号の「歌ごよみ」に佐藤典子さんがこの一首をとりあげていらっしゃる。「まゆげに沁みて」に肌でとらえた実感が伝わってくる と述べられていて、私も賛成。この作者には、晩秋に何かよいことがあったような感じさえする。
January 27, 2008
コメント(0)
紅茶の香まゆげに沁みて晩秋はさびしいばかりでもなし 人よ(小島ゆかり『憂春』)一昨日の欄に眉を主題にした3首をUPしたせいで、眉の歌のことが頭に残っているのだろう。他の本を読んでいても、つい眉の歌のところで立ち止まってしまう。今日は、むさしのコスモス171号の「歌ごよみ」に佐藤典子さんがとりあげたこの一首に目がとまった。そうそう、『憂春』の最後にこの一首があったのを読んだことがあったっけ。佐藤典子さんは、「まゆげに沁みて」に肌でとらえた実感が伝わってくる と述べられていて、私も賛成。ためしに、大きなマグカップで紅茶を飲んでみたら、傾けたカップから湯気が「まゆげ」にあたってきた。でも、そこから「晩秋はさびしいばかりでもなし 人よ」と展開することができるのが、作者の力量なのだろう。晩秋に何かよいことがあったのかな?
January 27, 2008
コメント(2)
バスで、バンクーバー市の中心部に行った。天気予報では雪がいつ降り出すかわからないと言っている寒い曇り日。急いで用事を済ませて帰ろうとすると、バス停の近くの道路の上に、中味のはみ出た布団を頭からかぶって目の周辺だけを出した女性が座り込んでいる。彼女の前には、Hungry and Broke と書いたダンボールの切れ端と、スターバックスの発泡スチロールのカップが一つ置いてある。夏にはそういう人を何人か見かけるし、中には、郊外の豪華邸宅に住んでいて、町の中心部に「出勤」してくる人もいると新聞に出ていたりするので、あまり気にしないのだけれども、この寒さの中、舗装された歩道の上に冷たい思いをして、座っているのは本当に困っているのではないだろうか。バスを待つ間、つい彼女の方に目がいってしまうのだが、目から鼻にかけて見える顔だけから判断して、まだ若い白人女性。時々、目が閉じて、ガクッとなっているから、眠りそうになっているのか、気が遠くなりそうなのか・・・。バス停で待っている人たちの、何人かがチャリンと硬貨をあげていたが、そのチャリンにも彼女は朦朧とした感じで口を少しうごかしてthank you を言っている気配がするだけだ。こんなところを、彼女の親が見たらどんな気がするだろうか・・と思うと、落ち着かない。同じように彼女を気にしているらしい人と目があったので、「大丈夫かしら?」と言ってみたら、「この寒さで心配だから、今、警察に電話したところ」と言うので、ひと安心。プロの手にゆだねたのなら、シェルターもあると聞いているし。そこにバスが来たので、私はそのまま乗ってしまったが、警察はあれからすぐ来て、彼女を適当はシェルターに収容してくれただろうか。
January 26, 2008
コメント(5)
高校時代に、Birds of a feather flock together. ということわざを覚えた。「鳥は同じ種類が一緒に行動する」という意味で、日本のことわざでは「類は友を呼ぶ」にあたるという先生の説明を理解はしたのだけれども、当時はあまり鳥があつまるところを見たことがなかったので、実感はしていなかった。しかし、後年、カナダに来てから、同じ羽をした鳥が一緒にたむろしているの情景を実にしばしば目にする。一緒に大群になって渡っていくスノーギースはもちろんだが、鴨も鴎も雀も燕も・・鳥はじ種類のもの同士、一緒に行動するのをみかけることが多い。お互いの群れがすぐ側にいても、ちゃんと目に見えぬ境界線があって、かたまっているのが面白い。今日も今日で、鴨とスノーギースがゴルフ場の同じフェアウエイに群れているのだけれども、まったく交流せず、争いもせず、きちんと分かれているをみかけた。
January 25, 2008
コメント(0)
飲む食べる見る聞く話す嗅ぐ吸うとその内どれもかかわらぬ眉(新谷道子*)(* は新仮名使いのサイン)コスモス1月号を読んでいたら、こんな歌に出会った。なるほど、なるほど・・そういえば、その通り。でも、眉で人の表情は随分変わるし、なにかの役にたっているのではないだろうか?あまり実用的なものだはないかもしれないけれど・・・とか思いながら読み進んでいたら、他にも2首、眉の歌を見つけた。苦心して描きたる眉の右左ととのはぬまま一日過ごす(冨家喜代子)せっかく苦心して描いたのに、きっとなんだか落ち着かない一日だったと思う。そういうお悩みの方には、最近では、眉毛は全部抜いてしまって、眉毛の形の刺青をしておく方法もある。その刺青の上にサッサッと眉を描いたりして。「安いモンですよ~。」と、やっている方からうかがったけれども、安いとか高いとかは、その価値観の相違だから、なんともいえない。ただ、苦心しないで描けるし、左右はととのって仕上がるのだけは保証付き。かと思うと、最近は、若い男性たちも、眉の手入れをするらしくて、ドラフトに指名受けたる球児らはをみなの如く眉整へぬ(奥山勝子)という歌もあった。おしゃれ~!何に役立つのか解らないように言われながらも、眉はけっこう注目をあびているではないか。
January 25, 2008
コメント(2)

寒くてよく晴れた日。夫とゴルフ場に行った。今年になって三度目。ゴルフ場はコチコチに凍っていて、クラブで地面をたたくと、カンカンと金属音がする。池にも氷が張っていて、ボールがカーンと弾んで、向こう岸に行ったり、まあなんだかとてもゴルフではなかったけれども、スノーギースの写真をたくさん撮ることができた。何しろ、広いゴルフ場に、どうみても10人以下しかプレイしていないのだから、スノーギースばかりでなく、鳥たちはすっかり安心してくつろいでいる。いつもの年なら、今頃メキシコ近くまでいっているはずのスノーギースも、今年は中継集合地であるはずのバンクーバーに、まだたくさん居る。 ほ~んのちょっと、そこまで行くだけでも、ちゃんと律儀に矢になって・・・ たくさん散らばると、空に胡麻を撒いたような・・・ こちらに向かって横に広がり、かなりのスピードで刻々と近づいてくるのは、かつて日本に飛んできたB29の編隊みたい・・・・(いえ、映画で見ただけですけれども。)今のところ、人間を襲ったりすることはないけれども、あれに一斉に襲われたら、ヒッチコックの映画「鳥」みたいになりそう。10月に見たスノーギースたちは、海岸の湿地帯沿いに飛んできて、飛んでいったけれども、1月になってみかけるスノーギースたちは、もう少し(といっても1キロ以内)陸に上がってきている。雨が多くてこの当たり全体が湿地帯のようになっているから、餌もとれるようになったのかもしれない。大所帯を養う餌を確保することの大変さを思うと、スノーギースの隊長というか、リーダーといか、ボスというか・・そういう役を果たしている鳥に、感嘆の思いだ。
January 24, 2008
コメント(0)
地元の邦字新聞であるバンクーバー新報に、バンクーバー短歌会員の作品を以下のように投稿した。1月31日版に掲載の由。バンクーバー短歌会会員作品ひたひたと嵩を増しつつ満ち潮が河口に淡き光を運ぶ(のりこ) ささやかな今日のよろこび板の間を雑巾掛けすピッカピカにす(ふみ)月光(つきかげ)に包まれてまろきつぼみ持つ桔梗は庭に白く浮き立つ(みき)訪日の旅より戻るわれを待つ楓は深紅のころもをまとふ(みちこ) 軒端よりしたたる雫冷え込める朝(あした)小さき氷筍となる(よしこ)ひとひらがはらりと落ちてそののちを一度に薔薇の花くづれたり(蓮仁)団栗をくはへて道を渡らんと栗鼠はきよろきよろ安全確認(茜) 生ごみを深く埋めし庭畑にイタチは夜ごと通ひくるなり(あき)目庇に雨のしづくの強まりて鍬持つ腕をしたたかに打つ(粟)我が髪を洗ふ娘の口ずさむ「上を向いて歩こう」に心和みつ(市)磯凪に貝を拾ひし吾子なりき残照遥か似たる子の見ゆ(唐)わが裡に林檎の木あり寒き日は心温めて守りゐるなり(梢)陽だまりに母と洗ひし大根の木樽の水の冷たかりしよ(沙羅)雲海を抜けて飛び行くジェット機の窓越しに見る紺碧の空(すみえ)満たされぬ気持追ひやり前向かん甘きケーキをせつせと食べる(希)老後とは短気になりしわが性と蛍光灯の夫との葛藤(とみこ)青曇る翡翠の玉のマスカット一房を秋の真水に洗ふ(友)枝剪りし葡萄の幹にあふれ出る液したたりて土を打つ音(奈津)
January 22, 2008
コメント(0)

昨日、今日と、寒かったけれども、晴天で空も山も美しい日だった。朝は、山の向こうがわから、空を赤く染めて日がのぼり 夕方になると、夕陽に赤くそまった雪山の上の青空に、白い月が凍りついたようにかかる。 夜になると、星空がすばらしいのだけれども、それは写真にとれなくて残念。♪こおれる月影空にさえて~♪と、昔むかし覚えた歌が口をついてでるのは、こんな日だ。雄大な自然現象は、感動して写真にとっても、なかなかその感動を画面にのこせず、月などは中空に小さい丸が浮かんでいるだけだ。縮小する前の写真はもう少しましだったのだけれども・・・と思っても、何の助けにもならない。カメラの目は冷静だから、私のようにやすやすと喜んではくれないのだろう。
January 21, 2008
コメント(0)
ピーダセン富子歌集『むくろじ』を読む。ピーダセン富子さんは、バンクーバーの短歌会の会員。定年退職後、短歌を始められて10年、「カナダに来てからの足跡を短歌に託して残しておきたい」と、この度一冊をまとめられた。掲載されている作品には、バンクーバーの歌会に出されていたものが多いが、歌会で他の人の作品にまざった一首を読んだときよりも、歌集という場を得て、同一作者の多数の作品がかもしだす雰囲気の中におかれた一首を読むときの方が、しみじみとした味が感じられ、一首一首がのびのびと息づいているように思った。以下に、私が感動した歌の十首選をして、感想に代えることにする。天と地を揺さぶるほどに鳴き鳴きて雁の大群アラスカ目指す最初にこの一首を読んだ当時は、上の句が大げさな表現に感じられたのだけれども、その後、白雁の移動をしばしば見るようになり、これがまさにその通りだとよくわかるようになった。この大群の鳴き交す集団の声といったら!長い距離をわたるのに、あんな声をだしてエネルギーを使って大丈夫なものかと疑いたくなるほどだ。北国の夜は湖からのぼり来てあび鳴く声に夕暮れむとす「あび」は英語ではloonと呼ばれ、カナダの国鳥で1ドルコイン(「ルーニー」と呼ばれる)の図案にもなっている。この鳥の静寂の中に吸い込まれていくような鳴き声を思うとき、この一首に漂う寂寥感が身にしみて感じられた。ゆくりなく出会ひし君と今日ありて秋深き日に銀婚祝ふ「ゆくりなく」という言葉はあまり使うなといわれているけれども、大勢の人々の中で「君」に出会う確率は、もう「ゆくりなく」とでも表現するほかはないと、作者が思ったのだろう。しみじみとした思いがあふれた一首。夕光(ゆうかげ)に映えて輝くキングサリ風吹くときに翳りて動く「キングサリ」は、黄花藤のこと。棚から金色の鎖のように幾筋も幾筋もたれて、それはそれは華やかに、美しく咲く。この歌を最初に読んだときは、そのことを知らなかったので、説明をきいて「そういうものなのか」と思っただけだったが、その後、植物園で満開の黄花藤を見る機会に恵まれ、この下の句の表現の的確さが理解できた。(その時の模様は、ここをクリックしてごらんください。)(どうも、私はこの作者よりも、数歩遅れたところを歩いているらしく、しばらくしてから分かるようになった歌が多く、歌会に出されたころにはよく理解できないで失礼していたと、今にして思う。)手の届くばかりに機首を落とし来て尾翼に光るJALの眩しさ空港に近いところに住んでいると、飛行機の離着陸または、その寸前の姿を目にすることが多い。そんなとき、その飛行機がJALだったりすると、ふっとまた、他の国の飛行機とは違う感慨が湧く。その微妙な感じと、実際に太陽の光を反射している眩しさととが、結句の「眩しさ」に込められているように思う。闇深き車窓にうつる吾が顔に夫が笑みかけハノーバーに着く長旅の末についたハノーバー。ふと気がつくと、車窓にうつる私に、夫が笑みかけている。「やっと着たね。君と一緒に来たいと思っていたハノーバーだよ。疲れていないかい?」と、これも窓に映る夫君の笑顔が尋ねていた・・・かどうか。これも、一首だけ歌会でみたときには、「日本人と結婚するとこんなにはやさしくしてもらえないのよ」みたいな僻み気分で見てしまったけれども、歌集の中で、ご夫婦の歴史の一場面としてみると、とても暖かくて、すばらしいご夫妻の愛情表現に思えてきた。夜の旅の疲れも癒された「笑み」であったことと思う。あくがれのウインターパレスに対ひ立ち思ひ極まり夫の手握るロシアでの旅行詠。ウインターパレスがどこであるかは私には分からないのだけれども、とにかく、作者の憧れの場所である。その前に二人で立ったとき、「思ひ極まり夫の手を握る」が、とてもかわいらしい。私も、一度は行ってみたいと思っている憧れのアルハンブラ宮殿の前に、夫と一緒に立つことができたら・・・・さあ・・・二人とも、こんなに素直でないから、知らず知らずに手を握りあうようなすてきなことにはならないだろうな。残念。縁台に蚊遣りを焚きて父も居り祭りの夜は素麺を食むとても懐かしい情景。「縁台」「蚊遣り」「家族で食べた素麺」・・・みんな、作者の郷里での思い出に繋がる。わけても、そういう場所には常にいらしたお父上を思いだすと、作者の心は少女時代に戻れるのではないだろうか。思ひ出の大方はもう昇華され八幡宮への参道あゆむ八幡宮への参道は、何か辛い思い出と繋がるのかな? そこを乗り越えてよかったことも辛かったことももう一つ上の「何か」に昇華して、気持の落ち着きを得た作者の心境がわかる。・・・が、本当かな? 思い出の大方を昇華してしまうには、まだまだお若すぎると思うけれども。老いといふ言葉を先に追ひやりて昭和一桁まだまだ頑張る歌集のむすびの一首。頑張ってください。頼りにしていますから。
January 20, 2008
コメント(0)
早朝2時半から1時間、TVジャパンで、「歌会始」を見た。元気というか、熱心というか、ちょっと自分でもあきれるけれども、夜更かしは得意なほうだ。放送が始まる1時間ほど前に、もうあまり眠いから寝てしまおうかと思っていたら、北日本新聞の記事を香川県のAさんから教えてくださるメールが入り、そこの記事を読んでいたら、だんだんに目が冴えてきた。やはり、富山の新聞は、富山出身の歌人として宮氏についてくわしい。他の県でも、やはりそれぞれ、自県の人、または自県の出身者についてくわしく取り上げているのだろう。それも暖かくてよいものだ。私も、歌会始の中継を、最初から最後まで見たのは今回はじめてだが、「コスモス発行人の宮英子氏が召人でなかったら、こんなに詳しくはみなかったかもしれない。」と思うと、画面に見える一人ひとりのうしろに、応援団がついているような気がしてきた。式次第は、私の日常とはまったく違うリズムで進行して行く儀式で、ひとつひとつが珍しかった。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。* 朗詠された作品は、ここをクリックすると出てきます。* ビデオも撮りました。バンクーバー短歌会の方たちでご希望の方にはお貸ししますので、ご連絡ください。
January 19, 2008
コメント(2)
過ぎゆきて時間は厚き層をなす戦争もまた旅の彼の日も(鈴木英夫)これはコスモスの鈴木英夫先生が90歳のときに発行された『菩提樹』の扉に、署名と共に書いてくださった一首である。きっと、『菩提樹』の中の一首だろうと思って探してたが、出ていない。『壁画』の歌はほとんど覚えているから、『壁画』でないこともたしかだ。内容から言って、そうお若いときの作品とも思えない。では・・・と、作者である先生にお聞きしても、「さあ、どこに出した歌だったかなあ。ワスレタなあ。」とおっしゃる。ま、それもいい。とにかく、扉に書いてくださるくらいだから、きっとご自身も気に入っていらっしゃる一首だろう。過去の時間が、「厚き層をなす」という表現に、先生が大事に生きてこられた年月の積み重ねを見る思いがする。その鈴木英夫先生、今年は8回目の年男だそうだ。今度のお誕生日の2月9日で96歳になられる計算になる。年男というからには、今年の節分いは豆まきをなさるのだろうか?福も鬼も区別なく、みんな暖かく迎えてしまいそうな先生だけれども。(内祝いに、ご家族からバンクーバーの会あてにお菓子が届いたそうだ。今まで「8回目の年男のお祝い」など、どこからもいただいたことがない。そんな意味深いお菓子を、食べてしまってよいのかしら!)
January 19, 2008
コメント(0)
今夜、ではなくて、正確に言えば明日(19日)の早朝2時半から、TVジャパンで、「歌会始」を放送すると番組表に出ているのに気づいた。今年の召人は、所属結社コスモスの発行人の宮英子氏なので、なるべくは見たいのだけれども・・・・さて、ちゃんとおきていられるかどうか。昔なら頑張ったのだろうが、今は、ビデオ録画などという手があるので、がんばりが利かないかもしれない。(TVジャパンを配信しているニューヨークとは、3時間の時差があるバンクーバー。ニューヨークだったら、朝5時半にみられる番組が2時半になってしまう。)
January 18, 2008
コメント(0)
日本語放送を見ていたら、ニュースでセンター試験、英語のlistening の準備の様子を見せていた。たとえば、東工大。鳥の声がうるさくて聞き取れにくいという苦情が受験生からでたという過去の経験から、窓に板を打ち付けて塞いで音が入ってこないようにしてある。まあ、いろいろな会場で一斉にする試験であるから、どこで受ける人もなるべく同じような条件で受けられるようにと、主催者が万全を尽くすのよくはわかる。受験生への心遣いだ。ただし、言わせてもらえるなら、そんなに静かなところで耳を澄まして言葉を聞き取るという場面は、実際の暮らしの中では、特に都会の場合など、ごくごく特殊なケースなのではなかろうか?たとえば、誰かを呼び止めて道を聞くという場面を考えても、そこには、車の音はするし、他の人の足音もするし、話し声や笑い声が入ることもあろう。無事大学に合格して、卒業して一流企業に勤めても、会社では自分が電話をかけている側で、他の電話をかけている人の声もするだろうし、コンピュータのキーボードを叩く音もするだろうし、人の行き来もあるだろうし・・・どの国の言葉でも、人の話を聞き取るということは、そういう普通の日常の雑音の中から、神経を集中することによって、聞くべき言葉を掬いとることなのではないだろうか。環境をベストに整えて聞き取らせるのも、試験の方法の一つとして「便宜上」必要なのだろうけれども、将来的には、あんまり細かいことに神経をたてないで、普通に言葉を聞き取ることができるようになるように、大学在学期間の課題として心がけてほしいと思う。そうでないと、あまり実際の役には立たないだろうから。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 受験生としてはわりと英語の成績がよかったけれども、カナダに来てみたら、「馬鹿じゃないか」と思われた(にちがいない)経験のある人からの述懐であります。
January 18, 2008
コメント(0)
ふと思いついて、題詠blog2007のページを訪ねてみたら、2008年の準備が整っていた。タイトルは題詠blog2008.2月1日~10月31日:参加受付2月1日~2月15日:題の募集 ※くわしくはカテゴリの「お題リスト」をクリック2月29日:題の最終発表 ※作業の都合上「011~100」は16日以降に随時発表3月1日~10月31日:投稿(トラックバック)期間というタイミングで、出された題にそい、10月31日までに100首を詠んでいく、五十嵐きよみさん主催の行事。催しの趣旨も、参加の方法も、規則もすべてここにUPしてある。(一緒に参加してみませんか?)自分ではとても思いつかないような不思議な題がでることもあるが、それを考えているうちに、思いがけない歌ができたりするのも楽しい。インターネットが通じる環境にいれば、世界のどこにいても参加することができるのも、日本の外に住んでいる者にとっては特にすばらしいことではある。
January 17, 2008
コメント(0)
上階の人の足音やみしのち日の辻休み我は楽しむ(高野公彦『天平の水煙』)一戸建てからマンションに引っ越してみると、上階の人の足音が意外に気になる。今の我が家の上階の人は、シフトで働いているらしく、朝の2時をすぎると急に足音がするようになる。入居のときによく調べたはずだったけれども、思ったよりも安普請のようだ。高野氏の場合、昼間だとはいえ、書き物をなさったり、考えごとをなさることの多いお仕事だから、上階の人の足音は、やはり気になりそうだ。でも、それでは、その足音がやんでからは、仕事が猛然とはかどるようになるかと思うと、そういう予想は裏切って「日の辻休み」(昼寝)をなさるのだから、ご本人も楽しそうだが、読む方も楽しい。「日の辻」が「真昼、正午」などのこととは、この一首を読んで辞書を引くまで知らなかった。まして、「日の辻休み」が「昼寝」のことだともしらなかったが、なんとなく、「昼寝」よりものんびりした雰囲気があるような気がする。
January 16, 2008
コメント(2)

今朝は、寒かったけれども、今年初めて美しく晴れて、日の出も輝かしかった。 明るくなってくると、雪を被った山が白く輝いて、「冬麗」という言葉がぴったり。 池にも氷が張っていた。 空気はつめたくて頬にピンピンと刺すようだけれども、なかなかフレッシュで気持がよい朝だった。「カナダ」というと、こういう日が多いと思われがちだが、カナダも広いので気候もさまざま。バンクーバーでは、冬にこんなに美しい晴れの日は数えるほどしかない。
January 15, 2008
コメント(0)
3才9ヶ月になる孫とボール遊びをしていたら、たまたまうまくノー・バウンドで受け止められた彼が "I catched it!" と喜んだ。あら、あら、catch の過去は caught でしょうに・・・と思ったが、せっかく喜んでいるのだから、それとなく "Good, you caught it!" と受け流す。catched がどことなく変で言いにくいことには、じきに気がつくだろう。そんなことを喜ぶ祖母ではいけないのだが、母語として英語を覚えようとしている子供でも、私たちが中学生のときにしたかもしれないような間違いをするのだと思うと、なんとなくうれしくなる。
January 14, 2008
コメント(0)
雨が止んだので、今年初めてゴルフ場に行った。雨の多い時期なので、ゴルフ場はぬかるんでいて、ボールを打つたびに柴の間に潜んでいる泥水が、べしゃっとあがってくるような「超重馬場」。したがって、「ゴルフ場に行った」とは言えるけれども、「ゴルフをした」とは言えるような状態ではないし、行く人たちもそれはまったく期待していない。で、そのゴルフ場に行ってちょっとおどろいたことが2つ。1)スノーギースが、まだたくさん居残り中。スノーギース(雪雁)はシベリアで夏をすごし、メキシコあたりで冬を過ごす。で、例年、バンクーバーあたりを通るのは、秋は南にいく途中の10月11月、春は北にもどる途中の3月末である。ところが1月も中旬になろうとしている今、鳴き交わしながら編隊を組んで飛んでみたり、湿原に下りて餌を食べてみたりして、まだ、海岸を雪が降ったような色に染めている。これって、どういうことだろう???2)白頭鷲も、まだ居残り中例年なら、子供が巣立つと一家揃ってどこかに行ってしまう白頭鷲だが、今日も、ゴルフ場に作った巣の上の方を2羽で旋回していた。そういえば、白頭鷲がたくさん集まって、冬を越すことで有名なブラッケンデールというフレーザー河の上流の地区では、今年は例年より鷲の集まりが少ないと新聞にでていたことも思い出す。かわいそうなのは、池に常住している沼鴨たち。一年中気の休まるときがないではないか。不忍池の鴨のように、太りすぎてとべなくなったとは見えないのだけれども、このあたりの餌事情がよくなったのかもしれない。
January 13, 2008
コメント(2)
バンクーバー短歌会 1月例会に出席。9月から体調をくずされ、10月に心臓冠動脈バイパスの手術を受けられた80代のKさんが、4ヶ月の欠席をはさんで、久しぶりに詠草も提出しての出席され、皆から大喜びで迎えられた。Kさんはご病気前よりも、却って顔色がよくなられたような印象だし、第一、声に力と張りが戻ってきたように思う。動脈が詰まって血行が悪かったところを、バイパス手術によって、ちゃんと体の隅々まで血が通うようになったから、顔色もよくなられたのかもしれない。(素人考えだけれども)もともと年齢よりも若く見える方だが、この手術で、うっかりすると60代の息子さんよりも若く見えそうなくらいに若返られたのは、うらやましい。結局、ある年齢以上になると、若さ=健康 ということになるのだろう。
January 11, 2008
コメント(2)
ちょんぎーす、アザース、オザース、すういっちょ、チョー、マジ、メッチャ、ちんちろりんこれだけを見て、小島ゆかりさんの作品だとわかる人は少ないかもしれない。でも、何度か音読してみると、わからないながらも、どことなく理解のできるような不思議な魅力を感じる。チョー、マジ、メッチャ は若い人の言葉だろうし、ちんちろりん は鈴の音か?これは、「歌壇」11月号に「夕月」のタイトルで二十首発表されているうちの一首。その前には、虫の歌が三首ならんでいる。黒粒のぶだうを食めばうつしみのまつくらやみに虫のこゑする虫の音のきはまりて止む空白のしばしはふかき壷中のごとし地の底で小坊主が鉦を叩くぞと放哉言ひき鉦叩き鳴くこう読んでから、冒頭の「ちょんぎーす・・・」を読むと、これはもう私でも、虫の声の表現だとわかる。繰り返して唱えてみたら、だんだんなじんできて、すぐ覚えてしまった。こういう歌を、中にちょっと挟めるような余裕が羨ましい。
January 10, 2008
コメント(0)

最近は、曇りや雨や雪の朝が多く、今年になってから朝日が昇るところを見たのは、今日が初めてのような気がした。日が昇るといっても、朝8時過ぎのこと。南南東の空が赤くなってだんだんに太陽が顔を出し、夕方も早々に南南西に沈んでしまう。「一応、顔を出しておきました」というおざなりな感じだ。数時間おざなりのように顔を出し冬の太陽温くもあらず南より南に沈む太陽が北に浮かばす冬空の虹 太陽の光自体も弱いのだろうか、今日の日の出は、「夜の太陽」のような不思議な印象だった。黒雲の向かふの空を赤く染め冬の太陽今昇り来る
January 9, 2008
コメント(0)

夜中に雪が降って、多少積もった。 朝までには雪は雨になったが、屋根の雪はまだ残っていた。薄暗いけれども、もう8時半。実際の温度よりも、さむざむとした気持にさせられる景色だ。こんなところで、冬のオリンピックをやっても、お客様が来てくださるのかしら? 右上の方に見えるライトの列は、通勤や通学の車。今は、朝でかける必要もなくなったが、暗いうちに子供を学校に送っていくのはかわいそうな気がしたし、仕事に出かけるのも気が重いものだった。まだ3歳半の孫も、薄暗い中を保育園に出かけている頃だ。樺太よりもまだ緯度が北なのだからしかたがないし、夏はその分、日照時間も長いし、晴れの日も多いのだから、文句を言えたものではないけれども。
January 8, 2008
コメント(2)
2006年4月にアルゼンチンに引越しをされたバンクーバー短歌会の会員羽生千恵子さんが、ご療養中だったところ、2007年11月9日になくなられた。(2006年4月22日の欄参照)今思うと、心が広く、考えが柔軟で本当の意味でのよい「おとな」だった羽生さんには、短歌会のみんながそれぞれ、どことなく甘えて潤滑油の役割を果たしていただいていたのがわかる。羽生さんを追悼して、バンクーバーでは、Kさんが数日のうちに「羽生千恵子さんの短歌」として、羽生さんがバンクーバー短歌勉強会に発表された短歌を冊子にまとめて配布された。バンクーバーを留守にしていた私は、つい数日前にその冊子を手にしたのだが、一首一首はすでに読んだものであるけれども、こうしてまとめて読むと、その人の雰囲気がとてもよく蘇ってきて懐かしく、また、新たな歌とであったような感動があった。特に心に残った5首を抽出して、やさしかった羽生さんのご冥福をお祈りする。一寸の青虫高く背をたてて吾を威嚇す五分の知恵もて 天も地も茜に染まる夕映えに長く尾を引くひとすじの雲 お相手をすれば持ちきて読めといふ同じ絵本のおなじ象さん 「孫の手」の世話になりつつ一人居の苛立つ気持やはらぎてゆく 願ひごとかけつつレーズンかみしめる十二個の夢 甘く酸い味(ブエノスアイレスでは1年12ヶ月の願いを12個のレーズン一つ一つにかけて、年越しの夜に食べます。)
January 8, 2008
コメント(0)
1月号を手にしてだいぶ日がたつのだけれども・・・12月号からの抽出。おはやうのh(ハ)音すずしき夫のこゑにわれのこころは充電完了(百留ななみ)こういう気持を、なるべく長く持ち続けられますように!やうやくに酷暑が逝きてすずしさがさびしさを連れ足早に来る(兼平佳津子)下の句がユニーク日本語にポルトガル語の併記さるるスズキ・ホンダの町の日常(森田由美子)ブラジルから働きに来ている方が多くて、スズキとホンダの工場のある町・・・どこの町だろう。作者は東京の方なので、旅行詠なのかもしれない。カラカラにシーツが乾く午後二時のまっ青な空とんぼ飛びゆく(寺沢恭子)★気持の良い秋の午後。現代かな使いが明るい表情に似合う。願ひごと言へば叶ふとふ吊橋のあまりのゆれに願ひごと忘る(鈴木盛子)私もきっと忘れると思う。今度から悩みのあるときに、吊橋に行こう。きっと悩みが忘れられる。たった一人此の世で出会ひし夫なりお盆迎へに何着て行かうか(川村檜露)下の句で、ご夫君が故人であることがわかり、結句でとてもすてきな奥様だと思った。三つある部屋の時計に遅速あり朝は遅きに会はせて起きる(熊野清)少しでも寝坊ができるように・・・。一番早い時計に合わせるのは、何をするときだろう?40.9度の気温に熊谷市わが町内は深閑とせり(目黒美沙恵)内陸にある熊谷は、天気予報図を見ても、関東で一番温度があがるようだ。私は40.9度はまだサウナ以外では経験したことがないが、そりゃあもう、町が深閑として当然である。「おばちゃん」と呼び止められて知らぬ子の逆上がり見ぬ犬と一緒に(美郷慧子)逆上がりができるようになったばかりの子供だろう。誰かに見てもらいたくてしょうがなくて、通りがかりのしらないおばちゃんを呼び止めた。子供の心弾みも、作者のやさしさもよく歌いこまれている。結句も楽しい。宵闇に降り来る雨の滴々を犬は額(ぬか)に受けわれは頭(づ)に受く(今井聡)あ、そういえば、その通りだ。捕らえたところが面白い。趣味・嗜好全く違うわが夫婦秋風吹けば共にくしやみす(武永裕美)★12月号は、仲のよいご夫婦ばかり!
January 7, 2008
コメント(0)

忘られてしやこばさぼてんは紅に燃ゆ喪の家に三日わがみたるもの(鈴木英夫『壁画』より)かつて、短歌研究賞を受賞した「柊二よ」の一連の中の一首である。「しゃこばさぼてん」は、クリスマスとイースターに花を咲かせるということで、カナダ英語では、Christmas Cuctus または Easter Cuctusといわれている。ところが、ちょうどその中間の季節にあたるこのごろ、うちの窓際の鉢に植えてあるしゃこばサボテンがたくさん蕾をつけていると思っていたら、今日、いくつか花が開いた。 花の少ない季節に、部屋の中があかるくなったような気がする。実は、これは、窓際においてある鉢植えで、かわいそうなことに、私が留守にしていた11月2日から12月24日まで水も貰っていなかったのに・・・である。毎年のことでそれでも大丈夫とはわかっているのだけれども、厳しい条件に耐えた植物が咲かせた花を見ると、申し訳なさに心が痛む。
January 6, 2008
コメント(0)

日本の100円ショップ、ダイソーの海外支店(第何号だかはしらないが多分若い番号だと思う)が、うちの近くにある。日本の100円はだいたいカナダドルの100円と少しであるけれども、運送経費もかかっていることやらいろいろあるのだろう、全品2ドル(200円)で約2倍。高いといえば高いが、カナダの普通の店にはありそうもない商品があって、面白い。今日はそこで、「ウインナソーセージをチューリップの花にするカッター」を買った。日本で見るようなウインナソーセージはこちらには無いのだけれども、同じくらいの太さで、もっと長いものならあるので、一本を2対1くらいにの長さに切り分けて、長いほうでチューリップを作り、残りでかねて得意の蛸の形になるような切り目を入れる。さてと、ゆでてみると、皮が収縮して、チューリップも蛸も面白いように形をなしてくる。これでは、孫より先にオバアチャンの方が楽しい。新作のチューリップ もしかすると・・・・ 孫は単なる口実かな? (あ、でも、彼もとても喜んで、すっかりオバアチャンを尊敬してくれましたよ。)
January 5, 2008
コメント(2)
年末にY子さんからいただいたワインを開ける。甘味が少なく、さらっとしたシャルドネ。うちの料理にも合い、けしてアルコールに強いとは言えない私にもおいしかったが、そういうことよりも、印象に残っているのは、このワイン、Y子さんが、毎年注文して、自分の好みの味になるように、オークの樽で仕込んでもらったものからの一本だという話だった。own brand のある暮らしなんて、心豊かでいいなあ・・・。どの段階から注文できるのか、詳しく聞かなかったのでわからないけれども、発酵したワインのもとが、オーク(樫)の樽の中で、自分のために1年も2年も熟成していると思うと、そのひと時ひと時に厚みが出るような気がしてくる。(私はほとんど飲めないし、夫にはドクターストップがかかっているというのに、なんということを考えるのかと自分でもあきれるけれども・・・・)そこで・・・もし私が、ワインが楽しめる人で、自分のワインを注文していたとしたらという心意気で、以下を詠んでみた。「うそつきは泥棒のはじまり」・・・じゃなくて、「うそつきは楽しみのはじまり」!熟成を続けるワインじっくりと木樽の中の闇に息づく樫の木の樽に籠れる一年をワインは日ごと日ごとに熟す糖度やや低めの赤を指定してマイ・ブランドのシャルドネの樽我の名のラベルを貼りて届きたりシャトー・サトーのシャルドネの赤(Y子さんのワインには、Y子さんの名前のラベルは貼られていなかったけれども、貼ってあったら面白そうだと思ったので、創作。平凡な「さとう」も「シャトー」のように、最後にアクセントを入れて読んでみると、ちょっとお洒落?)ひさびさに触れる空気を喜びてデカンタの中ワインが憩ふ(何かの小説で読んだ知識を借りて、知ったかぶりの一首)
January 3, 2008
コメント(0)
毎年、お正月になると、息子の妻が "What is your new year's resolution?" と私に尋ねる。new year's resolution は、年の初めの決意だから、日本でも「今年こそ・・・する」とか「今年こそ・・・しない」とか宣言するアレである。私は、たいていの年の場合、大真面目で年頭の決心を言っても、途中から守れないままになってしまったり、忘れてしまったりするのだが、中でも今までで一番ダメだったのは、三年ほど前の「今年一年間、夫の悪口、または悪口と解釈されるようなことは一切言わない」という誓いだった。その日のうちに、なんだか忘れたが夫に文句を言ってしまって、それが聞えていたヨメに "Caught you!" と大笑いされてしまったのだ。で、今年の誓いは、「黒い衣類は、一切買わない」こと。私は黒い服が好きで、買うとなるとつい黒、または黒が主流のものになってしまうので、昨年12月半ばに、ついに夫から「もう黒は着ないでくれ。もっと色彩センスを磨かなくてはだめだ!」と言われてしまった。自分でも、衣類のほとんどが黒いことに気はついていたから、一応、「わかった。」とは言ったものの、持っているものは黒が大部分だし、店を覗いても、どうしても黒に目が行き、他の色とは気持がしっくりこない。パステルカラーは綺麗だけれども膨張色だし、日焼けした顔には似合うようにも思えない。夫は、オレンジ色を勧めるけれども、強烈すぎて、試着の段階で負けてしまう。濃い緑か、こげ茶ならあまり抵抗はないのだけれども、あまり代わり映えがしない。夫は、「わかってるぞ」みたいな言い方で、「オレが黒はやめろと言ったって、お前は買ってくるんだろうなあ」とからかうので、ちょっと悔しかった私としては、「絶対買わない」と宣言し、「そういっても、きっと買うぞ」とからかわれると、むきになって年頭の誓いにしてしまった次第。これを機会に他の色のシャツでも買って着こなせるようにするか、あるいは、今年一年は何もかわないで、手持ちの黒を着て暮らすか・・・どちらにしろ、この誓いは守れそうな気がする。
January 2, 2008
コメント(4)
今日から、2008年年を越す悩みはすべてご破算で願ひましては2008年というわけにはいかないらしく、昨日に続く今日、昨年に続く今年であるが、それでも元気に新年を迎えられたのだから、やはりありがたいと思えるような年齢になった。今年も暮れから頑張ってつくった自己流おせち料理と短歌の仲間のA氏の差し入れのお餅を入れたお雑煮で、近所にいる長男一家と新年を祝った。(アメリカにいる次男も、日本にいる長女も遠いのでなかなか揃えないのが残念だが、それぞれの場所で元気に家庭を持っているので、親としてはよしとしなければならない。)お餅といっても、普通にお雑煮で食べたのは、夫と息子と私だけで、息子の妻はお雑煮はスープとして食べ、お餅は別に醤油をつけて焼いて海苔で巻いて食べる。孫はまだ3歳だから、うっかり喉につかえても困ると思って白いご飯を炊いた。おせち料理の方は、並べてみたら、孫が失望しそうなものばかりだったので、昔の幼稚園のお弁当の定番、たこの形にしたソーセージと、カレー風味の小さいハンバーグをいくつかつくって重箱に入れた。(これは大成功で、喜んでたくさん食べたけれども、ふだんとあまり違わない食事をしたことになる。ま、いいか。)息子の妻は、頭のついた魚だけが苦手なので、田作りには手を付けないが、あとはなんでも喜んで食べる。特に、こんにゃくがノーカロリーであるのがうれしいと、煮物から拾いだすようにたくさん食べてくれる。(そんなに太っているわけではないのだけれども)頭のついた魚が苦手な西洋人はけっこう多く、そういう人は「目が怖い」と言うことが多い。それでいて、豚の丸焼きの横に豚の頭を立てておいてたりするのは平気なのだから、お互いにそのあたりは「理解しあえない」と理解しあって付き合っている。息子の一家は、毎年クリスマスは妻の実家でターキーを中心とする正統的クリスマスのご馳走を楽しみ、お正月は夫の実家(ウチのことです。)で、正統的ではないけれども心意気的正月料理を味わっている。そうやって育てられた孫に、どういう文化が残っていくのか興味があるのだけれども、多分年齢的に見届けられないのが残念。ただし、希望としては、カナダと日本の文化の違いを通じて、文化は一つではないことを体験的に理解した子が、世界にはいろいろな文化風俗があることに目を開いて、それぞれを尊重できる人になってくれるとよいと思う。「みんなちがってみんないい」精神があると、豊かな人生が送れるのではないだろうか。ところで、冒頭の一首、「ご破算で願ひましては」が、そろばんの計算はじめの決まり文句だとわかる人は、ずいぶん少なくなっているだろうし、とっくに死語の部類に入るフレーズなのかもしれない。
January 1, 2008
コメント(10)
全33件 (33件中 1-33件目)
1