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キャタピラーの一連の取引を手仕舞いしました。履歴は以下の通り。高低差25%という結構な荒れ相場でした。4.5%の利益を出せました。安定運用を旨としているので上出来です。現在は休むも相場でお休み中。
2010.06.22
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菅首相が誕生した。菅さんと言えば薬害エイズと四国のお遍路さん巡りの印象だ。生気の抜けた顔で白い服に身を包んだ写真を見たときには、これで政治家生命は終わったのだと思っていたが、ここにきて、まさか首相になるとは当時は想像だにしなかった。ま、民主党は前の代表が入れ替わり立ち替わり持ち回りで復活する再チャレンジな政党なので、今回のことも不思議ではないのかもしれない。そんな菅首相だけど、石原都知事によれば、「菅さんは以前、国旗国歌法に反対した経緯がある」そうで、首相の持つ思想的背景を牽制していた。そう言えば最近はあまり国旗を街中で見ることがなくなってきたように思う。子供のころには国民の祝日や元旦には国旗を玄関先に掲げていた。国旗を差すための三角形の金具がどの家庭の玄関先についていたものだ。マンション化が進んで国旗を掲げる場所がなくなったということもできるが、逆説的に言えば、場所がなくなったぐらいの理由で掲げなくなる程度のメンタリティしかなかったともいえる。その点、アメリカは好対照だ。多人種、多民族国家を束ねる求心力として法律によって統治される国家があり、その象徴として国旗や国歌がある。なので祝日はもちろん通常の生活にも国旗は深く根付いており、当たり前のように掲揚されている。こういう街並みを見るにつけ、誤解を恐れずに言えば、「戦争には負けるものではないな」と思ってしまう。国としての根本的なアイデンティティがズタズタになってしまうからだ。下の写真は、地元紙に掲載された警察官のお葬式の1シーンだ。ここには当然星条旗があるが、写真中央に大きな国旗を掲げ制服の諸氏を配した写真構図は、日本の紙面上ではあまりお目にかかれない。二児の父である若い警察官が捜査中に車にはねられて亡くなったそうだ。凶悪犯から市民を守るために自ら盾になり殉職したとかいう派手なストーリではないが、1000人を超える警察官に加え、州知事まで出席し、周辺の大規模な交通規制まで張って執り行った儀式だ。また州知事の命令により、1週間、半旗を掲げることになっている。実はこの州知事は逼迫した州の財政立て直しのため、公務員の給与や年金に手を入れようとして警察官をはじめ教職員などと激しく攻防戦を繰り広げている。州知事の報道には必ずコストカット、予算切り詰めの言葉が並ぶ。そういう知事には似合わないほどの大規模な儀式だ。こう言ってはなんだが、末端の警察官に対してだ。だけど、ここが重要であり、いかにもアメリカらしいと感じる。概して警察官や消防士をはじめ、公職に就く人々は敬意をもって接される。殉職したときには、惜しみない敬意と感謝の気持ちを具現化して表す。その一つが儀式であり、象徴が国旗や国歌だ。国旗や国歌を見たときに、「俺に万が一のことがあっても社会が報いてくれる」と思えるのかもしれない。そして儀式に参加したり報道を見聞きする生きている者、皆に、そういう社会システムであることを認知させ約束する役割がある。国歌、国旗に反対する人たちには、その延長線上に市民を守るための攻撃=戦争の連想があるのだろう。それは、分からなくもない。私自身、アメリカのように血塗られた戦争の歴史を持ちたいとは決して思わない。が、しかし、国歌、国旗=戦争という連想は飛躍がありすぎる。人に敬意を表する、その気持ちを想起させる象徴としての国旗や国歌が、自然な形で国全体に浸透しているという当たり前の姿があって然るべきだと思う。アメリカにはそれがあるような気がする。菅首相の思想的背景は知らないが、変なことを言い出さないことを切に願う。今の体制には、「変なことを言い出すのではないか」という妙な不安感が常に存在する。そんな不安を払拭してくれるように、言葉で説明するか、行動で示すかのどちらかで私を安心させてはくれまいか。
2010.06.12
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