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日本が戦国の世で国取り合戦を繰り広げていたころ、世界初の株式会社である東インド会社が登場した。欧州の列強諸国は世界には未開の土地があり、あらゆる富が散らばっていることに気がついた。その富は欲しいが、自らリスク丸抱えで打ってでるのはどうも割に合わない。そうだ、それならばちょっとずつ資金を出し合ってリスクを許容できる程度に小さくすればいいじゃないか。そうやって考え出したのが株式会社だ。実にシンプルな発想だ。そして世界は重商主義、帝国主義へと歴史は進んでいく。現代社会から見ればそれは遠い昔。歴史の教科書とエンターテイメントの世界で垣間見る遠い世界。今の世界とは関係のない世界と思われるかもしれない。しかし、歴史は区切りをもって「はい、ここからここまでは○○時代」とクッキリと存在しているわけではない。あたりまえだ。昔の価値観はある瞬間で途絶えるわけではなく、形を変えながら連続して存在する。大航海時代からの価値観はずっと今も生き続いているのだ。国家が行う植民地開拓と海賊行為の間にはさほどの違いはないと思う。つまり、富を求めて権益を拡大する行為に他ならない。そして私企業も同じ性格を持っている。暴力を行使するかしないかと言う点において大きな隔たりはあるというものの本質的には同じだ。まー、もちろん現代企業には社会に存在するための意義(社会貢献)があるのだが、ここではそれは置いておく。つまり会社とは社長を船長とした海賊一味みたいなものだ。稼いだ利益の分け前を手下どもにあたえるのだ。そして海賊なんてものは、とどのつまり船員の一人ひとりも利益で動いている。分け前が少なければ、分け前の多い船に乗る。極めて単純な動機がそこにある。アメリカの会社を見てみると、やっていることはまさにそういうことだ。雇用は流動している。船を乗り換えることはそれほど難しいことではない。沢山分け前をくれる船、分け前は同じでも酒場のある活気のある島を本拠地にしているとか、新しい刀をくれるとか、色々とニンジンをぶら下げて乗組員を確保しようとする。それに隊長や船団のなかの船長クラスになると、手下をごっそりひきつれて他の船に移ることだってある。もちろん、移った先の新しい船に元からいた船員は邪魔なので殺して(解雇)しまう。手下に出ていかれた船は死活問題である。手下をそろえる前に敵にやられるかもしれないし、手下をそろえたとしても、これまで通りうまく回るかどうかの保証はない。嘘のようだが今でも同じようなことが目の前でおこっている。日本ではなかなか無い光景だ。もしかしたら日本も戦国の世では同じ光景があったかもしれないが、徳川の世を経て進んできた日本のサラリーマン的階層社会とは完全に異質な感じがする。今やグローバル化だとのたまう日本人は肝に銘じなくてはならない。相手は世界中で国取り合戦をしてきた者の末裔であるということを。
2011.01.29
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病院経営をしている友人がいる。医者ではない。経営者だ。そいつがブログで偉そうなことを書いていた。その中で興味を引かれた一文がある。経営者としての心構えを自戒の念で書いたものだ。・スタッフが稼げるようにしてあげれるか?実際のところはどうなのか分からないが、なかなか感心した。会社への忠誠心と言えば大袈裟だが、どれだけ頑張れるかという気持ちと報酬は正の相関があるとおもう。厚遇すれば社員は頑張る。そういうものだ。ところが最近の社会は切り詰めを是として、格差解消の再配分を強化して最小不幸社会を標榜している。この点について、桜井良子氏がブログ上で論を展開していて、以下のような渋沢栄一の言葉を引用している。「富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人が挙(こぞ)って富者を排儕(はいさい)するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は、すなわち国家の富である。(中略)国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。その結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成り行き」大変共感を覚えるが、残念ながら取り巻く環境は全くの逆を行っている。アメリカの人事は、社員のパフォーマンスを如何に引き出し、優秀な社員の流出を避けるような報酬体系のデザインに余念がないが、日本は如何に経費を抑え込もうかという努力に終始している。社会環境が違うと言えばそれまでだが、グローバル化を目指し、世界で戦おうという目標とはいかにも乖離している。桜井氏が最小不幸社会ではなく最大幸福社会を目指せともじっているが、まさにそうである。ゴードン・ゲッコーもこう言っている。Greed is good. Greed works.
2011.01.28
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気がつけば、新年ももう2週間も過ぎているではないか。ここ2カ月ほどの仕事の忙しさときたら、もうおかしなくらいで、ブログを書こうにも載せて面白い絵も撮れない。働き盛りの年齢と言えば聞こえはいいが、あまり生活の質は高くないなぁと思う。今年は、この生活の質を少しばかり改善してみたいと思う。改善と言ってもちょっとしたことだ。20分作ってウォーキングをしてみるとか、ネットで毎日垂れ流される事件とか政権批判の無為な記事を読む代わりに、本でも読んでみるとか。iPhoneアプリのZAGATに載っている近所のレストランをのぞいてみるとか・・・ちょっとしたことが大切だと思う。結局は時間の使いかたの問題なのだけど、時間を有効に活用しよう!みたいな気張った感じは好きではない。地味にちょっとやろう。そうだ、呑気にやるのが一番だ。鏡に映った世界と違って、現実の世界には連続した広がる世界がある。ちょっと歩いていけばそれが見れる。そういうもんかな。
2011.01.16
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