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音の振動である。クリスタルでなくても、物体は音を伝える。金属でも紙でもである。トイレットペーパーの筒に紙を張って作った糸電話をご存知であろう。人間の体でも振動するのである。物体として、そして心として感動となる。一度和太鼓を習った時に、あれは洋楽器の太鼓と違い余韻を楽しむものだと聞いた。確かに、ブラジルの打楽器もやったが、あれらはリズムが命であった。一にリズム、二にリズムであった。ところが、日本の楽器の場合には、もちろんリズムもあるが、響き、余韻がもっと大切とされる。私は少しかじって辞めたから、偉そうなことは言えないが、これは正しいと思う。お寺の鐘にしても、風鈴にしてもブルブルする余韻を楽しむものであり、それと同時に体も振るえるのである。クリスタルボウルの場合には、それぞれ七つのチャクラに連動するが、別にクリスタルボウルでなくともチャクラを共鳴させることは出来る。つまり、他にもやり方はあるのである。しかし、癒しサロンでやってもらえばそれはそれなりに好いのだろう。お金さえ出せば何でも出きる世の中なのだから。ただ、人にやってもらう場合は、常に繰り返し通わないとならない。友人は西蔵に旅行した時1個買ってきたらしく、時々使っているというが、果たしていつかは飾りと化す道具無しになんとか出来ないものだろうかとケチオニオンは思い立った。なるべく安価なチャクラの共鳴法である。答えは天体の数くらいあるネットのサイトを検索してもらえば、何らかのヒントが見つかるのである。ちなみにオニオンとしては、一人での瞑想と仲間と歌を歌うことのふたつである。そして、自然を愛し、心を広く、慈悲の境地に達することをめざすことである。いろいろトライするのもいいが、自分だけにあったやり方を見つけるのが大事である。チャクラが共鳴し開くと、そこにつまっていたものが無くなり、つまり(今流行の)「不都合」が消えていくということである。心身ともに健康を目指すならもってこいなのである。お金や時間をかけなくても、いくらでも健康になる方法はあるのだ。問題は、知っていてもそれを行動に移さないことだ。しかし、健康はかけがいのない大切なもの。さらに、体が不健康であると、考えることも不健康になる。与えられた時間を大切と感じるなら、お金を儲けることより、まず、今すぐに健康になることを目指そう。ねっ。いそがし「魔」の9月が終了していく。BON WEEKEND!
2006年09月29日
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夏時間が終わり冬時間になる。ただでさえ少ない日照時間が減っていく。そして冬。。。読書の秋とは言うが、本はためると荷物になるので、私は映画に行く。ただし好いのが来ればの話である。インターネットでも本は読めるが、支払いのセキュリティーが気になる。著作権の切れたものはあるサイトから只で読めるのであるが、これがもしかしたら、不可能になるかもしれない。というのも日本で著作権が50年を75年にしようということである。となると、やっと解禁された作品なら、あと20数年待たねばならないことになる。中には廃版になったものもあり、ネットで読めなくなると、絶望的になる。大正生まれの作品の多くがこうしてどこかへ消えていくのである。映画や歌でもこの著作権があり、作者や作品は保護されているが、それも限度がある。確かに誰でもが只でネットから盗み読みしているようであるが、そうでもしないと読めない場合があるので、そこいらへんを理解して欲しい。そのうちネットからどこでも、誰でも、只で閲覧出きるようになると、著作権どころではなくなるだろうが、それはまだちょっと先の話である。いやすでに始まっているが、統制利かなくなることは目に見えている。とはいえ、本にしても、映画にしても思うようになかなか実行出来ない。やることが次から次へやってきて、自分自身のコントロールがとれなくなっていている。これは好いことなのか、否なのか。考えている暇もないくらいに忙しい。このブログも必死になって、目を血走らせてやっている。こういう時ほどクールに振舞わなければならないのである。あぁ、健康よありがとう。「健全な肉体にこそ、健全な精神は宿る」
2006年09月28日
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テレビのこと。。。(ベルギーではテレビは有線でないとよく映りません。または、衛星中継にしてもいいけれど許可などとるのに不便で高い。)この春だったか、来年からディジタル放送が始まるので、その申し込みをしなくてはならない話をここに記した。実はあれから、まだアナログ体制である。つまり、あの時点からディジタル放送は一応始まっているのだが、テレビと壁の有線用のコンセントに繋ぐためのコードやリモコンが品切れで取り寄せに数ヶ月かかっているせいである。それが9月に入ってやっとついたらしく、うちにもその知らせがきた。ところが、うちの状況から配られるコードは長さが足りず、結局長いコードを買いに行かなければならない。つまりディジタルだとコードもディジタル用にしなくてはならない様である。それを聞くために有線テレビの会社に電話をしてもあちこちに回されて待たされて、腹がたつだけなのである。それに説明書も不親切極まりない。何をどうしろというのか、使う者の身になっていない。今はテレビとインターネットと電話全てが1社で出来るようになっているので、そこに申しこむと無駄な費用もかからず、得だという。しかし、接客態度がひどい。電話は出ないし、受付は長蛇の列。ところが、安くすむならそれでいい、と言う人が多いのである。サービスは悪くて普通、がまんというより、それ以上のものを求めないのである。だから、まずいレストランでも愛想の悪いカフェーでも、安いと誰も何も言わない。私は値段も大事だが、サービス、接客態度が基準である。インターネットは高くなく、安すぎることなく、そこそこのところにするし、テレビ受映と電話はまだ自由化がそこまで行っていないので、接続が無難な従来の業者のままでがまんなのである。また、他に変えたくても、そのためにアポをとって設置工事のことを思うと、日中不在の者にとっては、面倒くさいというか、仕事を休んでまでもとなる。さらに、電話局などはそのアポをすっぽかすことがよくある。文句を言っても通じない場合が多い。こんなことに人生の大事なエネルギーを費やさなければならないのかと思うとぞっとする。それで私はそんな場面をなるべくパスしている。これはここに住むコツである。使えるものだけ使う。無理はしないほうがいい。人は人、自分は自分。無駄な努力はしないこと。だめなものはだめ。あきらめる。通用しないのは言葉の問題じゃなく他の原因から。とにかくあきらめること。そして、ヴァカンスはさっさととって思い切り遠くへ出かける。他人に遠慮なんかしないこと。自分の都合だけ考えていればいい。余計なことは考えない。ここに住んで満足という人にめぐり会ったことはまず無い。現地の人は決まって外国人に「何故、ここが気に入っている」のか聞くのである。そんな時「空に浮かぶ雲を見るのが好きなのだ、湿り気があって肌にいいし」と言うと、変人扱いされるのである。結局昨日一日休んで、まずは長いコードを買いに出掛けるのだが、家に帰って見ると、うまく繋がらない。紙に回線の図を鉛筆で書き込んで、もう一度戻って壁のプラグに入るにはどうしたらいいのか教えてもらう。途中他の用事を済ませて帰宅し、試してもディジタル放送は実現しない。。。。。。。。。。この国はどうなっているんだ。この日の休暇は、テレビのほうは何のポジティヴ結果は生まれなかった。しかし、買い物は済ませられたし、夜映画にも行けた。ちなみに黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る」であった。グローバルに満足、満足、である。どうせ今年一杯はアナログでやって行こうっと。
2006年09月28日
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ディジタルが苦手と言う私も、どうせならとひとまずは、その世界に浸かることにした。しかしアナログ人間であることに違いは無い。夏のグランプラスのディジタル写真は、サイズが大きすぎてブログに載せられないし、メールで添付するにもサイズが大きいので絵葉書感覚では送れない。アナログカメラのフィルムがまだ残っている。いつのことになるやら。。。まだまだ進歩するのだろうけれど、ディジタルの世界の実体の無いところに惹かれた。つまり、情報が発信されるつど、新情報が出るにつれて更新されていくということだ。古い情報はどんどん古くなり、役にたたなくなってくる。ということは、これで、人々が形式にこだわらず物を受け入れるようになるかもしれない。とはいえ、物には残すべきものと、そうでないものとがある。確かにペーパーレスになっていくと、ごみはたまらなくなるが、記憶されるべき情報はどこかに形として残されるべきだと思う。言葉はあっても、文字が無い文化では、歴史は語り継がれてきた。途切れることなく、そのままが伝えられてきた。そして、いつか文字を使っていくようになって語りは消えた。そして、今度は文字を絶対視するようになり、文字を残すようになった。これから、ディジタルで記録されていくであろうが、それがいつまで続くか知らないが、これもいつか消えていくだろう。また別の方法が出てくるだろう。そうか、その必要も無くなるかもしれない。一方では手紙など、アナログを好む私だが、特にベルギーにいて日本や中国と簡単に連絡がとれるというのは便利である。常に便利すぎるのもよくないが、形の媒介なくてはうまく伝わりにくい世の中である。ケースバイケースである。テレパシーなどで通信出きるようになれば、何の問題も無くなるのだが。。。
2006年09月26日
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夏のパリから1ヶ月がたったが、あれから毎日が輝いている。パリが光の街である所以であろう。また、恋の街でもあるという。つまり心がめらめらする街なのである。一介のツーリストであっても、そこに長く住んでいても同じ影響を受ける。そこを出たらはっきりと違いがわかるのである。確かにロンドンや東京のように清潔ではないのだが、街は美しい。今パリは人種が混ざりきっている。ルーヴル美術館に行けばよくわかるが、観光客も色々であり、サンマルタン地区にしても、サンジェルマン地区も、プラスディタリ-のほうも、そして、セーヌの両岸様々なオリジンの人が行き交う。ことばもそれぞれの言葉がささやかれるが、フランス語が共通語となる。ブリュッセルはもっと規模が小さいが、バスやトラムでは実に様々な光景に対面する。このあいだは、朝トラムにドイツ人家族が乗ってきた。彼らは観光でなく、ここの住民であるが言葉はドイツ語である。母親が子供たちに学校のことをしゃべっているのであるが、聞いていると、ふと窓の外の道角にコッペパンとソーセージの買えるスタンド、インビスを見てしまう。そしてどこからともなくきいたカラシとビールの香りが。。。休みのお昼すぎには、アラブの家族が乗ってきた。女性たちは布を被っているが誰が母親で、誰が子守りで誰が長女であるかわかる。子供は3人男の子と女の子、父親は普通の格好だったが、ふとターバン姿でラクダにまたがるところを垣間見る。急に暑くなる。夕方はアフリカの家族が2組バスに乗ってきた。カラフルな色の子供たちが6人である。母親はバギーを押しているがお腹には次の子が。。。にぎやかな話し声はサバンナのサファリの風を運んできた。そして、彼らが降りた時、風もともに消えていく。夏は終わっても、ここではいつも遠くへ旅行出来る。
2006年09月25日
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日本では敬老の日から始まったこの週もあとわずか。ベルギーでは、ずっと天気が良好でまた夏服を出して着ている。8月の寒さに比べると本当に気持ちがいい。しかしまた、夏時間が終われば、秋になれば陽が短くなる。もうショッピングやカフェーでぶらついておれない。ジャケットの衿をたてさっさと帰路を急ぐようになる。テラスの椅子が消え風景が寂しくなっていく。アヴェニューのマロニエの葉が色づき、プラタナスが散っていく。ショーウィンドーの中はもうすっかり冬である。大阪の御堂筋にはイチョウの並木があった。今もあるか知らないが、郊外でなく街の真中の公害でやられているから銀杏は食べちゃいけないと言われた。茶碗蒸しを食べるたびに銀杏をつついて、「これどこの?」と母に聞いたものだった。先日中国食材店で銀杏を見つけた。もちろん御堂筋の銀杏ではないが、同じ味がした。肉のタルトの中に入れると、不思議なくらいにおいしかった。その味は、子供の時の茶碗蒸しの茶碗の柄と蓋の形と、三つ葉の香りの記憶を呼び覚ました。鶏肉もあった。銀杏は家族皆公平に茶碗に入れなくてはならなかったが、その担当は私であったので、味見にひとつかふたつこっそり食べたものである。母が作る茶碗蒸や味噌汁などは、たまらなく中身が少なかった。他所様でご馳走になるとたまらないくらいの具なのに、うちはすっきりしすぎていたような記憶が生々しい。京都の一流の料亭では、同じように具が極少であったので、母は「あんたらは、得なんやで」と言った。本当に得なのか、何が得なのか、子供心に理解出来なかったが、確かに味は極上だった。けれども私はもっとごちゃごちゃした家庭的なものが欲しかった。それにお菓子も駄菓子的なものは一切食べなかった。きっと得をしたのだろう。
2006年09月22日
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先日おしゃべりしていて、ふと、「9月だよねぇ、1ヶ月しか無いんだねぇ。」と口にして、我にかえったが、時間は皆に平等である。天気がいいせいか、外に出たくなるし、出れば出たお金を使ってしまう。それに新学期だから、私には直接関係ないが、いろんなことを始めたくなる。前からの中国語は10月から無事上のクラスに進むことになっている。時間的余裕があるわけではないが、友人がポリフォニーのレッスンを始めるのでジョイントする。もっともっと映画に行ってみようと、回数券を買う。1週間だけでも余分にあれば楽なのだが、やる事が私を待ちひしめいている。優先順位をつけてひとつひとつこなしていくしかない。幸いな事に、今のわたしには、悩む暇もない。貧乏暇無しとも言う。つまり、齢のこと考えてる暇もない。腰をすえて10月の到来を待つのみ。
2006年09月21日
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これだけ文明が発展して、ディジタルの世界になってしまっても、私はアナログ人間である。人と人との付き合いや会話を好むのである。今から先は、セックスもディジタルでやるようになるかもしれない世の中である。しかし、私の生きてる間に、完全にディジタル・モードで皆が暮らす様になったとしたら、この地球のどこかにまだ残っている狐や狸が住む山奥の古いダムの跡地の森に入って、清い水と澄んだ空気のあるところを見つけてそこに住む。メール送信もなし、郵便もなし、スーパーも、駅も、便利な文明のものは何もない、そんなところに住みに行く。誰にも知られず草木のように朽ちて消える。小川で小魚につつかれてもいい。大洋に流れていって、私のボディーは還元していく。そこでディジタルのこと。。。先日ヤスミン先生のブログのコメントでコンピュータの数年にわたるデータが一瞬にして全部消えたことがあるとした。以前のこと3年間、毎年各四半期に打ちこみ続けた数値が、データと苦労してつくった表がコッパー手品のようにぱっと消えたのである。しかも自分でこつこつ作った表であった。しかも、今も何故そうなったのかわからないままである。急にそれまでのファイルが読めなくなるのである。メッセージでは「ファイルは空です」という。何度やっても同じ事であった。信じられない事だったが、わたしのとった行動はすぐに、再度表をつくること、そして幸いなことに元のデータはプリントがあるので、それをアーカイヴから出してきて数値をもう一度ひとつひとつ拾って入れていくことだった。3時間から4時間かけて苦労して下書きしたものが、スパッと消えることはよくあった。が、前述のような例はあんまりない。去年コンピュータのハードが壊れた時は、1年半分の巨大データが消えたのと、その間のメール全部が消えただけだった。それに、コンピュータが使えないので、すぐに仕事をやめてショッピングセンターに出かけて買い物をした。私が学んだのは、すぐに積極的に行動することであった。ショックをうけて、それが形を成す前に前向きで行動するのである。じっとしていると、そのまま立ち直れなくなってしまう。武道の技のようにうまくかわすのである。いじめられても同じ事、相手にしてはいけない。受け止めるとしんどいのである。このあれこれ考える前の行動がポイントである。何でも早いから好いというのではない。でも嫌な事、辛い事やショッキングな事に対してはうまくいくものである。つまり即時切り換えモードである。悔やんでいてもウツになるだけ、陽転思考でさっさと切り換えること。
2006年09月20日
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これは夏の暑さのあとほっとして9月になり、体力尽きられる高齢者が多いからです。我祖母もそうでした。暑いうちはなんとかやっても、ちょっと涼しくなった時が危ないのです。別にそこまで高齢でなくても比較的若いほうの私でも、今回のように参ってしまうことあります。でも回復が早いですが。。。と思ってるのは自分だけかも。。。だからというわけでもありませんが、ちょっと齢を(たくさん)とった場合のお話をと思います。指の先をぺろりぃ。。。とあなたは「ダヴィンチ・コード」を読むときにページをめくるであろう。その時無意識に指をなめていないだろうか。別に新聞でも本でもいいのだが、指がさらさらになっていることがある。若い時はそんなことはしなくてもいいものが、40歳を超えるあたりになると誰もがペろっとする。「どうして、舐めるの?」「なんで舐めんの?」「なして舐める?」と子供に聞かれたら、どきっとするものである。イタリアの小説「薔薇の名前」の中にページを舐めて死ぬ話があるが、他に何かいい方法は無いものか、教えてくだされぃ。ついでに、この映画「バラの名前」の中に出てきたショーン・コネリーは顔に皺が一杯ついてますね。そして、「007」の最初から鬘をかぶっていたのですが、本人は全く気にもしてないようです。ボンドのイメージだから鬘にしただけなのですね。ちなみにその鬘はボンドでつけてあったのでしょうね。でも皺は自然のようです。
2006年09月19日
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いつからか、日本では敬老の日が月曜日になっている。つまり国民が休めるようにただ15日というのをやめたのだが、勝手に日を変えられても困りものだ。他にも都合よく片付けられているのが気にくわない。誰も文句を言わなかったのだろうか?言っても通らなかったのだろうか。討論なんか不可能やろし。。。とまれ、この日(15日)は家族(というか親戚)のひとりが80歳を迎える。無事にこの日が過ぎて感謝感謝。気取って花屋に行って、洋蘭(オランダの蘭だからランラン)を贈ったのだが、名前を書くのを忘れてしまった。わかれば礼の電話くらいはあるかなぁ。。。ついたか否か知りたいだけ。日本の親戚のひとりは、イギリスで高年者の生活状況セミナーなるものに参加しているらしい。あぁ、VIVA VIVA!
2006年09月18日
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2002年の真ん中、信号がなかったせいで私の車が事故ったところがきれいにロータリーになった。トラムがひかれメトロまで繋がれた。といっても事情を知らない人には何のことかさっぱりだと思う。昨日の日曜日には「ノーカーデー」つまり「車無しの日」で、街全体が子供たちが喜ぶ声以外は静かだった。歩くか、自転車に乗るか、公共の交通機関を使うかであるが、私にとっては普通の日曜日と同じことで、いつものようにマルシェに出かけて、ジャムおばさんから「ちょっと高すぎるんじゃないの」という変わりジャムを二瓶、ルバルブとブルーベリーのジャムと種無し棗のジャムである。横でチーズがあったので、久しぶりにクロタン(山羊チーズを思いっきり乾燥させたもの)を買い、ついでに山羊のミルクも久しぶりだからと買ってしまった。住み慣れたところや思い出のところの景色が変わると、一種の不安がつのる。特に自分が長年住んでいたアパートが壊されたりすると、よりどころのないただの棒のようになる。しかし発展の名において、次々に物は形を変えていく。有形はいつか消えて無形に帰する。そして無形からまた有形ができる。ファッションは数十年で戻ってくるが、形をその時代に合わせてやってくる。中には全然変わらないものもある。スタイルも変わる。体系も変わるし、人の考えも変わる。環境も変わる。人間だけが変わらないと言えるだろうか?いや、そのつど適合していくのである。それだけ柔軟に出来ているのである。PS車無しの日はブリュッセルやアントワーペンとか、ベルギーでのお話です。フランスでも似た様なことやってるとは思いますが。。。自転車のサドルが異常に高いのが昨日カフェーからの眺めでした。と言って決してそれだけ足が長くは無いのです。停まって足が地面につくとサドルがおへそあたりの人もいます。皆一様に長足ではないですよ。ここベルギーはまだ。。。
2006年09月18日
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映画です。1959年新派というか、新波というか、ヌーヴェル・ヴァーグの代表作ゴダールの作品です。原題からは想像がつかない程の名訳です。実は、ふとしたことからこのタイトルが目について、ネットの質問サイトからこれを翻訳したココ・シャネルの本で有名な秦早穂子さんのことを書いた記事を読みました。www.gotonewdirect.com/directions/vogue/200404で見ていただけますが、戦後に負かされた米国を選ばずに関係のないヨーロッパを選んだ彼女があり、さらに、彼女が「信じてきたものは生きたもの、自分で感じて生きること」、とあります。また、「片隅でいいから静かに普通に生きる人間が大切で必要」ともあります。彼女は私の両親と同年輩です。「戦争の子」であり、軍国主義のもとでは死ぬことを教わるのであって、「いかに生きるか」は教わらなかったということです。よく洋画のタイトルで個人的に気になるのは、訳し方です。特に最近はカタカナが並んでいるだけです。商業的にあまりに多くの作品がやってくるので、いちいち邦題をつけていられないのでしょう。また、それには、作品を理解するというか、内容を知らないと出来ません。ただ日本語に訳するだけでも、うまくつけないと売れないので、それだけむずかしいのです。だからカタカナですませてしまうのでしょう。ジャン・ギャバンの映画が初めて来た頃みたいに、立派な邦題をつけられる映画が少なくなった事実もあるでしょう。その彼が主演の1956年の「ヘッド・ライト」、これは原題ではLES GENS SANS IMPORTANCE、直訳すれば「重要でない人々」となり、「ヘッド・ライト」となると訳でなく、日本でつけなおした題名のように感じました。この映画は私のお気に入りの一本です。最後のシーンの家族で食卓を囲むところが好きなのです。たまらなくフランス製です。これを初め見たのは、日本で洋画にのめり込んでいた頃よりも前です。でもこちらで原語で見た時は全く違う感動でした。他にも特にイタリア映画は、原語が好いです。内容がわからなくても雰囲気で満足できます。黒澤明監督の映画もなるべくなら原語で見て欲しいです。一度、フランスで仏語に吹きかえてあったのには失望しました。ドイツではフェリーニがドイツ語でした。その点ベルギーやスイスでは字幕が大抵ついているのです。最近の映画ではカタカナが並ぶうちは、邦題でなく、訳題と呼ぶのがふさわしいでしょう。「タイタニック」にしてももっと凝った題がつけられると思いますが、そうすれば今度は、もとの題がわからなくて困るという弊害の存在も事実ですが。。。どうせなら、横文字で表記すればいいのではありませんヵ。というのも、最近のこちらでの映画をこのブログに紹介するにも、日本でのタイトルを言わないと日本ではわかってもらえないのです。例えば「WTC」ならこれでわかりますし、おそらくこれをカタカナにはしないと思いますが、カンヌで賞をとった「The Wind that Shakes the Barley」ならどうなるかですね。こちらではフランス語に一応訳されてますが、必ず原題がついてます。原語タイトルがどういうカタカナ語に訳されているかわからないとなりません。何度も言いますが、カタカナ語は日本語であって、そのまま読んでも日本語です。けっして外国語ではありません。殆どの場合、外国人には通じません。よっぽど日本語に堪能な人でないとわかりませんよ。RとLの違いだけじゃなく、母音だってもっと複雑です。国際発音記号を導入するのが一番好いのです。比較的統一されています。英語の単語のあとに[ ]で記されているやつです。それを習得しとけば、技術的に論理的に発音は出来ますから。中国人に(日本人を含めて)外国人の名前を原語の発音で言っても全く通じないのと同じです。カタカナの発音での外国語は、日本人にだけしかわかりません。もちろん例外はあっても通じないものだと覚えておくことでしょう。母が私にフランスの住所に「仮名振っといて」と言うのですが、普通ならカタカナを書くでしょうが、そんなことしても何の役にもたちません。住所の場合には普通翻訳せずにそのままを発音します。パリの「凱旋門」アヴェニューは本当はフランス語のカタカナ表示で、アーク・デュ・トリアンフになります。それを凱旋門大通りとする場合も無いわけではありません。海外の日本の領事館などで在留届けをする時には、それでも横文字(+日本語と中国語以外)をカタカナ表記することがあります。でも凱旋門の例ですが、どこまでカタカナで、どこを訳するのか聞いてみましたが、決まりは無いということです。あいまい極まりないということです。日本の政府機関がこうだから、国民にああだ、こうだと言っても始まりませんね。もう「勝手にしやがれ」です。
2006年09月15日
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9月10日と11日と12日だけ映画が3ユーロで見れるというので(普段は9ユーロするところでも)、つまった予定を縫うようにして3本だけ見てきた。なぜか、そんな時に限って予定が入っていたので、映画に行くとは言わずにアポをのばしてもらった。それでもあと一本は、どうしてもずらせなかった。初日は天気が良すぎてがらがらだったが、さすがに最終日の夜の初公開「WTC」はすぐに売り切れてしまい、私はカンヌで賞をとったばかりのアイルランドの悲話の映画にした。何しろ、人並みに事務所勤めをしていると、夜しか時間がない。そのために休めればいいが、そうもいかない。日曜日は日曜日でやることが一杯。今回はちょっとハードだったが、またの機会にはちゃんと休暇をとることにする。1ユーロは約150円。秋にはなんといっても普段多くの見たい映画がやってくる。回数券を買って待機することにした。VIVA CINEMA!
2006年09月14日
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私は見るからに光るダイヤモンドは持っていないし、苦手でもある。傷もつくし、キラキラして私向きではない。決して若いからではないが、キラキラが似合わない。人にも選りけりであろうが。。。我々が歳を重ねて肉体的にしぼんでいくと、底からぬるま湯しか出て来ない温泉で、いずれそのうち完全に水になって、涸れていく。若いということはそれだけでフツフツと湧いている。宝石をつけなくてもキラキラしている。体の中にダイヤを持っているようなもの。ところが、いつまでも若くはないのと同じで、メンテナンスを怠れば輝きは無くなる。歳に関係なく、メンテが必要である。それを維持すれば、いつまででも光り続けることが出来る。アクセサリーとしてでなく、そのものになること。そうすれば、誰にも奪われることがない。
2006年09月13日
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昨夜、ベルギー人のセミプロでジャズやゴスペルをやっている友人がポリフォニーのレッスンを始めたので参加してきた。彼女は最近28年の結婚生活にピリオドを打って、何となく忙しく毎日を送っている。レッスンが済んで、帰り際に(礼儀の本では他人の家でトイレを借りては失礼よ、とあるが)トイレを借りた。台所の奥にあった。彼女が「お水飲むかしら?」と聞いたので、歌ったあとだけに私は「ウィ、メルシーィ」と、彼女が冷蔵庫を開けた。ちらりと覗くと、彼女はここに住んでいないのかしらと思わせるほど、冷蔵庫が空だったのだ。うちの場合、いくら満たしても満たしてもすぐ空になるので、始終詰め込むのであるが、それでもきりがないくらいである。それに煮たものを冷凍、野菜スープも冷凍、自家製栗の渋皮煮も冷凍、自分で料理して冷凍したもので冷凍庫は一杯、冷蔵庫も野菜やヨーグルトで一杯、肉、ソース、サラダ、餅、梅干し、黒豆麦茶、牛乳、ジュース、乾電池、フィルム、へそくり…押し込め押し込めである。それに比べて、もちろん一人だからだろうが、一体何を食べているのだろうかと気になった。家の中も荷物が散乱していたが、それは現在工事や掃除をやっているせいである。いくらアーティストだからといっても、これじゃあどうやって生活しているのだろうか。料理つくってやろうか、何か届けてやろうか考えてしまった。太ってはいるから、間食ばかりしているのかなぁ。がらがらの冷蔵庫を1秒見ただけなのだけれど、ショックだった。母は何でも買って入れて、忘れてしまう名人だった。掃除しようとすると彼女は怒ったものだった。私は常に常にチェックして、扉もなるべく開ける回数を減らしている。旧い型なので霜もつくので、定期的に霜取りもしている。その度に空にするので、中を清潔な紙で拭くのである。洗剤は刺激のないもので、レモンの精油をたらしてあるものがいい。ちなみに電子レンジも中をレモンの香りで拭くといやなニオイが残らない。生活の香りでした。
2006年09月12日
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この二文字は読み間違いやすい。(もしかして私だけかもしれないが。。。)何故よく似ているのか、また暇な時に考えることにしても、この色(緑)は何故糸偏なのか気になる。草のつるが繊維の如く伸びて絡みつくからか、など考えてしまう。紅も糸偏である。これはおそらく繊維を染めたからだろう。と想像してしまう。なら紫はどうなのだろうか。。。一度日本語のオリジンを調べたことがあるが、結局あまりに複雑なので放棄してしまった。日本には、書き言葉が無かったので他所から無期限で借用したまではいい。そのあと日本独特の変換で様々な言葉が生まれた。中には逆に「経済」とか「革命」などお返ししたものもある。何が日本語であるのか、これは専門家にとってもはっきりと答えの出ない質問である。あまりにも種々雑多の要素が絡み合ってしまっているから、それをひとつひとつ紐解いていくしかない。しかし、これは絹糸がからんだものを解くようで大変な作業だ。子音+母音の発音のシステムを求めて、太平洋の諸島やアジアの国を隈なく探したり、ヨーロッパやアフリカの果てまで行きつく場合もある。もし仮に、同じような言語のシステムに出会ったとしても、それは偶然だけかも知れない。我々の遺伝子は幾分の違いがあるにせよ、似通ったものなのだから。皆どこかで縁を持ち、繋がっているのである。そして緑の地球に住んでいる。私の眼の色は平均的な日本人の色であるが、昔緑の眼にあこがれたことがある。ちなみに眼の色は身分証明にも記載される国もある。また、何でも私のソウルカラーはこの緑が入っているらしい。
2006年09月11日
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勢いついたというか、パリ効果でその次の週末に(週末割引の)往復半額切符を買って30分ほどで行ける港町アントワーペンに出かけた。なんと、行きの電車でアムステルダム行きの中国人に話しかけられた。最初中国語で、すぐに中国語なまりの英語になった。最初むこうは私が中国人かと思ってであるが、とっさに私が中国語が飛び出てこなかったのもあり、彼は一度席に引き返して連れと私が中国人ではないようだ、韓国人かもしれない(何故日本人とは思わないのか?)、と話していた。これを放っておくのはもったいないと判断し、彼らのほうに向いて、「中国語をしゃべるのでしょう、私は日本人だけれど、少しならわかります。」と合図をして、会話を再開した。彼らは1年ほどドイツに居たといって、ドイツ語が出来るというので、私も調子ついて、中国人相手ならどんなに下手でも構うものかとドイツ語会話を始めたものの、やはりもっと下手くそな中国語に戻った。しかしすぐに下車する私にはあまり時間がなく、次の日再びブリュッセルに着てから、ワーテルロー観光に来るというので、どこでバスに乗れるか、どれくらいかかるか等を急いで教えたにすぎなかった。彼らはアムステルダムで風車を見たいが、オランダ語でどういうのかとか、どこにあるのかとか知りたかったようである。風車なら電車で郊外にいくらでもあるのだが、それほどの時間がないようでもあった。とにかくアムステルダムでは無理だよと、でも駅で聞いてみれば教えてくれる。皆英語が出来るし、聞けば親切に教えてくれる。と自分の経験から伝えることは伝えた。アントワーペンの中央駅で下車した私は、右手の奥の中華街を無視して、そのまままっすぐ進んで左に曲がり、長い間行っていない「デルレイ」のサロン・ドゥ・テーで、ちょっと贅沢な昼食をとった。ほかほかの山羊のチーズのトーストに、軽いハニードレッシングがかかって、サラダ菜と松の実がアクセントになっていた。ウーロン茶でいただいた。ついていたパンがこれまたおいしく、デルレイではパンも焼いているのかと思った。ウーロン茶は、他の紅茶の注文と同じく銀のポットに注いであり、銀の砂時計が銀のお盆に乗せてあり、白い砂が音も無く落ちているのである。時々つまるようで、こつこつしてやらないとならないところがご愛嬌である。まさに、そこで時は止まってしまうのである。そして、銀の小皿には特製チョコレートかビスケットが2つ、普通のお茶の時はホイップされた生クリームが銀の小鉢に乗っていたっけ。。そしてベルギーでは大抵そうなのだが、砂糖が楽しい。ハート型の固いのと砂糖菓子っぽいのがこれは白い陶器の皿で出される。ついでに付け加えると、お茶だけなら、パリのマリヤージュで同じ値段出してもこれだけのものはついてこなかった。10年ほど前に比べたことがあるが、同じ金額で注文したお茶だけが、銀ではないポットにたんまりつめられてテーブルの上にポンと置かれただけだった。砂糖やミルクはよそのテーブルにあるものを拝借するようになっている。まぁ、そこはお茶屋だからだろうが、お茶もすでに苦くて胃がしゃかしゃかになりそうだった。私は意地でも皆飲み干したが、なんと違うことか、と感じた。ケーキ類を注文する気にもならない。これがパリなのだと。。。お勧めは世界有数のファッションタウンのアントワーペンだが、パリはそれなりの魅力がある。ちなみに「デルレイ」は日曜日は定休日。とにかく日本人がよく利用している。そして、その感激もまだ冷めぬ頃、ブリュッセルで「Paris,je t'aime」という映画のタイトルに惹きつけられるように映画館に出掛けた。パリを背景に15ほどのスケッチの映画であるが、これがまた、ほんのりいい出来だった。ただし、あまりに好い天気だったので、広い映画館は私一人のみ。ど真ん中に座ってパリのノスタルジーに浸ったのである。やはり光の都パリは美しい。
2006年09月11日
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パリから戻り、我ブリュッセルをぶらついてみると、いかにパリを自分は愛しているかがわかった。いいかげんにつきあっていた友を今さら見直したとでも言おうか。パリはちょっと男で言うなら女性っぽく、女なら男まさりになるだろうか。私はレズではないから女っぽい男に惚れたのか。。。よくわからないが、今夏のパリ訪問はあとを引いている。外出嫌いの私が、一日中外をうろうろしただけなのだが、パリが火をつけたようである。家に居るのが何となく気持ち悪くなって、つい外に出てしまうのである。パリのように、数は少ないがメトロがあるので、それに揺られて、「あぁ、パリはよかった」「でもここも捨てたもんじゃない」とかぶつぶつ唱えている自分があった。休みも残り少なくなってしまって、急にせっせと外に出だしたのである。しばらくぶりのアントワーペンの知人に電話をしたが、彼女は予定が一杯入っていてしばらく会えない。夏休暇は終わってしまって、すでに仕事を始めている。靴のフリーデザイナーである。繁盛しているようで、こちらも嬉しくなる。9月の末にやっとアポをとって、一緒に寿司を食べに行こうとなった。しかしそれまで待つわけにもいかないので、私は単独で出かけることにした。中華なら午後いつ行っても食べれるので、また焼鴨ラーメンにしようか、など想うのはすぐに食べ物のことである。しかし、このラーメンを食べていると、ほつほつと幸せな感じになってくるのである。パリでもブリュッセルでも、中華レストランではこれの食べ比べをしてしまうのである。それぞれ味や値段が違うのがたまらなく嬉しいのである。もしこれが、どこに行っても同じ味、同じ値段だったらひどくつまらない。違うから面白いのである。特にこの鴨はどうしてもお箸だけでは食べれないのだ。手でとってしゃぶるのである。ヨーロッパ人はこれが出来ない。ナイフとフォークで突き刺して食べる。私は堂々と手を使えるし、スープも音を立てて飲んでやる。昔はどこでも皆手でむしゃぶりついていたのに、文明開化のせいなのだろう。
2006年09月08日
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先日260日19,000kmの旅を終えたフランス男のセルジュさんの話を見て、聞いて、読んだ。去年の12月からパリから走り始めたとかであるが、天皇家の男子誕生の前日に東京についた彼の行動は、私に心臓と肺臓の奥がグワングワンする感動を与えてくれた。(クリスタルボールの如くどこかのチャクラに影響したようである)彼の顔には何のくもりも無い、まさに晴れ晴れした様子であった。えぇ話やなぁ~~と感じた。
2006年09月07日
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アメリー・プランが活躍するフランスの映画で東駅が舞台になっていたので、そっちのほうへメトロで直行してから、歩いて2分のサン・マルタン水門に出かける。ちょうど船が通るところで、水門がいかにして閉じられ、水が運ばれるなど、興味深く観察できた。また、そこにテントで生活しているフランス語がわからない人たちが食事をしていたのにも出くわした。夏だからいいものの、冬は寒いのにあの人たちどうするのだろうか。人事とは言えぬフランスが抱え込んだ大きな課題でもある。全く観光ルートでない、言ってみれば治安が悪いのだろうか、すぐ横の外国人が多い遊園地みたいな公園には、家族連れも恋人同士もありで、顔の色は違っても皆フランス語を使っている。カメラが無かったので惜しまれたが、普段のパリと一味違う景色だった。やはり8月だからか、まだ夏休みと言った感じだった。一人の時にはカメラは持参しない。私は何の為にパリに来たのだろう。とフランス東部の超特急架線工事で、多数の柵が張り巡る東駅の裏側の北駅をつなぐ石が磨り減った階段を、ぶつぶつ言いながら昇り思った。そして、改めて北駅の周囲の変化にも気がついた。昔からの駅の「ごっちゃ」が次第にスマートになってくる。先の階段を上り詰めたところにクスクスのおいしそうなレストランがあって、そこのコーヒーも美味しかったし安かったのが、音楽がかかっていない普通のカフェーになっていた。よそ者にはわかりにくかったバスターミナルが綺麗になって、周りの建物も少しづつ建てかえられていく。夏には、浮浪者がたむろしていた駅前のところが幾分おしゃれなカフェテラスに変身している。ちょっとおぞましいので、向かいの昔よく泊まったホテルの横のカフェに入って眺めた。人間は変わっていないのに、環境が変わっていく。うまく順応やってるようではあるが。。。今回パリに来て中国語は話せたし、いつものパリと違うものに遭遇できた。普通の会話が出来た。奇跡的に天気が良かった。とにかく帰路についた私は感謝の気持ちで一杯だった。パリを出る前、思いっきり空気を吸ってきた。A BIENTOT!
2006年09月07日
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昨日の(26℃という)予報は見事にはずれていたが、それでも夕方は20℃を越えていた。今朝は出だしから太陽がサンサン。ところが予報では24℃。このままだともっと上がるだろう。一番面白いのは、通行人の格好である。衣替えなどしないから余計にか、様々な服装が目に付く。ノースリーブもあれば、一応スーツ、皮コート、アノラック、昔大阪で集金のおじさんが着ているようなコートやジャンパーもあるし、素足に靴、ブーツ、スニーカー、サンダル。。。と続く。一日の気温の違いが平常10℃あるところでは、柔軟でいなければならない。ちなみに私はというと、まだ買ってから一度も着て外に出なかった(名前は知らぬがマリリンモンローがよく着ていた形の)綿トップ、これはずい分昔にパリのギャラリーラファイエットでぎちぎちのサイズのを買ったもの。バーゲンの売れ残りだったから何とか買えたというもの。でも肩から二の腕丸出しになるので、外では麻のジャケット、室内では合成繊維のカーディガンで少し覆う。まだきついが、こういうのはきつめに着るものなのである。
2006年09月06日
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そのあとはすぐにでも帰ってしまいたかったが、帰るには早すぎたので、映画で見たサンマルタンの水門へ出掛けようとして、サンミシェルからメトロに乗るはずがノートルダム寺院ばかり見ていて、通過してしまい、サンジェルマンの近くまで出てしまった。何をしてるんやろ。とは独り言。セーヌ河っぷちの工事に気を取られていたせいもあって、とにかく次のメトロまで曲がろうとぼんやりブキニスト(古本商人)をながめて、冷やかしていたら、その黒い箱兼屋台が途切れたところに、一人で座ってペンを走らす人と目が合ってしまった。スラスラと彼のほうへ向かい、作品を見ると、綺麗な水彩画であった。こちらでは水彩画は珍しく、殆どがグアッシュとか油絵。楽器が構図中にあるのが珍しく、冷やかしに、チェロは無いのかと聞くと、高いけどある。見せてやるよ。と言って取り出してくれた。実に面白い構図であった。しかし高かった。楽器を描くのは好きなのだが、誰も買わない。それで高い、ということだった。また、売りたくないから高くしてあるとも言っていた。ふと彼が(ここでも)中国人であるのに気がつき、負けてよ、と思わず言った。しかし彼は中国語がしゃべれない中国人であった。それに中国人は買わないよ。ということだった。私は色があまりに鮮やかなので、「中国のマチス」だね、と一言いってやった。すると気に入ったのか、「マチスねぇ」ともごもご繰り返していた。色が鮮やかなのは描くのに疲れるらしく、全部が全部マチスではなかった。結局一枚だけ、マチス効果なく、さほど負けてはくれなかったが、バイオリンが入ったのを買った。中国憑きした感があったので、そのままサン・ジェルマンからサン・マルタンに直行した。ちなみにその画家の名前はマルタンだった。
2006年09月06日
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明日は9月の6日で、あと少しで11日。これは当たり前と言えばあたりまえなのだが、5年前のNYではその日から時は止まった人たちもあるのである。さて、この9月6日は書くと6/9とこちらではなるが、日本だと9/6になってしまう。つまり一体何日なのかわからなくなるのである。小さいほうを先にするか、大きいほうを先にするかだけの違いでもなさそう。。。それに6と9だとひっくらかえしても面白いではないか。とばかなことを考えたり。。。天気予報では昼から26℃になるなんて、、、うそっ。朝から15℃あたりを徘徊しているだけではないか。ただムシッとする。せっかく袖なしを出してきたのに、これでは風がふいて、風邪をひくではないか。最後に頼りになるのは自分のみ、健康管理をいたしましょう。
2006年09月05日
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ビデオなど中国語の字幕付のを探すつもりが、其の手の店など見当たらない。中国人に聞いてもわからない。第一、ロンドンのベイスウォーターのようにメトロを出ると食い物やが立ち並ぶわ、食料品の店がその間を埋めるわで求める店一件見つけたのは夏季休暇で閉まっている。ついてないというか、中国人はパリでは、日本人がブリュッセルで日本のビデオを買わないのと同じ様に買わないのではないかという結論を出した。白人用のレコードの店の片隅に、アジア録画のコーナーが潜んでいるのをあさるしかない。求めているものはあきらめるか、中国に行くか、ネットで注文するかしかないみたいである。それだけわかっただけでも収穫あったというもの。次に出かけたのが、サマリテンというポンヌフのデパートで、昨年から六年間の修復工事に入り閉鎖中、いつも巴里に来たら必ず寄るところで、ここのメトロの出たところ、店と駅をつなぐ通路なかばにあるヴェトナム人がやっていたコーヒースタンド(立ったまま飲むので安いし、新鮮な豆なので美味しい)には見なれない中国人のおじさんが、新聞のクロスワードをやっていた。(実はナンバープレイス)私はコーヒーを注文し、味は落ちていないか、値段は上がっていないか確認して、はまりきっているおじさんをおしゃべりにひっぱるのに成功した。せっかく中国語を習ってるのだ、使ってみなけりゃ意味がない。うまく相手になってくれて、話したが、普段から話す機会が皆無なのでむずかしかった。きっと南方のアクセントで分かりにくかったのだろうとうそぶく。。。広州省の出だというので、きっと…そして、パリに来たのだからということで、前からもくろんでいたヒマラヤのお茶を買いにマリヤ-ジュへ。そのまま橋を渡るだけ。青茶は一種類だと思いきや、2種類あると言って先に上等のお茶を先に嗅がされてしまったので、それを「ウィ、一袋ね」で、いつものマルコポーロ(緑茶をベースにした日本人が好きなブレンド)には一瞥もくれてやらず、もう予算がパアなので打ちきるつもりが、いつもの癖でなんと「それと、さっぱりしたちょっと面白い味のお茶ありまへんやろか?」などと格好をつけて聞いてしまった。すぐにお兄ちゃんは待ってましたといわんばかりに、私の後ろに回って来て、子供がすっぽりはいるくらい大きなカンカンを開けて嗅がせてくれる。「これ、よろしおまっ。」で打ちきり、レジの横の線香一箱もつけて支払ってしまった。ちなみにこちらのお茶はタイので、普通のお値段(100グラムが6ユーロ、780円あたり)のもの。せっかくのパリだ。しょっちゅう来ないんだ。と一生懸命自分に言い聞かせた。来る気になればすぐ来れるのだが、たまにしか来ないのでいいのかもしれない。(マリヤ-ジュ本店はいつも混むので、今回のサンオーギュスタン店に行くとサロンドゥテーも空いていて気持ちがいい。メトロのポンヌフから歩いて5分ほど、走れば3分だが、パリでは人は走らない)(更に、麻のスーツを着たちゃんと教育されたお兄ちゃんが相手してくれる)しかし日本でも買えるこのお茶を私は、あんまり嬉しかったから東京のMさんに「ほんの少しだけ」封筒に入れて送ってしまった。また更にもう一人にも。。。ヒマラヤという距離は日本に近いところなのだが、私のヒマラヤは特急で一時間半である。
2006年09月05日
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先日旅日記が始まると記したら、私が同時に旅に出ると理解された方がいらっしゃった。今回の旅日記というのは、この夏にした旅を綴るというものである。でも一日だけの旅なので、少しインチキではあるが、そこは想像力たくましく、ふんわりと想いめぐらしてもらいたい。出来るだけ長く伸ばした。ネタが足りないのでなく、あまりに多くてどれを入れようか迷った挙句の果てである。なんせおしゃべりの私。余計なことばかり、シエラザード並にいつまでもしゃべり続ける。。。のである。私はアナログ人間ではあるが、このブログは便利がいい。うまく使ってみよう。馬鹿と鋏は使いようと言うではないか。ということで、「私居ますよ。」つまり家賃を払うための仕事に従事しております。思いっきりアナログなお便り、お待ちいたしております。(個人的なメッセージでした)
2006年09月04日
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ここしばらく、パリに行ったら行かねばというところがあったのだが、テロや諸事情により、なかなか観光ルートからきっぱり離れているそこまで出かけられなかった。今回はまずそこに行くと決めたのである。(最後にパリに行ったのは3年前ほどである。)そこは、ルルド巡礼で有名な聖テレ-ズが眠っているという教会である。死んだとは言わず眠っているというところがみそ。私は、はりきって北駅に時刻通りについたタリス超特急から出てメトロを乗り継ぎ一番近い駅で地上に出た。その教会の方へむかったまま、その場所が引っ込んでいてわからず、真っ直ぐにセーヌ河の近くまで出てしまいかけた。こりゃいかんとひき返そうとすると、別の教会の矢印があって、ひとまずここで聞いてみようとそちらに進んだのである。結果から言うと、結局目的の教会に着いた時は閉まってしまって入れなかったということである。寄り道した教会に守衛さんがいて、それがアンゴラ人で私を相手にお話を始めたからである。つまりイエス様のお話。。。私は仏教徒だと言って逃げればよかったのだが、つい口が滑って…しかし一生懸命に話してくれる相手を振る手は知らない。教会の片隅に机をおいてインスタントコーヒーとパンを出してくれたのだ。お腹もすいてきたし、聖テレ-ズは次回にして、さっさとチャイナタウンへメトロを乗り換え、ついて美味しそうな(白人が少なくて中国人が多い)店に入り空腹を満たすが、最近小食にしているので、食べようにもあまり食べれないので焼鴨湯麺(鴨入りのラーメン)だけで済ませた。ベルギーの中華店より安く味がよかった。もちろんロンドンのほうが中華街らしいのではあるが。。。
2006年09月04日
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来週から旅日記ですが、今日はこちらの新学期です。初めて学校に重いランドセルをしょって、履きなれない靴で行くという感覚はこちらでは全く無いですが、お金が許す限り新しい格好です。兄弟姉妹が多いとお下がりとかで、新品は身につけたことがない人というのは最近の少子化で見なくなってるでしょうか。まだまだそこまでリサイクルする習慣が無いのでしょうか?とは、一長女のことば、、、ですけれど。。。ときに、花の絨毯を撮ったディジタル写真はどうしてもうまく送れません。ここに載せることもやはり出来ないのです。私は、もうそろそろアナログの世界に戻ります。メールも便利はいいですが、下手でも自分で綴りたいです。写真もやはりプリントしたものがよろしいようで。。。でももうしばらくしたらアナログでとったものをCDに落としますので、その時メールで送れます。希望者は私書箱にメールください。希望のアドレスに送りますが、容量が結構いるので用心してくださいね。花の絨毯や北オランダを撮りました。一度に2枚以上は送りませんから、興味のある方は知らせてください。しかし、気長に待ってくださいね。片手間作業なので。。。BON WEEKEND!
2006年09月01日
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5年前の9月11日からニューヨークへは行きにくくなった。それが今度はロンドン行きも同様である。飛行機がだめなら特急でと、人々は殺到したが、テロとは関係ないがトンネルの中で事故があったりで、ますます行きにくくなってしまった。もともと島だから、昔のように船で行けばいいのだろう。しかし現代人は時間がかかるのを極力嫌がる。私は今のところ、テロを免れているパリを選んだ。久しぶりのパリなのだが、8月なのに寒いという天気予報であったので、半そでのセーターを着用して出かけた。ところが、この日は暖かく、寒くなく最高の観光日よりであった。日頃の行いが善いからかとぶつぶつうそぶいていると、本当に楽しい一日になったのである。写真は撮っていないが、今まで行った事の無いところへ出かけ新しい人(つまりまだ会った事の無い人)と話をする機会を得たのである。今回のパリ訪問で、私は改めてこの街が好きになった。きっとニオイのせいだろう。パリは京都と同じく、空襲から破壊を免れた都市である。「パリは燃えているか」という映画を見てもらえばよくわかるのだが、人々はパリを愛し、命を賭けて守ったのである。行けば一目瞭然である。美しいのだ。あの歴史的な人工的な美しさを目の前にして、「そうではない」と誰が言えようか。調和された美なのである。非常に個人的であるが、フランス人が誇る「世界で一番美しい街」と言えるだろう。
2006年09月01日
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