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昨日、「南極物語」をテレビで見た。この映画は1983年に公開され大ヒットし、私も当時映画館で観て感銘を受けた作品である。 人間の為に一生懸命に頑張る犬達の姿が、健気でいとおしい。それだけになお更、無人の昭和基地に鎖につながれたまま置き去りにされた犬達の事が、無念でならない。信じていた人間に見捨てられた犬達の失望、不安、悲しみ、そして見捨てた側の葛藤。厳しい自然の前に無力の人間には、どうする事もできない。 鎖につながれたまま、その場で息絶えた犬、鎖をちぎって自由になった犬達も次々と命を落とし、タロとジロだけが生き残った。 映画ではラストシーンで生き残ったタロとジロが、第3次隊の隊員として再び昭和基地へやって来た潮田(高倉健)と越智(渡瀬恒彦)に駆け寄ってきて感動の再会を果たしているが、実際は少し違っていたようだ。 タロもジロも上目遣いで人間を牽制し、中々近づける雰囲気ではなかったという。犬達が人間を受け入れるのには、少し時間がかかったようだ。犬の気持ちを考えて見れば、当然であると容易に納得できる。 その後の生活でもタロの行動には、人間への不信感をうかがわせるものがあったという。餌を与えるとジロはその場で食べるのであるが、タロは食べずにどこかへ持って行っていた。後をつけてみたらタロは餌を隠して保存していたのである。また再び見捨てられるかもしれない、そんな不安が心から消えることは、なかったのであろう。 ジロは昭和基地で一生を終えた(1960年7月)が、タロは再び日本への帰国を果たし、1970年8月北大獣医学部家畜病院にて約15年の生涯に幕を閉じた。 この二頭は剥製にされ現在、タロは北海道大学農学部博物館(札幌)、ジロは国立科学博物館(上野)に保存されている。この離れ離れの二頭を一緒にしてあげよう、という運動も起きていて、一時的ではあったが二頭は再会を果たしている。 今回、少年時代に感銘を受けた作品を久々に観て、あの時の胸の熱くなった感覚がよみがえってきた。良い作品はいつまでも心に刻んでおきたいものである。 それでは、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一オショロコマがいる然別湖と暖かいご夫婦 新得の辺りで然別湖を目指してヒッチハイクをしていたら、数台の車が続けてやって来た。しかし、良く見たらタクシーや自動車教習所の仮免許の車などで、殆どがヒッチハイクを出来る車ではなかった。そのまま再びテクテク歩いて、ヒッチハイクをしていたら、一台の車が来て止まってくれた。ドライバーは中年の男性で、「この車は牧場の仕事で使っているから、ちょっと臭いんだ。一旦、家に寄って車を変えるけれど、それでもいいかな?」「はい、お願いします。」車は十五分位で男性の自宅へ到着した。「おーい、途中で青年を拾ってきたぞ。」中から奥さんが出てきて、「あら、拾ってきたなんて言うからびっくりしたわ。どうぞ、中に入って。」「おじゃまします。」部屋の中へ招いて頂き、腰を下ろさせてもらった。「どちらから、いらしたの。」「東京です。」「それは遠い所、大変ねえ。」「今、主人が着替えているから、それまでゆっくりしてて。」優しそうな奥さんであった。 今日はここまで。徒歩田一の 思い出の残像に生きる人達(一)もよろしくしくね忘れたくない熱い想い 稚内市役所HPより、南極観測樺太犬 ホームページトップへ戻る..... フリーページへ 人気blogランキングへ
2006年03月19日
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トリノオリンピックの興奮も少し落ち着いてきた今日この頃だが、昨日帰宅途中に聴いていたカーラジオで、こんな事を言っていた。 荒川 静香選手がフィギュアスケートで金メダルを獲得して以来、スケート場の利用者数が激増しているのだそうだ。スケート教室にも申し込みが殺到しキャンセル待ちの状態で、スケート靴の売れ行きも好調だという。 まさに、荒川静香金メダル経済効果。 そう言えば、野球の王ジャパンも今がんばっているが、今回のWBCで日本が優勝したら、停滞気味の野球の人気も爆発的な急上昇を見せるのかもしれない。 各スポーツの日本代表に期待しています。では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 お目当ての温泉は、オンネトー湯の滝といい、森林の駐車場から四十分程歩かねばならない。緑の中を森林浴気分で温泉を目指す。 そして現れたのは、天然の滝壺を利用した露天風呂。先客がいて、子供を連れた母親が二、三組入っていた。みんな水着を着用していて、私と同行の男性も水着を用意していた。しかし、私にはそのような準備はなかった。ここまで来て温泉入浴を諦めるのか・・・。いやいや、それは出来ない。何事も無かったかのように、躊躇することなくタオル一枚で湯船に浸かった。「ここは、学術的に貴重なものが発見されたみたいで、近々立ち入り禁止になるらしいよ。」それなら、なお更入って正解である。この湯の滝は、マンガン酸化物生成現象を地上で見ることの出来る、世界で唯一つの貴重な場所なのだそうだ。 その為、この場所での入浴は、もう現在では出来なくなってしまった。その代わりに、別の場所に露天風呂が造られ、そこを利用出来るようになっているという。 元々、寄る予定のない場所が、こんなにも貴重な所だったとは、幸運なヒッチハイクであった。 今日は、ここまで。 荒川静香 公式サイト..... TORINO2006 ハイライト ◆20%OFF!Tribute to the Great Olympian TORINO2006~日本女子フィギュア代表の軌跡~フィギュア スケート靴 HOPPER-55 ホームページトップへ戻る..... フリーページへ 人気blogランキングへ
2006年03月09日
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私は、今年の社員旅行の幹事です。今日はもう一人の幹事と、仕事後に軽く打ち合わせをしてきました。 全社員に「我が社の社員旅行で楽しみたい事」というアンケートを事前に取った結果、1)温泉 2)美味しいもの この2つが圧倒的多数の指示を受けました。それで海の近くならなお良しです。 しかし、1泊2日の日程で更に過去の社員旅行と重複しないように以上の条件を満たそうとすると、適合する目的地が見つからないのです。 この条件だけでも目的地の設定に苦慮しているのに、実は我が社の社員旅行にはもう一つ、外してはならない物があるのです。それは、夜の遊び場、要するに「風俗」です。これを楽しみにしている人が多いのです。しかし、そんなに都合の良い場所はありません。 団体旅行の幹事は大変です。皆それぞれ、色々な希望がありますから。一人旅のプランニングなら気楽なのですがね。それでは、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 キャンプ場で一夜を明かし、阿寒からのヒッチハイクは、このアイヌコタン近くの国道から再開した。いつもの頭を下げながらのヒッチハイクポーズをしては、車に素通りをされ、また次の車が来るまでテクテク歩いていく。 ヒッチハイク開始から十分もした頃、一台の車が止まってくれた。乗せてくれたのは二十代中頃くらいの男性。オンネトーの天然露天温泉に行くそうなので、私もご一緒させて頂く事にした。「北海道の三大秘湖って知ってる?」そう、男性が問いかけてきた。「えーっと、摩周湖と・・・」「いやいや、そうじゃなくて・・・」透明度世界一を誇った摩周湖なら、当然その中に名を連ねていると思っていたが、そうではないのである。因みに三大秘湖とは、これから行くオンネトー、東雲(しののめ)湖、オコタンペ湖をいうらしい。 オンネトーは周囲約四キロの湖で、酸性の湖水には魚はいないらしく、エゾサンショウウオとザリガニがいるという。「おお、これがオンネトーか。水の色が緑だなあ・・・」秘湖とはいっても、車ですぐ近くまで行かれるので、気軽に訪れる事が出来る。原生林に囲まれた、エメラルドグリーンの静かな水面であったが、空模様と共に刻々と色が変化するのだそうだ。 今日は、ここまで。 ホームページトップへ戻る..... フリーページへ 人気blogランキングへ
2006年03月03日
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ホームページの内容を大幅に変更して、『体験!便利で楽しい快適な旅の総合情報』と題した旅情報のページにしました。航空券、JR指定券、宿、ツアー旬の情報等で、皆さんの楽しい旅の企画立案に役立つことができたら嬉しいです。レジャー、帰省、出張等にぜひ、ご利用下さい。 フリーページにも、日常生活に役立つあらゆる情報を取り入れましたので、ご覧になって頂けると幸いです。 今後も更なる情報の掲載に、力を入れてホームページを充実させていきますので、どうぞよろしくお願いします。 掲示板等に書き込みを下さった方々、御返事が遅くなってすみませんでした。 それでは、今日も前回の続きから。 ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 このマリモの他にも、阿寒では新たな観光資源(名産品)の開発が行われていた。当時、聞いた話で、阿寒湖にて食用としてのザリガニの養殖を始めた、というのがあった。ニュースでも紹介されていたが、現在はどうなっているのであろうか。食べられる部分が少ない、というザリガニは、新たな名物になる事が出来たのか、今度阿寒へ行く機会があったら、ぜひ確かめてみたい。 もう一つ、阿寒の街で訪れたいのがアイヌコタン。民芸品店が並び、アイヌ風?な不思議な音楽が街中に流れていた。熊彫りの実演や、アイヌ衣装を身にまとった、メノコ(女)達のアイヌ踊りも見られるという。私はこのコタン内のトーテムポールの前で、大きな荷物を背負ったまま、記念撮影をした。 このアイヌコタンのすぐ近くに、ライダーハウスを発見。部屋の中の洗濯ひもに洗濯物が掛かっているのが見え、気取らないライダーハウスらしい雰囲気を感じた。こういった施設やキャンプ場が多いのも、北海道の魅力の一つである。 今日は、ここまで。 ホームページトップへ戻る..... フリーページへ 人気blogランキングへ
2006年02月22日
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昨日、午前中に妻と食材の買い物に出かけ、帰りは少し遠回りをして山道を通ってみた。その道中、民家もほとんどない山中の道沿いに、最近建てられたと思われる、新しい洋風の建物を見つけた。車を運転しながら横目で見ただけであったが、店前のベンチに「OPEN]の札が置いてあるのが見え、「喫茶店」と書かれた看板の文字も読み取れた。 人も車もあまり通らない山道ではあるが、町を一望できるロケーションは魅力で、静かに落ち着いた時間を過ごせそうである。 今度の休みにでも、妻と行ってみようかな。少し気になる店である。本場、イタリア製のコーヒーマシーン。では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「今日は、どこに泊るんですか?」「近くのキャンプ場です。」地元の人なので、キャンプ場にお風呂がない事を知っていたのであろうか、「もし良かったら、この五右衛門風呂に入ってもいいですよ。」と、指を差した店の脇に、ドラム缶が置いてあった。気持ちはありがたいし、未体験の五右衛門風呂も面白いとは思ったが、さすがに観光客が行き来する店の前で、風呂に入る勇気は無かったので、その日は温泉街の銭湯で汗を洗い流した。 後日、出来上がった、キツネを抱いた時の写真を見たが、キツネが迷惑そうな顔をしているように見えた。 温泉街から湖畔の木々に覆われた遊歩道へと散策し、ボッケという小さな泥炭山へ出た。この名はアイヌ語のポフケ(煮立つ)に由来しているらしく、火山活動の余韻を残す数個の爆発口から、鉛色の灰泥がボコボコと音を立てながら泡を噴き上げて、坊主地獄を現出させていた。 阿寒湖といえばマリモが有名で、どこの土産物屋でもよく見かけた。アイヌ人が神の化身として大切にしているマリモは、世界的に見ても北ヨーロッパなど一部の地域にしか存在しない貴重なもので、特別天然記念物として大切にされ、生息地帯への観光船の立ち入りも禁止されている。しかし、このマリモの発生や生育(なぜ、丸くなるのか)についてはまだ、よく判っていないらしい。 今日は、ここまで。
2006年02月13日
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私の自動車保険の更新時期が、近づいてきました。 色々な保険会社から見積もりを貰うと、確かに安い保険会社はあります。でも、万一の時の対応の質までは、保険会社から貰った資料だけでは、分かりにくいものです。安全運転はもちろんの事ですが、保険は安心の質で選びたいところです。 それでは、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一阿寒湖温泉街と秘湖オンネトー 阿寒横断道路は、エゾマツやトドマツ等の原生林の中を、右に左にカーブ切りながら、弟子屈方面から阿寒湖へ向けて延びている。この道は、途中で分岐する道が殆どない為、利用者の多くは、道なりに阿寒湖へ向かう事となる。つまり、弟子屈でヒッチハイクに成功すれば、阿寒湖まで乗り換えなしで来られる可能性が高い、というわけである。実際、私のヒッチハイクの時も、そうであった。 阿寒のキャンプ場は、温泉街から近い所にある、林間のキャンプ場だった。早めの時間に着いたので、お土産物屋さんが多く軒を連ねる温泉街を散歩していたら、ある店の前に、鎖につながれたキタキツネを見つけた。店の前で観光客の気を引く、看板犬ならぬ看板キツネである。私がキツネに興味を示していたところ、「良かったら、このキツネ抱いてみてもいいですよ。」三十歳位の男性店員さんが、声を掛けてきた。それなら是非と、抱き上げようとしてみるが、キツネがもがくように脚を動かすので、上手に抱くことが出来ない。いや、抱き方が下手なので、キツネがもがいたのであろうか?いずれにしても、人に良く慣れた子犬を抱くようには、いかなかった。それでも店の人の助けを借り、何とか胸に抱くことが出来た。そこで、「写真も撮ってあげますよ。」と、私のカメラのシャッターを押してくれた。気さくな感じの店員さんであった。 今日は、ここまで。
2006年02月05日
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寒い日が続きますね。みなさん、御身体のご機嫌はいかがですか?北海道のオホーツク海岸に、流氷が漂着するのも、もうじきです。私は寒いのが苦手ですが、流氷は生で見てみたいものです。流氷と一緒にやってくるクリオネにも関心があります。冬の北海道も、夏とは違った良さがありそうです。行ってみたいなあ。流氷の天使クリオネが自宅で飼えます、癒しの空間があなたの部屋にも・・・ それでは、今日も前回の続きから。釧路のツーリングトレインで一夜を明かした翌朝、釧路のおいしい物を求めて和商市場へ向かいます。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 翌朝、洗面所でさっぱりして、荷物をまとめ出発の準備をする。ライダーやチャリダー達は、次なる目的地へと次々と走り出して行く。 私は海の幸を味わう為に、近くにある和商市場を目指した。沢山の店が所狭しと食材を並べていて、それを求める多くの客で賑う、食のデパートである。 注目したいのは、ここでの食事の取り方である。まず、市場内のご飯やさんへ行って、どんぶりにご飯をよそって貰う。そして、そのどんぶりを持って、市場内の色々な店を廻り、自分の好きな食材を、次々とご飯の上に乗せて貰うのである。ウニ、イクラ、たらこ、ホタテ・・・たちまちご飯が覆いつくされていった。 そういえば、「さんまの刺身がすごく旨いんです。和商市場へ行ったら、ぜひ食べてみて下さい。」と、言っていたライダーがいた。さんまといえば、焼いて食べる物だと思っていた私にとって、刺身で食べるさんまは意外であった。これもご飯の上に乗せてみた。 これで、自分オリジナルの贅沢丼の出来上がりである。ウキウキしながら、心持ち足どりも速足で、市場内のベンチへ行きこれを食す。当然、旨いに決まっている。ベンチの横を通り過ぎる人達が、羨ましそうに私の贅沢丼を見ていた。 私が釧路に住んでいたら、間違いなくしょっちゅうここに来るであろう。 因みにこの和商市場には、海産物以外の食材のお店もある。ここで見つけた珍しい食材は、レッドムーンという赤いじゃがいも。形といい中身の色は、普通のじゃがいもと同じであるが、表面(皮)がさつまいものような色をしているのである。少し甘みがあり、煮崩れしにくいという。 我が家では、このレッドムーンを何度か自宅へ宅配してもらっている。市場内の多くの店は、地方発送に応じてくれるらしいので、気に入った食材を自宅でも味わう事が可能、というわけである。 今日は、ここまで。
2006年01月29日
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日本テレビのホームページから注文した、箱根駅伝グッズが先日我が家へ届きました。楽天での取り扱いがあれば、楽天を利用したかったのですが、残念ながら楽天では取り扱いがありませんでした。 注文したのは、携帯電話ストラップと、マフラータオルで、どちらも実際に箱根駅伝で使用されたタスキと同じデザインが採用されています。 お正月の風物詩である箱根駅伝、来年も箱根路での快走に期待しています。楽天で、箱根駅伝をキーワードにして検索すると・・・実話を元に製作された、ヒューマンドラマです。(このドラマの原案となった『僕、死ぬんですかね』は、2000年度「第5回報知ドキュメント大賞」受賞)出演 : 福山雅治、瀬戸朝香、小栗旬、松本莉緒 他 それでは、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 銭湯でさっぱりして宿へ戻ると、ライダー達それぞれが、飾り気のない裸の蛍光灯の灯の下で、畳に地図を広げながら語り合っていた。ライダー達とのふれあいの光景は、どこででもそうは変わらないが、室内である為か、キャンプ場とはまた少し違った雰囲気があった。 畳の上で横になるも、布団が用意されているわけでもなく、持参した寝袋での睡眠なので、快適なものではない。しかし、みんな疲れている為、明日の為にも遅くまで起きている人はいない。比較的早めに寝袋に包まっていた。「もう、電気消してもいいですか。」と、誰かが言い出し、室内の電気は消された。 それから間もなく、「ガー、ゴー、ガー、ゴー」隣の人が、いびきをかきだした。それも、結構強烈。これでは眠れない。いつまでも止まらないいびきに、「すごい、いびきだなあ。」と、周囲の人と暗やみで顔を見合わせていた。そんなすぐ脇をエンジン音も高らかに、ディーゼル列車がかすめて行く。この宿自体が線路の上にあるので、列車は本当にすぐ脇を通る。こんな事もありながら、肌寒い晩夏の釧路の夜は更に更けていった。 今日は、ここまで。
2006年01月22日
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寒さが厳しく、降るなら雪であったこの頃でしたが、今日は雨です。いつもより暖かな一日に、ほっとしています。 まだ、一部のインポート業者でしか扱っていない珍しい逸品。氷のような透き通る輝きは、オールシーズン使えそうです。 それでは、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 そろそろ風呂に入ろうと、ツーリングトレインで一緒になった数人と、宿から少し離れた所にある銭湯へ向かった。夕暮れの釧路の町を、道中の話をしながらのんびり歩く。 その中に、海外を旅して廻った経験がある、という青年がいた。旅先で、金銭的な被害に遭う日本人が多いというが、この青年はこんな事を言っていた。「国によっては、教育は勿論、食べる物さえ満足にない地域が沢山ある。それなのに、自分達は旅行をさせてもらえている。だから、そんな人達から、少しくらいお金を騙し取られたからといって、とやかく言うべきではないんだ。」日焼けしたTシャツ姿の彼は、きっと海外でも、この北海道の旅と同様に、パック旅行ではなく、一人で色々な物を見てきたのであろう。観光名所ばかりを廻る団体ツアーでは見ることの出来ない、現実の厳しい姿を、目の当たりにしてきたのかもしれない。彼の言葉には、説得力があった。 今日は、ここまで。
2006年01月14日
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みなさん、どんなお正月を過ごされましたか。もう、正月気分も終わりですね。では、今日も前回の続きから。 お正月で疲れた胃腸に優しい、『野の七草玄米粥』で健康的にダイエット。 ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 夕闇が迫ってきたので、そろそろ釧路市街へ戻る足を確保する必要があった。そこで、市街へ帰るドライバーと交渉するべく、展望台の駐車場で、帰路につく車を待っていた。 しばらくして、一人の四十歳くらいの男性が、展望台の建物から出てきて、ワンボックスカーのドアを開け始めた。そこへすかさず、「あの、もし釧路駅方面へ行くようでしたら、乗せて頂けませんか。」すると、その男性は後から来た連れの人に、「釧路駅の方へ行きたいらしいけど、乗せてあげてもいいよな?」それに対し、連れの人は、「ああ、いいだろう。」その後も続々人がやって来て、次々と車に乗り込んでいった。「よろしくお願いします。」と、私は補助席に乗り込み、これで満員となった。グループ旅行の仲間に、二十分程お邪魔して、釧路駅で降ろして頂いた。 そして、本日泊る宿へと向かう。その名は『ツーリングトレイン』根室駅にも同様の物がある、と紹介した事があったがそれである。 宿の入口(客車の入口)にて受付を済ませ、料金を払うと寝る場所を指定される。一人につき、与えられるスペースは畳一畳分。そこで、持参した寝袋に包まって眠るのである。この客車は二両あり、かなりの賑わいを見せるのであるが、ある日、私が泊った時は、私を含めて宿泊者が三人、なんていう時もあった。 とはいえ、釧路市街地には、このようなライダー向けの安宿が少ないので、とても貴重な存在である。立地的にも駅構内なので、周辺への買い物にも便利である。ただ、釧路駅の近くには、なぜかコンビニエンスストアーがなかった。(現在は、どうだか分からないが) 近くのスーパーで弁当を買って、それを夕食にした。和商市場の海産物は、釧路に来たらぜひ、味わっておきたいところであるが、明日のお楽しみとしておいた。 今日は、ここまで。
2006年01月08日
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謹賀新年。皆さんの所では、初日の出は見られましたか?今年一年が良い年でありますように。今年もよろしくお願いします。コーヒー好きにはたまらない、お正月セットです。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 この釧路湿原には、細岡展望台とは反対側の西側にも、釧路市湿原展望台というのが存在し、こちらも多くの観光客が訪れている。せっかくなので、ヒッチハイクでこの展望台を目指してみた。 ホールや資料展示室が併設されている有料の施設で、近くには湿原への遊歩道があった。二〇kg位あるリュックを背負い、蚊の多い遊歩道を延々と歩いてみたら、途中、湿原の草むらの中に、シマリスを発見した。以前、シマリスを飼っていた事があり、思わず、その時のリスの名前で呼びかけていた。「ピーコ、ピーコ。」リスはこちらに振り向くこともなく、草に掴まりながら、何やらガサゴソとしている。この子達は、広い湿原の中で伸び伸びと、毎日を暮らしているのだろう。野生の中で生きていくのが、動物にとって一番の自然な姿であり、このリスの自由に動き回る姿は、とても幸せそうに見えた。 飼っていたリスが逃げた時、アイツは嬉しそうに走り回っていた。鼻の頭に土を付けて、はしゃいだように、木登りまでしていた。 やっぱり、野性でそっとしておいてあげるのが、一番良いのである。などと、リスと二人の世界に浸っていた時に、何気なく後ろを振り向いたら、一人のライダーがいた。今までのを、全部見ていたのであろうか?私は、恥ずかしくなって、「いやあ、実は以前シマリスを飼っていましてねぇ・・・」と、状況説明をしていた。 遊歩道を一回りして展望台へ戻り、夕刻の湿原の景色を堪能する。西側から見る景色も、東側から見たものと同様に雄大である。 今日は、ここまで。
2006年01月02日
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新撰組、土方歳三の生涯を紹介する番組を、テレビで見ました。洋服の着用、鉄砲を用いた戦術を取り入れるなど、時代に順応する能力を持ちながらも、時代の流れには逆らって生き続けた土方。 しかし、己の信じる道を、貫き通した新撰組の生き方に、共感する人は多くいます。新撰組 副長 土方歳三の愛刀 和泉守兼定、土方歳三は今も、函館のどこかで眠っているそうです。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一釧路湿原と贅沢丼 釧路は道東最大の都市で、商工漁業、また観光都市としても栄えている。そんな釧路へ来たらまず行きたいのが、釧路湿原。二万九千ヘクタールにも及ぶ日本最大の湿原で、一部を放牧に利用している他は、人家もわずかしかないという。 車やバイク等の足がない人が、気軽にこの大自然の眺望を味わいたいのなら、細岡展望台へ行くと良い。釧路駅から釧網線に揺られ、シーズン中のみ営業する釧路湿原駅にて下車して、駅すぐ近くの階段をしばらく登り、砂利道を行くと展望台へ出られる。 眼下に広がる広大な湿原と、蛇行を繰り返す釧路川、遠くに阿寒の山々を望む事が出来る。ここから沈む夕日も、また美しい。 この辺は道路で行くよりも、列車からの方が良い景色を見られるのか、団体のツアー客までもが、わざわざこの辺りの区間だけ、列車に乗り込んで来ることがある。すると、観光客で賑う二両ばかりの列車は、たちまち通勤ラッシュのようになってしまう。こんなに多くの団体客を乗せる予定ならば、ツアー側は予め専用車両を用意するべきである。 今日は、ここまで。
2005年12月21日
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昨日、本田美奈子さんの闘病生活を、テレビで放映していました。本田さんは、辛い闘病生活にあっても、いつも笑顔で周りに気を遣える、精神の強い方だったのですね。 あの綺麗な歌声を再び。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 この時、このキャンプ場で私は、『徒歩ダー』と呼ばれていた。バイクで旅をする人をライダーと呼び、自転車旅の人をチャリダーと呼ぶ。そして、私のように、ヒッチハイク(徒歩)旅の人は徒歩ダーとなる。なぜか、最後に必ず『ダー』が付くのである。ライダーやチャリダーは複数いる為、その呼び名では、人物の特定は無理であるが、『徒歩ダー』は、そこでは私しかいなかった為、『徒歩ダー』=『私』であり、そう呼ばれるようになった。「徒歩の旅かぁ・・・。山には登るの?」「いいえ。山登りはしません。」「もし、関心があったら、知床の秘境を、歩いてみたら?以前、この半島の先端、知床岬へ数日かけて、歩いて行った事があってねぇ・・・」と、こんな話を、どこかでライダーから聞いた事があった。しかし、知床岬へ続く道路はなく、この旅の敢行には、かなりの危険と厳しさを強いられるようだ。「水や食料は全て持参して、野宿をしながら道なき道を進むんだ。まあ、最近は岬に行く人が増えたから、獣道みたいになって、少しは通り易くなったかもしれないけど・・・」とてもではないが、私は真似したくない旅である。 知床の山深い緑と羅臼川、そして快適な露天風呂、といった恵まれた環境で人気の、このキャンプ場に、また今後も、多くの人が訪れるであろう。ここから楽しい思い出が、これからも沢山できるよう、この場所がいつまでも美しく、ここを訪れる人の心も美しくあり続ける事を願いたい。 今日は、ここまで。
2005年12月16日
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今日は、午前中から小雪が舞っていました。今年はホワイトクリスマスになりますでしょうか。 大切なあの人へ、クリスマスプレゼントローズです。 では、今日も前回の続きから。ここ知床に、皇太子様と雅子様が行啓されるとのことで、キャンパーの間でも話題になっていました・・・。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「そう言えば、ここ数日、テントの数が増えてない?」「もしかしたら、警護の人が、張り込んでいるんじゃないの?」言われて見れば、一人用の小さなテントが、少し高い位置に幾つか点在していた。でも、それが一般キャンパーの物か、警護の人の物なのかは、分からない。 皇太子様と雅子様は、知床で登山を楽しまれたそうであるが、羅臼のキャンパーの間でも、こんな形で話題になっていたのである。 翌年、私は再びこのキャンプ場を訪れた。また、近くのキャンパー達との、交流がはじまった。私が上の方のテントサイトを見ていると、「どうしたんですか?」と、近くのキャンパーが、声をかけてきた。「んー、あそこにいる人、去年も、ここに来ていた人じゃないかな、と思って・・・。一緒に火を囲みながら、話した覚えがあるんです。」「それなら、声をかけた方がいいですよ。」似ているとは思ったが、確信は持てない。それでも、いつものように、話しかければ良かったのに、結局、声をかけられなかった。残念である。 今日は、ここまで。
2005年12月12日
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近くの山が、うっすらと雪化粧をしました。スキーシーズンも間近です。昔、千葉の船橋にあった、ザウスでスキーをして以来、二回目のスキーを今年はしてみようかな。 でも、このソリも、面白そうです。視線が低い位置にくるので、少し、怖いかも・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 ここは、多くのライダー達が集まるキャンプ場なので、語らいの輪も出来やすい。近くのキャンパー達と、マキの火を囲んでの語らいをする。このマキは、あるライダーが山から調達してきた物らしい。「また近いうちに、マキを取ってきます。」このキャンプ場での要領を得ている感じで、長期滞在のキャンパーが、多いようだった。八月後半とはいっても、ここ知床では夜は冷えるので、火の暖かさがありがたい。「皆さん、もうどれくらい、旅をしているのですか?」「俺は五月から。」「○○さんは、今年も民宿に住み込んで冬を越すの?」「んー、どうかな。」「今年も(横にいる女性と)、一緒なのかな?」二人は少し照れた表情を見せ、女性の方は少しうつむき加減になっていた。みんな大らかに、毎日を楽しんでいる感じがした。「ねえねえ、この知床に、皇太子様と雅子様が来られるんだって。知ってた?」「えっ本当?」「それで、この辺のライダーハウスにも、『怪しい人はいませんか?』って、調査が来てるらしいよ。でも、ライダーハウスにいる人なんて、皆怪しいからねぇ・・・。」ライダーハウスとは、ライダー向けの安宿で、相部屋で寝袋持参という所が多い。ライダー以外でも泊めてくれるが、中にはライダー専用、というハウスもある。私も泊まった事があるが、キャンプ場と同様に、色々な人がいて面白い所だった。 今日は、ここまで。
2005年12月08日
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今日も寒い一日でした。まだ、車のタイヤを、スタッドレスに交換していない人が多いこの時期に雪が降ってしまい、今朝は通勤で困った人も多かったことでしょう。運良く、私は交換済みだったので、ほっとしました。チタンの蓄熱・保温効果でとっても暖かいベスト。少し、気になります。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 その負担のおかげを以て、たどり着いたキャンプ場は、知床国立公園羅臼温泉野営場。このキャンプ場の人気は高く、トップシーズンを過ぎた八月後半や九月でも、テントの場所取りが困難なくらい賑っていた。 人気の訳は、国道を挟んで反対側にある無料露天風呂、『熊の湯』の存在があるからではないだろうか。男女別に分かれていて、毎日気軽に利用できるので、ありがたい。照明設備があったので、夜間でも利用可能のようである。深夜時間帯に、「風呂に行ってきます。」なんて出掛けて行った人もいたので、二十四時間利用できるのであろうか? ただ、朝の時間帯に清掃をする為、その直後はお湯が少ないという話や、お湯が熱いからといって、水でうめると、漁師さんに怒られる、なんていう話も聞いたが、真偽の程は、よく分からない。 今日は、ここまで。
2005年12月05日
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年末ジャンボは買いますか?もし、一等に当選したら、こんな買い物はいかがでしょうか? あっ!当たっても全然足りない・・・ では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 話をヒッチハイクに戻そう。ウトロの街を出て、山へ向かっていたところ、前を走っていた観光バスが、ハザードランプを焚いて停車した。どうしたのか、と思っていたら、「この先は峠道で、追い越しが無理だから、一般車に道を譲ってくれたんですね。」との事。 ウトロから国道は海を離れ、知床半島を横断して羅臼へ向かう。 途中、知床峠にパーキングがあるが、羅臼岳が目の前にせまり、晴れていればここから国後島を望む事が出来る。 これより先は、本格的な峠道だ。「いつもはもっと飛ばすんだけど、今日は人を乗せているから、大人しく走りました。」と、言う彼は、この道に慣れているのであろう。安定した快適な運転で、無事キャンプ場へ送って頂いた。「ありがとうございました。」「それじゃあ、いい旅をして下さい。」彼の黒い車は、峠道を引き返して行った。彼は特に、この辺に用事があったわけではないのだろうから、今通ってきた、斜里までの五十キロ近い道程を、ただひたすら戻って行ったのであろうか。もしかしたら、大学のある網走(斜里から更に五十キロ位離れている)まで帰ったのかもしれない。いずれにしても、かなりの負担を掛けてしまったようである。 今日は、ここまで。
2005年11月30日
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疲れがたまって、今日の午後はずっと眠ってしまいました。これから年末に向けて、忙しい日々が続きますが、もうひとふんばりです。ハローキティの【前開きチャイナパジャマ】です。キャラクター好きの人には、良いでしょう。彼女や奥さんに、いかかがですか。 では、今日も前回の続きから。今日は知床五湖とカムイワッカの滝のお話です。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 この時は、ウトロからそのまま国道沿いに、キャンプ場を目指したが、観光名所の知床五湖は、ここから国道を逸れ更に半島の先端へ向けて進む。 バスツアーで知床五湖へ行ったことがあるが、見学の時間があまりにも短かった。その名の通り五個の湖があるのだが、駆け足で行っても、全部の湖を見るのは、かなりきつかった。ツアー参加の殆どの人は、途中で引き返して来た様だった。湖周辺には、ヒグマも生息しているらしいので焦って廻るより、熊よけの鈴を鳴らしながら、ゆっくり歩く方が良いのかもしれない。じっくり見たいのなら、車やバイク等の自分の足が欲しいところである。 この知床五湖から、更に半島の先端へ向けて道を進み、長いダートを越えると、カムイワッカの湯の滝がある。このダートに、自転車で挑んでいたチャリダーがいたが、自転車で超えるには砂利が大きくて、かなり厳しいように思えた。 カムイワッカの湯の滝は、温泉と水が混じった湯の滝で、滝をよじ登って滝壺の温泉に浸かる事が出来る。上に登れば登るほど、湯の温度も高くなるそうであるが、岩肌を登るのが苦手な私は、比較的低い位置の滝壺に浸かっていた。なんとも変わった温泉で、面白いのであるが、帰りの岩肌降りの事を考えると、何となく私は落ち着けなかった。 この岩肌を登るには、裸足では辛い。わらじの貸し出しなんていうのもあったが、ここへ行かれる方は、その辺の準備もしておいた方が、良いかもしれない。 この滝付近からは、知床大橋を見る事が出来る。高さ八十メートルの立派な橋であるが、遠くから見ただけで終わってしまった。 今日は、ここまで。
2005年11月27日
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機器の調子が悪く、数日間インターネットに接続できなかった為、日記の更新、及びお返事が遅れてしまい、すみませんでした。 今日、愛車のタイヤをスタッドレスに交換しました。例年では、12月に入ってからの交換ですが、今年は雪の降る予感を察知しているのか、今から交換する人が多いのだそうです。 運転に更に、神経を使う季節です。ブリジストンは人気ありますね。では、今日も前回の続きから。今回は、人気の知床でのお話です。 ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一大人気、知床羅臼のキャンプ場と皇太子様、雅子様の行啓 私が知床を訪れる時は、いつも斜里側から入り、羅臼側へ抜けるルートを辿っていた。特に理由があるわけではないが、何となくそうなってしまうのである。 今回もそのルートで、斜里駅近辺にてヒッチハイクをして、知床半島を海沿いに進む。この時乗せてくれたのは、網走の大学に通うという学生さん。乗っていた黒のスポーツタイプの車から察すると、結構な車好きの人だろうか。この人は、元々は地元の人ではなく、大学へ通う為に、他の地域から転居してきたらしい。「田舎は、すぐに噂が広まるから、注意しないと大変なんです。飲み屋でちょっと派手に酔っ払うと、数日もしないうちに、皆が知ってますからね。」この人も、都会育ちのようである。 国道を進んで行くと、途中にオシンコシンの滝がある。高い断崖から落ちる、迫力のある滝を見ながら一休み。駐車場があり、観光バスも立ち寄る、観光ポイントである。 更に進むと、ウトロという街に出る。ここは知床峠を挟んで、羅臼の街と丁度反対側の位置になる。この街で、学生さんがお土産用に、やまぶどうのジュースを買ってくれた。車に乗せてもらい、更にお土産まで頂いては申し訳がないのだが、「いいんですよ。せっかく来たんですから。」その言葉に、ありがたく頂戴する事にした。 今日は、ここまで。
2005年11月23日
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今日は、紀宮様のご結婚の日ですね。おめでとうございます。お幸せに。一枚の写真から、オリジナルのフィギュアができるそうです。プレゼントにも喜ばれそうです。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 特に、この地図を宣伝するつもりはないが、この地図は道路、キャンプ場、ライダーハウス等の、ライダー達に嬉しい情報が地図上に記載してあり、普通の地図やガイドブックとは違った趣向がある。又、製本の方法も、ライダーが使いやすいように考えられていて、綴じる部分には針金を使用してあり、見開き二ページを百八十度水平に開くことが出来る為、綴じ代に近い部分が見えにくいという事がない。更にページを後ろ側に回す、つまり三百六十度開いて、見開きの片側一ページ分の大きさにすると、バイクの燃料タンクの上に置くのに、丁度いい大きさとなる。これはライダーに受けるはずだ。ライダー以外にも、チャリダー(自転車旅)、私のようなヒッチハイカーにも嬉しい地図である。 このツーリングマップルで、神の子池を調べると、確かに地図上に記載があった。さすがは多くのライダー達に、指示されるだけのことはある。裏摩周展望台からは、道沿いに十キロ程であろうか。入口よりダートが二キロ程続くのであるが、その入口の案内看板を見落とさないよう、注意して進む。ダート区間は速度を落とし、そろりそろりと走った。 やがて現れた、神秘の神の子池。車を降り池の近くへ行ってみて、まず驚くのは水の色。真っ青というより、少し緑がかったエメラルドブルー、とでも言うのであろうか。自然の水で、こんな色はそれまで見た事がなかった。何か透明色の塗料か、入浴剤でも入れたかのような、不思議な色をしていた。底の方には、倒木が何本も沈んでいるのが見える。 神の子池は、周囲二百二十メートル、水深五メートル程の、摩周湖の伏流水によってできた池で、水温も年間を通して八℃、と低温らしい。更に、この池の伏流水は、一日約一万二千トンもあるという。遠くからしか見られなかった摩周湖の水が、ここではすぐ近くで見られる。しかも、その水の色が、ここまで不思議で神秘的であったとは、それほど大きくない池であるが、感動は大きなものであった。 今日は、ここまで。
2005年11月15日
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昨日、NHKで『新日本紀行ふたたび』を見ました。『新日本紀行』は昔、放送されていたドキュメンタリーで、その時取材した町の、その後を追ったのが、今放送中の『新日本紀行ふたたび』です。 昨日の放送は、神奈川県の江ノ電沿線の町の、その後でした。昔、放送した映像(昭和52年放送)を交えての構成で、登場する人、車、電車、街、ナレーション、映像の質、全てがその当時を良く表していて、感慨にふけることのできる番組でした。 私は、こういう番組が結構好きです。色々な番組で使用された、テーマ曲が収録されています。もちろん『新日本紀行』のテーマ曲もあります。心に染み入るような響きが郷愁を誘います。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一ガイドブックにない神秘、神の子池 とても水の綺麗な『神の子池』だそうであるが、私の持っているガイドブックには載っていない。ヒッチハイクで乗せて下さった、地元の人と思われるおじさんも、あまり良く知らない様子。「そんな所より、鮭の沢山いる所があるから、そこへ連れてってあげるよ。」と、車を走らせた。どの辺をどう走っていたのか、よく分からないが、しばらくして着いた所では、多くの鮭達が身を寄せ合うように、ゆうゆうと泳いでいた。特に観光スポットでもないので、ガイドブックにも観光用の地図にも載っていないその場所は、地元の人の案内でもなければ、きっと行くことのない場所なのであろう。と、いう事でこの時は神の子池に行くことが、出来なかったのである。 そして次の年、今度はレンタカーを借りて、念願の神の子池との対面を試みた。釧路駅でレンタカーを借りて、網走駅で返す予定でプランを立て、ライダーがよく使用しているという、ツーリングマップル(昭文社)の地図を買い臨んだ。 今日は、ここまで。
2005年11月13日
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妻が、深夜までかかって私の為に、パンを焼いてくれました。そして今も、またパンを作っています。さっき、出来たばかりのパンを食べさせてもらいましたが、やはり、焼きたては美味しいです。 でも、パン作りは粉をこねるのが、とても重労働です。そこで、我が家ではパン焼き器を購入しました。粉をこねる重労働から、解放されました。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 摩周湖の水面はどこから見ても、静かで澄んでいている。摩周岳が左前方に見える。湖岸の砂浜へも降りたいところであったが、情報がない。気軽に立ち寄れる所ではないのかもしれない。良く調べもしないで、しかも一人で森林の中を行くことに危険を感じた為、今回は断念した。今度行く時は、よく情報を集めておきたい。 裏摩周展望台への人出は、三々五々といった感じ。十五人程度の小学生の一団も来ていたが、大型観光バスがあまり来ないこの場所は、落ち着いた感じであった。 爽やかな緑に囲まれ、そよ吹く風も心地いい。陽の光が鮮やかで、大きく美しい風景を包んでいた。静かに摩周湖の風景を眺めるなら、ここが良い。 今日は、ここまで。
2005年11月10日
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心がジーンと、する本を見つけました。2002年出版の本ですが、いい本です。愛犬との、何気ない日常の話に、涙が出ます。文字が少ないので、一気に読めます。 我が家にも、愛犬がいますが、一緒にいられる一日々々を大事にしたいです。 これは命のお話です。 では、今日も前回の続きから。人なつっこい小学生と別れた私は、裏摩周を目指します。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 開陽台から裏摩周展望台へ行く時は、途中の清里峠の辺りから、左へ二、三キロ入っていく。小学生と別れた後、私を乗せてくれた車は裏摩周へ寄ることなく、斜里方面へ向かう予定だったそうであるが、裏摩周まで送って下さった。 その裏摩周展望台は先の第一、三展望台よりも訪れる人が少なく、ひっそりと静かな感じ。売店や展望台の設備も、第三の物よりこじんまりとしていた。この売店で、夜の裏摩周の写真がデザインされたテレホンカードを購入。月の光に映し出された、光と影のみの風景が、静寂を伝えていた。「ここでキャンプをしましたけど、静かで最高でした。」と、言っていたキャンパーがいた。辺りに民家はなく、恐らく売店も、夜間は無人になるのであろう。特にキャンプ場として整備された場所ではないので、ここで夜を明かす人も、殆どいないと思われる。確かに静かな夜になることは、間違いなさそうだ。しかし、静けさを満喫するというよりも、人気が無さ過ぎて、心細さを感じるくらいである。大自然にとても親しめそうであるが、残念ながら私には、ここで一人キャンプをする度胸は無い。 今日は、ここまで。
2005年11月08日
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今日も寒いですね。ストーブが恋しい季節になりました。 最近は、資源のリサイクルに注目が集まり、各企業、自治体も力を入れていて、私の勤めている会社も同様です。 そんな時代に、こんなストーブを見つけました。 リサイクル社会の救世主になれますでしょうか、期待したいです。 廃油を燃料にするストーブです。 トレッキングブームを反映してでしょうか、最近は薪ストーブも密かな人気です。アウトドアー派の私には、炎の温もりがたまりません。 ログハウスに、薪ストーブ、男のロマンです。 では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「ヒッチハイクといって、車に乗せてもらいながら、旅をしているんだよ。」そこへ丁度、車が通りかかったので親指を立て、道側へその腕を伸ばしながら頭を下げる、いつものヒッチハイクポーズをとったが、車は素通りしていった。男の子はヒッチハイクがよく理解出来なかったようで、不思議そうな顔をして私を見ていた。そして、「これ、あげる。」と、キャンディーをくれた。ヒッチハイクに失敗した男が、子供の目に不憫に映った訳ではないと思うが、心の交流が生まれたようで嬉しかった。しかし、あいにく私は子供が喜びそうな物を持ち合わせていなかった為、何もお返しをしてあげられなかった。「ありがとう。」「じゃあね。」男の子は一団へ戻っていった。人なつっこい、可愛い子供であった。 今日は、ここまで。
2005年11月06日
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今日、各組合へ回覧文書の配布をする為、近所を歩いていたら、道端のりんごの木に、鮮やかな真っ赤な実がたくさん生っていて、その向こうに見える、プレハブ小屋の二階には、びっしりと柿が吊るされて、干してありました。干し柿の事は、以前も日記で触れたことがありましたが、りんごも美味しいです。 名産、市田の干し柿です。 こちらは干し柿を使った、上品なお菓子です。 このりんごを売っている『昼神温泉』には、中日ドラゴンズがオフの納会をしに、毎年(たぶん毎年)来ています。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 中標津町に、地平線が見える大パノラマを楽しめる、開陽台キャンプ場という所がある。ライダー達に人気のキャンプ場だが、開陽台の詳しい話は後程にするとして、裏摩周展望台を巡るプランを立てる際に、東側から内陸を目指し、この開陽台を廻るルートで、プランを立ててみた。 開陽台でキャンプをして翌朝、裏摩周を目指して出発した。開陽台へ観光に来た家族連れの車に乗せてもらい山を下る。両親と中学生位の娘さんの、三人での北海道旅行。「昨日の夜は雨風が強くて、夜中中テントが飛ばされないように、内側からテントを押さえていたんです。それが今日は、嘘みたいに天気が良くて・・・」などと、開陽台でのキャンプの話しをしていた。大人しそうな娘さんと、温和な感じのご両親。そう言えば私も家族旅行なんて、中学までだったな。 山を下った所で車を降ろしてもらい、裏摩周方面へ歩きながら、次の車を探す。探すと言っても、前を見ても後ろを振り返っても、車も人いない。草原と先へ延びる道があるのみ。「最悪、こんな所で夜を過ごすことになるのかなあ。いや、観光の車が、何台かは通るはずだ。誰かが乗せてくれるだろう。」普段の私からは考えられない、楽天的な考えだ。そんな考えでしばらくく歩いていたら、道から少し離れた所に小学生の一団がいた。遠足だろうか。その中の一人、低学年と思われる男の子が、「何してるの?」と、私の方へ近づいてきた。 今日は、ここまで。
2005年11月03日
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昨日、『火垂るの墓』の実写版を見ました。アニメ版は何回か見ましたが、それとは違うタッチで作られていて、印象が少し異なる物となっていました。 今回の実写版は、主人公の兄妹を引き取ったおばさんを通して、極限に追い詰められた人間の心の変わり様から、戦争を伝えるという形であり、アニメ版とは別角度の視点に、重点を置いた作品であったように思います。 戦争のない、世界の平和を望みます。 これは、アニメ版です。 では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 周囲を二百メートル以上の、急傾斜の山肌に囲まれた摩周湖。手が届きそうな程、すぐ近くに水面が見えるが、野球選手が展望台から石を投げても、決して水面には届かないそうだ。 そんな摩周湖の波打ち際の砂浜へ出られる、唯一の場所が裏摩周なのだという。また、そこから少し離れた所に゛神の子池゛という、これまた水の綺麗な神秘の場所がある、との事である。 そんな事を聞いたら、是非行ってみたくなるものである。地図上で位置を確認したが、先の第一、第三展望台と違って、裏摩周はアクセスがしにくい。移動手段を持たない私には、なお更である。今回は、急な事であった為、予定を変更するのに、無理があった。「でも、せっかくそんなに良いところがあるのなら、機会を改めて行ってみよう。」と、翌年ヒッチハイクを敢行してみた。 今日は、ここまで。
2005年11月02日
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こ、こんなに高いの!? 近所で犬の散歩をしていたら、柿を干している家を見つけました。干し柿作りは、この地域の風物詩でもあります。 では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一神秘の摩周湖を裏から見よう 摩周湖と言えば、透明度世界一を誇る神秘の湖。(近年、二位になったという話も聞いたが)霧の摩周湖と言われるくらいで、特に春から夏にかけては、湖が霧に隠されてしまう事が多いという。私は、この摩周湖を何度か訪れたが、幸運な事に!?霧の摩周湖にお目にかかったことがない。私が見た摩周湖は、いつも視界良好の晴天。湖にあるカムイシュ島は勿論、摩周岳、吸い込まれそうな青い水面も、全体が見渡せた。 いつだったか、近くにいた団体の観光ガイドが言っていた。「私も長いことガイドをしていますが、こんなに摩周湖が良く見えたのは初めてです。」私は、摩周湖とは相性が良さそうである。 この摩周湖には、西側山頂に二つの展望台があり、弟子屈から登ると第一展望台、川湯から登ると第三展望台にたどり着く。また、この二つは五キロ程の車道で結ばれている為、どちら側から行くにも、プランを立てやすい。私も、これらの展望台から景色を楽しみ、摩周湖を満喫したつもりでいた。 しかし、あるライダーから、こんな話を聞いた。「摩周湖には、この他に裏摩周展望台というのがあって、これが静かで、とてもいいんです。それに、そこから湖まで降りられるんです。」 今日は、ここまで。
2005年10月31日
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チャリダーもびっくり!こういう自転車もあるのですね。 最近、地域の活動が忙しく、日記の更新が疎かになってしまい、日記を楽しみにしている方々には、申し訳ありませんでした。出来るだけ、更新しますので、今後ともよろしくお願いします。 では、今日も前回の続きから。寒い層雲峡のキャンプ場の夜です。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一翌朝、温泉街の方へ歩いてみた。黒岳のロープウェイが見え、頂上の方は紅葉が始まっていた。山の冷気が、私の顔面に突き刺さるような痛みを感じさせる。早朝のひっそりとした温泉街から、しばらく紅葉を眺めていたが、寒さに耐えられず、テントへ引き返した。 層雲峡も、日が高くなってくると、気温が上がってくるのであるが、そんな時、あるキャンパーが、マウンテンバイクでテントサイトへ侵入して来た。(このキャンプ場は、サイト内への自転車の乗り入れを禁止している)その途端に管理棟から、「自転車で入るな!」と、怒鳴り声が聞こえた。このキャンプ場は絶対良い状態で残していく。と、いう管理人の強い気持ちを改めて感じた。 そろそろ出発の準備をしようとしていた時、昨日のランタンの人が、「もし、小樽にお越しの際は、ぜひ私の自宅に寄って下さい。」と、住所と電話番号を教えてくれた。 後日、小樽へ寄った際に電話をしてみたが、電話に出たのはお子さんで、ご本人は不在であった。残念。 今日は、ここまで、
2005年10月30日
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来年の年賀状のデザインを、妻が印刷していました。写真のモデルは我が家の愛犬です。甘えた可愛い顔で写っていました。かなり早いけれど、来年も元気でね。 では、今日も昨日の続きから。温泉街近くのキャンプ場の夜です。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 話をキャンプに戻そう。サイトは温泉街の賑わいから少し離れ、ひっそりとしていた。照明の設備もなく、日暮れとともに闇に閉ざされ、キャンパーのランタンが所々に灯るのみであった。そんな時、「ランタンを忘れてしまって・・・、すみませんが炊事場に行くのにランタンを貸してもらえませんか?」と、言ってきた人がいた。少し離れた炊事場までの視界は、全くきかない。「どうぞ。でも私、ヒッチハイクの旅でなかなか燃料の調達が難しいので、灯はあまり明るく出来ないのです。すみませんが・・・。」最低限、視界のきく程度の灯を持って、一緒に炊事場を往復した。 そのランタンの人も含め、周りにいたキャンパー達と語らいを持とうと、皆がテントから出て、誰かが温かいコヒーを淹れてくれた。しかし、夜が更けてくると、急に寒さが厳しくなり、とてもテントの外に居られる状況ではなくなった。話らいを始めるまでもなく誰かが、「寒いので、コーヒーを飲んだら終わりにしましょう。」と、言い出した。誰も異論は無く、皆コーヒーを流し込むように飲み込んで、テントの中に入っていった。私も寝袋を二枚重ねて横になった。こう寒くては、それ以外何もする事は無い。と言うより出来ない。 今日はここまで。
2005年10月26日
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コーヒー好きの私が、美味しそうなコーヒー福袋を見つけました。トップページで紹介していますので、ぜひ、見てください。 では、今日も前回の続きから。今回利用のキャンプ場は・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一寒い夜はテントで 温泉地である層雲峡には、多くの旅館や土産物屋が並び、賑やかな雰囲気をかもし出している。しかし、ヒッチハイカーの私は、そのような所とは無縁で、キャンプ場を目指す。 温泉街の賑わいから、そう遠くない所にキャンプ場はある。入口から五分ほど坂道を登ると、サイトが現れた。ここ層雲峡のキャンプ場は、大雪登山黒岳ルートの入口という事で、登山者がよく利用するようだ。とは言え、私が訪れた時(九月中旬)、周りの多くはツーリングのライダーか、チャリダー(自転車旅の人)であった。 そして、このキャンプ場で驚いたのは、管理が徹底していた事。場内に入り、張り紙を見て緊張が走った。過去にマナーの悪かった人物を名指しで批判してあった。「〇〇大学の誰々は・・・」と、いった具合に。少し過激にも思えたが、その甲斐あってかサイト内は勿論、そこへ至る道筋にもゴミ一つ落ちてなく、気持ちが良かった。 全国的に多くの場所で問題となっている、ゴミのポイ捨て。特に人目につかない所には、多くのゴミが放置されやすい。個々のモラルだけで解決されれば良いのであるが、なかなか現状は難しい。 キャンプの話とは離れるが、私が以前よく行っていた、鎌倉の海水浴場での事。この海水浴場もあまりゴミが落ちていなかった。(このキャンプ場のように全くゴミ無し、というわけにはいかないが)別段、監視をしているライフセーバーの兄ちゃん達が、怖くて厳しいという訳ではない。では、なぜなのか。答えは午後になって分かった。海水浴客が帰る頃の時間を見計らって、ライフセーバーの人達が、「ゴミの散乱防止にご協力お願いします。」と、言いながらビニール袋を配って歩いていた。海水浴客も、これに概ね協力していたようだ。公共の場所だけに、気持ちよくみんなが利用できるように、管理する側、利用する側、共によく考えていきたいところである。 今日は、ここまで。
2005年10月25日
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昨日は、地域の運動会でした。役員になってしまったので(ただの手伝いですが)、朝から疲れた一日となりました。過疎化に悩む我が地域ですが、子供達の可愛い姿が救いでした。では、今日も昨日の続きから。今日は、大雪山の懐へと向かいます。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 車は糠平湖の脇をかすめ、更に奥深い山を進み、道内最高地の峠である、三国峠のパーキングへ到着。ここで記念撮影、北海道を代表する大雪山系に広がる樹海を眺めた。 かつては、糠平や十勝三股まで列車が来ていたが、かなり昔に廃止されてしまった。鉄道で行くことが出来る場所は、わりと気軽に行きやすい感じがするが、そうでない場所に行くというのは、私の場合ちょっとした思い切りが必要である。大雪山の山深いこの地域は、特にその思い切りが必要な場所となる。ヒッチハイクの旅なので、鉄道の有無は無関係のはずではあるが、もし何かあった時の為に、存在してくれると、精神的に心強い物となる。 鉄道が存続するという事は、旅人は勿論、ことさら地域の人にとっての安心を提供している事になる。二本のレールが生きているという事は、それだけで非常に意味のある事なのである。 大雪山の懐を縫うかのように延びる国道を、さらに北上すると右手に大雪湖、そして観光客で賑う層雲峡へと辿り着いた。この道は、車窓からでも、北海道の大自然を味わえる国道の一つである。 今回の御主人の陽気な明るさは、大雪山の奥深い山の景色と共に、私の記憶に深く刻まれることとなった。 今日はここまで。
2005年10月24日
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「清里に『リラッくま』が来るから行きたい。」と、いう妻の希望で、雑誌社のそのイベントへ行ってきました。会場にある建物はどれも、カントリー調の落ち着いたいい感じでしたが、何しろ沢山の人で、歩くのも大変でした。人の少ない時に、じっくり風情を味わいたいですね。 では、今日も前回の続きから。今回、乗せてくださった方は、・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一障害があっても明るく ナイタイ高原から糠平湖、大雪湖を経由して層雲峡を目指す。ここで乗せて下さったのは、中年のご夫婦。途中まで私は全く気付かなかったのだが、ドライバーである御主人は、脚に障害を持っていらっしゃるようだ。しかし、この御主人はそんな事を全く感じさせない、とても明るく陽気な人であった。「ちょっと前に、車で都会へ行ったんだけど、田舎ナンバーだったから、かなりいじめられちゃってねえ・・・。」不愉快な思い出までも、軽やかに陽気に話していた。この人の周りを、人を和ませるオーラが、囲んでいるかのような感じを受けた。 人は障害があれば、それだけで悲観的になってしまったりもする。五体満足であっても、暗く物事を考えてしまう人も大勢いる。 しかし、この方の明るさは、無理に作られたものでもないように感じた。困難を乗り越えた、超越した心から沸き出ているもの、だからこそ、オーラに囲まれたように見えたのではないだろうか。 この方と交わした話が、何か特別な内容であった、というわけではない。本当なら、会話を再現して、この方の明るさを表現したいのであるが、正直、多くの話をしたにもかかわらず、何を話したのかを思い出せない。それ程、普通の何気ない会話が続いていたという事であろう。そんな会話の中でも、前向きな明るさを相手に感じさせる、この方のパワーが、いか程なものであったかを想像して頂きたい。 今日は、ここまで。
2005年10月22日
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『田舎暮らしの本』(宝島社)という雑誌をご存知ですか?その雑誌に短い文章を投稿したら、掲載決定のメールが先日、雑誌社の担当者から来ました。 私の町のお祭りについて書いたのですが、よろしかったら読んでください。この、ヒッチハイクの話と同じく、徒歩田 一のペンネームで、投稿しています。11月2日発売だそうです。 では、今日も前回の続きから。今日はナイタイ高原へ行きます。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一ナイタイ高原の駆け込みレストラン 上士幌航空公園から北を目指す予定であるが、ここまで来たらナイタイ高原へ寄ってみたい。早速、道々へ出てヒッチハイクを開始。高原を登る車に乗せて頂き、二十分程で頂上へ到達。 しかし、車を降りた途端に寒さが身を包む。しかも霧が深く、見えるはずの十勝平野も、全く望む事が出来ない。頂上には後からも数台の車が来たが、どの車の人達もドアを開けるとすぐに、目の前のレストランに吸い込まれていった。寒いし展望も利かないのでは、ここですることの選択肢は一つしか無いようだ。 この高原へ自転車で来ている人がいた。こういう人はチャリダーと呼ばれているが、テントやシュラフなどのキャンプ用具を荷台一杯に積み、どんな峠道にも自分の脚で挑むつわものである。「ヒッチハイクですか?すごいですね。」「いやあ、チャリダーになる事も考えたのですが、体力に自信が無かったので、こうなっちゃいました。」霧の展望台で言葉を交わす。霧が晴れる気配もなく、陽射しも閉ざされたままであった。チャリダーは一足先に山を下っていった。 私も後を追うようにヒッチハイクで山を下った。途中、さっきのチャリダーの姿を見つけ、車の中から合図を送った。向こうは私に気が付いただろうか?チャリダーの姿は、あっという間に後方へ小さくなっていった。「あの自転車の人、さっき頂上で会った人なんです。」「自転車でこの坂は、大変だねえ。」「自転車旅は、体力に相当の自信がないと厳しいですね。」車は霧を抜けて、麓へ無事到着。更なる旅路へと続くのであった。 今日は、ここまで。
2005年10月20日
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趣味でもあった自転車を、ホームページで紹介するにあたり、売れ筋を調べていました。 そこで、気になったことがあります。それは、重量の重いモデルが多いことです。重量が重いと、走りも重くなってしまいます。 自転車選びでは、重量も重要なポイントなのです。 では、今日も前回の続きから。寂しいので、早く寝たのですが・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 次の日の早朝、ボー、ボーと勢いよく風を吹き付けているような音が幾度となく響き、その音で起きてしまった。「いったい何の音なんだ?」と、少し恐る恐るテントの外へ出てみると、上空に熱気球が上がっていた。「さっきからしていた音は、これだったのか。朝から気球が上がっている町なんてすごいな。」平日の早朝から熱気球を上げているなんて、この人達はその後仕事に行くのであろうか。海沿いに住んでいる人が、出社前にサーフィンをしている話を聞いた事があったが、この気球の人達も、都会では考えられない贅沢な生活をしている。 キャンプ場の周辺では、八月に熱気球フェスティバルが行われているそうで、その際は、ここのテントサイトは、特等席になるのだという。 そんな幸せな気球を、しばらく眺めテントに戻った私は、ラジオを聴いていた。この日は九月十五日の敬老の日(当時は敬老の日は九月十五日と固定されていた)。敬老の話題の後に聴いた天気予報に、更なる驚きがあった。十日程前にキャンプした朱鞠内で、氷点下を記録したというのだ。あの時は暑くて、Tシャツ一枚で過ごせていたのに、草木も夏色だったというのに。秋を飛び越して、一気に冬が訪れたのである。もし、この日に朱鞠内でキャンプをしていたら、私は大変なことになっていただろう。北海道の自然は優しくもかなり厳しいのである。 今日は、ここまで。
2005年10月19日
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ホームページ上で、美味しいものを紹介をしているので、ぜひ覗いてみて下さい。もちろん、北海道の美味しいものも、あります。 では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一至れり尽くせりの熱気球の町で聞いた冬の便り 帯広から近い位置にある、音更という所から、北へ向けてヒッチハイクをしていた。車は多いが、なかなか停まってくれる車はない。遠くでダンプの運転手のオッちゃんが、私を物珍しそうな目で見ながら笑っている。この日、目指すのは三十キロ程先の、上士幌町航空公園キャンプ場。 しばらくヒッチハイクを続けていると、一台の乗用車が停まってくれた。運転していたのは三十代位の男性。「うちで冷たいのでも、飲んでいきなよ。」と、家へ招いて頂いた。家まで車で十五分位。家の前ではワンちゃんがお出迎えをしてくれたが、見慣れない珍客に少し興奮気味の様子であった。奥さんがご在宅で、冷たい麦茶を出して下さり、気分もリフレッシュされた。「シャワーも、浴びていっていいよ。」との言葉にも甘えさせて頂き、汗まで洗い流す事が出来た。更に、「これ、夕食にどうぞ。」と、タッパーに詰めたカレーと、茹でたとうもろこしまで頂き、至れり尽くせりであった。そして目的地のキャンプ場へも、送って頂いた。本当にありがとうございました。 そのキャンプ場であるが、スケボー少年が数人いたが、夕暮れと共に去ってしまい、キャンパーは、私の他には一人のみ。先程頂いたとうもろこしの、お裾分けをしに行ったのであるが、独りの世界を楽しみたいのか、あまり話しをする雰囲気もなく、ギターを弾いていた。民家からも離れ、ひっそりと静まりかえった、寂しく不安なキャンプであった。それでも、完全に一人ではないだけマシであった。炊事場に誰かが忘れていった、小さな石鹸が、シーズン中の賑いを感じさせた。起きていても寂しいだけだったので、この日は早めに寝た。 今日は、ここまで。
2005年10月18日
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今日は、一日雨でした。雨の日の夜は、特に車の運転には気を遣います。 会社帰りに、車にガソリンを入れました。セルフのスタンドでしたが、相変わらず、価格が下がる気配はありませんね。 では、今日も前回の続きから。廃止寸前のローカル線を降り、キャンプ場を目指して歩きます。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 駅から何も無い道を進み、前方に待ち構える坂道を登る。二十分程歩いて、キャンプ場へたどり着いた。この朱鞠内湖は、周囲約百キロの日本最大の人造湖。湖中には多くの島が浮かび、白樺の切り株も点々と見られる。人気もなく、静かで鏡のような湖面が広がっている。 近くの展望台からは、この湖の風景は勿論、緑に包まれた周囲の景色も、眺める事が出来る。遠くで列車の音がしたので、線路方向に目を凝らし、その姿を探すが、緑の深さに、なかなか見つける事が出来ない。ようやく緑の隙間から、小さなその姿を確認出来た。結構遠いのだと驚く。今となっては、もう見る事の出来ない列車の姿である。 キャンプ場内には、日本最寒気温を記録した記念碑(一九七八年にマイナス四十一・二℃を記録)があり、ここで記念撮影をした。最寒記録の記念碑の前で、Tシャツ一枚で写った、このキャップが何となくおかしい。この時は、まだ九月に入ったばかりで、夏の余韻が残っていたので、緑は青々としていて、日中の気温も蒸し暑かった。しかし、既に、この場所には、秋の足音どころか、冬が駆け足で近づいていた事など、私は知る由もなかった。十日程後に、私はその事で驚かされる事となるのであった。 今日はここまで。
2005年10月17日
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今日も、ホームページのトップを少しいじりました。さて、どこが変わったでしょうか?・・・紹介する物を少し変えました。 では、今日も前回の続きから。今日はヒッチハイクの途中で乗った、廃線間近の深名線(1995年廃線)というローカル線のお話です。 ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一廃線間近のローカル線と最寒記録の地 廃線を数日後に控えた深名線。始発駅の深川で発車を待つ列車の中では、廃線を惜しむ人達が、座席を埋めていた。これより更に、二年程前にこの線を訪れた時は、この日のような廃線の騒ぎとは無縁の、静かな文字通りのローカル線の雰囲気だった。がら空きの車内で、向かい合わせのボックスシートに足を伸ばして、何となく窓の外に目を向ける。退屈でのんびりとした時間の流れがあった。しかし、今回のように混雑していては、ローカル線の旅情を楽しめる雰囲気とは、到底縁遠いものがある。ある種のイベント列車の様相である。 ボックスシートはほぼ満席で、ようやく、ドア付近のロングシートの席に、座る事が出来たものの、人影に遮られ、殆ど車窓を見る事は出来ない。混雑した車内に、夏の暑さと、午後の気だるい陽射しが差し込む。旅人は皆疲れた様子で、ただ目的地への到着をじっと待っていた。 列車が終着の朱鞠内駅に到着すると、旅人は駅舎を外から眺めたり、写真に収めたりして、もうじき使命をおえようとしている、生きた鉄道の姿を惜しんでいた。この朱鞠内駅は、沿線では最も大きな駅であるのだが、駅周辺は閑散としている。駅のすぐ前には、数日後に鉄道からバトンを受ける、JRバスのバス停が設置されていた。バス停に描かれていたJRバスの象徴、ツバメのマークがよく目立っていた。殆どの旅人は、ここから更に列車を乗り継いで、先を目指す。次の列車までの、待ち時間のこの時だけは、ローカル線の駅舎も賑わいを見せていた。先を目指す次の列車がホームに入ってくると、その賑わいは車内へと吸い込まれていった。私は、この次の湖畔という駅で降り、朱鞠内湖畔のキャンプ場を目指したが、同じ目的の人は、いないようだった。 今日はここまで。
2005年10月15日
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ヒッチハイカー&キャンパーなんて言いながら、ホームページ上で、キャンプ用品の品評の一つも、してこなかったダメキャンパーが、ようやく、自身のホームページでキャンプ用品の紹介を始めました。しかも、参考にもならない、主観優先の勝手なコメント付です。でも、少しは『とほダー』らしいホームページになってきたのではないかなと、思うのですが・・・。「だから、キャンプシーズンは終わりなのって言ってるじゃん。」「デイキャンプなら、まだまだやれるよ。」(開き直り)では、今日も前回の続きから。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 社会人になってしまえば、学生時代のような長期休暇はまず望めない。あとは定年まで、働きづめの毎日があるだけ。自分の時間もまともに持てず、やりたい事も出来ず、毎日当たり前のように、仕事をしなければならない。 しかし、北海道のキャンプ場には、そんな世間の感覚に逆らうかのように生きている人も、多く存在した。冬の間は民宿などで住み込みのアルバイト生活をして、それ以外の季節は、キャンプ場にテントを張って生活をしているのだという。不安定な生活なのであろうが、気ままな、大らかな感じが良い。世間が決めた常識感とは違った世界が、そこにはあった。このような生活では、結婚は無理なのではないか、と思っていたら夫婦でこのような生活をしている人もいる、との話である。 私が北海道でヒッチハイクとキャンプの旅をしている間に、多くの人達との交流があったが、このような旅を終えた後というのは、心が大きくなり、物事に関しても積極的な考えをもてるようになっていた。(しかし、残念な事に、半月もすると元の自分に戻ってしまっていた事が悲しい。)私にとってこの旅は、本当の自分に出会える旅であったのかもしれない。こんな生活スタイルが、私にも合っているのかもしれない。可能であるならば、私もしてみたい。夏場は自然豊かな場所、それもやはり、北海道でテント生活をしながら、本にする為の原稿を書く。冬は自宅で原稿を書く。これで生計が立つのであれば、言うことがない。まあ、一つの夢だね。結婚している身であると、余計に難しいかな。 今日はここまで。
2005年10月14日
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朝夕は涼しいというより、寒くなってきました。寝る時に、今までより厚手の布団と毛布を用意しました。 冬も近いのでしょうか。 では、今日も前回の続きから。富良野でヒッチハイクをしたのですが、停まってくれたのはタクシーでした。 でも、このタクシーはお金が要らないようです。何故・・・?ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「この車は今、料金メーターの検査をしているところなんだよ。定期的に検査をする事が義務づけられていて、こんなふうに実際に走って、正確にメーターが動いているかを調べるんだ。だから、お金は要らないよ。この車は旭川の営業所まで行くから、その辺りまでなら乗せてあげるよ。」当時、深川と旭川の距離を、至近距離であると勘違いしていた私は、「深川までいいですか?」と、言ってしまった。すると、運転手さんは、少し慌てたように、「いやいや、それは無理。」「それなら、旭川の駅までいいですか?」「そこならいいよ。」と、いう事で行き先は旭川駅に決定。後部座席から旭川近郊の街並みを眺めながら、目的地へ向かう。田んぼの緑が爽やかで、見た目にも心地いい。しかし、盆地である旭川は、冬場の寒さがとても厳しい。厳寒地ならではの、ダイヤモンドダストという、キラキラした無数の物体が空気中を舞う、非常に神秘的な美しい現象が見られるのだそうだ。 更に、この後乗車する深名線沿線の母子里(もしり)では、一九七八年にマイナス四十一・ニ℃を記録している。真夏の緑が青々とした風景からは、なかなか想像しにくい事である。「学生さんかい?」「はい。そうです。」「夏になると、キャンプ道具を積んだライダーが沢山来るけれど、君もキャンプ場で泊るの?」「はい。あっちこっちのキャンプ場を泊まり歩きながら、一月くらい旅をする予定です。」「いいねえ。若いうちは色々出来て・・・。」 今日はここまで。
2005年10月13日
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昨日の夜、家内に教えてもらいながら、ようやく自分のホームページ上に、 テントとシュラフの紹介を載せることが出来ました。「でも、もうキャンプシーズン終わりだよ。」「あっ!そうか・・・。で、でも、あのシュラフなら、この時期でも大丈夫じゃないかなぁ・・・。そ、それに、暖かい地域に住んでいる人もいるだろうし・・・。」 冷たいこと言わないで、どうか見るだけ見て下さい。パソコン音痴が苦労して載せました。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一ヒッチハイクでタクシー 富良野方面から深川を目指し、ヒッチハイクをしていた。この日の目的の一つに、あと数日で廃止されてしまう運命にある、深名線に乗車する事があった。とは言っても、廃止の話は、プランを立てた後に知った事で、廃止時期と今回の乗車が重なったのは、偶然にすぎなかったのだが・・・。 かつての北海道の路線図を見ると、今よりもかなり多くの鉄道路線が、存在していた事が分かる。しかし、深刻な赤字に悩む多くの路線は、次々に廃止対象に指定され、地図上から消えていった。幼少の頃からの鉄道好きの私にとって、とても寂しく感じる事である。昔はこんな所も列車で行けたのか・・・などと昔と今の路線図を見比べて、過去の列車旅に想いを馳せていた。北海道内の鉄道に乗り放題の切符(当時は周遊券と呼ばれていた)を購入しても、こうも沢山の路線が廃止されては、乗り放題切符のメリットは減るばかりである。つまり、かつては周遊券で、そのまま列車で行けた所も、現在では別料金を払って、バス等を利用しなければならない、というケースが数多く増えたという事だ。 今回の深名線も、営業成績からいえば、もう、とっくに廃止されていてもおかしくない路線であった。しかし、周辺道路の整備が遅れていた為に、地域の足として廃止できずに、これまで残ってこられたのだそうだ。 それでは、まず、その深名線の始発駅、深川駅へ向けての、ヒッチハイクを試みるとしよう。キャンプ場を発った私の目の前にある、国道二三七号線は、旭川方面へと延びている。深川はその旭川よりも更に、三十キロ程先である。しばらくヒッチハイクを試みていると、一台のタクシーが私の前に停まった。「いえいえ、結構です。」と、手を横に振りながら、私は運転手さんに言った。金の無いヒッチハイクの旅、タクシーを使ったらいくら掛かるか分からない。「お金は要らないよ。何処まで行くの?」えっ、タクシーなのにお金が要らないなんて・・・。 今日はここまで。
2005年10月11日
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今日は体育の日ですね。でも、天気があまり良くありません。地元では、山登りのマラソン大会が開催されましたが、山道はぬかるんでいたようです。では、今日も前回の続きから。私を乗せてくださった、おじさんと別れ、一人海沿いのサイトで、キャンプをすることにしました。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一 広い芝のサイトで、テントを張りの作業を始めた。私が到着した時は誰も居なかったキャンプ場も、時間の経過と伴に、数個のテントが建っていた。サイトが広いので、ポツリポツリ、といった感じではあったが、一人よりはずっとマシであった。 この、ポツリポツリと居たキャンパー達、翌朝になって私がテントから出てきた時には、既に姿がなかった。みんな朝が早い! 朝食にパンを食べようとしたら、少しテントを離れた隙に、パンの入ったレジ袋を、カラスに持っていかれてしまった。どうやら奴らは、レジ袋に食料が入っていることを、経験から知っているようだ。高い所で人を馬鹿にしたようにゆうゆうとしている。悔しいが何もできない。カラスやキツネなど、動物にはくれぐれも注意が必要である。 このキャンプ場、私の持っているガイドブックによると七月に『枝幸かに祭り』が行われ、毛がに、タラバ、ズワイなどの即売や早食い競争、抽選会のイベントで盛り上がるらしい。この祭りも行ってみたい! 今日はここまで。
2005年10月10日
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今日は地域のマレットゴルフ大会があって、親父は選手として出掛けて行きました。 えっ!マレットゴルフをご存知ないですか?実は、私もこちらに越してきて、初めて知りました。私も良くは知らないのですが、ゲートボールに似ているそうです。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一私達を乗せたワゴン車は、順調に走り続けるが、相変わらず荒涼とした風景の連続であり、車窓から、たまに小さな集落が姿を見せては、消えていった。「いつもは、家内と一緒に出かけるんだけど、今回は、家内の体調があまり良くないから、一人で来たんだ。一人で寂しい、と思っていたところだったから、話相手ができて嬉しかったよ。」「奥さんと一緒に来られなかったのは、残念でしたね。こちらこそ、ありがとうございます。」「今日はどこまで行くの?」「海沿いを、行ける所まで、行こうと思っているのですが・・・」「私は、朱鞠内へ行くんだけど一緒にどうかな。」残念ながら、朱鞠内は海から大きく反れて内陸へ入ってしまい、私の予定ルートからは離れてしまう。「せっかくですが、海沿いのルートを南下して、網走方面へ出たいので、途中の枝幸までで、お願いします。」 車は枝幸のウスタイベ千畳岩キャンプ場へと辿り着いた。海がすぐ近くて、テントサイトのだだっ広い緑がいい。「誰もいないけど、大丈夫かい?」おじさんが心配そうに言った。確かに、他にキャンパーが見当たらない。今日は、一人ぼっちでキャンプなのか、と不安がないわけではなかった。しかし、「この広いキャンプ場を、独り占めするのもいいもんですよ。」と、少し強がりを言った。というのも、時間的に見て、もう、ここでキャンプする他なかったのである。「そうか、また寂しくなっちゃうなあ・・・」その言葉に、私は申し訳なさを感じた。私が、乗せて頂いたお礼を言った後、おじさんは少し寂しげに車を出して、朱鞠内を目指して行った。今度来る時は、奥さんと一緒である事を、私からも願いたい。 今日はここまで。
2005年10月09日
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今、私の部屋では、ミンミンゼミの声が聞こえています。きっと、これが私の聞く今年最後の、セミの声になるでしょう。 では、今日も前回の続きから。日本の最北端、宗谷岬からオホーツク海沿いに南下をします。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一今回は旦那さんだけで・・・ 宗谷岬からオホーツク海沿いに南下を目指して、ヒッチハイクをしていた時、軽のワゴン車が停まってくれた。運転席には五十歳代位の男性がいた。「歩いて旅行しているの?」「はい、そうです。」「昔だったらまだしも、今のこの車社会の時代に、そんな事が出来るなんて、大したもんだな。」男性は、徒歩旅の私に、とても感心していたようだ。とは言えヒッチハイカーの私は、そんな車社会の恩恵に与り、海沿いの道をグングン南下する。窓から見える海、陸地の風景には、人の生活感がなく、荒涼としていた。更に曇り空が一層、寂しげな重い印象を強めた。 この辺りには、ゴーストタウンがあるという。かつては漁業集落だったらしいが、家や漁船もそのままに、住民全てが去っていった為、廃村になったという。不毛であまりにも厳しい自然環境が、人間を追い出してしまったようだ。 そんな北の地を、軽快に走り行くワゴン車。カーラジオから、缶のお茶を必死に売り込もうと、番組内で力説する男性の声が聞こえた。「コーヒーは、お金を出して飲もうとしても、お茶にはお金を出せない、という人が多いようです。何とか、お茶にもお金を出して頂けるように、魅力ある商品造りに、頑張ります。」その努力が実ったのか、現在では缶、ペットボトルなどでも、沢山の種類の商品が出回り、かなりの売り上げを誇るお茶であるが、当時はそれ程でもなかった。当時の私の感覚でも、お茶は葉っぱから淹れて飲む物、缶やペットボトルで買いたいなんて思わなかった。今日のお茶飲料の売れ行きは到底、想像できなかった。「お茶もいいけれど、コーヒーだっていいんだよ。」ラジオに答えるかのように運転席のおじさんが話し始めた。「昔、寒さに苦しむ人々を、コーヒーが救ったという話があるんだ。コーヒーには、体を温める作用があるんだね。コーヒーの効能というのも、かなりのものだよ。」 私は、コーヒーをよく好んで飲む。最近は、コーヒーやお茶の効能を、テレビが紹介しているが、健康に関する常識は、時として二転三転する。それまで良いとされていた事が、実は悪かったり、その逆もある。コーヒー派の私からすると、コーヒーの効能に関しては、正しいものであってほしい、と望んでいる。 今日はここまで。
2005年10月08日
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今日は残業で遅くなりました。でも、明日はお休みなので嬉しいです。 では、今日も前回の続きから。今日の乗り物は・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一義経伝説の地へスクールバスで ヒッチハイクで、バスに乗せてもらったという話は稀であると思うが、実は、社員旅行のバス以外にも、スクールバスに乗せてもらったことがあった。 帯広から東へ二十キロ程行くと、ワイン城で知られる池田町がある。十月にはワイン祭りがあり、十勝ワインと牛肉を堪能できるらしい。この光景を写真で見たことがあるが、多くの町民で盛り上がっているのが、よく伝わってきた。道内時刻表の表紙でも、紹介されていたのを覚えている。私が持っている北海道のツーリングマップによると、この祭りは七月にもあるらしい。一度は参加したい祭りである。 その池田町から国道二四二号線を北上し、その日のキャンプ地である、本別町を目指していた。そこにある、静山キャンプ場という所でキャンプをするのであるが、この辺りには、義経伝説が存在しているとのこと。このキャンプ場の『静山』おという名前も、どうやら静御前にちなんだものらしく、キャンプ場へ至る途中の道にも『義経の館』なる公園の施設があり、その他にも義経山、弁慶洞など伝説の世界へ誘う地名が多く存在していて、歴史のロマンに浸れそうである。 池田駅の隣駅、利別駅付近からヒッチハイクを開始して、乗り継ぐ二台目の車を求めていた。私の前を通り過ぎ行く車達。そこへ一台のバスが来て、私の前で停まり、乗降用のドアが開いた。運転席から男性が、こちらを覗き込むようにしながら、私に言った。「どこまで行くの?」「本別までです。」「乗っていいよ。」一番前の席に乗せて頂いた。路線バスという感じではなく、車内には数人のランドセル姿の小学生が乗っていたので、近辺の学校のスクールバスであるらしい、と思われた。もう、殆どの生徒を降ろした後のようで、広い車内はガラーンとしていた。「キャンプするの?」「はい。」「このバスは、キャンプ場には行かないから、途中まででいいかな?」「はい。道が分かれる所までで、結構です。」午後の傾いた陽を受けながら、バスは走り行く。ランドセルの男の子、そのすぐ傍には、赤い大きなリュックのむさ苦しい男。外からこのバスを見た人の目に、この光景はどのように映ったのであろうか。 そのむさ苦しい男は、分岐地点でキャンプ場へ向かう脇道へとバスを降り、近くにあった食堂で遅い昼食を摂り、義経の里にあるキャンプ場を目指し歩き始めた。 私は、小中学校が徒歩通学で、高校は自転車通学、大学は電車通学だった為、スクールバス初体験であった。そして、社員旅行のバス同様、これが最後の体験となるのであろう。 今日はここまで。
2005年10月07日
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気が付けば、勤めている会社の裏山の木々が少し黄、赤っぽくなっていました。そんな山を照らす陽の光も秋色です。 では、今日も前回の続きから。観光バスから手招きをされた私。行ってみると・・・。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「乗っていきなよ。さあ、どうぞ。」「すみません。お世話になります。」タラップを上り中へ入ると中年の男女を中心としたグループが宴会気分で盛り上がっていた。「おうおう、こっち、こっち。」と、車内後方で開かれていた宴会の輪に招かれた。「今日は社員旅行なんだ。さあ、一杯やろう。」せっかくの勧めであったのだが、「すみません、酒はダメなんです。」宴会の盛り上がりに、こんな事を言うのは申し訳なかったのであるが、当時の私は酒類が全くの苦手であった。今の私であれば、少しは日本酒でお付き合い出来たのであるが残念である。「何だ、ダメなのか。うちの会社が何の会社だか知ってるのか?あっははは・・・」 この宴会の輪から少し距離を置いた所に二人の二十歳位の女の子が座っていて、まるで新種の生物でも見るかのように、興味深げに私を見ていた。確かに、ヒッチハイク自体が珍しいし、でかい荷物を担いだ、何処の誰とも分からない人間が乗ってきたら、どんな奴なのか見てみたくもなるだろう。でも、彼女達は宴会の輪に入ることはなく、遠くからこちらを観察するのみであった。「このバスは国道を通って稚内までいくけれど、一緒に行くかい?」「せっかくですが、私は海沿いの道を通って稚内へ出たいので、途中の分岐の所まででお願いします。」このままバスに乗っていれば目的地の稚内まで程なく行けたのだが、どうしても海沿いの道を通り、沖に浮かぶ利尻富士を見たかったのである。その分岐の所までは、そう時間が掛からず、ほんの数十分の旅だった。「これ、持っていきな。」中年の女性が私のリュックに、お餅などの食べ物を箱ごと詰めてくれた。「ありがとうございます。」「それじゃあ、気をつけてね。」走り去るバスに頭を下げ、手を振り見送った。 それにしても、自分が所属すらしていない会社の社員旅行のバスに乗ることなんて、もう一生ないだろうな。 今日はここまで。
2005年10月06日
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多くの方に書き込みを頂き、ありがとうございます。この場をお借りして、お礼を申し上げます。 では、今日も前回の続きから。今回の乗り物は・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一社員旅行のバス 日本最北の街、稚内を目指し道北のとある街でヒッチハイクをしていた。この時はノートにマジックで行き先を書いて、それを掲げながらヒッチハイクをするようにしていた。その方が乗せる方も乗せやすいと思ったのだ。しかし、いきなり最終目的地を書いてはいけない。まずは、その道路がその先で、一番最初に分岐する地点の地名を書くのである。 北海道の場合、都市部を除くと一本道が長く続くことが多い。その為、その道路を通る殆どの車は、先にある分岐を通過して行く訳である。つまり、ヒッチハイクの成功率もそれだけ高くなるのだ。そこから先は乗ってからの交渉となる。分岐から先も、自分の目的地と同じ方向へ行くという事であればラッキーである。 ヒッチハイクの対象になるのは主に一般乗用車。トラックをイメージする人が多いようであるが、私自身、今まで百台以上ヒッチハイクで乗せて頂いたが、トラックはほんの数台であった。間違っても団体旅行のバスなどはヒッチハイクの対象にしていない。しかし、どういう訳かそんなバスに乗せて頂けたこともあった。これは、その時のお話である。 稚内へと続く国道四十号線は音威子府(おといねっぷ)で国道二七五号線と別れ、西側へ進路を取る。どちらの道を辿っても稚内へ到達可能ではあるが、この時は西側から稚内、そして日本の最北端である宗谷岬を経て、オホーツク海沿いを南下する考えであった為、四十号線を選択した。 道北には稚内を除くとそれほど大きな街はないが、私がその時歩いていた所は、ちょっとした街で車も数台連なって通り過ぎていた。その車列にヒッチハイクを試みたものの、次々と通過。後ろから観光バスが来ていたが、さすがにヒッチハイクの手を下ろした。そのバスが通り過ぎ再びヒッチハイクを開始していたところ、五十メートル程前方で、そのバスが停まり、中から中年の女性が降りてきた。そして、こちらに向かって手招きをしている。「えっ、俺かな?」私は辺りを見回したが、付近には私しかいない。「あっ、俺なんだ。」私は走ってバスへ近づいた。 今日はここまで。
2005年10月05日
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夕方からしばらくぶりの雨となりました。でも、お湿り程度でした。きっと、勤めている会社の近くの川は、干上がったままでしょう。 では、今日も前回の続きから。名馬の産地、日高で私を拾ってくれた人は、実は・・・ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一「俺はね、馬が好きで牧場の仕事をする為に神戸から越して来たんだ。でも、同じ牧場と言っても牛と馬では全然違うね。最近のブームもあってか馬の方は働き手が来るけれど、牛の方は来ないね。俺は牛の牧場の事はよく分からないけれど、馬の牧場より仕事もきついのかな・・・。」 当時、東京で発売されていたアルバイト情報誌を見ると、北海道の牧場が出している求人募集広告を度々目にした。日本の農業は後継者不足に悩んでいると言うが、競馬ブームも一頃よりも落ち着いた現在でも、牧場には働き手が来ているのだろうか? 最近は都会を離れ田舎で農業をして生活をしたいという人が増えているそうだが、挫折する人も多いと聞く。なぜだろうか?その答えは私自身、田舎で暮らしてみて分かったような気がする。 田舎の人は子供の頃から日常生活の中で、農業に親しんでいるのである。職場の休み時間の会話でも、「そろそろ田植えをしないとなあ。」「うちは、もう終わったに。」「おめぇ、そりゃ早すぎねぇか?」兼業農家も多い為、サラリーマン同士の、このような会話もよく耳にする。しかし、都会育ちの私には分からない内容も多い。まず、用語が分からない。農家の人にとっては知っていて当たり前の用語だが、私は聞いたこともない、といった具合だ。例えば、次の用語はご存知だろうか?・ しろかき・ うすひき・ はざかけ私は『しろかき』のみ以前テレビで見た為、かろうじて知っていたが、他は知らなかった。 田舎の小学校は農繁期になると学校が休みになり、子供は家の農作業を手伝うのだそうだ。そういった環境の中で、自然に農業に関する知識を身につけていたのである。農業に親しむ機会の無いまま大人になった都会人が、急に農業を始めようとしても難しいはずである。 とは言え、これからは農家の後継者を都会人に頼る傾向は、強くなるのかもしれない。先程の神戸から越してきた方のように。 陽の光穏やかに、緑が風に揺れ、そんな中で馬の親子が仲良く寄り添っている。こんなのんびりした光景の裏にも厳しい現実があることを考えると、せっかくの伸び伸びした気持ちが縮んでしまいそうだ。でもまあ、何でも裏側というのは、そんなものかな・・・。 今日はここまで。
2005年10月04日
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最近、通勤路の道路工事が多いです。早く終わらないかなぁ。 では、今日も昨日の続きから。今日は、サラブレッドの産地、日高地方でのお話です。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一日高の名牧場と農業の未来 北海道の最南端、襟裳岬から苫小牧方面を目指し北上するべく、ヒッチハイクの車を求めていた。まっすぐで車の少ない道では、どの車もスピードを上げていき、親指を立てその腕を水平に伸ばしながら頭を下げている私の前を通り過ぎて行く。 この日は天気が良く歩くにも気持ちが良かった。そんな陽の光と海からの風を受けながら歩いていると、はるか前方で一台のワンボックスカーが停まった。私からの距離が遠かったので、私を乗せてくれる為に停まったのではないだろうと思いのんびり歩いていた。 数分たってようやくそのワンボックスカーの所にさしかかった時、「乗っていいよ。」運転席の若い男性が声をかけて来た。どうやら私が来るのをずっと待っていてくれていたようだ。そんな事なら走って行くべきであった。「ありがとうございます。」私は助手席に乗せてもらった。「ヒッチハイクの旅かぁ・・・。電車もあるけど本数が少ないしねぇ・・・。地元の人でも使う人はあまりいないね。みんな車だな。」確かに、公共交通が貧弱な地方では車は必需品である。どこへ行くにしても、自分の足がないと何も出来ないのである。「どっか、この辺の牧場見てきた?」「はい。馬を見てきました。」「知ってるかもしれないけど、ここはサラブレッドの産地でね、有名な馬も結構出てるんだよ。俺も牧場で働いているんだけど、前に務めていた牧場は、牝馬で初めてG1を制覇した馬が産まれた牧場なんだよ。」「それはすごいですね。」「この馬は産まれた牧場とは別の牧場で育てられたけれど、自分が働いている牧場の馬がタイトルを取ったら、そりゃ嬉しいよな。」穏やかな口調で少し照れた感じに、楽しそうに話してくれた。 当時は競馬人気が急上昇していた時で、若い女性までもが競馬場に足を運び始めていた。私の周りにも競馬ファンが多く存在していて、部室の机の上にはいつも競馬新聞や競馬雑誌が置いてあり、壁には独自の競馬予想を貼り出し、的中率を競い合っている輩もいた。デートで競馬場に行くカップルまでいたそうで、それまでの競馬のイメージが大きく変わった時代であった。そういった時代背景もあってか、この日高地方の牧場を巡るツアーも多く存在していた。 先程の『牝馬でG1初制覇』の話だが、私の周りに存在していたようなファンであったら、きっと感激して身を乗り出して話を聞いたことであろう。 今日はここまで。
2005年10月03日
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土曜日は仕事の後、地域の運動会の役員会に駆り出され、日曜日は溜まった疲れで、ほとんど眠っていました。日付けが変わって、今日からまた仕事ですね。休みはあっという間です。 では、今日も昨日の続きから。今日、登場の兄ちゃんは元気がいいです。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一根室の元ヤンキー兄ちゃん 日本の最東端、納沙布岬を目指しヒッチハイクをしていた時、一台のトラックが停まってくれた。「納沙布岬に行きたいのかい。よっしゃ、まかしとき!荷物はこっちに入れていいよ。どんと来い!」明るく、元気な兄ちゃんだった。「俺も今じゃこんなだけど、ちょっと前までは地元でも有名なワルだったんだよ。」と、そんな時期があったことを感じさせないような、さわやかな口調で話し始めた。「あれ、あまり喋らないんだね。」ヒッチハイクをするくらいなので、私のことを積極的に喋る性格であると思ったのか、意外だなあという表情をみせた。 他人の車に乗せてもらう旅をしていながら、こんな事を言うのは恥ずかしいのであるが、実は私は喋るのが苦手で、普段から無口である。何を喋ったら良いのか分からないし、会話が続かないのである。次々に話題を見つけ、楽しく会話の出来る人を羨ましくも思う。 そんな私が相手なので、話し好きと見える兄ちゃんが、話しの糸口を次々と提供するような感じで会話が進んでいた。「あそこに船が見えるだろ?」前方に見える海の沖に、グレーの船体が走っていた。「あれはロシアの監視船で、しょっちゅうウロウロしているんだ。」今にも雨を降らせそうな、低い雲に覆われた空に鉛色の海、グレーの冷たい表情を見せるロシア船の船体が、物々しく緊迫した雰囲気を伝えてくる。 日常的にこのような状況を目にしている、この町の人達は毎日をどのような想いで暮らしているのだろうか。北方領土問題が日露間の壁となったままの現在、これといった打開策は無いのであろうか。二〇〇四年に小泉首相が海上から北方領土を視察した事がニュースで報道されたが、両国にとって納得のいく一番良い方法で早期に解決することを願いたい。北方領土を間近に望むこの町の人にとっては、それはより強い願いであることだろう。 そんな国境の緊張感を感じながら、半島を一周する道路で東の最果てを目指す。最果てとは言っても、日本一早い朝日、冬の流氷、名物花咲きカニをはじめとした豊富な海産物など、観光地としての魅力にも富み、訪れる人は多い。 また、根室はジャズの町でもあり、有名なジャズメンの来訪もあったという話を聞いたことがある。この町は最果てのイメージとは違い、元気な町のようである。このドライバーの兄ちゃんと同様に。「着いたよ。この辺でいいかい?」トラックは目的地、納沙布岬へ無事に到着した。「それじゃあ、気を付けてな。」「ありがとうございました。」さわやかで元気でおおらかな兄ちゃん。自分もこうなりたいという一つのお手本のような人であった。あれから約十年、私の精進はまだまだ続ける必要がありそうだ。 今日はここまで。
2005年10月02日
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もう10月、本当に秋本番ですね。秋の祭りもこれから各地で行われることでしょう。秋祭りで私が注目したいのは、北海道池田町のワイン祭り。確か、10月の開催でしたか。お金と時間があったら行ってみたいです。 作家になって、色々な事を書きながら生活が成り立ったらいいなあ、などと夢みたいな事を考えている、今日この頃です。 では、今日も昨日の続きから。ヒッチハイクの珍道中をお楽しみ下さい。ヒッチハイク&キャンプの北海道中膝栗毛 徒歩田 一女性ドライバー 帯広の辺りから釧路方面へ向け歩きながらヒッチハイクの車を求めていたところ、一台の車が前方で停車してくれた。私が車へ向かうと、運転席の若い女性が助手席のドアを開け、「変なことしませんよね?」と、言ってきた。「えっ?そりゃ、もちろん・・・」いきなりの、この言葉に私は返事に詰まってしまった。もちろん如何わしい目的でヒッチハイクをしているつもりなど少しもない。『人を見るや否やそれはないよ。』と、思ったりもしたが、考えてみれば無理もないことだと理解できる。何しろ向こうは若い女性が一人である。普通なら、どこの誰とも分からないような男を自分の車に乗せようとは思わないはずだ。間違いなく私の前を素通りして終わりだろう。しかし、この女性は不安やリスクを冒してまで私を拾ってくれた。その勇気と優しさに多大なる感謝の気持ちを持つべきである。その気持ちで助手席におじゃまさせて頂いた。「ずっとヒッチハイクで旅行しているんですか?」「はい、そうです。」「私もね、冒険みたいな事が好きで、そんな事をよくやってたんです。だから、そういう事をしている人を見ると、助けてあげたくなっちゃうんです。それで、今も乗せてあげようと思ったんです。」 キャンプ場でも、女性のソロキャンパーをたまに見かけた。女の子の旅といえば、仲良しグループでおしゃれなホテルに泊まって、グルメを楽しむようなパターンが多いように思うが、あえてキャンプ場という男ばかりの場所にテントで寝泊りをして、一人バイクで風を切る旅をするのであるから、かなり度胸があることは間違いないと思う。きっと、今回の女性も同様であろう。 曇天模様の中を車は東へと直走る。アウトドアの話などしながらのドライブが続いた。「今日は、用事を済ませた後に実家へ寄るんです。」当時、学生だった私は親元で生活していた。それが普通で当たり前のような感覚があった。それが社会人になり家を出てから、ほとんど実家に帰っていない。「たまには実家に帰っているのか?」などと、若い時分には上司によくに言われたものだった。 実家から遠い土地へ転居した現在、帰るのにも結構な困難がある。それでも帰った時は、母がご馳走でもてなしてくれる。やはり、『たまには帰る必要があるのだ。』などと、この文章をかきながら、この女性の言葉を思い出しながら、今更ながらにそんな事を思った。「男は実家を出たらそれっきり、そんなのつまらないよ。やっぱり子供は女の子が欲しい。」とは、私の妻。「あなたを見ていればよく分かるわ。」何となく納得させられてしまった。 この時のヒッチハイクも、勇気があり、優しさもあり、親思いの女性のおかげで敢行できた訳であるので、「子供は女の子が欲しい。」という結論に取り敢えずここではしておこう。 今日はここまで。
2005年09月30日
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