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ミロスアカデミーでは、豊かさと貧しさは同価値と教えています。健康と病気も同価値、幸せと不幸せも同価値です。幸せを求めようとすると、その裏に隠れている不幸も同時に求める事になります。幸せを求めるようでいて、それと同じ大きさの不幸も同時に求めてしまうのです。何故なら、幸せをうんと感じる為には、不幸もうんと存在しないと、幸福を感じる事が出来ない為です。自分で自覚症状がないだけで、本当は幸福を求める時、不幸も同時に求めているのです。正確に言えば、幸せになる為には、不幸という土台をバネにしないとそれを求める事が出来ないという事が出来ます。現実がどの程度であれ、現実を見て、それ以上に不幸な自分を自覚しないと、その不幸をバネとして、幸福の方向に移動する事が出来ないのです。その為、不幸な人は、現実以上に自分を不幸と認知しない限り、通常はそこから抜け出す事が出来ないようになっています。その為、不幸な人は、より自分を不幸だと認知したり、貶めたりするのです。つまり、人は幸福になるのに先立って、より不幸を体験するか、もしくは、幸福へ向かう途上において、密かに、無意識のうちに、幸福が続く為に必要な不幸な出来事の発生を自ら用意します。幸福と不幸は切離す事が出来ず、幸福を求めれば、必ず同じだけの不幸を求めなければならなくなっています。ミロスアカデミーでは、幸福も不幸も求めず、「あるがまま」の自分に到達する事を求めています。豊かさも健康も幸福も求めなければ、その裏に隠れている、貧しさも、病気も、不幸も消えてしまうのです。これは、中庸がちょうどいいという発想ではなく、ニ極を直接超えていく道です。あるがままで生きるという事は、そのまま、最大限の力で生きる事を意味しています。
2018.10.27
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ミロスアカデミーのROSSCO氏は、全てのものがペアで出来ている事が分かるとあらゆる争いが無くなると言っています。例えば、自分と他者が別々の存在であり、自分と他人とは違うのだと考えているうちは、他者との軋轢やストレスから逃れる事は難しいですが、自分の心の内面が他者に映し出されて現れているという自覚に到ると、他者は自分の内面の心そのものであり、他者と対立を起こす事は全くの間違いであり、意味不明な事であるという事が分かります。他者と対立するという事は、自分自身と対立する事であり、全く意味がない事なのです。このように、自分自身とそれが映し出される他人もペアです。自分と他人が二つで一つであり、互いが互いの内面を見る為に利用し合っているのが自覚されるとすれば、他者との対立が起きようがないのが分かります。また、豊かさと貧しさ、健康と病気等もペアですし、自分の中の男性性と女性性や外側の男と女もペアです。貧しさと闘って豊かさを獲得する、病気と闘って健康を獲得する、自分の内に男性性と女性性が存在するのに、外側で男と女が対立する等も意味が無い事だと分かります。豊かさを実感する為には貧しさが、健康を実感するには病気が必要なのです。全てがペアで成り立っているという、この視点に立つと、世界のあらゆる争い事が無くなってしまいます。ですから、ミロスアカデミーのROSSCO氏のメッセージは、本当は、世界から経済競争や戦争を無くすだけの威力を持つものなのです。ほとんどの人はまだ、気づかないでしょうが。
2018.10.08
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引き寄せの法則では、よく、豊かになろうとしてイメージすると貧しいのをなんとかしたいというメッセージを宇宙に送る事になり、うまくいかないという言い方をします。だから、イメージした後は忘れろとか、豊かになろうとするのではなく、「既に豊かである」と完了形でイメージしなさいとよく言われます。でも、これは、結局同じ事なんですよね。「既に豊かである」と完了形でイメージするというのも、貧しさを引きずっているから行っているというのがよく分かります。完了形でイメージしようとしまいと、貧しさをなんとかしたいと考えているという状態に変わりはありません。ミロスでは、豊かになろうとするという事は同時に、豊かさの正反対である貧しさも同時に求めようとする事だと語っています。貧しさを切り離して豊かさだけを求めようとする事自体無理なのです。豊かさを強く求めるという事は、自分は貧しいという自覚を深めるという事であり、貧しさも同時に求めるという事に他なりません(もちろんそれを分かって行うならいいですが)。豊かになる為の基点が、豊かでなければ、貧しくなるだけであり、貧しい人はどうあがいても豊かにはなれないのです。内面が豊かな人が豊かになるだけであり、貧しい人は、どんなに頑張っても貧しいままです。貧しさから立ち直ろうとすること自体が貧しい自分への自覚を深めるからどうにもならないのです。本来、時間も空間もない、同時存在・二重構造の世界においては、貧しさも豊かさもない本当の豊かさがそこにあります。その位置に居ない限り、人が物理的にも豊かになっていく事は困難でしょう。そして、その世界を理解するには「愛」が必要なのです。愛がなければ、豊かにはなれないし、幸せにはなれないのです。豊かさの源泉が「愛」とは、とても不思議な話ですね。
2018.10.08
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同時存在・二重構造の世界を理解すると、時間というものは本来存在するものではない事が分かります。貧しさから豊かさへ、病気から健康へと過程を経験し、豊かさや健康を実感する為に生み出されたものに過ぎないのであり、本来、過去・現在・未来などは存在していない事が分かります。この世に時間が存在しているのは、豊かさなら豊かさの体験をする為なのですね。ですから、例えば、あの世と言われる世界には時間も空間もありません。そこに全てが叶った状態が「ある」というだけであり、本来の自己以外、存在しないのですね。我々が感じている過去・現在・未来なんてある特殊な体験をする為に生み出されている幻想に過ぎない、この事が分かってくると、この世界ががらりと変わって感じられる筈です。
2018.10.08
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ミロスアカデミーで言われる同時存在・二重構造という概念は、単に全てのものがニ極で出来ているという理解のさらに上を行っています。この三次元世界において、豊かさと貧しさ、健康と病気、幸せと不幸せ等のどちらかに傾かないというだけでなく、高次の世界から見るとそれは時間も空間もない世界において、同時に今、存在しており、どちらにも価値がない、あるいはどちらにも価値がある状態にて、そこにあるという事実があるのです。それは、全てが叶っている世界であり、「既にそうである」「既に実現している」世界と言う事ができます。我々は、この三次元世界において、豊かさを体験したいが為に、貧しさと時間と空間を作り出し、健康を体験したいが為に、病気と時間と空間を生み出しているのです。つまり、豊かさを体験する為には、貧しさがあって、徐々に豊かになっていく過程を経験する必要があり、貧しさがなければ、豊かさも体験できないようになっています。しかし、高次の世界においては、全てが既に叶っており、そこにあるので、自分の幸せの内、豊かさだけを切り取って感じるような事は出来ません。そこで、三次元世界においては、ニ極の世界を生み出し、豊かさなら豊かさという概念を感じ取れるようにする為、貧しさも生み出す他なかったのです。そこでは、当然、変化が生まれる為の、時間と空間も同時に生み出されました。同時存在・二重構造の世界から見れば、時間も空間もない世界において、全ては同時に存在しており、過程も存在しません(例えば、貧しさから徐々に豊かになる事で「豊かさ」というものを実感するという事もありません)。同時存在・二重構造の世界では、全てが既にそうなっており、オーダーしたものが全て叶っている世界でもあり、それ以上何も求めるものがない世界なのです。そして、その世界の体験は、ミロスアカデミーでは、男女のペアによって初めての成し遂げられるとしているのです。
2018.10.08
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スピリチュアルな考え方でも、心理学でも相手の良い所を見ましょうという考え方が昔から主流となっています。しかし、ミロスアカデミーの考え方で言うと、見える世界は自分の心の反映なので、相手に返すのではなく、自分に返しましょうと教えています。相手が悪く見えれば、自分の中に悪い所(隠している側面や両極のうち一方に傾いている所)があるという考え方をしています。相手が悪く見えれば、それを良く見えるように変えたりする事なく、自分に返さなければ意味がないという考え方をしているのです。ポジティブ思考や良い方向に向かおうとする思考の否定と共に相手を良く見ようとしないという所も、他のスピリチュアルな考え方とミロスが、一線を画している所だと思います。
2018.10.01
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