全9件 (9件中 1-9件目)
1
北海道ツアー二日目の夕方、阿寒湖温泉のホテルに到着。美味しい夕食を堪能した後、近くの阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉にて、予約していたアイヌ民族舞踊「古式の舞」を観る機会を得た。そして、続く第二部の「イオマンテの火まつり」も観ることになり、前日に続いて当日の夜も、アイヌ文化に触れる濃厚な時間となった。そこで本日の掲載画像は、観劇したシアターで披露された演目の場面の数々である。ここ阿寒湖のアイヌコタンは、戸数36・約130名とアイヌの集落としては、北海道で最大級とのことだ。国の重要無形民族文化財に指定されている「アイヌ古式舞踊」は、心に染み入る感動のステージであった。
2015年11月30日
翌朝4日の早朝は、朝食前に朝風呂(かけ流し温泉)に入り、ホテルの最上階にある露天風呂からは、朝日に照らされ美しく輝く大雪山系の「黒岳」を仰ぐことができた。ただ露天風呂でのカメラ撮影は遠慮したので、残念ながら映像は無しである。ホテルを出て最初に訪れたのは、近場にある「銀河・流星の滝」だった。石狩川に沿う層雲峡渓谷の断崖絶壁に流れ落ちる対照的な二つの滝だが、上の画像は繊細な白糸のように流れる優美な姿の「銀河の滝」を映したものだ。たまたま断崖の岩上に半月が顔を出しており、なかなか幽玄な風情を醸し出していた。次の画像は、網走国定公園に属する天都山(標高207m)の展望台より、知床半島の斜里岳(標高1,547m・向かって右)・海別岳(標高1,419m・向かって左)の方面を展望(左側の海原はオホーツク海)したものである。天都山展望台の近くには、今年の8月にオープンしたばかりの「オホーツク流氷館」があり、館内で流氷に纏わる解説を聞きつつ、水槽で優雅に泳いでいた「クリオネ」の、美しいバンザイポーズを映した画像が上である。上の画像は、太陽光の強い照射を受けて、薄霞にむせぶ「屈斜路湖」の幻想的な風景である。この画像は、夕日に照らされ対岸の山肌が赤く染まった「摩周湖」の黄昏の景色である。そして同じ場所から反転して、西方に沈む陽光を捕えた画像が下だ。バスガイドの話では、太陽の右下にあるのは阿寒岳(雄阿寒岳・標高1,370m)で、この阿寒岳の麓にある阿寒湖の畔に宿泊予定の温泉宿があるとのことで、一行を乗せたバスは一路ホテルに直行するのであった。
2015年11月28日
今月初旬の11月3日から三泊四日で、北海道へ旅行する機会があった。大手旅行会社の企画による充実した内容だったので、各地で撮影した画像を主体に、これから数回に分けて記していこうと思う。まず冒頭の画像は、「日本平」~「三保の松原」あたりより「富士山」の方面を、機内より展望したものである。次の画像は、北海道は千歳空港のラウンジで見かけた、ダビンチが考案したヘリコプターの祖先となるスケッチを、模型として具体化した作品を映したものだ。この頃は何故か「らせん」が気になっていたので、思わずシャッターを押していた。この画像は、旭川の「雪の結晶美術館」にて、雪の結晶「六角形」の形状に模したであろう、これまた「らせん」の階段を撮影したものだ。ここまでくると、冒頭画像の富士山の円錐形や、三保の松原のある半島が描く形状まで、「らせん」に見えてしまうのであった。当日は午後七時頃に、北海道中央部の大雪山系は「黒岳(1,984m)」の麓にあるホテルに到着。フロントでは、雄々しく吼える熊の剥製の出迎えがあった。ツアーガイドの話では、この「大雪山(だいせつさん)」という山名にある「大」は、鳥取県の「大山(だいせん)」の「大」からいただいたとのことだ。・・・ということから考えると、先月末の伯耆富士「大山」への登拝直後に、北海道の「大雪山」に行くことになろうとは・・・と、その一連の流れに奇しき縁を感じた次第である。そしてこの画像は、ホテルの一際大きい空間の壁に、中央上部に立派な角の蝦夷鹿(エゾシカ)の剥製頭部、またその下方の左右に木彫りの熊の頭部が飾ってある風情を写したものである。この一対の熊の彫り物は、ご神前の一対の狛犬の如く、阿吽の口の形状に象られていたのが印象的だった。夕食後は、アイヌ民族ショーの特別公演があり、上の画像は公演中の寸劇の一コマである。ショーが始まる直前に購入していた「ムックリ(アイヌの楽器)」を自分でも奏でられたらと、その繊細で絶妙な奏法を最前列に陣取って、食い入るように見ていたことを憶えている。北海道は今回で二度目だが、その「アイヌ文様」という独特のデザインが描かれた衣装を纏う人を見るのは初めてで、その演舞を含む公演はインパクトの強い内容であった。下の画像にも見られるように、アイヌ文様の基本的形状の筆頭は「渦巻き」で、それは立体的な「らせん」にも繋がる。なるほど、それで腑に落ちた。アイヌの「渦巻き」に誘われての、北海道の初日であったと・・・。
2015年11月27日
掲載画像の造形は、昨日より制作を始めて何度か試作を繰り返し、今朝になって完成を見た新作である。出来上がった作品を手に取って眺めていると、なぜか「ベツレヘム」という言葉が浮かんできたので、どこかで聞いたことがあると思い検索すると、「ベツレヘムの星」とそれを象徴する「八芒星」の図形がヒットした。まず不思議だったのは、この造形の基盤が「ベツレヘムの星」と同じ「八芒星」だったこともあるが、さらに驚いたのは、その「ベツレヘムの星」と称する立体的なクリスマス用の飾り(ドイツ製)にも検索がヒットし、その構造性が画像の造形と同じだったことである。つまり少し専門的になるが、このドイツ製の飾りは、中心から14本の尖りが出て星型を形成しており、新作の造形は14個の頂点を持つことから、その構造の類似に驚嘆したというわけである。そもそも「ベツレヘムの星」とは、キリストが生まれた際に、祝福するように輝いたとされる伝説の星とされており、それを模した星型の飾りは、クリスマス・ツリーの頂点に置くトップスターとされてきた。年末の展示会は、12月25日の「クリスマス」にも重なるので、会場に飾る「星」の一つとして授かったのであろう。
2015年11月25日
本日の掲載画像の造形は『希望の光』と題する作品で、本日の午前中に完成したものである。来月の展示会(⇒リンク)では、北天の中心に座す「北極星」を見立てた造形として、一般に公開する予定だ。感性の豊かな知人に画像を披露すると、「永遠の生命」を感じるということであった。この作品を科学的に謳うとすれば、「無限の反転」という表現が妥当かと思われる・・・。今後の日本人の心に『 希望の光 』を灯すキッカケとなれば、ありがたき幸せである。
2015年11月18日
★ 立体造形 『 冬の星まつり 』 展 ★ 山 本 裕 一 冬至の頃に輝く天空の星々を立体造形の作品群に見立てて展示します。 日本神話に基づく祭事「岩戸神楽」や欧米の祭典「クリスマス」など、 世界各地で行われてきた「冬のまつり」に共通する原点を演出します。 会場には一緒に [ 星型(☆)立体 ] を作る《体験コーナー》を設けて、 小さいお子さんからお年寄りまで皆様のご来場をお待ちしています。 〔 と き 〕 2015年 12月19日(土)~12月27日(日) 開館時間 9:00~17:00 (入館は16:30まで) 〔※21(月)は休館日・最終日の27(日)は15:00まで〕 〔ところ〕 山口市小郡文化資料館 2階ギャラリー 【 入場無料 】 山口市小郡下郷609番地3 TEL 083-973-7071 〔※JR新山口駅北口より徒歩15分・駐車場16台(無料)〕
2015年11月11日
峰々が連なる大山山系のなか、「弥山(みせん)」の山頂にある石碑を映した画像が上である。山小屋で弁当を食べた後、急に寒くなった山頂に戻ってみると、そこにはもう先ほどの展望は無く、弥山に連なる最高峰の「剣ヶ峰(けんがみね)」は霞んで見えなくなっていた。「山の天気は変わりやすい」というが、その現実を目の当たりにした次第。さて、吹きすさぶ冷たい風に煽られつつ下山を開始・・・上の画像は九合目あたりから北方の日本海側を映したものだ。そして八合目あたりから、再び見えてきた画像右上の「剣が峰」から、荒々しく脈打つ山肌を撮影した画像が上である。この画像は、リズムの良い足取りで、尾根伝いに下山する登山者たちを写したものだ。 下山後は最近できた参道沿いにある日帰り温泉施設「豪円湯院」の湯船に浸かって一休み、体調を整えてから岡山方面に向かって車を走らせた。ある交差点でカーブすると、突然目の前に夕映えの美しい大山が飛び込んできたので、すぐに車を停めて映した画像が上である。さらに車を走らせていると、またしても忽然と大山山系が現れたので、思わず近くの車道に停車してシャッターチャンス!画像中央部の二つのピークは、おそらく向かって右側が「剣ヶ峰」で、左側が「弥山」であろう・・・。上の画像のように道中のここかしこにおいて、夕日を浴びてオレンジ色に映える紅葉の景色を楽しみながら、「蒜山大山スカイライン」を走り始めた頃には日没を迎えつつあった。スカイラインの鬼女台(きめんだい)展望休憩所にて一服。日没後の余韻を楽しんだ後に、ふと東の空を見上げると、ポッカリと「月」が出ており、登山当日の10月25日は「十三夜」(旧暦9月13日)だったことを思い出した。そういえば先月の「十五夜」も、ある御山の高台にて沈む夕日から昇る満月を愛でる機会があったことを思い出した。ちなみに、「十三夜」は「十五夜」に次いで美しい月ということで、「十五夜」または「十三夜」のどちらか一方しか観ないことを「片見月」と呼び、縁起が悪いこととされているそうだ。それが図らずも今年は、両方の美しき月夜を堪能することができ、有り難き幸せを噛みしめる今日この頃である。◎関連記事・・・「今年の十五夜~満月の写真」⇒ リンク
2015年11月10日
先月の10月25日、伯耆富士と謳われる「大山(だいせん)」に登った。私にとっては、二度目の登拝となる。◎関連記事・・・「伯耆大山の初登拝」⇒ リンク当日の早朝は大山の麓にて、扇状に広がる清々しき陽光を浴び、いよいよ始まる登山に胸が高鳴ったことを憶えている。五合目までの登山道は2コースあるので、今回は前回とは違ったルートを選択、大神山神社の奥宮(国の重要文化財)を経由する「行者谷コース」にした。上の画像は、その荘厳な佇まいの大神山神社(祭神 大己貴命[大国主神の別名])の本殿(標高:890m)を、向かう階段の下方より撮影したものである。特にこの「行者谷コース」は、上の画像のような目を見張る抜群の秋景色を堪能でき、以下の画像にも続くように、秋色に染まる美しい景観が目白押しであった。これは道中の元谷から、大山山系の霧にむせぶ峰々を展望した画像だ。それは思わず息を呑むように美しく、また幻想的な光景だった。そして、これから急な坂道が連続して続くので、コース名の「行者谷」とは・・・まさしくその名のとおり・・・と感じつつ、ようやく五合目近くに至って眩しい紅葉を映した画像が上である。六合目の画像・・・森林地帯を抜けて尾根道を登るようになり、展望も一気に開けてきた。画像右側の頂きは、大山山系の「三鈷峰(標高:1,516m)」である。七合目の画像・・・前方の遠くに見える半島は、湾曲する弓ヶ浜に続く島根半島の東端である。ここは山上から日本海側を展望する絶景ポイントといえよう。八合目の画像・・・かなり急峻な尾根道から峰々を展望。大山山系の雄々しき律動を実感できる、絶好の撮影ポイントであろう。そして、いよいよ大山山系の「弥山(標高:1710.6m)」の山頂に立ち、最高峰の「剣ヶ峰(標高:1729m)」を映した画像が上である。残念ながら、この弥山と剣ヶ峰を結ぶ尾根道は、近年起きた崩落のため危険となり、現在は通行止めとなっている。当日は日曜日で天候が良好だったこともあり、弥山の山頂部は多くの登山客で賑わっていた。その山頂で景色を楽しみつつ昼食をと考えていたのだが、なぜか急に冷たい風が吹き始めたので近くの山小屋に入ることに・・・。その休息や食事をする人などで満杯状態の山小屋で、それこそ肩を寄せ合いながらの弁当はとても美味く、充実した一時だったことを憶えている。
2015年11月09日
上の画像は、登拝した祖母山の山頂にある標識を撮影したものである。山頂は濃い霧のため、周囲の展望が殆どなかったのは残念だった。視界が悪いながらも下方を眺めると、急な崖地の絶頂部に山頂があることが分かり、足が竦んだことを憶えている。次の画像は、同じ山頂にある一等三角点(手前の石標)と、その向こうは「豊玉姫命」を祀るであろう石祠である。実は、9合目から山頂に至る山道で、興味深い出来事があった。そこで登山に同行していた知人が突然、「お婆ちゃんのところに来たみたい」と口走って、可愛らしい女の子が嬉しそうに歩いている霊的ビジョンを観たと言うのである。それはおそらく、その小さな女の子(霊的存在)が、同行の知人にメッセージを送ってきた現象と思われ、その場で何故か私には直感的に、その霊的存在の少女とお婆ちゃんが何方を指していたかが判然としてきたのだった。前回のブログでは、この山の名称の「祖母」とは、この山の祭神である「豊玉姫命」が神武天皇の祖母だったことに由来すると記された、その解説版を映した画像を掲載した。ところが、おそらく「ある書籍」に記された霊的内容の影響によってであろう・・・祖母山という山名の「祖母」とは、魏志倭人伝に記された「卑弥呼(三代目 天照大神)」の祖母にあたる「天照大神(初代)」に因んで付けられた名称だとする、まるで脳裏に刻印されたかのような記憶を思い出したのだった。その「ある書籍」とは、書名『卑弥呼の宮殿ここにあり』 田村倫子 著作・現代書林(1994年・初版)。改めてこの書籍内容を確認すると、「卑弥呼」は8歳の時、祖母である初代「天照大神」と共に、神々の故郷とされる祖母山で暮らした時期があり、その祖母からの薫陶を一心に受けた日々があったとのことだ。山頂で簡単に昼食を済ませると、急に天候が小雨交じりとなり、冷たい風も吹き始めたので、下山することにしたのは午後1時頃だったと思う。上の画像は下山途中に、秋を彩る木々を映したものである。そして五合目を過ぎた頃、遠くから見つめられる視線を感じ、そちらに目をやると、何と!・・・静かに佇む鹿の親子の姿があった。そこで思わずシャッターを切った一枚が上の画像だ。まるで「山の神」が、私たちを受け入れてくれたかのように感じられて、嬉しくなったことを憶えている。それから先は気持ちが楽になり、秋の祖母山を存分に楽しむ下山の道のりとなった。ある高台からは、秋色に輝く山肌を望むこともでき、その美しい景色を映した画像が上である。そして最後の画像は、そろそろ駐車場に近づいたと思える場所の山道脇で出会った、祖母山の「女性性」を再確認させられ、「大地母神」の御姿を彷彿とさせる磐座を映したものである。駐車場に到着したのは午後五時頃であった。ゆるやかな下山道を選択したためか、私たちが最後の登山者だったようである。「祖母」という名前にふさわしい偉大な山だったと感慨を深めながら、暗くなりつつあった車道を急ぎ、帰路についたのであった。
2015年11月01日
全9件 (9件中 1-9件目)
1