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リンクさせてもらっている日記書きさんの日記をみて思った。あたしの友達は子供が嫌い。大嫌い。彼女はいろいろな事情で子供が嫌いになっちゃってその理由はプライバシーに関わることだから触れない。そういう人もいる。理解できない人は自分がそんな思いをせずに生きて来れたことを感謝して口をつぐんで欲しい。でも子供好き=いい人、子供嫌い=悪い人みたいな感じで世の中受け取られがちなのはどうかと思うし。変な言い方だけど、動物嫌いだからって悪い人じゃないでしょ。動物好きの悪人もいるし。ちょっと乱暴な例えなのは後ほど説明するとして。あたし、子供ってそんなに好きじゃない。赤ちゃんは好きだ。小さくて、愛玩動物と同じかわいらしさだから。そう。ペットと同じ感覚で好き。ただかわいい。子供好きって言う人って、どういうとこが好きなのかな。子供好きって言っても、かわいくない(性格ね)子もいるし相性の合わない子もいると思うんだよね。たぶん、自分の子供でも、上の子の方が合うとか、愛してるけど下の子はどうも気が合わないってことあると思う。それは人間だからだよね。あたし、もし2人目生まれても平等にその子を好きかはわからない。今だって、愛してるけどチビタと気が合うかどうかまだわかんないし。確かに子供は子供。未熟だ。だけど小さい人間。心が小さいわけでもない。単に体が小さい。経験が少ない。でも小さいなりに未熟なりにいろいろ考えてたり大人よりも的確にものを判断する力もあったりする。それができるもできないも、個性ではあるけれど。つまり相手が子供でも大人でも、人間関係には相性ってのがあるから合う人、合わない人がいて然るべきなのだと思うから、ひとまとめに「子供好き」をアピールするのはあまり好きじゃない。ただ、現在、赤ちゃんのいる生活をしていて思う。この子を人間にするのは大変なことだ、と。人間は生まれついて人間なのではない。オオカミに育てられれば人間の心は持てない。生まれついて人間だと思いこんで、ただ栄養だけ与えれば体は大きくなって子供になって大人になるって思うけど実際大事なのは人間社会で生きていくためのルールを覚えさせること。躾けて人間に成長させることなのだと思う。前述の通り、あたしって子供はそんなに好きじゃない。特に躾の行き届かない子供は嫌いだ。子供はきちんとしつけなければ動物以下。本能の赴くままに好きなことしかしないし、自己防衛のためなら人を傷つけることもあるのだ。野生の動物と同じく。たとえば道ばたでゴミを捨てたりつばを吐いたり、ちょっとぶつかったくらいで悪態をついたり暴力をふるったり、気分次第で他人に不快な思いをさせて平気な顔をしているような親は、自分の子供をそのような大人にしてしまうだろう。よく「イマドキの若い者は・・」みたいに悪く言われる子を育てた親はやっぱり「感じの悪いおばさん、汚らしいおじさん」だったりするんじゃないかな。あたしは今、この足下にしがみついている小さな生き物を立派じゃなくてもいいから人様に迷惑をかけない常識のある「人間」に育てる責任がある。それが親の義務だから。人任せにしたり逃れたりはせず、正面からむかって行きたい。チビタ、最近歩けるようになりました。まだ6歩くらいですが、二足歩行を会得しつつあります。そう、人間の体に進化しつつあるわけです。でも心を育てることが一番大事で一番難しい。最近自己主張も強くなって泣き方も激しくなって難しいです。自分の納得できる対応が成されるまで「あのお母さん、虐待?!」レベルの号泣を続けることもあり、耳も頭も痛い限り。早くしゃべれば?とかいらつくときもあるのです。でも同時にまた、頼もしくもあるのです。成長ですから。
2004.09.30
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チビタ、寝ぐずりがひどいです。注射のせいでしょうか。相変わらず昼寝も滅多にしません。それなのにせっかくチビタが寝た後、こんなことでいいんでしょうか。>パソ三昧だぁりんは自分がベッドに入るときにあたしが一緒にいないと不機嫌になります。朝起きてあげられてない分、普段チビタにかまけてだぁりんに優しくしてあげる時間がない分、ベッドには一緒に入ることにしています。しかし結局眠れずに(こんなに疲れてるのにさ・・・)こうやってこんな時間にパソいじったりしてるわけです。ふぅ・・
2004.09.28
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今日は三種混合の三回目。どうしても今日受けなくちゃいけないってのに、雨。本降りの雨。チビタ、雨男じゃないだろうか。ヤツが生まれた日も、雨だった。前回の予防接種も雨だった。凄まじく躊躇。普通のお母さんならダッコ紐で傘さして歩いてけばいい。でもダッコ紐・・・産後の初大発作は天気の悪い日にダッコ紐でスーパーに行こうなんて思った日だった。それ以来とてもじゃないけどダッコ紐は無理だ。思い切って大盤振る舞いで1錠ソラナックス飲んで(いつもは半分)ダッコ紐は付けてみた。でもつけただけで吐き気がして怖くなってくる。だめだ。タクシーに乗る?バスに乗る?いや、車も苦手なあたし、タクシーもバスも一人では絶対無理なのだ。しかも凄まじく機嫌の悪いチビタ。一生懸命出かける準備して、頓服飲んで勇気を振り絞ってるあたしの不安が伝わるのか、泣きぐずっている。困った。でも躊躇している時間はない。動悸と吐き気をこらえながら必死に家を出る。歩いて20分。本降りの雨の中、ベビーカーにレインカバーつけて、傘を差して向かう。当然あたしはびしょぬれ。でもチビタは無事だから我慢。病院に着いた頃にはチビタはぐっすり寝込んでいた。眠かったのね。(いまだになぜ泣いているのかよくわからん。っていうかたぶん自分が具合の悪いときはゆとりがなくて気づいてあげられないみたい。普段は眠いときは眠そうに目や耳をこすってるからわかるんだけどね。)病院について手続きを済ませて小児科に向かう。待合室のベンチに座った途端に目を覚ましたチビタ。起きたら全然違うところに来てたから驚いたのだろうか、凄まじいでっかい目を見開いて(ただでさえでかいのに)あたしを見て、突然泣き出しそうになった。抱き上げるとご機嫌でソファーの上を歩き回る。誰もいなかったし、靴は下におろしたことないきれいな靴だからいいか。今日はあまり待つことなくすぐに呼ばれた。診察室に入っても別に何事もなく平然としてるチビタ。おなかと背中に聴診器を当てられても平気。ただ喉を見られるのにあの銀のヤツを入れられるのはずいぶんいやがっていた。(ありゃあたしでもイヤじゃ。おえぇっとなるしな。)でも今日は注射されても全然泣かなかったし、いいヤツじゃん。エライエライ。また帰り道はびしょぬれになりながら帰った。疲れ果てて家に帰ったらぐったりして眠くなってしまったので、あたしだけ昼寝してたら邪魔する。「一緒に寝なさい。」と添い乳で寝かしつける。一緒に1時間ほど寝たら疲れはとれるどころかかえってぐったりしてしまった。晩ご飯作るのいやだなぁ・・・っておもったけど、だぁ明日から泊まりで出張だから、作ってあげなくちゃ、と奮起。はぁ・・しんど。
2004.09.27
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あわただしく過ぎた3日間だった。今日は長岡に寄るので11時過ぎには祖母宅を出なければならなくて、なんだか寂しかった。ホントに慌ただしく別れてしまったし。おじちゃんと従姉妹に駅まで送ってもらって一路長岡へ。長岡ではすぐにRと出会えて、初めまして。おまけにHくんもきてて、少し遅れて到着予定のはおめいを待つ。(この日記のコメントにもよく現れてくれる日記書きさんの一人です。)あたしはちょっとドキドキして頓服をぱきっと半分。その後到着したはおめいと初めましてのあと、駅構内のファミレスに。トイレはすぐ横にあるから安心だ。一番入り口に近い席になったし。不思議なことに、初めてあったのに初めてじゃない気分だった。なぜか懐かしさすら感じるほどだったのだ。いろんなこと、たくさん喋ってたくさん笑った。実際病気の友達と顔を合わせることは滅多にないからうれしいの。お互いの苦労や悲しさやいろんなこと、分かり合えるから。発病後に仕事を辞めて病気療養と称してゆっくりするつもりだったのに、すぐに「ただ夫を待つだけの生活」に飽きてしまって、自分のお小遣いもなく収入もなく、気が滅入ってウツ状態になっていたときにパソコンを買ってもらい、PDについていろいろ調べ始めた。そのころに掲示板で知り合って、すぐにうち解けて話すことができるようになって(パソコン上だけど)プライベートでもメールや手紙のやりとりを続けてもう3年近くになっていた。過酷な仕事の愚痴こぼして聞いてもらったり(職場ではPDだなんて言えなかったし)気が狂いそうな長い長い妊娠中の苦しみも、このパソコンを通して知り合ったたくさんの人に支えてもらっていたけれど、この2人には格別な思いがある。(ホントはもう一人会えなかった大事な友人もいたんだけれど・・・)病気のことだけではなく、いろんなこと話したりしているうちに、年齢や生活環境やいろんな違いを乗り越えたいいお友達になれたと思う。心の距離が近いとはいえ、住むのは遙か彼方。健康な人でもなかなかそう遠いところの人とオフ会することはないだろう。あたしたちはPD患者で、程度の差、どの乗り物が苦手かっていう差は多少あるけれど、基本的に乗り物がほとんどだめな人が多い。だからここまでこぎ着けるのにとても苦労した。皮肉なもので、病気で知り合ったが故に、こうやって親しくなれたけれど、病気故に、簡単にお互い行き来することができない。彼女たちに東京方面に来てもらうことよりも、あたしがおばあちゃんちに行くついでに(どうせ新潟経由)だから会いに行く方がいいだろうって思っていた。そして今回の婆孝行をきっかけに、長岡経由で帰ることにして、2人+α(ゴメンね。H君)に新潟市内から下ってきてもらったのだ。今回長岡在住のもう一人にはいろんな突発的な事情で会えなかったけれど、とにかく新幹線の都合やチビタの限界などを考慮した短い時間だったけれど、楽しい時間を過ごせてよかった。ホントにうれしかった。名残惜しく新幹線の改札でお別れして帰路についた。チビタは相変わらずぐずぐずで、新幹線の中はずっとダッコ。東海道の中でだぁは駅弁を、チビタにはまたしてもレトルトの離乳食を挙げる羽目になってしまった。あたしだけ空腹で帰宅。母親ってつらい。とにかくいろいろあった3泊4日の旅でした。つかれた・・・・でもホントに苦労した甲斐のある旅ができたと思える。しかし、チビタはどこにいってもマイペースだし。寝ないし。元気だし。まぁ、いいか。PSRさん、はおめい、おみやげの笹団子、おいしかったっす!絶対に今度は中華街だよ!横浜案内するからね!ホントにわざわざ下ってきてくれてありがとう。Hくんも、見てくれるかどうかわかんないけど、チビタのことかわいがってくれてありがとうね。チビタが若い男の人になつくのは珍しいです。指握ってて驚きました。ふふ。
2004.09.18
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本日はチビタとおばあちゃんを連れて車で30~40分のところにある日帰り温泉に行った。車はやはり過酷である。ソラナックスを半分にパキッと割って口に放り込む。車の中でもあまりしゃべることもできず、とりあえずチビタをネタになんとかおばあちゃんに不審がられずに過ごせた。しかしまた温泉がつらいのだ。あの扉を開けた熱気だけでも十分にのぼせるというか湯あたりというか発作というか(苦笑)倒れたら困るのでチビタはだぁりんに頼み、おばあちゃんとお風呂に。おばあちゃんはおばあちゃんらしく(?)ゆっくりと熱いお湯に浸かりあたしは「あちーあちー」「うげー母乳ビームが出るぅ!」と騒いで早々にあがってしまった(笑)無色透明の温泉を乳白色にしたら怒られそうだし(そんなに出ねーって)浴場を出たところにマッサージチェアがあって、おばあちゃんとあたしがのんびりとスポーツドリンク飲んでウトウト機械にもみくちゃにされていたらだぁりんがあがってきて、茹でたてほやほやのチビタがあたしの上にずしっと乗せられた。この地方は魚が異常に旨い。日帰り温泉と休憩がセットになったランチ付きコースのお弁当は残念ながら年寄り向けで量も少なく、物足りないものだったので、帰りに道の駅でさらに定食を食らうだぁりんだった。そして当然帰りもまたさっきのソラナックスの残りを半分食らってふにゃふにゃになりつつ岐路に着くのであった。いやーやっぱ車はしんどいわ。都会と違って渋滞ないから耐えられるけどね・・・
2004.09.17
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本日はチビタとおばあちゃんを連れて親戚巡りです。通い慣れた同じ市内の親戚を挨拶をして回った。「前はかおりんちゃんがこんなに小さかったのにねぇ」「あんたはあんなんやった、こんなんやった」「こんないたずらして蔵に閉じこめられた」「こんなことして怒られて大泣きしてはった」とひとしきりあたしの過去を笑いものにし(?)チビタの巡業2日目は更けていくのであった。
2004.09.16
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以前ここにも書いていた父方の祖母に加え、母方の祖母も健在なかおりんなのです。父方の祖母はぼけ防止程度に農業をやっていて、休耕期には遊びに来てくれて冬に一緒に過ごす時間がもてた。母方の祖母は死んだ祖父の会社を叔父が継いでいるので、今でも仕事を手伝っていて、さらに天然ぼけ(まだホントの痴呆ではない)なのでこちらに来させるのは叔母や母がとても苦労することになる。従っておばあちゃんが健在なうちに婆孝行に行かなくちゃと思っていた。ずっと思っていた。だぁりんがドイツから帰ってきて、やっと夏休みになったので、勇気を振り絞ってJRと新幹線と特急(あ、全部JRだ)を乗り継ぎ半日かけて行くことになった。過酷だ・・・(トイレがない)ローカル線で東京まで行くのは苦しすぎるので、横浜で乗り換える。大荷物を抱えて東京で乗り換え、新幹線に。チビタ、がっつり寝てくれて、そのまま特急に乗り換えたんだけど。その間もずっと寝たまま。あたしも発作も起こさず、新幹線も特急も余裕だった。すごい!っていうか、元々トイレがなかったり、混んでて他人と密着したりする状況が苦手なのだから、新幹線は大丈夫だろうって思っていたのだ。チビタさえ泣かずにおとなしくしていてくれればな。そういう意味でもチビタはとてもいい子でありがたかった。駅ではおじちゃんと女子大生の従姉妹が迎えに来てくれていた。チャイルドシートを借りてくれていたのでありがたかった。ホントは路面電車に乗りたかった気もするんだけどね。小さい頃からいろんな事情もあり、年の半分はここで育った。よく知った道(短時間)はあまり発作の不安もない。おばあちゃんちに着いたらまず秋田犬のお出迎え。とにかくでかくて、40キロは軽くあるんだけど、覇気がなくて、すごく年をとったのを感じて少し寂しくなった。前は大喜びでしっぽ振って撫でろ、撫でろと近づいてきたのに今回はのっそりと立ち上がってきて、撫でてもいいよ、ってなくらいだった。しっぽを振るのもおっくうらしく、最近は朝晩のおしっこ以外は散歩も長時間歩かないこともあるらしい。そりゃ12歳だもんね。しかたないか。チビタはまだ寝ぼけていてぼーーーっとしていた。部屋にあがるとおばあちゃんがキッチンの椅子に座って待っていた。膝が悪くて畳には座れなくなってしまったらしい。白髪を染めるのを止めたらしく、「あ、こんなに白髪だったんだ」ってちょっと驚いた。元々小柄なおばあちゃんだけど、さらに小さくなってなんだかとても切なくなった。こちらを向いた笑顔は、いつもの優しいおばあちゃんの顔。「チビタだよ」って初めての対面。おばあちゃんにとってはあたしが初孫。そしてチビタは初ひ孫。短い時間だけしかいられないけど、ちゃーんと思い出作って婆孝行しますよ。
2004.09.15
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一応生きてますが、衰弱してます。えーこの4日間、完全に寝たきりでした。木曜はままりんが、金曜はだぁが休みを取ってくれ、土日もほとんどひたすら寝てました。やっと少し死の淵(おおげさ)から還ってきた気分です。おっぱいの時もチビタが運んでこられ、乳を飲まされ、また連れて行かれていました。えーそんでもって今週はだぁが夏休み(今さら)なので水曜日から婆孝行巡業に出かけますので、更新は来週になる予定です。・・・だいじょうぶです。生きて還ってきます。あちら方面の方、お会いするのを楽しみにしておりまする。
2004.09.12
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Freepage にパニック歴を書きつづってみることにしました。ぼちぼち更新していこうと思っています。PDのこと、知ってる人、全然知らない人、知ったかぶってる人。いろんな人にあたしの今までのPD歴を知ってもらって、ホントに普通に生きている普通の人がなっちゃう可能性のある病気なんだって思って欲しい。特別視や偏見をもち差別することなく、心の病を持つ人とつきあって行って欲しいっていう気持ち。そして同じ病気の仲間、さらに家族や友達や恋人など、身近にPDの人と接する人とも痛みを共有できるきっかけになればいいなぁとも思っています。私信ですが、風邪引きました。年に数回鼻が詰まるかどうかってくらいな鼻の通りのいいあたし。今、年に数回のウチの1回を経験中です。苦しくて横になっていられないのです。口呼吸は苦しいのです。ホントは寝たいのです。体はきついのです。微熱もあるのです。生理終わったばっかりで貧血なのです。携帯買い換えたばかりで金欠なのです。(関係ない。)っていうか、マジ、寝ろよ、自分・・・
2004.09.08
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最近都会にはネズミが生息しているって知ってますか?いるんです!夜遊びの帰りに駅のホームや、深夜の繁華街で走り去るネズミを見ました。でもだからといって我が家に出るとは!確かに繁華街近いです。でも新築で購入してまだ3年ですよ!ウチの洗面所の引き出しの中にはお客さん用のタオルと、固形の化粧石けんが入れてあった。昨日ふと見ると引き出しがあいていて、石けん転がっていたのだ。歯形付きで!マジ?ネズミ?かなり焦る。どうやって捕まえるんだろう。と悩む。途方に暮れて洗面所で座り込んでいると、例のペタペタって這いずり音。「どしたの?」なんて顔でチビタがひょこっと顔を覗かせた。「来ちゃだめだよ。石けんあるし、ネズミ・・」あれ?あれあれ?「キミ、いい匂いですね。」抱き上げたチビタからすてきなせっけんの香り。鑑識の結果を待つまでもなく、チビタが犯人です。歯形と欠片を照合したところ、欠片は飲み込んだ様子はない。不味かったのか、こりゃ食えね。って思ったのかは定かではないが。ま、結局飲み込んでなかったからよかったものの、いつのまにこんなきちんと引き出し開けられるようになってたんだろ。びびるね。子供の進化の早さは驚く。それ以来様子を見てると、引き出しのみならず、キッチンの収納扉も開けられるようになってるし。手を挟むのも怖いけど、訳のわからないものを口にするのも怖いし。だからといってすべてロックするのも過保護だし大変だし(ヲイ)いつも追いかけて回るわけにも行かないし。どうしたもんかね。ふぅ。そんな課題を残した我が家のネズミ騒動でした。
2004.09.06
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彼の年を越してから随分になる。前彼の親友で、高校の1つ先輩。いつも3人で一緒に遊んだ。前彼が家庭の事情で引っ越して別れてからもKとはずっと仲良しだった。実家に帰る度に思い出すのだけれどこの時期は特別。最後にKと会話を交わしたのは、あたしが21のこの時期だった。高校卒業後大学に行かずに職人の道を選んだK。一年の闘病生活の末、悩んだあげく、結局大学に進んだあたし。それでも2人の関係は何も変わらず、仲良しのままだった。きっと年をとっても別々に結婚してもきっとこうやって友達でいられると思っていた。いたいと思っていた。2人の関係が崩れてしまったのはあたしが大学3年の9月。夏休みももう終わろうとしていた時期だった。Kはあたしにずっと好きだったと告白した。「初めてアイツが『彼女』って紹介してくれた時から好きだった。」あたしもKに告白した。前彼と別れてから、好きになったけれどそう言ってしまって関係が壊れるのが怖くて言えなかった、と。このとき、お互いにつきあってる人がいて、葛藤の末、2人の思いはそのまま遂げることもなく終わった。「聞かなかったこと」「言わなかったこと」にしよう、と。一度口に出した言葉は、決してなかったことにはならない。そしてどことなくぎこちない感じのまま、電話や遊んだりすることもなくなったまま、一年が経ち・・・次にKの名前を聞いたのは訃報だった。「飲酒で事故って死んだよ。もう、一ヶ月も前だ。」抱えられるようにして事故現場に連れて行かれた。どのくらいそこで呆然としていたのかも、泣いていたのかもどこをどうやって家に帰ったかも覚えていない。相変わらずの思いつきの放浪の旅に出ていたあたしと誰も連絡が取れず、Kの死は一ヶ月も経ち、49日を終えあたしの耳にはいることになったのだ。Kの死から立ち直れなかったあたしは大もめのあげく当時のつきあっていて、結婚話まで出ていた人と別れ、その3日後からNYで時を過ごした。寒く凍える街で一人になりたかった。Kとの想い出がそこここに溢れる地元にいたくなかった。同時にKの想い出を一つ一つ噛みしめたかった。Thanks giving、 Christmas、 New yearとアメリカでは一番盛大なイベント、家族で大事に過ごす時期、あたしは独りぼっちでNYをさまよっていた。生きていたら越えることのなかった2つ年上だったKの年を越えいろんな男と出会い、適当に寂しさを紛らわす時期を終え、いっそ誰とも一緒にいない方がラクなんだ、と思っていたあたしがその死からホントの意味で立ち直れたのはだぁりんと出会い生きていて、側にいて、抱きしめてくれる人のぬくもりの大切さを感じることができてから。今日、ベビーカーを押してKとの想い出を巡った。働いていた店、酔っぱらって肩組んで笑い転げた道端3人だった頃、3ケツでバイクで走り回っていた道路お互いの気持ちも知らずにふざけてキスしてそのままなぜか勢いでたった一度だけ抱き合った、Kのアパート最後に会って言葉を交わした場所そして、Kがくだらない事故で死んだトンネルの出口。あたしの中から決して消えることのない傷跡が溢れる街。あたしの心のキズはもう血が流れることはないけれど、でもそこに確実に存在している。時々しくしくと痛むような、小さい、白い、薄い痕跡として。幸せはそんな哀しみを土台にして築き上げてきた。こうやって穏やかな気持ちで、懐かしく哀しみの傷痕を静かにいとおしく撫でることができる今の自分を、彼はきっと喜んで見守ってくれていると信じている。K、見てる?あたし、子供が生まれたんだよ。とっとと逝っちゃったアンタの分も、絶対幸せに生きていくから。
2004.09.02
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