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お金もうけを考えないようにしましょう。人助けを考えましょう。小さなアクシデントは、笑い飛ばしましょう。メールはちょこちょこ出して先方を安心させましょう。包装は、おかしいくらいに丁寧に。とにかく楽しむことです。あなたの人生と同じです。
2003年08月30日
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死刑判決を受けたT被告について、彼は最後まで人間らしくふるまうことを拒否したのだと言う論評を読んだ。彼は人間である片鱗さえ見せることを拒む。たくさんの命を抹殺した彼が、自分の命に対しても同じようにすることは、同じ延長線上にある。失われた命は、もうこの地上では救えないのなら、最後に残ったT被告の命を慈しむ。そして安らかな顔で、刑場に立つ彼を見たい。
2003年08月29日
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ボクの身の回りを囲んでいるもの。妻、子供たち、親、兄弟勤めている教会、信者さんたち、ペット、近所の人、愛用のパソコン、カメラやオーディオ。ボクの心を守ってくれる存在やモノ。神様のたまものであることは確かだ。でも、与えられたものがあまりも輝いていると、与え主である方を忘れる。でもそんな豊かな生活をしているボクにも、やがて一つづつ手放さなければならない日が来る。その時を、すがすがしく想像したい所だが、そんな時、いったいボクはどんな思いがけない行動に出るのか、それは未知の世界。
2003年08月26日
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タイトルで威かしてごめんなさい。これは聖書の言葉なんです。「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリピ3:8)キリストの伝道者となった結果、自分の名誉名声は全部失いましたが、全然後悔していない、と言う意味です。使徒パウロの言葉。ボクの場合は元々、路傍の石ころだったし、名誉名声など、一つもありません。地方都市の小さな教会の名もない牧師です。それで良かったんだ、と思いました。人から賞賛されることは良くないこと。ましてそれを求めるのは、道を外れること。
2003年08月24日
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人の評価をする時、気を付けなければならないことは、「人は成長する」ことです。思いの外、人は成長しています。(していないように見えても)ですから、同じ評価をずっと持ち続けると、誤ります。ボクなりに人の評価はしないように心がけています。しかし気が付くと、していますね。それに、好き嫌いが、ちゃっかり反映している。評価せずにはいられないものなら、あきらめて、出来ることなら、同じ人でも、会う度に評価を変えたいと思うのです。
2003年08月22日
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アパート暮らしを始めている娘の所へ、「どんな所に住んでいるか全然知らないなんて変だね」と妻と話し合い、夫婦で訪ねて行った。車で30分ぐらい走り、このあたりかな、と目算を付けて携帯に電話する。良かった、居た。今日は仕事が入っていない。「近くまで来ているよ」というと、始めはどうにも嫌がっていたが、やがて迎えてくれた。潔い性格は母親譲り。初めてのワンルームアパート! ちょっときれい。何もかも驚き。ちょうど昼になったので、母娘で手短に食事を作り、3人で戴く。それから、長居しないように、帰り支度。突然行って、やっぱり悪かったかな。きっと、心の準備をしてから、正式に親を招待しようと思っていたんだね。
2003年08月18日
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あしたは日曜日、教会やってます。足を踏み込んだら最後、もう出られない、って? あはは、そんなことありません。自由です。物見遊山な気持ちでお出かけ下さいな。ここの教会合わないと思ったら、あちらの教会へ。十字架が立っていれば教会です、お出かけ下さいね。だいたい日曜日は朝10時~11時の間に始まっています。お昼までには終わるでしょう。良い牧師さん、良い信者さんと出会えますように!
2003年08月16日
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三島から宇都宮まで、鈍行であしかけ5時間の旅をした。高校時代に耽読した筑摩文学全集の「芥川編」を鞄に。手垢が懐かしいかった。電車に揺られながら、巻末の評伝を拾い読み。文学者の「死」の前後の様子が記されているところで釘付け。彼の死への希求は強烈で、そこに憑かれたようにばく進する。もう周囲はただおろおろするばかりだ。前夜に伯母に「短冊」を託す。そこには彼の自画像が走り描きされている。それは正視できない、世にも恐ろしい自画像だ。そして予告通り、薬をあおる。ボクはその「短冊」を見て思う。「死」をどんなに正当化、美化しようとしても、出来ない、と。彼は、本能的な「生」を「動物的」と卑しんでいる。違う。ボクは、本能的な「生」は、神が命あるものに備えた、光に向かう命の習性だとだと思う。生きることが神のみこころなのだ。理屈ではないのだ。
2003年08月13日
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教会の青年会の夏の修養会、最後は富士裾野の「忠ちゃん牧場」に行く予定を立てていました。なんとなく「暑いよね」「道が混んだらやだね」。みんな年取った青年のせいか、だんだん否定的に。「戸外で伸び伸びしよう~っ」と言う人はいなかった。それで、ビデオ鑑賞会に変更。楽天広場の映画通「純日記」のサイトに行って、お勧め映画を一つ一つ読んであげた。6月8日の日記で紹介されていた「ジョンQ」を読んだら、「それがよさそう」そこで、「ジョンQ」の鑑賞会となった。はらはら、どきどき、そして最後の大団円へ。ヒューマンタッチの娯楽映画だった。今日は暑く、道も混んでいたので、「忠ちゃん」に行かなかったのは正解だったかも。
2003年08月11日
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台風10号の接近で今頃大荒れかと思いきや、ほとんど無風で、雨も、ぽつぽつだ。「リアルタイム天気図」サイトに行ってみたら、三島市の上空の雨量がぽっかりと空いていた。おかげで朝の祈り会には、一人のお嬢さんがいつものようにバイクで来られて、家内と3人でお祈りに励めた。隣の森からは、今とばかりに鳴きまくっているセミの大合唱。セミ君たち、気を付けろよ。もうじきこのあたりも大荒れになって来るのだ。
2003年08月09日
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昨日まで、キャンプに行っていました。中高生の生徒さんたちと一緒に、ゴスペルを歌ったり、聖書のお話を聴いたり、お祈りをしたりしました。やっぱり遊ぶときが一番楽しそうだった。早朝3時半に起きて、日の出を見に行きました。曇っていましたが、山頂の夜明けは、美しい。小さな虫たちが、物珍しそうに、ボクたちの所に寄ってきます。あっはは、ちん入してきてごめんよ。君たちの占有地だったんだね。さえずる鳥たちも、「カナカナカナ」と鳴いているセミたちにも。でも、気持ちがいい~ これは朝毎のドラマだったんだ。世界はこんなに美しい。
2003年08月08日
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見ず知らずの家を訪問して、伝道をするのは、今まではしてこなかった。ほかの宗教のかたがやっているので(ものみの塔!)、間違えられたくなかったという臆病な考えが・・・・今週は、2人の牧師さんたちが、ボクの教会をご訪問下さり、「あなたの教会の周りを訪問伝道させてください。よかったらここの牧師さんもご一緒に」と言ってくださった。それで一緒に教会の周りの家を回った。たまたま2人の信者さんが来ていたので、2組に分かれて回った。ほとんどの人が、わが教会のことを知っていたためか、対応は好意的だった。信者さんたちも喜んで帰ってきて、「とても良い伝道が出来ましたよ」クリスチャンのかたが読んでくださっていたら伺いたいです。皆さんの教会では訪問伝道をやっていますか?
2003年08月02日
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待っていた。本物の夏が帰ってきた。この「もわっ」という気温、けだるい日差し。これが夏なんだ。夏よ、お帰り。きみも確かにボクの一部なんだ。
2003年08月01日
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