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明日はキリスト教の暦で「待降節」。クリスマスを待つ季節にはいる。妻は明日の説教の準備のために、台所にこもってペンを動かしている。ボクは、明日は説教がないので、朝から、納戸からクリスマス・ツリーを出して、組み立て(笑)。ツリーの枝をのんびりほぐしていると、弟の声が心に響いてきた。「おんちゃん、そんなにていねいでなくていいんだ!」(「おんちゃん」はお兄ちゃんの音便化)2人で旋盤工をしていたとき、ボクが馬鹿ていねいに鉄を削っているのを見られて、言われた言葉。時間内に1本でも多く仕上げねばならなかった。やがて彼は旋盤工場の社長、ボクは牧師になった。それで、ツリーの枝をほぐすボクの手が、急に早くなった。
2003年11月29日
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もう余命は、あまり残されていないだろう、と感じられる教会のメンバーのおばあさまを、妻と交代で毎日お訪ねしています。先週は、わずかながら、お話ができたのですが、今週はお声が聞こえませんでした。一方通行のお話でも、きっとわかって下さっているだろう。今日まで、共に生きてこられた感謝、イエスさまに救っていただき、復活の命を頂いていることを喜び、ご心配なご家族のことはお祈りを続けさせて頂きます、と・・・・耳元で、聖歌を歌い、聖書の言葉を読む。目を潤ませたり、ボクの顔を見つめたりなさる。本当に、口ではとうてい言い尽くせない。四半世紀の間、変わらない愛を与えて下さった。陰に日向に、支えてくださった。失敗を、お赦し下さった。お話をしているうちに、ボクも泣けてくる。涙を見せて、心配をかけまいと思うのだが。
2003年11月28日
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長所だと思っていたら、短所になった。短所だと思っていたら、長所だった。人との関わりの中で、変幻自在に変化するからおもしろい。そのことに気づいてから、ボクの口から「小言」が出る回数が減った。この前、思いがけない「小言」を言われたので、こちらからも、思いっきり小言を言ってやった。後味が悪くて、落ち込み、もう金輪際やめようと思った。
2003年11月27日
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特養ホームを訪問したら、寮母さんを大声で怒鳴っている、入所男性がいた。寮母さん苦笑しながら対応していた。ある牧師の集まりで、そのことを話した。「ボクシなんかが一番危ないんだよ。キミもそうならないように、今から気をつけなよ」
2003年11月26日
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洗礼を受け、牧師になる決心をし、巣立って来た教会(母教会)が、創立50周年の記念礼拝をするというので、行って来ました。皆さんもボクも、年はとったが、30数年前と気持ち的には、みんな変わっていない事がわかった。さわやかな気分です。風が吹いて、窓からひらひらと舞い込んだ木の葉のようなボクを、受け止めて下さった所、教会ってそんなステキなところです。
2003年11月24日
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良寛さんみたいですね。ボクは良寛は好きですし、彼がたくさん残した歌も好きです。牧歌的のようですが、実際は孤独で烈しい人生だったと思います。でも、イエス・キリストさまのことを書こうと思ったんです。イエス様を書こうとしたら良寛が浮かんできてしまったよ。権威や、権力を退けて、弱い者たちに目を向け、言葉をかけ続けるイエス様の姿は格好良いのです。でも、歴史を振り返ると、教会は時として権威や権力を振るうようになります。いやだなぁ。
2003年11月22日
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日本の歌を歌っておられます。「早春賦」「赤とんぼ」「浜辺の歌」「椰子の実」「夏の思い出」「からたちの花」ボクが知る限りで、これらが日本の抒情歌曲の白眉かな、中でも、「椰子の実」「夏の思い出」が好きです。今回、「ゆりかご」「ふるみち」という美しい旋律の曲を新しく発見。聴いていて、心揺すぶられ、なつかしさにあふれます。鮫島さんは、ご主人のヘルムート・ドイチェさんの伴奏に支えられて、伸び伸びと歌っておられます。
2003年11月15日
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ボクは道ばたに転がっている石ころだった。神様が道をお散歩。神様はかがんで石をお拾いになった。それがボクだった。神様はボクを神様のお庭の片隅に置いてくださった。使徒のパウロもペトロも、きっとそうだったんだ。彼らは、きっとそう思っていただろう。聖書を読んでいるとわかるんだ。
2003年11月13日
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ホスピス病棟は、末期患者が安らかな最期を迎えることを目的として作られています。ホスピス病棟のチャプレンをしていた友人と、ある医師が対話したそうです。医師「延命治療は、医者の使命です。やめるわけにはいきません」友人「ではあなたが、患者の立場になったら、どうなさいますか」医師「ボクなら、ホスピスにお世話になります」
2003年11月12日
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LANカードの設定が分からないという電話。「行ってあげようか?」「来てよ」妻が「私も行く行く」雨の夜、2人でバイパスを西へ。娘のアパートを訪ねることが出来た妻は、終始、上機嫌だった。
2003年11月11日
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きのう(8日)は、牧師としてお葬式の司式をしなければなりませんでした。大切なご用を前にして、緊張しました。始まる前に、一人お部屋に入ってお祈りしました。「神様、ボクは何も出来ません。まるで無です。神様のお助けなくては、失敗しか出来ないのです。」それなのに、ほかの人が、とちったり、不用意な異音などが聞こえて来ると、「何をやっているんだ」と密かに腹を立てていた。(自分に対して)な~んだ、自分は無だとお祈りしながら、いっぱしだと思っていたんだろ。やっぱり。だから人にそんなに不寛容なんだよ。(祈り)どうぞおゆるし下さい。
2003年11月10日
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キーボードが必要になって、隣町の教会に借りに行った。牧師さん夫妻がおられて「ちょっと上がって行ったら?」コーヒーを入れてくれて、しばし歓談。「ボクたち、もう25年以上の付き合いだね」「はじめてお会いしたときから、お互いあまり変わっていないね」過去を振り返ろうとしたら、もうずいぶん忘れている。喜びも悲しみも、ドライアイスが揮発するように、飛んで行っちゃった。「神様が、前に前進しなさい、って激励してくれているんだ」
2003年11月06日
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〔茶会に臨む際には、その機会は一生に一度のものと心得て、主客ともに互いに誠意を尽くせ、の意〕 goo辞書より引用一期一会(いちごいちえ)とは「お茶会」の言葉なんだね。ボクたちの人間関係は、全部「一期一会」だと思う。その関係はいつまでも続くものではない。人との出会いが、限りなく親しいのはそのためだ。「一期一会」は必ず別れがあることをも、言っている。配偶者とも、親や子ともそうだ。だから優しく、愛を込めて、お互いに接し合おう。ほら、今から、そうしよう。人は、最後は一人になる。どんなに寂しくても、耐えなければならない。「一期一会」。何と素敵な言葉を、昔の人は考え出したのだろう!牧師らしく、ここで、伝道。いつまでも、いつまでも、いつまでも共にいて下さるかたが、おられます。
2003年11月04日
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献堂式というのは、教会堂の落成式のことです。ボクの後輩の牧師がお勤めする教会で行われました。若い牧師と若い信徒のみなさんが中心です。白木の床や壁、白木で出来た十字架、何とも清楚な雰囲気が彼らにふさわしい気がした。この教会に、たくさんの人々が訪れてくださいますように!雨の東名高速を往復しました。妻も2人の信者さんも同行してくれました。
2003年11月03日
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いつまでも未熟なこと、プロではなく、アマチュアのような失敗を繰り返している。信者さんたちは、笑って赦し、受け入れてくださる。準備の足りなかったお話にも、感謝の言葉を下さる。きっとつらいことが隠されている皆さんなのに、お互いに、そしてボクにも向けてくださる笑顔。同じ神様を仰ぐ仲間たちだ。皆さんありがとう! ボクの心は喜びにふるえています。
2003年11月02日
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