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隣町・沼津出身の作家、芹沢光治良は、晩年「リヨクの薬」を常用し、他人にも勧めていたという。あはは、ボクにはそんな薬いるものか! と、思っていたが。ボクはこの頃、自分も「リヨクの薬」が必要な人間だと言うことがわかってきた。自分の欲深さがどんなに強いものか、この歳になって気づかされているのだ。自分が欲深爺さんになりつつあることに気づくのだ。「リヨク(離欲)の薬」、ああ切にほしい。神様与えて下さい。ボクに飲ませてください。その薬で、ボクの心をいやして下さい。
2003年12月30日
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原語の歌に混じって、ドイツ民謡やリートを、日本語の翻訳で歌っている。日本人への細やかさだろう。聞き慣れた翻訳の歌詞が心にしみる。歌への愛情があふれているのだ。日本の歌は、なつかしさに包んでくれる。こう歌ってほしいな、と思うように歌ってくださる。音楽には、技術や正確さ以上に、歌う心があるということを、教えてくれる。
2003年12月29日
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毎週第4日曜日は、妻が礼拝のお話を担当。ボクは司会をする。1コリント15章から、キリストの復活、そして信者の復活を語って下さった。望みを天に置くように勧められた。一番前の椅子に座って、講壇を見上げるように、ボクはメッセージに聞き入った。 う~ん、あらためて見ると、年齢を感じさせるな(顔) 昔の面影は、いずこに? 彼女が聖書に目をやるため、下を向いた時、 そこに若い頃のなつかしい面影を見つけた。30分も集中しては聞けないから、そんな気分転換もしながら、聞くんだ。ボクのお話の時、信者さんたちもそんなことを考えるかな、ボクだけかな。
2003年12月28日
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愛は地に蒔く種のように時が来ると芽を出し、やがて実を結ぶだろう愛は決して空しくならない必ずいつかは返ってくる
2003年12月27日
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ボクがお勤めする教会は路地を入ったところにある。今イルミネーションが、ぴっかぴっか。遠くから見ると、どうも異様だな。こんな静かな場所で、ひとりきらきらしているのもなぁ。数年前、近くの人がご寄付を下さって「教会さびしいから、これできらきらさせてください」それから、点滅するライトと、コンセントのための電工ドラムを買いに行った。今年は、大晦日には外そうかな。
2003年12月26日
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今日はキリスト聖誕祭・・・・サンタさんが来たり、プレゼントを交換し合う。なんと、ボクと妻の所に、サンタさんが来た。明け方前、部屋の戸がそ~と開いた。無粋なボクは「どうしたの?」と声を上げてしまった。数分して、また開いた。鈍感なボクはまた、「○○子、どうしたの?」サンタさんも困ったろうな。サンタさんは台所に、プレゼントを置いていった。子供たちの所には、サンタさん来なかった。サンタさ~ん、きっと神様のお使いなんですね!神様が、御子イエスさまをボクたちに下さったからサンタさんも喜んで来て下さるのですね。これからも、ボクたちも愛を贈り合います。サンタさんのお陰で、クリスマスの喜びがひとしお身にしみる。
2003年12月25日
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「あわてん坊のサンタクロース」は、クリスマス前にやってきます。 ボクのうちのもあわてん坊のサンタクロースが来たことがあります。 ある年のクリスマスの朝、ボクと妻が目を覚ましたら、プレゼントが置いてありました。ビックリして子供たちが寝ている所に見に行きましたら、何も置いてありません。そうだボクたちの所に来たサンタさんは、あわてん坊だったんだと思いました。
2003年12月24日
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今朝は天皇誕生日に因んだテレビ特集を見ていました。穏やかな日本人の心そのままのような天皇ご夫妻、そして他の皇族の皆さん。番組は、天皇の1年間をふりかえりました。見ながら、天皇は日本の最大の外交官だと認識しました。天皇陛下とは、数年前、東京駅で出くわしたことがあります。警備もそんなにもなく、人だかりもなく、足早に駅のコンコースを通られました。周囲に手を振りながら、ボクの顔もごらんなりました。手を振るときも、一人一人の顔を見られる方なんだな、と思いました。好きになりました。お誕生日おめでとうございます。神様の祝福があなたの上にありますように。
2003年12月23日
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今日は「待降節」の4番目の日曜日で、信者は「クリスマス礼拝」を守ります。クリスマスの喜びを携え、信者は教会に急ぎます。もっとも「在宅信者」さんもおられますが。-------------------------------------------クリスマス礼拝も終わりました。今日は特別な牧師を招き、午前と午後と、お話を聴きました。信者さんたち、うれしそうでした。何か、ボクのお話を聴くより、真剣に聴いています(汗)たまには、別の牧師さんのお話を聴くのがいいです。ボクもとても勉強になりました。24日のクリスマスイブの集まりには、ボクがお話しします。がんばらなくっちゃ。
2003年12月21日
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7時過ぎにチビと散歩に出たが、初冬の穏やかな朝だった。無風、朝日が山や町並みを照らしている。ぐるりと空を見渡すと、西の方から灰色の雲の帯が現れている。20分ほど歩いて家に付く頃、あっという間に雲が空を覆った。予報では、今日は冬型が強まり、全国的に大荒れという。明日は、全世界の教会がクリスマスの礼拝を守る。
2003年12月20日
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クリスマス・フィギアは馬小屋の中、飼い葉桶(馬ぶね)に赤ちゃんが寝かせてある。童話化されてしまったように通俗化している。しかし聖書の記録は、「客間には彼らのいる余地がなかった」追いやられてしまっているのだ。人間の社会には、神の御子をお迎えする場所がなかった。キリストが、貧しくなられたのか、人の心が貧しいのか。感謝しよう。喜ぼう、祝おう、声と力の限りに!この日から、366日のクリスマスを始めよう。
2003年12月16日
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昨日、教育テレビで「皇帝」をやっていました。ブレンデルという(当時は)初老のピアニストが弾いていました。ピアノとオーケストラが掛け合う、ベートーベンの協奏曲です。堂々とした曲想、強音と弱音のめまぐるしい交代、幼子のように、浸りきって、曲の表情が、顔かたちの表情に表れていました。ボクもあんなに懸命に、お仕事ができたらなぁ。
2003年12月15日
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抜けるような青空の朝、富士山麓の霊園に行きました。わが町を抜けると車窓左側に「真白き富士の嶺」が広がります。娘が山麓の工業団地に勤めていることに思いをはせ、妻は言いました、「○○子が毎日富士山に登っているみたいだ、と言っていたこと、本当だわ」霊園では、2つの家族と合流して、墓前でお祈りの時を持ちました。彼らも、きっとこの富士の懐に抱かれる恵みを感じていたでしょう。
2003年12月13日
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神様がお造りになった男女の不思議さ。男は「土の塵」で作られ、女は「男のあばら骨」から作られたと聖書に書かれてある。作られた素材が違うんだから、性に関してもはなはだ違うのは当たり前か。お互いの欲望が一つに解け合った若い頃は、自分にもあった。今は、時代は過ぎ去って、お互いのどこがどう違うのか、見つめなければならない。女は、生殖時代が終われば、もう身体の接触は要らないように見える。一緒に過ごす、お茶を飲んだり、会話をすれば満足している。「女々(めめ)しい」という女性に失礼な言葉があるが、その点、女々しいのは男なのだ。そんな男の残存物を雄々しく乗り越えてこそ、「男らしい」というのだろう。
2003年12月12日
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ネットを介して、お話したことがあります。向こうの方は、男性だと思っていましたが、ふと確信がなくなり「男性の方でしょうか?」と、伺ってしまいました。男性、女性を意識しない世界、ボクはそう言うものにあこがれを感じます。肉体的な性の交わりの時代をすでに過ごした夫婦の間には、そんな理想が実現するのかも知れません。互いの人格的な結びつきを育てなければ、無理な話だとは思いますが。
2003年12月11日
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今年はいちじくが鈴なりだったが、ついに終わった。終わりの方は、もう取るのが飽きてしまって、放っておいたら、山鳥が来てついばんでいた。友だちが、駐車場の脇に、小枝を差しておいたのが始まり。見事に地面に着いて、育ったもの。良い年だった。
2003年12月09日
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自衛隊が重火器を携行してイラクに行くことは、交戦を想定していることになる。これは明確な憲法違反。イラクは現在、戦後ではなく戦争中の状態にあることは、小泉首相も認識しているはずだ。国家は憲法の元にある。国家を愛し、国民を慈しむことは、憲法を守ることを含む。ボクは、現在の状況下で、自衛隊に重火器を装備させてイラクに派遣することは、絶対にないと信じる。ボクは今の政府を信頼しているから、そう確信している。日本国憲法第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2003年12月08日
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友だちの紹介で、譲っていただいた印刷機。学校からのリースアップ品らしい。ボクの所で使わせていただいて、もう3年くら経つかな。印刷カウンターを見ると、120万枚を越えている。友人は170万枚でやめたと言っていた。あと50万枚は行くと言うことか。うひゃエラーがあったので、サービスを頼んだ。部品を変えていった。「丈夫な器械ですね」「ええ・・・それで困っているんです(汗)」
2003年12月06日
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悲しみは、それを乗り越える力を付けさせるために、神様がお許しになった試練だと思います。「試練と同時に、逃れる道も、神様はお備え下さる」と聖書の中で、使徒パウロは言っています。(1コリント10:13)
2003年12月05日
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チビの散歩中、小学生が登校する集団にあった。一列に並んで、みな両手をポケットに入れている。すれ違った小父さん、やはり手をポケットに入れている。ボク、犬の引き綱を手首にくぐらせ、両手はポケットに。オー、さむ、さむ
2003年12月03日
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2人の外交官の命を心から悼みます。日本国が憲法のもとにある国民であることを忘れないでほしい。海外での戦闘は厳に禁じられています。首相は、自分の子供たちを、戦闘に巻き込まれるような場所には、遣わさないでほしい。戦争には、一切、加担しないこと、これが憲法の精神であるはずです。それで「無責任」のそしりを受けるなら、こう言いましょう、「ボクたちは、戦争の当事者にはなれないのです。ごめんなさい」
2003年12月02日
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器を温める。熱湯を注ぐ。ティーバックを静かに入れる。じっと待つ。静かに引き上げる。なんとパッケージにそう書いてあった。ああ、知らなかった。ティーバックめがけて、熱湯をジャーっとかけていた。そして思い切り振っていた。そうだ、イエスさまの教会を造り上げる道も、これなんだ。
2003年12月01日
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