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近隣の教会から「カルト救出セミナー」の案内が届いた。連綿と受け継がれてきた教理と、違うことを説くグループがある。教理的なバランスなど気にせず、霊的ひらめきが、物言う世界かも。熱狂を好む人々は、いつの世にも存在する。宗教にも、政治にも。そういう人は「天国はここに実現している」と錯覚する。一年中、お祭り気分でいられる所があるなんて、魅力なんだろう。宗教的特権意識で胸を張れる。配偶者も子供も目に入らなくなり・・・・指導者との支配関係が樹立され、「献身」「奇跡」「現世否定」とかが強調される。「悔い改め」とか「仕えること」「忍耐」などはあまり重視されない。
2004年09月30日
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それは2000年前に生きた一人の人今でも、そのかたを、見ているように聞いたことがない声を、聞いているように話したことがない人と、対話しているように夢を見ているのではなく幻でもなくさりとて現実でもなく一冊の「聖書」という本を読みながら十字架が立っている屋根の下にとどまりそこを第2の家庭のようにして生きている人々と祈り歌い語り合いそのかたを心に感じている前に後ろにかたわらに心の中に一緒におられる気がする
2004年09月29日
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おはよう!今朝は秋晴れ。こんな季節に生まれたのだった。良き季節に生を受けたと思う。戦後のベビーブーム。団塊の世代。幾つになっても、同じくらいの年の人がたくさんおられる。一斉に老人が増えるかな。若者たちが迷惑?数で圧倒しようぜ。この世代がいなくなるとさびしくなるよ。追伸・昨日はたくさんのかたからお祝いの言葉を頂いたり、クラッカーを鳴らして頂いたりして、ありがとうございました。恐縮いたしました。
2004年09月28日
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初老の男性がおられました。ある日曜日の朝、彼は「今日は誕生日なんです」と小声で漏らされた。そばで聞いていた女性がいた。彼女は日曜学校の先生だったので、すぐに生徒をピアノの前に集めた。「ハッピバスデー トゥ○○さん」て、歌いましょうね!彼の誕生日を称える歌が始まった。「ボクは生まれて初めて誕生日を祝っていただきました、生まれなかった方がよかったと今まで思っていたんです。」と彼はみんなに感謝した。重い障害を持って生まれてきた人だった。それから、日曜礼拝が始まった。今朝、妻が言った「お父さん、わたしの年に追いついたね」今日はボクの56回目の誕生日だったっけ。
2004年09月27日
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今日は第4日曜日で、伝道師である妻がメッセージをしました。いつものように、一番前の席にすわっていました。お話(説教)が3分の2ほどに達した所、彼女が取り上げた聖書の言葉がボクの心に広がってきました。それまで湿っていたボクの心が晴れ渡り、虹が架かったようになりました。
2004年09月26日
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「祈りとは、自分の力でなし得ることはことごとくやり遂げるという意志と関係を持つ限りにおける約束なのであります。」 ~エミール・ブルンナーこんな祈りをしたい。そして神と共に最後までやり遂げたい。
2004年09月25日
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ゲツセマネという名の庭園で、キリストが祈った時汗が血の滴りのように落ちた、と書いてある。キリストがそんなに苦しんで祈られた日もあった。
2004年09月24日
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涼風を待ち望みながら、もう今日は秋のお彼岸涼気を含んだ朝の風は、ささやか部屋の中にたくさん入るように、今のうち窓を開けます。誠実に生きることが困難な日もあり
2004年09月23日
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久しぶりの雨音で目覚めさせられた。それは、波を打つように強くなったり、遠のいたり、部屋の窓を開けておいたっけ起き出して、窓を閉め雨音に聞き耳を立てながら、座り込んでしまった。
2004年09月22日
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「ステキなパッチワークを着ていらっしゃいますね」「いいえ、みんなで繕いながら来たら、こんなになりました。」
2004年09月21日
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八ヶ岳西麓、蓼科高原のペンション風教会で行われた集まりに行ってきました。オーナー牧師夫妻が作ってくださるお料理がとても楽しみなんです。参加者への心配り、手作りの暖かさがにじみ出ています。お話は、エフェソの信徒への手紙が取り上げられました。お話を聴くのが楽しいです。弟と二人で参加しました。外で遊ぶと、高原はもうコスモスが満開です。コスモスって、よく見るとお行儀が悪いことがわかりました。それでもめいめいが輝かしく咲き誇っています。そういう感じが何とも言えなくうれしいです。
2004年09月20日
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神が人のために犠牲となる神が人のために死に逝くあの時以来ボクの思索はそこから始まるようになったそのかたは今も生きているならそのかたのそばにとどまっていたいそのふところに安らっていたい
2004年09月19日
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押さえようとしても、押さえようとしてもあふれ出てくるものそれが神の愛であったらただ身を委ねることだけを思うそういう信仰でありたい
2004年09月18日
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主人が家来たちに資本を預け、これを元に、商いをしていなさいと命じられる。主人は旅に出かける。主人はやがて帰ってきて、決算報告を求める。一人一人預かったものは違っていて、それぞれに元手を増やした人たちは、お褒めの言葉を頂く。一番小さな額を預かった人は主人がこわくて、埋めておいた。それをそのまま返すと、叱られて放り出される。けっさくなのは、主人の言葉「働くのがイヤなら、銀行に預けておけば、私は利子だけでももらえたのだ」マタイ25章14ー30に載っているイエスのたとえ話です。ボクたちの人生は、神から預かったものを活用していく道筋。主人(神)を信頼して、実を結ばせなさい、と言うのだ。神の資本を預かって生まれてきているなんて、カッコイイと思う。しんどいけれど、主人を信頼していれば、はらはら、どきどきの楽しい人生を送れるはずだ。
2004年09月17日
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妻と生協ストアへ。牛乳のコーナーでは、奥の方からなくなる手前の方は日付が旧いのだ妻は手を伸ばして、奥の方から1本それから手前のも1本
2004年09月16日
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死刑執行への、異例の早さ。もっと時間をかけて、生の意味、死の意味、罪の自覚を深く持たせてから、その上で死をもって償わせるべきだ。それが死刑制度に意義をあらしめること。凶悪犯罪に走ることも、その罪深さは、彼一人にだけ負わせるべきものではない。親の罪、環境、社会、時代、さまざまなことが相乗して、結果にいたっている。極論かも知れないが、私自身も彼の罪に荷担しているとさえ、言えなくもない。たとえ、「早く死なせてくれ」と語っていたとしても「一緒に考えてからでないと、それはできない」とすることが、正しい態度だろう。そうでなければ、「罪の償い」ということはなく正義の名の下の、犯罪人の抹殺である。そのようなやり方は、犯罪者の抹殺ではなく、人間の抹殺である。
2004年09月15日
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朝の祈りが終わって、新聞を取りに出た。玄関前に、小さな植木鉢が倒れていた。風のせいだろう。そのまま家に入ってしまった。入れ替わり、妻が別の出口から出てきた犬の散歩のためである。ちなみに妻は犬の残歩、ボクは朝食の支度と決めている妻の目に倒れていた鉢が映ったらしい「あ~っ」と悲鳴のような声を発して駆け寄った食事の支度をしながら、先の出来事を思い出している内にはっと気づいた聖書に書いている場面を倒れている旅人を無視した律法学者哀れに思って駆け寄ったサマリヤ人
2004年09月14日
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キミは人の心を映し出す鏡としてボクたちの教会に遣わされているボクの心が七色にも変化することもキミは教えてくれるキミが悩み途方にくれているときには心静かにキミの側にいてあげたいこれからもよろしくね
2004年09月13日
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ボクが執り行った葬儀は、悠に20回は越えている。この世の生を終わり、神のふところに旅立って行く人に寄り添おうと努めた。ボクの手の中で、息を引き取ったかたもおられた。そんなボクにも、やがて送る側から送られる側に立つ日が来る。その日を思うとボクの心は安らかになる。その日が待ち遠しいのだ。ボクを送ってくださる人が、ボクのような人だったらうれしいんだが(汗;)
2004年09月12日
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癒されることを信じたい。医師がどんな宣告を下そうとも最後まで希望を捨てない。緩和ケア病棟に移られたそこは本当に良くできている面会時間の制限もなく病室に電話もつながる奥さん、娘さんも昨日から泊まり込みになり臨戦態勢が敷かれているボクは神様に癒しを求めているキリストは死んで4日たち、死臭たちこめるラザロをもよみがえらせたと書いてあるキリストは今もここに立っておられることを思うとき癒しを祈り続けて良いと思う。昨日、彼の枕元に行き祈った神様の最善の御手があるように激しい闘病にも、安らぎがあるようにそしてあなたは病を癒すことがおできになることを信じます、とボクは祈った主よ,愛する方いつも側にいてくださる方よ祈りにお答え下さい聖書に書いてあることを行ってください
2004年09月11日
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昨日は午前中、葬儀の準備午後は葬儀を執り行いました。午前中は、通夜が明け遺族が出入りしました。ボクは書斎にこもって、葬儀で語る式辞などを用意しました。うちうちで執り行われた小規模の葬儀でも、お葬式は何度執り行っても、慣れると言うことはありません。毎回が初めてです。恐れることは、司式者であるボクが、自分を失ってしまうことなのです。キリスト教の葬儀では、故人と司式者とが身内のように心のつながりを持っていることが多いです。遺族の思いより、自分の思い入れが先走りする状況になりやすいです。ときどき妻がボクの所に来て、耳打ちします。ボクをいさめに来るのです。はっと我に返るときです。妻はボクを良く知っている。とても助かります。一日たってボクはこの3日間を振り返りました。頭の中に次々と反省材料が浮かんできます。これは書き留めておかなければ・・・・それでも・・・・外は穏やかな初秋の晴れ間が、今、ボクの心に慰めを与えています。
2004年09月10日
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いつも草取りや剪定をしてくださる信者さんが来た。一仕事終わって、一緒にご飯を食べることにした。雑談の中で、彼がクラシック音楽が好きと言うことがわかった。「じゃあ、BGMで豪華に食事を」チャイコフスキーの「悲愴」を選んだ。派手に鳴らしていると、妻が2階から降りてきた。「どこから鳴っているのかしらと思ったら、やっぱりここね」3人で聴いたのである。妻が言った、「この音楽、なあに? 映画音楽みたいだけど・・・・」なにを? このチャイコの絶筆、悲愴交響曲を「映画音楽」だと?しかし・・・・言われて改めて聴いてみると??????
2004年09月09日
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きのう早朝覚醒して、3時まで起きていた。眠れないボクがネットに入っていた頃、教会のメンバーのお父様が死に赴いていたことがわかった。彼がボクを起こしたの?そんなにも、さびしかった?悲しみが、天と地を覆っていた?今晩、彼の葬儀(前夜式)をとり行った。ボクは司式をしたが、いい知れない悲しみとやり場のない怒りの思いがこみ上げてきた。でも明日も諸式をしなければならない。悲しみは心の箱に収めて。
2004年09月08日
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深夜、目が覚めて・・・・。眠る格闘をやめてネットにはいる。午前1時半だった。鬱病とたたかっている人のHPを見つけて、読みふけった。字が小さいので、読むの大変だった。そのHPのせいではありません、老眼なのです。3時を回った、1時間半も過ごしてしまった。そろそろ眠れるかな。水を一杯飲んで、床に入ろう。新しい朝は、また生まれるだろうか。ボクの心はよみがえるだろうか。
2004年09月07日
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石油風呂釜が経年で壊れたので、その釜を買ったお店に新しいものを注文した。すぐに持ってきた。「事情があって開封してあるものなんですが、いいですか?」「お湯を沸かしてくれさえすれば」とりつけ工事が終わって、「おいくらですか?」「あとで請求書を出します」請求書が1ヶ月過ぎても、送られてこない。そこで電話した。事務の人が出て「調べてみます」また1ヶ月たった。もう請求書催促するの、や~めたあれから15年以上過ぎた。もう請求書待たなくてもいいでしょうか。
2004年09月06日
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力による世界支配を宣言しているよう聞こえた。聴衆も、礼賛している。それは戦争前夜の雰囲気だった。いやすでに戦時下であり、この戦争には絶対負けない、と演説していたのだ。あちらでも、こちらでも、人の命がおとしめられている。テロリストたちよ!権力闘争は、人の命で贖うのだね。戦闘の生け贄は、武器を持たない女性や子供なのだね。人の命が失われるほど、君たちは興奮するんだ?21世紀の夢は、爆弾の炸裂音にかき消されている。
2004年09月04日
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聞き慣れないバイクの音だな、と思ったら、息子だった。「俺のバイクだよ、ほら」と書類をテーブルに投げる。朝、彼が出勤したあと、改めてバイクを見に行く。暗い時、一瞥(いちべつ=ちょっと見る)した時は、ひで~バイクだと思ったが、よく見ると案外まとまっている。問題はマフラーだ。ずいぶんいじくってる。元の形は想像できない。車種も判別できない。娘が言っていた「もらったんだって」よくもらってくるよ~ぉどうしてわざわざ玄関の真ん前に置いていくのかね~カッコイイと思っているに違いない。
2004年09月03日
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好きな人です。イスラエルの初代の王様。紀元前1000年ごろ即位。マイナーな、あまり知られていない人ですが、共感するところが多いのです。すぐれた才能そして容貌。人間的にいいところもある。しかし気が小さく、嫉妬深すぎて、家臣ダビデと確執。ダビデは何のやましい所がない人で、あっけらかんとしているのに、サウルは一人で心配し、怒り、ダビデをとことん憎み始める。偏執症です。やきもちの恐ろしさに身震いします。ボクはそんな彼の弱いところに惹かれるのです。神様はどうしてそんな人間を、イスラエルの初代王様として選ばれたのだろう。神様の気が知れない。(だってお前を選んだんだよ!)
2004年09月02日
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かつて、負けそうになってもいつも勝つ力士の相撲を見ながら「あの人は勝つことに決めているのね」と妻が言った。(面白いことを言う)とボクは感心。最近の礼拝で、体調をこわしていた信者さんが、半分失神しかけている状態で、家族に送られて来た。回りがビックリ。この人は「礼拝出席することに決めている」人だな、とくだんの妻の言葉を思いだした。「決めておく力」は、すごいもんだ。「生きることに決めておく」そうすれば生きる道は開かれていく。「ゆるすことに、きめておく」そうすれば、きっと寛恕のたまものが与えられる。「愛することに決めておく」こうすれば、こわいものがなくなる。「健康になることを決めておく」「幸せになることを決めておく」思いは広がっていくが・・・・。ボクなら「イエス様を愛しまつることに決めた!」
2004年09月01日
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