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大学生時代、ボクの信仰の目を開き、学生運動を止めさせて下さったかたがあります。喜んで来て下さるだろう、と考えてボクの教会の集まりにお誘いしたら「ボクはホーリネスの集会にはいかないよ」この衝撃的な言葉は、ボクにとって初めての「教派」との出会いでした。ボクは自分の教会のことしか知らなかったし、「教派」なんて考えたことがありませんでした。恥多き学生運動から身を引き、4年生になって遅まきながら「聖書研究会」に入りました。聖研の運営陣は、カルバン派の方が多かったです。ボクの信仰はそこでも育てられました。大学内で伝道会を催したり、九十九里浜の寒村に出かけ戸別訪問伝道をしたり、楽しかったです。
2007年02月23日
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「ケズイック」とは、イギリスにある湖畔の町の名前です。100年以上前から、毎年、この小さな町に天幕が張られて、世界中の名説教者たちが招かれて聖別会が持たれて来ました。それが「ケズイック・コンベンション」です。教派的には、聖書信仰を重んじる穏健なカルビニストと極端でないウェスレアンが多いようです。聖公会やバプテスストの説教者も立てられます。日本には、英国のケズイックの流れを汲む外国人の講師が主に招かれ、通訳が付きます。毎年、参加教派ランキングが張り出されますが、「日本キリスト教団」の教職、信徒の方は圧倒的に多いです。出席者はありとあらゆる教派にわたり、カトリックや、聖公会、ギリシャ正教の名前さえ見られることもあります。教派の枠を外して、聖書信仰に立って聖書の御言葉に聴き入ることを主眼としています。「キリスト・イエスにあって一つ」が、そのスローガンです。
2007年02月22日
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箱根の聖別会の2日目出かける直前、信徒さんからキャンセルの電話があって、夫婦での参加となりました。「レディスの集会」は妻が出ます。「メンズの集会」にはボクが行きます。終わってから妻と再会(笑)「夜の集会にも出たいわね」こんな言葉をも期待しましたが妻はもう余裕が残っていないようです。ロビーで知り合いに会うたびに、足が停まります。1年ぶりの人もおられます。一人のかたと話していると、また別のかたが声をかけて下さいます。帰りの車の中で、どんなにお恵み豊かな集会だったか紹介し合います。2人とも自分が出た集会の録音テープを買いました。そのうちの一つを聴きながら帰りました。
2007年02月21日
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今日は箱根に登り、日本ケズイックコンベンションの開会聖会に参加しました。今までは、教会から研修費を頂いて、いつも夫婦で泊まりがけで参加をして来ました。今は妻が体調を崩していて、長い緊張に耐えられませんので、1日1回だけ集会に出ることとし、がんばって3日間往復するつもりでいます。そのために信徒さんをも連れて行くことができます。通い詰めた箱根の聖別会ボクたち夫婦は、20代の始め、まだお互いが知り合う前からここに来ています。結婚してからも、この聖会を忘れることはありませんでした。赤ん坊をだっこしながら、メッセージを聞いた時代がありました。とうとう子供たちも独立し、また2人になりました。やがてどちらか一人になる時が来ても、この聖会にはきっと参加するでしょう。
2007年02月20日
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「いるか~い? 近くを通ったから寄ったぞ~」お若い頃、救世軍の士官、事情が重なっておやめになり会社にお勤め、そしてリタイア富士山の裾野の町にご自宅を教会として伝道を再開され、もう20年にもなられるだろう。救世軍仕込みのお若い頃からの信仰は、隠しようもなく滲んでいる。ボクもウェスレアンだから心が響くのだ。時に目に涙さえ滲ませて、お互いのお話は楽しくて、夕闇が近づく。若葉マークではないもう一つのマークを付けたお車で闇の中をお帰りになるのは、奥様も心配なさるだろう。雨も落ちてきた。(先生、そろそろ・・・・・)
2007年02月20日
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絶望の1時間後にさえ解放があります。事情が変わらなくてもボクたちの心が変わるなら!心を神様に向けること。神様が「大丈夫」と言われるのならボクも「大丈夫」。
2007年02月19日
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第3日曜日、礼拝を終えた午後のプログラムを外したらお昼を頂いた後、皆さんはその場にとどまって話に花を咲かせていた。皆さんのお話を聞きながら、心の中で泣き笑いした。
2007年02月19日
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レスやコメントでは何度も失敗をしています。軽口の掛け合いで「ここに来る皆さんの躓きにならないように」ご注意を受けたことがあります。忘れません。とてもうれしかったです。眠っている劣情を呼び覚ます者ではなく神様へあこがれる心を呼び覚ますそんな者になりたくてここに来たのですが・・・・
2007年02月18日
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不相応のレスを付けそうになってあわてて「前の頁に戻る」ボタンを押します。タッチの差です。戻らなかったこともあります。今日までの失礼な言葉の数々をおゆるし下さい。
2007年02月17日
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こんなボログでも、何人かの人たちが心待ちしていてくださると思うと、涙が出るほどうれしい。今日はこれでオワリ
2007年02月17日
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今日はめずらしく日記を書くのがこんなに遅くなってしまったので、今日の行動を、手短に披瀝しましょう。朝の食事を終える頃、お友だちから電話。「今日は予定はないかね? 具合が悪くて病院に行きたい。連れて行っておくれよ」そこで3キロほど離れた一人暮らしの彼の家へ。箱根への登り口にある病院には、そこから約4キロ。診察を終えると、「このまま入院になったよ」諸検査をすまし、病棟に登る。部屋とベッドを確かめてから、一度帰る。コーヒーなどを淹れて、ちょっと一息今度はバイクに乗り換え、再び彼の家へコップ、寝間着、下着、携帯電話、等を適当に探しだして、病院の彼の元へ。「携帯は要らない、それからお金のあり場所を教えるから預かってて」「いいけど、今日はもう来られないよ。日曜日の夕方に来るよ」ベッドの脇で、病の癒しのためにお祈りをする。彼の家に行き(3度目)、言われたとおりに整え、わが家に帰ると、もう夕方近くになっていた。今日は妻と生協ストアに行く予定だったので、それから出かけた。妻がカツオのなまりをカゴに入れた。「おぅ、今日はカツオの刺身か!」あに計らんや、帰ってから妻がタラを焼き始めたので「カツオは?」と言うと明日はボクの母が東京から来るのでそれまで取っておくと。
2007年02月16日
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石井 筆子(1865-1944)「日本の近代女子教育者の一人。日本初の知的障害者福祉の創始者の一人」(Wikipediaより)昨晩のNHK福祉の時間に、石井筆子の生涯を描いた映画「筆子、その愛」の筆子を演じた常盤貴子さんと、映画に出演した子供たちが登場しました。折りよく、ボクたちは今日その映画の特別上映会に行ったのです。明治の初年、障害児の母となったその重さゆえ、自ら障害児教育への道に分け入り、その道がひとすじの道となった石井筆子。昨晩のテレビの中で、「どの場面が楽しかった?」というアナウンサーの問いに、「みんなで橋をわたった時」と子どもが答えていました。そのステキな場面が来ることを心待ちしていました。ほんとうに、夕日に照らされた小さな木橋を、子供たちが楽しそうに渡っていました。「障害を持った子供たちには、演技を付けようとすると萎縮してしまうので、自由に振る舞わせました」監督の言葉でしたか、それを聞いて、自由に、のびのびと生きることの大切さを、思いました。
2007年02月15日
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イサクは父アブラハム、子ヤコブの間にいます。2人の信仰の巨人の間にはさまれ、話題になることは、そんなにはありません。少年の頃、いけにえとして、ささげられそうになりました。しかも実父によって。最後は、妻リベカにだまされ、誤った相続を与えてしまいます。(それが神様の御心だったわけですけれども)これがイサクの生涯だったのです。彼の記事は、前後のアブラハム、ヤコブに比べて、驚くほど少ないのです。彼は、昔、父アブラハムが掘った古い井戸を探して、修復して歩きます。せっかく直した井戸も、土地の奴らに横取りされてしまいます。彼はまた別の井戸を探すのですが、そこもまた取られてしまいます。イサクは争いを起こさない、無欲の人でしたぁ。
2007年02月14日
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アウディは、オーソドックスな車体がシックでいいです。一度は、乗ってみたい車ですな。トレードマークの「4つの輪」もステキです。アウディの輪がちょうどいい感じで重なっているのが、好きなんです。ボクたちの人間関係の係わりのようです。離れていないけれど、べったりしていない。アウディの輪のような人間関係を築きたい!夫婦も親子も教会の皆さんともずず~~~~っと、近づきすぎてボクの輪だかキミの輪だか訳がわからなくなったよ、などと言うことがありませんように!
2007年02月13日
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狭~い道路を走っていた。ボクと同じような型の軽自動車が前から来た。大丈夫さ!こっちも向こうも軽だもん。すれ違いざまこちらのサイドミラーと向こうのサイドミラーが、ごっちんこ「ぱこん!」向こうの勝ち!ボクのミラーが曲がった。運転席に目をやると若い男性が軽く会釈した。ボクも首を縦に振った。かっこいいな、キミの車
2007年02月12日
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浮気をしなかったのは神様に対する熱い思いがあったから?妻への愛と忠誠の思いから?いや、ただ臆病だっただけこれが真実だとすれば天国に行った時すべてをご存じであられる神様からなんと言われるだろう「罪人である私をおゆるし下さい」やはりボクにはこの言葉しかない
2007年02月11日
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温泉場にある教会に盲人のかたがおられました。その教会の役員でした。穏やかな物腰、言葉、そして確かな信仰。一本の白い杖を持って、自由に道を歩かれます。「風の具合で、曲がる道がわかります」と聞いて感心しました。そこの教会の牧師が不在だった時お手伝いしたことがありました。余りにも小さなその群の中にもキリストの愛に囲まれた、確かな恵みの世界がありました。今は教団も異なり、一切の交わりを持ちませんが、思い出の部屋の鍵を開くとその温泉場にある教会の皆さんのお顔が一人一人浮かんできます。なつかしさに心あふれます。
2007年02月09日
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東京の教団事務所にでかけ帰ってまいりました。本当は、弟の家とかキリスト書店に寄ったりしたかったのですが自分の責任を果たすのがやっとでした。もっと体力を付けなければ。それでも理髪店には寄りました。「カットのみ1900円」の看板がいきなり「1000円」に変わっていました。うれしいけれど、経営が大変なことが伺えます。50円の消費税を上乗せすることさえ、恐れているようです。でもカットのみで、時間が短く済むのは、うれしいことです。ヒゲなんてすぐに生えるので、剃らなくても構いませんし洗髪も入浴時にするのだから、要りません。理髪料金1000円でも、手際よく整えてくださる店なので満足です。
2007年02月08日
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言葉の魔術師は言葉をいかようにもあやつる。美しい言葉をたどりそこに待つものが何かはだれにもわからない。人を酔わす言葉や慰めの言葉にさえ真実はそこにはない。真実は言葉を越えた向こうにある。
2007年02月07日
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Palm Vx や Work Pad c3 の交換電池が売っています。裏ぶたの開け方がわかりません。ネジがないのです。専門的な技術と、特殊な工具が必要なのかも知れません。どなかた開け方をご存じの方、教えて下さいませんか?
2007年02月06日
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統合失調症という病は、自分が病気であるという認識を持たないことが、特徴であるという。ボクは統合失調症ほど奥深い病は、ほかにないと考えた。病識が無いことから考えれば、だれもが統合失調症であるかも知れないのだ。ボクも少なからず統合失調症である可能性はある。振り返って、「あの時は統合失調症だったかもしれない」と省みることもある。身体も心も一緒に、神様に寄りかかる時、ボクを統合なさるただ一人のお方が、おられると安心できる。だから心の目で神様を見つめている時には、自分が統合失調症かも知れないと言う恐れから解放されている。つまり、神様にあっては、どっちでもそんなに配はない。
2007年02月06日
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健康であることはキラキラと輝く宝石を持っているようなものだ。病と共に歩くことは、いぶしてある宝石を持っているようなものだ。
2007年02月05日
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先週、テレビの有能な女性アナウンサーが、この病気を苦に自殺したという。病名が初耳だったので、ネットで調べてみた。たいへんな病気だった。つらい病気と闘い続けた人々の記録を読んだ。
2007年02月04日
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夜ぢゅう吹き荒れていた季節風が明け方まで名残をとどめていた。風の中で呼び鈴の音を聞いた。幻聴だろうか。枕元の目覚まし時計の頭を押し時刻を告げるアナウンスを聴いた。日曜日には「朝の祈り」は止めにしたはずなのに寒風の中をバイクを走らせ呼び鈴を押していた人があった。お祈りが終わってそのかたが帰る頃には不思議にも風は止んで穏やかな一日の始まりとなった。
2007年02月04日
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「節分」(季節を分ける)冬らしくぴりりと寒い日は滅多になかったのに今日は凍えた。ここ常春の北伊豆も、マイナス4度を越えたと。オ~寒ム!6時過ぎに起き出て東の空を見たら赤々と燃えていた。夕刻となった。外では木枯らしが音を立てている。こんな寒い季節を、冬から春に暦を分ける日と決めた、昔の人々。先へ先へと心を準備する昔の人々。行き当たりばったりで生きてきた自分がちょっと恥ずかしい。
2007年02月03日
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厚生労働相「女性は産む機械」との言葉は、失言でしたね。支持者の集まりでそんなことを言ったのでしょうか。文脈はわかりませんが、人はハイになると、自分でも思わぬ事を言ってしまいます。どんな所でも、ちゃんと準備をして原稿を作り、原稿に書かなかったことは、心にひらめいても口にしない方がいいのです。厚生労働相は謝っています。首相も謝っています。「これからは気を付けてくださいよ」そう言って、この問題は終わりにすべきでは?それ以上、追い込み続けるのは、「いじめ」でしょう?いじめのない優しい社会を作る・・・・どうぞ、模範を示してくださいな。
2007年02月02日
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SEXは結婚式の日まで取っておくのがいい。神と人とに祝福された夫婦になったしるしとその甘い香りを味わう日のために。それだけを目的にして近づく男がいるから気を付けるんだね。「愛しているなら、証拠を見せろ」そんな事を言われても簡単に渡してはいけない。目的を果たした男は振り向くといなくなっている。「愛しているから、キミの身体がほしい」そんなことを言ってキミはきっとためされている。実は、そんなには欲しくはないけれどキミが大切なものを簡単に渡してしまうような女か、確かめている。ほんとうに愛しているならその日を心待ちしてはいても今はSEXがなくても大丈夫なはず。一緒にいるだけで幸せなんだ。やみくもに求めてきたらそんな男は捨てなさい(女も)キミがどんなに愛していてもどんなに愛されていてもお先が知れている。それとも顔を叩いて目を覚ましてやりなさい。その時、彼がキミに謝って来たらもうけもんだよ。だから、やっぱり婚前交渉はしないこと(アブステナンス)二人が最後まで見つめ合うための愛のテストとして。一緒に助け合いながら守ることができるかどうかの
2007年02月01日
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