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昨晩はお誘いを受けて、地元ホテルで催されたチャリティコンサートに出向きました。会場は超満員で、若いヴァイオリニストの演奏を楽しみました。奉仕的で心の温かい音楽家ご一家の活動に感心させられます。ボクの教会でも「無料演奏会」をして下さったことがあります。演奏されたのは「スプリングソナタ」伸びやかなこの曲の冒頭を聞く度に、この若い音楽家の姿を思い出すでしょう。たぁ~ らりらりらりらりら~らりらりらりらりら~ら ららららら~ららららら~
2007年05月30日
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「坊やいっしょにおいで 用意は出来ている 娘と踊ってお遊びよ 子守歌を歌って寝かしてあげようね さあおいで いい所へ」(ゲーテ)死の天使、魔王はこんなふうに誘ってくるでも顔を向けてはならない死を選んではいけないそこには永遠の安らぎがあり花園の床(しとね)があるとこんなふうに誘われても嘘っぱちに決まっている神のおられない死、そこは地獄たとえ花園に囲まれていても「死神」と一緒ならすぐに次の死が欲しくなるだけ苦しみはきっと過ぎ去りやがて青空が訪れることを信じようぜったいにそうだあなたの神と共に生きるんだよ神が手を引いて、苦しみの谷を渡らせて下さる手を伸ばしてごらん命の神に向かって神があなたの側におられるから神が備えられた死があるその時を心待ちするんだよ命の主権者(神)にお委ねしてそれまでは一緒に生きようよ弱々しくても大丈夫神があなたの杖になって下さる
2007年05月29日
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死の天使があなたをさそっても死んではだめです。絶対に死んではだめです。あなたが生きることが神様の御心です。絶対に死んではだめです。
2007年05月28日
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聖霊降臨祭世の人の知らないこの祝日ウィトサンデイ白いガウンの代わりに白いワイシャツに白いネクタイを付けよう結婚式と間違われても構わない薔薇の花びらを採って礼拝者の頭(こうべ)に置いて歩こうきよい聖霊があの日にとどまったことを教えよう聖霊はキリスト様の御霊「世の終わりまでいつもわたくしたちと共におられます」と語ろう
2007年05月27日
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あしたはキリスト教会のお祭「聖霊降臨祭」です。キリスト様は十字架にお係になり、復活され、それから40日の間、主(おも)だった弟子たちとお過ごしになり、天のお父様の所へお帰りになりました。「では地上はカラになったの?」キリスト様の分身である「聖霊」が間もなく力強く彼らの上にお降りになりました。その日が「聖霊降臨日」今は「聖霊の時代」そして「教会の時代」「今は恵みの時、救いの日」です。門は開かれたままです。キリスト様のお身体は天にあっても、キリスト様はこの地上にもおられます。ボクたちとご一緒に永遠におられます。何しろ「キリスト様の分身」があの日、炎のように分かれて降られて以来、一人一人と共におられますから。「聖霊降臨祭の礼拝」には洗礼式を行えるように祈ってきました。今年は、受洗者がまだありません。その代わり、一人のかたの「入会式」があります。その喜びも、大きいものがあります。午後2時半から、近隣の教会から信徒さんたちが集まってこられます。静岡第一テレビで放映されている「ライフライン」放送のために祈る集い「ライフライン・ラリー」があるからです。思いきり「主の日」を喜ぶんだよその前にたくさんの準備が残っている(笑)
2007年05月26日
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今朝は何と輝いた朝なのでしょう昨日一日降りしきった雨が収まりとつぜんの陽にさらされた緑や黄が赤が驚いています生活の労苦を忘れさせてくれるのです
2007年05月26日
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久々の雨の朝ですちょっと雨が少ないなと 思っていた所でした空からの水まきは何とカッコイイでしょう!聞こえますか?草木が歓声を上げているのが
2007年05月25日
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5月23日と24日の日記を、削除いたしました。コメントも一緒になくなりました。せっかくコメント下さった皆様、どうもスミマセン。おゆるしを! ~やまひで
2007年05月24日
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今朝は「ハンナの祈り」を読みました。ハンナはエルカナの2人の妻の内の一人です。子供が生まれなかったのでもう一人から迫害されます。それで神殿で泣きながら祈ります。ろれつが回らなくなるほど長く祈っていました。祭司エリの目に止まり、やがて母となることを告げられます。サムエルを産むのです。ハンナの祈りは苦痛から勝利の喜びへと変わりました。下の引用は「ハンナの歌」です。ここを読む度に、女性の心の中に棲む強さ激しさに心打たれます。やさしい声、たおやかな物腰、歩き方その奥に秘められているもの。隠れようもなくあらわになる瞬間があります。 2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。 わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。 2:2 聖なる方は主のみ。 あなたと並ぶ者はだれもいない。 岩と頼むのはわたしたちの神のみ。 2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。 思い上がった言葉を口にしてはならない。 主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。 2:4 勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。 2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない。 子のない女は七人の子を産み 多くの子をもつ女は衰える。 2:6 主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。 2:7 主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。 2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ 高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。 大地のもろもろの柱は主のもの 主は世界をそれらの上に据えられた。 2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り 主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。 人は力によって勝つのではない。 2:10 主は逆らう者を打ち砕き 天から彼らに雷鳴をとどろかされる。 主は地の果てまで裁きを及ぼし 王に力を与え 油注がれた者の角を高く上げられる。」 サムエル記上2章1~10上記は「Jバイブル1st」から貼り付けた上で段落付けの加工を施しています。 聖書本文は、日本聖書協会から引用許可を頂いています。-----------------------------------------------------聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会Executive Committee of The Common Bible Translation(c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988----------------------------------------------------
2007年05月22日
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恩師の息子さんがネクタイを送って下さいました。ジーザスの絵がでっかくプリントしてあります。聖書の絵の模様もあります。色も超派手です(笑)彼が以前同型のネクタイを締めていたことをボクがちょっとほめたんです。それを覚えておられて同じものを見つけて、すぐゲットして下さったというのです。さぁこれを堂々と締めて彼の愛と一緒に礼拝に行くかぁ!!!!
2007年05月20日
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毎週、一人のメッセージをずっと聴き続けるそのことを、改めて自分の心に問うてみたかつては自分もその一人だった礼拝のお説教を聞いていてもうそろそろやめてほしいなそんな風に思ったこともあった話す人と一緒に天にも上った日もあったおお自分はどんな話し手なのだろう聖書を説いているか聖霊の働きの邪魔になっていないか聞き手にどんな満足を与えているか忍耐を強いているのかアンケートを取るわけにも行かない
2007年05月19日
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とつとつとしかし堂々と生きるんだよだれに支持されなくても大丈夫あのかたの前でなら大丈夫
2007年05月19日
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自分の聖書通読の中から、聖書の言葉1節を選んで数人の信徒さんに送信しています。もともとは自分の息子たちの魂を心遣って始めたことなのですが、色々な事情で、霊性の未熟な子供たちに、聖句を押しつけることは止めました。ただ一つの聖句を選ぶことは思いのほかむずかしいです。聖句には、前後関係がありそこだけで取り出しても、どうしてその言葉が出てくるかわからない場合があります。聖書の書巻によっては一つの御言葉で、その一日の手短な励みになるような聖句を見つけ出すことはむずかしい。「士師記」はお手上げでした。--------------------------「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」ルツ記2章12節~新共同訳聖書より~(今朝送った聖句)
2007年05月18日
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裁く言葉を考え込んでいた。そうだ、鏡の前に行ってみよう。
2007年05月17日
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「今日までたくさんの人をつまずかせてきましたし、 自分も傷ついてきました」病気のために退職された牧師がある集会で、祈りを指名され、こう祈りました。
2007年05月16日
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イスラエルの歴史に「士師の時代」がありました。「士師」というのは強いリーダーです。その中に一人、女性の士師がいた。デボラ!下の引用聖句は、戦争に出かける前のイスラエルの将軍の言葉です。バラクはデボラに言った。「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません。」士師記4:8ボクにとって、聖書の中でも印象深い言葉の一つです。強い女性にあこがれるのですな。
2007年05月15日
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きのう「感謝」についてのお話をしました。使徒パウロは「感謝」をよく手紙に記す人です。彼の13ある手紙の中で「感謝」を検索したら47回もありました。一つ一つあたると、46回が神様に対しての感謝で、人に対してはただ一度だけです。パウロが手紙をしたためた理由は必ずしも良いことばかりではなく、教会の問題解決のためにペンを取ることもありました。それでも必ず「神様に感謝します」と書き始めるのです。こんなパウロにボクは心がときめきます。あこがれます。神様ありがとう!感謝します!-----------------------------「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。」ローマの信徒への手紙1章8節
2007年05月14日
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おはようございます。新しい朝は静やかに巡ってきました。今日は「母の日」に因んで、礼拝にお出でになった女性たちにささやかなプレゼントがあります。シングルな女性にもプレゼントをします。なぜなら「神様の御心を行う人はだれでも、主イエスの母」と記されてあるから。男性だって「イエスの父」と呼ばれるんだな以下は、週報に掲載する「母の日」の由来です。心の窓---------------------------- 「母の日」の由来は、1914年に、アメリカで、時の大統領W・ウィルソンが五月第二日曜日を母をたたえる日とする文書に署名したことによります。 アメリカのウエスト・ヴァージニアで生まれたアンナ・M・ジャーヴィスには母親のアンナ・R・ジャーヴィスがいました。母親は1905年5月9日に召天しました。その後娘のアンナは五月第二日曜日に記念会を開きました。生前母親は、日曜学校で「母の偉大な愛に心から感謝の気持ちを表わす方法を考え出して下さい。」と言いました。それから母の日を守る運動が始まった。そして1914年5月9日にウィルソン大統領が署名したのです。
2007年05月13日
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こぼれてしまった若者たちアパートの一室に溜まっていたが朝晩に騒ぐために嫌われ外に出て道端に座り込んでいる(牧師さん、彼らに語る言葉を なにか持っていないのかね)(帰る家はないの? 家に帰ってもつまらないの? 仕事をしないの? キミたちの中でギターを弾ける人は? 教会の中に入って 牧師さんのお話を聞くかい?)こんな風に話しかけられたら・・・・
2007年05月12日
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昨日は久々に「ウェスレー勉強会」を持ちました。リーダーがからだを痛めていたので、暫くお休みしました。これまでウェスレーの「標準説教53」を全部輪読しました。今は「キリスト者の完全」輪読に取り組んでいます。次には「日記」全巻輪読に挑戦するかも知れません。「キリスト者の完全」の心の在りかを理解します。「信じる」ことの純粋さ「生きる」ことのシンプルさどちらも神に向かっています。「生きることなしに、信じることは無い」これが、ウェスレーの信仰の心だと思います。ボクのように頭と行いが離れがちな人間を憐れみ神様はボクをウェスレアンの教会に導いて下さいました。
2007年05月11日
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キミはクリアーな鏡だボクの姿がそこに写るハートの中さえ写し出す鏡だ
2007年05月10日
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この前、北極グマの生態をテレビで見ました。生きるための、過酷な戦いがあります。小熊に食べ物をやるため、氷の上を歩き回ります。セイウチの群に出会い、襲おうとしたら、逆に牙でやられました。生きることがどんなに過酷であるかがわかりました。人間だけが牧歌的というわけにはいかない?
2007年05月09日
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生涯の最後まで、愛する者のために幸いを願い、祈り続けた、モーセや父祖ヤコブのようにボクも、肉親の家族と神の家族のために、そう願い続ける者でありたいと思いました。---------------「これは神の人モーセが生涯を終えるに先立って、イスラエルの人々に与えた祝福の言葉である。」申命記33章1節「信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。」ヘブライ人への手紙11章21節
2007年05月08日
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厳しい言葉をかけられる時愛からの言葉だとしたら耳を傾けよう意地悪い心から出ることもあり涼やかに通り過ごして構わない愛の言葉もまた同じ
2007年05月07日
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日曜講壇 「イエス・キリストのものとなるように召された」ローマの信徒への手紙1章1~7-------------------------------------------------- <1> パウロの自己紹介 「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」 確信に満ちた自己紹介はすばらしい! パウロにとっての「召される」は、十字架の上で命を捨ててまで愛して下さった方のために、生涯をささげて働くということです。それは、とてつもない喜びの道に呼ばれることでした。<2> 「イエス・キリストのものとなるように召された」ローマの信徒さんたちに呼びかけられたパウロの言葉は、すべてのクリスチャンに対する神様のみ言葉です。 去年の暮れから、女性物の上着がハンガーに掛かったまま。「この忘れ物だれですか?」と、ほとんどの人に伺ったが、だれも自分のものではないという。いつまでもぽつんと置かれているのは、洋服だとはいえ、かわいそうだな。 教会には時々、聖書とか、めがね、ボールペンとかが忘れられる。忘れ物を見ると、まず所有者はだれかと思いが行く。 帰属って、大切です。「1匹狼」の人生は止めにして、彼の「小羊」として生きるんです。昔アロンという人は、祭服を着て、その額には「主の聖なる者」と彫りつけた額当て貼っていたそうです(出39:30)。ボクたちの額にも、「キリストのもの」「主に売約済み!」という印章が付いてれば、吠え猛る獅子のように巡り歩く悪魔でも、手を出そうにも手を出せない。 「教会」というギリシャ語の言葉「エクレシア」は「召された人々の集まり」という意味です。「イエス・キリストのものとなるように召された」人たちは、キリスト様の教会を造り上げるために励みます。それがボクたちの交わり(教会)なんです。ボクたちは主のものであることを証ししあい、互いに罪を告白し、許し合うことによって、キリスト様の教会を造り上げていきます。
2007年05月06日
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できるだけコメントを控えよう。でもついつい心の奥から湧いてくる言葉。神様も饒舌ではないと思う。だから与えられた御言葉は愛のほとばしりと読もう。
2007年05月05日
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人間関係の中では、傷ついたり、傷つけられたりする。見方を変えれば、自分も傷つける立場に立っている。そういうもののない人間関係はむしろいびつな関係のように思える。人形と人形がお付き合いするような神の御言葉が響きようのない世界だ。愛すること赦すことそれは実践されなくては意味がない。-----------------------「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」ヨハネの手紙3 3章18節
2007年05月04日
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コメントを付けないから感動しなかったわけではないブログ日記を読む楽しみは
2007年05月03日
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昨日の聖会は、30名を超える方たちが来て下さいました。東は横浜から、西は浜松から口を揃えて、見晴るかす富士山の美しさをたたえながら。その中でお一人が、富士山に全然気づかなかったと。そうです、キリスト様に心がいっぱいだったからなんです。
2007年05月01日
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