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恐れや不安にさいなまれると、苦しみと恥辱に満ちた過去さえが、よかったように見えて来ます。苦しくても、今が一番いいのです。------------------------イスラエルの人々は一斉にモーセとアロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。」民数記14:2(新共同訳聖書)---------------------------
2007年03月31日
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「あの人の心ない言葉でつまずきました」そんな鬼の首を取ったように言わないでくださいなあなたをつまずかせた人が、どちらかと言えば無配慮な人であることはわかっています。でもあなたはその人のために祈るべきでしょう?同時にあなた自身のためにも祈らねばなりません。あなたの心の中にあるプライド、怒りの感情神様の悲しみはそのどちらにも、とどまっているのです。
2007年03月30日
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旧約律法に、聖職者(レビ人)の任期が決められていることに驚きます。「ボクは力にあふれている、幾つになっても大丈夫だぞ」そういう一人合点は通用しないのだ。考えさせられました。せめて、引く時ぐらいは美しくありたいと願わされます。-----------------------「五十歳に達した者は務めから身をひかねばならない。二度とそれに従事してはならない。ただし、臨在の幕屋で同族の者が警護の任に当たるのを助けることはできるが、自分で作業をしてはならない。」民数記8章25~26節(新共同訳聖書)
2007年03月29日
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今日は川越市にある病院に大切な人を迎えに行きました。長男が「オレ休みだから一緒に行ってやろうか」それで彼に運転を任せました。御殿場~篭坂峠~河口湖~中央道~八王子ここまではスムーズでしたが。R16に下りてからがタイヘン。川越市内で車がパズルにはまったように渋滞帰りは関越道~首都高速~東名一時間の短縮往復で360kmボクは後部座席で居眠り「父さん一人では無理だったよな~」
2007年03月28日
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精神の疲労困憊の極みに生起するものは他者への怒り自分への怒りそして神への憎悪それらを突き抜けた所で愛の火が灯りはじめることを証して下さい
2007年03月28日
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荒れ野で40年ものさすらいをした民族があります。ボクも行ったことがあります。それは信じがたい光景でした。どこを見ても、ゴツゴツした岩山ばかり。水が流れた後の渇いた所を捜しながら、テントや幕屋を担ぎ、家畜を追いながら、40年の流浪。彼らは「雲」を見ていたようです。「雲」を目当てにしていたようです。----------------------------「朝になって、雲が昇ると、彼らは旅立った。昼であれ、夜であれ、雲が昇れば、彼らは旅立った。」民数記9章21節----------------------------
2007年03月27日
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故郷の町近くの教会へ行った思い出がある。礼拝でのお話を頼まれて。初めての訪問だったが、母校近くの町、土地勘があるという自負を持ち、ろくに場所も聞かずに出かけた。日曜日の朝、幾ら歩いても目指す教会は見つからなかった。ついに礼拝が始まる時間が過ぎ、電話ボックスを探して、教会に泣きを入れた。「そこはどこですか? 何か目印は?」暫く待つと、牧師さんがバイクを走らせてきた。「やまひで先生、さ、早く後ろに乗って!」「でも、ヘルメットがないよ」「余分はないんです、さぁ早く!」
2007年03月26日
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昨晩寝る時には、どこかの窓が開いているかと探すほど家中が揺れていた。眠りもしばしば妨げられた。なお春の嵐が吹き荒れている朝。今日は「主の日」=日曜日。キリスト様の「受苦」もひとまず、復活の喜びの声に代える「主の日」だ。こんな「主の日」が来ているのだから、皆さんが三々五々おいでになる10時前後には、雨風もすっかり凪いで、うららかな春陽さえ降り注ぐように、計らって下さらないかしらと、風の音を聞きながら、そんなことを期待している。
2007年03月25日
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明日は、第4日曜日ですから、伝道師である妻のメッセージを聞きます。年度末の礼拝となります。「週報」というプログラムには、その日のメッセージの要旨を載せます。早いな、もう手渡して下さいました。ここに載せて、皆さんにも読んで頂きましょう------------------------------------聖書・マタイ13章1~23題名・「御言葉を聞いて悟る人」農夫にまかれた種には、良い土地に落ちた幸いな種があります。それは「御言葉を聞いて悟る人」です。(マタイ13:23)神様の約束が、私たちの心の内に実現することを経験する人ほど、幸せな人はありません。私たちが「神様の愛を与えて下さい」と願う時、(1)本当に祈り求めること、(2)真剣に聖書を読むこと、(3)心を開いて集会に出ることです。教会でも家庭でも、ますます愛の人にされていく時、内側には「御霊の実」が、伝道においては「救いの実」が結ばれて行くのではないでしょうか。--------------------------------------
2007年03月24日
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信徒さんが、3つの目標を立てたと、教えて下さいました。1,部屋を片づけること。2,教会での毎朝の祈り会に出席すること。3,食事の管理をすること。そう、それ!ボクもその3つをそのまま頂きます。
2007年03月23日
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食生活は、心と体のバロメーターです。一食7単位は食べるように心がけています。一単位は80kcalと計算し、7×80=560kcalそれが3食ですから、560×3=1680kcalこれがボクの一日の食事量です。最近、信徒さんから「人間は少なく食べても大丈夫のようにできている」と聞いて7単位の呪縛から解放され、もっと簡単にする事もあります。その結果、体重が61~2kgから59kgに減りました。ちなみに7単位の目安、たとえば朝食ではご飯一椀 3単位(150g)みそ汁 1杯 0.5単位納豆 1単位強野菜炒めまたはサラダ 0.5単位目玉焼き 1単位強バナナ1本 1単位強目玉焼きの代わりに、アジの開き(小)にもなります。夜になれば、納豆の代わりに、肉やおさしみが入りバナナの代わりが、プリンやアイスクリームとなります。これで7単位、しっかり食べられます。ウナギの蒲焼きを食べたいなと思うこともありますが、それは、お客様を接待する時などのお楽しみなんですね(笑)
2007年03月22日
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教団総会に出席しました。懐かしい同志たちの顔・顔・顔互いに声を掛け合いました。ボクには閉会礼拝のメッセージを命じられました。足りない者にも、御用を命じて下さいます。30年間、ここにじっとしていたお陰なのでしょうね(笑)ですから一生懸命にお話しました。
2007年03月21日
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今年は春がねじ込んでくるのかと思ったがはやりためらいながらやってくるそれがキミのステキな所だなふくらみ始めたつぼみを縮こめる朝でも玄関をあけたら春の精が舞うのを感じたよ
2007年03月16日
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忘れ物が多くなりました。2月 近所のスーパーで夕方、品物を袋に入れるカウンターの上に、ポシェットを置き忘れた。中には、財布、預かったお金、運転免許証、保険証、PALM等々気づいたのが夜中で、明くる日一番で電話をすると、「保管してあります」3月に入ってすぐ隣町のスーパーの駐車場で、車のキーをトランクにいれて、バタン!スーパーの店員の携帯電話をお借りして、ジャフを呼ぶ。今週火曜日隣町の教会に顔を出して、牧師さんご夫妻とお話カバンを忘れて帰った。手ぶらで帰った自分を振り返り、ぞっとした。3つの失敗をちゃんと思い出したぞ。まだ大丈夫。
2007年03月15日
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朝起きると、昨日とはうって変わって風は凪いでいた天気さえ、こんなに変わる生身の心が急変するのも、無理はない
2007年03月13日
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お祈りありがとうございました。昨日、明け方は激しい雨でしたが、礼拝が始まる頃には、雨も止み、「教会アワー」と銘打った年に一度の集いも、無事に終えることができました。小さな集いも、普段は来られない思いがけない方が次々に現れ、感激がひとしおでした。昨晩から風が強くなり、今日は青天ですが一日吹き荒れていました。昨日のがんばりをねぎらうため、午後、妻を連れて、沼津の千本浜に出ました。普段は穏やかな駿河湾も、風のため、しぶきが堤防の上まで漂ってきます。飛ばされないように、妻を抱えて歩きました。彼女は途中で力が尽きたようで、ここで待っているから車で迎えに来てと。山だったら遭難だねぇ。
2007年03月12日
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友人をお迎えしました。明日の礼拝と午後の特別集会のためです。教会の正式なゲストメッセンジャーとしてです。ひとしきり、お話に花を咲かせた後近所の温泉にご案内しました。帰ると夕食ができています。東京から来た母と妻とが、一緒に夕餉を用意しました。メッセージを作る重圧から解放されて、久々に味合う、何と気持ちのいい土曜日でしょう。明日のボクの御用は、司会だけ。一番前にすわって、メッセージを聴きます。心ゆくばかり、聴いて、お恵みを頂戴いたしましょう。ボクのために、開かれた集会のように。
2007年03月10日
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男女がお互いに惹かれ合うことの自然さ、豊かさ。やがて二人は互いの身体を触れあいます。二人の世界は高まり、幸福感に浸り合います。旧約聖書の「雅歌」は、婚礼で歌われた祝歌とか、浜風9724さんが書いて下さったような解釈もあるようです。また旧約聖書正典編纂の時にも、すんなりとは加えられませんでした。詩的ではあっても性愛描写があり、「神」という言葉が一度も見られないのが理由だったようです。「雅歌」はそのような書ですが、「神とイスラエルの神秘的な愛を象徴するもの」と解釈されて、聖書の目録に加わりました。キリスト教もそれにならって、「キリスト様と教会」や、「キリストと信徒の神秘的な関係」を表すものと解釈しています。「愛を受け、愛に答える喜びは同じ」キリストと信徒の法悦的な交わりは確かに存在します。それを信仰生活の原動力とし、その神との交わりの豊かさは、職業を持ってこの世に仕え、愛のわざに励み、バランスの取れた他者との交わりの生活に実を結ぶものなのです。
2007年03月09日
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1 「恋人よ、あなたは美しい。 あなたは美しく、その目は鳩のよう。」1:15キリストは、ボクたちを「恋人」と呼ばれます。「美しい」とお声をかけて下さいます。 2 「いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。 恋人よ、美しいひとよ さあ、立って出ておいで。 岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ 姿を見せ、声を聞かせておくれ。 お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。」2:14,14主は身を潜めていたボクたちを呼んで下さいました。美しい世界に目を開かせて下さいます。 3 ボクたちは、キリストの婚約者、おとめなのです。その愛は、十字架の上に身をさらし、命をなげうつ程のものです。彼の求愛に、全身全霊でお答えします。「わたしたちもあなたと共に喜び祝います。 ぶどう酒にもまさるあなたの愛をたたえます。」1:4 4主とボクたちの毎日の歩みは、こうです。それは、人もうらやむものなのです。「荒れ野から上って来るおとめは誰か 恋人の腕に寄りかかって。」8:5
2007年03月07日
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「説教」を聴くことはいいのですがすることにますます困難を感じています。話したくない。ただ一緒にすわっていればそれでいい。今度の日曜日にはゲストの牧師さんが来られます(安心)
2007年03月06日
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Not I but Christ.キリストがすべてをなさる。わたしは口にしか過ぎない。(説教者の前置き)キリストの思いにマッチさせれば、すべてが解決される。キリストと共に生きる人はすべてのわざを「聖なる務め」とする。みんなが「聖職者」
2007年03月03日
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ボクはここにおりますここで静かに輝いています
2007年03月02日
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