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今日は叔母を訪ねてきました。叔母は1年半前に息子さんを亡くしています。当時ボクは声をかけることが出来ませんでした。何を言っても口先だけの慰めになることを恐れました。ボクも息子を亡くしたので決意して出かけていきました。お互いに息子のことを話しました。ボクは慰められ、叔母も喜んでくださいました。
2014年05月31日
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突然の心臓の異常に襲われ数秒~数十秒で意識を消失し全身を痙攣させ、血の気が失せていくその一部始終を見守っていた彼の妻と幼い娘ありがとうねあなたがたは、どんなに驚き、つらかっただろう。けれどもあなたがたの目の前で天に駆け上っていくなんて息子は本望だったに違いない。元気に任せて無理を重ね突っ走り続けた結果だったのかも知れないと思う。中途半端に蘇生しなくて良かったねとボクたちは話し合っているまっすぐに天国に前進する方が彼の生き方にふさわしいよ意見が一致しているボクと、ボクの妻そして彼の弟
2014年05月30日
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妻は8時から9時までの間に就寝する今まではボクがPCに向かっている横からバイバイ、じゃぁまたねと一人で休みに行っていた息子を天に送って以来妻が行くとボクも後から行くようになった妻が寝る支度をする側に居る電気を消すまで一緒に居る昨晩も今晩も30分ほど会話をした亡くなった子を含めてわが子たちの話題が中心夫婦でわが子たちの自慢をするのだから人にはとうてい聞かせられない
2014年05月27日
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ず~と30年以上 常連惰性かなあまりテレビを見ないボクも朝ドラは別その都度、毎度惹きつけられていままでの最高作は「まー姉ちゃん」この頃はまだ朝ドラは見ていなかったが信徒さんがよく話題にしていた再放送があって、見た心ときめかして毎朝が楽しみだった「ちゅらさん」も明るくて良かったいっしょに泣き笑いこの度の「アンと花子」も見ている主人公がなかなかの美女NHKは美女を見つけるのが上手だなこれほどの美女はあまり居ないのではないかと思う「赤毛のアン」原作は高校生の頃読み大好きになった「赤毛のアン」という書名は村岡花子の命名かしら「赤毛」は良くないな「グリーンゲイブルス(緑の屋根)のアン」(原題)の方がボクは好き続編は「アンの青春」だったかな第1作ほどの感動はない続編が10冊ほども続いた赤毛のアン・シリーズ映画でもアニメでも見たが小説にまさるものはない「赤毛のアン」がグリーンゲイブルスに連れられてくる途中「小川は笑いながら流れてくる」という表現その明るい響きに、高校生のボクは心おどらせたアンは賢くて素敵な子マリラが気に入るのは当然だマリラも素敵だけどそんな素敵な朝ドラになるのかな
2014年05月24日
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月日は矢のように過ぎていく、とは昔のことわざ。からだのスリ傷も切り傷も月日がたつと癒えてくる。心の痛みも。月日は何よりの薬。渦の中にもがいていても体が宙に浮いてきてだんだん高く上がってその渦を上から眺めるようになる。長男 30歳半ばで、神様の御元へ行き長女 外国に帰り行き末子だけがボクたち夫婦と一緒にいて心配りも世話もしてくれる。それは涙がでるほど嬉しいが彼の大好きな祖母(ボクの母)は80歳も半ば彼はやがて祖母とも別れなければならないだろう。ボクやボクの妻とも別れなければならないだろう。そして一人となる。だから今を大切にして生きる。それが最善だ。それ以上のものはない。
2014年05月21日
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一時帰国していた娘家族が朝の礼拝に出て帰り支度をして夕方日本を離れていった。孫の成長ぶりは目を見張るばかり母親のあとを追って離れなかった幼子たちはじいじと一緒に市制記念公園まで遊びに行く。まるで台風一過幸せを運ぶ台風のボクたちの日常に平穏が替える。さぁ明日に目を向けて。
2014年05月18日
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側にいない子供たちへは空に向かって名前を呼ぶことにしている空はつながっているから届けられる気がしてずっとそうしていたさっき生きているわが子と一緒に亡くなったわが子の名を空に向かって呼んだ違和感はない死んだ気がしない空の向こう天の果てで生きているのかそこにキリスト様がいるとするとこちらよりずっとよいまるでバラの香が匂うような所かも神は死んだ者の神ではなく生きている者の神だから
2014年05月15日
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バッハの教会カンタータを1番から聴き始めいつの間にか187番に至った。心に嵐が吹きすさぶ夜も、聴く。187番は詩編104編27~28節を歌うコラールから始まる。「彼らはすべて、あなたに望みをおき ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。 あなたがお与えになるものを彼らは集め 御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。」ポリフォニー音楽(複数の旋律が追いかけっこをしたり、合わさったりする)を聴く喜びを心ゆくばかり味合う。天の御国のお花畑に、蝶が自由に舞い遊ぶイメージをボクは持った。そうだよ、ぼくの息子はそんなイメージの所で蝶と一緒に遊んでいるのかも。先に召された彼の赤ちゃんもそこに一緒にいるのかも。
2014年05月14日
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息子の逝去の知らせは夜に届けられた。ボクがその日のブログ日記を書いていた頃倒れたようだ。「よしおくんが・・・」と彼の家内の父さんからの電話わけも呑み込めず「交通事故ですか? 死んだのですか?」と問う。父さんにも事情が良くわからずとにかく搬送されたとの報告。そんなことが起こるのかと自問自答。しかし、最悪の事態を予想。そして数分後には死亡の通告。妻は既に寝床にある。妻への知らせは明日に延ばそうかと思う。それはダメだ。一刻も早く伝えなければ。でも妻は難聴なので、大きな声を出さなければならない。「よしおが・・・・」「えっ来たの?」年に1度はバイクを駆って夜中にやってきていたのだ。昼間に「そろそろ行こうか?」と妻に電話したばかりなのでボクの言葉をそう聞いたのだ。それからかつてない残酷な瞬間を迎えなければならなかった。
2014年05月12日
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朝起きて妻の顔を見ると目を腫らしている。幼い頃から天国のことをいつも話して聞かせイエス様がおられるすばらしい所を目指して生きているんだよ、と語っていたからそこに先駆けて登っていった愛する息子を喜べるはずなのに悲しいはずがないのに彼の名を口にするたびに涙があふれてくる。今朝友だちが電話をくれて電話口で祈ってくれた。涙をこらえてもこらえきれない。
2014年05月11日
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3人兄弟が集まると、まるでお祭り。特にキミが加わるとバラ色。わっはっは いやー きゃーそんなキミは木曜日の夜天に登っていった。まてよキミは星の王子様だったかな?だってキミの死に方は王子様が地球を去る姿とまったく同じ。だからああしてキミが来た国に帰ったのかもしれない。きっと そうに違いない。思い出は心の宝箱に時々は出してみるありがとうよボクたちの子供として産まれくれて。
2014年05月10日
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出先近くの駅の階段を下りようとしたとき、雑踏の渦の中、耳元のイアホンが、BWV147『心と口と行いと生活で』のコラールを鳴らした。「主よ、人の望みの喜びよ」と呼ばれるコラール(讃美歌)電車の中からバッハのカンタータをMP3で聴いていた。階段を下りきったボクはその清らかな響きに、全身が耳元から包まれた気がして、思わず立ち止まり、空を見上げた。 なんとわたしは幸いなことか、わたしがイエスを持つことは。 おお、どれほど堅くわたしは彼を保っていることか。 イエスはわたしの心を力づけてくださる わたしが病のときも、悲しみのときも。 イエスをわたしは持っている。 イエスはわたしを愛し、ご自身をわたしに与えてくださった。 ああ、そのゆえに、わたしはイエスを離さない、 わたしの心が破れても。(井田泉訳)この歌詞に心から共感しないでは居られない。
2014年05月08日
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あさり取りは子どもの頃の谷津遊園京成電車の駅を降りると海岸に行くまっすぐの道の両側にあさり取りの熊手や網を売る店見渡す限りの浅瀬、潮が引くと熊手で瀬を掘るあさりが出てくるあさりを見ると懐かしい遊びと言えば、潮干狩りとか、はぜ釣りくらいだったあさり売りが夕方家の前を通る1合升、30円ほどだった気がする今300円になったあさりと一緒にシジミも売っていたがシジミは顧みなかった近所の川に行けばシジミが転がっていた今ではシジミも高価となったはまぐりはつるつるめったに食べられない贅沢品父がたまに買ってきて、網に載せて焼くパッカーンと固く閉じた殻が開くのをじっと待つ子供たち潮干狩りで、たま~にはまぐりが見つかると歓声ものだった
2014年05月07日
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息子にとっては今日が連休最終日と言うことだ。休み中、木の剪定、網戸の張り替えなど家のメンテナンスを精力的にしてくれた。ご褒美に夕食に目新しいものをと思いスーパーへ。うなぎを買うかと売り場に寄って行くが、高価にしてはちょっと貧相でやめる。うなぎの上の棚に置いてあった「いわしの蒲焼き」でがまんしよう。そうだ味噌汁の具だ!いつもは「わかめに豆腐」なので、「あさり」でも奮発しよう。あれ? 大型ハマグリがある!2個入りで1パックなり。2パックを買う。子供の頃食べた「焼きハマグリ」おいしかったな。はまぐりは「おすまし」がいいのだが、味噌汁の用意をしてきたのでそれに4つ、ぶっこんだ。小さめのお椀に、はまぐり1個入れると、それだけでお椀を占有した。それを見た息子、「わっ」しめしめ、驚いたぞ。デザートはアイスクリーム。
2014年05月05日
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妻は1型糖尿病と闘う以前は、妻は1型糖尿病と親友だと書いたことがあるでも今は違うそんな牧歌的なふうには言えない妻は戦っているのだ病の大風が前から吹き付けてくる妻は手探りで前進しようとするボクが妻の前に立ちふさがって風よけになることは出来ないあくまでも妻が前に進むボクは ボクは妻が吹き飛ばされないように後ろから支えているだけ
2014年05月02日
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バッハは教会音楽家であり、牧師が毎週礼拝での説教を苦心して準備するように礼拝の音楽作りに生涯をささげた人と言えよう。評伝を読んでいると、バッハが勤めたトマス教会のカントルという仕事がどんなに多忙だったかをうかがい知る。その中での毎週の礼拝のためのカンタータ作曲は過酷を極めたものだっただろう。転用が多いのは、構想が湧いてこないのに、演奏期日が迫っていたためかもしれない。バッハはカンタータを教会暦や記念日に合わせ3年分を準備し、その総数は300に及ぶという。今残っているのは200曲足らず。牧師が毎週の説教をいちいち保存しておかないように(きちんと保存してのちに「説教集」を編集する牧師も中にはある)バッハもそのカンタータを全部きちんと取っておいたわけではない。ましてカンタータを出版するなど考えられない。こんにち200曲の教会カンタータが保存されてきてそれを聴けるというのは奇跡に近いことではないだろうか。ライプチヒ時代の晩年、バッハはカンタータを書かなくなり器楽に心を用いるようになった。「ゴルドベルク変奏曲」や」音楽の捧げ物」などその時時の必要に迫られて作られ、それぞれがバッハを代表する作品となった。カンタータの新作が晩年にないということは、もうそれまでに十分に作ってきたからである。バッハは、愚直に、懸命に、神と自己に忠実にその時代を生きた証人である。当時の役所、学校、そして教会さえもバッハを正当に評価し扱ったとは言えない。それは神から与えられた天分を神のためにささげて妥協せず生きた証となる。
2014年05月01日
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